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いよいよここ韓国では旧正月と言うことで、今日から三日間の連休である。妻の実家に親戚たちが集まり、食事をした。で、とりあえず今日は帰ってきて、明日また集まる。ノンクリスチャンの家庭では、先祖に挨拶をする行事をするが、妻の母はクリスチャンなので、それは行わない。ただ親戚たちが集まってお話をする。韓国には昔からのユンノリという遊びがある。この遊びをする家庭は少なくないだろう。上のような木で出来たものを四本使って、一度にその四本を掴んで上に放り投げて、落ちた時の木の向き(裏表)によって、コマの進む数が決まる。そして、そのコマを動かしていく表が下の写真である。 そして、手持ちのコマを全部スタートと地点に戻ってくれば勝ちという、日本の双六(すごろく)に似た遊びである。こんなところまで、日本と似ているところがあるのだ。続きは明日に…。
Jan 31, 2003
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今日、運転中事故現場を通り過ぎた。乗用車2台、バス1台の計3台の玉突き事故である。高速道路ではなく、片側2車線の道路だった。ぶつかって立ち往生している状態から推測して見ると、道路の脇から前、後ろから道路に出ようとしたそれぞれの2台の不注意と、バスのスピード出しすぎと前方不注意によるものだろうと思う。誰も事故を起こしたくてそうなる人はいない。ちょっとした不注意、思いがけない相手の動き、スピードの出しすぎ…など、お互いの歯車が噛み合わない時、事故は起こる。自分も一度、撥(は)ねられた経験も撥ねた経験もある。幸いにも両者とも大した怪我にならなかったのが、神様の守りであったことを実感している。しかし、どちらにしても、忘れられない経験として記憶に残っている。でも、この経験が無ければ、安全運転を忘れ、大きな事故に結びつくことも有り得るだろう。今後も常に「安全運転」で、いくことを再確認した。
Jan 29, 2003
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もう、何週間が経つだろうか、息子(生後17ヶ月)の左の前歯が欠けた。9、10ヶ月頃から早くも走り回る元気ぶりで、あちこちぶつけては傷を作ったり、物を壊したり…。そんなある日、いつものように家中を走り回っていた時、転んでどこかにぶつけたのだろう、下の写真のように(向かって右の前歯)欠けがあるのをお分かりになるだろう。やれやれ、この「欠け」で5、6歳まで付き合わなければならない。そう、永久歯が生えるその時まで…。考えてみれば、我々の罪の性質もこの歯の入れ替わりと同じ事が言えるのではないだろうか。キリストに出会い、罪を赦して頂くまでは、この「欠け」の歯のように何かが欠けているのである。例え、どんなに充実した生活をしていてもである。しかし、キリストに個人的に出会い、罪からの解放を受けても、つまり永久歯に生え変わっても、罪人としての性質は変わらない訳だ。そこで、天国に行ったときに「永遠の栄光の体」に変えられた時、完璧な歯、罪の全く無い完璧な(神様がアダムとエヴァを造り、罪を犯して堕落してしまう前までの)状態になるわけだ。まあ、そういうわけで、永久歯の生え変わりまでのしばしの辛抱である…。
Jan 28, 2003
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昨日は礼拝の後、高速を使って2時間、大田(テジョン)まで、行って来た。それというのも、3月3日の開講を前に、2月3日から2週間ギリシャ語特講があるため、その期間お世話になる教会の牧師と顔合わせのためだ。大田にある「伝道する教会」の教会員で私の通う地球村教会日本語礼拝部の人の妹さんが通っている教会である。そして、日本にある教会と同じような感じのこじんまりとした教会だった。神学校からはバスで20分くらいのところにあり、教会の一室を貸して下さり、朝は食事を教会で一緒に食べても良いということである。早天祈祷会は朝の六時から。早天が終わってから朝食を食べてから学校に行っても十分間に合うだろう。この様な環境を提供してくださる牧師に心から感謝をすると共に、全てを導いて下さった神様に感謝を捧げたい。後は、勉強を人の2倍、3倍をしなくては…。
