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朝吹龍一朗の目・眼・芽
ばっちっこ その13から
一応警察のシャワーを借りて帰るのだが、基本的には汗臭いままである。響子は脱がせたランニングシャツに顔をうずめながら、ああ、倒れそう、と毎回言った。臭いだろうに、というと、いいにおいだもん、と、とろんとした目で答えた。
ただでさえ腹を減らしている。響子の出勤前に一戦交えた後、焼きそばを作ってくれることがあった。3日分なんだけどね、奮発しちゃえ、と言いながら豚小間100グラムを具に使う。必ずジャガイモが入っている不思議な取り合わせのソース焼きそばだった。
調理の合間に面白いことを聞いた。
「あたしの郷里のお寺にね、3匹、鬼がまつってあるお寺があるの」
お寺にお寺があるのは変だ、などと混ぜっ返すことなく、素直に話に乗った。
「鬼を祀(まつ)るって、珍しいな」
「そうなの、それも3匹も。黒いのと、青いのと、赤いのと」
「あれの色が、か」
「やーだ」
響子の顔がみるみる赤くなる。かわいい。俺はほくろがあってもなくても、響子は美人でかわいい女だと評価するようになっていた。
「それで」
「でね、青鬼は何でか知らないけど、くさりでしばられてんの」
「俺、黒だぞ」
「いやん、ばか。だからね、のぶくんも、しばっちゃうよ、あたしに」
そのまま夏休みに入った。高校受験だから俺も少しは勉強しようかと思っていた矢先に恒久が訪ねてきた。学習会をするから来ないかという。どうせ都立高校なんて22群(注)だって眠っていたって入れるだろうというので、内申書は相当ひどいのをつけられそうなこと、だから入試はほとんど満点でないと通りそうにないことを告げた。それでも恒久は言葉を継いで、98点は取れるだろう、面白いから是非来いと言った。そこまで言うなら参加することにした。
手渡されたのは『共同体の基礎理論』だった。白い何の飾りもない表紙。大塚久雄とだけ書いてある。5ミリくらいの厚みしかないが、俺にとっては重い書物になった。マックス・ウェーバーは岩波文庫で有名どころは大体出ていて、本来は入手の機会には困らないのだが、先立つものがあるようでなかった。小遣いが足りわけではない。響子の稼ぎの半分は俺が一人で使っていたのではないか。それは区立図書館所蔵のレコードを聴きつくした挙句のジャズ喫茶通いの金であり、秋葉原で仕入れてくる動作不保障品のアンプの基盤であり(これは20回ほどトライして復活に失敗したのは2回だけだから、9割は成功して転売したので本当は利益になったのだが)できちゃった同級生の堕胎費用だったりした。最後のやつは俺の責任ではなかったことだけは急いで弁明しておくが。なのでその手の本は恒久が必ず2冊購入してきてくれていて、3年の1学期にはほとんど読みつくしていた。大塚久雄は初めてだった。そもそもこの本は普通の本屋には置いていない。東大の大学院で使われる教科書だとあとで
聞いた。
恒久に伴われて南青山の白神(しらが)という麻布高校2年の男のマンションを訪れると、じゃあ、始めよう、という一言で俺の紹介もなくいきなり輪講が始まった。以前から、たまに、ほんのたまに、麻布の人たちと話すと、その理解力が俺の中学の同級生の比ではないことはよくわかった。こいつらは必ずしも単なる学校秀才ではないようだった。あるはずの答えを見つける技術に優れているのみならず、あるかないかわからない答えの方向を見つける術(すべ)をしっかり身につけつつあることがよくわかった。ただし、どこに問題があるのかを発見するのは実地でもまれている俺の方がはるかに優れていると感じていた。
この日、俺はしばらく黙って聞いていた。大塚久雄批判が始まったのでちょっとびっくりしたが、そのトーンに聞き覚えがあることに気付いた。兄が一時期だけ首を突っ込んでいた70年安保の残党の言い草にそっくりなのだ。なるほど、だから『学習会』なんて呼び名だったのかと合点が行った。読みは鋭いが、問題意識が平板で、いかにも書生っぽい議論だったので、2時間を無言のまま退屈に過ごすことになった。
帰りがけに白神さんが声をかけてきて、高松君には難しかったかな、と言った。恒久のことが頭にないわけではなかったが、つい本音が出た。
「書生には付き合えませんね」
恒久が下を向いたのを右の眼尻で捕らえた。同席していた麻布の連中が息をのんでばらばらと立ち上がった。
「夜の歌舞伎町でお会いしましょうか、それも、客としてではなく、ゲマインシャフトの一員として。それからですね、話は」
色めき立っている仲間を代表して白神さんが、ほう、君はそんなに大人かね、と言ったので勝負はついた。
「そうですね、私とみなさんの違いを『大人』かどうかで識別されるんでしたら、もう話は終わってますよね。白神さんおっしゃるとおり、皆さん、もっと大人になれば、今日の議論が掘った陥穽にも気づくでしょうし、みなさんが救済しようとしている、『実社会を支えている人々、無辜(むこ)の民』ですか、みなさんのボキャブラリーでいえば。そんな人たちがみなさんのような方々の支えなんかこれっぱっちも待ち望んでいないこともわかるでしょう。実(じつ)のある議論はそれからです」
