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2005年08月30日
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カテゴリ: 鎌倉・室町・戦国


 金閣(本当は鹿苑寺という)を作った足利義政とはどんな人だったのでしょうか?

 上が足利義満の肖像画です。当時は似顔絵の技術が発達していたので、室町時代の人でも顔がわかります。義満の顔はその目じりの下がった目がチャームポイント?です。他の肖像画や木造もそのような顔なので本当に似顔絵だったのでしょう。

 彼は生まれたときお祖父さんの尊氏の死後だったこともあり、諸国を逃げ回る子供時代をすごします。そんな時のエピソードをひとつ。

 逃亡時あるとき美しい山と海を目にした11歳の義満は家来の「この景色が美しいのでもって帰れ!」と命じます。当然そんなことはできないのですが、自分の権力が高まると次々と破天荒なことをやってのけます。

 京都に自分の屋敷の庭園を作るのに日本全国から季節の花を持ってこさせ、一年中花の咲いている「花の御所」を作ります。

 また一休さんの話の中で「屏風の虎を縛ってみろ」と命じたえらいお坊さんが出てきますが、これが義満です。これは一休さんが今の金閣寺に招かれたときのエピソードです。

 実現不可能なことを次々とやってのけた義満が最後にたどり着いたのがあの金閣造営でしょう。現代に残る義満唯一の作品です。

 義満死後、「花の御所」は後に戦争で跡形もなくなり、北山山荘も金閣以外は義満のことを嫌いだった長男義持にことごとく破壊されました。


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最終更新日  2005年08月30日 12時03分41秒
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