Jan 27, 2003
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24日(金)、知人、会ったことの無い遠い親戚の人、合わせて3人が亡くなった。この時期が多いのだろうか。血圧が高い人は、気温差が大きいと血管に負担がかかり、亡くなる人が多いのだろう。一人の方は韓国の方で、日本に重荷を持ち、牧師である夫と共に、日本に約10年前からある宣教団体の派遣宣教師として活躍されていた。そして、その方は賛美の賜物に優れていて、先に韓国語、ごく最近は日本語ヴァージョンのオリジナル賛美歌CDを発売されたばかりだった。私が札幌に住んでいた頃、個人的にもとてもお世話になった方であった。そして、一度は教会のメンバーの結婚式の時、私とデュエットをして、祝福したことも記憶に残っている。また、私個人だけではなく教会の中でも特に婦人会の人たちに、良い影響を与えていたということも聞いていた。突然の別れにビックリして唖然とすると共に、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」ヨブ記1章21節の御言葉を思い出した。私たちには分からないが、全ては神様の主権の中にあることを…。私の母とも天国で話し合っていることだろう…。
Jan 26, 2003
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今日の日中は昨日と同じくらいの気温だったが、日が照っていてあったかく感じた。私たちは国際結婚をしたので“International Couples”というサイトと、日韓夫婦ということでもあるので、“日本と韓国のカップル・リング”という二つのサイトに仮登録をした。それぞれに登録している人たちのHPを見ると、それぞれの特徴などを見ることが出来、面白い。っと言っても、私たちは国際結婚をしたものとして「面白い」のだろうか。そして、日本人同士の夫婦の人が見たらどのように思うだろうか。きっと、それなりに「面白い」だろう。私たちは日韓の夫婦として、これからの日韓の明るい未来のために何か出来ることは無いだろうか。生意気なことは言えないが、過去の赦されないことを日本が謙って過ちを認め、お互いに友好関係を築いていければどんなに素晴らしいことだろうか。キリストの平和無しには難しいことではあるが…。
Jan 24, 2003
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「今日は日中から段々気温が低くなる」と天気予報で言っていたが、それほど寒くはならなかった。まあ、最高気温はプラスの1~3度程度だ。朝はマイナス5~10度程度。正月の時はマイナス15度まで下がった。もともと札幌出身の自分としては、マイナス15度でも大丈夫、「寒冷地仕様だから。」と思っていたが、ここに来る前の横浜ですっかり札幌の気候を体が忘れているらしい。マイナス15度で「うぇ~。サヴゥ~。鼻毛がコヲルぅ~。」状態。あ、ここでちょっとした解説が必要ですね。「鼻毛がコヲルぅ~。」というのは、マイナス10度近くまで下がると、息を鼻から吸う時に起こる現象である。本当に凍るかどうかは二の次だが、そんな感覚になる。ついでだが、マイナス25ないしは30度まで下がると、「ダイアモンドダスト現象」が起こる。私は実際には見たこと無いが、札幌よりももっと北の「旭川」辺りでは、よく見られる。そこまで冷えると空気中の水分までが凍ってしまい、それに光が当たると乱反射し「ピカピカ状態」になり、「正にダイヤモンドが空から降ってきた。」と思わせるものである。ここ韓国でもソウルよりも北(カンウォンド=北朝鮮に近い地域)に行くと、この前スウォンでもマイナス15度まで下がった時、カンウォンドはマイナス30度まで下がったそうだ。この時はさぞ、ダイアモンドダストが綺麗だったことだろう。気温が低いうえ、乾燥しているので喉を痛めやすい。気をつけなければ…。
Jan 23, 2003