これでこのグループとのつながりは完全に切れたが、別の機会も含めて麻布の連中からもらった考え方や、彼らと交わした話を元に自分で勉強したことは、兄や弟、まして母親に伝授しても全く意味がないと思っていた。兄は教員養成系の大学に通うことで教職免許をほぼ手中にしていたので、結局学生運動にも社会的現象の議論にも全く興味を示さず、相変わらず家でのんびりしているか場末で飲んでいるかのどちらかだった。不思議と女の気配がなかった。弟は『はしぼう』だった。この時すでに中学1年だったが、俺と引き比べられて散々なめに遭っていた。母親はかわいそうに全く寄り付かなくなってしまっただけでなく生活費も入れなくなった父親に代わって新宿西口にあるデパートの別館に店を出していた京都のお香屋さんでパートに精魂を使いはたしていた。
代わりに、俺は響子に話をすることにしていた。ウェーバーや大塚久雄だけでは不公平なので、独力で資本論や共産党宣言を読み解いて授業してやった。中学1年の時から布団の中やちゃぶ台の周りで続けていたのと、もともと響子に才能があったこと、そして何より俺への興味(そう、話の中身への興味ではなく、そんな話をしている俺の方への興味だったと、ずいぶん後になってから笑い話で教えてくれた)のせいで、しゃべった中身について俺と議論ができるまでになってきた。少なくとも語彙だけはいっぱしのインテリ並みにはなっていたのではないか、贔屓目かもしれないが。
それは、場末には珍しい方向の知性だったのだろう、そんな響子の話術を気に入ってくれる固定客が付くようになった。俺もたまには当時響子が勤めていた花園神社のすぐそばのスナックに顔を出し、知らん顔をして会話に割り込んだり響子の応援をしたりした。
夏休みの終わり、彼らの勧めで赤坂に移ることになった。俺に向って、響子は『赤坂進出』と言う。精一杯の気取りが可愛い気がしたので、たまたま帰宅していた父親に赤坂の評判を聞いてみた。そういえばもうこの頃は父親を『高松雲さん』と思いっきり他人行儀に呼んでいたような気がする。『雲(くも)』はちなみに本名だ。
「二流だよ」が答えだった。理由を聞くと、「二流は二流以外の何物でもない。
地方から出てきた選挙民を政治家が『ここは一流です、みなさんをとびきり上等な東京にご案内しました』とウソをついて連れ回したから地方では一流扱いらしいが、俺や東大出の官僚や、うちうちで集まる時の政治家が使うような店は、ないわけじゃないが足の指までは使わなくていいくらいだよ」と解説してくれた。高松雲はそんなところに出入りして、妻と子供の家にはここ数年一銭も持ち帰らないのだ。
でもそんな、二流だなんてことは響子には言えない。
注)22群:戸山・青山高校のペア。学校群制度のもと、新宿区を含む第2学区では
一番の難関とされていた。
ばっちっこ 続く
ばっちっこ その14
「赤坂のこと、のぶくん、何か隠してるでしょ」
「二流、なんだってさ」
意外とあっさり言ってしまった。
「いいのよ、そんなこと知ってるわよ、あたしだってね、この世界、長いんだから。いいの。少しずつ、ね、そりゃ、銀座が一番よね、知ってるけどね。でも、銀座の二流の店ならあたしだってお呼びがかからないわけじゃないのよ、でもね」
「それより、パトロン、なんだろ」
くたくたと言い募るのを珍しく遮った。もっと聞きたいことがあった。嫉妬心がないと言ったら嘘になる。
「大丈夫、のぶくんだけだから。あたし、郷里に病気の亭主がいることになってんだ」
すーっと平板で上下のアクセントなく発音した後、語尾が微妙に上がっていく。北関東の方言だ。嘘をつくときに少し混じることがある。『なってんだ』が上ずっている。これは、ウソをついている証拠だ。
「それじゃあ、売春するんだな。そのパトロンとホテルに行くたんびに5万でも10万でも取れ」
「そんな」
「のぶくんが、あんたがでもそう言うんなら」
なんだかほっとしたような顔をした。俺はこの時点で猛烈な嫉妬を覚えた。
「でも、のぶくんが言うなら、あたし、稼いじゃう。でも、妬かない?」
パチンと音がする。俺が響子の左頬をたたいたからだ。そのまま抱かずに部屋を出た。妬んでも仕方がないことは理性では十分わかっているつもりだ。それでも、俺は、響子が見知らぬ男に組み敷かれて俺の時と同じようによがり声を上げているのを容易に想像し、容易にボッキし、容易に怒った。
翌日、可愛がっていた大泉弘子を呼び出した。1年生である。それまで性的対象として見ていなかった弘子を昼間は誰もいない俺の家に連れ込み、弘子のハンカチをくわえさせて声を殺しながら、犯した。無抵抗だった。泣き顔が印象的だったが、滅多に洗わない敷布(当時シーツなどというしゃれた名詞は普及していなかった)が始業式や終業式で使われる旗、国旗、のように丸く赤く染まってしまったのにはびっくりした。直径30センチはあったろうか。俺はあわてて台所で洗って乾かした。一種のやつ当たりだった。
