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2018.10.16
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2013年5月の読書メーター読んだ本の数:3冊読んだページ数:315ページナイス数:9ナイスカラー版 メッカ―聖地の素顔 (岩波新書)の感想よくも撮ったものだ。200万人が一斉に額づく写真は、驚異や壮観を通り越して脅威でもあり荘厳でもある。『○○のメッカ』と言う表現は日本のみならずヨーロッパ系の社会でもよくあるクリシェだが、アラビア語ではありえない言い回しとのこと。まさに「広く世界を蔽っているイスラームに対する無知のシンボル」である。ただ、「イスラームにはやはり砂漠が合っている」というのは、イスラーム学者からはいささかの異議があろう。イスラームは元々は商人の宗教であり、それだけ合理的である、というのが学者たちの解説であった。逆に、民衆レベルの読了日:5月11日 著者:野町 和嘉 苔の宇宙―大橋弘写真集の感想売れないだろうなあ、こんなすてきな本。主として富士山の樹海で撮影されたさまざまな苔(本来の『苔』を含む蘚苔類だけでなく、地衣類も含む)の見事な姿がとらえられている。一部の屋久島の苔との対比も面白い。読了日:5月11日 著者:大橋 弘 苔のある生活の感想つい飼って(『買って』ではなく)みたくなる写真の数々。しかしへそ曲がりの目に一番印象強かったのは、苔の取材で高尾山口駅を訪れた時、登山服を『着こんで』いる人、という表現。それと、編集者の次の一言。「大人になって、下を向いて歩くことが多くなりました。」あはは、そういえば朝吹も一時そうだったかも。読了日:5月6日 著者:読書メーター
2013.06.01
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1月の読書メーター読んだ本の数:3冊読んだページ数:527ページナイス数:59ナイス鳥の仏教美しい挿絵のついたチベット仏教の経典。ただしごく最近のものと著者はいう。訳文も十分こなれていて読みやすいが、原文も平易な言葉で綴られているとの事。「生命の条件には、解脱の可能性は含まれていない」と断言されるとちょっと怖い気もするし、永久に輪廻転生するのも悪くないという気もする。しかし「この世の物事のどこを探しても、決してそこには本質を見つけることができません」と、こんな難しいことをお経で語られても理解できるかどうか怪しい。特にヨーロッパ科学の方法論と哲学にどっぷり漬かっているエンジニアとしては。読了日:01月03日 著者:中沢 新一NHK『迷宮美術館』巨匠の言葉NHKで放送していたのを見たような見たことが無いような。テレビを本にすると、より面白くなる場合とどうしようもなくダサくなる場合がある。「人間は醜い。されど人生は美しい」というロートレックの言葉の逆。素材は美しい、されど仕上がりはダサい本。残念ながら。読了日:01月01日 著者:NHK『迷宮美術館』制作チーム愛と同じくらい孤独 (新潮文庫 サ 2-15)古い本だが引っ越しの時に捨てるに忍びなく狭い本棚の一角を占め続けている。読み直して発見。「人々は彼ら(死者)のためにバッハを、普通彼らが好きでなかった宗教音楽を演奏する」笑ってしまう。でも日本にはモツレク(モーツアルトのレクイエム)を好んで歌う合唱愛好家がいることも事実。そういう人の葬儀にはロックがいいのかな。なぜなら「二十歳のときはだれかによって自分が一変する可能性はあったでしょう(中略)今はもう自分によってしか自分を変えることはでき」ないからだ。そして自分を変えようなんてことは殆どの大人は考えない。読了日:01月01日 著者:フランソワーズ サガン,朝吹 由起子,Francoise Sagan2012年1月の読書メーターまとめ詳細読書メーター
2012.02.02
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ドラクロワ 色彩の饗宴 (ART&WORDS)「人生のなかで一定期間打ち込んだ、たった一つの仕事が、残りの人生のすべてを規定する。あらゆるものが、その周りを巡るためにやってくる」ドラクロワの「自由の女神」の前には、人生の転機のたびに訪れ、そのたびに啓示を受けてきた。この絵なしには朝吹の人生は成り立たない。読了日:12月31日 著者:おとぎ話の心理学 (1979年) (ユング心理学選書〈1〉)別にユングにかぶれているわけでもないのだが、講義録のような形にまとめられていて読みやすそうなので手に取った。ユング心理学の中心概念がいろいろと「おとぎ話」という文脈の中で具体的に解説されるのでわかりやすい。アニマとアニムスの話もプリミティブな形で語られると理解が早い。「普通アニマは、男性の手を取って天国に導きあげる、ということはやりません」ので、世の男どもは心せよ、とか、「希望が思考の車を回します」とは、うつ病の絶望を良くとらえていると思った。読了日:12月31日 著者:M-L.フォン・フランツ故事成語でわかる経済学のキーワード (中公新書)国の施策がどれも中途半端で必ず税金の無駄遣いに終わる最大の原因は、「覆水盆に返らず」すなわち経済学における「埋没コスト」という概念の欠如にあるという事がよくわかった。言い換えれば『既得権」だ。ほかにも「自分に都合のよい規則や約束の身を守るようになることを、大人になるという」とか。そういえばある会社が昔中国の実習生を受け入れるために作った『攻玉寮』という施設がある。「他山の石」という故事成語に基づく命名だが、ここでいう『石』って、「つまらない石ころ」のことだそうである。うーん、なるほど、あり得るな。読了日:12月25日 著者:梶井 厚志「怖い絵」で人間を読む (生活人新書)テレビで以前一度だけ見たような覚えがある。「怖さは想像の友」ということで、出てくる絵は皆何らかの意味で怖く、それだけ細部にまで想像が及ぶ。これまで現物を見たことのない絵がほとんどだったので、これからの諸国美術館巡りの楽しみが増えた。読了日:12月18日 著者:中野 京子ヤクザ1000人に会いました!こういう話だいすき。断指(指詰めの事)はむしろヤクザ社会のもつ寛容さの表れ、という指摘は、実にその通りかと。サラリーマンなら左遷もしくは首切りで、どちらも社会的生命(会社的?)を失うわけだから。読了日:12月18日 著者:鈴木 智彦中国義士伝 (中公新書)「英雄・英傑といった語にはどこかしら浮ついた語感があり」ということで、この本では「義士」が取り上げられる。ここで『義』とは、作者の定義によれば、「『某義』の『某』という行為の遂行義務をいう」とのこと。たとえば『忠義』なら、『忠』を尽くす義務を言う。今の日本人にはあまりなじみがない3人なのが難。しかし「正論に反論なし。去れと正論に敵多し」との指摘は身に積まされた。読了日:12月11日 著者:冨谷 至
2012.01.07
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12月の読書メーター読んだ本の数:12冊読んだページ数:2982ページナイス数:17ナイス毎日長い距離を走らなくてもマラソンは速くなる! 月間たった80kmで2時間46分! 超効率的トレーニング法 (ソフトバンク新書)ランとバイク(自転車のこと)を組み合わせればより短い走行距離で十分なトレーニングが出来るというストーリーなのだが、実は筋トレをやれという内容。苦しくなるほどの負荷をかけなければ走力を支える筋肉は鍛えられないと。そりゃそうだけど・・・。読了日:12月11日 著者:吉岡 利貢名画の謎解きこれといって難しい話は出てこない。くだけた肩の凝らない本。「ルネサンス以前、中世では視覚より聴覚のほうが重要な感覚器官だった」って、本当かどうか知らないが、カンブリア紀の『目の発明』に似たところがあるのかな。読了日:12月10日 著者:銀 四郎形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか (新潮選書)生き物の「かたち」の成り立ちをナイーブなダーウィニズムで語る。ちょっと難しめの科学読み物。ところでHela細胞は遺伝子がヒトとは呼べないほど変異しすぎてしまっていて、今ではHelacyton gartleriとして、別種に分類されているとは知らなかった。読了日:12月10日 著者:長沼 毅あなたの俳句はなぜ佳作どまりなのか何時も読むだけで実作まで進まない。どなたか人形町界隈でいい俳句のお師匠さんをご紹介ください。「写生とはあるものを見えただけ写すことなんかじゃ(中略)ない。ものごとの部分を切り取って描写することによって、見えなかったものまで活写することなのだ」と鉄案。切り取ればその向こうが見えるもんね。読了日:12月10日 著者:辻 桃子第七階層からの眺めいつのまにSFはこんなに寡黙になってしまったのだろう。銀河間を1千万光速で突っ走る大艦隊や、世界中が結晶していく中での逃避行や、インフルエンザでバタバタ死んでいく火星人はついに登場しない。代わりに描かれるのは<存在>との淡い交流であったり、人生を無駄に使ってしまったと悔やむ幽霊であったりする。「苺を茎からそっと摘み取るように」差し出される一つ一つの言葉によっておずおずと、ゆるゆると綴られる物語はやがて静かな余韻と少しの悲しみを、生きていることのせつなさと淡い喜びを残す。今年一番のSF。読了日:12月09日 著者:ケヴィン ブロックマイヤー「聴く」ことの力―臨床哲学試論臨床哲学といういささか自己撞着気味な副題に惹かれて初めに出会ったのが「哲学は知識ではなく、知識の根拠と意味を問うものであり、哲学は科学ではなく、科学の可能性と限界を問うものである」かっこいい。やはり「臨床哲学」なるものは端から存在しえないのだとの告白か。詮索はさておき、「聴く」ことに対する深まりは説得力がある。聴くことは即ち自己を知ることなのだ。「アイデンテティには必ず他者が必要」であり、「人が個としてもつ属性なのではない」ので、「捜し求め始めたり」しても無駄だと『自分探し』を「勘違い」だと切り捨てる。読了日:12月09日 著者:鷲田 清一2011年12月の読書メーターまとめ詳細読書メーター
2012.01.07
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11月の読書メーター読んだ本の数:4冊読んだページ数:904ページナイス数:15ナイス最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?提起する問題は奥深く、飽食ニッポンにいては想像もつかないことだが、たとえば「道徳に反する他人の稼ぎに頼って生きる者のことは『ポン引き』と呼ぶ」なんて、キリスト教国のやり方そのものだし、「中国政府が望むのは上座の席であり、時刻が世界の中で重要な主要国だと国際社会から認知されることである」という当たり前の指摘が面白い。チャイナの場合はイコールならず者だから始末が悪いが。テーマ以外の記述がとても示唆に富む一冊。お勧め。読了日:11月26日 著者:ポール・コリアー「待つ」ということ (角川選書)「あらゆる予期がことごとく潰えたあと、諦めきったあとで、そこからようやく立ち上がってくる<待つ>」のあたりから哲学者は哲学から離れ、詩人に近づいていく。「押し込んでも押し込んでも滲みでてくるつれなさ」「不在の未来が、不意を襲うようにして『いま』となる(後略)」「いつまでも過去になってくれない出来事、「いま」から滑り落ちていってくれない出来事」 恋心を、待ってくれないあの人に電池の切れた携帯電話で話しかけているようなせつない気分になってくる。読みとおすのが苦しい本。 読了日:11月26日 著者:鷲田 清一パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)「陰部の露出恥ずかしくてパンツをはきだしたのではない。はきだしたその後に、より強い羞恥心をいだきだした」という指摘は正しいと思うが、『逝きし日の面影』に当たれば、江戸時代から明治にかけての羞恥心についてもっと生々しい事例を目にすることができる。著者は意図的に触れていないのだと思う。それにしてもこの無駄にひらがなの多い文体は読みにくくて嫌い。読了日:11月26日 著者:井上 章一欧米、家めぐり ~海外の風を集めた、世界にたったひとつの家づくり~宣伝の本なので一般にはお勧めしないが、読んでいてい(見ていて)自分で家を建てている感じになれる本。読了日:11月26日 著者:エビハラ シンイチ2011年11月の読書メーターまとめ詳細読書メーター
2011.12.03
