先週日曜日(7月26日)から約1週間、沖縄へ。首里に行く途中、モノレール
から(この夏甲子園に出場する)興南高校野球部のグラウンドが見えた時には、
ただそれだけなのに不思議と興奮した。
なぜかボクは、強豪高のグラウンドとかユニフォームとか、そういったものを
ナマで見ると嬉しくなる習性があるらしい。数年前、関東大会で初めて東海大
相模高のユニフォームを見た時も同じように興奮したし、埼玉・浦和学院高の
グラウンドを初めて見た時もひどく感動したっけ。
以前、NHKが現ロッテ・ 大嶺祐太
の高校時代を特集していたことがあった。
興南高のグラウンドを見、これまでの記憶をたどっている内、ボクはその番組
のことを思い出していた。
それは沖縄・八重山商工高に埼玉・浦和学院高から「野球の厳しさ」を教え
られた逸話だった。
大嶺のいた八重山商工高、それなりに全国的な注目を集めるチームでは
あったけど、離島育ちの高校生といった特性のせいか、朝寝坊や練習をさぼる
選手たちが当たり前のように存在する、「生ぬるい空気」をもったチームでも
あった。
伊志嶺吉盛
監督は、「野球の厳しさを教えないことには全国で
勝ち進むことはできない」と考え、全国レベルにある学校の練習風景を選手
たちに直(じか)に見せることを決断した。見学に選んだ先は、沖縄から遥か
約1600kmも離れた埼玉の浦和学院高。
遠征費用をどうにか工面して訪れた浦和学院のグラウンド。八重山商工高
のナインは、浦学選手たちの練習風景や姿勢を見て目を丸くした。全国的に
強豪と呼ばれる高校は、いつもこんなに厳しい練習をやっているものなのか!?
と。
沖縄に戻った後は、これまでの自分たちの練習態度を素直に反省し、新たな
気持ちで練習に取り組んだ。その結果、八重山商工は2006年春夏の甲子園
に連続出場(2006年)を果たしたのだった。
◇ 沖縄の高校野球部
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「1958年、捨てられた甲子園の土」
(2007.5.8) →
こちら
へ。
「首里高・仲宗根弘さん(68歳)」
(2008.8.1) →
こちら
へ。
◇ 高校野球、沖縄vs埼玉
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「沖縄水産高・新垣渚vs埼玉栄高・大島裕行」
(2007.4.14) →
こちら
へ。
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