ペトラプト・パルテプト

第2話 夕焼け その1

『 おかえりなさい! 』







第2話  夕焼け  ~ Abendröte ~ その1







「ふぅ~。終わったぁ~。完成、完成っと。」




報告書の書類を机にトントンと束ねて、ほっとため息をついた。


職場の喧騒をよそに冷めたコーヒーをすすってみる。


様々な言語が飛び交うオフィス。英語はもちろん、仏語や独語・露語なんかが混じっている。



ここは海外三課。通称『EC専』。主にヨーロッパ方面の国々との貿易等を取り扱っている。

社員数は現在47人。パートなどを含めると100人近くなる。

『EC専』というのはここの部署が冷戦以前はEC諸国が専門に相手だったから社内でそう呼ばれている。

標準語が日本語だとは限らない、日本であって日本でない不思議な空間。




出来立てほやほやの報告書に軽く目を通して再チェックっと…。




「柏葉さん…。」




誤字脱字は無しっと。我ながら完璧。

うーん…。

さすがにイギリスのD&E社は落ち込みがひどいわねぇ…。

あれの影響か…。株価が安定していないからしょうがないかもしれないけど。

担当は鹿取さんね。可哀想に…。






「柏葉さん…。あの…。」



「ん?」 




久々の自信作に気を取られていたので気がつかなかった。

報告書に自信作という表現もどうかと思うけど…。





「あぁ、西野さん。ごめんね、気がつかなかった。何?」




「はい…。あの…山田課長はいつ戻ってくるんですか?」




「えーっと。」






スケジュール帳を開いて確認する。





えーっ!! 来週!! 忘れていた!


ちょっとそれはマズイわ。だって金曜日は…。





動揺をぐっとこらえて、前を見る。小柄な女子社員と目が合った。




西野さんは今年入社したばかりの新人。

希望部署に配属されなかった不満があったらしいけど、今ではそれもEC専のアイドルとしてすっかりこの海外三課に馴染んでいる。

英語は堪能だけどそれだけじゃこのEC専では電話番すら務まらない。

お茶くみとその他雑用担当が彼女の仕事だ。


まったくこの会社は人材の適材適所がわかっているのかなぁ。





「来週の火曜日、10時の便で関空着だから、火曜日の昼頃には帰社すると思うけど。今はイタリアだからどうなんだろう?
 スペイン支社に寄ったりしないと思うけど…。あの課長のことだし…微妙だわ。」