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10月の読書メーター読んだ本の数:9冊読んだページ数:2930ページナイス数:11ナイスこだまでしょうか、いいえ、誰でも。―金子みすヾ詩集選本当にあざとい本。でも朝吹は前々から金子みすゞの詩集を読んでみようと思ったのでちょうどよかった。「浜は祭りの(改行)ようだけど(改行)海のなかでは(改行)何万の(改行)鰯の弔い(改行)するだろう。/『大漁」」というまなざしは温かい。一方で「海は真っ青(改行)雲は白(改行)赤いお舟は(改行)/『赤いお舟』」というあたりが彼女の表現の限界か。読了日:10月30日 著者:金子みすヾどうぶつ家族―Mitsuaki Iwago Photographsあまた出ている岩合さんの動物写真集の最新版。いつ、どこで眺めても癒されるう。一家に一冊お勧め。 読了日:10月24日 著者:岩合 光昭酒とバカの日々 ― 赤塚不二夫的生き方のススメ朝吹よりひと世代上の傑物の語り口。昔は確かにこういう酒の飲み方をする人が沢山いた。我々の世代からだんだん減ってきて、今の学生にはほとんど見られなくなった。そしてそれはたぶん、よくないこと、なのだろう。曰く、「大の男が、自分の小さな宝とか、物をだいじにしてどうするんだって思う。まだ、成熟できていない証拠。」あるいは「酒がおもしろいわけじゃないんだよ。酒を飲んでる人間がおもしろいんだ。」と。しかし一方、赤塚不二夫には不滅の名言、「それでいいのだ」がある。朝吹は、それでいいのだ、と思う。読了日:10月24日 著者:赤塚 不二夫アフリカ大陸一周ツアー―大型トラックバスで26カ国を行く (幻冬舎新書)1年かけてアフリカ大陸の沿岸部を中心に一周するツアーの話。旅することそのものに意義を見出すタイプの人には向いている。朝吹もちょっとその気になりかけたが、過酷すぎて無理とあきらめる。途中、奴隷輸出基地だった町で「奴隷とキリスト教はワンセットなのか」なんて今更過ぎる溜息を洩らしてみたり、「砂漠にいると太陽より月のほうがうれしい存在になる」なんてすごい現実感を伴うファンタジックな文脈で語ってみたり、なかなか読ませる文章。読了日:10月24日 著者:浅井 宏純黎明の叛逆者壬申の乱研究の先行文献(小説)調査の一環。うーん、これは大胆な仮説。戦前なら不敬罪か何かで引っ張られるかもしれない。そういう意味では井沢ワールド全開って感じ。著者の引いた想像力の補助線の方向について行ける人なら面白いだろう。これも朝吹仮説とは違う。ますます新発見の予感・・・。読了日:10月10日 著者:井沢 元彦天の川の太陽〈下〉 (中公文庫)「乾坤一擲の大戦争に危惧の念など必要ではない」って、正しいけど、そんなシチュエーションにぶつかったことって、幸か不幸かまだない。ところでこの時代の人たちって、バイリンガルは当たり前、下手すると3か国語も4か国語も平気で話せたとはすごい。今の日本人、不勉強?読了日:10月10日 著者:黒岩 重吾天の川の太陽〈上〉 (中公文庫)壬申の乱関連の先行文献(小説)調査の一環。予想通りあほの中大兄、智謀と人情にあふれる大海人という想定。違うんだよ、ホントは。しかし讃良(ささら。のちの持統天皇)の造形は新鮮で面白い。確かにこのくらいでないと後に大津皇子を天武天皇が崩御してすぐに殺したりはできないかもしれない。いずれ、朝吹仮説はまだ発見されていない模様。読了日:10月10日 著者:黒岩 重吾壬申の乱―天皇誕生の神話と史実 (中公新書)天智天皇の息子の大友皇子が何故簡単に大海人皇子に負けたのか、昔から不思議だったので読んでみた。両者の言い分を公平に聞く、とする著者の姿勢はそこそこ説得力があるが、やはり天智天皇の奸智を見落としているように感じる。本質は通説にも無く、著者にもない。朝吹、新発見の予感・・・。なーんちゃって。読了日:10月10日 著者:遠山 美都男「進化論」を書き換える何を以て「書き換える」のか不詳(著者のせいというより編集者の頭の整理が消化不良だったせいかとも思うが)なれど、哺乳類で単為生殖が見られない理由(キリストはそれで生まれたと聖書にあるが)が遺伝子の発現のレベルで明らかになったとか、ゲノムの解釈系は卵(すなわちメス)の特権であり、従って表面に現れる姿かたち(頭の中身も含めて)は母系の影響を強く受ける、とか、刺激的な情報満載。さっさとは読めないけれど、秋の夜長に如何?読了日:10月10日 著者:池田 清彦2011年10月の読書メーターまとめ詳細読書メーター
2011.11.26
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9月の読書メーター読んだ本の数:1冊読んだページ数:190ページナイス数:9ナイス太ったんでないのッ!? (新潮文庫)欧州便など長い機上の夜の徒然に最適。価値観によってはどうでもいいこと、すなわちどうでもいいこと、が何の重みも無くさらさらと書き継がれていく、才媛二人の肩の凝らない読みもの。おふたりが本当に書きたかったのは「友情なんて、たった一点、自らの意地と猜疑心を捨てて心を許しあえるところがあれば、それで十分成り立つものだ」という、友情のハードルを見事に下げた一言。しかし鉄案。世の人間関係に悩む若人に薦めたい。読了日:09月11日 著者:檀 ふみ,阿川 佐和子2011年9月の読書メーターまとめ詳細読書メーター
2011.10.21
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7月の読書メーター読んだ本の数:6冊読んだページ数:1568ページナイス数:5ナイス大学教授のように小説を読む方法普段から無意識にしていることを体系的にまとめて方法論として学生に授ける、これこそが学部教育の一丁目一番地だろう。こんな授業を受けてみたかったと思う社会人はきっと多いに違いない。しかし朝吹がおもしろかったのはその語り口の部分。「詩や小説を読むときはまず空模様をチェック」なんて気が利いてる。ハムレットに「言葉は天を目指すが心は地にとどまる」という一節があるというが、読み落としていた。ちょっとシチュエーションが違うが、日本には「きづなは地に あこがれは空に」(永瀬清子)がある。こっちのほうが百倍好き。 読了日:07月31日 著者:トーマス・C. フォスター遊ぼうよ―辻まことアンソロジー大好きな著者の本。中央辺りにまとめられているカリカチャーだけでも必読(必見)。「マジメさの中に必然的に生じる鈍感さに気づかぬほどマジメな人(後略)」って、朝吹のことを指しているのだが、それでもそれが『必然』だけどね、しょうがないけどねえ、といったんは受け入れてくれる温かさにしびれる。辻さん好き! って、こんな手放しの礼賛書評は初めてかも。読了日:07月31日 著者:辻 まこと,琴海 倫よく遊びよく遊べ 隠居大学裕福なジジイどもが好き勝手を言う放言集。さすが裕福になるだけのことはあって、それぞれの言葉は蘊蓄と示唆に富む。爺さん予備軍より若い人に読んでもらいたい本。読了日:07月29日 著者:和合亮一生物学的文明論 (新潮新書)物理・化学が文明の中心で従って学問でも予算面で生物系は不遇だという愚痴はかわいいが、「触れればたちどころに自然が壊れるのがよい技術」という見立てはいささか陳腐。西洋人が回る時間をサイクルと呼んでタイムと区別するというのも牽強付会。確かに英語にはサイクルタイムという表現があるけれど。十章は典型的な団塊世代のわがままで「年金があるのだから、利益を抜きにして世のために働く」行為が若い人の意欲と職を奪っていることに気がつかない鈍感と思い上がり。しかしこれは毛を吹いて疵を求めるようなもの。一読お勧め。読了日:07月18日 著者:本川 達雄街道をゆく〈35〉オランダ紀行 (朝日文芸文庫)仕事で昨年お世話になった後藤さんが案内役で登場。ダイヤ鑑定士とは存じませんでした。歩かれているいくつかの街をご一緒したり一人で徘徊したりしたが、他の巻で描かれる日本の情景と違い、いちいちが朝吹の感性にちかい(ついつい司馬の表現になってしまう)。オランダ紀行と言いながら要所要所で隣国のベルギーとの比較が面白い。最も共感できるのが食事の落差。欧州一の美食の国と生ニシンくらいしかない国。他の紀行と違い、読むなら訪問後を勧める。なお、書中のティルさんは今春(11年)天に船出(後藤さんの表現)されました。読了日:07月18日 著者:司馬 遼太郎イソップのレトリック―メタファーからメトニミーへ「抽象的なことはかたちを求め、かたちは抽象を憧れる」という宣言に始まり、「思い出」さえ「換喩」としてとらえられると展開する。そして「人間は何に譬えても大概の偏差を縮小できるほどに、流動的な特徴の幅をもっているから」と議論のターゲットを予め拡大してからイソップという名のレトリックに踏み込んでゆく。それは、おかしみを使った説得の技法なのだという結論はいささかお手軽過ぎ、もう少し「イソップ」そのものについての解釈を開陳してもらいたかったところ。とまれ、ゆっくり読めば実生活への示唆にも富む隠れた名著、かな。読了日:07月09日 著者:樋口 桂子読書メーター
2011.08.10
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6月の読書メーター読んだ本の数:10冊読んだページ数:2439ページ史上最強の内閣設定も月並みだし人物造型も類型的だし文章も決してうまいとは言えないが、今の政治家に対してこれでだけ言いたい放題言えるのはこのスタイルしかないかもしれない。たぶん彼らは読みもしないか、読んでも徹底的に揶揄されている無能さを自分のこととはつゆ思わないのだろうが。読了日:06月26日 著者:室積 光蛍を見に行く 蛍の名所ベスト28最初は美しさに目を見張るがやがて単調さに倦む。添えられている文章が読むに堪えない。しかし「名所ベスト」としてはほかに比較にしようがないのだがきっと秀逸なのだろう。読了日:06月25日 著者:宮嶋 康彦寝言も本のはなし表紙の色鉛筆にJISマークがあるのが諧謔的。著者はとても工業的そして標準的ではない。春秋戦国時代にシナではもっとも学問が発達し、統一王朝ができてからはそれが後ろ向きになった理由を「自由競争の有無」で説明してしまうところは面白い。読了日:06月25日 著者:高島 俊男知に働けば蔵が建つ「今進められている個人情報保護は、現に私たちが属している共同体の他のメンバーから私の個人情報を保護するということにむしろ力点が置かれている。(中略)共同体の他のメンバーは私の潜在的な「敵」だということ、私の個人情報を知ればそれを悪用する可能性が高い人間たちと私たちは共同体を形成しているのだ(後略)」というのは、普通に読めば単なるへそ曲がりの戯言だが、それがリスクに対応する費用対効果という文脈で語られた途端にもっともらしさを増す。そのあまりにも軽い語り口は批判的に摂取しないと危険でさえある。読了日:06月25日 著者:内田 樹趣味は読書。43冊中4冊だからまあまあかな。ベストセラーの癖にこんなにひどいじゃないかという紋切り型の設問に毎回丁寧に答えていく作業は、そう、これはたぶん『読書』ではなく作業だと思うのだが、何ぼ仕事とはいえウンザリ感満開だったことだろう。そのせいか、庶民感覚で言うと出世コースの上がりは医者か弁護士であるとか、「単純化されたメッセージから受け取れるのは単純な感想だけだ」とか、寸鉄人を刺す表現はちらほらにとどまる。読了日:06月16日 著者:斎藤 美奈子ユーモアのレッスン (中公新書)やっぱり「レッスン」すなわちお勉強だからつまらない。後半(といってもこっちが大半)に出てくるユーモア実例は、イギリスでいやというほど発行されているジョーク集に日本人向けに毛を生やした程度。前半のユーモア問答も陳腐。19世紀までhumorは最初のHが発音されていなかったこと、そしてこれはhourのHが発音されないのと同じ、などというトリビアはそれなりだったが、ではなぜユーモアはHが付き、アワーやオネストはいまだにつかないのかのほうが脱線としては面白かったかも。読了日:06月12日 著者:外山 滋比古バカにならない読書術 (朝日新書 72)「術」というほどのものではない。いつもの養老節が通奏低音で流れているところへ、虫屋とノンフィクション作家という実証的な考え方をするお二人が絡み、いささか「塀の上」的な読書鼎談が繰り広げられる、肩のこらない読書案内。朝吹は紹介されている本のうち、そう、1割くらいしか読んだことがない。砕けた文体にまぶされてはいるが、結構拡がりと格の高い紹介になっているので、タイトルに騙されて侮ることなかれ。読了日:06月11日 著者:養老 孟司,池田 清彦,吉岡 忍新エディターシップいろいろな話題を、編集(Edit)という切り口でやや強引にまとめたもの。爺さんのくせにずいぶん硬い、生な文章を書くなと思っていたが、後書きにたどり着いて納得。はるか昔30年近く前、それでもご本人が50代に書かれたものの一部を書き換えたものとのこと。うーん、知命にしてこの若さとは。「悲劇が美しいのは、見物するからであって、本当の悲劇的事件は当事者にとって悲惨以外の何ものでもないであろう」とは、陳腐な立言なるも、当節言いえて妙。読了日:06月09日 著者:外山滋比古百代の過客―日記にみる日本人 (上) (朝日選書 (259))日本文学を日記でたどるなかで、日本文化に秘められた特質を浮かび上がらせる。たとえば西洋文学では父と娘の関係のほうに重点が置かれるのに対し、日本では母と息子の関係の重要性がほとんど圧倒的であるとの指摘。これは日本文学史の素人にとっては目からうろこの落ちる思いだった。そんなの定説だよ、ってことなら管見を恥ず。もうひとつ。「紅旗征戎吾が事にあらず」(藤原定家『明月記』)の解釈。ドナルド・キーンが間違えていたのだから私がミスリードしていたのも大目に見てもらおう。ということで時代が下がってくる下巻が楽しみ。読了日:06月05日 著者:ドナルド・キーンスカートの中の秘密の生活 (幻冬舎文庫)本人の普段の(かどうか知らない。一度しかお会いしたことがないので)語り口にそっくり。感情過多で、今にも泣き出しそうなテンションを相手に感じさせる話術は「サバイバー」が故に身に付いたものだという。「男は嘘をつくと目が泳ぐからすぐわかる」と書くが、あの晩私が嘘をつきっぱなしだったのに気づいていただろうか。「アスペルガー症候群じゃないの?」なんて、場合によっては差別発言と取られかねない言葉を投げつけられたが、普段の私を知る人は口を揃えて『どこ見てんのかしらね』と言った。ともあれ、若いうぶな男には一読を勧める。読了日:06月05日 著者:田口 ランディ読書メーター
