東都大学リーグが昨日(9月5日)開幕したのに続き、来週(12日)からは
東京六大学リーグが始まる。
東都と同様、熱戦を期待したい。興味のポイントは法政大連覇の可能性、
そして早稲田大・明治大の巻き返しはあるか等々。
この点は、後日書きます。
さて、話題を変えて。
そもそも東京六大学は、早・慶・明・法・立・東の6大学なのか、ボクはよく
知らないことも多いので、その設立の経緯を簡単に調べてみた。まだまだ
時間を要する作業だけど、今後は今回の記事を基にそれぞれ出来事の
詳細を記していきたいと思っている。
※ただ、内容によっては諸説あるらしく、ここで書くことが(参考資料によって
は、結果として)偏った見方になってしまう可能性もありそうなので、あらかじ
めご了承いただきたい。
<設立の経緯>
・1903年(明治36年)11月21日、早稲田大が慶應義塾大に挑戦状を出し、
初めて早慶戦が実施される。
・1906年(明治39年)11月10日、両校の応援が過熱化。早慶戦は開始
からわずか3年で中止になる。
・1914年(大正3年)10月29日、明治大が早慶両校の間を取り持つ格好で
三大学リーグを結成した。
・1917年(大正6年)春、明治大と友好関係にあった法政大が加盟し、四大学
リーグになる。
・1921年(大正10年)秋、 立教大が加盟し五大学リーグになる。
・1925年(大正14年)秋、東京帝国大が加盟し東京六大学リーグが成立した。
と同時に1906年以来対戦のなかった早慶戦が復活する。
<この六つの大学から構成された理由>
・4番目に法政大が加盟した理由
汲む法政大は明治大と友好関係にあり、明治大が加盟したことで法政大が
4番目に加盟することは明白だった。
・5番目に立教大が加盟した理由
これは様々な説がある。早稲田大・ 飛田穂洲
氏が六大学構成の実権を握って
いたため、氏の指導を受けていた立教が加盟したという説がある。ただそれならば、
中央大が立教より早く氏の指導を受けていたので、5番目は中央大でもよかった。
なのに立教になった理由は、自由民権運動に関する大学の立ち位置の違いにより、
明治や法政と反目していた中央(そして専修大)ではなく、立教が消去法で残った
のが実情のようだ。
・6番目に東京帝国大が加盟した理由
ここでも諸説がある。野球における早-慶、明-法の対抗関係があるならば、立教の
好敵手は東京大でなく青山学院大や明治学院大でもよかった。というより、この2校
の野球部は実力的にも高く、この2校の方がよかったともいえる。ただ青山学院は
早稲田と親密な関係にあり、明治学院は慶應と交流があったため、早・慶の感情を
配慮し、結局は早慶明法と学問的な交流のあった東京帝大が加盟したようだ。
※参考:Wikipedia 、『六大学野球』(現代書館刊)ほか
「ボクにとっての日本野球史」
(2009.7.1)、INDEXは こちら
へ。
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