それ以来、しばらく響子の家に足を向けなかった。
9月半ば、響子が成子坂下のボロアパートから新宿御苑を見下ろせる明和コーポラスという2DKの部屋に引っ越すという。大した荷物などないと思っていたのだが、意外なほど衣装持ちだった。派手だけれどペラペラの化繊でできたドレスを化粧ダンスから引っぱり出して、こんな服着てたのかよ、とからかうと、意に反してまじめな顔で一声、なによ、と大きく言うなり泣きだした。
「あたしだってね、わかってるのよ、赤坂だってね、一流じゃないけどね、お洋服だってね、人絹(じんけん)スフだけどね(注)」
と言った。涙声を更に大きくしながら続けた。
「だってね、夜、飛ぶちょうちょなんてね、どうせね」
これ以上言わせないために俺は抱きとめた。あごの下くらいまでしかない小さな身体を、そっと、しかし力を入れて絞り上げるように抱いた。考えてみれば小さくなったのではない、俺が大きくなったのだ。もう175センチに近くなっていた。腕の中の響子を可愛いと思う反面、口をついて出たのは自分で言うのもなんだが、あまりにも冷たい一言だった。
「パトロンに何回抱かれたか、言え」
俺は自分で自分の感情と動作と語りをコントロールできていない。
「してないわよ。のぶくん、しか許してないから、絶対。あたし、しあわせなんだから、のぶくんだけなんだから。ぶっていいの、あたし、ぶっていいの。ジュリーよりショーケンより、のぶくんだから。磯田さんより、のぶくんだから」
「磯田って、パトロンか」
抱きしめている身体が更に固くなった。
「どこのやつだ」
「大阪の人なの。だから、滅多に来ないの」
俺はふとその男に興味を抱いた。
「苦しいから。かんにんして」
知らないうちに響子を抱きしめる腕に不要な力が入っていたのだろう。見下ろすと真っ赤な顔をしている。
「どんなやつだ」
力を緩めながら、できるだけやさしい声のつもりで問うた。
「熊本の人でね、ラグビーやってたの。偉い人なのよ」
偉いというのがまた気に障った。荷造り途中で散らかり放題の6畳に響子を文字通り落とすと、偉い人ならいくらでも買ってくれるだろうという暗い思いを込めてブラウスのボタンを飛ばしながら前をはだけた。下はノーブラでスリップだけだったから、またしても気に障った。
「磯田のじじいが脱がせやすいようにしてるんだな」
立ち上がって胸を強く踏みつけながら鏡台のほうを物色した。裁ちバサミがあった。足はそのまま、手だけ伸ばして鋏を取ると、スリップを下から切り裂いていった。面白いように切れる鋏だ。お裁縫が得意で、時々自分で鋏研ぎをすると言っていたのを思い出した。持ち重りのする乳房が左右に分かれて沈んでいる。硬くてしかも弾力があるそれの感触が掌によみがえってくる。
響子は無言だった。目はしっかり開けて天井を見つめている。
ここで俺は正気に戻った。涙がこみあげてきた。
「ごめん」
右手の鋏を見、眼下に横たわっている半裸の響子を見下ろし、鋏を鏡台に戻し、両手を響子の肩の外の畳に突いて、ちょうど両眼からこぼれ落ちた塩辛いものが響子の乳首の上に滴り落ちる音を聞いた。
「のぶくん、好き」
それでもこう言ってくれる女の、俺自身の手で剥いてしまった裸の上へ崩れ落ちるように覆いかぶさると、俺の両手に伸びてきた湿った掌に手首をつかまれた。
「のぶくん、好き」
俺の左耳を甘がみしながら言う。
「こんなに妬いてくれると思わなかった。あたし、死んでもいい。ああでも、痛くしないでね、その代り。もう、くんづけじゃだめね。のぶひこさまって、呼ぼうかな。ね、のぶひこさま。響き、いいな、それだけで、感じちゃったりして。あれ、相当しょっぱいね、涙」
響子が俺の顔を起して右目をなめた。塩辛い涙は強い感情の嵐に見舞われた証拠だ。過去にないほど、俺は高ぶっていたのだろう、精神的に。いや、肉体的にもだ。畳に股間が擦れて痛い。もう今日は荷造りはヤメだ。
注)人絹スフ:人造絹糸を略して人絹、ステープルファイバーを略してスフと呼ぶ。
どちらも安物の代名詞。
ばっちっこ 続く
注)楽天の入力自動判定で「ぼっき」という漢字が「わいせつもしくは公序良俗に反する」という理由ではねられました。明らかに過剰規制、表現の自由に対する侵害です。楽天事務局に抗議します。
ばっちっこ その15
翌日は月曜日だったが、俺は給食を食べた後、授業を抜け出した。昨日中止した荷造りの手伝いをするつもりだった。
中学校から響子のアパートまで、青梅街道をほんの歩いて10分である。俺の嫉妬心は夕べ家に帰ってからも収まらず、結局明け方まで平安な眠りが訪れることを妨げ続けた。だから午前中の授業はほとんどいびきをかくくらい熟睡していたかもしれない。教員たちは俺に対しては既に完全にあきらめていて、それこそ触らぬ神に崇りなしという感じで何も言わない。夜の睡眠不足を解消した気分がした。