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今日は一日中ではないが、雪の降っている時間が長かった。ニュースで見たのだが、ソウルよりも遥か南東に位置する大邱(テグ=日韓ワールドカップの時の開催地の一つ)でも、大雪が降ったそうだ。インタビューに答えた女学生風の女の子は、「ここでは、殆んど雪は降らないんだけど、こんなに降って嬉しいです!」と答えていた。一方、会社帰りのサラリーマン風の中年男性は、「ここで、こんなに降るとはね・・・。お陰で、ノロノロ運転で、事故も多発だよ。」と。同じ「降雪」という状況下でも、受け取る人にとっては「良き」にも「悪しき」にもなり得る。それは、その人の置かれている立場、環境、性格などによって変わってくるだろう。同様に、「予期せぬハプニング」には太刀打ちが出来ない。今回の大邱での大雪のようにあらかじめ対策出来ない事に関しては、大きなダメージを受ける。イエスキリストの再臨もそうである。いつ来られるか、誰にも分からないからだ。聖書の中にこんな御言葉がある。「この天地は滅び去ります。しかし、わたしの言葉は決して滅びることがありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ、父だけが知っておられます。人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。」マタイの福音書24章35~37節。つまり、子(=イエスキリスト)がいつ再臨されるか分からない、ということであり、その裏には「再臨の準備」をしておく必要があるということである。
Jan 22, 2003
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ここ韓国では、アパート(日本で言うマンションに似た感じ)がたくさんあり、日本で言うところのアパートはビッラというのだが、今日うちのブロックのアパートではあちこちの棟で引越しをしていた。今日は引越しするにはいいツキがある日なのだろうか。よく分からないが、多かった。隣の列でも14階に新しく入ってきたようだった。クレーンを伸ばし荷物を運んでいる。でも、窓から入らないものもあり、そうなると当然エレベーターで運ばなければならない。そこでである。うちのアパートだけかも知れないが、「エレベーター使用料」を別に取られるのだ。勿論、人が使用する分は月々の管理費から取られるのだが、ここでいう「エレベーター使用料」とは、ある一定の大きさを超えるものを持ち込んで使用する時のそれである。最初はビックリしたと同時に「日本人に対する嫌がらせ?」とも思ったが、最近エレベーターの中に「冷蔵庫いくら、洗濯機いくら、」と早見表を貼り出したではないか。とりあえず、「日本人に対する嫌がらせ?」ではなかったようだ。でも、日本では考えられない「そのせこさ」にビックリしました。韓国に住んでる皆さん、あなたのところはどうですか?
Jan 21, 2003
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数日前、天国に行った人の話を書いたが、その娘さんのコメントを掲示板で見た。やはりクリスチャンなので、母を天国に送り出した事を、悲しみを乗り越えた所にある、一種の誇りみたいなものを感じているようだ。全く不思議なものである。同じ「死」でも行き先が分かっているのと、分からない(正確には知らない)のとでは、こうも大きな差があるのだ。それは、もう一度天国で会えるという希望と、本人が一番いいところにいるという安心感みたいなものの違いだろう。それに、何と言っても「神様の守り」があるからこそ、悲しみと苦しみに押しつぶされること無く、かえって希望を与えてくださるからだろう。この日記を読まれた皆さん、お一人お一人もイエスキリストを通して開かれている「魂の救い」と「永遠の命」を受け、別れに備えられたならどんなにも素晴らしいことか分からない。
Jan 20, 2003
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今日は自分の「心の狭さ」と向き合った。午前9時半の礼拝で、いつものように息子のベビーカーを前において、礼拝中に起こった出来事だった。あるお父さんが自分の赤ちゃんを抱いて、私たち家族の前に来て、何をするかと思いきや、ベビーカーに赤ちゃんを乗せて廊下に出て行ったのである。私はビックリして声も出ず、ただただそのお父さんの行動を見ているだけでした。妻も少し驚いていたが、私は妻に「こんな事ってある?」と、顔をしわくちゃにして言った。妻はあまり動揺していない。