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2009年05月25日
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カテゴリ: いつか来た道
つい先日、近所の公園で遊んでいたら、上の息子が

見に行くとスズメのひながうずくまっていた。
よく見ると、パタパタとはばたく練習をしていて、
少しなら浮揚することができる。
でもまだまだおぼつかなくて、私も周りの子どもたちも
釘づけになってしまった。

どうして、こんなところに一羽だけ落っこちてきたんだろう。
スズメの生態はよくしらないんだけど、近くに巣があるような

空を見上げても親鳥が探している様子もない。
おそらく前日がひどく風の強い一日だったので、
風で吹き飛ばされてきたのかもしれない。
いずれにせよ、ひな鳥はひとりぼっちであることに
変わりはない。

「触ったら鳥インフルエンザになるで」
「踏むな、踏むな!」
と子どもたちは大騒ぎ。
最近は捨て犬、捨て猫も見かけることもないので、
子どもたちには珍しくて仕方ないようだ。

よく見ると何とかもう少しで飛べそうな感じ。

でも、その昔野鳥であるスズメは鳥かごでは飼えないと
聞いた記憶があったので、連れて帰るわけにもいかず。

暗くなってきたので、泣く泣く安全そうなところへスズメを
移してうちへ戻ってきた。

帰ってからも、息子はぐずぐず言っている。

「自然は厳しいのよ」と言いながら、
私も内心やりきれない気分だった。

この「やりきれない」感じ、久しぶりに感じた。


子どもの頃、私は動物が大好きだった。
うちでは小さい頃から、小鳥やうさぎ、カブトムシ、亀、
犬、猫と色んな動物を飼っていた。

そして、私の住んでいた街では、学校の行き帰りや、
友達と遊んでいるときにあちこちで色んな生き物に出会った。
野良犬、野良猫や、いわゆる「捨て犬」「捨て猫」を
見かけることもあった。

出会ってしまったら最後、気になって仕方がない。
親に隠れて牛乳を持ち出し捨て子猫に与える。
でも、もうすでに犬や猫を飼っていたので、うちでは
これ以上飼う事は無理だとわかっていた。
夕方、仕方なく子猫たちを置いて帰る。
そのときの「やりきれなさ」。

友達と協力して野良犬を餌付け。
小さな食料品店の裏のゴミ箱から残飯を探し、
野良犬に与える。
何日かそうやって、自分たちでは世話をしている
つもりになっていたが、野良犬は突然姿を見せなくなった。
おそらく保健所に連れて行かれたのだろう。
子どもが勝手に餌付けしているのをみて、誰かが電話をした
のかもしれない。
もう会えなくなった野良犬を探すときの「やりきれなさ」。

子ども心に小さな生き物が可愛くて可愛くて仕方ないのに、
自分たちではどうすることもできない。
でも、やっぱりまた「出会ってしまう」のだ。

そんな子どもだった私に、救世主が現れた。
近所の動物病院の松本先生だ。

自分で飼っていたインコを連れて行ったのがきっかけだが、
その先生は本当に動物を大切にしてくれた。
子ども心にこの人は周りの大人とは違う!と感じていた。

その日私と友達は拾った猫を抱えて、四苦八苦していた。
友達が登校時に見つけてきて、学校の倉庫の裏に隠しておいたのだが
給食の牛乳を与えても上手く飲めない。
ミャーミャーお腹が空いて鳴いているのだか、どうしても上手く飲めない。
生後間もないこともあり、どうやら目もちゃんと見えてないようだ。

放課後、段々弱っていく猫を抱えて、私と友達は途方にくれていた。
そして私は思い出した。「松本先生なら何とかしてくれる!?かも」。
早速恐る恐る動物病院のドアを開けた。もちろん、財布も何も持たずに。
事情を説明すると、先生は猫を優しく抱いて、注意深く観察した後、
鼻にミルクが詰まっていることを突き止めた。
スポイトのようなもので、ミルクをやるとすごい勢いで子猫はミルクを飲んだ。
私も友達も大喜び。
先生は飼い主を見つけてあげるからと言って、猫を預かってくれた。
もちろん一銭も取らずに。

今まで、「やりきれない」思いで別れてきた動物だちだったが、
初めてすがすがしい気持ちで家路に着いた。
私たちにとってはまさに救世主だった。

それから、傷ついた鳥や、こうもりなど、怪我をしているとわかった
時は私は迷わず先生の病院を訪ねた。
動物病院だし、さすがに元気な捨て犬を連れて行くのは、子供心に遠慮しておいた。
いつも先生は嫌な顔ひとつせずに、傷ついた動物を大切に引き取ってくれた。
もちろん、毎回無償で。

で、子どもの私は良かったのだが、大人になった私はめでたしめでたし
というわけには行かない。

先生は私の「やりきれなさ」を引き受けてくれていたんだ。

小さな命を大切に思う、その気持ち。
人間以上に厳しい環境の中で生きている動物たちの現実。
そして、人間だって生活していくことが大変なのに、
その中で、自らの犠牲を払って、傷ついた動物たちの面倒を見るということの意味。
子どもの私はそんなこと到底知りもせず、そのなんだか「やりきれない」気持ちを
先生にぶつけていたのかもしれない。
そして、先生は一人の大人として、ひとつの答えを持って小さな私の
気持ちを受け止めてくれた。
その意味が大人になってわかればわかるほど、先生の大きさに
ただただ、頭が下がる。
これはなんとしてもお礼を言わねば、と思っていたら、
先生が亡くなったとの知らせを聞いた。

先生はその後もずっと「儲け主義」とは程遠く慎ましやかに
動物病院を続け、まだまだ若くして亡くなられたという。
ああ、なんとういういことだろう。
いい人に限って、早く亡くなるのが世の常。


私は先生の影響で、「獣医師」になりたいと子ども心に
思っていたのに、結局その道には進まず。
今日だって、スズメのひなを公園に置いてきた。

それでも、私が小さいころから沢山出会ってきた
無数の小さな命は、私の心を充分に揺さぶったし、
やっぱり地球で人間が偉そうに振舞っていていいのかといったら、
そんなはずはない。
色んな命のなかで、もみくちゃにされながら生きていくしかない。
だから、「やりきれない」気持ちは当然で、それくらいは
しっかり噛み締めて生きていかねば・・・と思うのである。

ああ、だからこそ、松本先生の存在は私にとって救いだった。
本当に感謝感謝なのである。
ご冥福、心からお祈りします。









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最終更新日  2009年05月28日 23時34分53秒
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