あま野球日記@大学野球

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2007.12.19
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カテゴリ: プロ野球
埼玉・浦和学院高の先輩、後輩である2人のプロ
野球選手が今季、明暗を分けた。


まずヤクルト・ 坂元弥太郎
ファームでこそ18セーブを挙げて、イースタン記録
を樹立したものの、一軍では2試合出場に止まった
ため、年俸ダウンで渋い表情。


そして、坂元の一年後輩の広島・ 大竹寛 。今季は
9勝7敗、防御率3.77と、過去5年間の中では顕著
な成績を残し、年俸が大幅にアップした。
「(黒田が移籍し)来季はエースとして初の開幕投手
を狙いたい。そしてノルマは最低2ケタ勝利と170
イニング登板を達成したい」

と、鼻息が荒かった。




2000年、坂元(当時3年)と大竹(当時2年)は
浦和学院高・エースの座を激しく競った。
森士 (もり・おさむ)監督は、5~6月の大事な時期
に乱調の続く坂元に見切りをつけ、夏の大会のエースを
大竹と考えていた。


だが、その監督の微妙な気配を敏感に感じ取った坂元、
落ち込まずに開き直ったことで道が開けた。
「結果を求めるだけでは空回りする。野球を楽しもう」


見事にエースナンバーを獲得した坂元、埼玉県予選を勝ち
抜いて甲子園出場を果たした。埼玉県決勝の相手は春日部
共栄高。当時 「関東No.1投手」 の呼び声が高かった
中里篤史 (現・中日)に延長10回を投げ勝っての甲子園
切符だった。


甲子園では坂元がひとりで投げ切り、大竹が甲子園の
マウンドを踏むことはなかった。戦績は、1回戦で八幡商高
にスコア2-1で勝利したものの、2回戦では柳川高に
1-5で敗退した。柳川のエースは現・オリックスの 香月良太
だった。


2回戦で敗退したものの、この甲子園は坂元を一気にプレイク
させた。八幡商相手に19奪三振、敗れたとはいえ柳川からは
16三振を奪い、2試合連続の毎回奪三振を記録した。また、
高校入学前に亡くなったお母さんの写真を身につけての力投は、
プレーと同様、話題になった。

※「2試合連続毎回奪三振」記録。
これは 板東英二 氏(現・タレント、徳島商高)以来、史上4人目
の記録となっている。





翌年の2001年夏、今度こそと大竹が浦和学院のエースとして
埼玉県予選を戦ったが、惜しくもベスト8で敗退し、甲子園出場
は叶わなかった。




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Last updated  2007.12.20 01:17:19
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すごい争いですね  
浜店1919  さん
坂元と大竹...先輩と後輩でいろいろあるでしょうね,感情の機微が....

板東さん,あらためて・・・すごい投手だったんですね(笑) (2007.12.22 01:15:03)

Re:すごい争いですね(12/19)  
浜店1919さん
>坂元と大竹...先輩と後輩でいろいろあるでしょうね,感情の機微が....

>板東さん,あらためて・・・すごい投手だったんですね(笑)
-----
テレビで言ってましたが、若い人は「板東さんが
プロ野球選手だったことを知らない」そうですね。

私は現役時代を多少知っていますが、結構好きな
投手でした。
(2007.12.22 16:38:49)

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