あま野球日記@大学野球

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2018.06.10
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テーマ: 高校野球(3737)
カテゴリ: 高校野球
元駒大苫小牧監督の 香田誉士史 さんが率いる西部ガス(福岡市)が都市対抗出場を決めました。香田さんは野球部が創部された2012年から同部のコーチに。そして昨年11月に監督に就任していました。



香田誉士史さん。あまりに有名ですが、その略歴を振り返ります。



高校時代、佐賀商では外野手として甲子園に3度出場。その後に駒沢大へ。選手としてこれといった実績はなかったけれど、卒業後の1994年、母校・佐賀商コーチ時代に甲子園優勝を経験しました。決勝の相手は樟南。4-4で迎えた9回表、二死満塁の場面で主将西原が満塁本塁打を放ち優勝を決めました。決勝戦の満塁本塁打は夏史上初、佐賀県勢の全国制覇は春夏通じて初の快挙でした(佐賀には決勝の満塁本塁打がつきものでしょうか。佐賀北を思い出します)。



その後、1995年、恩師・太田誠駒沢大監督の推薦で、系列の駒大苫小牧の顧問(のちに監督)に就任。しかし当時はまったくの弱小チーム。香田さんの苦悩は続きました。そして太田監督から「放下着」という言葉を授かったことで道が拓け、雪上のメニューを次々に考案するなどしてチーム力が向上し、数度にわたり甲子園出場を経験、2004年夏ついに全国制覇を果たしました。その後も翌05年夏優勝、さらに06年は準優勝と、まさにサクセスストーリーを地で行く栄光ロード・・・



と言いたいところですが、さにあらず。勝利を続ける一方で待っていたのは苦難でした。野球部部長の暴力事件や卒業直前の3年生部員たちの飲酒事件などの不祥事。栄光(優勝)と挫折(出場辞退)が目まぐるしく入れ替わり、のちにエースだった田中将大は 「まるでジェットコースターに乗っているようだった」 と高校時代を振り返りましたが、香田さんこそビルのてっぺんから真っ逆さまに突き落とされた感覚だったでしょう。不祥事はチームに、周囲に、確実に亀裂を及ぼしました。そして待っていたのは事実上の監督解任。


その後に辿りついたのは、まったく無名の鶴見大(神奈川大学リーグ所属)野球部コーチという職。駒沢大と同じ曹洞宗系列ですが、野球部専用グラウンドはなく付属の中高野球部と共用のため使用できるのは週2回だけ。予算は隔年10万円ではボールを買うことさえままなりませんでした。甲子園優勝監督からの転身としてはあまりに寂しいけれど、当時のコメントは意気軒高でした。
「おもしろいっちゃ、おもしろいでしょ。魅力はあるんだよ。チームはまだリーグ3位以内に入ったことがないっていうんだけど、選手の能力は十分に優勝争いできるからね。自分(香田)なりにもプライドがあるから」


本心なのか、強がりなのか? 本当のところは分からないけれど、香田さんの魅力はこのあたりにあります。2012年、西部ガスの野球部創部と同時にコーチに就任し、今年から監督に。そしてさっそく都市対抗出場を果たしました。仮りに駒大苫小牧の監督退任後が長い長い「挫折」の時期だったとしたら、次に待っているのは「栄光」です。西部ガスの躍動に期待したいところ。今年の都市対抗は7月13日に開幕します。





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Last updated  2018.06.10 22:14:12
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