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February 17, 2012
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カテゴリ: 日常
先週の土曜(11日)の夜、妻の母が亡くなった。
間質性肺炎で入院して、当初は10日~2週間の入院予定だったのが、思いの外重篤であると知り、長期の入院になりそうだと覚悟した。
ところが消化器に穴が空き、そのため敗血性ショックということで亡くなった。
9日木曜だったと思うが、四日市の病院まで行って帰ってきて間もなく、親族は集まるようにという呼び出しがかかって再び病院に向かった。金曜の朝にも呼び出しがあったら、さいわい私たちが病院に着いた頃にはだいぶ改善していた。金曜日はまだ会話が可能だった。
土曜日はもう会話は不可能だった。呼吸が苦しそうだ。しかし、こちらが言っている事は聞こえており、理解していると思えた。
以前愛北教会を牧していた吉岡先生は一度本当に死にかけた事がある。
その時、周囲の人たち(医師・看護師)は危篤ということでバタバタしていたが、危篤状態に陥っている当人は冷静に話されている事のすべてを理解していたそうだ。
おそらく義母もそういう状態なのだろうと思う。
一度、家に帰る事にした。日曜日の礼拝は休まないから、週報を作る等の物理的作業はやらなければならない。途中、「いつ頃来られるか」という電話が入った。血圧が下がって瞳孔が開きかけているという。まだ死ぬなと祈りつつ、週報を印刷するだけを残して車に急いだ。

医師による死亡確認はその後20:32になった。
義妹によると、母は3度ばかり大きく目を見開いてぎゅーっと口をすぼめたそうだ。彼女はそれを見て「行くぞ−」と言っているように受け取ったという。
私が引導を渡したということになるのだろう。
義妹のもう少し一緒にいたいという希望により、通夜は日曜ではなく月曜の夜、葬儀は火曜となった。
日曜日の礼拝は、ヨハネによる福音書5章のベトザタの池の回廊で38年も病に苦しんでいる人をイエスさまがいやし、後日会ったときに「あなたは良くなった のだ。もう、罪を犯してはいけない」と言われた話で「あなたは良くなった」というタイトルだった。義母が薬石効なく亡くなった翌日の説教題としては神さま からの最高のチャレンジだ。説教は次のように締めくくった。
「良くなったとはどういうことでしょうか。ただ単に病気が治った、手足が動くようになったということではありません。本来の人間性、つまり神のかたちが回 復されたということです。アダムとエバが創造されたときにいただいた神さまの息吹が再び聖霊の息吹として私たちに与えられたと言うことです。アダムとエバ は神のかたちの大事な要素である自由を用いて罪を犯しました。神に背いたのです。イエスさまはその自由を回復し神に従って生きよとおっしゃいます。その自 由は地上を歩く自由に留まりません。神さまの御国を歩く自由です。」

通夜では、住職が和讃「不退のくらゐ」について説教。
不退のくらいとは、現実と仏法の交差するところに立つ事とし、例として、MLキング牧師の「私は山頂に登ってきた」という説教の最後の部分を引用して、私 は山頂に登って神を見てきたのだからもう死も恐くないというこの境地こそが仏法に立つこと、そしてキング牧師は現実の問題に立ち向かった、これこそ不退の くらいに立つことだと説いた。この説教は明らかにクリスチャンである私と私の家族を意識したものだと思う。
後で葬儀屋さんに尋ねると、説教をする僧侶は約2割。この住職の説教はレベルが高く難しいという。私どもからすれば平易な伝道説教と感じるところだが、そ うではないらしい。葬儀屋さんは「キリスト教の葬儀の場合は信者さんの参列が多く、聞き慣れている方が多いから」と言うが、つまり日頃説教を聞き慣れてい ない新来会者には我々の易しい説教ですら難解ということなのだろう。
翌日午前の葬儀には副住職が勤められ、説教なし。初七日も副住職のはずだったが、住職夫人が来られた。終わった後、控え室に挨拶にうかがうと、急に亡くなった方がありこれからそちらに向かうという。「ご親戚だと思いますが…」
そういえば、朝、親戚の一人の方がもう一人の親戚を迎えに行ったら、誰も出て来ないし電話にも出ないと、心配しながら来られた。夕べちゃんと確認をしておいたのに…。それがそうだったのだ。






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Last updated  February 17, 2012 09:01:13 AM
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Re:義母の死と葬儀(02/17)  
最愛の娘の伴侶がそばにおられて
その祈りの中で、お母様は安らかに主の御元にたたれたのでしたね。
キリストにある人生の仕上げとしてふさわしかった。

ボクの妻の両親もそれぞれ妻の伝道を受けて
信仰を告白できましたが
公には出来ずに仏教の葬儀を受けました。

僧侶による葬儀もきっと真情こもったものになったことでしょう。
何しろそばで親族の牧師が見ていますから。

先生ご苦労様でした。

(February 17, 2012 09:25:06 AM)

Re:義母の死と葬儀(02/17)  
いろいろお疲れでしたね。
死に際しては、いろいろなことが起こります。
格別に奥様に主の慰めを祈ります。

私も先日ベトザタの病人の癒しについて
語りました。私は、あの病気の男ばかりでなく
私たちはみな病人だ、主イエスに癒やして
もらわねばならないと語りました。 (February 17, 2012 07:03:23 PM)

Re[1]:義母の死と葬儀(02/17)  
AGIOS  さん
やまひで0207さん

ありがとうございます。
義妹は前住職(既に住職の座を娘婿に譲っているそうです)の読経が「軽い」と不満です。
確かにさまざまな所作は若い新住職がいちばん丁寧ですが、仏法を生きている者に伝えようとしている点では前住職がいちばんです。
ただし、私たちの存在を意識しての「宗教間対話」かもしれません。
(February 25, 2012 10:36:47 AM)

Re[1]:義母の死と葬儀(02/17)  
AGIOS  さん
象さん123さん

ありがとうございます。
3月11日にはこの近隣のキリスト教学校が合同で3.11を覚えての追悼の祈りを行います。
その時のメッセージを依頼されていますので、義母の死とその周囲のさまざまな事を、3.11で亡くなった方々のお身内に重ねて見ています。 (February 25, 2012 10:40:25 AM)

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