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『十三分間、死んで戻ってきました』 新規入荷の件長野県平安堂書店で次の9店舗に入荷しています。(各店1冊)。長野店/飯田店/伊那店/若槻店/川中島店/東和田店/佐久インターウェーブ店/更級店/あづみ野店次の3店に来週入荷します。座光寺店/上田しおだ野店/諏訪店長野県といえば、農業や芸術を志す若者が、大勢移住している傾向があるという話は時々耳にする。その長野県で平安堂といえば、多くの書店を有している(たぶん)県内最大の書店チェーンである。その平安堂から、『十三分間、死んで戻ってきました』に「この時期に」(それを言う意味は後で書きます)計12冊の新規発注が地湧社にあった。長野県内の平安堂の12店舗店頭に1冊ずつ置いてくれるという注文である。これについては特に自分も地湧社も営業活動をしていない。平安堂の中心となる営業部のようなところで、この本を各店舗に展開しましょうという決定がなんらかの形で行われたようである。誰がこの本はいいと判断し、売れると判断し、チェーンで展開することが提案され、決定に至ったのかは不明です。大変ありがたいことです。たとえば京都大垣書店が、関西一円のチェーン(全店舗ではない)や、東京麻布店などに展開してくれたのは、大垣書店本社に私と地湧社代表が営業に行き、営業部の方とお話したからです。営業部ではパソコンを叩きながら、私の前著『浄土真宗の法事が十倍楽しくなる本』は、高槻店で5冊入荷、完売ですねとか言いながら、チェーンでの展開、高槻店への5冊入荷などを決めてくれた。また京都、東本願寺前、法蔵館書店が5冊発注してくれたのも、私と地湧社社長が営業に行った結果です。(返品される前に完売になるように誰か買ってーーーー)そのような営業活動が特になく、平安堂がチェーン展開を決めたのは何故か?いくつかのパターンが考えうるが、ひとつの可能性は、平安堂に長野県民が客注(書店への取り寄せ依頼)をすることが重なり、「ん? この本は売れるんだね・・・」と書店側に認識されたパターン。平安堂の社員の誰か、もしかしたら営業部かそれに近い部署の誰かが読んで、「いい本だ。売れる」と判断して、会議にかけたパターン。などである。この時期にこのようにチェーン展開する発注がかかるのは、珍しいことだと地湧社代表の言。何故かというと、4月25日発売の本書は初め、丸善・ジュンク堂などの大型書店はじめ、営業に応えてくれた書店、独自判断で発注してきた書店などに配本され、売り上げの出だしは好調だった。が、新刊としての立ち位置が保てるのは通常2,3ケ月で、次々出てくる新刊に書棚を譲って行くので、7月、8月ぐらいが返品のラッシュだった。その後は、大型書店は品揃えが売りだから、そのまま1冊は置いてくれたままになる。思い入れあって置いてくれている独立系書店などは置いてくれているという状態である種の平衡状態になる。もう新刊ではないが、あるところにはあるという状態である。(もちろん、アマゾンや楽天でも買えます。)その時期に、売れたことの補充ではなく、新規にチェーンで展開するという判断で発注があるのは、何かの理由で高い評価が下されたという意味になるということらしいのです。よかったー。よい出来事だー。他に名古屋の三省堂、紀伊國屋久留米店など、売り切りで終わりではなく、補充注文も来ており、まだ流れは止まってなくて、いい感じ。
2025.10.30
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日本という名前のバスは軍国主義者たちにジャックされた。次止まりますのボタンが手の届くところにあるだろう。それを全員で押そう。
2025.10.26
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『十三分間、死んで戻ってきました』には色々なテーマが重奏していますが、ひとつは、娑婆における障碍とは何か、娑婆の関係性の中でどのようにそれが無碍となるか、です。臨死体験に関心がない場合も障碍福祉分野の人々に障碍観の根本を問うものとして読んでほしいのはそのためです。 一方、生死の彼方は、尽十方無碍光、完全な無碍(なんの差し障りもない、覚醒とやすらぎの世界)であることは、第一章「臨死体験は語りうるか」でなんとか表現しようと試みています。 十三分間、死んで戻ってきました 臨死体験と生きることの奇跡 | 長澤靖浩 |本 | 通販 | Amazon
2025.08.31
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『十三分間、死んで戻ってきました』から『魂の螺旋ダンス』へスペシャルオンライン対談 (星川淳×長澤靖浩)8月3日(日)14時~ 参加無料グーグルミーツ(グーグルクロームの入っているパソコンまたはスマホからなら以下をワンクリックでイン)グーグルミーツ私(長澤靖浩)の新刊『十三分間、死んで戻ってきました ~臨死体験と生きることの奇跡~』は、臨死体験の単なる記録ではない。第一章「臨死体験は語りうるか」では、生死の彼方、時空を超えた永遠の今ここの覚醒をなんとか表現しようとしてはいる。だが、この本の眼目は、第二章「この世に投げ返されて」/第三章「障碍だらけの娑婆の耀き」第四章「生死を超えた世界に母を見送る」/島薗進さん(宗教学者)との巻末対談「この世界に生まれたミッションを生ききる」の方にある。今回、対談のお相手をしてくださる星川さんとは第一章をさっと踏まえた上で、第二章以降のこの世界を生きることの方の話をしっかり深められると思う。さらに星川さんは、私の主著であると(今でも)言い得るかもしれない『魂の螺旋ダンス』について草稿段階からずっと、最も評価してくれている人のひとりである。同じくインドの瞑想の師匠OSHOに弟子入りした経歴を持ちながらも、「悟り」と呼ばれるものを何か特別な意識状態として目的化するのはおかしいという思いが、私たちには共通していた。個人的にも、社会的存在としても、また地球生態系の一員としても、実際にこの世でどう生きるか――そのことこそが問うに値する問いであり、向き合うに値する対話なのだ。私は、そのことを「臨死体験」によって、これでもか!というほど、思い知らされた。今こそ、この地球の上に束の間生きて死んでいくということ、その中で本当に大事にしたいことを、私とは異なる領域もたくさん渡り歩いてきた星川淳さんと思う存分語り合いたい。さて、どんな螺旋ダンスになるか?!対談者紹介星川淳著訳書80冊以上を手がけた作家・翻訳家。市民活動助成基金アクト・ビヨンド・トラスト代表理事。元グリーンピース・ジャパン事務局長。1982年より屋久島在住。長澤靖浩1985年より大阪府公立学校教諭。2013年、心室細動による13分間の心肺停止の際の臨死体験によって生と死への洞察を深めた。身体障碍などの後遺症のため、教員を退職。以降、作家に専念。
2025.07.15
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【約束の島~憲法25条に寄せて】この島は約束の地誰もが雨風をしのぐ屋根のしたで仲間とともに豊かな実りを口にし肌にやさしい服を着て好きな歌をうたい読みたい本をよみ躍りつかれて眠る病のときは手当をうけ仕事をうしなえばさがしてもらえるどうしても働けなくなったらあなたが人らしく生きるために必要なものすべて皆があなたにとどけてくれるこの島は約束の地足がなえた人は車椅子で目の見えないひとは愛すべき犬と一緒に好きな場所へ出かけ会いたいひとに会う一番困っている人がお先にどうぞ力あるものはそれをささえるきれいな水おいしい空気樹々は風に梢を揺らしやさしい人たちと一緒に笑うこの約束はすべて国があなたに誓ったものこの島は約束の島無謀で残虐な戦争に敗け焦土と化した島の上で皆でともに交わした約束日本国憲法には、明確な国家ビジョンがあり、それをもっと本当に実現していかなければらない。それこそが本当にこの国を愛すること。この憲法を壊し、天皇を元首とし、個人の権利をないがしろにする新しい憲法を創ろうなどと言い出している参政党などにだまされてはいけない。部分的にどんなにいいことを言っていてもだよ。大事なのは国の根本的なビジョンだよ。それは現行の日本国憲法に明確。これが本当に実現すれば、マジいい国になるんだ。日本国憲法のビジョンを真剣に実現していこうとする政治家や政党に票を投じたいと思う。
2025.07.12
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若者が作ってくれた、私のインタビュー動画『十三分間、死んで戻ってきました』インタビュー動画
2025.07.09
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5つ星のうち5.0 美しく、新しい臨死体験の本です2025年5月25日に日本でレビュー済みAmazonで購入「世界のすべてがワンダーランドでした」この言葉が表す世界とは、臨死体験の「世界」ではなく、今私たちが生きているこの「世界」を表した筆者の言葉です。臨死体験をした方の書かれる本というのは臨死体験そのものを語ることがほとんどを占めているものや、死は怖くないのですよと語りかけるものが多い中、この本は今私たちがいるこの障碍だらけの世界を臨死体験という事象が照らし、輝かせてくれていることでこの世界の美しさや面白さを改めて見つめ直すことのできる素晴らしい本です。障碍のある世界にいるから、背中に置かれる手のあたたかさを感じることができる。障碍のある世界にいるから、融通無碍に世界を泳いでいこうとすることに楽しみを見い出せる。仏教の観点を交えながらの「臨死体験」や「娑婆」の話は、条件反射で「難しい!」と思ってしまいがちなのですが、仏教を学びに学び体験してきた筆者だからこそ仏教の視点から見る世界を鮮やかに多面的にわかりやすく語ることができるのだと思います。個人的には、親鸞の「正信偈」の訳が大好きです。とてもとても美しい。是非たくさんの方に読んでもらいたい一冊です。
