村田修一
、昨年(2008年)も国際大会(北京五輪)に出場した。だが大不振に陥り、
23打数2安打、打率は1割に満たない8分7厘。先ほど放送されたスポーツニュース
では 「北京五輪では、国際大会のプレッシャーに負けた」
と述懐していた。そして、
「未熟児で生まれ生死の淵をさ迷いながら生き抜いた、3歳になる息子のためにも
頑張って金メダルを持ち帰りたい」
と抱負を語っていた。
村田修一
(東福岡高時代-日本大)
<東福岡高時代>
1998年、高校3年春・夏の2回、甲子園に出場している。
春は1回戦出雲北陵高に5-0で圧勝したものの、2回戦で 松坂大輔
(現・レッドソッ
クス)を擁する横浜高にスコア0-3で完封負けを喫した。村田、意外にも高校時代
のポジションは投手。 後藤武敏
(現・西武)にはダメ押しの本塁打を打たれた。
同年夏は1回戦で 古木克明
(現・オリックス)のいた豊田大谷高に4-6で敗退した。
この試合では、村田が牽制で2回刺されるミスを犯したのもチームにとって痛かった。
■チームメイト■
一学年下には 田中賢介
(現・日本ハム)。 2学年下には 吉村裕基
(現・横浜)や
上園啓史
(現・阪神、武蔵大)がいた。
■福岡県内のライバル■
柳川高に 林威助
(現・阪神、近畿大)、九州国際大付高には 加藤大輔
(現・オリックス、
神奈川大)らがいた。
■甲子園のライバル■
上記のとおり。
<日本大時代>
本人いわく 「打者にならなければ松坂(大輔)に勝てない」
と考え、大学入学後は野手
に転向(wikipedia)、歴代2位タイとなる20本塁打を放ち、ベストナインには4回も
選ばれる長距離砲だった。
たしか2002年の秋季リーグ。ボクは何の予備知識もなく、日本大にいた村田修一
の打撃を見たことがある。大きな弧を描いてレフトスタンドに突き刺さる村田の本塁打
はもちろん、ガッシリした身体で堂々とダイヤモンドを走る姿は、村田修一という名前
を記憶するのに十分な迫力があった。
■大学時代のチームメイト■
館山昌平
(現・ヤクルト、日大藤沢高)や高校時代もチームメイトだった 大野隆治
(元・
ホークス、東福岡高)。そして現在も横浜のチームメイトである 那須野巧
(駒場学園高)
もいた。
■東都リーグのライバル■
亜細亜大 : 永川勝浩
(現・広島、新庄高)、 木佐貫洋
(現・読売、川内高)、
小山良男
(元・中日、横浜高)
専修大 : 江草仁貴
(現・阪神、盈進高)
中央大 : 亀井義行
(現・読売、上宮太子高)
東洋大 : 岩舘学
(現・読売、成田高) ほか
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