…と、前の方からベビーカーに赤ちゃんを乗せて廊下に行ったお父さんの奥さんが来て、「ごめんなさい。主人は教会のベビーカーだと思って…。」と言って、廊下に出て行き主人を連れてきた。そのお父さんは「ごめんなさいね。怒った? でも持って帰らなくて良かったでしょ?」と言いながら、ベビーカーを返しに来た。後からその奥さんに聞いたのだが、「先週この地球村教会に来たばかりで、分からずに教会のベビーカーだと思い使った。」と。私はそのお父さんの言葉を聞きながら「大丈夫、大丈夫ですよ!」と言ってはいたものの、内心この様に思っていた。「さすが韓国人だ。いくら教会のベビーカーだと思っても、人の前においてあるものを使おうと思ったら、一言声かけたらどうなん? しかも、持って行かなくて良かったねだと?」と怒りを抑えるのが精一杯だった。礼拝中はそのことですっかり妨害されてしまった。使徒の働きの時代にも、「皆がものを共有して使っていた…。」とあるんだし、いいじゃないか。と思う一方で「いや~、韓国人の無神経さには慣れていたつもりだが、やっぱりついていけない。」という気持ちもあった。今は、勿論落ち着いてこの様に、日記にも書ける状態だが、本当に自分の「心の狭さ」には更にあきれ返るものがあることを思い知らされた。福音書の中で自分は多くの借金を見逃してもらったにもかかわらず、少しの借金をした人には「早く返せ」と催促する人の姿が映った。だから、この者の内側にある罪のためにイエス様が十字架に掛かって下さったんだ、と再確認した。イエス様、十字架による罪の赦しを感謝します。どうか、イエス様のように広い心を持つ者と変えて下さい。アーメン。
Jan 19, 2003
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今日は日本からの友達がうちに遊びに来た。久しぶりに中華料理の出前をして食べた。韓国の中華料理の店には“タンスウユッ” (日本で言えば酢豚に似たもの)という料理がある。大中小とあり、小でも大きなお皿に大盛りで来る。各自“チャジャンミョン”や“キムチポックンパブ(キムチチャーハン)”なども一品ずつ食べ、その他にこの“タンスウユッ”を頼んだから、大人六人で食べても残るくらいだった。たまに思うことがあるのだが、「この豚さん、我々に食べられて本望だろうな…」と。ちょっと変な言葉だが、神様は我々のために、あの豚をも造られたのだから。でも、あのアダムが罪を犯さなければ肉食になることは無く、食べられることも無かったのかなと思うと、ちょっとかわいそうな気もする。ごめんね、豚ちゃん!
Jan 18, 2003
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昨日もまた一人の魂がイエス様のみもとに旅立った。私たちは地の塵(ちり)で造られた。ゆえにまた土に返る。なぜ、人間以外は神様の「言葉」一つで造られたのに、人間だけは塵で造られたのだろう。よく、聖書の中では神様と人間の関係を陶器師と陶器に例えられている。陶器師は物を入れるために、目的を持って陶器を作る。我々人間は、神の御霊(聖霊なる神)を宿すために塵で造られた。そして、その霊が天の神のもとに行く時、肉体は塵に返る。ああ、そうか。その法則からしても、塵に戻るには塵で造る必要がある。しかし、そんな浅い程度のものではないとは思うが、神様が我々人間を神の言葉ではなく塵で造られたのは興味深い。そんな事を考えつつ、明日も地上での旅路を続ける。天国に召される日まで…。
Jan 17, 2003
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ここ韓国ではADSLを更に上回る速度を持つ通信回線、“VDSL”がもう出回っている。出回っているという表現はおかしいが、日本では恐らく、普及率はそう多くは無いと思う。韓国は殆んどの面で日本の発展には差を付けられているが、インターネットやそれに関連する通信情報関係の分野は日本のそれを上回っているんではないだろうか。なぜだろう。やはり利用料金の低料金実現化にその原因を見ることが出来るだろう。それゆえ、韓国ではその波にうまく乗って上昇したに違いない。やはり流れに乗ることはある意味、大切なことであろう。勿論、悪いこと(その判断も難しいものもあるとは思うが)ではなければ、クリスチャンもこの時代の流れから何かを学び取り、宣教のために乗り遅れないことも必要であると感じている。「あ~ぁ、世的なクリスチャン」と見る人はそれでいいだろう。私はその様な中でも何かカギを見つけたいと思っている。