2025.06.18
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この世の価値をあの世から見つめるこの著者は臨死体験者によるあの世のガイドブック、いわゆる霊界探訪記ではありません。一言で言うと、あの世の自由さを垣間見たからこその、不自由極まりないこの世の「価値」について書かれています。あの世は限りなく清浄な融通無碍の何不自由無い世界、しかしだからこそ他者へ働きかけが出来ない寂しい世界だと著者は観ました。『私たちは皆、無碍光の障害物です。だからこそ、それぞれの光を放つことができるのです』の下りは、この世で四苦八苦しながらも生きる人々一人ひとりへの大いなる愛のエールに感じます。『落ち込んでがっくり肩を落としている背中を見ても、その背中に手をあててあげることもできないのです。』は、そのイメージの優しさ温もりが最も印象に残り、感銘を受けたところでした。「誰かの背中にそっと手を当て励ます。」たったそれだけの、それしか出来ないそんな小さな他者との関わり、しかしながらそれこそが娑婆世界の価値だと著者は語っています。当たり前すぎてかえって見えなかったこの世の醍醐味と美しさ、ここに生きることの意味、に改めて気付ける貴重な本だと感じました。どんな人にでも是非一読していただきたい書物です。
2025.06.09
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哲の光さんによるインタビュー動画完成。AI生成画なども駆使していただき、時間もコンパクトで若者向け!インタビュー動画『十三分間、死んで戻ってきました』著者長澤靖浩氏の臨死体験
2025.06.08
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長澤靖浩先生の「十三分間、死んで戻ってきました」は、臨死体験を通じて死と生の奇跡を描く渾身の一冊。どこから読んでも引き込まれる軽妙な文体が魅力です。父の死後の散骨、母の0葬(遺骨を残さない葬送)のエピソードは、0葬を知らなかった私に深い気づきを与えました。誰にでも訪れる「死」を、SHINGO★西成さんとのダンスバリアフリーや西成の「ふるさとの家」での繋がりを通じて、命の尊さに変える視点が心を打ちます。15歳での宇宙との一体感、臨死体験での内因性DMT(脳内物質)の考察を、科学とスピリチュアルで綴る。元国語教師の温かい文体で、高次脳機能障碍を抱えながらも魂の螺旋ダンスを踊る先生の生き様は、死から生の素晴らしさを教えてくれる。誰もが共感する、魂を揺さぶる真実の書。
2025.06.08
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「世界のすべてがワンダーランドでした」この言葉が表す世界とは、臨死体験の「世界」ではなく、今私たちが生きているこの「世界」を表した筆者の言葉です。臨死体験をした方の書かれる本というのは臨死体験そのものを語ることがほとんどを占めているものや、死は怖くないのですよと語りかけるものが多い中、この本は今私たちがいるこの障碍だらけの世界を臨死体験という事象が照らし、輝かせてくれていることでこの世界の美しさや面白さを改めて見つめ直すことのできる素晴らしい本です。障碍のある世界にいるから、背中に置かれる手のあたたかさを感じることができる。障碍のある世界にいるから、融通無碍に世界を泳いでいこうとすることに楽しみを見い出せる。仏教の観点を交えながらの「臨死体験」や「娑婆」の話は、条件反射で「難しい!」と思ってしまいがちなのですが、仏教を学びに学び体験してきた筆者だからこそ仏教の視点から見る世界を鮮やかに多面的にわかりやすく語ることができるのだと思います。個人的には、親鸞の「正信偈」の訳が大好きです。とてもとても美しい。是非たくさんの方に読んでもらいたい一冊です。
2025.06.06
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『十三分間、死んで戻ってきました』地湧社紹介ぺ時より突然の心臓発作で倒れ、13分間の心肺停止、10日間の昏睡状態ののちに、奇跡的に意識を回復した著者が、このときの臨死体験と生きる意味を語る。清浄無垢で、至福に包まれていた「あの世」と、障碍(しょうがい)だらけで苦楽に満ちている「この世」は表裏一体だった。「戻ってきた」著者が見た娑婆世界の耀き。すべての障碍は生きていることの証。●吉村萬壱氏(小説家)推薦!「これは単なる臨死の体験記ではない。苦しみと煩悩に満ちたこの世になぜ我々が存在していなければならないかを、死の観点から改めて考察し直した深い思索の書である。暗闇に落ちている人を静かに照らす光の書である」【目次】第一章 臨死体験は語りうるか十三分間、死にました/生きてるだけで丸もうけ/何もかもわかったんや/宇宙の構造 死後の世界いろいろ/生死の彼方/浄土ってほんまにあるの?/光は遊ぶよ/永遠の今ここ/煩悩の林に遊ぶ/DMT 脳の保護と臨死体験第二章 この世に投げ返されてどんな障碍でも生きる/高次脳機能障碍/看護師さん、ありがとう/生きるも歩くも綱渡り/世界はワンダーランド/アウト・オブ・コントロール/「障害者手帳」の種類でもめる/脳はどこが破壊されたか/本当にやりたいことだけして生きる第三章 障碍だらけの娑婆の耀き釜ヶ崎という娑婆/障碍があってもなくても/ええええ! 全部一緒くた?/役に立つとか、立たないとか/あらゆる命の耀き/踊る万華鏡/光の紋様を織る/車椅子の旅第四章 生死を超えた世界に母を見送る母の認知症と脳の不思議/おっぱいあげるの、最後やから/0葬 これからの葬儀/寺と縁を切る/手づくりのお別れ会/親子の業を解き放つ対談 「この世界に生まれたミッションを生ききる」島薗進(宗教学者)×長澤靖浩
2025.06.06
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『十三分間、死んで戻ってきました』長澤靖浩著 地湧社刊 2025年4月私は二〇一三年の二月に心室細動という心臓発作を起こし、十三分間、心肺停止しました。その昏睡状態の間に「臨死体験」と呼ばれているような「生死を超えた覚醒」の経験をしました。「自分だという意識のない『ただの覚醒』が全宇宙に広がっている」といった状態でした。この本の前半は、言葉で表現するのがとても難しい「臨死体験」を、なんとか表現しようとする試みの跡です。また、十三分間の心肺停止から、何故奇跡的に蘇生できたのか。臨死体験とはいったい何なのか。それについて、仏教や脳医学、量子脳論なども参照しながら、いろいろな仮説を紹介しています。その後、私は奇跡的な回復を遂げました。ただ「転倒しやすい」という身体障碍が残り、三一年間務めた教職を退きました。外出の際は車椅子を利用するようになりました。しかし、喪われるはずだった命を取り留めた私は、残された生涯を「生きているだけで丸儲け」とありがたく受け止めることになりました。私がこの本で描きたかったことは大きく分けて二つあります。ひとつは、この世での縁が尽きたら往くことになる生死を超えた世界は、完全な「静寂とやすらぎと至福」であること。だから死について心配することは何もありません。この本で描きたかったことの二つ目は、今、生きているこの「娑婆世界」は様々な障碍があるからこそ、「喜びや苦しみ」「楽しみや悲しみ」に満ちたワンダーランドであるということです。この本の眼目は、この二つ目の方にあります。私は医学的にも「身体障碍者」と呼ばれる立場になりました。が、そうでなくても、この世は「生死を超えた覚醒」に比べるならば、障碍だらけなのです。だからこそ、出会いや別れ、愛や憎しみ、数々のドラマが日々生じ、その中を踊り続けていくのです。もっと言えば、時空とは、もつれや、分裂、透明な光をさまたげる「形あるもの」や、心の翳りなどによって創り出されているのです。そのことが臨死体験によって、はっきりと理解されました。そして、通常はマイナスのことに想えるかもしれない、そういったすべての「障碍」に感謝すら覚えるようになりました。この本は確かにやはり臨死体験の本です。ただ、臨死体験とは「無碍なる清浄」の世界にいってしまっている状態だけを指すわけではありません。その世界を知った上で、障碍だらけの娑婆世界に戻ってきて、生きているという奇跡を一瞬一瞬踊りきること。そのすべてを抱きしめた光の万華鏡が広い意味での臨死体験です。だから、私はこの本を書くために、蘇生してから十年の月日を要したわけなのだと感じています。
2025.06.05
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Unextで見た。優れたドラマだった。私は車椅子で現在の軍艦島に上陸したこともあり大変親近感も湧いた。若者の純粋な想いや、ままならぬ人生の在りさまに深く心を打たれた。再び小説を書きたいという意欲が湧いた。
2025.06.05
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2025.03.23
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amazon予約開始になりました。よろしくお願いします。リンクできないので『十三分間、死んで戻ってきました』で、検索してください。
2025.03.14
