先日、1945年(昭和20年)11月23日に復活した職業野球「東西対抗戦」
のスタメンを書いた。今日は、 「日本野球連盟勤労報国隊」
が主催し1943年
(昭和18年)11月に後楽園球場や甲子園球場で行われた東西対抗戦(全6戦)
のメンバーを。
◇ 職業野球
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「戦後、職業野球の復活(2)」
(2009.8.1) →
こちら
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※一番左の数字は「背番号」、一番右( )内の数字は当時の年齢。
【東軍】
( 監督)
30 中島治康
巨人、早稲田大、(35)
(投手)
35 藤本英雄
巨人、明治大、(26)
18 野口二郎
西鉄、中京商、(24)
26 石丸進一
名古屋、佐賀商、(22)
17 片山栄次
大和、全静岡、(22)
(捕手)
22 藤原鉄之助
名古屋、帝京商、(25)
25 中村民雄
西鉄、熊本工、(27)
(内野手)
8 野口 明
西鉄、明治大、(27)
12 石丸藤吉
名古屋、佐賀商、(30)
2 中村信一
西鉄、法政大、(31)
8 白石敏男
巨人、広陵中、(26)
32 小鶴 誠
名古屋、飯塚商、(22)
8 木村孝平
大和、浪速商(23)
(外野手)
23 呉 昌征
巨人、嘉義農林、(28)
5 加藤正二
名古屋、中央大、(29)
15 吉田猪佐喜
名古屋、熊本工、(29)
24 古川清蔵
名古屋、鹿児島商、(22)
17 西沢道夫
名古屋、養成、(21)
【西軍】
(監督)
30 若林忠志
阪神、法政大、(36)
(投手)
18 真田重蔵
朝日、海草中、(21)
19 内藤幸三
朝日、東京市立商、(28)
38 三輪八郎
阪神、高崎中、(23)
17 笠松 実
阪急、横浜専門、(28)
(捕手)
17 門前真佐人
阪神、広陵中、(27)
15 小林章良
朝日、滝川中、(21)
(内野手)
6 景浦 将
阪神、松山商、(29)
10 藤村富美男
阪神、呉港中、(28)
23 中谷準次
朝日、和歌山商、(26)
6 酒沢政夫
朝日、育英商、(20)
5 上田藤夫
阪急、マウイ高、(31)
12 大友一朗
朝日、島田商、(28)
(外野手)
8 坪内道則
朝日、立教大、(30)
22 塚本博○
阪神、呉港中、(26)
2 下社邦男
阪急、享栄商、(21)
15 御園生崇男
阪神、関西大、(33)
11 山田 伝
阪急、エリグローブ高、(30)
■このメンバー表は『鈴木竜二回顧録』(ベースボール・マガジン社刊)から引用した。
同書には次のようなことも記されていた。
「この大会で第3戦と第6戦に登板した名古屋の 石丸進一
、第5戦によく投げた
阪神の 三輪八郎
、同じ阪神の 景浦将
などはこの試合が最後でついに還らなかった。
(中略)この東西対抗戦を最後に多くの選手が軍隊に入り、戦火に散った」
また、当時のスター選手たちの多くはすでに戦場に行っており、この「東西対抗戦」
には出場していない。大スターだった 沢村栄治
も残念ながら出場していない。
この記事は「ボクにとっての日本野球史」の中で、次の期に属します。
→ (第4期) 1925年(大正14年)、東京六大学リーグが成立し、早慶戦が復活した時以降
「ボクにとっての日本野球史」
(2009.7.1)、 INDEXは こちら
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