─ 灼熱 ─

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2005年08月13日
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これは下の日記の続きです。次の日記を先にお読み下さい。

『世界権力の構造の秘密』からイングランド銀行とウィリアム3世に関する記述



● イングランド銀行の設立者たち

イングランド銀行の株主たちは初期には「1300人協会」と呼ばれた。株主にはイングランド国王と女王も名前を連ね、それぞれ1万ポンドずつの価値に相当する株式割当を受けた。

マールボロ公爵は1万ポンドを出資した。彼は1697年には例の「仲介手数料」のなかから多額の金を東インド会社にも投資した。のちに彼はハドソン湾会社の総督になるが、この会社は75%の配当金を出した。

※ ここでいう「東インド会社」とは、オランダではなく、イギリス東インド会社を指してると思われる。

シュローズベリー卿は1万ポンド、ゴドルフィンは7000ポンドを投資した。ゴドルフィンは、イングランド銀行が商売に融資するばかりでなく、英国の戦争経費もまかなうことになるだろうと予言したが、その予言は以後300年にわたって正しいことが証明された。

ヴァージニア・カウルズは『大マールボロ公爵伝』に次のように書いている。

「英国は戦争により世界の支配勢力に生まれ変わった。イングランド銀行の信用制度のおかげで、無理をせずに戦争の重荷に耐えることができたからである」

イングランド銀行特許状の応募者にはさらにウィリアム・ベンティンクがいた。初代ポートランド伯爵の彼は、もともとオレンジ公ウィリアム家の近習だったが、1670年のウィリアムの最初のイングランド訪問に随行し、1677年のメアリーとウィリアムの結婚にいたる難しい交渉を担当し、さらに1688年のウィリアムのイングランド侵攻にさいしては細部の詰めを行なった。ベンティンクはポートランド伯爵という爵位を授与され、ウィリアムのもっとも信任の厚い外交政策代理人となった。1984年の今日、第九代ポートランド伯爵キャヴェンディッシュ・ベンティンクは、英国バイエル社およびドイツの原子力化学中央共同体の会長である。外交官としても卓越した経歴の持ち主で、1922年に外務省に入り、パリ会議、ハーグ会議、ロカルノ会議で英国代表をつとめた。1939~45年には参謀本部統合情報局議長をつとめ、1945~47年という重大な時期にポーランド大使に赴任した。この時期にポーランドは英国の内々の支持によってソ連の勢力下に入ったのである。

このほかのイングランド銀行の特許状への応募者のなかに、チャッツワース邸を建てたデヴォンシア公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュがいる。ウィリアム三世へのイングランド王位就任の招請状にも著名した人物である。1702年のアン女王戴冠式では執事長を果たした。第11代公爵はリズデイル男爵の娘デボラ・フリーマン─ミットフォードと結婚した。その義兄になる現在のリズデイル男爵はチェース・マンハッタン銀行の副頭取である。

リーズ公爵のサー・トーマス・オズボーンも特許状応募者である。ウィリアム招請状にも署名している。大蔵卿をつとめ、ウィリアムとメアリーの結婚に尽力した。彼は英国でも最高とされる遺産を残すことになった。



ペンブルック伯爵トーマス・ハーバート、カーナーヴォン伯爵(同時にポーイス伯爵、ブラッドフォード伯爵)、エドワード・ラッセル卿(1697年オルフォード伯爵を授爵)、ウィリアム・パターソン、サー・テオドール・ジャンセン、ヒュー・チェンバレン博士、ジョン・アスギル、ニコラス・バーボン博士、ジョン・ホランド(スコットランド銀行創立者)、マイケル・ゴドフリー(初代イングランド銀行副総裁)、サー・ジョン・フーブロンと一族20人、ソロモン・デ・メディナ、サー・ウィリアム・スコーエン、サー・ギルバート・ヒースコート(ロンドン市長、新東インド会社設立)、サー・チャールズ・モンタギュー(初代ハリファクス伯爵、現伯爵はハンブローズ銀行役員)、ノルマンディー侯爵ジョン・シェフィールド(バッキンガム伯爵の爵位も保持)、アランデル伯爵トーマス・ハワード、チャールズ・チャプリン、ジョン・ロック。

サー・ジョン・クラパムは『イングランド銀行の歴史』のなかで次のように書いている。1721年までスペインとポルトガルのおおぜいのユダヤ人がイングランド銀行の株を買い続けた。つまり、メディナ、2名のダ・コスタ、フォンセーカ、エンリケス、メンデス、ヌネス、ロデリケス、サルバドール・テイグセラ・デ・マットス、ハコブ・ハコブス、テオドーレ・ハコブス、モーセス・アブラバネル、ハコブ・アブラバネル、フランシス・ペレイラなどである。

クラッパムはまた、1751年以降はイングランド銀行の株はごくわずかしか取引されず、2世紀以上にわたってしっかり保有されてきたと書いている。


● 前例をことごとく破り、英国金融界に君臨したモンタギュー・ノーマン卿

20世紀になってからのイングランド銀行最大の重要人物はモンタギュー・コレット・ノーマン卿だった。その祖父にあたるジョージ・ウォード・ノーマンは1821年から72年までイングランド銀行総裁をつとめた。これほど長く総裁をつとめた者はほかにいない。さらに、もう1人の祖父のコレット卿も1887年から89年までイングランド銀行総裁をつとめ、25年間にわたりロンドンのブラウン・シップレー商会の共同経営者だった。