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私の著書は基本的にBASEで販売しているものを買ってください。書名+BASEでググれば、検索できます。現在は特に『一三分間、死んで戻ってきました』が鋭意売り出し中です。実際、今はもうこれだけに賭けています。が、一応、ほかの説明もします。過去の殆どの著作はアマゾンのプレミア古本より、BASEの方がお得です。BASEでは、極端な品不足のもの以外、もともとの新刊の時の値段で新品です。極端な品不足で売れないものは、非売品と書けないので100万円と書いてますが、クリックすると電子での読み方などが説明してあります。今のところ、『魂の螺旋ダンス』と『ええぞ、カルロス』です。クリックしたらそのまま100万円で購入になるわけではないので安心してクリックして、説明を読んでもらっていいのですが、なんか、抵抗ある人もいると聞きました。その場合、note 長澤靖浩を検索し、『魂の螺旋ダンス 改訂増補版 読みやすいバージョン』(1500円)や『ええぞ、カルロス 多言語版』のマガジン(youtubeで無料視聴できる動画のリンク集)を見つけてください。楽天日記は他のURLを貼るとすぐ撥ねるので、以上、言葉で説明しました。楽天ブログは殆ど更新しません。よろしくお願いします。
2024.04.14
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1月28日(日)14時~会場 心身楽々堂(大阪府枚方市くずは)定員:20名参加費:無料作家の長澤 靖浩氏を心身楽々堂へお招きして、「臨死体験と生きることの奇跡」というテーマの講演会を開催いたします。ㅤ長澤氏は、約10年前に突然「心室細動」という心臓発作を起こして昏倒、13分間の心肺停止状態に陥り、自発呼吸ができずに人工呼吸器を装着したまま集中治療室で10日間、昏睡していたそうです。その間に、彼は臨死体験をしたそうです。医療の常識で言えば、13分間もの長時間にわたり心肺停止すると、脳細胞の多くが破壊されて死亡するか、よくて意識不明の状態が続く、いわゆる植物人間になるそうです。ㅤそれにも関わらず、奇跡的に蘇生した上に、知的活動を続けることができるのは、自分には何かお役目があると考えたそうです。青少年時代から仏教や瞑想に強い関心を寄せていた彼は、自分の臨死体験を思い出しつつ、量子脳論や浄土論などさまざまな角度から考察を加え、表現方法を工夫し、昨年『一三分間、死んで戻ってきました』という著書にまとめました。ㅤこの著書は、長澤氏のリアルな臨死体験をたどりながら、生死を超えた世界を垣間見ることができます。また世間一般で説かれている宗教論や、私たちがそれらに基づき常識としている事柄や風習のおかしさにまで言及されており、命とは何か?、どう生きるか?などを考える機会を与えてくれます。ㅤ長澤氏が、著書や講演活動で最も伝えたいことは「生きることの奇跡」だそうです。社会が混乱に満ち、時代の大きな変わり目を迎えつつある現在、私たち一人ひとりが「生きること」に真摯に向き合い、深く考え、生活実践に反映していくことは、この上なく大切なことだと考えています。ぜひ一人でも多くの方に、長澤氏の話に耳を傾け、できればこの著書を読んで欲しいと願います。ㅤ
2024.01.27
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『一三分間、死んで戻ってきました~臨死体験と生きることの奇跡~』 旧友、吉村萬壱くん((芥川賞作家)が感想を送ってくれた。 その前に母の死などに踏み込んだ私信もくれていたのだが、転載していいか?と聞くと、それなら、外向けに書くと言って、まとめてくれた。 『一三分間、死んで戻ってきました~臨死体験と生きることの奇跡』の著者・長澤靖浩氏は私の高校時代の同級生で、私は彼から文学や哲学の方面で大きな影響を受けた。 もともと生きることの意味や実存の問題に大きな関心のあった長澤氏は、2013年に13分間の心停止によって臨死体験した後意識を取り戻し、その経験から人生の課題についての洞察を深め、本書を書くに至った。 「完全に透明で静かな『永遠の今』でした」と語られる臨死体験の世界そのものは特に意外性を感じなかったが、「あの『完全な世界』のたったひとつ寂しいところは、この世に具体的にはたらきかけることができないということなのです」という一文には、経験者ならではの強いリアリティを感じた。 身体を伴ってこの世界に在るということは決して当たり前のことではなく、愛し合ったり助け合ったりすることのみならず「対立したり、傷つけあったりすること」も含めて存在の奇跡なのだということが、著者の専門である仏教の教えも交えながら一貫して強調される。 障碍を持つ仲間との活動や、母親の介護と死などのエピソードを読み進めるうちに、その「奇跡」はより一層実感を帯びて迫ってきた。 死への恐れが減って生きる力が増える良書であると思う。読後、大変真っ当なものを読んだ気がして、汚れで詰まっていた心のパイプが気持ちよく通った。 吉村萬壱https://bookscope.thebase.in/items/77223148
2023.09.15
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私は日本人の父とスペイン人の母の間に生まれたハーフです。 父は仕事でスペインに来た際、通訳でサポートした母と恋仲になり結婚しました。 そんな二人は今でもとっても仲良し。 父の日本帰国とともに、私たち家族は日本に移り住み、私はこの美しい島国で、父と母のたっぷりの愛に育まれて育ちました。 私はずっと父と母が大好きでした。 母は私の父をとても愛していて、私にも「私の愛する人の子どもだから、マリアのこととても愛してるのよ」と言っていました。 この言葉は日本の方には少し奇異に聞こえるでしょうか? 「私の愛する人の子どもだから愛している」 今の日本にはシングルマザーも多いいですよね。 父親がどのような立ち位置にいても、とにかく私はこの子を育てぬくというその愛情は、とても強く美しいものだと感じます。 私はそのことを強く美しく感じる自分がいることをあらかじめお話したうえでこの話をします。 もしよろしければ、最後まで聞いてください。 私の母の愛は、日本人一般の母性とは少し姿の違うものだったのかもしれません。 共通点も豊かですが、「私の愛する人の子どもだから」と伝えるところが一風変わった点だったと思います。 私の母は私に「私の愛する人の子どもだから愛している」と繰り返し伝えながら、幼いころから私を何度も何度も抱きすくめました。 私は幸せでした。 私は父も母も大好きでした。 そんな私も中学生の女の子になりました。 学校のクラスの女子のほとんどは「お父さんって気持ち悪くない?」と話し合う習慣がありました。 「うん。キモイキモイ」 時には自分の父親に対して侮辱的な言葉を使う友人もいました。 しかし、私はそのような会話にはついていけず、自分は違うなあと感じていました。 女子中学生だったときも私は父も母も大好きだったし、お父さんを嫌いだとか気持ち悪いと思ったことは一度もありませんでした。 中学生の頃、私は父が仕事から帰って食卓につくと、父に出す食事の仕上げや盛り付けをしている母に代わって、父のコップに最初の一杯のビールを注ぐ習慣がありました。 父は私に「今日は学校はどうだった? 楽しかったか?」 などと話しかけ、私は色々なことを素直に話し、父と一緒に笑いました。 まもなくそこに母も加わって、三人で楽しく食事しました。 それでも、一日の大半を過ごす学校には、違う意見の友達がたくさんいました。 「お父さんって気持ち悪いよね」 「いやよね」 毎日毎日、雨のように降り注ぐその言葉を浴びながら、いつしか私は、もしかしたら自分がおかしいんだろうか?と考え始めるようになりました。 学校で一緒に過ごし、放課後も教室や公園やだれかの部屋で長い長い時間を一緒に過ごすのは、家族よりも友達です。 その友達の、女子の大半がお父さんは気持ち悪いと言い、反対意見を言う子はいませんでした。 私はだんだん自分がおかしいんだと考えざるをえなくなってきました。 未熟だっただけに混乱してしまっていたのかもしれません。 ある夕方、私はとうとう、お父さんに心にもない態度をとってしまいました。 その日も「今日も学校は楽しかったか?」と父はいつものようにやさしく私に話しかけました。 しかし、私はそんなお父さんを無視してしまったのです。 そしていつもは注ぐ一杯目のビールも注がず、黙って自分の部屋へ行きました。 ドアを閉める前に少し振り返った私は、父ががっくりと首をうなだれているのを見ました。 思春期の女子の多くには訪れるといわれている父親への反抗期。 それが自分の娘にもついに来たのだと思ったのでしょう。 「ついに来たかー」という呟きが聞こえてくる気さえしました。 そのとき、私は心のどこかに痛みを感じていたはずです。 しかし、学校での友達との会話を思い出しながら、おかしいのは父が大好きな私なのだと自分に言い聞かせました。 そして、ドアをわざとのようにバタンと音をたてて閉めました。 私はドアを背に深呼吸して、これでいいのだと自分に言い聞かせていました。 その時です。 ドアをコンコンとノックする音がしました。 振り返ってドアを開けると、そこには恐い顔をしたお母さんが立っていました。 「ちょっと顔、貸しな!」 母は日本語でそう言いました。 「顔、貸しな」なんていう日本語を母に言われたのは初めてでした。 殴られるのかと思ったほどです。 ふだん、私の家での日常会話は日本語です。 しかし、お母さんは怒るときには時々スペイン語まじりになりました。 でも、この時の母は、そのレベルさえももう一段階越えて、完全にキレていたことが後で振り返るとよくわかります。 だからこそ、この時の母はすべてを日本語で伝えてきたのです。 「あんた、私の男になんていう態度をとったんだ!?」 母は「私の男」という言葉を使いました。 「あんたが産まれたのは、私の男のおかげ。 あんたがご飯を食べて育ったのも、私の男のおかげ。 あんたがなに不自由なく学校に通って勉強したり遊んだりできているのも、私の男のおかげだよ」 「その私の男にあんたはなんていう態度をとったんだ!?」 私には何も言い返すことができませんでした。 ただ母の剣幕の底から伝わってくる深い愛情と怒りと悲しみに胸がいっぱいになってくるのを覚えました。 「あんたは、私の男をちゃんとリスペクトしなさい。それがもしもできないんなら、荷物をまとめて、今すぐ出ていけ!」 