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インブリ―事件が起きた1890(明治23)年頃の野球界の中心は、今とは少し顔ぶれが違っていた。学習院、東京英和学校(のちの青山学院)、そして明治学院などだった。 その明治学院の初代主将を務めたのは、後に白洲次郎の父となる白洲文平だった。歴史の端々には、思わぬつながりが潜んでいる。※「インブリ―事件」が残した功績。インブリー事件を機に、一高は野球を「校技」とし、名誉挽回のため猛練習を開始。エリート意識を強め、「精神野球」の原点となった。明治23年には白金、溜池を破り、翌年には連合軍にも勝利。一高精神野球は無敵となった。
2025.02.08
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1903年11月21日、日本野球史に刻まれる日。早慶戦の初顔合わせである。早稲田のスタメンには、青山学院(橋戸信)、郁文館(押川清)と名門校出身選手たちが並ぶ。 その中に、岩手の先人、4番・小原益遠、5番・獅子内謹一郎の名があった。いずれも岩手・盛岡中出身と知り、嬉しくなった。 獅子内の中学時代の同級生に石川啄木がいたという。
2025.02.06
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