しかしこの10分の間に再び嫉妬心が復活し、かつ、こんな嫉妬はあまりにも馬鹿馬鹿しい、俺には全く不似合いだという見事に自己中心的な、しかしいろいろな意味で平穏をもたらしてくれるであろう考え方も芽生えつつあった。
そうしてまだ暑い中たどりついたアパートはしかし空だった。引っ越しは午前中に済ませたらしい。であれば、教えてもらっている新しい住所まで出かけるだけだ。
十二社(じゅうにそう)から新宿御苑はそう近くはない。しかし学校帰りに家とは違う方向に歩いて行くとすれば、まあ、30分の距離だ。俺からすれば見慣れない風景の中を進んでいくわけだが、逆に風景の方からすれば見慣れない、学生ズボンをはいた若い男が晩夏の重い湿った空気を切り裂いて徘徊しているように見えただろう。その小一時間の間に、もしかしたらパトロンの磯田とかいう関西人と鉢合わせするかも知れないという想像が膨らんだ。その時は響子をくれてやろうという気持ちにだんだんなってきた。途中、新宿駅東口の二幸の前では駿台予備校のチラシを配っていた。9月末の日曜日に実施する模擬試験だという。学費もないので都立高校しか頭になかった俺には関係ない宣伝だった
「衣装以外は本当に大したものがないアパートから、やはり大したものが置いてない
コーポラスに移ったわけだ」
俺は安心して意地の悪い言い方をした。磯田も、その配下もいなかったからだ。気が抜けたと表現すれば行きすぎで、俺はしっかり新しい2DKを観察した。4階の一番東側の部屋で、南は道路をはさんで新宿御苑が見事な借景になっている。兄が通っていた新宿高校が南西に少しだけ見える。南東には東京タワーがオレンジ色に輝いている。
無言で俺を見つめている響子の顔は一度にたくさんのことを考えすぎてしまって何を顔色として表現したらいいのか自分でもわからなくなっているに違いないがゆえに無表情になっていた。板張りになっている東南の6畳からベランダに出ると、小さな人影が新宿御苑の広い芝生を取り囲むように歩いているのが見える。湿度が高い。雨が来る前兆であることは間違いない。出てきた窓ではなく隣の4畳半から部屋に戻る。この部屋だけが畳敷きで、まだ青々した新畳の匂いがした。
「いい眺めじゃないか。御苑を独り占めできる。向こうからも見えるわけだけどね」
「あのね、昨日言い忘れちゃったんだけどね、3時間もするから、してくれるから、あたし、腰が抜けちゃったし、あごも外れそうになっちゃったから、お礼言うの、忘れちゃったんだけど、みーんな、のぶひこさま、の、おかげなの。ううん、ホント、のぶひこさまがいろいろ教えてくれるでしょ、原始共産制とか、DNAとか。それがさ、結構受けるのよね、サラリーマンのおじさんたちに、ね。それで、あたし、赤坂進出、できたわけ。だから、ね、のぶひこさまの教育のたまものなわけ。それに」
「なんだよ」
「妬いてくれるし」
そう言うと畳の上にトンビ座りをしていた響子の手が俺のズボンに延びてきた。
扇風機を頼りに二人で汗を乾かしていると、まるで新婚さんのようにかいがいしく俺の面倒を見ていた響子がふと立ちあがって
「ビール、飲もうか」
と言った。俺は、
「もう少し涼んでからでもいいよ」と後ろ姿に声をかけた。
もちろん俺は『新婚さん』が具体的にどんなものか知らない。だが、たとえばお互いにこんな気遣いを示しあうのが、『しあわせ』なのだろうかと感じた。俺と響子の間にそんなときが訪れるのだろうか、いや、もしかすると今だけ、いまこそがそれであり、もう俺たちにはこんな瞬間は用意されていないのではないかとふと思った。
ちゃぶ台が小さなテーブルに進化したダイニングキッチンで駿台予備校の模擬試験案内を響子が見つけてきた。ぜひ受けろという。俺がぐずっていると、折り目のない千円札を二枚、茶封筒に入れて持ってきた。
仕方がないので受けるだけは受けに行ったが、志望校の欄で手が止まってしまった。都立高校の名前を素直に書いても面白くない、麻布は募集なしと聞いていたので他の私立御三家にしようかと考えて、そう言えば住所と同時に電話番号を書かされたことを思い出し、俺の家には電話なんてものは端(はな)からないことと思いあわせると、誰かが間違って見つけてしまって誤解されるのもまずかろうと思う。そんな他愛もないことが頭の中を右や左に行き交う一方、周りの受験生たちがあまりにも悩みなく受験票を埋めていくのをぼんやりとみていた。係りの中年のおじさんが後列から順に回収に来たので、とっさに授業料が安いと思われる国立の男子校の番号を書いた。
試験のできはあまり良くなかった。5教科で440点を少し超える程度だろうと自己採点した。響子に正直に話すと、駿台はレベルが高いから結構いい線いってるかもしれないよと励ましてくれた。
3週間ほど経った10月下旬、選挙を経て俺の下の学年に生徒会長を譲った。校長はじめ教員たちは一様に朗らかな顔を取り戻した。学内に平穏が訪れたと言ってもいい。俺の存在がそんなに重荷だったのかと今更ながら苦々しく思った。俺はいつも正論しか吐いていなかったはずなのに。もちろん、その『正論』が大人の社会では通りにくいものであることは重々承知の上だ。教員たちと駆け引きを楽しみたかったのだが、入学式、それに例の最終決定権の『かまし』のせいで、生徒会担当顧問と教頭は俺の顔を見るたび、私は貝になりたい、何も見たくないし聞きたくない、と言い募った。俺はそのたびに、