Jan 16, 2003
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昨日の分。最近、家の前の幹線道路で、車同士の接触事故が多い。気温が低く、道路の表面がブラックアイスバーンになっているのだろうか。確かにブラックアイスバーンは、「大丈夫だな。圧雪でもないし…。」と勘違いするところが怖い。うっすらと表面が凍っていて、一見アスファルトの黒さと変わりなく見える。我々はこの「勘違い」あるいは「誤解」によって、家族との関係、友達との関係、あるいは自分自身の人生に大きなダメージを与えることがある。ある事柄について「知っている」とか、「経験した」という名のちょっとした驕り(おごり)が、「勘違い」、「誤解」を招くのであろう。クリスチャンも同じ事が言えるのかもしれない。神様のご計画に沿うには、いつも「初心に帰る」ことが大切だ。「知っている」とか、「経験した」ということで、神様のご計画に沿えないどころか、かえって神様のご計画を邪魔してしまうことさえ起きかねない。更に神様の愛については、顕著ではないだろうか。神様の愛に慣れ(?!)きってしまい、初心の愛を忘れてしまうことも度々起きていることであろう。夫婦関係も然りであろう。常に「初心忘れるべからず」でいきたい。
Jan 15, 2003
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今日は掲示板のお引越しをした。http://www.world2.to/wboard1/wboard.cgi?acura でお待ちしています。ぜひ、どしどし足跡を残していってください。
Jan 13, 2003
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一昨日の日記のパク・ジョンホのアルバムの話だが、タイトルは「深く刻まれた愛」というものだ。イエスキリストの愛は、十字架のことを見ても分かるが、我らの、そして私の罪の身代わりの姿である。その十字架の愛が我々の奥深い罪の塊をも打ち砕く、イエスの愛。韓国人なので、日本語は無いがURLを載せるので、視覚で見てイエス様の愛の深さを見て頂きたい。http://www.parkjongho.com/servlet/park.INDEX.MAIN
Jan 12, 2003
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今日、韓国映画(2002年度作品)、「家に…」という映画をヴィデオで見た。舞台は韓国のど田舎のお祖母ちゃんの家。お母さんが一時的にこの田舎のお祖母ちゃんの所に、息子を預けるところから始まる。お祖母ちゃんは耳は聞こえるが、話しは出来ない。そして、背中は直角ではないにしろそれに近いほど曲がっている。孫はお祖母ちゃんに対して、悪口を言い、お祖母ちゃんを煙たがる。孫がいたずらをして部屋を汚しても、お祖母ちゃんは怒った様子を一つも見せずに掃除をし、孫のためにご飯も作ってあげる。そんなお祖母ちゃんの優しさも構わず遊ぶ。 お祖母ちゃんの作ったご飯は食べ飽き、ハンバーガー、ピザ、ケンタッキーチキンが食べたいと駄々をこねる。お祖母ちゃんは、孫が食べたいというその「ハンバーガー、…」が分からなく、孫がケンタッキーフライドチキンの絵の書いてある下敷きを見せる。そして、ようやくお祖母ちゃんは、孫が鶏肉を食べたいということが分かった。そして、お祖母ちゃんはケンタッキーチキンを買い…ではなく、お金に換える惣菜を市内まで持っていき「生きた鶏」を買って来た。しかも大雨にあたり、ずぶ濡れになって帰ってきた。 お祖母ちゃんは、ケンタッキーフライドチキンではなく、サムゲタン(参鶏湯)を作ってあげた。孫はそれを見て、「ケンタッキーフライドチキン」がいい。こんな変なのではなく…。と言って、お茶碗を吹っ飛ばした。お祖母ちゃんは、孫が吹っ飛ばしたお茶碗と飛び散ったご飯粒を拾い、小さな食卓に戻す。 孫は食べずに寝てしまったが、お腹が空きすぎて我慢出来ずに、さっきのサムゲタンを食べた。結局は美味しく食べた。 朝、孫が目を覚ますと、お祖母ちゃんは昨日の大雨にあたったせいで風邪を引いたようだ。