ラッコの映画生活

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2007.07.11
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カテゴリ: アジア映画
不散/BU SAN

82min

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先日見た 『西瓜』 が面白かったので同じ蔡明亮監督のこの『楽日』を見た。実はどちらも時間の都合で劇場に見に行けなかった作品だ。でもこの『楽日』は夜遅くに独りしみじみと家で見るのも良い感じだ。中国語の原題は『不散』。中国語で「不見不散」という言葉があって「見ずには散らない」→「会わないでは帰らない」で、「必ず会いましょう」ぐらいの意味らしい。なんでこんなややこしく中途半端なタイトルかというと、日本で『迷子』の名で公開された李康生(リー・カンション、蔡明亮の映画で主演をしてきた俳優)の初監督作品と45分ずつ2本オムニバスで『不見不散』にするのが当初の計画だったのが、独立した2本の長篇になってしまったということだ。で独立した2本の原題が『不見』と『不散』になった。もともとの前半『不見』の老人と孫が映画館から出てきて、三田村恭伸演じる旅の(?)日本人が映画館に入り、ここで前半『不見』が後半『不散』にバトンタッチする構成だったらしい。

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台北に実在する大きなスクリーンを持った映画館。建設当時は綺麗な映画館だったと想像されるが、今は寂びれ、薄汚れ、なんとなく怪し気な雰囲気もただよう。昨今は清潔で美しい、椅子なども立派な映画館が増えているが、日本でもかつてはこのような場末感のある、風紀のあまりよろしくないような映画館がたくさんあった。そんなたたずまいに懐かしさのようなものを感じる。この実在の映画館が閉鎖されることを知った蔡明亮監督がこの映画館を使い、映画館「福和大戯院」の閉鎖最終公演、つまり「楽日(ラクビ)」を描いた作品を撮った。

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この福和大戯院の最後の上映作品はキン・フー監督の『龍門客楼(血闘龍門の宿)』(1967)。この映画は1957年生まれの蔡明亮監督が11才のときに見て感動した映画。雨の降るひと気のない夜の街に佇む映画館。そこに日本人青年が入っていく。チケット係は窓口にいない。ほとんど筋らしい筋はない。セリフも皆無と言ってよいぐらいほとんどない。音は現実の足音などと、上映されている映画の音声だけだ。上映されている『龍門客楼』に出演した老俳優が見に来ている。日本人青年はタバコの火を求めて映画館の中をさまよう。よく分からないがホモ風の男性がいて、男たちは館内のどこかの狭い通路に佇み、あるいは歩いてすれ違う。そんな所で1人の男がライターで日本人青年に火を貸してくれ、しばらくの沈黙の後に「この映画館には幽霊が出るんだよ」と言って立ち去る。老人と子供が見に来ている。派手なファッションの女性客が1人いて何かを音をたてながら食べている。チケット係の女が掃除をする。上映が終わると映写技師はフィルムを巻き戻すとバイクで去っていく。隠れてそれを見送るチケット係の女。建物のシャッターが閉ざされる。壁には「臨時閉館」と書かれた紙がはられている。

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もともとセットになるはずであった『迷子』はまだ見ていないが、消えた孫を探しまわる祖母、それとは別に痴呆症の祖父を探す少年。どちらも人を求めて探す話らしい。この『楽日』の方も何か、そして人を探す、あるいは求めている。暗い客席でタバコを吸おうした日本人青年はライターを探してもない。火を求めているが隣に来たタバコを吸う男も火をつけてはくれない。トイレで用を足しながら忘れ物のライターとタバコを目にするが、忘れ主がやってきて敢え無く持ち去ってしまう。客席に客はほとんどいないが、何故か広い場内ですぐ近くや隣に座っている。そしてまた去って行く。人々は誰かを求めて人に近付くが、決して接点を持てずにまた離れ離れになっていく。孤独感というより空虚感を感じる。

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冒頭日本人青年が来たとき窓口にいなかったチケット売りの女。彼女は電気炊飯器か蒸し器のような機器からピンクに着色された大きな桃の形の中華まんじゅう(寿桃というのだろうか)を取り出す。ちぎって食べ始めるが、何か思いたって包丁でまん中から2つに切る。ちぎっていない綺麗な方の半分をビニールのレジ袋に入れるとそれを持って何処かに向かう。彼女は片足が不自由でびっこを引いているから歩くのもゆっくりだ。カメラは人影のない階段を固定カメラで写している。やがて足音が近付き、寿桃を入れた袋を持った女が画面に入ってくる。びっこをひきながら彼女は階段を登っていく。そして最後には画面から外に消える。延々何分もただそれだけが写されている。次のシークエンスは階段を登りつめた最上階で、やはり画面には誰もいない。やがてまた女が登場する。彼女は階段を登り切るとそのまま画面奥のドアを開けて中に入り、されにその先のドアを開く。たぶん映写室らしい。台に置かれた新しいカップ麺の上に寿桃の袋を置いて去る。映写技師は不在のようだ。

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Last updated  2007.09.20 00:26:17
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