■明治維新から5年後の1872年、開成学校(東大の前身)の数学・英語教師と
して来日した ホーレス・ウイルソン
が、最初に日本に野球を伝えたと言われて
いる。
■ただ当時の「野球」は現在とはまるで違っていて、あくまで打者優先のものだった。
書籍『にっぽん野球の系譜学』(坂上康博著、青弓社刊)に、当時の様子が詳しく
書かれている。
(1)ピッチャーは下から球を放る。ホームベースの上を通過し、ワンバウンドした
後にキャッチャーが素手で受け止める
(2)打者は自分の打ちやすい「高さ」(3種類)を選んで投手に要求することができる。
「自分の目から胸まで(High ball)」、「胸から腰まで(Faiv)」、「腰から膝まで(Low)」。
(3)つまり、ピッチャーは打者に打ちやすい球を投げることが役割だった。ボール
(悪球)は9球まで認められていたものの、上記のようにストライクゾーンが限定されて
いたため、奪三振が容易でなく、打者が空振りしない限りストライクが宣告されることは
滅多になかった。
(4)打者にとっては、ファールはいくら打ってもファールであり、ストライクにはカウント
されることはなかった。
まるで、ボクらが小学生低学年の頃にやっていた「草野球」そのものだ。
※ちなみに投手が上から投げるようになったのは、1884年頃になってから。
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