いつしか私の目からはボロボロ涙が流れ始めました。 「ごめんなさい」 私は部屋を出て、首をうなだれて食事していた父の前に座りました。 「さっきはごめんなさい。実は、学校で・・・」 私は一所懸命事情を説明しました。 「それで私は自分がおかしいのかと思って、さっきはあんな態度をとってしまったの」 ぼろぼろ泣きながら、私はそう言いました。 父も目に涙を浮かべていました。 「マリアは何もおかしくない。お母さんとお父さんが大好きなことは、おかしなことでもなんでもない」 父は言いながら、私の手を握りました。 母もその手を握ってきて、三人の手が重なりました。 私はおいおいと涙を流しながら「本当にごめんなさい」と言いました。 今でも時々、両親とこの時のことを話題にするときがあります。 そんなとき、両親は「あれがマリアの『五分だけの反抗期』だったな」と言って笑います。 この経験は私の中でとても大きなものとなりました。 周囲に流されて同調するのではなくしっかりと自分を持ち貫くこと。 すべての人をリスペクトし、けっして軽んじたり、バカにしたりしないこと。 この経験は、今の私のとても大切な基盤を築いてくれました。 ・・・・・・・・・・ 今でも私は父も母も大好きなの。 聞いてくれてありがとう、あびちゃん。 あびちゃんは、彼女のことが大好きなんでしょう。 私にはそれがわかる。 他の男は妻がいたって隠すもの。 あびちゃんは、いの一番に私に彼女の話をしたでしょう。 だから私はあびちゃんを好きになったの。 信頼したのよ。 絶対に彼女のことを大切に大切にするのよ。 マリア (聞き取り あび)
2022.01.09
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この本はZOOMを使って三回にわたって行われた緊急ミーティングの話し合いをもとに作られている。その最も直接的なきっかけになったのは京都ALS嘱託殺人事件の発覚。また三回の緊急ミーティングの開催は、コロナの流行の先行きが最も心配されいた時期だといえる。コロナの医療崩壊が一部で起こり、またさらなる崩壊が強く懸念されていた時期であった。そのため人口呼吸器トリアージ(足りないとき、どのような判断、線引きで優先順位を決定するか)が緊喫の問題として、提言や議論の背景に影を落としている。日本においてコロナの流行がやや落ち着いている現在の時点で見ると、あの頃の異様なまでの緊張感はやや緩和している。また、コロナという現象そのもに対する認識や、ワクチンの有効性に対する認識、イベルメクチンなどの特効薬とされるものの効果に対する認識も様々な議論を経て、それぞれの認識を持つに至っている今の時点から見ると、たとえば私の持つに至った観点から見ると、まだコロナのことがよくわからないままに行われていた議論という側面はある。しかし、それはだから意味を減じるというわけではなく、それだけの緊迫感の中だったからこそ、いずれにしろ考えなければならない問題が、まさしく緊急課題として突きつけられている中で深められた機会だったということができる。もしも、コロナという目前の緊迫した状況がなくても、ナチスのT4政策と呼ばれた安楽死政策で殺されていった障碍者たちという歴史的事実。ヨーロッパを中心に安楽死・尊厳死・終末期などという言葉が十分に検討されないままに進行していた<いのち>の線引きという問題。これらについて、障碍の当事者や、ケアする側の当事者や、人文科学的な立場から思想的な切込みをするべき立場から、考え詰めなければ問題はいずれにしろ、多岐にわたっており、一つ一つが一筋縄ではいかない側面を孕んでいた。この場合、一筋縄でいかないというのは、それ自体が大切な要素である。一筋縄で合理的な判断が下され、さらにはそれがすべり坂を下って、いつのまにか拡大されいくこと。そのことへの懸念が本書の全体を通底している。それぞれの論者、提言者は自分の立場を踏まえて意見を述べている。が、そこでたとえば安楽死・尊厳死について、賛成反対くっきりとした意見を言ってすませるのではなく、その線引きでいいのか、それはさらにすべり坂をすべって拡大していかないか、そういった懸念や躊躇、迷いや苦しみがそのままに語られているといっていいだろう。具体的には年齢で区切って「延命治療」を無駄と見る施策をとる国への疑問。「終末期」であるという判断を専門家が行い、そうでないと判断されたものと<いのち>の扱いに事実上の線引きが行われてしまうことへの疑問。重病や重度障碍などの状態にある人について、最大限のケアなしに、QOLが低すぎるから死んだほうが幸せではないかと考えたり、「自己決定」の名のもとに「本人が望んでいるから」と死について「医療援助」することへの疑問。などなどである。たくさんの言葉に「 」を付けざるを得なかったのであるが、これらの言葉の使用方法そのものの中にすでに罠があり、十分に検討されたうえで用いられているのではないという問題意識も強い。結局、割り切れないままのものを割り切らないで思想的な営為を継続するという(はっきりしない?)立場が強いといえなくはない。しかし、とりあえず、上からの「合理主義」でほかならぬ<いのち>そのものが選別されてしまうよりは、ここでもあそこでも「ちょっと待ってください」と再考を促すこの本の立場に私は基本的に賛同する。まただからといって、すべてにおいて、何が何でも命を守れと叫んでいるわけではなく、最大限の自覚を失うなと静かに促しているのが、この本の立場だといえる気がする。私自身に関していえば、13分間の心肺停止を経て、意識回復せずに死ぬと言われていた10日間の経験に想いを馳せずにはいられない。人工呼吸器は口から入れている場合、感染症にかかりやすい。ゆえに長期的な延命を企図するなら気道切開をしてつなぐのが望ましい。長い植物人間状態の末に結局意識を回復せずに死ぬことが予想されるが、気道切開しますか?と家族は問われていた。もっと医療現場が逼迫している状態なら、「諦めたほうがいい」という有形・無形のプレッシャーが強くかかってもおかしくないような病態であったと言えるだろう。しかし、私は意識を回復し、低酸素脳症後遺症としての身体障碍は残ったものの、こうして本を読んだり、レビューを書いたりするまでに至っている。実のところ、蘇生してからの十年弱の間に三冊の書籍を書き、一冊の旧著(絶版)の改訂増補版をnoteに発表したりもしている。いや、本を書いたり、仕事をしたり、なんらかの活動ができるように至ったから生きていてよかったのだとするのも、おかしい。誰かと少しでも意志疎通をし、泣いたり、笑ったり、愛し合ったりする瞬間があるだけでも、それがたとえ言葉を介さぬ一瞬の目くばせであっても、<いのち>には見捨てられない「価値」「意味」があるのではないか。そのような個人的な思いを記し、<いのち>についての合理的な線引きには最大限の自覚で思想的営みが続けられなければならないという言明を改めて行って、この本のレビューを閉じたいと思う。
2021.11.09
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映画「ブレードランナー」の原作として知られているようだが、「ブレードランナー」は見たか見てないかすら忘れている。アンドロイドと人間の相違は共感能力の有無として描かれている。僕の中では、教員生活で出会ったたくさんの自閉症スペクトラムの子たちとの思い出が明滅し続けた。ある生徒は女性教師に「先生、美人やな」と言ってその後に「美人だと言われたらうれしい?」と質問し、うれしいか悲しいかについてデータ化して理解しようとし続けた。しかし、どれだけたくさんのデータを集め、精緻な体系を築き、人間の感情に沿った応対をするプログラムを実現したとしても、それは「共感」とは根本的に違う。しかし、自分はこの子のデータによる適応を愚かだと見下すことができるだろうか。自分にも共感性の高い分野と低い分野があり、低い分野に関しては実感を伴わなくてもデータから判断している場合もある。小説では、アンドロイドを殺していいもの、優秀な脱走アンドロイドを殺さなければならない脅威として描いている。アンドロイドハンターの主人公はそのことに疑いを持たない優秀なハンターである姿を見せて小説は始まるが、やがてアンドロイドへの共感が生まれるにつれ、ことにアーチストであるアンドロイドや、女性アンドロイドとの恋愛じみた感情やセックスを体験するにつれ、様々な思い悩みにさいなまれるようになる。これもまた私たちは突き放してみることができない。他者を共感対象としてみないことや、女性を共感対象としてみないことは、極端な「共感0」は例外としても、常にグラデーションを成して、私たちの実生活にもあることだ。「性の対象としてだけ見る」などもその一例である。結局、アンドロイドと人間について描いたこのSFは、人が人であるとは、人を人として見るとは、いかなることであるかということを問う物語として成立している。SFの哲学的可能性について、僕は中学生のときにはすでに気がついていた。中学一年生のときには、人間とアンドロイドの恋愛小説を書いたことも想いだした。
2021.10.31
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遥かこの星の裏側で遠いふるさとの島を想いながらひとり死んでいく私愛するひとや子や孫がベッドの周りを埋める中で別れを告げる最期ではない言葉の通じぬ異国の路上青すぎる空を瞳に映したまま仰向けの 息の止まった体を自覚する育ててくれた両親や祖母子どもを産んでくれたあのひとそのすべてを投げ捨て愛したひとも死に行く私に付いては来られない一瞬きりの人生で出会えたひとすべて末期に間に合ったのと同じことそれなのに最期にかけた言葉はあんなにも素っ気ないままチャンスはまだあると誤解してそのときこそ優しくしようと思いながらあらゆる機会を逃しつづけたんだごめんもありがとうももう届かない開ききった瞳孔に遠い雲が流れるだけこの星に産まれて成し遂げたことなど何かひとつでもあったろうかこの星を去るまでにバトンするべき愛を誰か一人にでも手渡しただろうか今になって出会いのすべてを抱きしめているそんな私の想いはもう届かない皆の笑顔も私の与えた悲しみに歪んだ顔も開ききった瞳孔に映っては消える走馬灯天国の扉が開いている今何ひとつ手渡せなかった後悔が涙となって頬を伝う望んだものすべては初めから降りそそいでいた今 気がついてももう私の言葉は痙攣する喉元を覗きこむ褐色の異邦人に託せないさようならさようならさようならさようならごめんね好きだよありがとう