あとで国際電話を入れておこうと思った。

寄り道されるとこっちの仕事が増える。

ただでさえ金曜の定例会議の出席は私に決まってしまったようなものだ。

会議で部長の苦虫を噛み砕いたような顔が頭に浮かぶ。





「来週なんですね。それじゃあ柏葉さんにお願いしてもいいですか? これ…。」



そう言って、長くて濃いブラウンの髪を揺らしながら、私の机にそっと書類を置いた。

オドオドしているのはいつものことだとしても、仕草がやっぱり可愛い。

社内で人気が高いのもうなずける。私なんかとは大違いだ。




「これって…。」 



さらりと読んで、思わず目が点になった。






「今度の海外三課の社員旅行の企画書なんですけど、課長に決めてもらってくれって小野田先輩に言われまして。」



「あの…、西野さん!? 私がするのは…ちょっとおかしいんじゃないかな。」



「でも、柏葉さん。課長代理だし…。」





確かにそうだ。それに関しては否定しない。



でもこういうことは私がすると角が立つのは目に見えている。

だってこの海外三課には往年のベテランぞろいだ。お局様級の人もけっこういる。

ただでさえ異例の出世で目の敵にされているのに目立った行為はなるべく避けたい。





「う~ん、でもね…。」



困った。


この手のことは正直苦手だ。それに加えてこの娘のウルウルした瞳も同性ながら苦手だ。

この娘と話をするたびに思う。どうして自分はこんなに可愛く生まれなかったのかと。

悔やんでも仕方ないが、羨ましく感じると同時に苦手意識も生まれてくる。




生き方の違い。




一言で言えばそうかもしれない。それに理紗がよく言ってたっけ、もっと女の子らしくしなさいって。

わかってはいるけどそれはねぇ…。今さら私には無理だわ。

別に男っぽいとかガサツだとかじゃないけど、単純に女を磨くってことに興味がわかないから。





「ああそうだ。これ、総務部に出した? 急ぐって訳じゃないなら総務部で予算もらって、それからでも課長の決裁でいいんじゃない?」





自分でもとっさの取り繕いにしてはうまくいったかなと思った。


時間稼ぎにはちょうどいいはずだ。





「はい。もちろんです。総務部の人は簡単に許可をくれました。あとは課長の決裁だけでしたので…。」




あちゃー。この娘、見かけとは正反対に仕事は速いんだったわ。





「そこはさすがと言うべきなのよねー、小夏ちゃん。本当に私が決めちゃってもいいの?」




「お願いします。小野田先輩もそう言ってましたから、課長もしくは課長代理ならいいって。」





私はチラッと遠くの方に座っている小野田さんを見る。彼はじーっとこのやり取りを見ていたようだ。


目が合った途端に両手を合わせてお願いのポーズをされた。


周りの社員たちがそれを見てクスクスと笑った。


ちょっと離れた席にいるお局様1号はキッと冷たい視線をそんな彼に投げかけた。


ひょっとして反対派!?





「まぁ山田課長のことだから、簡単にOKくれるとは思うんだけど…。なんていうのかな、社員旅行ってこれで本当にいいの?
 だって『有馬温泉ドンちゃん騒ぎの旅』って…。」



小野田さんの企画しそうな案だ。どういうわけかこの海外三課には曲者が多い。



「去年もそうだと小野田先輩が言ってましたけど違うんですか?」



「去年は…。」



昨年は確か『白浜温泉大冒険の旅』だったような気がする。


私がたまたまフランスの大手企業と3つも大きな契約を成立させたこともあって大盛り上がりだったから、一泊二日の予定が二泊三日の延長をするという通常の会社では考えられない社員旅行になった。


参加できなかった留守番組に非難轟々だったわ。



もっともそんな留守番組のために『リベンジ白浜温泉の旅』もあったなぁ…。

私が春の人事異動で課長代理に昇格した祝いを兼ねてと言うことで。



理由はともかく、私はその両方に係わっているのがちょっとね…。





「去年は確かにそうだったけど、今年もってわけにはいかないと思うけど。それに…。」




再び企画書をよく見る。



キッチリとした企画書なのだが、内容がふざけきっているような気がする。


ひ、ひどい…。普通の会社がこれでいいの!?



海外三課的には日本人社員とそれ以外の外国人社員が半々なのでこういった企画書はバイリンガルでよく作成される。

課内だけなら英語もしくは仏語だけでも全く問題ないが、これは社内文書なので日本語が併記されないといけない。

でないと総務課などでは全く相手にしてもらえないからだ。

それにバイリンガルにしたとしても普通なら日本語と英語で書かれているのが常識だ。



だがこれは…!?


私の手にある企画書には注意書きに『海外三課では仏語が公用語となっております』とだけ英語の一文が付け加えられている。

つまり英語はここしか使われていない。いったいいつから公用語が決まったんだろう?


全体的に日本語で書かれた部分は少なめで真面目なことを書いてはいるけれど、重要らしいところはすべてフランス語だ。


しかもとんでもなく品の悪いフランス語で書かれた注訳が多すぎる。


っていうか、辞書や翻訳ソフトで訳せないであろうスラングだ。

わざと現代では使われないような古典の形式をふんだんに、そして丁寧に使ってある。



これなら総務部も読めなくってあっさり通るはずだ。

日本語だけを信用するなら簡単な旅行企画書に過ぎない。


こんなものを読めるのは海外三課でも課長と私とごく一部の少数の人間のはずだ。




最初からそれが狙い!?






「ええっと、ちなみに小夏ちゃん、これ全部読んだ?」




おそらく彼女なら読めないだろうなと思った。

もし読んでいたら私に渡せるような代物でない。



逆に読めないから興味津々で私が翻訳するのを待っているかもしれない。




それなら悪気がないだけに始末が悪い。





「いいえ、私、あまり仏語得意じゃないんです。簡単なものならなんとか読めますけど…。すいません。
 課長ならこれくらいは当たり前に読めるから大丈夫だって小野田先輩に言われまして…。」




やっぱり…。


確かに課長ならこれぐらい読めないことはないと思う。


思うんだけど…。これって…。

私ですら赤面してしまう内容なのだ。



こういうのを女子社員に持たすのはどうかと思うんだけどな…。




よくもこんなに赤裸々に…。




でも…。




それに声に出せないけど『仮装大全』って単語はどういう意味だろうか?






「小野田さんか…。ちょっとやりすぎよね…。」



「ほぅー。巴御前様にはお気に召されまへんか?」


その声の主にギョッとする。ありえない人物の声だからだ。









to be continue





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