2014年1月、skyAが放送した番組『高校野球名将列伝』を基に記載しました。
■大阪桐蔭の強さの秘訣は、選手が書く「野球ノート」だという。これは選手と 西谷浩一
監督の欠くことのできないコミュニケーション・ツール。わからないことや相談、悩み事を選手が書き、西谷が日々答えるというもの。西谷は言う。
「ノートの書き方によって、成長の度合いがわかります。1年生と3年生は書くことがまるで違う。また、内容や字の雑さによって練習への集中の度合いもわかります。必要があれば、例えベンチ入りしていない選手であっても、練習後に声をかけて話も聞くし、バッティングフォームを見ることもあります」。
たとえベンチ入りしていない選手であっても、彼らとのコミュニケーションも大切にしたい。それは後述する西谷の一貫したポリシー「一球同心」が根底にある。監督とすべての選手がひとつになって、初めて戦力が強化できるといった考え方だ。
■訥々と、しかも、言葉を慎重に選びながら話す語り口、これは西谷の特徴でもある。しかし、これまでの監督生活で一番悔しかった試合を尋ねられると、表情が曇った。2001年夏の大阪府大会決勝(対上宮太子戦)がそれだという。
「あの時はねえ、岩田稔(現・阪神)や中村剛也(現・西武)、そして一学年下に西岡剛(現・阪神)がいましてね。選手たちは粘りに粘って大量点差を追いつき、延長11回まで頑張ってくれたんですが、結局自分のせいで選手たちを甲子園に連れて行けなかったことです。その無念が、私の原点ですね」。
その後、この時の経験をバネにしてチームを鍛え上げた。そして2008年夏、西谷率いる大阪桐蔭として初めて全国制覇(※)する。これも西谷にとって思い出深い試合の一つ。
「特に初戦の金沢戦で浅村栄斗(現・西武)が打った本塁打が大きかった。浅村の強い気持ちがチームに良い影響を与え、この試合で弾みがついた。そして一戦一戦、戦いながら強くなった」。
(※)大阪桐蔭としては1990年春に初出場初優勝の記録がある。当時の監督は長沢和雄)。
■野球部の部訓は「一球同心」。これは西谷の熱い思いが込められている。
「一つのボールに対して、本当に全員が同じ心で戦えるか。ふつう、それはとても難しいこと。野球は決して9人でやるものではない。みんながレギュラーを目指して練習するが、ベンチに入っても試合に出られない選手もいれば、ベンチにも入れず裏方で支える選手もいる。しかしそうであっても、全員が本当に同じ心をもって戦うことが、試合の勝利以上に大切。「一球同心」を成し遂げて優勝すること、それが究極の目標です」。
大阪桐蔭は創部からまだ30余年だが、卒業するときは選手全員が「練習は苦しかったけれど、大阪桐蔭で野球をやってよかった」と思ってもらえるよう、日頃から指導している。この経験が大学や社会に進んでから役立つ。そのためにも苦しい練習の成果として、甲子園を目標にする。
西谷の高校時代と今の選手たちを取り巻く社会や環境は大きく異なる。しかし時代がいかに変わろうとも、甲子園は普遍的なものと信じる。
高校野球名将列伝(その1)帝京高・前田三夫監督「皆に拍手される野球をやろう!」
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高校野球名将列伝(その3)星稜高・山下智茂監督「野球観を変えた、対箕島・延長18回の死闘」 http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201401090000/
(写真)今日の準々決勝(対常総学院戦)で指揮を執る西谷浩一監督。(NHKより)
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