2021.03.14
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瞳孔に看取りの女が映れども 観ているものは光る蝶だけ https://bookscope.thebase.in/items/38658462
2021.03.14
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4月4日に初めてCDのミニアルバムをレコーディングすることにしたが、作った歌にロックとフォークしかない。レゲエと琉球とk-popを入れたいけど、どうしたら作れるん?琉球はヨナ抜きしたらできるのはわかる。他はどうしたら? 教えて。
2021.03.06
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たとえば障碍者差別に抗議している最中に時々、障碍者差別より、怒る人への差別のほうが大きくなる瞬間がある感じがする。これが天皇制日本ジェンダー文化と思う。
2021.03.06
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ワクチン打たない人のコロナ対策|長澤靖浩 #note https://note.com/abhisheka/n/nf61b3dd73a5d
2021.03.05
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2021.03.01
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2021.03.01
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一切仏教用語を認めず、「南無阿弥陀仏」すら「限りなきなたらきのままに」と言い換える。現代の通常の日本語しか使わない。それが伝統仏教から嫌われようと仕方がない。下記をクリックでBASEの販売ページへ仏教書2冊セット
2021.02.24
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・マルクスによる自己疎外からの解放論 マルクス主義は二十世紀の世界を席巻した。 もちろん、それには高い理想が掲げられており、また王政や他国の侵略からの解放など積極的された思想は、瞬間瞬間更新される覚醒による超越性と、深い根源的解放の世界を謳いあげるものだった。 後に、その当人の思想が固着を起こしたり、後継者が教条的なものに変質してしまうという点も、他の思想と共通している。 超越性宗教の絶対性宗教化である。 ではマルクスが本来、表現しようとしたコミュニズム(共産主義)とはいったいどのようなものだったのか。 そのことをピンポイントではっきりさせておこうとするとき、主著であるとされる『資本論』よりも、若き日に書かれた『経済学・哲学草稿』がその思想の一番根底のところを鮮明に表現しているということができる。 今しばらくこの書によって、マルクスの思想の根源に思いを馳せてみよう。 驚いたことにマルクスはその最初から、共産主義が物質的な配分の均分を目指すだけでは不十分で無意味であることや、専横的な国家による政治的なものである限り、その目指すべき姿ではないことを看破していた。 共産主義を大きく三段階に分類し、その各段階の特徴を叙述し、その最終段階が真の「自己疎外からの解放」であることを早くから表現していたのである。 共産主義(1) マルクスの思想の根底として重要なのは私有財産という(他の生き物にない)人間特有の観念の批判にある。 人間は、私有財産という観念に囚われ、そのことを通じて自然や自己自身から(もっと言うなら今ここに満ちあふれる限りなき働きから)自己疎外されていると考えていたのである。 共産主義とは、その私有財産という観念を止揚し、今ここにおいて全面的に自己解放されることでなければならなかった。 しかし、共産主義の最初の段階では人間の意識の自己変革がそこまで及ぶことはない。 そうではなく、ただ「労働者の仕事は止揚されないで万人の上に拡大される。」つまり、労働者の在り方が変わり、自己疎外から解放されるのではなく、全員を資本主義下の労働者と同じ存在にすることによって、「平等」を実現するに留まってしまうのである。 それは「私有財産として万人に占有されないあらゆるものを否定しようとする」。 ある意味、私有財産という観念に強く囚われたままである。 そのため私有財産を共有財産にしようとするが、対象の物質的「占有」という性質は変わっていない。 結果、そのような物質的な次元に留まらない人間の諸能力については「暴力的なやり方で才能等を無視しようとする」。 これが、文化大革命などにおいて、典型的に生じたことである。 またマルクスは、そのような共有財産に対する態度が極めて物質的な「占有」しか意味しないことは、男性の女性に対する態度に典型的に見られるとする。 「結婚に対して女性共有」「人間の人格性をいたるところで否定する」「妬みや均分化を完成したものに過ぎない」。 そのことが、結婚を女性共有に変えるという考え方の中に顕著に露呈しているというのである。 いずれにしろ対象のすべてを物質的にだけ見て均分化するだけなのが、この共産主義(1)である。 ルドルフ・シュタイナーの社会有機三層論は、法的平等、文化的自由、経済的友愛を説くことでマルクスに対抗したと言われることがある。 その場合、マルクスが三領域のすべてに平等を当てはめようとしたとする誤解が前提にある。 しかし、すべてを物としてしか見ずに、それを均分化することは、なんら私有財産の超克でも、自己疎外からの解放でもないことを指摘し、「粗野な共産主義」を批判していたのは、マルクス自身なのである。 このことを忘却し、マルクスが「粗野な共産主義」を提唱していたに過ぎないと考えることは、その後の専制的な国家共産主義、現在の共産主義への漠然とした嫌悪感の深い原因となっている。 共産主義(2) その次の段階の共産主義についてマルクスはa、bに分けて次のように叙述している。「a 民主的にせよ専制的にせよ、まだ政治的性質を持っている共産主義」「b 国家の止揚をともなうが、しかし同時にまだ不完全で、まだ相変わらず私有財産すなわち人間の疎外に影響されている本質をもっている共産主義」 現実の世界には、(2)のaまでしか登場しなかった。(つづく)全部読むには魂の螺旋ダンス 改訂増補版 読みやすいバージョン
2021.02.24
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初めてロックンロールを創ってみましたが、テーマはいつもと同じ「限りなきはたらきのままに」です。海辺の万華鏡 作詞・作曲 あび 2021年指の先から吹き零れる光の粒子虹の羽を広げる無数の蝶に変化(へんげ)眩しい空に広がる波打ち際で振り向く君の笑顔水平線の向こうが眸にハレーション砂浜に倒れて空飛ぶ僕の頭が吹っ飛んだ君の頭が吹っ飛んだすべての垣根吹っ飛んだ月も太陽も吹っ飛んだ踊れ宇宙を貫いて踊れすべてを貫いて君の秘密を貫いて踊れすべてを貫いてやがて燃え尽きるこの命やがて燃え尽きるこの太陽砕けて舞い踊る銀河の吹雪時空の尽き果てる今ここ僕の頭が吹っ飛んだ君の頭が吹っ飛んだすべての垣根吹っ飛んだ月も太陽も吹っ飛んだ踊れ宇宙を貫いて踊れすべてを貫いて君の秘密を貫いて踊れすべてを貫いてやがて萌えいづる命の息吹やがて萌えあがる新しい太陽砕けて舞い踊る銀河の吹雪時空の花開く今ここ時空の花開く今ここ海辺の万華鏡海辺の万華鏡テイク2海辺の万華鏡テイク3
2021.02.22
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それは全時空、全宇宙に沁み渡ったと表現することもできれば、ひとつの光になったと表現することもできる。 だが、言葉で表現する限り、どのように言い表しても、それは隠喩にすぎないという限界を伴う。 それは仏教における空(くう)の世界であったと言ってもいい。 だが、空という言葉さえ、まるでそのようなものが存在するかのように実体的に捉えてしまうのが、言葉を用いる人間の思考様式ではないだろうか。 いずれにせよ、「それ」は完全に解放された境涯であり、時間も空間も私もなく、すべては滅して、寂静であった。 臨死体験の光景|長澤靖浩 #note https://note.com/abhisheka/n/n13141cd03f4f
2021.02.20