「貝は貝でもほら吹き貝だろうが」
と言ってからかった。
その日の夕方、響子の部屋の鍵を回すと、なんだか恐いような微笑しているようなどっちつかずの顔をして出てきた。
「のぶひこさま、連絡先をあたしのうちにしたでしょ。電話、駿台の」
「俺んちに電話ないから」
「かかってきたの」
「悪いことはしてないよ」
「あした、成績を郵送するって」
「そんなことで電話してくるのかよ」
「一番ですって」
「ほお、俺が?」
「そうよ、あたしのわけないでしょ。すごいじゃない」
「悪いか」
「さすがぷろみっしんぐ東大。あたしが見込んだだけのことはある」
俺はまずは素直にうれしかった、響子が喜んでくれることが。しかし別におまえに見込んでもらって何かしてもらってるつもりはない、と言いたくなってきた。保護者気分になってもらっては困る。母親の無限に優しい表情がかすめた。もし俺にとって『保護者』なんてものがあるとすれば、それは母親を措いて他にはないと思っている。でもそんなことを言うほど俺も子供ではない。下を向いて黙っていた。6畳の洋室には中古と思しきソファーが据え付けられていた。クッションがへたりつつあるそいつに座ると、響子がキリンの大瓶を開けて持ってきた。
「カンパイ、ぷろみっしんぐ東大さん、サマ」
「なに言ってんだ。あんまり飲ますと5回が3回になるぞ」
「いいの、今日は。あたし、仕事、休んだし。今日は祝杯。だって、駿台の模試で一番なんて、絶対取れないし、あたし、現物の一番見たの初めてだし。あんたは、のぶひこさまはすごい」
「響子に勉強を褒められてもちっともうれしくないね。俺はあれをおまえの体で褒められるのが一番うれしいね」
「またあ、その話は次にして、そんでね、駿台から電話があってね」
「だから一番だってんだろ」
「うん、それでね、四谷の校舎で月水木と授業があるんですって。それにただでいいから来ないかって」
「奨学生、か」
「中学生よ」
「ばか、奨学金と同じことだろ、って言ったんだよ」
「あはは、そうだよね、小学生のわけ、ないか」
「もう酔っぱらってんのかよ」
「ねえ、近くにロシア料理屋があるの、行ってみない?」
ロシア料理がいかほどのものかは知らない。でも金、大丈夫かよ、と出かかったのを辛うじて飲み込んだ。中古とはいえソファも買ったらしいし、いや、買ったかもらったか知らないが、それでも響子が金回りに苦労しているようには見えなかったので、新宿方向へ歩いて5分ほどのところにあるペチカというあまりにもそれらしい名前の店に行った。
クアースというちょっと生ぬるいビールみたいな酒を飲み、更にコニャックと称するロシア産のブランデーを1本空けた。500mlで40度はあると見た。明らかに飲み過ぎなのだが、そのまま2次会に行くという。
「のぶひこさま、ジャズが好きでしょ、生演奏聞きたくない?」
響子がジャズに興味を持っていたはずはない。これはパトロンの趣味で、そのためにここ新宿御苑のそばが響子の住まいとして選ばれたのだろうと邪推する心をなだめながら、厚生年金会館のそばにあるライブハウスへふらふらになりながら歩いて行った。『J』という名前だった。
そこで、ベーシストに出会った。
ばっちっこ その16
既に演奏は始まっていて、テナーサックスが野太い、しかし高音が程良く混じった不協和音を積み重ねている。テーブルが8つくらい、ボックス席が2つ、合わせて30人くらいが定員だろうか。ジャズクラブとしては広くもなく狭くもない、ちょうどいい広さだ。と言っても、このときからそんなことを理解していたわけではない。この後新宿に限らず六本木や銀座を徘徊してなんとなく身につけた尺度だ。この日、『J』には4組くらいしか客がいなかった。
空いた店内を見るともなく見回し、耳はベースがやけに上手いと思いながらボックス席でジントニックを舐めていると、やがてそのベースのソロになった。
半分目を閉じ、口を少し開いて、右腕には青くて重たそうな太いバングルをしていた。ご丁寧に直径五センチもあろうかと思われるリングがバングルから連なって、これも重そうに揺れている。
ベースにすがりつくように小さな身体を巻き付けてスラッピングするかと思うと、いつの間にか取り出した弓でアルコしたりする。目がくぼみ、頬がこけているように見えるが、それを補って余りある美形だ。久しぶりに美人という名詞に値する女を見つけた気がする。
ソロが一区切りついたところで俺は場違いなほど大きな拍手をした。ベーシストが顔をあげて投げキスを返してきた。響子が股間に手を伸ばしてきたのを俺は無視した。