2011.07.09
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5月の読書その2水中の賢者たち写真が先か、名言が先か。絶妙の取り合わせに毎ページ唸ってしまった。しかも取り上げられている漢文が四書五経や唐詩選などポピュラーな出典にとどまらず、とう(とう小平のとうです。楽天のブログはぼろなので表示できません)析子なんて管見にして初見もあり、著者の博識にも脱帽。寝床でのんびり読む本。読了日:05月29日 著者:中村 征夫散策 ひと里の花猿屋さんが野草について述べた文章に美しい植物画が配される。しかし、「ナズナの種小名は『羊飼いの財布』という意味」などとある脚注のおもしろさも秀逸。読了日:05月29日 著者:河合 雅雄,長谷川 哲雄江戸のくずし字学習図鑑掛け軸を読むのに難渋したので、恥ずかしながらお勉強。取り敢えず最新の本で、お稽古用になぞって覚える部分がある。それはそれとして、古代中国ではフクロウは母親を食べて飛べるようになるので、おや不孝の象徴だったとか、そういう面白くも偏った知識が面白かった。読了日:05月28日 著者:西田 知己小説日本芸譚 (新潮文庫)著者は本当に芸術を芸術として理解していたかいささか怪しい。「形式の圧縮は観念の饒舌なのである」などというそれっぽいけれど空虚な言辞。しかし一方で現実世界に戻った時の眼光は鋭い。いわく「技術家というものは、重宝がられる代りに、政治的な権力には出世できないという宿命がある」と。それが日本の衰退(もしくはこの程度しか繁栄できなかった、でもいい)の元凶であることを見抜いていたかどうか。 読了日:05月27日 著者:松本 清張伊東忠太動物園主著者の文章は嫌みはないが平板で面白くない。写真とその解説および背景の部分だけで十分。最後の伊東忠太の「化物(ばけもの)」に関する論考が秀逸。支那(シナ。この変換、出てこない。差別用語だと思っているらしい。全然そんなことないのに。だいたいフランス語なら「シノワ」だし)は一番空想の幅が大きく、西洋は理性に空想力が負けていて、日本は平和ボケで論外。という批評は今も新鮮。読了日:05月21日 著者:藤森 照信,増田 彰久,伊東 忠太そこは自分で考えてくれ法律なんて社会生活を円滑に回す為のツールに過ぎないのに、ひとたびデキテしまうとそれを守ることを金科玉条と思ってしまう、という同じドグマを阿木もせずに延々と手を返品を替え書き続ける根性に脱帽。しかしその池田先生の正論はどうして日本人の常識にならないのだろうとふと思ってします。朝吹がいつも相手にしている霞が関の連中は法律を権力の源泉と思っているから、その濫用が国民のためにならないとわかっていても、改めようとしない。死ぬまで治らないのだろうか。読了日:05月20日 著者:池田 清彦オスは生きてるムダなのか (角川選書 469)「生物はセックスすることで死ぬ能力を獲得し、複雑になったのだ」って、なるほど、だからボクのガールフレンズはみんな、死ぬ死ぬって叫ぶんだね。って、言ってみたかったなあ。読了日:05月20日 著者:池田 清彦
2011.06.05
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5月の読書sono1読んだ本の数:13冊読んだページ数:2993ページ緋色のヴェネツィア―聖(サン)マルコ殺人事件 (朝日文芸文庫)ミステリーのかけらもないので副題は詐欺まがい。「知る権利を要求するのは、政府を信頼できない国民の言うことなのかもしれない」とあるように、この本は国を賭けてはいけない人たちがぎりぎりの神経戦を戦う歴史ドキュメント(ちょっとだけ脚色)である。昨今の日本政府の原発関連情報隠しはあまりにも愚民政策が行き過ぎで、憤りを通り越して機会があれば訴訟してやろうかとも思うくらいだが、戦後実に長い期間それでやってきたことも事実。官僚たちの劣化はいつ始まったのだろうか。読了日:05月14日 著者:塩野 七生もうひとつ別の東京―ひそかに愛し、静かに訪ねる55景浜町に転居して、どこへ行くにも散歩の距離になったこともあり、ちょっと個性的な東京ガイドを手に取ってみた。全55個所のうちしらなかったのは2か所だけだったので、選択としてはそんなに個性があるわけではなかった。文章は平易で解りやすいがちょっと華がないかな。読了日:05月06日 著者:木村 衣有子三銃士〈下〉 (岩波文庫)三銃士って、実は悪女物語だったんですね。上巻は下巻におけるミレディの活躍のための序章にすぎず、またダルタニャンは単なるおっちょこちょいの向こう見ずだし、アトスポルトスアラミスはミレディに比べれば刺身のツマ以下。ところでこの彼女の最期の描き方は「まだ死んでない」というメッセージと思うのは朝吹だけだろうか。ちょっと続編を書いてみたい感じ。読了日:05月06日 著者:アレクサンドル・デュマ三銃士〈上〉 (岩波文庫)小学生の時読んだ印象と全然違うのでびっくり。こんな卑怯な手練手管でしかもえええっちな話が繰り広げられていたなんて! やっぱりフランス文学は小学生には無理だった。そういえば、「危険な関係」も(翻訳が出ていなかったので)大学でフランス語を習ってから読んだんだっけ。ダルタニャンの田舎くささより、ミレディの都会っぽい勘違い女ぶりが好き。ミレディ頑張れ!読了日:05月05日 著者:アレクサンドル・デュマコンスタンティノープルの渡し守引き続き塩野絵本。「コンスタンティノープルの陥落」の副読本かな。海外の都市で二度以上訪れたことがあるのはほんの数えるほど。そのうちの一つがここイスタンブール。夜、強盗に遭ったにも拘らず、好きな街です。読了日:05月05日 著者:塩野 七生漁夫マルコの見た夢短くて、どこにでもある話だけに、一言一言がよく練られた文章になっている。「沈む太陽が夕なぎの海面を金に炉の一枚板に変えるころ」なんて捨てがたい。マルコの住む島が 「リド島」で、ここはたしか「ヴェニスに死す」の舞台。物語に寄り添って読んでいくなら、細部も気をつけると面白いかも。朝吹の青春時代がちょっぴり思い出されてセンチに。読了日:05月05日 著者:塩野 七生読書メーター
2011.06.05
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4月の読書メーター読んだ本の数:1冊読んだページ数:394ページ鹿男あをによし「人間は文字にしておかないと、どんなこともいつかは忘れてしまう」ので、この本を読んだことを記しておきましょう。ほぼ構造は読めるので、なんならこんな小説を書けばいいのだろうが、この主人公の分裂した(初めの50ページと後半で明らかにキャラが違う)個性を我慢して描き切るのは難しい。でも感情移入して最後まで読者を引っ張るのは見事な手腕。読了日:04月05日 著者:万城目 学読書メーター
2011.05.03
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2月の読書メーター読んだ本の数:11冊読んだページ数:1485ページエッジエフェクト(界面作用) 福岡伸一対談集読みやすい文章で、つい漫然と読み飛ばしてしまうところだが、「法律は感情を整理する道具」(桐野夏生)だとか、「予算を多く取れるような枠組みがパラダイム」(柄谷行人)だとか、ちょっとドキッとする震源がちりばめられている。2時間でできる知的冒険旅行。そのお手軽さが朝吹には不満だが。読了日:02月28日 著者:福岡 伸一江戸・東京 下町の歳時記 (集英社新書)もうちょっと早く読んでおけばよかった! お雑煮は暑くても「ふうっ」と吹いてはいけないんだ、福徳が逃げて行くんだそうだ。ほかに、ご祝儀袋に入れる新札は角をちょっぴり折って5角形(奇数は陽数)にするのが粋な礼儀だとか。ほとんど毎ページ、メモして誰かに話したくなる蘊蓄がいっぱい。是非一読を。読了日:02月24日 著者:荒井 修評釈芭蕉七部集 (1983年)読了日:02月20日 著者:幸田 露伴すぐわかる茶の湯の名品茶碗読了日:02月20日 著者:矢部 良明絶叫委員会読了日:02月20日 著者:穂村 弘チェブラーシカ (おひさまのほん)フェイスブックの童話版?他愛もない話だが50歳の「若い」ゲーナが世界を変えていくのがすがすがしい。読了日:02月20日 著者:やまち かずひろ絶叫委員会詩人の耳には凡人の何気ない会話がこのように聞こえているのだろう。その平面で読めば「でも、さっきそうおっしゃったじゃねぇか!」は確かに面白い。しかしこの本のすごさは続く透徹して覚めた視線の先にある「人間には世界そのものを生きるってことは不可能で、ひとりひとりの世界像を生きているに過ぎない」という苦い達観にある。そして僕たちは「死へ向かって流れることをやめた時間の特異点」である『永遠』が自らに訪れるのを静かに、あるいは騒がしく、待つのだ。読了日:02月19日 著者:穂村 弘評釈芭蕉七部集 (1983年)名高い「猿蓑」も露伴にかかると「手柄もなき句」だの「おもしろみも少なき句なり」などの辛口評が並ぶ。古注も悉く斬って捨てられる。3巻目にもなると慣れてもくるが。圧巻というか呆れるというか、「風呂」に関して延々8ページにわたって繰り広げられる蘊蓄の数々。ほんと、あんたは偉い、という感じ。現代人もたまには読むべし。読了日:02月19日 著者:幸田 露伴すぐわかる茶の湯の名品茶碗「同じ中国から喫茶の風習を学んだヨーロッパ人と日本人ではあるが、日本人はん地味で見苦しい茶碗で茶を飲み、ヨーロッパ人は金銀の器あるいはそれを模倣した白磁や色絵の器で茶を飲む」といい、茶碗に日本人の精神史を見出す著者の独善には同意できないが、茶碗の味方を丁寧に何度も同じことを繰り返し説いてくれているので、実に勉強になる。この本の中の茶碗のたった一つでさえ購えないけれど。読了日:02月15日 著者:矢部 良明評釈芭蕉七部集〈第3 上〉評釈曠野 (1949年)83年の合本で読了。編者と思われる荷兮をこれでもかとこきおろす筆致はすでに評釈を超えている。思わず「そげえ言わんでも」ととりなしたくなる。露伴の博引傍証はとどまることを知らず。この人と同時代でなくてよかった。読了日:02月06日 著者:幸田 露伴戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る (岩波アクティブ新書)「寝不足で重労働で飯がない、それが戦争の本質なのかもしれないのだ」と斎藤美奈子は言う。なんだ、今の俺の境遇そのものじゃないか。ということは、俺って、戦争の真っただ中にいるんだな。でも、俺、何と、誰と、何故戦っているのだろう。読了日:02月03日 著者:斎藤 美奈子読書メーター
2011.03.04
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1月の読書メーター読んだ本の数:3冊読んだページ数:1120ページ持続可能性の経済学を学ぶ―経済学に多元主義を求めて難しい本だった。必ずしも翻訳が悪いわけではないと思うので、元の文章がわかりにくいのだろう。しかし、苦労して読み解けば「排出許可証や(中略)二酸化炭素の削減という目的に即したものではありません」とある意味で衝撃的な立言がある。著者の哲学の丁寧で包括的な紹介が望まれる。読了日:01月22日 著者:ペーテル セーデルバウム山の音 (新潮文庫)うーん、どうしてこれが「戦後の日本文学の最高峰に位するもの」(山本健吉)であるか、全く理解できない。美しく練られた文体で描き出されるのは老醜としか言いようのない主人公の心理。なまじ感情移入できるだけにかえって始末に負えない部分がるが、今出版されたら間違いなく売れないだろう。そもそも出版されない可能性が高い。読了日:01月22日 著者:川端 康成芭蕉七部集―露伴評釈 (1968年)幸田露伴という人、蒲野津にスーパーな人で、古今の漢籍、国文学を悉く諳んじているかと思うほどの博覧強記。その蘊蓄を楽しむだけでも読む価値あり。読了日:01月22日 著者:幸田 露伴読書メーター
