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今年の漢字は『命』「まさしくそのとおり」だった私の一年でした。新幹線の駅まで迎えに来てくれた姉が「これ...」と本をくれました。↑産婦人科の院長先生が書かれた胎内記憶の絵本です。胎内記憶のあるお子さんとの会話形式で書かれています。流産についても触れられていました。勝手に抜粋したら、本当はダメなんでしょうが...(池川明先生 生まれる目的なんですけど、なんで赤ちゃんて生まれてくるのかな?)んと、いろんなことに役立つように生まれてくるんだと思います。(最初に役に立ちたいのはおかあさん?)おかあさんとか、おとうさんとか。(たとえば、赤ちゃんて無事生まれるばかりじゃなくて、流産してしまうこともあるのだけど、その子たちはなんのためにおなかにくるんだろう?)んーと、流産の場合は、外の世界を早く見たいって気持ちから生まれちゃうことが多くて。(それで、目的を果たしたら雲の上に帰っちゃう?)はい。(それ以外にはどんな意味があるのかな?)いのちの大切さとか、そういうのを知らせたっくて。(赤ちゃんは流産することで役に立ってるのかな?)役に立ってることがけっこうあります。(赤ちゃんはそれでうれしいの?)役に立ってうれしいって気持ちがあります。(ああ、うれしんだ。そうなんだ。)あとがきにはこうも書かれています。゛流産すると、おかあさんは何が悪かったのだろうかと、自分を責めてしまいがちです。けれどそれは、おかあさんが何をしたから流産になったというような、単純な問題ではありません。そもそも、そべての受精のうち、妊娠反応が出るまで受精卵が育つのは10回に1回にすぎませんし、その後も10%は流産になるのです。流産の原因は、染色体異常や栄養状態の問題にあると考えられていますが、たましいのレベルで問うなら、別の理由があるのかもしれません。赤ちゃんはほんの少しおなかの中にきてみたかっただけだったり、この時代・文化を体験したかっただけで、満足して雲の上に帰ってしまったのかもしれません。そして同時に、赤ちゃんは必ず、おかあさんにメッセージを伝えています。内容は人によってちがい、おかあさん本人が感じとるしかありませんが、いずれもおかあさんを励ますメッセージであるのは確かです。流産したおかあさんは、赤ちゃんが命をかけて伝えようとしたプレゼントを、どうか受けとってあげてください。゛私の場合...妊娠した事で分かった、子宮頸がんの高度異型性。実際、独身の時の健康診断で、オプションで婦人科検診も出来たものの、抵抗があり、受けなかったんです。早期発見出来た事に感謝して、治療していこうと思います。あと、改めて、母・姉・主人・友達...に支えられて私がいるんだなぁ~と気付かされました。みんな、ありがとう。
2006年12月27日
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3日から、実家の母が来てくれてます。明日、総合病院へ検診に行って許可がでたら、しばらく実家で静養する予定です。地元の友達は「何かあった時の為に、総合病院に行く人が多い」と言ってました。私は、里帰り出産だから...とネットで調べて評判のいい女医さんの分娩の出来ない個人病院に通ってました。今回の事があって、「どっちがいいなかなぁ~」と考えるようになりました。せっかく妊娠しても、無事出産出来るのは、7~8人だそうです。流産・早産の兆候が現れるものの妊娠を継続している状態で、22週までを『切迫流産』、22週から37週までを『切迫早産』と呼び、以外に多く、無事出産出来る場合がほとんどだそうです。自分が、切迫流産を経験するまで、全然知りませんでした。でも、自宅で、破水した時「48時間以内に胎児が出てきてしまう...」「17週では、育たない...」とどこかで覚悟はできてました。私、江原さんが好きで、本を読んだり、TVをみます。同じ時期に結婚した人はすでに親となり、後から結婚した友達も妊婦です。やっと、我が家にもやってきてくれたのに...初めての検診では、豆粒のように小さかったので、我が家では「豆子」と呼んでました。豆ちゃん、パパとママを選んできてくれてありがとう。短い間だったけど、ママは幸せでした。元気に産んであげられなくて、ごめんね。ママ、元気になるから、またパパとママも元にきてね。
2006年12月08日
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すごく、悲しいお知らせがあります。私、12月2日に流産しました。17W4D、妊娠5ヶ月でした。いわゆる安定期、前回の検診(11/15)はいたって順調、まさか私が...思ってもみなかた出来事です。以下、私個人が記しておきたいだけなので、とばして下さい。読んで、気分を害されたら、ごめんなさい。11/28 夜、おりものに血。11/29 産婦人科に行く。 「切迫流産するかもしれないから、自宅安静するように。」 流産予防の薬を1週間分もらう。12/1 お腹?腰?が痛く、夜寝れず。12/2 9時頃 産婦人科へ電話。「安静にしておくか、近くの総合病院へ入院。 痛ければ、今日診察するか、月曜日に診察。」 布団で横になるものの、痛くて寝れず。 16時40頃 破水 16時50頃 救急車で産婦人科へ 産婦人科の先生も一緒に総合病院へ 入院12/3 夜、退院12/2 17時20分 死亡 188g 20cm 性別 たぶん男の子12/4 火葬初めての妊娠。痛みの基準も何もわからず、子宮が収縮してるから、痛くてもしかたがないのかと思ってました。『あの時、入院していたら?』『すぐに、病院に行っていたら?』とも思います。『でも、同じ結果になっていたかも?』とも思います。書こうか、やめようか迷いました。でも、これも、事実。避けては通れません。ウソも書けません。だから、今、ありのままを書いてます。私と同じ、悲しい思いをする人を増やしたくない。事実を伝える事によって、防げるものなら、防いで欲しい。もしも、これを読んでいる妊婦さんがいたら...少しでも、異常を感じたら、すぐに、病院へ行って下さい。「そんな事、わかってる、してるよ。」ごめんなさい。そして、元気な子が産まれますように...
2006年12月04日
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