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やまひで0207 @ Re:プレハブの掃除に行きました(05/04) 大学時代、奥多摩の山を歩き回りましたの…
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April 6, 2014
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カテゴリ: 信仰と教会
聖書 ローマ5:1-11
説教 「十字架の勝利」

神の栄光に与る希望
を私たちは持っている。これは誇りだ。この希望はどのようにして得られたか。
イエス・キリストへの信仰→義認→神との平和→今の恵み→神の栄光に与る希望。
苦難も誇りだ。苦難→忍耐→練達→希望。苦難も神の栄光に与る希望を生み出す。

希望の確証としての神の愛
 希望はこの世に生きている間、私たちが頑張る力を得るための幻想だろうか?そうではない。確かな保証がある。聖霊によって神の愛がわたしたちの心に注がれている。
 誰のためなら身代わりになって命を捨てることができるだろうか?正しい人のためになら身代わりになろうという人はまずいない。恩人のために身代わりになる人はあるかもしれない。しかしキリストはキリストに逆らい信じないわたしのために死んでくださった。わたしの罪の身代わりとなってご自分の血をもって神にとりなしてくださった。そうしてわたしの罪は神さまに赦していただくことができた。ここに神の愛がある。


 キリストが身代わりとなって死んでくださったことによって、私たちと神との関係は正しいものとなった。これを聖書の言葉では義という。これは、わたしたちが自分勝手に生きるのではなく、神さまの御心をたずねつつ御心に従って生きるということだ。もちろんそう願いつつもできないことだってあるだろう。だがそれは以前の神に背を向けて平気で生きているような姿勢ではない。神の赦しの信仰の中で悔い改めていくものである。
 まだ神に敵対している時に、イエス・キリストが身代わりとなってわたしたちが神に赦されたのであるから、キリストを信じて神に従う生活をしている今は、確かに救いを得た者として神とも人とも和解のうちを歩もう。





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Last updated  April 6, 2014 08:46:24 PM
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