子供が部活の合宿で不在なので、奥さんの父母の様子を見に
帰省しました。
四国に上陸したので、まずはうどんやね。丸亀の綿谷さん。
箱が大きいので、多少並んでいても回転が早いのよ。
ここは肉ぶっかけが、おススメ。
牛と豚のあいがけになっているスペシャルを注文。
麺も出汁も旨かった。
この日は、奥さんの父母の様子を見て終了。
四国三郎の郷でキャンプの予定でしたが、あまりの大雨で
テントを張る気にもならず、車中泊としました。
マット敷いたらそれなりに快適空間でした。
車がデリカで良かったよ。
さて、2日目。
四国の徳島県にある剣山。
この山に「ソロモンの秘宝」が隠されているという
伝説があります。
ソロモンの秘宝とは、古代イスラエルの十戒石板、マナの壺、
アロンの杖を納めた契約の箱(アーク)を指します。
インディ・ジョーンズの映画の題材にもなった、
「それを手にするものは世界の王となり、世界平和の礎を築く」
とされている、アレです。
この聖なる箱は、古代イスラエル王国の神殿が破壊されて以来、
行方不明になっていますが、
それがいつしか、東方へ逃れた失われたイスラエル10支族が
持ちだし、どこかに隠したのではないかといわれるようになり、
その候補地として挙げられているのが、剣山なのです。
今回の旅の第2の目的は、このトレジャーハントなのです。
実際、剣山で長年にわたり、ソロモンの秘宝を捜しつづけた、
高根正教という研究者がいました。
『聖書』と言霊学の研究から、剣山にソロモンの秘宝が運ばれ、
隠されたことを確信した彼らは、当局の厳しい監視の目が光る
戦前という時代のなか、剣山で発掘作業を行いました。
このとき解読の鍵となったのが鶴岩と亀岩で、ふたつの岩の
麓には、今も発掘跡とされる石が並べられています。
彼らによると、童謡「かごめかごめ」の歌詞にヒントが
隠されており、「かごめ→籠の目→ダビデ王の紋章」
「夜明けの晩→夜が明ける→よはね→ヨハネ」となり、
また、「剣山=鶴亀山」であり、これがまさに隠し場所を示す
暗号になっているといういうのです。
「かごめ かごめ かごのなかの鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ 」
《カゴメ(籠目)紋はイスラエルのマークで、
ダビデの六芒星である。籠の中の鳥はアーク。
アークは何時出てくるのか?暗い夜明けに地震か何かで、
鶴石と亀石が滑り落ち、鍾乳洞からアークが正面に出てくる》
息子の高根三教がその後を継ぎ、研究していましたが、
近年逝去されて、お二人ともつるぎ町一宇の地蔵寺で
永代供養をされているとのこと。
二人の研究資料が、地蔵寺の粟飯原住職に預けられたのを
契機に、資料館を建設されたということでした。
運よく住職にお会いできて、秘宝観覧の丁寧な説明を
聞くことが出来ました。
住職に登山マップに案内ルートを描いてもらって、
鶴岩、亀岩を目指して剣山の登山口まで来ましたが、
やっぱり、あいにくの大雨と大風で大荒れの天候です。
今回の宝探し登頂は、
「中止」
としました。
剣山は逃げませんから、次回に順延ですね。
それまでにアークが見つからないことを祈りましょう。
さて、
スサノウノミコトの傍若無人な振る舞いを嘆いた天照大神が
天岩戸に隠れたために、世の中は暗闇に包まれ、
様々な禍が起こりました。
八百万の神は、集まって相談し、なんとか天岩戸から
天照大神を引っ張り出したので、世の中は明るさを
取り戻しました。
これが天岩戸神話ですが、最もメジャーなのは
宮崎県高千穂の大岩戸神社です。
でも、天照大神が隠れたという天岩戸、
なんと全国に十数か所あるのです。
ここ天磐戸神社もその一つ。
天磐戸神社の祭神は、天手力雄命(たぢからおのみこと)と
なっています。
天手力雄命は、天岩戸の扉を開いた神様です。
社殿横の山道を登って行くと、謎の石像が次々と現れます。
正面の大きな神楽石の下も石窟になっています。
その前に、天鈿女命と猿田彦命の石像がありました。
この猿田彦命の鼻、天狗ではなく西洋人。
古代イスラエル人ではないかと、目されています。
この石造の着ている服装が、イスラエル系の装束だと
言われているのです。
ここは、日本の神話と古代イスラエルが、
交わるポイントなのです。
そもそも、ここ剣山の周りには、日本のメジャーな
神社と同名の神社が数多くあり、
同じような神話の云いつたえも、たくさん残されています。
こちらの神話が本線で、他の地域が逸話。
アークに目を向かせないための方策だとする説もありますね。
神楽石の上部は平らになっており、広さ約45平方もあります。
天鈿女命が舞ったところでしょうか?
江戸時代より年に一度、神楽歌と舞が奉納されていたそうです。
神楽石の前を登って行くと、天磐戸の巨石があります。
岩の裂け目の幅は約1m、奥行きは約9mもあるそうです。
そもそも四国霊場八十八箇所も、空海の作った
アーク(剣山)への結界説や、民衆をアーク(剣山)へ
近づけさせない方策だとか説は色々あります。
確かに四国霊場巡りは、剣山周辺を通りませんからね。
さて、
十家(といえ)集落のモノレール駅まで戻ってきました。
TV番組ナニコレ珍百景等でも取り上げられた十家集落。
数年前に調べた時は、1名の方が集落に残っていると
言われていましたが、現在はどうなのかな?
十家集落に行くためにはモノラックと称するモノレールに
約40分揺られるか、徒歩で約60分の山道を行くしかなかった。
郵便物の配達も徒歩で往復2時間をかけて配達しているそうです。
集落は、古くからタバコや養蚕などで生計を立て、
1950年には、40世帯202人が住んでいました。
高度経済成長とともに、仕事などを求めて平野部や県外に流出。
過疎対策として山間地では道路整備が進んだが、十家集落は
急斜面で地形が悪く多額の事業費がかかるため、
考え出されたのがモノレールだったそうです。
農産物や生活物資の運搬を目的に、旧一宇村が整備したのは
1986年。90年にはまだ19世帯42人が住んでおり、
農林産物の集荷や出荷などに貢献しました。
買い物などに訪れるため、人も多く利用したそうですよ。
さて、子供が合宿から帰るまでには、帰宅しておきたいので、
帰路につきます。
帰り道に道中にあった、伊射奈美神社へ

古事記・日本書紀(以下、記紀)の中で、
イザナギ・イザナミ(以下、二神)は、
日本の国土やアマテラス・ツクヨミ・スサノオをはじめとした
多くの神々を生みます。国・神を生んだあと、
イザナミは死んで黄泉国へ行き
黄泉津大神(よもつおおかみ)となります。
このように記紀の中でイザナミは、
国生み・神生み・人の生死の起源という重要な仕事を行う
女神として描かれています。
イザナミと対になるイザナギを社名とする式内社は、
淡路伊佐奈伎神社をはじめとして7社ありますが、
イザナミを社名とする式内社は阿波国美馬郡の1社
のみなんです。
あえて女神のイザナミを社名とする伊射奈美神社は、
特殊な意味をもつものかもしれませんね。
今回は、若干不完全燃焼のソロモンクロニクルへの旅でしたが、
剣山周辺には、まだまだ日本神話とシンクロする寺院もたくさん
ありますから、第2弾、第3弾にご期待ください(笑)