2011.02.12
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ばっちっこ その17濃いブルーの、硬めのコートを素肌に羽織っていた。照明の具合やらなにやら俺なんかにはわからないいろいろな理由ももしかしたらあったのかもしれないが、ステージの上にいたときとはだいぶ違う顔色をしていた。まがいものの「コニャック」による酔いが醒めつつある俺はともかく、ももよさんはさっきまでの青白いとも言うべき顔色に、血の気が戻ってきつつあるように見える。コートのカラーをこれ見よがしに立て、決して大きいとは言えない胸のふくらみを俺がのぞきこめるように、時折しなだれかかりながらほどんど無言のままションベン臭い新宿大ガードをくぐった。猥雑としか言いようのない東口から未来都市然とした西口に来ると、ようやくももよさんが口を開いた。「あんた、ああしをどうするつもりかな。あたしはシモキタだけど、タクシーで帰ってもいいんだけど、あんたはああしをひとりさみしく帰すつもりはなさそうなありそうな、お連れさんは消えてしまったようで、どうやら独り身のようだし度胸ありそうだし、でも世渡りが上手いようにも見えない。あんたはいったい何者で、あたしの身体以外に欲しいものがありそうなので」「まずは、音か、顔か、身体か。でもその前にモモヨを家まで送って行かなくっちゃね」「どうしてああしの名前をご存じなのかしら」「昔からの知り合い。俺が生まれる前、モモヨが生まれる前からの知り合い」「困ったもんだわよ、どこのセイガク? 早稲田? 慶応? 東大じゃないわね」「謎めいていた方がええでっしゃろ」 そのころようやく関東でも知れるようになった上方漫才の、たとえば笑福亭仁鶴あたりを思い描きながら、関西弁を真似しておどけてみた。「関西の人には見えへんけどね。そんなんいうんなら、うちとこ、おいで。ほな、タクシー止めよ、頼むで」 モモヨは京都のものらしいイントネーションで返事をした。 忘年会には早すぎる平日の12時過ぎだから、タクシーは容易に捕まった。南口のほうから甲州街道を下り、俺の通った小学校のそばを通り過ぎてしばらくすると幡ヶ谷である。京王線を横切って狭い道を走りぬけるといつの間にか井の頭通りに出る。再び酔いが回ってどこにいるかわかなくなりかけたころ、茶沢通りから東に入ったと思しきあたりで車が停まった。タクシー代はモモヨが払った。車内ではいちいちの曲がり角で的確に指示を出していたので、モモヨは少なくとも酔っぱらってはいないようだったが、ドアの外で待っていた俺の腕の中に倒れこんできた重さは信じられないくらい軽いものだった。40キロそこそこしかない華奢な母親をたわむれに抱き上げた時の腕の感触と比べても半分しかないのではと思った。 それまで俺たちはずっと無言だった。抱きとめたかたちのまま固まってしまったような感じで、次のしぐさに俺は踏み出すことができない。こういうとき、響子は必ず先回りしてリードしてくれていたせいもある。両腕の中でモモヨが背伸びした。耳元でささやいた。「音なの、顔なの、身体なの」「一つずつ、確かめようか」 モモヨが提示した選択肢は俺自身が考えだしてモモヨに伝えたものだ。そう、俺はやっと自分で自分の意思を伝え、決定するということがどういうことなのかわかった気がした。選択肢と、選択。なんと単純なことだ。考えてみれば学校の勉強でもテストでも、生徒会の紛糾事項でも議決でも、時々夜逃げしていなくなる友人を詮索がちな教員や他の同級生から守るのも、みな、「選択肢の提示、そして選択」という順番にすぎないのだ。男と女の関係も、同じことだった。あったり前すぎて誰も教えてくれなかったことに、この晩、気がついた。 そう、気がついたときはもう朝だった。アパートの外階段を昇り、8畳くらいの部屋に通され、することをした後、『ホエイ』とかいうへんてこな名前の薬を飲まされ、そこから先は記憶がないまま、ぺろぺろと音がするくらい頬を舐められているときに目が覚めた。その直前まで見ていた夢の中では俺は何故か女で、モモヨと響子の二人が男になっていて、前と後ろから犯されていた。前から覆いかぶさっていたのがモモヨで、俺の顔にキスの雨を降らしているかと思うと俺を飛び越して後ろにいる響子と長い舌をからませている。男同士なのになんて気持ち悪いことをするんだろうかと思っているとすぐにモモヨが俺の方に向き直ってきて、二人に愛されるのはうれしいだろう、と言った。 そこで目が覚めたわけだが、しばらくは夢の続き、いや、夢が夢であることがわからない状態だった。そう、『胡蝶之夢』だ。夢を見ている男が俺なのか、夢の中で本来女であるはずのモモヨと響子の二人から同時に責められて死にそうなほどの歓喜を味わっている女のからだをした俺が、本来の俺なのか。 そんなのどうでもいい、というのは、本来の『荘子』の答えにあっているのかどうかしらないが、そんなのどうでもいいと自分なりに悟ったと思ったら正気に戻った。いや、男の俺に戻ったと言うべきかもしれない。仰向けに寝ている俺の上にはぴったりと体をつけて、まだぺろぺろと顔を舐めまわしているモモヨがいた。「あら、あrrら、のぶひこさま、お目覚めね」 あrrら、のところは上手な巻き舌だった。ゆうべはずいぶん高い、ちょっとかすれた声でしゃべっていたように思うのだが、そのからかいを含んだ声は低く、晩秋の空気というより晩春のそれのように湿り気を含んだものだった。「なんで俺の名前知ってんだよ」「あrrら、だいぶ聞し召して(注1)いたもんね、覚えてないんだね」「コニャックを飲んでたから」「それも聞いちゃった。ソ連製のニセモノ、ね。のぶひこさま、ね」 どうやらあることないことだいぶしゃべったらしい。照れ隠しに首だけ持ち上げて5センチの距離をジャンプした。 モモヨの唇に俺の唇が衝突した。 そのまま蛸の吸盤のようにくっついた。が、その口の中にモモヨの舌が侵入してきた。 と、下半身が目覚めた。『ネグリジェ』と表現されるのだと後で教わった、俺のボキャブラリーでいえば『寝巻き』なのだが、の裾が開けば下は素肌だった。舌のお返しに、俺のものはそっちに侵入した。 然るのち、ブランチなどというしゃれた表現をモモヨから学んだ。この朝2回も楽しいことをしてから、ようやく『夜明けのコーヒー』(注2)を飲んだ時にはすでに11時を回っていた。そういえばこの歌は響子と初めて出会ったころよく流行っていた歌だ。『ピンキー』はてっきり『ピンクっぽい』ということだと思っていたのを、大笑いしながら響子に『小指のことよ、やーだ、さすがのぷろみっしんぐ東大さんも知らないことがあんのね』と訂正されたのをかすかに思い出していた。 その間に、酔っぱらって意識がないときに吐き出した言葉の断片を大方回収できたと思う。だからモモヨに、「プロミッシング東大さん」と呼びかけられても、たぶんそんなことも話したのだろうと腰を据えて受け答えすることができた。 だが、それにしても初めての女性と一晩過ごすためには、さすがにアルコールには限度があるべきだという、当たり前のことを学んだ。このときは予期せぬ出来事であったとはいえ、いや、予期せぬ出会いがあるからこそ、酒には気をつけるべきなのだ、特に15歳にとっては。 なんていう、馬鹿なことを考え、無邪気にモモヨとじゃれているうちにおそい秋の遅い朝の時間が過ぎて行った。 俺が学校に来ないのでひと騒ぎあったようだが、昼過ぎに悠々と出て行った俺に、これで皆勤もなくなったからお前の内申書は覚悟しておけよ、と学年主任の数学教師が勝ち誇ったように言った。「あなたの教頭昇進も消えてるからね、わかるよねえ」と、これは俺にとっては精一杯の負け惜しみだったのだが、どうやら新潟出身の省エネ口調でしゃべるこの教師の胸の壺に的中したらしい。きさま、と叫ぶといきなり殴りかかってきた。注1)聞し召して「きこしめして」 飲み過ぎている様子のこと。今は死語か。注2)ピンキーとキラーズ「恋の季節」人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2010.11.18
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既に演奏は始まっていて、テナーサックスが野太い、しかし高音が程良く混じった不協和音を積み重ねている。テーブルが8つくらい、ボックス席が2つ、合わせて30人くらいが定員だろうか。ジャズクラブとしては広くもなく狭くもない、ちょうどいい広さだ。と言っても、このときからそんなことを理解していたわけではない。この後新宿に限らず六本木や銀座を徘徊してなんとなく身につけた尺度だ。この日、『J』には4組くらいしか客がいなかった。空いた店内を見るともなく見回し、耳はベースがやけに上手いと思いながらボックス席でジントニックを舐めていると、やがてそのベースのソロになった。半分目を閉じ、口を少し開いて、右腕には青くて重たそうな太いバングルをしていた。ご丁寧に直径五センチもあろうかと思われるリングがバングルから連なって、これも重そうに揺れている。ベースにすがりつくように小さな身体を巻き付けてスラッピングするかと思うと、いつの間にか取り出した弓でアルコしたりする。目がくぼみ、頬がこけているように見えるが、それを補って余りある美形だ。久しぶりに美人という名詞に値する女を見つけた気がする。ソロが一区切りついたところで俺は場違いなほど大きな拍手をした。ベーシストが顔をあげて投げキスを返してきた。響子が股間に手を伸ばしてきたのを俺は無視した。次の曲は俺の知らないブルース系で、ゆっくりしたテンポで始まった。テナーサックス、ピアノ、それにドラムスとベースというワンホーンカルテットで、リーダーはもちろんサックスなのだが、俺の拍手に気を回したのか、ベースがソロを取る時間がやけに長い。やがてベースが揺れ出す。ベーシストともども揺れ出す。それは、これまで聴いたどんなレコードよりも俺を酔わせた。ポール・チェンバースよりも、ミロスラフ・ヴィトスよりも、ロン・カーターよりも、チャールズ・ミンガスよりも、デイヴ・ホランドよりも、ピーター・インドよりも、誰よりも心を捕らえた。ああ、みな古い顔ばかりだと言うかもしれない。たしかに50年代から60年代にかけて、マイルス・デイビスの周りにいたベーシストばかり並べてしまったかも知れない。でもそれは俺のせいではない。区立図書館には新しいレコードがなかったというだけのことだ。ご丁寧に素人っぽい照明がベーシストに当てられた。濃い影を生じるへたくそなライティングが一層顔の彫りを目立たせる格好になった。音が先か、その肢体が先か、それともあの顔か。俺はどうでもいいような順番、あのベーシストを好きになった順番をぼんやり考えていた。「ねえ、どうしたの」遠くで響子の声が呼んでいる。義理でも答えなければならない。「Fall In Love」「え?!」「あのベースと寝る」「え? どういうこと?」手に二杯めのジントニックを持ったままだったことに気付いた。響子になんか答えるつもりもなく、ちょうど通りかかったボーイにジョニ黒(注1)のダブルを2杯頼んだ。すぐに持って来いと急(せ)かしもした。何と言ったって、響子にはパトロンが出来てしまったのだ。おれの嫉妬の裏返しのようなものだ。振り向くと響子の目からちょうど大きな粒がこぼれ落ちるところだった。急いで舐めとってやった。しょっぱかった。これで単なる俺の浮気だと納得したようだった。だが俺のは本気だ。ボーイが運んできたオールドファッションドグラスを二つ持ってステージのすぐ前、向って右のテーブルに向かった。腰を下ろし、仰ぎ見るとベーシストは目の前だ。左のテーブルには縦じまのやや派手な背広を着た中年の男が一人で座っている。いわゆるスポーツ刈りの頭、太りもせず痩せてもいない、それなりに筋肉もありそうな体つき。上背は、そう、170センチはないように見える。俺をじっと見つめているのがわかる。敵意も感じられる。こういう店には初めてなので、客同士が変な競争心や嫉妬心をぶつけ合ったりするのだろうと軽く考えて気にしないことにした。左手を高くあげ、ベースを緩く抱える姿は、フレデリック・レイトン男爵(注2)描くプシュケーにそっくりだと思った。叙勲の翌日、狭心症の発作で亡くなった、貴族であった最短期間記録保持者だと、くだらない、どうでもいいことが画集の解説に載っていた。大事なのは画だ、残した作品だ。画家なんてそれだけで評価されればいい、こんなプシュケーを残したなら、彼にとって男爵なんて付け足し以外の何物でもなかろう。うす暗い図書館で大きな画集を広げ、決して解像度の良くない画像を眺めながら、ロンドンのテイト・ギャラリーという美術館を想像したのは、ついちょっと前、中学校3年の入学式騒動の後のことだった。