ラッコの映画生活

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2007.02.11
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HEAVEN


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寸評:本人以外が作り上げたキェシロフスキの世界。やや不十分な面もあるが、立派な出来。主演の2人もよい。好きな映画。

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キェシロフスキ監督は『トリコロール』三部作を終えた後「もう監督はしない」と言った。その後 『デカローグ』 のときと同じように「若い監督のために」とダンテの『神曲』に着想を得た新しい三部作『天国』『地獄』『煉獄』の脚本を共同脚本家のピェシェヴィッチと書き始め、未完のまま世を去った。もし死んでいなければ 『デカローグ』 のときと同じように完成した脚本に愛着が湧いて自分で監督したかも知れない。彼が嘘つきだと言うのではなく、表現者というのはそうしたものだ。その時の気持ちとしてはもう「監督はしたくない」というのは本心だったのだ。もし彼が生きていて、彼が最初に計画したように3人の若いヨーロッパの監督に撮らせるというような状況だったら、仮にその一人がティクヴァだったとして、ティクヴァはもっと自由に、そしてある種の重圧感なしに映画を作れただろう。キェシロフスキは単なる脚本家ではない。脚本を自分で書いて、それを監督して映画を作ってきた人だ。そして好みは別として高い評価も得ている。そんな監督の遺稿を監督するとき、ティクヴァにはキェシロフスキならどんな映画を作ったかなという問いもあったろうし、観客が期待するキェシロフスキの世界を考えないことも出来なかったと思う。そんな条件の下で、エピゴーネンに堕することなく、いい具合にキェシロフスキの世界を映画にしたティクヴァに拍手を贈りたい。

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イタリアに住むイギリス人フィリッパ(ケイト・ブランシェット)は英語教師だ。彼女の夫は麻薬のオーバードーズで死んだ。それに関係したのは夫の知人でもあった大企業の社長ヴェンディーチェ。彼のためにフィリッパの学校の生徒も麻薬の犠牲になっていた。フィリッパはこのヴェンディーチェを殺害しようとする。夫が死んだときフィリッパは離婚手続き中だったが、それは彼女の愛が醒めたからではない。麻薬にはまって生活の乱れた夫との結婚生活の継続ができなかったのだ。だから彼女にとって夫を奪い、また教え子までも犠牲にしているヴェンディーチェを憎んでいた。離婚係争中だった夫の復讐のためにヴェンディーチェを殺そうとするのはおかしい、とする感想を持つ観客もいるようだが、それは浅薄な解釈だ。愛し合っている夫を麻薬で奪ったのはヴェンディーチェなのだ。彼が2人の幸せを壊したことに変わりはない。

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彼女は警察にヴェンディーチェの捜査などを陳情したがことごとく無視されてきた。そこで周到に計画を練って自ら彼を亡き者にしようとする。高層ビルの彼のオフィスに時限爆弾をセットし、秘書には「駐車場の車のアラームが鳴っている」と電話をして爆弾を仕掛けたオフィスから避難させる。彼女の目的はヴェンディーチェだけを抹殺することであり、他の者に危害を加えたくはないのだ。しかし運命の偶然。爆弾をセットしたオフィスのゴミ箱は清掃係の女性に持ち去られ、同じエレベーターに乗った善良そうな父子3人と清掃婦の合わせて4名の無関係な人を殺してしまうことになる。目的のヴェンディーチェは無傷だ。彼女はテロリストとして逮捕されるが、尋問に立ち会った若い警官フィリッポ(ジャヴァンニ・リビシ)は彼女を逃がそうとする。

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(以下ネタバレ)
フィリッパは計画が成功したと思っていたんだろうが、尋問の過程でヴェンディーチェは無事で、善良そうな父親と幼い子供2人、それと清掃婦を誤って殺してしまったことを知って失神してしまう。警察は実はヴェンディーチェと癒着していて、本部長は彼女の陳情とかの証拠もすべて抹消する。別にテロ捜査の係官も来てるのだけれど、こちらはもちろんテロ集団の解明をしたい。だからフィリッパがヴェンディーチェを狙ったなんていうのはないことにして、彼女をテロ犯として捜査を継続することで、ヴェンディーチェとの癒着を隠したい警察(本部長ら)とテロ捜査官の利害が一致しているわけだ。本部長は彼女がヴェンディーチェを狙ったのであってテロリストでないことを知っていると言ってもいい。この辺、警官がイタリアの制度では憲兵隊で軍服着てることもあって、無実を知りながらスパイ容疑で尋問するといったスターリン時代のポーランドの雰囲気と相通ずる。