モンタギュー・ノーマンは1894年にニューヨークに派遣され、ブラウン・ブラザーズの事務所で働いた。W・A・デラノ一家と近づきになり、ブラウン・ブラザーズの共同経営者のマルコウ家と生活を共にした。1907年にノーマンはイングランド銀行の理事に選出された。1912年には神経に衰弱を来たし、スイスでC・G・ユングの治療を受けた。1916年にイングランド銀行副総裁となり、のちに総裁となって1944年までつとめた。ウォールストリート・ジャーナル紙は1927年にモンタギュー・ノーマンについて次の記事を載せた。

「イングランド銀行総裁のM・コレット・ノーマン氏は現在英国の銀行家のなかで抜きんでた存在である。英国の銀行家で今日の彼ほど英国金融界に独立崇高の存在となった者はいまだかつてほかにいなかった。つい先ごろひき続いて第8年目の総裁に選ばれたばかりである。戦争(第1次大戦)以前は総裁を2年以上つとめることは許されなかった。しかしノーマン氏は前例をことごとく破ってきた。彼は、イングランド銀行と同じく大蔵省も動かしている。従業員をのぞいて彼にはだれも仲間がいないようだ。インタヴューにはまったく応じない。彼は英国の金融界をそっくり自家薬篭中のものにしている」

1人の人間がイングランド銀行をだれからも拘束されずに勝手に動かしたなどと考えることは、語るに落ちるというものである。ロスチャイルドは? そのほかの株主たちは?

キャロル・キグレーは『悲劇と希望』で「M・ノーマンは『わたしは通貨の支配権を握っている』といった。彼はヨーロッパの通貨支配者といわれる」と書いている。

※ キャロル・キグレーの『悲劇と希望』を解説した本が、先日取り上げた 『世界の歴史をカネで動かす男たち』

『世界の歴史をカネで動かす男たち』の感想と私見
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507280001/

『世界の歴史をカネで動かす男たち』の感想と私見の続き
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507280002/


※ モンタギューノーマンと仲良しだったニューヨーク連銀の初代総裁ベンジャミン・ストロングは、1928年にヨーロッパから戻った数週間後に亡くなっている。ストロングの後継者はジョージ・ハリソンである。



J・ヘンリー・シュローダー・ワッグのライオネル・フレイザーは自伝の『すべての一般の利益』のなかで、ノーマン卿から個人投資を託されていたと書いている。また、ヘルバート・ワッグの会社について「この会社は偉大にして絶大な力を持つロスチャイルド商会の公式な株式仲買人であった」と語っているが、この会社は以前はハルバーシュタット出身の宝石商で、のちにロンドンの銀行(J・ヘンリー・シュローダー・ワッグ)となった。1960年に合併する前、ワッグもシュローダーもロンドンで159年間商売を営んでいたのである。別の作家は、ノーマン卿がイングランド銀行の方針を決定する前に、しばしばJ・P・モルガンに相談したといっている。

ゴードン・リチャードソンはJ・ヘンリー・シュローダーの会長を1962年から72年までつとめ、その後1972年から83年までイングランド銀行の総裁となった。その後に総裁を継いだのがロバート・レイ・ペンバートンである。彼はナショナル・ウェストミンスター銀行の会長であり、エクイタブルの役員でもあり、セシル─バークレー一族と婚姻関係を結んだ。

※ J・ヘンリー・シュローダー商会の重役には、アレン・ダレス(CIA長官)がいる。兄のジョン・フォスター・ダレス(国務長官)とアレン・ダレスのダレス兄弟は、シュローダー銀行を代表(代理人)していた。1889年に生まれたクルト・フォン・シュローダー男爵は、1933年にナチが権力を握ったのち、国際決済銀行のドイツ代表に指名されている。クルト・フォン・シュローダーはハインリッヒ・ヒムラーの友人であり、ナチに資金援助していたが軍事法廷で裁かれることはなかった。シュローダーは1945年に米国の捕虜キャンプで逮捕されデュッセルドルフに拘留されたのだが、なぜか戦争犯罪人として裁かれなかったのである。「フォン・シュローダーはヒットラーあるいはゲーリングと同じぐらい罪を犯している(1948年2月29日ニューヨーク・タイムズ)」


● イングランド銀行理事を構成する現在の面々

イングランド銀行の現在の理事は次のとおりである。



※ 各自それぞれの役職がこれまた豪華なんですが、役職を全て記載するのも多すぎて大変なので省略。

イングランド銀行はスコットランド銀行も支配している。その会長はバルフォア卿ロバート・ブルースである。爵位のバルフォア・オブ・バーリーは1607年の創設である。スコットランド銀行の理事には、バークレイズ銀行の理事でもあるクライズミューア卿とハリバートンの役員ポルワース卿閣下がいる。ポルワース卿の娘はカナダ総督のモーラン男爵と結婚したが、かつてハンガリー大使、チャド大使を歴任した。







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最終更新日  2005年08月13日 05時38分08秒
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