あま野球日記@大学野球

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2008.01.29
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テーマ: 高校野球(3735)
カテゴリ: 高校野球
高校野球の名門・松山商高を18年間も率いた
澤田勝彦 さんという有名な監督(06年9月辞任)
がいる。

『メンタル・コーチング』(織田淳太郎著、光文社新書)
という書籍を読んで、澤田さんの確固とした信念に基づく
指導法を知った。




それは、「決してスター選手を作らない」こと。
言葉を換えれば、「個人を特別扱いしない」こと。



わけではない。個人の力なんて大したことはない。だから
決して個人を褒めることはしない。レギュラーだろうと、
補欠だろうと、すべて一律の目で見ることに徹すること。


その理由について、澤田さん本人が説明している。
「私が最も危惧していたことは、選手が自分を特別な存在と
勘違いしてしまうことなのです。スターに祭り上げられると
慢心が芽生えてしまいます。そうなると、他の選手が
その選手に頼ってしまうことがあります。
結果、1×9=9にならず2か3で止まります」


「部員全員が『オレは下手くそだ。だから我を忘れてガムシャラ
にやるしかないんだ』という気持ちをもつことで、大きな力が
生まれるものだと思っています」





その指導法が効を奏したのだろう。
18年間の監督生活において、6回の甲子園出場と全国制覇
(1回)を果たしている。


96年夏に全国を沸かせた 「奇跡のバックホーム」 は、この
指導法の賜物だったといえる(詳細は後日)。澤田さん、

ある。


松山商高の同級生に 西本聖 (元・読売)がいた。
この西本、高校入学後すぐの春季予選でさっそくマウンドに
立ち、四国大会でいきなり優勝する離れ技を演じてしまう。



「これで5季連続で甲子園は間違いないな」と。
だが、結論から言うと一度も甲子園の土を踏むことはなかった。


西本べったりの監督、西本ひとりにオンブし監督の目を盗み
さぼることしか考えなかった選手たち。選手間もギクシャクし
ハッキリ言って、チームはバラバラだった。




73年、エース・西本を擁した松山商高は栃木に遠征し、
江川卓 (法政大)のいた作新学院高と練習試合を行った。
西本、作新打線をたった2安打に抑えたものの、スコアは
0-2で敗れてしまう。投打のアンバランスが象徴的に起きた
試合だったと、澤田さんは述壊していた。


決して選手を甘やかすわけでなく、かといって昔さながらに
鉄拳をふるうわけでなく、冷静に選手に対面し「自我」を
取り除く指導法は興味深い。


ただ、ひとつ思い出したことがある。
江川も後年、高校時代を振り返って言っていたことがある。
「自分だけが浮いているような気がして、ほかの選手たちへの
気配りを心がけた」



怪物・江川の作新学院も全国制覇することはなかった。
スター選手のいる甲子園優勝候補のチームが、現実にはなかなか
勝ち進めないのは、やはり前述した理由が影響しているのだろうか。



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Last updated  2008.01.30 02:40:31
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お久しぶりです  
よしくん さん
遅くなりましたが、今年もアマチュア野球を盛り上げていきましょう!
取り急ぎ、ご挨拶まで。 (2008.02.01 11:37:51)

Re:お久しぶりです(01/29)  
よしくんさん
>遅くなりましたが、今年もアマチュア野球を盛り上げていきましょう!
>取り急ぎ、ご挨拶まで。
-----
はい、よろしくです。 (2008.02.03 23:18:10)

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