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ブガイスキーの『尋問』 なんかとつながる。無実だと知りつつ役目がら自白させようという制服の軍人。尋問される女主人公の毅然とした態度に尋問官のタデウシュは彼女に惚れてしまう。それでここではフィリッパは爆弾殺人に関しては無実ではないのだけれど、夫や教え子の復讐をしようとした純粋さ、そして無関係の4人を殺してしまったことを心から悔いる彼女の無垢な姿に恋をしてしまう。だいたい事実から言っても、本部長らはヴェンディーチェと癒着して甘い汁を吸っていて、結果としてフィリッパの夫だけでなく子供とかも多数死に至らしめていて、それを自分の権限で覆い隠しているわけだから、同じように人を殺しているわけで、なら人としてどっちが憎むべきかって言えばフィリッパよりも本部長の方。フィリッパの4人殺人は偶然の結果でしかない。キェシロフスキ的世界は、善は最初から善として存在するのではなく、悪こそ善を生む可能性のあるものだ。キリスト的世界とも言えるかも知れないが、人の弱さを否定しない考え方だ。そのためにもフィリッパを現世的弱い人物と描く必要がある。だから彼女に「愚かなことをたくさんしてきたし、一度は夫を裏切ったこともある」と語らせている。そういう過ちを経て、今彼女の魂は浄化されているのであり、天国へ入る資格を得たと言える。

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フィリッポの計画が成功してフィリッパはヴェンディーチェを撃ち殺し、2人はトスカナへと逃亡する。このとき警察署に配達に来た牛乳屋のトラックに隠れて脱出するのだが、これが牛乳屋であったことはキェシロフスキ・ピェシェヴィッチの原案小説にすでに書かれており、キェシロフスキが人々の日々の生活を象徴する牛乳がここでも使われているのは面白い。フィリッパの女友達がいると知ってか知らずか、2人はモンテプルチアーノに。女友達は最初「何てことしたのよ」と言ってひっぱたくが、直ぐに抱き合い、彼女は危険を犯して一夜の宿をも提供する。かつて憲兵隊本部長だった父に連絡して郊外のサン・ビアッジオ教会で会う。父親として息子に言いたいことはたくさんあるだろうが、とやかくは言わない。ただそれぞれに愛しているかを問うのみだ。父親は金を渡し、抱き合って永久の別れをし、静かに去る。もちろん映画の世界のことではあるが、女友達や父親の考え方は、フィリッパなりフィリッポなりの人生であり、止むに止まれない人生の事情で自ら選択した行動であり、とやかく責めたり止めたりするのではなくそれぞれの意志を尊重し、できる協力はするという友情や愛情だ。「人間は最も大切なとき何故無力なのだろう」という父親の言葉も重い。

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フィリッパとフィリッポの誕生日は同じ。フィリッポが生まれたのは1978年5月23日午前8時。その日をフィリッパはよく憶えていた。初聖体拝領で、白いドレスを着ていた。その日生まれたフィリッポとのウェディングドレスだったのかも知れない。偶然の一致。あるいは必然。2人は同じフィリップという名前の各国語男女名であり、最初から出会うべく出会って、一つであるべき2人だったのか。夕映えの美しい空の下の大きな木の下で初めて結ばれ一つとなる。キェシロフスキにとって、愛することの不在がこの世の地獄ならば、無私に他者を愛することこそが天国への扉だ。2人を捕らえるために来た警官隊のヘリコプターを奪った2人、フィリッポは操縦桿を引き、2人を乗せたヘリはどんどん上昇していき、やがて青い空に消える。映画冒頭でシミュレーターでフィリッポはヘリ操縦を習っているが、そこで語られたようにどこまでヘリは上昇できるのだろう。そんな散文的なことを考えるよりも、2人は天国へ旅立ったと捉えるべきだろう。ダンテの『神曲』自体が、魂の浄化と天国の物語でもある。

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最初にも書いたように、大監督の遺稿を死後監督する重圧は大きかっただろう。シンプルなピアノの音楽など 『デカローグ』 を思わせるものがある。キェシロフスキと比べてしまえば人物描写に不十分さ、またそのテンポの早過ぎるところもあるが、逆に冒頭のサスペンスタッチの描き方や、全体のカメラの動きなどキェシロフスキとは違った雰囲気もあり、上手くバランスを取って作られていると思う。本人以外が脚本のキェシロフスキの世界を実現した映画としては、不満がないわけではないが、かなり優れた出来だと思う。残る『煉獄』の原案は誰かによって映画化される可能性はあるのだろうか。結果的に失敗作となっても誰かに実現して欲しいものだ。

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Last updated  2007.02.17 03:33:43
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