こんなところで本物(?)のプシュケーに出会うとは思わなかった。俺は何故か俺の寿命が二十歳で尽きると予感した。やがてせつなそうな音色とともにテナーサックスカルテットの演奏が終わり、リーダーが型どおりのあいさつをしてセッションは一区切りついたことになった。「お帰りの前に一杯いかがですか」ベーシストに向ってジョニ黒のグラスを差し出すと、何のためらいもなく手を伸ばしてきた。半分くらい一気に飲み、グラスをテーブルに戻し、20センチほど高くなっているステージに文字通りぴょんと飛び乗り、そのままふらふらとバックステージに消えるとすぐに大きなケースを抱えて戻ってきた。言われなくても手伝いに上がった。が、ものの役に立たない。俺は結局ケースの蓋を開けて待っていることしかできなかった。ほんの数分でベーシストは楽器に飛び散った松脂を拭き取り、エンドピン(注3)を抜き、慎重にケースに収めると、すでに緩めてあった弓を所定の場所にしっかり固定した。ここまで、すべてベーシストが自分で作業した。「送ります。このあとの予定は?」「あんただあれ?」言いながらテーブルの上のグラスを取り上げた。明らかに酩酊した声としぐさだ。グラスに向かった手はゆらゆら揺れながら遠慮でもしているかのように伸びて行った。ベーシストは遠慮なんかしていないことは明らかだから、これは酔っぱらっている証拠だと思った。本名を名乗ろうとしたとき、「この人、いい人がいるんだから、坊やはやめとき」とオカマちっくな声がした。リーダーのサックス奏者だった。続けてベーシストに向って言った。「さ、帰ろう」「やだ」ベーシストは短く、はっきりと言い放つと、テーブルに座って俺の分までグラスに手を出した。「モもヨチャン、だめダよ、まズいよ」今度はドラムセットを叩いていた黒人が妙なイントネーションで言い募った。それもベーシストは、「ももよ」さんは、無視した。「もうちっと練習してから言いな。へたくそ。よりによってあたいのソロの時に間違うんじゃないよ」俺もこのドラムスがやけにへたっぴいで、ベースソロの時に途中でリズムが狂いかけたのには気がついていた。俺はこらえ切れず、にやにや笑ってしまった「笑ったネ、じゃあ、おマえ、できルンか」「俺は、客だ。そして、ももよさんの、ファンだ。文句ないだろう」「文句ある人、いるかもよ」今度はいつの間にか寄ってきたピアニストが割り込んできた。「争うつもりはないけど、初志は貫徹する」俺のいささか古いボキャブラリーを誰も理解できなかったようで、これ以上話が進まなくなった。ボーイたちがテーブルの間を行き来しながら閉店の片づけをしている。「ま、いいよ、好きにしなよ二人とも。俺ら、知らないからね」結局これが結論なのだろう。リーダーのこの発言を潮に、ほかのメンバーは俺たちを置いて出て行った。「アシ、いなくなっちゃった。まいっか、楽器は。あしたもここでライブだし。今日は身一つだし」その言葉をきっかけにして「ももよ」さんはいったんバックステージにコートを取りに戻り、俺は既に響子が去ってしまったボックス席に学生服を探しに行き、誰もいなくなったフロアを何の心配もせずに通り過ぎ、連れだって、手をつないで、地上へ出る階段をのぼった。エウリュディケーを連れ戻すのに成功したオルフェウスのような気がした。外は1カ月以上早い木枯らしのようだった。ちょっと寒い風が吹いていた。注1)ジョニーウォーカーの黒ラベルのこと。当時1本1万円ほどした。高級な酒の代名詞。注2)フレデリック・レイトン男爵 (Frederic Leighton)いいサイトがなかったので、これを。 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2002vn.html 「プシュケの水浴」注3)ベースの下の部分に突き出ている金属の棒。これをステージに刺して楽器を 安定させる。
2010.11.14
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久しぶりの本文更新です。ばっちっこ その15 翌日は月曜日だったが、俺は給食を食べた後、授業を抜け出した。昨日中止した荷造りの手伝いをするつもりだった。 中学校から響子のアパートまで、青梅街道をほんの歩いて10分である。俺の嫉妬心は夕べ家に帰ってからも収まらず、結局明け方まで平安な眠りが訪れることを妨げ続けた。だから午前中の授業はほとんどいびきをかくくらい熟睡していたかもしれない。教員たちは俺に対しては既に完全にあきらめていて、それこそ触らぬ神に崇りなしという感じで何も言わない。夜の睡眠不足を解消した気分がした。 しかしこの10分の間に再び嫉妬心が復活し、かつ、こんな嫉妬はあまりにも馬鹿馬鹿しい、俺には全く不似合いだという見事に自己中心的な、しかしいろいろな意味で平穏をもたらしてくれるであろう考え方も芽生えつつあった。 そうしてまだ暑い中たどりついたアパートはしかし空だった。引っ越しは午前中に済ませたらしい。であれば、教えてもらっている新しい住所まで出かけるだけだ。 十二社(じゅうにそう)から新宿御苑はそう近くはない。しかし学校帰りに家とは違う方向に歩いて行くとすれば、まあ、30分の距離だ。俺からすれば見慣れない風景の中を進んでいくわけだが、逆に風景の方からすれば見慣れない、学生ズボンをはいた若い男が晩夏の重い湿った空気を切り裂いて徘徊しているように見えただろう。その小一時間の間に、もしかしたらパトロンの磯田とかいう関西人と鉢合わせするかも知れないという想像が膨らんだ。その時は響子をくれてやろうという気持ちにだんだんなってきた。途中、新宿駅東口の二幸の前では駿台予備校のチラシを配っていた。9月末の日曜日に実施する模擬試験だという。学費もないので都立高校しか頭になかった俺には関係ない宣伝だった「衣装以外は本当に大したものがないアパートから、やはり大したものが置いてないコーポラスに移ったわけだ」 俺は安心して意地の悪い言い方をした。磯田も、その配下もいなかったからだ。気が抜けたと表現すれば行きすぎで、俺はしっかり新しい2DKを観察した。4階の一番東側の部屋で、南は道路をはさんで新宿御苑が見事な借景になっている。兄が通っていた新宿高校が南西に少しだけ見える。南東には東京タワーがオレンジ色に輝いている。 無言で俺を見つめている響子の顔は一度にたくさんのことを考えすぎてしまって何を顔色として表現したらいいのか自分でもわからなくなっているに違いないがゆえに無表情になっていた。板張りになっている東南の6畳からベランダに出ると、小さな人影が新宿御苑の広い芝生を取り囲むように歩いているのが見える。湿度が高い。雨が来る前兆であることは間違いない。出てきた窓ではなく隣の4畳半から部屋に戻る。この部屋だけが畳敷きで、まだ青々した新畳の匂いがした。「いい眺めじゃないか。御苑を独り占めできる。向こうからも見えるわけだけどね」「あのね、昨日言い忘れちゃったんだけどね、3時間もするから、してくれるから、あたし、腰が抜けちゃったし、あごも外れそうになっちゃったから、お礼言うの、忘れちゃったんだけど、みーんな、のぶひこさま、の、おかげなの。ううん、ホント、のぶひこさまがいろいろ教えてくれるでしょ、原始共産制とか、DNAとか。それがさ、結構受けるのよね、サラリーマンのおじさんたちに、ね。それで、あたし、赤坂進出、できたわけ。だから、ね、のぶひこさまの教育のたまものなわけ。それに」「なんだよ」「妬いてくれるし」 そう言うと畳の上にトンビ座りをしていた響子の手が俺のズボンに延びてきた。 扇風機を頼りに二人で汗を乾かしていると、まるで新婚さんのようにかいがいしく俺の面倒を見ていた響子がふと立ちあがって「ビール、飲もうか」 と言った。俺は、「もう少し涼んでからでもいいよ」と後ろ姿に声をかけた。 もちろん俺は『新婚さん』が具体的にどんなものか知らない。だが、たとえばお互いにこんな気遣いを示しあうのが、『しあわせ』なのだろうかと感じた。俺と響子の間にそんなときが訪れるのだろうか、いや、もしかすると今だけ、いまこそがそれであり、もう俺たちにはこんな瞬間は用意されていないのではないかとふと思った。 ちゃぶ台が小さなテーブルに進化したダイニングキッチンで駿台予備校の模擬試験案内を響子が見つけてきた。ぜひ受けろという。俺がぐずっていると、折り目のない千円札を二枚、茶封筒に入れて持ってきた。 仕方がないので受けるだけは受けに行ったが、志望校の欄で手が止まってしまった。都立高校の名前を素直に書いても面白くない、麻布は募集なしと聞いていたので他の私立御三家にしようかと考えて、そう言えば住所と同時に電話番号を書かされたことを思い出し、俺の家には電話なんてものは端(はな)からないことと思いあわせると、誰かが間違って見つけてしまって誤解されるのもまずかろうと思う。そんな他愛もないことが頭の中を右や左に行き交う一方、周りの受験生たちがあまりにも悩みなく受験票を埋めていくのをぼんやりとみていた。係りの中年のおじさんが後列から順に回収に来たので、とっさに授業料が安いと思われる国立の男子校の番号を書いた。 試験のできはあまり良くなかった。5教科で440点を少し超える程度だろうと自己採点した。響子に正直に話すと、駿台はレベルが高いから結構いい線いってるかもしれないよと励ましてくれた。 3週間ほど経った10月下旬、選挙を経て俺の下の学年に生徒会長を譲った。校長はじめ教員たちは一様に朗らかな顔を取り戻した。学内に平穏が訪れたと言ってもいい。俺の存在がそんなに重荷だったのかと今更ながら苦々しく思った。俺はいつも正論しか吐いていなかったはずなのに。もちろん、その『正論』が大人の社会では通りにくいものであることは重々承知の上だ。教員たちと駆け引きを楽しみたかったのだが、入学式、それに例の最終決定権の『かまし』のせいで、生徒会担当顧問と教頭は俺の顔を見るたび、私は貝になりたい、何も見たくないし聞きたくない、と言い募った。俺はそのたびに、「貝は貝でもほら吹き貝だろうが」 と言ってからかった。 その日の夕方、響子の部屋の鍵を回すと、なんだか恐いような微笑しているようなどっちつかずの顔をして出てきた。「のぶひこさま、連絡先をあたしのうちにしたでしょ。電話、駿台の」「俺んちに電話ないから」「かかってきたの」「悪いことはしてないよ」「あした、成績を郵送するって」「そんなことで電話してくるのかよ」「一番ですって」「ほお、俺が?」「そうよ、あたしのわけないでしょ。すごいじゃない」「悪いか」「さすがぷろみっしんぐ東大。あたしが見込んだだけのことはある」 俺はまずは素直にうれしかった、響子が喜んでくれることが。しかし別におまえに見込んでもらって何かしてもらってるつもりはない、と言いたくなってきた。保護者気分になってもらっては困る。母親の無限に優しい表情がかすめた。もし俺にとって『保護者』なんてものがあるとすれば、それは母親を措いて他にはないと思っている。でもそんなことを言うほど俺も子供ではない。下を向いて黙っていた。6畳の洋室には中古と思しきソファーが据え付けられていた。クッションがへたりつつあるそいつに座ると、響子がキリンの大瓶を開けて持ってきた。「カンパイ、ぷろみっしんぐ東大さん、サマ」「なに言ってんだ。あんまり飲ますと5回が3回になるぞ」「いいの、今日は。あたし、仕事、休んだし。今日は祝杯。だって、駿台の模試で一番なんて、絶対取れないし、あたし、現物の一番見たの初めてだし。あんたは、のぶひこさまはすごい」「響子に勉強を褒められてもちっともうれしくないね。俺はあれをおまえの体で褒められるのが一番うれしいね」「またあ、その話は次にして、そんでね、駿台から電話があってね」「だから一番だってんだろ」「うん、それでね、四谷の校舎で月水木と授業があるんですって。それにただでいいから来ないかって」「奨学生、か」「中学生よ」「ばか、奨学金と同じことだろ、って言ったんだよ」「あはは、そうだよね、小学生のわけ、ないか」「もう酔っぱらってんのかよ」「ねえ、近くにロシア料理屋があるの、行ってみない?」 ロシア料理がいかほどのものかは知らない。でも金、大丈夫かよ、と出かかったのを辛うじて飲み込んだ。中古とはいえソファも買ったらしいし、いや、買ったかもらったか知らないが、それでも響子が金回りに苦労しているようには見えなかったので、新宿方向へ歩いて5分ほどのところにあるペチカというあまりにもそれらしい名前の店に行った。 クアースというちょっと生ぬるいビールみたいな酒を飲み、更にコニャックと称するロシア産のブランデーを1本空けた。500mlで40度はあると見た。明らかに飲み過ぎなのだが、そのまま2次会に行くという。「のぶひこさま、ジャズが好きでしょ、生演奏聞きたくない?」 響子がジャズに興味を持っていたはずはない。これはパトロンの趣味で、そのためにここ新宿御苑のそばが響子の住まいとして選ばれたのだろうと邪推する心をなだめながら、厚生年金会館のそばにあるライブハウスへふらふらになりながら歩いて行った。『J』という名前だった。 そこで、ベーシストに出会った。
2010.11.11