起こしても起きようとはせず、ただ、寝返りを打つだけだった。そして、寒そうに…。それを見た孫は、お祖母ちゃんに温かい布団を掛けてあげる。 (途中省略) ある時、二人はバスに乗って市内まで行き、庭で取れたカボチャを売りに行った。でも、なかなか売れない。やっと売れたお金で孫に、チャジャンミョン(子供たちが好きな麺類=元々は中華料理の種類)、チョコパイを食べさせてあげた。お祖母ちゃんは何もたべないで…。そして、家に帰る時お祖母ちゃんは「先に行って!」と、一旦一緒に乗ったものの、孫だけ乗せて行かせた。お祖母ちゃんの荷物を持っていってくれと頼んだが、チョコパイだけを手に取り、窓からお祖母ちゃんの荷物を捨てた。 先に家の近くのバス停に着いて、お祖母ちゃんの来るバスを待つ。しかし、次のバスには乗っていなかった。次のバスも乗っていない。おかしいなと思い、バスの行った方向とは反対の方を見ると、なんと、お祖母ちゃんが歩いてくるじゃないか。 そう。カボチャを売ったお金は、チャジャンミョン、チョコパイに消え、一人分のバス代だけしかなかったのだ。お祖母ちゃんは孫をバスに乗らせ、自分は歩いてきたのだ。だから、荷物を持っていくように頼んだのだったが…。 そんなこんなで、お母さんが街から迎えに来た。バス停でおばあちゃんと別れ際、孫は自分が何よりも大切にしていたロボットのキャラクターの描かれているポストカードを、お祖母ちゃんに渡した。そして、そのカードの裏には、お祖母ちゃんの似顔絵、「痛い」、「会いたい」を書いてあった。以上、大まかなストーリーを書いてみた。お祖母ちゃんの、自分を犠牲にして孫のために尽くすその愛。そして、頑なな孫の心を解いていくおばあちゃんの愛。ここに、イエス様の愛が見えた。イエス様は我々の罪の身代わりに、あの十字架について罰をお受けになられた。しかし、その愛も知らずに過ぎて行く我々の人生。あるいは、知っていても、うざったく感じる我々。そんな、我々の為に救いの道を開いて下さった。我々一人一人を愛するが故に…。我々も、この孫のように、イエス様の愛に答えたい…。
Jan 11, 2003
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昨日の分です。昨日は、パク・ジョンホという韓国では有名なオペラ歌手がいるんだが、十作目のアルバムを買った。NYでレコーディングをしたのだが、このアルバムにはV-CD(ビデオCD)が付いていて、メイキングシーンなどが見れる。そこで、驚いたのが、生のオーケストラは普通だが、バックコーラスの大人、子供たち(勿論、アメリカ人たち)が、彼から習った韓国語でレコーディングをしている風景だった。勿論、CDだけ聞いていれば、バックコーラスの人たちが外国人とは思えない。やはり、その専門の人たちはその様な問題をひょいと乗り越えてこなしていくんだな~と感心した。自分はどうだろう?これから、神様の愛を伝えていく者として、これからぶつかる様々な問題にどのように対処していくだろうか。勿論、神様の助けなしには出来ないが、その心構えは大切であることを再確認させられた。ちなみに、まだ全部はじっくり聞いていないが、神様の恵みを更に味わえる作品と言えるだろう。
Jan 10, 2003
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昨日、と言っても厳密には今日の午前1時半。突然起きて、服を着ようとした。はっと気づいた時は、「またか~。」というため息。「早く起きろ!」という夢を見ていたので、急いで起きて出かける準備をしようとしたのである。「夢遊病なんじゃないか?」 と自分自身に問いかける。中学の時も面白いエピソード(?!)がある。雨の降る暗い日、傘が無くずぶ濡れで家に帰ってきた。眠たかったので濡れた学生服をハンガーにかけ、2~3時間の昼寝をした。午後7時半頃目が覚め、「ずいぶん暗い朝だな~」と勘違い。そう。もう朝だと思っているのだ。当然、学校に行く時間だと勘違いしているから、学生服を着ようと学生服に触ってみる。「ありゃ、まだ濡れてる。」と。当然である。まだ、干してから3時間しか経っていないんだから・・・。様子を見ていた母は、気がつき「どこ行くの?」と尋ねた。「え、どこって、学校じゃない。」「今は夜だよ。」の母の一言でやっと気が付いた。もし、家に誰も居なかったら、濡れた学生服を来て学校まで行っていたかも・・・。というなんとも、ボケた老人のようである。こんな具合に天然のボケが入った自分が、おかしく、昨日も妻と大笑いした。