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夫婦同姓は明治31年から あたかもメチャ古くからのごとく捏造された「伝統」を破壊するのが別に趣味じゃないんやけど、日本古来の伝統とするのは近代の捏造であることが多すぎる!その上での言い争いだとわかっていた方がいいと思うので、一応、言っときます。 徳川時代一般に,農民・町民には苗字=氏の使用は許されず。明治3年9月19日太政官布告平民に氏の使用が許される。明治8年2月13日太政官布告氏の使用が義務化される。※ 兵籍取調べの必要上,軍から要求されたものといわれる。明治9年3月17日太政官指令妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。※ 明治政府は,妻の氏に関して,実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。明治31年民法(旧法)成立夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。※ 旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。昭和22年改正民法成立夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。※ 改正民法は,旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ,男女平等の理念に沿って,夫婦は,その合意により,夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした。 以上は、法務省のHPからの引用です。 夫婦同姓は、明治31年からの浅い「伝統」です。明治前半の夫婦別姓は、儒教に基づき、女性は、夫の家に同化できなかったからでしょう。韓国は今もそうですね。 そう考えると「選択的!」夫婦別姓とは、いかに進化した考え方か、わかります。 自分たちは同姓にしたければしたらいいんです。よその夫婦にも同姓を強制するのをやめようというだけです。選択的という時点で、人のことまでとやかく言うな!という思想において、勝負ありです。人に向かって、同姓にしろ!嫌なら結婚するな!とは、何と余計なお世話でしょう。
2021.02.14
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あなたの口づけが 私の子宮のずっと奥 水平線のはるか彼方に起こした小さなさざ波 あなたの厚いてのひらに愛撫されながら 大陸に近づくほどに うねりは大きくなり 漁船の船端を横なぐりに打ち寄せて驚かせ さらに高くなって ああ沖合に津波のような波頭が姿を現した 私のすべてを洗いさることすらできるエネルギー 息をのんで待ち受ける私の究極のエクスタシー 波打ち際が近づくと 白い波頭に見えるあなたのサーフィン 星空を背景に両手を水平に伸ばしたあなたが 微妙なバランスを保ちながら 見上げるような波の上を滑ってくる あなたが来る あなたが私に打ち寄せる 衝撃と歓びにそなえて 私は目を閉じ 硬直しそうな体をあえて弛緩させ すべてを受け止めようとする あなたのすべてを受け止めようとする けれどもあなたは 大陸に打ち上げる寸前 波頭から空高く舞い上がる 羽も生えていないくせに 両手を広げ 鳥のように グライダーのように あなたは星天に舞い上がる 薄っすらと流れる雲の層を抜け 成層圏をやじろうべえのように滑り とうとう地上の重力を脱して 命綱の切れた宇宙飛行士のように 漆黒の宇宙に吸い込まれていく あなたは私の体を愛撫することで 星になりたかったのね 詩になりたかったのね 私はこの地上であなたと一緒に泥まみれになって 這いずりまわりたかったのに あなたは私の体を愛撫することで 地球を去っていきたかったのね 消えてしまいたかったのね もう戻らないつもりなのね 私はそのための最後の恋歌だったのね 私はあなたのために新しい島を産み そこに楽園を作っていきたかったのに 一緒に作りたかったのに あなたが巻き起こした波に洗われて すっかり新しくなった大地の上のどこか 遠い林の中で 産声が聞こえる あなたの残した新しい命を 私はこの星の上で育む決意をかためる たとえあなたが何光年先の星になっても 私はこの青い星に生きる このか弱い小さな灯を守って・・・・・
2021.02.09
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さざ波ひとつ立たない 透明な海に浮かぶ 小さな舟 覗きこむと 色とりどりの熱帯魚が 泳いでいる 帆に吹く風にまかせ 滑っていく舟 どんどん深くなっていく海 どんなに深くなっても 海底まで透き通っている奇跡 水平線が滝になっていた ここは丸い星ではなかったの? ここは脳内宇宙の幻の円盤だったの? 孤帆は滝に落ちることなく そのまま水平に虚空を滑空する 遥か背後に太陽が落ちる 無数の星が煌めく夜空 上にも下にも 天の河が流れている 無重力の中を 音もなく進む舟 水のない空間で 舟の舳先が光る波を 分けると 夜光虫が船尾に流れていく 時空の中で 四次元を切り裂き 星の舟はどこへ向かう? よるべなき あなたのいない世界 ただ美しく透明なだけの世界 とうとう 舟も私も透き通って 身体の中で銀河が砕ける
2021.02.09
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君が一人で韓国に行くといったとき微かにイヤな予感がした素敵な韓国の男性とでも仲良くなり会いに行くのか僕は日本の男に負ける気がしたことなんかない日本の男は気が利かず自慢が多くそのくせ自信がなくガツガツしているばかりだからでも韓国の男性が世界でも人気があるのは知っているイケメンで優しくて国際感覚があり愛の囁きを欠かさない韓国から帰った君は体調不良を理由に長い間自宅から出てこなかった君とデートできなかった二ヶ月間世界には君よりもかわいい人がいて僕は君のことを忘れることができるはずと何度も自分に言い聞かせ電車の中でも道の上でもカフェの内にも僕は探した君よりもかわいい君を忘れさせてくれる僕が夢中になれる女の子そんな女の子はこの星の上にいないそう思い知った僕は最後の賭けに出るしかなかった会いたい会いたい会いたいよ会ってくれないならもう君と別れるラインの文字に既読がついてから丸一日僕は返事を待たされたやはり男ができたのかラインの音がなる度すがるように開くと宣伝ばかりイライラしてブロックしまくり僕は君と一緒に行った店のすべてのポイントを喪い君の返事だけを待ったあと一週間待ってほしいの君の返事にはそう書いてあったどうして?どうして一週間?顔が腫れているのよ何があったの?殴られたの?そうじゃないいいことだから安心して生命の歴史より長い一週間二十億光年先の星から光が届くまでの一週間銀河の果てに現れた君は僕の知っている君ではなかった平べったい笑顔で花のように笑うあのかわいい君ではなかった生意気なほど高い鼻がKpopスターのようパッチリ開いた瞳で僕を見て瞼をしばたたく顔が・・・・・僕は喉が詰まった顔が・・・・・前と違うねわかった?素敵でしょ韓国で整形したのやっと顔の腫れが引いてきてホントはあと一ヶ月腫れが引くまで待って完璧な姿であなたに会って驚かせたかったでも、私もあなたに会いたくてもういいかなと思って。でもまだ少し腫れているでしょ僕はしげしげとその見知らぬ女を眺めた腫れはすっかり引いていると思うでも鼻が・・・・・僕は言葉を呑み込んだ君じゃない前の君がよかったありのままの君を愛していた私、あなたのように外国人のような濃い顔立ちになりたかったの歩いているとき似合いのカップルだなと思われたかったのあなたにふさわしい美人になりたかったの僕は唖然とした口を閉じて君にキスした舌をからませたままバレないように涙をこぼした僕の恋した人は死んだ君はホントに君なの?僕の愛した君はどこなの?溢れる涙と言葉を飲み込み僕は生まれて初めて君にウソを告げた綺麗になったね愛してるよ張り裂けそうな胸を押さえこれからも君をずっと大事にしよう君は確かに君なのだからと心に決めるしりから崩壊していく自信と闘っていた
2021.02.09
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私を抱きしめながらあなたが遠い目をしているときあなたが見ているものはなに?私の瞳を通り越して部屋の壁さえ突き抜けてもっと遠くの何かをあなたは見ているそれは甘酸っぱい思い出の中の初恋の人?それともまだ出会わないあなたの理想の女?でもあなたは愛する女は君だけだというもしもそれが嘘でないならあなたが見ているものは何?私では埋めることのできない空虚果てしなく光を奪い続ける暗黒銀河の中心のブラックホール生きてそして死んでいくことのやるかたない虚しさ私はあなたさえいればそれらのすべてを忘れることができる鳥も花も雲も波も愛することができる私の目はあなたにしっかりと焦点を合わせて今ここにない何かを求めてさまよいはしないでもあなたは何かを探しているあなたの目はどこか遠くを見ている私には言えない秘密私が一緒に行けない彼方の世界このもどかしさを私はだれに告げればいいのそんな詩を書いてもあなたは笑って大丈夫だよ愛してるよというでも私にはわかるそう囁いているときでさえあなたの瞳はどこかとてつもない遠いところにいつもフォーカスしていることを
2021.02.09
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logoSearchNotificationProfile icon他カテゴリアウト・ザ・ブルーContent image深いパープルブルーの空を突き破ってあなたはいきなり私の前に不時着したすぐに人を信じる癖と好きな人を助けなきゃという想いであの人の借金を返すために夜の仕事をしていた私そんな愚かな私をあなたはUFOに招きいれ夜空に舞い上がったふたり人々の灯す無数の光に彩られた街を遥かに見下ろしてやっと私にもわかったきりもなく繰り返される男と女の愛と憎しみ欲望と献身もう続けなくていいんだよとあなたは言った僕と一緒に水瓶座まで飛ぼうとあなたは言ったUFOは時空を突き破り極彩色の万華鏡に吸い込まれ私たちの辿り着いた星は火星よりももっとアマゾンに似ていた・・・・・・・片田舎の故郷の自分のベッドで私は目を覚ました夢の中の密林であなたに抱かれた手触りは私の体を光の鞘のように包んでいたその日の真昼間あなたは本当に私の近所の書店に現れた宇宙人のまぐわいについての幻想的な絵本を立ち読みしていた私は裏表紙の値段を見てはあの人の借金を計算していた突然背後から声が聞こえた熱心に見てくれてありがとう僕が書いた本なんだプレゼントしよう持ってきてくれるかな?レジへ行こうUFOから下りてきた人と瓜二つの笑顔であなたは微笑んだその日から私のデスティニーは四次元の曲がり角を回ったの!