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「赤坂のこと、のぶくん、何か隠してるでしょ」「二流、なんだってさ」 意外とあっさり言ってしまった。「いいのよ、そんなこと知ってるわよ、あたしだってね、この世界、長いんだから。いいの。少しずつ、ね、そりゃ、銀座が一番よね、知ってるけどね。でも、銀座の二流の店ならあたしだってお呼びがかからないわけじゃないのよ、でもね」「それより、パトロン、なんだろ」 くたくたと言い募るのを珍しく遮った。もっと聞きたいことがあった。嫉妬心がないと言ったら嘘になる。「大丈夫、のぶくんだけだから。あたし、郷里に病気の亭主がいることになってんだ」 すーっと平板で上下のアクセントなく発音した後、語尾が微妙に上がっていく。北関東の方言だ。嘘をつくときに少し混じることがある。『なってんだ』が上ずっている。これは、ウソをついている証拠だ。「それじゃあ、売春するんだな。そのパトロンとホテルに行くたんびに5万でも10万でも取れ」「そんな」「のぶくんが、あんたがでもそう言うんなら」 なんだかほっとしたような顔をした。俺はこの時点で猛烈な嫉妬を覚えた。「でも、のぶくんが言うなら、あたし、稼いじゃう。でも、妬かない?」 パチンと音がする。俺が響子の左頬をたたいたからだ。そのまま抱かずに部屋を出た。妬んでも仕方がないことは理性では十分わかっているつもりだ。それでも、俺は、響子が見知らぬ男に組み敷かれて俺の時と同じようによがり声を上げているのを容易に想像し、容易にボッキし、容易に怒った。 翌日、可愛がっていた大泉弘子を呼び出した。1年生である。それまで性的対象として見ていなかった弘子を昼間は誰もいない俺の家に連れ込み、弘子のハンカチをくわえさせて声を殺しながら、犯した。無抵抗だった。泣き顔が印象的だったが、滅多に洗わない敷布(当時シーツなどというしゃれた名詞は普及していなかった)が始業式や終業式で使われる旗、国旗、のように丸く赤く染まってしまったのにはびっくりした。直径30センチはあったろうか。俺はあわてて台所で洗って乾かした。一種のやつ当たりだった。 それ以来、しばらく響子の家に足を向けなかった。 9月半ば、響子が成子坂下のボロアパートから新宿御苑を見下ろせる明和コーポラスという2DKの部屋に引っ越すという。大した荷物などないと思っていたのだが、意外なほど衣装持ちだった。派手だけれどペラペラの化繊でできたドレスを化粧ダンスから引っぱり出して、こんな服着てたのかよ、とからかうと、意に反してまじめな顔で一声、なによ、と大きく言うなり泣きだした。「あたしだってね、わかってるのよ、赤坂だってね、一流じゃないけどね、お洋服だってね、人絹(じんけん)スフだけどね(注)」 と言った。涙声を更に大きくしながら続けた。「だってね、夜、飛ぶちょうちょなんてね、どうせね」 これ以上言わせないために俺は抱きとめた。あごの下くらいまでしかない小さな身体を、そっと、しかし力を入れて絞り上げるように抱いた。考えてみれば小さくなったのではない、俺が大きくなったのだ。もう175センチに近くなっていた。腕の中の響子を可愛いと思う反面、口をついて出たのは自分で言うのもなんだが、あまりにも冷たい一言だった。「パトロンに何回抱かれたか、言え」 俺は自分で自分の感情と動作と語りをコントロールできていない。「してないわよ。のぶくん、しか許してないから、絶対。あたし、しあわせなんだから、のぶくんだけなんだから。ぶっていいの、あたし、ぶっていいの。ジュリーよりショーケンより、のぶくんだから。磯田さんより、のぶくんだから」「磯田って、パトロンか」 抱きしめている身体が更に固くなった。「どこのやつだ」「大阪の人なの。だから、滅多に来ないの」 俺はふとその男に興味を抱いた。「苦しいから。かんにんして」 知らないうちに響子を抱きしめる腕に不要な力が入っていたのだろう。見下ろすと真っ赤な顔をしている。「どんなやつだ」 力を緩めながら、できるだけやさしい声のつもりで問うた。「熊本の人でね、ラグビーやってたの。偉い人なのよ」 偉いというのがまた気に障った。荷造り途中で散らかり放題の6畳に響子を文字通り落とすと、偉い人ならいくらでも買ってくれるだろうという暗い思いを込めてブラウスのボタンを飛ばしながら前をはだけた。下はノーブラでスリップだけだったから、またしても気に障った。「磯田のじじいが脱がせやすいようにしてるんだな」 立ち上がって胸を強く踏みつけながら鏡台のほうを物色した。裁ちバサミがあった。足はそのまま、手だけ伸ばして鋏を取ると、スリップを下から切り裂いていった。面白いように切れる鋏だ。お裁縫が得意で、時々自分で鋏研ぎをすると言っていたのを思い出した。持ち重りのする乳房が左右に分かれて沈んでいる。硬くてしかも弾力があるそれの感触が掌によみがえってくる。 響子は無言だった。目はしっかり開けて天井を見つめている。 ここで俺は正気に戻った。涙がこみあげてきた。「ごめん」 右手の鋏を見、眼下に横たわっている半裸の響子を見下ろし、鋏を鏡台に戻し、両手を響子の肩の外の畳に突いて、ちょうど両眼からこぼれ落ちた塩辛いものが響子の乳首の上に滴り落ちる音を聞いた。「のぶくん、好き」 それでもこう言ってくれる女の、俺自身の手で剥いてしまった裸の上へ崩れ落ちるように覆いかぶさると、俺の両手に伸びてきた湿った掌に手首をつかまれた。「のぶくん、好き」 俺の左耳を甘がみしながら言う。「こんなに妬いてくれると思わなかった。あたし、死んでもいい。ああでも、痛くしないでね、その代り。もう、くんづけじゃだめね。のぶひこさまって、呼ぼうかな。ね、のぶひこさま。響き、いいな、それだけで、感じちゃったりして。あれ、相当しょっぱいね、涙」 響子が俺の顔を起して右目をなめた。塩辛い涙は強い感情の嵐に見舞われた証拠だ。過去にないほど、俺は高ぶっていたのだろう、精神的に。いや、肉体的にもだ。畳に股間が擦れて痛い。もう今日は荷造りはヤメだ。注)人絹スフ:人造絹糸を略して人絹、ステープルファイバーを略してスフと呼ぶ。 どちらも安物の代名詞。 ばっちっこ 続く注)楽天の入力自動判定で「ぼっき」という漢字が「わいせつもしくは公序良俗に反する」という理由ではねられました。明らかに過剰規制、表現の自由に対する侵害です。楽天事務局に抗議します。
2010.07.04
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ばっちっこ その13 一応警察のシャワーを借りて帰るのだが、基本的には汗臭いままである。響子は脱がせたランニングシャツに顔をうずめながら、ああ、倒れそう、と毎回言った。臭いだろうに、というと、いいにおいだもん、と、とろんとした目で答えた。 ただでさえ腹を減らしている。響子の出勤前に一戦交えた後、焼きそばを作ってくれることがあった。3日分なんだけどね、奮発しちゃえ、と言いながら豚小間100グラムを具に使う。必ずジャガイモが入っている不思議な取り合わせのソース焼きそばだった。 調理の合間に面白いことを聞いた。「あたしの郷里のお寺にね、3匹、鬼がまつってあるお寺があるの」 お寺にお寺があるのは変だ、などと混ぜっ返すことなく、素直に話に乗った。「鬼を祀(まつ)るって、珍しいな」「そうなの、それも3匹も。黒いのと、青いのと、赤いのと」「あれの色が、か」「やーだ」 響子の顔がみるみる赤くなる。かわいい。俺はほくろがあってもなくても、響子は美人でかわいい女だと評価するようになっていた。「それで」「でね、青鬼は何でか知らないけど、くさりでしばられてんの」「俺、黒だぞ」「いやん、ばか。だからね、のぶくんも、しばっちゃうよ、あたしに」 そのまま夏休みに入った。高校受験だから俺も少しは勉強しようかと思っていた矢先に恒久が訪ねてきた。学習会をするから来ないかという。どうせ都立高校なんて22群(注)だって眠っていたって入れるだろうというので、内申書は相当ひどいのをつけられそうなこと、だから入試はほとんど満点でないと通りそうにないことを告げた。それでも恒久は言葉を継いで、98点は取れるだろう、面白いから是非来いと言った。そこまで言うなら参加することにした。 手渡されたのは『共同体の基礎理論』だった。白い何の飾りもない表紙。大塚久雄とだけ書いてある。5ミリくらいの厚みしかないが、俺にとっては重い書物になった。マックス・ウェーバーは岩波文庫で有名どころは大体出ていて、本来は入手の機会には困らないのだが、先立つものがあるようでなかった。小遣いが足りわけではない。響子の稼ぎの半分は俺が一人で使っていたのではないか。それは区立図書館所蔵のレコードを聴きつくした挙句のジャズ喫茶通いの金であり、秋葉原で仕入れてくる動作不保障品のアンプの基盤であり(これは20回ほどトライして復活に失敗したのは2回だけだから、9割は成功して転売したので本当は利益になったのだが)できちゃった同級生の堕胎費用だったりした。最後のやつは俺の責任ではなかったことだけは急いで弁明しておくが。なのでその手の本は恒久が必ず2冊購入してきてくれていて、3年の1学期にはほとんど読みつくしていた。大塚久雄は初めてだった。そもそもこの本は普通の本屋には置いていない。東大の大学院で使われる教科書だとあとで聞いた。 恒久に伴われて南青山の白神(しらが)という麻布高校2年の男のマンションを訪れると、じゃあ、始めよう、という一言で俺の紹介もなくいきなり輪講が始まった。以前から、たまに、ほんのたまに、麻布の人たちと話すと、その理解力が俺の中学の同級生の比ではないことはよくわかった。こいつらは必ずしも単なる学校秀才ではないようだった。あるはずの答えを見つける技術に優れているのみならず、あるかないかわからない答えの方向を見つける術(すべ)をしっかり身につけつつあることがよくわかった。ただし、どこに問題があるのかを発見するのは実地でもまれている俺の方がはるかに優れていると感じていた。 この日、俺はしばらく黙って聞いていた。大塚久雄批判が始まったのでちょっとびっくりしたが、そのトーンに聞き覚えがあることに気付いた。兄が一時期だけ首を突っ込んでいた70年安保の残党の言い草にそっくりなのだ。なるほど、だから『学習会』なんて呼び名だったのかと合点が行った。読みは鋭いが、問題意識が平板で、いかにも書生っぽい議論だったので、2時間を無言のまま退屈に過ごすことになった。 帰りがけに白神さんが声をかけてきて、高松君には難しかったかな、と言った。恒久のことが頭にないわけではなかったが、つい本音が出た。「書生には付き合えませんね」 恒久が下を向いたのを右の眼尻で捕らえた。同席していた麻布の連中が息をのんでばらばらと立ち上がった。「夜の歌舞伎町でお会いしましょうか、それも、客としてではなく、ゲマインシャフトの一員として。それからですね、話は」 色めき立っている仲間を代表して白神さんが、ほう、君はそんなに大人かね、と言ったので勝負はついた。「そうですね、私とみなさんの違いを『大人』かどうかで識別されるんでしたら、もう話は終わってますよね。白神さんおっしゃるとおり、皆さん、もっと大人になれば、今日の議論が掘った陥穽にも気づくでしょうし、みなさんが救済しようとしている、『実社会を支えている人々、無辜(むこ)の民』ですか、みなさんのボキャブラリーでいえば。そんな人たちがみなさんのような方々の支えなんかこれっぱっちも待ち望んでいないこともわかるでしょう。実(じつ)のある議論はそれからです」 これでこのグループとのつながりは完全に切れたが、別の機会も含めて麻布の連中からもらった考え方や、彼らと交わした話を元に自分で勉強したことは、兄や弟、まして母親に伝授しても全く意味がないと思っていた。兄は教員養成系の大学に通うことで教職免許をほぼ手中にしていたので、結局学生運動にも社会的現象の議論にも全く興味を示さず、相変わらず家でのんびりしているか場末で飲んでいるかのどちらかだった。不思議と女の気配がなかった。弟は『はしぼう』だった。この時すでに中学1年だったが、俺と引き比べられて散々なめに遭っていた。母親はかわいそうに全く寄り付かなくなってしまっただけでなく生活費も入れなくなった父親に代わって新宿西口にあるデパートの別館に店を出していた京都のお香屋さんでパートに精魂を使いはたしていた。 代わりに、俺は響子に話をすることにしていた。ウェーバーや大塚久雄だけでは不公平なので、独力で資本論や共産党宣言を読み解いて授業してやった。中学 1年の時から布団の中やちゃぶ台の周りで続けていたのと、もともと響子に才能があったこと、そして何より俺への興味(そう、話の中身への興味ではなく、そんな話をしている俺の方への興味だったと、ずいぶん後になってから笑い話で教えてくれた)のせいで、しゃべった中身について俺と議論ができるまでになってきた。少なくとも語彙だけはいっぱしのインテリ並みにはなっていたのではないか、贔屓目かもしれないが。 それは、場末には珍しい方向の知性だったのだろう、そんな響子の話術を気に入ってくれる固定客が付くようになった。俺もたまには当時響子が勤めていた花園神社のすぐそばのスナックに顔を出し、知らん顔をして会話に割り込んだり響子の応援をしたりした。 夏休みの終わり、彼らの勧めで赤坂に移ることになった。俺に向って、響子は『赤坂進出』と言う。精一杯の気取りが可愛い気がしたので、たまたま帰宅していた父親に赤坂の評判を聞いてみた。そういえばもうこの頃は父親を『高松雲さん』と思いっきり他人行儀に呼んでいたような気がする。『雲(くも)』はちなみに本名だ。「二流だよ」が答えだった。理由を聞くと、「二流は二流以外の何物でもない。地方から出てきた選挙民を政治家が『ここは一流です、みなさんをとびきり上等な東京にご案内しました』とウソをついて連れ回したから地方では一流扱いらしいが、俺や東大出の官僚や、うちうちで集まる時の政治家が使うような店は、ないわけじゃないが足の指までは使わなくていいくらいだよ」と解説してくれた。高松雲はそんなところに出入りして、妻と子供の家にはここ数年一銭も持ち帰らないのだ。 でもそんな、二流だなんてことは響子には言えない。注)22群:戸山・青山高校のペア。学校群制度のもと、新宿区を含む第2学区では 一番の難関とされていた。 ばっちっこ 続く人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2010.06.19