Jan 9, 2003
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神学大学院の寄宿舎受付のために、学校に書類を送るために、郵便局に行ってきた。家には封筒が無かったので、一枚封筒を買った。30ウォン(日本円で3円)と安い。外国人登録証をコピー屋でコピーして100ウォン(日本円で10円)。でもって、スウォンからテジョンまで速達で送って1,580ウォン(日本円で158円)。これは日本とあまり変わらない気がした。手紙でさえ、いくばくかのお金を支払って、やっと目的地まで配達されるのである。それなのに「神様にはただで祈りが届く…。」と考えた。でも、ハッと思ったのが、「ただではない。イエス様の命が支払われて、はじめて神様との関係が回復したんだから、ただではない。」と心に囁く声があった。あ、そうか。何気なく祈る祈りも、真剣に祈る祈りも全てはイエス様の十字架によって許されて、出来ているんだから、感謝すべきことだなと教えられた。
Jan 8, 2003
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聖書は知識的に知っていて、聖書の内容に対して批判的な目で見て、攻撃してくる人がいる。ある意味では、その人の中には「真理を求めている。」から、その様なこともするのであろう。聖書を読んでも何の反論や、疑問も持たない人よりは批判的な目で見ている人のほうが、関心がある証拠なのでいい場合もあるだろう。その様な人の中で、必ずと言っていいほどされる反論がある。それは、「神様が居るんだったら、どうして戦争があり、宗教的なことで争いがあるのか。」という内容。今はこの世は、一時的にサタンの支配下にあるため争いがあるのは仕方が無い。じゃ、いつになったら戦争がなくなるか。それは、イエスキリストの「再臨」である。「主よ。あなたは、私たちのために平和を備えておられます。・・・」イザヤ書26章12節とあるように本当の平和は「イエスキリスト」による他は無いのである。2000年前にイエスキリストが生まれることが、さらにもっと昔に預言されていたように、イエスキリストは「再臨」される。その時がいつかは分からないが、確かに来る。そして、この世を裁かれる。その後に平和は来る。聖書がそう語っている。何度も言うが、いつかは分からないが・・・。
Jan 7, 2003
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今日は、天に召されてから10周年を迎える母を通しての証しを、この年にHPという形を通して、お分かち出来たのは感謝この上ない喜びである。母が天に召されてから、いつかはまだ主を知らない人、クリスチャンの兄弟姉妹たちにお証しが出来たらと、願ってきました。母の病気を通して多くを学び、また霊的にも人間的にも自分の成長、家族の成長、教会の成長が主様によってなされた。という事を振り返りながら、もう一度、主様の恵みに感謝しつつ、この証しを載せました。さて、今年一年はどんな主様の御業がなされるか、楽しみです。イエス様、あなたの御栄光を現して下さい。小さい私をも、用いて下さい。今日は「カンウォンドウ」というソウルよりも北東に位置する地域でマイナス30度を記録したとか。ここスウォンもマイナス15度まで下がった。明日はマイナス9度までしか下がらないそうだから、今日よりはまだましである。
Jan 6, 2003
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今日は、いつものように韓国語礼拝、日本語礼拝で礼拝を捧げ、教会の食堂で「トック・クッ(日本のお雑煮に似た食べ物)」を食べた。日本にいる時にも久しくお雑煮を食べていなかったので、久々に正月気分を味わえた。礼拝を終え、教会を離れて「チャンモニム(妻の母)」の家に行き、夜ご飯は外食した。「ムルンジ・サムゲタン(おこげのご飯とお粥に鶏肉を丸ごと入れたもの)」の専門店に行って食べた。なにか、食べ物の話ばかりだが、今日の礼拝でのメッセージが「聖霊様の導きに従う人」が話された。丁度、私の今年の約束の御言葉と同じ内容だったのでびっくりしました。今年の年末には、聖霊様が結ばせてくださる、実りが豊かにあることを期待しつつメッセージを受け取りました。主様に栄光をお捧げする歩みを目指して・・・。
