■1972年、モービルガソリンのCMソング「のんびり行こうよ、俺たちは~♪」が流行った。しかし、この年はあまり「のんびり」してはいなかった。
歴代最年少首相に就いた田中角栄が早々に日中国交正常化を実現すると、『日本列島改造論』を発表して世間の話題をさらった。また、核マル派の内ゲバ、あさま山荘事件、沖縄返還、横井庄一さんがグァム島で発見され、海外ではウォーターゲート事件が発覚した。
なんと慌ただしいことよ、まさに疾風のごとく駆け抜けた1年だった。球界でもダイヤモンドを疾走し、年間盗塁数の日本新記録、世界新記録の金字塔を作った選手がいた。
阪急ブレーブスの韋駄天・ 福本豊
である。
大和球士は、この場面をこう書いた。
あっ、走った。野村が二塁ベースへ向かって投げた。送球はワンバウンドした。福本がスライディングして二塁にすっくと立った。セーフ。福本がスタンドからは大きく見えた。105個目の盗塁なる。
-世界新記録
がいま作られた。かねてからこの日を待って二階からぶらさげられていた大きなクス玉が二個、割れて紙吹雪が綺麗に舞った。福本は両手をあげて大拍手にこたえた。いよいよ拍手の音強まる中、二塁ベースが取り外されて「世界新記録の記念品」として福本に贈られた。そのあとに代替ベースが打ち込まれた。記念品のベースを右手でかざして福本はもう一度、スタンドに頭をさげた。 (『野球百年』より)
福本、1988年の引退まで現役生活20年。成功した通算盗塁数1065、失敗は299だった。
■韋駄天と言えば、ボクはロッテにいた代走屋・飯島秀雄(1969年~71年)を思い出す。飯島はオリンピックの短距離走で活躍した世界ランナー、100mで10秒1の記録をもっていた。野球にはズブの素人だが、五輪選手ゆえ「いったいどれだけ盗塁を決めるのか」。当初、ボクは飯島の入団に期待を抱いていた。
しかし、短距離走と盗塁の技術はまったく異なる。飯島の通算成績(3年間)で、盗塁成功数23、失敗17は、その証左である。
(写真)福本豊。 ~『スポーツ20世紀 プロ野球スーパーヒーロー伝説』(ベースボールマガジン社)より~
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