前回の続き。
■1973年の東京六大学リーグは、前年秋まで慶應義塾大が3連覇したものの、エース左腕・荻野友康が卒業。慶應の戦力はダウンし低迷期に入った。代わって、春は 鍛治舎巧
、中村勝広らがいる早稲田大が、そして秋は明治大が優勝した。
当時の東京六大学春季リーグのベストナインは以下のとおり。(主な選手のみ記載)
<捕手>楠城徹(早)
<一塁手>山本功児(法)
<遊撃手>山下大輔(慶)
<外野手>鍛治舎巧(早)
ボクは、なぜか鍛治舎さんのことをよく憶えている。当時はしょっちゅうNHKで東京六大学や早慶戦を放送していたから、変わった苗字だったことや堂々とした打席の姿が強く印象に残ったのだと思う。その後、しばらく鍛治舎さんの名前を忘れていたが、高校野球の解説者をされている時、再び鍛治舎さんの名前を思い出した。
打席の雰囲気と違い、鍛治舎さんの語り口はソフト。そしてとても分かりやすかった。ボクにとって高校野球解説者のNo1は、この鍛治舎さん。アナウンサーは島村俊治さんだった。今後この2人が組む実況を聞くことはないはずだ。残念。
■鍛治舎巧さんのこと。(wikipediaより)
県岐阜商高の3年時、センバツ準々決勝で間柴茂有(比叡山高)から本塁打を放ち、これが大会通算100号本塁打となった。その後、早稲田大に進学。5季連続打率3割を超える成績で活躍し、1973年春季リーグ戦の優勝に貢献した。また、日米大学野球で日本代表の4番打者を務めた。
早大卒業後は松下電器産業(現・パナソニック)に入社。2年目にプロ野球・阪神からドラフト2位指名を受けるが入団を拒否し、以降も松下でプレーを続け1980年に引退した。
引退後は社業に専念し1987年~1991年まで松下電器野球部の監督をした。また少年野球ではボーイズリーグのチーム「オール枚方ボーイズ」の監督も務めており、3度優勝に導いている。
<投手>
小林 秀一
(愛知学院大)
田尾 安志
※当時は二刀流だった。
(同志社大)
<捕手>
楠城 徹
(早稲田大)
<内野手>
山本 功児
(法政大)
中畑 清
(駒沢大)
佐野 仙好
(中央大)
山下 大輔
(慶応大)
<外野手>
鍛治舎 巧
(早稲田大)
藤波 行雄
(中央大)
■田尾安志、楠城徹、山下大輔。この3人は、楽天イーグルス初優勝への貢献でも共通点がある。田尾は初代監督(2005年)、楠城はスカウト部長・編成部長等(2005年~2012年)、そして山下は一軍ヘッドコーチ・二軍監督・編成本部長等(2005年~2007年)を歴任した。
(写真)早稲田大時代の鍛治舎巧さん ~ 『東京六大学野球80年史』(ベースボール・マガジン社)より ~
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