Jan 5, 2003
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今日は、妻の姉家族と、妻の妹とうちの家族で、遊んだ。夜ご飯は、トルソッ・ビビム・パブ(野菜・目玉焼き・コチュジャン・・・をご飯と一緒に混ぜて食べる韓国の伝統料理)を食べた。やはり普通のビビム・パブとは違って、熱した石の器に入れて食べるので、温かく食べれるし、石に面したご飯はおこげになって、これまた美味しい。日本にはない風習だが、韓国ではこの料理のようにご飯と他の材料をごちゃ混ぜにして食べる。「どんな具が入っていたか分からないほど混ぜて食べるのが一番美味しい食べ方。」という。この世界も国や言葉や皮膚の色にとらわれずに、ごちゃ混ぜで仲良くなり神様を礼拝する時を夢に見ながら、「いつか聖霊様の風でそのような時が来る。」と期待するのみである。あ、そう言えば、明日韓国はマイナス14度まで気温が下がるって。外が寒い分、礼拝は暖かい神様の臨在の中で導かれることを期待しつつ・・・。
Jan 4, 2003
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今日は、雪が降った。前回はクリスマスイヴの時に、神様の演出でうっすらと積もりホワイトクリスマスだった。今日は、昼少し前から降った雪が何センチか積もった。北の地方はかなり積もり、これからまだ10センチは降るという。「うわぁ~、凄い~」と思ったが、札幌に住んでいた頃はもっともっと凄い状況にいたのに、札幌を離れ横浜、韓国と豪雪地帯から抜け出すと、当時の凄さを忘れるようである。車の運転も然りであろう。雪道を走る時に必要な「ポンピングブレーキ&ソフトブレーキ」の感覚は忘れていないだろうか。車間距離の確保はどの位取れば安全に走れるか。雪の結晶がそれぞれ違う形をして、一つとして同じ結晶はなく造られた神様の恵みも忘れてはならない。「・・・主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」詩篇103篇2節
Jan 3, 2003
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今日は、昼にスパゲッティとフランスパンを食べた。いつもは、麺とソースがセットになっているものを買って食べていたが、今日はイタリアからの輸入麺、フランスからの輸入ソースで食べた。やはり、セットとは違う美味しさ。歯応えも違えば、食べた時のノドゴシまで違う。フランスパンはPris Baguette(パリ・バゲッテゥ)というパン屋さんで買ったニンニクバターが塗ってあるもの。しかし、オンドルは最高だ。乾燥するので加湿器や十分水を含ませたタオルを掛けて寝ないと喉を痛めてしまう事があるが、日本には床団はあっても、オンドルにはかなわない。日本に帰った時には、床が冷たくて霜焼けになってしまうのでは・・・と情けないことを考えてしまった。日本もオンドルがあればいいのに・・・。
Jan 2, 2003
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今日は、新年礼拝を終えて、午前2時過ぎに帰ってきて、3時過ぎに寝た。で、朝は勿論ゆっくり寝た。今日は我が息子の誕生日ではないが、生後17ヶ月目である。それもあいまって、壁に掛けてあった大きな額入りの写真を貼り替えた。本人も、それを見てご満悦。韓国で過ごすお正月は全く実感が沸かない。なぜだろう?やはり、韓国は旧暦を未だに使っているため、旧正月の2月1日にならないと実感が沸かないのだろうか?日本で言ういわゆる「帰省ラッシュ」なるものも、やはり旧正月に迎える。この時は皆帰省するため、ソウルの明洞や東大門など、普段は人でごった返している所も、人影がなくなるという・・・。札幌にいるお祖父ちゃん(息子にとって)に電話をして、新年のご挨拶。久々の孫の「そいえうぃあいおいおあ・・・」に喜びのお祖父ちゃん。さあ、今年はどんな一年になるか神様に期待し、走って行きたいと思う。ハレルヤ!!
Jan 1, 2003
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