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あけましておめでとうございます。 1ヶ月以上空いてしまいましたが、元気にしております。今年もよろしくお願いします。 これは、ディナンへつれてきてくれた友人家族です。「サックス広場」での一こま。かわいいお嬢さんと美人の奥さん、それに結構ハンサムな友人。マーうらやましい。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2010.01.11
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こんなおじさんだったそうです。後ろが楽器店兼博物館です。閉館でしたが。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.12.08
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アドルフさん、今でも彼のお店の前のベンチに座ってお客さんを待っています。 サックスの楽器店であると同時に博物館にもなっています。この日は土曜日で休館でしたが。でも土曜日がお休みなんて思いっきり変、と日本人なら思いますよね! 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.12.07
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ばっちっこ その12 このちょっとした騒動の後、生徒会長に立候補した。それまでは各クラスから推薦を受ける形でどちらかというと秀才の義務のような位置づけだったのだが、俺は馬鹿馬鹿しい校則を廃棄するために目的を持って立った。当然のように当選し、1年間やりたいようにやらせてもらった。校則改正の前に、手はじめの戦果は翌年の入学式のスピーチだった。「中学校は『人間ロボット製造工場』です。先生や、先輩の言うことをそのまま信じていたら、卒業と同時にロボットです。皆さんはまず、『自分で考える』ことを習慣づけてください」 とやった。 直後に生徒会担当の顧問と一緒に校長室に呼ばれた。どういうことか、と問い詰めるので、間違っているところを論理的に指摘せよ、とやり返した。校長ははげ頭のてっぺんまで紅潮させ、すべてが誤りだ、謝罪しろと言った。俺は、そんなのはちっとも論理的でない、論点を明確にして反論しろと詰め寄った。お前は退学だ、と校長が叫んだので、きみにその権限はない、論理的に話ができないなら帰る。そう言い残して俺は校長室を出た。 頭に来たので、生徒会会則にある、『最終決定権は校長にある』という条項をひっくり返すことを画策した。本来は中学校の生徒会活動が教育の一環、ひとつの手段であるために設けられた条文であることは重々承知の上、これを蹴っ飛ばす活動を通じてバカな教員たちが校長も含めてどうあたふたするかを見たかったこともある。だめもとだが、あわよくば本当にこの最終決定権条項を撤廃して後輩たちにより自由をもたらせればいいと思っていた。 ひっくり返すためにはそれなりに手続きが必要だ。『中央委員会』という共産党張りの組織を手なづけて決議を出させ、毎学期末にある定時生徒総会にかけることにした。1学期の終わりの日である。 議題を事前公開するとどんな妨害が入るかわからないので、中央委員会メンバーには緘口令を敷き、議事次第には『その他』としか書かなかったのだが、1年生の一人が担任に責められて最終決定権条項撤廃のことをしゃべってしまった。大泉弘子という頭も良くてかわいい女の子で、隔週水曜日にある中央委員会で書記に指名し、いつも隣に侍らせていたのだが、それだけに自分が秘密を漏らしてしまったことをとうとう俺に告白できないまま、総会当日を迎えてしまった。 体育館で全校終業式をしたあと、各クラスで通信簿が配られる。ここまでは毎度のことだ、何も変わったことはない。引き続き簡単なホームルームと夏休みの心得みたいな内容を担任がしゃべり終わると、再び体育館に戻っていよいよ生徒総会が始まる。 クラスの友人たちと一緒に教室を出て階段を降りると2階に職員室がある。1・2年の体育教師が2人して待ち構えていて俺の両腕を押さえると、校長先生がお話があるそうだ、ちょっと来いという。1階にある校長室には禿頭まで青く染まって緊張している久保田校長が待っていた。きょうはここから出さないからな。説教をしてやる。お前みたいなやつには内申書に本当のことを書いてやるからな。だんだん顔全体に赤味が射してきた。まん丸い顔なのであまり酷薄な感じがしないのだが、このときは冷酷一途な気配を感じた。 俺はもとからこの会則改正がうまくいくとは思っていなかったから、たぶんこの場にいる誰よりも落ち着いていた。「本当のことって、教員の弾圧にめげずに真実を貫いたってことですね」 俺はこの久保田という校長を完璧になめきっていた。久保田校長の顔の赤味が赤を通り越して赤黒くなってきた。生徒会は教育活動だから、生徒会での決定事項は校長が最終的に決めるのは当然だろう。そう言いかけて来たのは生徒会顧問の教員だった。俺は社会科担当のその教員を無視して校長に向って言った。「これで君の出世は終わりだな。俺はこの足で出るところへ出る」 教育委員会がお前みたいなやくざもんの言うことに耳を貸すとでも思っているのか。校長はそう言い切ると大声で笑った。わっはっは、という感じだ。釣られてなのか追従(ついしょう)なのかは別にして、体力以外に取り柄のない体育教員が二人でコーラスをするように笑った。 俺も笑いをこらえきれなくなって下を向いて小さく笑った。「誰が日教組の教育委員会になんて行くもんか」 笑いが止まり、生徒会顧問が、じゃあどこへ行くつもりか、と聞いてきた。俺は下を向いて今度は笑いをこらえながら、さっきと同じように小さな声で言った。「黙秘権」 体育館では、議題が事前にばれてしまっていることを大泉弘子からも聞き、俺の身に起こったらしい異変も悟った副会長以下が淡々と会則改正以外の議事を進め、俺の帰りを待っていたようだが、ついに現れない俺を待てずに、予算を議決したところで閉会にしたそうである。そのしばらく後、解放されてすぐに総会の会場に飛び込んだのだが、もちろん、そこには生徒は誰もおらず、数学担当の海坊主の出来損ないのような教頭と、がりがりにやせてオールドミスの典型のような国語担当の俺のクラスの担任がへらへら笑いながら何か言葉を交わしていた。 俺の出現に二人とも腰が引けているのがわかる。どうしたのかね、と、教頭が言わずと知れたことを聞く。声が上ずっている。担任のほうは、高松君が職場放棄している間に総会は終わっちゃったのよ、と俺を挑発した。 拳を固めて一歩踏み出すと、二人とも二歩下がった。 この日はさすがにクラブ活動はない。しかし体を動かしたかった俺は『警剣』に行くことにした。道場に顔を出す前に、新宿警察署のプレスルームに寄ってみた。特段の刑事事件があったわけではないが、ちょうど夏休み入りということで、金沢警部がなにやら原稿を手にしてプレストークをしている。いつもの剣道着に面と胴と小手という姿からは想像もつかないくらいやさしい面差しだ。 終わりかけのころ、俺を見つけた金沢警部が、まあ、このひとくらいまじめな子ばかりなら苦労はないんですけどね。と記者に向って笑いかけた。すぐ近くの区立中学校の生徒会長さんです。こう紹介してくれた。 安物のワイシャツの袖をめくり、半袖にちょうど隠れるあたりを警部と記者たちに見えるようにしながら俺は記者席の真ん中を突っ切って行った。「ひどい目に逢いました。これ、教員に掴まれた跡です」 こう口火を切ってさっきまでの生徒総会での出来事を語った。あえて事実だけを述べることで、記者たちに客観性を感じ取ってもらえるように工夫したつもりだ。「裏を取るならどうぞ。校長以下、わたしが教育委員会に訴えると思っているようですが、わたしにはコネもありませんので、こうして日本の良心に真実だけをお伝えしました」 どうやら警察回りをしている人たちとは職掌が違うようで、5・6人ほどの新聞記者たちは互いに顔を見合わせた後、警部が俺の腕をさすっているのを見ると、ばたばた出て行った。記者会見場のすぐ外にはこれ以上お誂え向きという場面はないと思われるくらいお誂え向きに、公衆電話が4台並んでいる。手短に話す手際はさすがに手慣れたもので、俺がたらたらとしゃべった中身を1分以内に要約して伝えていた。 ひとしきり電話が終わると、今度は警部に向って質問が始まる。本件は所轄署としてどう取り上げるつもりか。 既に俺から大要は聞き取り済みなので、金沢さんの答えはしっかりしている。事実関係を調査の上、しかるべき対応をいたします。さし当り、校長以下関係教職員への聞き取りと、生徒さんへの面談を手配いたします。いや、いたしました、もう係りが『げんじょう』へ向かっております。と警部は淡々と答えた。 じゃあ、立件もあり得ると? いや、それはまた次元の違う話です。よくよく調査が進んでからの話です。が、オフレコですが、高松君が言うことですから、事実関係は正しいでしょう。ただ、立件は難しいでしょうけれど、ね。 俺はそこまで聞いてから、剣道場へ行った。 ばっちっこ 続く人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.12.06
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サキソフォンって、発明者の名前だったんですね。朝吹は今回この旅行を企てるにあたって下調べをして初めて知りました。シタデルを降りて右すなわち川をさかのぼる方向へほんの数分行くと、ご覧のとおりの案内板が現れます。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.12.02
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きゃあ、こんなとこ、攻めたの?! という感じのところに道がついています。まあ、作ったほうも作ったほうですが。 でもいつも朝吹は思うのです。作っている最中に攻められたらひとたまりもないよね、なんでそういうときに戦争しないのかなって。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.12.01
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下り道です。 下から撮ってあげるからそこで待ってて、と言い残してどんどん降りていってしまう友人家族。ものすごい奇遇で、以前日本に留学していた親友が故郷のスコットランドに戻り、そこで家族を養い、娘が中学校のブラスバンドクラブでたまたまサキソフォンを吹いていた関係で、ここディナンを訪れたとのこと。10年ぶりの再会でした。ま、その話は「幽霊」には書きませんでしたが、そのうち、スコットランドの怪談で登場するかもしれません。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.30
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突端まで行くと町が見下ろせます。ノートルダム教会も眼下に。 確かに要害の地です。近代に至るまで、多くの血が流されたというのも頷けます。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.29