次の曲は俺の知らないブルース系で、ゆっくりしたテンポで始まった。テナーサックス、ピアノ、それにドラムスとベースというワンホーンカルテットで、リーダーはもちろんサックスなのだが、俺の拍手に気を回したのか、ベースがソロを取る時間がやけに長い。
やがてベースが揺れ出す。ベーシストともども揺れ出す。それは、これまで聴いたどんなレコードよりも俺を酔わせた。ポール・チェンバースよりも、ミロスラフ・ヴィトスよりも、ロン・カーターよりも、チャールズ・ミンガスよりも、デイヴ・ホランドよりも、ピーター・インドよりも、誰よりも心を捕らえた。ああ、みな古い顔ばかりだと言うかもしれない。たしかに50年代から60年代にかけて、マイルス・デイビスの周りにいたベーシストばかり並べてしまったかも知れない。でもそれは俺のせいではない。区立図書館には新しいレコードがなかったというだけのことだ。
ご丁寧に素人っぽい照明がベーシストに当てられた。濃い影を生じるへたくそなライティングが一層顔の彫りを目立たせる格好になった。音が先か、その肢体が先か、それともあの顔か。俺はどうでもいいような順番、あのベーシストを好きになった順番をぼんやり考えていた。
「ねえ、どうしたの」
遠くで響子の声が呼んでいる。義理でも答えなければならない。
「Fall In Love」
「え?!」
「あのベースと寝る」
「え? どういうこと?」
手に二杯めのジントニックを持ったままだったことに気付いた。響子になんか答えるつもりもなく、ちょうど通りかかったボーイにジョニ黒(注1)のダブルを2杯頼んだ。すぐに持って来いと急(せ)かしもした。何と言ったって、響子にはパトロンが出来てしまったのだ。おれの嫉妬の裏返しのようなものだ。
振り向くと響子の目からちょうど大きな粒がこぼれ落ちるところだった。急いで舐めとってやった。しょっぱかった。これで単なる俺の浮気だと納得したようだった。だが俺のは本気だ。ボーイが運んできたオールドファッションドグラスを二つ持ってステージのすぐ前、向って右のテーブルに向かった。
腰を下ろし、仰ぎ見るとベーシストは目の前だ。左のテーブルには縦じまのやや派手な背広を着た中年の男が一人で座っている。いわゆるスポーツ刈りの頭、太りもせず痩せてもいない、それなりに筋肉もありそうな体つき。上背は、そう、170センチはないように見える。俺をじっと見つめているのがわかる。敵意も感じられる。こういう店には初めてなので、客同士が変な競争心や嫉妬心をぶつけ合ったりするのだろうと軽く考えて気にしないことにした。
左手を高くあげ、ベースを緩く抱える姿は、フレデリック・レイトン男爵(注2)描くプシュケーにそっくりだと思った。叙勲の翌日、狭心症の発作で亡くなった、貴族であった最短期間記録保持者だと、くだらない、どうでもいいことが画集の解説に載っていた。大事なのは画だ、残した作品だ。画家なんてそれだけで評価されればいい、こんなプシュケーを残したなら、彼にとって男爵なんて付け足し以外の何物でもなかろう。うす暗い図書館で大きな画集を広げ、決して解像度の良くない画像を眺めながら、ロンドンのテイト・ギャラリーという美術館を想像したのは、ついちょっと前、中学校3年の入学式騒動の後のことだった。こんなところで本物(?)のプシュケーに出会うとは思わなかった。俺は何故か俺の寿命が二十歳で尽きると予感した。
やがてせつなそうな音色とともにテナーサックスカルテットの演奏が終わり、リーダーが型どおりのあいさつをしてセッションは一区切りついたことになった。
「お帰りの前に一杯いかがですか」
ベーシストに向ってジョニ黒のグラスを差し出すと、何のためらいもなく手を伸ばしてきた。半分くらい一気に飲み、グラスをテーブルに戻し、20センチほど高くなっているステージに文字通りぴょんと飛び乗り、そのままふらふらとバックステージに消えるとすぐに大きなケースを抱えて戻ってきた。
言われなくても手伝いに上がった。が、ものの役に立たない。俺は結局ケースの蓋を開けて待っていることしかできなかった。ほんの数分でベーシストは楽器に飛び散った松脂を拭き取り、エンドピン(注3)を抜き、慎重にケースに収めると、すでに緩めてあった弓を所定の場所にしっかり固定した。ここまで、すべてベーシストが自分で作業した。
「送ります。このあとの予定は?」
「あんただあれ?」
言いながらテーブルの上のグラスを取り上げた。明らかに酩酊した声としぐさだ。グラスに向かった手はゆらゆら揺れながら遠慮でもしているかのように伸びて行った。ベーシストは遠慮なんかしていないことは明らかだから、これは酔っぱらっている証拠だと思った。
本名を名乗ろうとしたとき、
「この人、いい人がいるんだから、坊やはやめとき」
とオカマちっくな声がした。リーダーのサックス奏者だった。続けてベーシストに向って言った。
「さ、帰ろう」
「やだ」
ベーシストは短く、はっきりと言い放つと、テーブルに座って俺の分までグラスに手を出した。
「モもヨチャン、だめダよ、まズいよ」
今度はドラムセットを叩いていた黒人が妙なイントネーションで言い募った。それもベーシストは、「ももよ」さんは、無視した。