2021.02.09
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logoSearchNotificationProfile iconトラベル幻の浜Content image絶え間なく押し寄せる波エメラルドグリーンの海その向こうに干潮になると現れる幻の浜日が昇り始めまだ百合ヶ浜へのボートの営業が始まる前太陽に煌めく砂浜が沖合いに姿を見せるとあなたは言った行こう今なら二人きりだ自前のシュノーケルを装備すると観光客が泳いでいくのは禁止されている浜に私たちは出発したあなたが嫌いな言葉危ない!禁止!そう書いてあるといつもあなたは行こう!というでも私は知っているあなたはいつも私のリスクを計算しいざというときに自分が救助できるかどうかも考察済だから私はいつでもふたりの冒険であなたを信じて付いていくだけ波が腰を洗う深さに至るとふたりは泳ぎ始めるゴーグルの外は水族館ではないほんものの珊瑚の海ゆらゆら揺れるイソギンチャクからカクレクマノミが顔を出してまたすぐ引っ込むとあなたは私の手をギュッと握ったうんうん気づいたよ初めて見たわほんもののニモ浜にたどり着くとシュノーケルを外しちょっぴり泳ぎ疲れた体で膝まずいたまま抱きあううっすら焼けてるあなたの素敵な筋肉にビキニの私の胸がやわらかく押し付けられていくあなたは来たね!と言って私にキスをしてまた来たね!と言う間だけ唇を離して何度もキスをする私はそのまま砂浜に押し倒されてふたりは砂まみれで転げまわるふたりだけの幻のアイランド朝一番の舟が近づいてくるとペットボトルで水分補給したあなたは何度も口移しでそれを私に飲ませてさあ人間たちの陸に戻るよって私たちは人間じゃなくて愛し合う人魚だったのかしら
2021.02.09
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奥深い山の中の 樹木に囲まれた ぽかりと空の開いた広い場所で あなたは車をとめた 車をおりて 見上げると 都会では見られない 数知れぬ星が 涌いている ここであなたは きっと素敵に哲学的なことを言って 哲学だけどロマンティックなことを言って 私をうっとりさせてくれるはず そう思いながら 手をつないで あなたの言葉を待っていると 「さっきの蟹、めちゃおいしかったな」 って 何よ、それ まあ、それも大事なんだけど せっかく二人きりになって ここまで抜けてきたんだから ちゃんと私を口説いてよ ちょっとあなたを睨んじゃった あの星の中には 何万年も前にあの光を発したものもあるんでしょ? 私は話を振ってみる こういうのがこの場合 しゃれた台詞というものじゃない? そうだね もしも宇宙に果てがないというのが本当なら ・・・って時々考えるんだ そしたら宇宙の果てを円周にした コンパスの中心もないんだよなあ って あなたは見事にモードチェンジ 女はギャップに弱いってわかってるわね 始まったわね 口説いてくるわ! ・・・てことは 宇宙のどこでも実は 宇宙のど真ん中なんだって言える 今ここが ふたりのいるここが 宇宙の中心なんだね キター! キスね でもここは星空の下の睦み合いには 寒すぎるわよ てことは 二人が移動すれば 宇宙の中心も移動する 宿に戻って 部屋の鍵を閉めちゃおうか 言いながら あなたが私の肩に手をまわしキスする 梢がざわめいて 星が降ってくるように見える あなたの哲学って いつも私をかわいがるための口実で 変幻自在に 趣向を変えて 宇宙の四方八方どこからでも 私という中心に向かって 流星雨になる まったくのご都合哲学ね!
2021.02.09
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温かい午後 あなたは河原の石を拾い 左手に握って ぬくもりを確かめる 握ったまま目を閉じて 長い間立ち尽くしている 何をしているの 私にキスするのも忘れて 小さな石ころが 地球の歴史すべてを知っていると あなたは言う 砂が 葉っぱが 栗鼠が 熊蜂が みんなが 地球の歴史のすべてを知っていると あなたは言う 僕らは 無限の過去から ゆっくりと流れてきた氷河が 未来の海へと 今にも崩れ落ちる ぎりぎりの切っ先にいる なーんてね 時々そんなことを考えてしまうよね あなたは目を開けて笑う 耳に石ころをあてながら それからあなたは 石ころを斜めに投げる 川面に一回二回三回跳ね返る石 でも四回目には力を失い 五回撥ねることはできないで沈んでしまう 振り返ったあなたの頭の上に 午後の日射しは傾きはじめ あなたはやっと私を抱き寄せて 熱を帯びたキスをする 地球の歴史の すべてを知っている小鳥が それと同時に 梢から羽ばたいて 舞い上がる あんなに空遠く 小さな点になって 峰を越えて・・・・ あなたのキスで 気が遠くなっていく私のように
2021.02.08
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ねえ音楽はどうやって作曲するの?私が尋ねるとあなたは目を閉じてごらんと言った息を詰めないで呼吸して何が見える?エメラルド色の原石いいね!金槌でほんの少し割ってごらんきれいな緑色に少し乳白色の混じった原石の表面が剥離したそのとき石の中からふわりと解放されたメロディ私は思わず口ずさんだいいね!切なくてやさしくてもう少し割ってごらん鼓膜を震わせる石の中に潜んでいた旋律宇宙の気持ちのひとかけらそうそれが歌なんだハミングして私がハミングするとあなたはパーカッションをゆっくり叩きはじめるああ君のハートも宇宙のハートのひとかけらいい歌だよあなたは一緒に口ずさむふたりきりの愛のセッション
2021.02.06
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あなたは16歳の時に作った歌を私へのラブ・ソングだというまだ私が生まれる前にそのときの彼女のために作ったくせに違うんだ時の流れはとても複雑で逆行したりループしたり交錯したり弾き合ったりする僕は毎年誕生日のたびに若返り君と同い年になったときに睦みあいさらに若返って高校生になったとき君のためにこの歌を作ることになっているそれならと聞かせてもらったアルペジオ沁みてくるとにかくこれは紛れもなく私に捧げられた歌だとわかる壁の古時計が振り子を振っている秒針が逆に回っている私はこの世が信じられなくなる私たちには子どもはできるの?一番気になる質問をすると幼い笑い声が物陰から聞こえたあわてて駆け寄るとサンリオの子ども服だけが脱ぎ捨てられて床に拡がっている
2021.02.06
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私が好きなのはあなたなのかあなたの描く絵の世界なのかときどきわからなくなることがあるあの日一緒に歩いた海辺の光景なのにあなたが描いた油絵は私の見なかった光にあふれていて息をのんだ岬の形や雲の流れを一緒に見たのは覚えている沖合を行く船の形や色こんな風に小さく見えたこともけれども次から次へと押し寄せる光る波のこのまぶしさを私は見なかった白い波しぶきが砕け散り粒子のきらめきが青い空を背景に網膜が傷むほどの光線を放つのを私は見なかった私の見なかったものを見ていたあなたと私は同じ海辺を歩けずにいたのだろうかふたりの世界は隣りあわせのパラレルワールドでたよりない言葉やつながっている指先だけが交わっていただけなのだろうかただスカートの裾を膝まで両手でつまみ上げ波に立ち向かう素足の少女はあの日の私のシルエットだ逆光の中あなたを振り返るその前のあの瞬間の私だあなたの脳内宇宙の中で空と海と光と私はひとつであなたはそのすべてを一枚の画布の中に描いて抱きしめる私はあなたに抱きしめられている私には見えないほどまぶしく輝く大きな世界の一部として光の中でいだかれているあなたとあなたの描く絵は溶け合うまぶしい愛の光の中で溶け合うその中心に描かれているのが私であり私以外にはないことの歓びに心も体も打ち震えるさあ 贈り返そうあなたの世界をわかちあってくれてありがとう一緒にいてくれてありがとう私には絵が描けないけれどあなたの世界がわかるよあなたが私をどれほど大事に想ってくれているか知ってるよそのことを伝えるこの詩を瓶に詰めてありったけの「好き」をこめて光る波に向かって思いきり投げよう放物線を描く透明な瓶を午後の太陽が射ぬいて私の詩がきらきらと海へ落ちていく波はそれをあなたの足もとに寄せ返してくれるあなたは瓶を拾いあげコルクを抜いて絵を描くとき以外は不思議に不器用な指先で狭い瓶口から中の手紙を取り出そうとかわいいくらい必死な顔になっている私の応えが知りたいときの少年のようにかわいいあの顔になっている
