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子ども達と一緒に映画館へ!長女と次女は『子ぎつねへレン』長男は『ケロロ軍曹・かいけつゾロリ』え~~どっちも見たくない~その映画館・時間帯に合わせるとナルニア国物語かなってことでま~家族バラバラに思いのまま映画を観たわけです。内容や物語はおいといて映画からもらった私のインパクトのあったメッセージと私への問いです。これは映画の内容とはまったく関係ありません。。あしからず。なぜ、戦わなければならないのか?映画ではナルニア国をめぐって争うのですが『戦ってはダメ』となぜか心の中で叫びながら観てました。それは今までの私が感じたことの無いものでとても不思議な感覚でした。(今まで映画でそんなことをこだわって観ることなかったから。。)誰かを守るために戦うことも必要だと頭では考えるけど。。こころがそれを拒否していて『どうなんだろう~』と問い続けていました。誰のために戦うのか?他に方法がなかったのか?なぜ、ほかの地に移らないのか?土地を分けたらいいやんか。。。とか子どもみたいな答えですが、なぜそれができないのか?その答えはそれは誰かが全てを支配したいという欲求を満たすためだから。勝ちたいから。それともいい人は言うでしょう~悪をつぶすためと。悪ってなんでしょうか?人の中にも善と悪は混在していてそのどちらもあるから人なのだと思う私は悪を知って受け入れて、そしてどうするかを考えることが必要じゃん!排除したらいいのか?とモヤモヤが湧き上がる。こころと一緒で排除、蓋をしたところでますます暴れだすだけ本当の解決にはならないだろうと。。。その支配欲や偽善者が家族や仲間を殺されたという怒りを利用して戦わせる。これもまた汚い手だと感じます。逆に考えると、こんなすごいことでもなければ本来は殺し合いなんてできないのです。相手が悪いと洗脳されて怒りを利用する、利用される。誰が一番得してるねん!ってことです。死んだり、戦っている人だとは思えません。守られた家族なんでしょうか。。家族の死と引き換えの幸せってなんでしょうか?守るためなら戦わなくてもいいし守るために逃げることもできるはず。戦うってことは更なる犠牲者を生むだけ悲しむ人が増えるだけそれを相手のせいにするこで納得するんでしょうかお互いが守りたいものがある。その守りたいものが違うだけで守りたい気持ちには変わりないそこの共通点で一緒に共存できる方法を見つけ出すことが私は大切なのだと思いました。これは、社会や日常でもありがちなことですね。やはり、支配のために武力で戦うことを私は好まないのだと感じます。社会や家族のなかでの支配に対しての戦い方はとことん話し合う、向き合う。(これは気持ちと気持ち、考えと考えのぶつかり合い闘いともいえますがこちらはOKです。というか必要でしょう!)最終的に分かり合えないときは去る。ですかね・・もしくはそこにいる意味を変える。私のあり方をその場では変えて気持ちよく過ごせるようにする。やはりコーアクティブ(協働的)な関係をつくりたい。そんなことを考えた映画でした。
2006/03/29
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卒業式でした。いろんな想いがこころをめぐりました。ほんとうにいい友達と先生に恵まれた娘確かに辛いこともあったけど最後は全てを自分の強みにして卒業できたように感じます。女の子も男の子もそして担任の先生をはじめたくさんの先生がこころから泣いている姿に感動しました。素直に気持ちを表現できる場を彼女はもらっていたんだと感謝しました。卒業文集に彼女が書いた詩です。彼女の了解をえて、紹介します。。『私の宝物』みんなと会えたのは運命じゃなく奇跡だよね この世界63億人の中から出会えたなんて宝くじの一等ひくより難しいことだと思うどの宝石よりも綺麗でどの虹よりも美しくてきっとどの星よりも輝いているみんなとの思いではそんな感じ笑いあった日もすれ違いケンカした日もぜんぶ、ぜんぶ私の宝物みんなみんな ありがとう。
2006/03/19
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NPOりりあん主催『瞑想のワーク』に参加した。和室のお部屋は自然な御香の香りでリラックスモード自分の体の状態を絵にして感じてみました。インドの曲で30分間体をシェイク。。音にあわせて自由に踊る。。頭で考えモードになると変に恥ずかしさがあるんだけど体で感じているとかってに体が動いていく。。。もうそれは意識とは別もので。。ただただ、その空間に身をゆだねているだけ静かな音楽と共にブレイクし瞑想にはいる。それだけ体を動かした後だと考えることは無理。ただ、自分を感じる。。すると不思議にビジョン浮かんでくる。。自分では信じがたいのだけどそれは『天使』でした。深い緑が濃いそれは宮崎駿の映画『もののけ姫』にでてくるような森の中をひとりで楽しんでいる。。ひとりなんだけどたくさんの愛に見守られている。その後は真っ白な雲の上でひとりうずくまり眠っている。もうね。。あんなに安心できる場所はないというくらいそこでもたくさんの愛に包まれていて。。なんにもないんだけど満たされている。瞑想も終わりに近づき目を開けた瞬間『私。この世に生まれてきたんだ。。』なんてセリフが浮かんで涙があふれたのです。とてもとても満たされた体験でした。今の私の周りにもきっと瞑想で感じた愛があると確信できました。終わった後のみんなの顔は温泉から出てきたみたい。とてもいい時間を過ごせました。ナビゲーターのあびちゃんからのプレゼント一般公募の人権絵本原作コンクールで最優秀賞とった『ええぞカルロス』あびちゃん、ありがとう~♪
2006/03/16