「もうちっと練習してから言いな。へたくそ。よりによってあたいのソロの時に間違うんじゃないよ」
俺もこのドラムスがやけにへたっぴいで、ベースソロの時に途中でリズムが狂いかけたのには気がついていた。俺はこらえ切れず、にやにや笑ってしまった
「笑ったネ、じゃあ、おマえ、できルンか」
「俺は、客だ。そして、ももよさんの、ファンだ。文句ないだろう」
「文句ある人、いるかもよ」
今度はいつの間にか寄ってきたピアニストが割り込んできた。
「争うつもりはないけど、初志は貫徹する」
俺のいささか古いボキャブラリーを誰も理解できなかったようで、これ以上話が進まなくなった。ボーイたちがテーブルの間を行き来しながら閉店の片づけをしている。
「ま、いいよ、好きにしなよ二人とも。俺ら、知らないからね」
結局これが結論なのだろう。リーダーのこの発言を潮に、ほかのメンバーは俺たちを置いて出て行った。
「アシ、いなくなっちゃった。まいっか、楽器は。あしたもここでライブだし。今日は身一つだし」
その言葉をきっかけにして「ももよ」さんはいったんバックステージにコートを取りに戻り、俺は既に響子が去ってしまったボックス席に学生服を探しに行き、誰もいなくなったフロアを何の心配もせずに通り過ぎ、連れだって、手をつないで、地上へ出る階段をのぼった。エウリュディケーを連れ戻すのに成功したオルフェウスのような気がした。
外は1カ月以上早い木枯らしのようだった。ちょっと寒い風が吹いていた。
注1)ジョニーウォーカーの黒ラベルのこと。当時1本1万円ほどした。高級な酒の代名詞。
注2)フレデリック・レイトン男爵 (Frederic Leighton)いいサイトがなかったので、これを。
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2002vn.html
「プシュケの水浴」
注3)ベースの下の部分に突き出ている金属の棒。これをステージに刺して楽器を
安定させる。
ばっちっこ その17
濃いブルーの、硬めのコートを素肌に羽織っていた。照明の具合やらなにやら俺なんかにはわからないいろいろな理由ももしかしたらあったのかもしれないが、ステージの上にいたときとはだいぶ違う顔色をしていた。まがいものの「コニャック」による酔いが醒めつつある俺はともかく、ももよさんはさっきまでの青白いとも言うべき顔色に、血の気が戻ってきつつあるように見える。コートのカラーをこれ見よがしに立て、決して大きいとは言えない胸のふくらみを俺がのぞきこめるように、時折しなだれかかりながらほどんど無言のままションベン臭い新宿大ガードをくぐった。猥雑としか言いようのない東口から未来都市然とした西口に来ると、ようやくももよさんが口を開いた。
「あんた、ああしをどうするつもりかな。あたしはシモキタだけど、タクシーで帰ってもいいんだけど、あんたはああしをひとりさみしく帰すつもりはなさそうなありそうな、お連れさんは消えてしまったようで、どうやら独り身のようだし度胸ありそうだし、でも世渡りが上手いようにも見えない。あんたはいったい何者で、あたしの身体以外に欲しいものがありそうなので」
「まずは、音か、顔か、身体か。でもその前にモモヨを家まで送って行かなくっちゃね」
「どうしてああしの名前をご存じなのかしら」
「昔からの知り合い。俺が生まれる前、モモヨが生まれる前からの知り合い」
「困ったもんだわよ、どこのセイガク? 早稲田? 慶応? 東大じゃないわね」
「謎めいていた方がええでっしゃろ」
そのころようやく関東でも知れるようになった上方漫才の、たとえば笑福亭仁鶴あたりを思い描きながら、関西弁を真似しておどけてみた。
「関西の人には見えへんけどね。そんなんいうんなら、うちとこ、おいで。ほな、タクシー止めよ、頼むで」
モモヨは京都のものらしいイントネーションで返事をした。
忘年会には早すぎる平日の12時過ぎだから、タクシーは容易に捕まった。南口のほうから甲州街道を下り、俺の通った小学校のそばを通り過ぎてしばらくすると幡ヶ谷である。京王線を横切って狭い道を走りぬけるといつの間にか井の頭通りに出る。再び酔いが回ってどこにいるかわかなくなりかけたころ、茶沢通りから東に入ったと思しきあたりで車が停まった。タクシー代はモモヨが払った。車内ではいちいちの曲がり角で的確に指示を出していたので、モモヨは少なくとも酔っぱらってはいないようだったが、ドアの外で待っていた俺の腕の中に倒れこんできた重さは信じられないくらい軽いものだった。40キロそこそこしかない華奢な母親をたわむれに抱き上げた時の腕の感触と比べても半分しかないのではと思った。
それまで俺たちはずっと無言だった。抱きとめたかたちのまま固まってしまったような感じで、次のしぐさに俺は踏み出すことができない。こういうとき、響子は必ず先回りしてリードしてくれていたせいもある。両腕の中でモモヨが背伸びした。耳元でささやいた。
「音なの、顔なの、身体なの」
