原発エネルギーは日本経済には必要不可欠である 5月25日
『裁判官が日本を滅ぼす』との著書がある。作家の門田隆将さんが、ブログでコメントしていた。事故は、24時間介護している妻がまどろむ間に男性が家を出て起きた。裁判官と言えど人間である。体にも心にも血が通っているはずである。
認知症の患者から四六時中,目を離さないでいることは到底不可能な話ではないか。判決は列車が事故処理のため止まった時間に対し損害賠償を命じた。全国には五万人とも六万人とも言われる認知症の患者がいる。この判決は「血も涙もない判決」である。関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた福井地裁の判決にも、同じ「病理」が見える。
定期検査のために現在停止中の原発の再稼働をめぐっては、原子力規制委員会が、「世界一厳しい」といわれる、新たな規制基準に基づいて審査中だった。原子力エネルギーは日本の産業には欠かすことのできないベースエネルギーである。
原発の運転停止がもたらすのは、多額の貿易赤字だけではない。電気料金の値上がりによって、廃業に追い込まれる中小企業も少なくない。判決は、そうした「事情」をまったく無視したものである。そもそも判決文は、百パーセントの安全がなければ、原発の運転を認めないとしか読めない。
「科学」否定の暴論といわざるを得ない。この判決が全国の原発に適用されたとしたら日本経済の浮沈にかかわる重要な要素を含んでいる。同じ日に横浜地裁が言い渡した、厚木基地を使用する海上自衛隊機の夜間飛行差し止めの判決も、首をかしげる内容である。
すでに夜間の飛行を原則自粛している。自衛隊にさらなる足かせをはめれば、救難派遣や不審船の警戒活動に支障が出るのは目に見えている。それでいて、騒音の大半を引き起こす米軍機の飛行差し止めは退けた。だが日本国民の生命財産の保全は怪しいものとなろう。
こんな判決が続けば、本当に日本は滅びてしまう。この種の裁判が引き金になって,俳諧症状のある家族を抱える家庭では,いったいどのように対処すればよいと言うのだろうか。俳諧症状のある人の命も大事であるが,原発も日本経済を支える重要なものである。
この論理で全国の原発が廃止されたら大変なこととなろう。日本は法治国家であることはいうまでもない。判決には従わなければならない。だがこの論理で全国の原発が廃止されたら日本経済はどうなるか想像に難くはない。政府は法務大臣は,そろそろ指揮権発動を考慮しておかなければならないと思う。日本は資源の乏しい国である。現在では原発にしか頼る道はない。