2021.02.06
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なんで阿羅漢の涅槃を菩薩の教えをまだ説く時期でなかったころの低いもののように言ってから、心配すんな、阿羅漢も菩薩と同じとこまで行けるからと言うのか。下に見てから、同じやと保証したるって、めちゃ上から目線やん。たとえば、法華経方便品の「我、涅槃を説くと雖も是れ亦、真の滅に非ず」と鳩摩羅什は書いているが、これがわからん!だって、ニルバーナの音写が涅槃で、意訳が滅やろうが!涅槃やけど、滅やないって、どういうことやねん。サンスクリット語では両方、ニルバーナちゃうんか。納得いかんから、調べた。ほんなら、植木雅俊の「梵漢和対照現代語訳 法華経」の方便品の67をサンスクリットから直訳すると「シャーリプトラよ、私は、それらの人々(あほなやつらということ)のために『あなたたちは、苦を終わらせよ』と言って、方便の教えを説く。苦によって苛まれている衆生たちを見て、そこで私は安らぎ(涅槃)について説くのだ。(67)とある。梵本67にもnirvanaとある。これは鳩摩羅什漢訳では「是の故に、舎利弗よ、我為に方便を設けて、諸の尽苦の道を説き、之に示すに涅槃を以てす」にあたるだろう。ほんで68梵本直訳は、「また私はこのように告げる。『これらのあらゆるものごと(一切法)は、常に寂滅しているのであって、本来寂滅なのだ」これは鳩摩羅什漢訳の「諸法は本よりこの来、常に寂滅の相なり」にあたるだろう。しかし!その間に鳩摩羅什は「我、涅槃を説くと雖も是れ亦、真の滅に非ず」って書いてる。そんな文言は梵本には、一切ない!涅槃は滅やねんから、そんなこと、サンスクリット語で表現できひんはずやし、おかしいなって思って、調べてみたら、案の定や。梵本で読めば、ここでいうてるのは、阿羅漢に滅を教えたけどもよ、ほんまは一切の存在ははじめから滅やねんってことでしかない。そんなん臨死体験した人や、瞑想で深みに入った人や、LSDやDMTで極まった人は、全員知ってるねんけど。ややこしいのは、「我、涅槃を説くと雖も是れ亦、真の滅に非ず」って創作訳を挟むことやないか。涅槃と滅は何がちゃうねんってなるやないか。涅槃と滅は同じや。涅槃への道を説いたけど、ほんまは時空などなくそもそも涅槃しかないねんって、そんなん法華経に言われんでも知ってるわ!たぶん、ラムダスも、テレンス・マッケナも知ってるわ!前には低い教えで涅槃って言うたけど、それはまだほんまの滅ちゃうねんでと差別化する創作訳は何のためやねん!そんなに大乗のほうが上と言いたいわけか。中でも声聞、縁覚も未来に真の滅に至ると保証した一乗思想の法華経が一番すごいと言いたいわけか。差別化を大乗側でしてそれを法華経で同じ一乗やとありがたく思わせるためのための、その準備段階としての差別化やな。阿羅漢が知ったのははじめから同じ滅のはずと思う。法華経がいったん差別してから、未来に保証したるって、上から目線で言わんでも初めからそうやな。そう思うで。
2021.02.06
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味覚とはいったいなんだろう。そして五感とはいったいなんだろう。そんな一種哲学的な問いにまで連れていってくれるのがミラクルフルーツ。このフルーツを食べてから、レモンを食べると・・・・信じられないほど甘い!酸っぱいものを甘く感じるのはいったいなぜか。味蕾細胞についてついつい検索して調べたくなる。ただ安心してほしいのはその効果は数時間以内には消失し正常な味覚が戻ってくるということ。これがもし一生続くなら、僕だってミラクルフルーツを食べるなんていう実験をしなかっただろう。ミラクルフルーツ・10粒入り【送料無料】価格:1598円(税込、送料無料) (2021/2/4時点)楽天で購入
2021.02.04
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粉雪舞い散る駅のホームで私はあなたの乗る汽車を待っている小さな傘の下であなたと私の肩だけが触れているもう二度とくるおしく求め合うことはないと決めたふたりの肩だけが今はセーターの毛糸ごしに互いの体温を感じているもう二度と感じることはできないだろうあなたの温かさ私はすべての神経を触れている右肩だけに集中して目を閉じる走馬灯のように巡るあなたの笑顔怒った顔真剣な顔気がつくと右肩の触れている箇所だけがぼんやり輝きじんわりとした温かさで今にも溶けそうだああ肩が触れているだけで私のすべてがもう一度あなたに溶けて消えそうだ降りそそぐ粉雪はプラットフォームに着地すると次々に溶けていく私とあなたは二度ともどらない時を一緒に過ごしお互いのために今日の別れを決めたああ 汽車が永遠に来なければいいのにこのまま降りそそぐ雪に一緒に埋もれてしまえばいいのに遠いトンネルの奥から汽車のヘッドライトが近づいてくる眩しい光が粉雪を煌めかせる金切り声をあげて停車した車輌の扉がシューと音をたてて今、開いた
2021.02.04
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私が嫉妬しているのはあの女やこの女ではない私が嫉妬しているのはあなたの愛する能力あなたは女の話に耳を傾けるあなたは女のやわらかい部分に指をいれるあなたは女の弱い心を包み込むあなたに抱きすくめられて女は溶けて流れるあなたは占い師のように女の心に入り込みあなたはミュージシャンのように女という楽器を奏でる女たちはあなただけが理解者だと信じあなたは鋭い眼光で女のうるんだ瞳を射抜くあなたには愛する能力があるあなたには私にはない能力があるあなたは船を乗り換えるたびたちまち船長になってクルー全員を支配するやさしさなのか支配なのか受容なのか侵入なのかあなたが花から花へと飛び回ることを私には止められないのかもしれない蝶であることはあなたの本性で羽をもぎとられたあなたはもうあなたではないのかもしれないけれども私はあなたの愛する能力のすべてを独占したいあなたの羽をもぎ取って食べてしまいたい私が天空に張り巡らした蜘蛛の巣であなたの飛翔能力をはるかに凌駕したい私が嫉妬しているのはあの女やこの女ではない私が嫉妬しているのはあなたの愛する能力私はあなたの愛する能力に悪魔の張り巡らした罠で挑もうとしているしかしどこか心のずっと奥の方でジェラシーが愛に勝つことなど金輪際ありえないことを悟っている・・・・ Content image
2021.02.02
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愛をもらったことのない私は愛をあげることはできない虐待されて育った私は子どもを虐待しない自信がない私には恋愛はできない私にできるのは愛人だけ私には恋愛はできない私にできるのはセックスだけ私にはお母さんはできない家庭に帰るあなたの背中を見送るだけ私は愛を拒絶する悪魔コインを裏返せば愛情乞食私にあげられるのはセックスだけなのに私が欲しいのは愛だけなんだ私とセックスしたい男は他の女ともセックスする私が本当にほしいのは愛だけ私の体を求めない男の永遠に私だけに絶え間なく降りそそぐ愛の桜吹雪だけ
2021.02.02
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