「一つずつ、確かめようか」
モモヨが提示した選択肢は俺自身が考えだしてモモヨに伝えたものだ。そう、俺はやっと自分で自分の意思を伝え、決定するということがどういうことなのかわかった気がした。選択肢と、選択。なんと単純なことだ。考えてみれば学校の勉強でもテストでも、生徒会の紛糾事項でも議決でも、時々夜逃げしていなくなる友人を詮索がちな教員や他の同級生から守るのも、みな、「選択肢の提示、そして選択」という順番にすぎないのだ。男と女の関係も、同じことだった。あったり前すぎて誰も教えてくれなかったことに、この晩、気がついた。
そう、気がついたときはもう朝だった。アパートの外階段を昇り、8畳くらいの部屋に通され、することをした後、『ホエイ』とかいうへんてこな名前の薬を飲まされ、そこから先は記憶がないまま、ぺろぺろと音がするくらい頬を舐められているときに目が覚めた。その直前まで見ていた夢の中では俺は何故か女で、モモヨと響子の二人が男になっていて、前と後ろから犯されていた。前から覆いかぶさっていたのがモモヨで、俺の顔にキスの雨を降らしているかと思うと俺を飛び越して後ろにいる響子と長い舌をからませている。男同士なのになんて気持ち悪いことをするんだろうかと思っているとすぐにモモヨが俺の方に向き直ってきて、二人に愛されるのはうれしいだろう、と言った。
そこで目が覚めたわけだが、しばらくは夢の続き、いや、夢が夢であることがわからない状態だった。そう、『胡蝶之夢』だ。夢を見ている男が俺なのか、夢の中で本来女であるはずのモモヨと響子の二人から同時に責められて死にそうなほどの歓喜を味わっている女のからだをした俺が、本来の俺なのか。
そんなのどうでもいい、というのは、本来の『荘子』の答えにあっているのかどうかしらないが、そんなのどうでもいいと自分なりに悟ったと思ったら正気に戻った。いや、男の俺に戻ったと言うべきかもしれない。仰向けに寝ている俺の上にはぴったりと体をつけて、まだぺろぺろと顔を舐めまわしているモモヨがいた。
「あら、あrrら、のぶひこさま、お目覚めね」
あrrら、のところは上手な巻き舌だった。ゆうべはずいぶん高い、ちょっとかすれた声でしゃべっていたように思うのだが、そのからかいを含んだ声は低く、晩秋の空気というより晩春のそれのように湿り気を含んだものだった。
「なんで俺の名前知ってんだよ」
「あrrら、だいぶ聞し召して(注1)いたもんね、覚えてないんだね」
「コニャックを飲んでたから」
「それも聞いちゃった。ソ連製のニセモノ、ね。のぶひこさま、ね」
どうやらあることないことだいぶしゃべったらしい。照れ隠しに首だけ持ち上げて5センチの距離をジャンプした。
モモヨの唇に俺の唇が衝突した。
そのまま蛸の吸盤のようにくっついた。が、その口の中にモモヨの舌が侵入してきた。
と、下半身が目覚めた。
『ネグリジェ』と表現されるのだと後で教わった、俺のボキャブラリーでいえば『寝巻き』なのだが、の裾が開けば下は素肌だった。舌のお返しに、俺のものはそっちに侵入した。
然るのち、ブランチなどというしゃれた表現をモモヨから学んだ。この朝2回も楽しいことをしてから、ようやく『夜明けのコーヒー』(注2)を飲んだ時にはすでに11時を回っていた。そういえばこの歌は響子と初めて出会ったころよく流行っていた歌だ。『ピンキー』はてっきり『ピンクっぽい』ということだと思っていたのを、大笑いしながら響子に『小指のことよ、やーだ、さすがのぷろみっしんぐ東大さんも知らないことがあんのね』と訂正されたのをかすかに思い出していた。
その間に、酔っぱらって意識がないときに吐き出した言葉の断片を大方回収
できたと思う。だからモモヨに、
「プロミッシング東大さん」
と呼びかけられても、たぶんそんなことも話したのだろうと腰を据えて受け答えすることができた。
だが、それにしても初めての女性と一晩過ごすためには、さすがにアルコールには限度があるべきだという、当たり前のことを学んだ。このときは予期せぬ出来事であったとはいえ、いや、予期せぬ出会いがあるからこそ、酒には気をつけるべきなのだ、特に15歳にとっては。
なんていう、馬鹿なことを考え、無邪気にモモヨとじゃれているうちにおそい秋の遅い朝の時間が過ぎて行った。
俺が学校に来ないのでひと騒ぎあったようだが、昼過ぎに悠々と出て行った俺に、これで皆勤もなくなったからお前の内申書は覚悟しておけよ、と学年主任の数学教師が勝ち誇ったように言った。
「あなたの教頭昇進も消えてるからね、わかるよねえ」
と、これは俺にとっては精一杯の負け惜しみだったのだが、どうやら新潟出身の省エネ口調でしゃべるこの教師の胸の壺に的中したらしい。きさま、と叫ぶといきなり殴りかかってきた。
注1)聞し召して「きこしめして」 飲み過ぎている様子のこと。今は死語か。
注2)ピンキーとキラーズ「恋の季節」
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