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「今、ここ」というのを本などでは知っていた。今、ここの感覚を大切にすること。その感覚を最近少しつかめた感じがする。今、何を感じて何を思うのか。なぜ、そう思うのか。そう感じるのか。そこにもし、相手がいるなら何を伝えたいのか。どんな方法で。。それは「今」を頭でつかむのではなく体の奥で感じる私の場合は子宮のあたりから肩の下あたりで今、一番・一番伝えたいこと。何を大切に思うからこその行動か。肯定的な意図が必ずそこには存在する。その意図をしっかり感じて表現する。それができるようになって後から後悔しなくなった。自分にちゃんと正直に向き合えていることでの自己信頼がましていく感じ。。今までその場に流されていたり適当に発していた言葉や態度が存在したことに驚く。それはあまりにも無意識なスタイルになっていた。今を大切に生きるとはもしかしたら、こういうことなのか?答えは後から「生きている充実感」として受け取れるだろう。人と丁寧に関わることの心地よさそれは、自分と丁寧に関わること。そんな私に触れて、相手が自分自身のコアな部分に触れる。相手と自分のコアな部分に触れれる関係が私は好き。その部分でつながれる関係の心地よさを知るとますます「今 ここ」の大切さを感じる。
2006/03/11
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今日、友人と映画『阿弥陀堂だより』を見た。長野県飯山市を中心とした奥信濃と呼ばれる地域の四季折々の美しい風景と人としての生きかた。あり方を静かに語る映画でした。阿弥陀堂をまもるおうめ婆さんがとても可愛くて私はこんな人になりたいと思いました。人ではなく、魂で生きるとこんなふうになるような。。何もかもを受容し悲しみも喜びも、そして感謝の気持ちをそのまんまで表現できる。『今、ここ』を生きるとはこういうことだと感じました。今の私と重なる部分がたくさんあっておうめ婆さんの言葉にいっぱい泣きました。(ほんま涙もろいので。。)その他の台詞にもいっぱい泣きました。等身大の自分をかっこつけることなくそのまんまを表現すると、ただの日常がとてつもなく愛しく、かけがえのないものになるんだと気がつきました。自然に抱かれた風景に溶け込むようにして歩く夫婦。いつか私も誰かとあんなふうに時間を過ごしたい。。きっと、過ごせているような気がします。誰かと。。。
2006/03/09
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相変わらず思春期突入大波小波の海を航海している長女時には海の風にここちよく吹かれていたかと思うと荒れ狂う波に酔いつぶれる彼女酔っ払いの相手はご勘弁を~~と言いたいところだがワタシの前に座りクダをまく。昨日もクダをまく彼女に『よっこらしょ』と腰をすえて彼女の話に耳を傾けてみたものの何を言っても、何を言わなくても酔った彼女には通用せず。イヤイヤ。。銀座の一流ママなら上手くこの彼女になっとくいく対応ができたのかもしれない。しかし!ワタシは不出来なママでして。。最後には『もう寝る!』とドアを力いっぱい閉めて自分の部屋に去っていた。そんな彼女の後姿が寂しそうだった。。感情的にならずにちゃんと彼女と向き合ったと自分では思っていたし、その時 ワタシは分かり合えずにいたことがとても残念だった。そこで、目の前にあったノートを引きちぎり彼女宛にて紙を書いた。素直に自分の気持ちを書いた。彼女に一番何を伝えたいのか?★ワタシがあなたが大好きだということ★どんな時も何があってもママはあなたの味方だということ★あなたが怒ったりムカついている気持ちはわかったこと★おなたが怒って寝たしまって寂しかったこと★辛そうにするあなたを見てられなくて余計なアドバイスをしてしまうこと★あなたは優しくてみんなの気持ちよく考えていることをママは知っていること★ママに怒って感情をぶつけてくれるのを嬉しく思うことこんなことを手紙に書いた。朝 起きれないワタシは冷蔵庫にその手紙をはっておいた。そして今日、彼女の反応は。。。『そんなん今さら言われなくてもわかってるし』はったままになっていた手紙を「いる?」と聞くと『いらない♪』と。。なんだか嬉しくてその手紙はあっさりゴミ箱に捨てた。こんなそんなでこれからも彼女のと関係は親ではなく人として『正直』をキーワードに紡いでいきたいと思います。
2006/03/05
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ワタシを魅せる自己表現力アップセミナー2回目グループになった方から褒め言葉をいただくワークで一緒のグループだった知り合いのSさん。Sさんはとっても優しそうで癒してくれる人さりげない思いやりで人をそっと包んでくれてワタシの大好きな女性です。そのSさんからAKOさんをはじめて見た時遠めだったんだけど『とても優しそ~な感じだった』と。*◇▲?:!ワタシは自分で優しくないな~と思ってきたし幼い頃 両親や周りから弟とワタシが反対だったらと言われてきた。それはワタシは気が強くやんちゃで弟は優しい男の子だったから。そのレッテルは確かに間違っていないけどそれが全てではないのに全てだと思っていた。大人になってもその思いはワタシのどこかにあって自分を優しいとは思えないでいたしそれはワタシのコンプレックスだったんです。そして今日も素敵だな~と感じていたメセナを利用される女性に同じことを言われた。『AKOさんにはじめて会ったとき緊張がとけた感じだったんです』と。。。人に安心を与えるような優しい雰囲気としなやかな強さを持ちたいと思っていた。その思いは少なからず周りの人に伝わっていたんだ。。『思い』を大切にすることで自分では気づかないうちに『思い』ではなく『自分のもの』になっているのかもしれない。
2006/03/01
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