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この鎧を着ていた人は、3発の銃弾を浴びてこと切れたのですね。真ん中のやつが致命傷でしょうか。これ、壁にむき出しで無造作に飾ってありました。触るなとは書いてありましたが・・・。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.29
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ばっちっこ その11 体つきも精神も大人びていた俺は、同級生の男たちの誰よりももてた。3年間で受け取ったラブレターは優に段ボール1杯を越える。毎朝げた箱を開けるとどさどさと手紙が落ちるというのは大げさにしても、ほとんど毎日のように誰かから幼い愛の告白をもらった。いかに幼いと言っても中学生だ、誰かと同じ場所に自分の傑作お手紙を押しこむはずはない。だから必ず一か所から一通が見つかる。俺はそれらすべてにせっせと返事を書いた。否定的な中身を返したことは滅多にない。嘘でも君はきれいだと書いた、君に興味が尽きないと書いた。だから相手が俺に飽きるか俺をあきらめてほかの男にくっつくか、まれに俺が付き合いを断るかしない限り、彼女たちもまた、せっせと俺にラブレターを書き綴ってくれた。その蓄積が、抱えきれないほどの想いだ。 剣道と響子と、母親に付き合って12時まで起きている間の「学業」と。それに恒久が遊びで絡んできて、加えて山ほどのラブレターだ。俺の中学校生活は充実を通り越して中身が溢れかえる毎日だった。「先輩あのねあのね」「なんだよ、早く言えよ」「ううん、なんでもない」 こんな子もいた。今から思えばかわいそうなことをした。キスの一つもしてやればよかった。たしか鴨川玲子という名前だったと思う。肩より長い髪の毛を三つ編みにして束ねていた。女子中学生はみな、同級生の男が子供に見えるそうで、飛びぬけて大人びていた俺なぞは例外中の例外、その上勉強も剣道もと来れば。しかし、そういう女の子たちとは、俺は一線を越えることはしないできた。 やがてそんな期せずして保ってきた節操を破る日が来た。中学2年の秋、上級生とひとりの女を張り合うことになったのだ。宿沢という男だった。のち、新宿のその筋に就職(?)し、有名な新宿抗争の時に受けた傷がもとで死んだと聞いた。 その宿沢と、俺と同級の光子というちょっと白痴っぽい美人を争った。光子の態度が煮え切らないので、じゃあ、強いほうと付きあうことでいいかと本人に念を押し、屋上を子分たちに封鎖させて決着をつけることにした。『タイマン』などという物騒なボキャブラリーを覚えたころだ。 相手は170センチの柔道部だが、俺だって170センチにちょっと足りないくらいの剣道部だ。勝負は上級生が柔道の組手に来ようとした時点で決まった。俺が鼻にパンチを打ち込んだからだ。大した怪我でなくても痛みと出血は戦意を喪失させる。鼻血を押さえながら涙を流して逃げようとしても、屋上のドアは内側から施錠してある。俺はこの先どこまでもこの男をいたぶり続けることができる楽しみがわき上がってくるのを、暗い気持ちで感じた。そしてそのどこまでも光の射さない感情に身を任せる愚を悟った。 取り決めていた合図の柏手を3回打つと、鉄のドアが内側に開き、対戦相手は本当に転がるように逃げ出して行った。入れ替わりに子分たちに背中を押されて光子がぼんやりと体を現わした。「俺が、お前の恋人だからな」「うん、わかった」「7時に三平ストアの前に来い」 響子のアパートの近くにあるスーパーマーケットである。中学校からも近く、ときどき同級生たちが万引きをして捕まったとかうまく逃げたとか、俺たちの話題に頻繁に顔を出す場所なので、ちょっと頭の中身が覚束ない光子でもわかると思ったからだ。 その晩は警察剣道をさぼって、しかし何事もないように家族4人で夕ごはんを食べたあと、待ち合わせ時刻ぴったりに着くように家を出た。そう、兄は母親の頑張りで得た学資で予備校に通い、この年の春には何とか現役で2期校に合格していたが、ろくにアルバイトもせず、家でゴロゴロしていた。母親は俺の夜間外出には慣れっこになっているので、何も聞かず、ただ鍵を持ったかどうかを細い声で答えを期待する様もなく言っただけだった。 光子をスーパーの前で拾ってまっすぐ響子の部屋へ向かった。この時間なら店に出ているからだ。呼び鈴なんてシャレた物は始めからない。俺はもらっていた合い鍵を使って無造作に安物のドアを開けた。 響子がいた。「あら、のぶくん、ごめんねえ、かぜぎみでさあ。あら、どなた、あら、いもうとさんかしら」 俺は声が出ない。びっくりしたのと、まずいことになったのと、二つが頭の中をぐるぐる回っている。風邪をひいている響子への心配なんてかけらもない。 しばらく無音状態だったのだが、思いがけなく光子が沈黙を破った。「いとこなんです。ちょっと気分が悪くなっちゃって、のぶちゃんが横になれるところ、近くにあるからって、連れてきてくれたんです。すいませんけど、ちょっとだけ、貸してください」 これほど笑いをかみ殺すのに苦労したことはない。「He go home yesterday」なんて普段英語の試験に書くくせに、こういうときは学校の勉強だけはできる俺なんかよりよっぽど芸が深い。どうして女はとっさにこんな見え透いた嘘がつけるのだろう。「ああ、そうなの、大丈夫かな、きたない部屋だけど、どうぞ、遠慮しないで寝てていいわよ。何か飲むかしら。のぶくん、ちゃんとお世話しなくちゃね、ちょっと、あたし、氷買ってくるわ、三平ストアに売ってるから、すぐ戻るからね、お嬢さん、スカートゆるめて、横になっててね。のぶくん変なことしちゃダメよ、じゃあ、行ってくるから」 突っかけをうまくすくい履きそこねてドアに頭をぶつけた響子は、なにやらぶつくさ言いながら出て行った。 俺は言うべき言葉が見つからなくて黙って光子を見ていた。光子はゆっくりとしゃべり始めた。「帰ろ。いつでもできるよ。あたし。高松君の恋人になったんでしょ。したければ学校でもよかったのに。場所。あるし。あたしがしたんじゃなくて。変な眼で見たでしょ。あたしじゃなくて。たとえばガーコとか。ああ、荒井和子ね。あの子は江波戸と。デキてるから。うちでもいいわよ。おねえちゃんと二人で。住んでるから。おねえちゃんがいない時なら。大丈夫」「わかった、おまえとやるのはあとにしよう。おまえ一人で先に帰れ。あしたまた考えよう」 光子は素直に帰った。 入れ違いに響子が戻ってきた。買い物かごには氷だけでなく、お菓子とビールも入っていた。「もっと時間つぶそうと思ったんだけどね、あの子が出て行っちゃったからね、もういいかなと、思って」 涙がぼろぼろこぼれはじめた。まあるい粒が化粧っけのない頬をほとんど濡らさずに転げ落ちるように流れる。「早く戻りたかったの。もう」 俺は精一杯やさしく抱きとめてやった、無言だったが。「あたしなんかね、誰にも許してないんだから。あんただけなんだから」 俺はゆっくりと薄い布団の上に寝かせてやった。「うつると申し訳ないからね、のぶくん、悪いけど、帰って」 鼻の頭の汗を舌ですくい取ってから、ゆっくりと体を起し、台所でありあわせのコップに水を入れ、響子が買ってきた氷のかけらを二つ落とすと、枕もとに戻って「あした、来てやるから。治しとけよ」と言った。 横向きにこっくりとうなずいたのを見て、俺は帰ることにした。ドアを閉め、鍵をかけようとしているときに、響子が何か言った。再びドアを開けると、「やさしくしてあげんのよ、痛がるからね」と聞こえた。俺は苦笑しながら顔を引っ込め、外から鍵を掛けた。響子も俺自身に鍵を掛けたいのだろうと思った。『束縛』という漢語が頭の中を往来した。 ばっちっこ 続く人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.28
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ばっちっこ その10 2学期は新谷のり子の『フランシーヌの場合』を学校帰りに大声で『ブランチンコの場合は』とわめきながら歩き、正月は『黒猫のタンゴ』を『ボクの恋人は黒いあれ』と小声で笑い飛ばしながら過ごし、予定通り俺は区立中学校に進学した。恒久は俺が受けなくなってから日進で1回だけ一番を取って、両親の、そして恒久自身の希望通り麻布中学に通うことになった。 もちろん、昼間は麻布の生徒として遊び呆け、夕方は大人の恒久サマ(弓子にはこう呼ばせていた)として遊び呆けていた。酒もだいぶ強くなっていった。ついでに一人で出すものを出すやり方も覚えてきて、目の前で俺に実演して見せてくれた。これは、チンパンジーが死ぬまでやり続けたというまことしやかな話が満更嘘でもないと思った。ただし、目にも刺激が必要で、かつ、俺の家で兄弟や両親に気付かれずに満喫するのはほとんど不可能な方法だった。今度ばかりは恒久がうらやましくなりかけたが、何も一人でやることはないわけで、その気になったら夜中でも響子の部屋に行けば済むことだと気づいて納得した。 俺の方は普通の区立中学だから昼間は遊び呆けるというわけにはいかない。恒久は教室の後ろで授業中に雀卓を囲んでじゃらじゃらさせていたというから相当のものだが、さすがに俺はそこまではしなかった。代わりに、響子の部屋で見かけた剣道部という文字に興味を惹かれ、防具一式を響子に譲ってもらって剣道を始めた。面は中学校が部活用に揃えている普通のものと同じような造りだが、響子の汗が染みていてかすかにおしろいの香りがした。胴は中学生用の竹製とは全く違って、いわゆる「赤胴」だった。響子はこれで関東大会3位まで行ったという。 なんだか下半身を響子が守ってくれているようで、紺色の袴を着(つ)けるたびに緊張感と同時に桃色の空気が目の前を横切るような気がした。乱取り稽古が一巡するまではいつも何となく落ち着かない気分だった。 竹刀は一年の時はいわゆる『さぶろく』(3尺6寸)の学校備え付けのものを使ったが、2年生になった時から、響子が買ってくれた大人用の『さんぱち』(3尺8寸)を使い出した。同時に、週3回のクラブ活動では物足りなくなって、クラブのない日は同級生を誘ってすぐそばにある新宿警察署の道場に通い始めた。警察剣道、略して「警剣」それを俺たちは「経験」の意味をダブらせて使っていた。その甲斐あって、2年の半ばで初段、3年の11月には弐段をいただくことができた。が、都大会では3位が最高だった。一流になるには真面目さが足りないということは自分でもよくわかっていた。 そんなこんなで、一年の夏には俺が中学生であることがばれてしまった。そのことに気付いた時、響子のただでさえ大きな目玉が、思わず手のひらを出して落ちてくるのを受け止めてやろうとしたくらいに見開かれ、息を吐くのを忘れたかのようにじっと息を止めたまま1分くらい沈黙が続いた。やがて、「でも、しょうがない、あたし、あんとき、館山で、サメが来たとき、溺れちゃったのよね、のぶくんに、きっと。だから、いい。まあ、年下である、ことには、変わりないもんね、それに、ぷろみっしんぐ、東大、だし、ね」 響子は半分泣きながら俺の学生ズボンのベルトに手をかけた。 道場へ行かない日は図書館にいた。文字が目当てではない。毎回分厚い美術書、画集を何冊も抱えて閲覧テーブルに戻り、飽きもせずに眺めた。区立中学の貧弱な蔵書はすぐに見つくしてしまい、当時できたての新宿中央公園の外れにあった区立図書館に通い、そこも征服すると渋谷区立だが環状6号線(山手通りとは地元では呼ばなかった)のすぐ外側にある本町図書館にまで足を伸ばした。 やがて絵にも飽きたころ、レコードというものに出会った。真面目ぶってクラシックと呼ばれるジャンルから聞き始めたが、バッハハイドンベートーベンからモーツアルトに進んで、これを何故「クラシック」と呼ぶのか疑問を持った。これはポピュラーソング以外の何物でもないと思った。思ったついでに図書館にいることも思い出し、音楽の本をひとしきり読んだ。吉田秀和の『モーツアルト』が出たころで、2時間で読み上げてばっかじゃなかろうかと思い、それきりクラシックは沙汰やみにして代わりにジャズを聴き出した。続いて、ロックンロールまで。およそジャンルにこだわらず、3時過ぎから7時頃まで、考えてみればよく飽きもせず、こんなに聞き続けたものだ。夏などはヘッドホンが汗まみれになって、耳の後ろに汗疹(あせも)ができたくらいだ。 夏休みは恒久のいとこで静岡大学に通っている瑶子さんという山女の影響で南アルプスに登るのが恒例になった。恒久と二人で4日から1週間くらい山に入る。その当時南アルプスは山小屋があっても無人だったり、管理人がいても素泊まりだったり、食事の提供がある一部の、例えば北岳周辺などでは今度は宿泊代が高くなりすぎて、などなど、結局いつもシュラフ(注1)にツェルト(注2)、それに食料は自炊で停滞(注3)の分の予備を含めて予定日数の1.5倍くらい持って出かけた。3年の夏は伊那谷側の戸台から延々と河原を歩き、そのまま千丈岳直登。翌日野呂川まで2千メートル以上降って再び北岳に登り返し、更に間ノ岳農鳥岳を縦走して大門沢を降りるコースに挑戦したのだが、このときは新宿駅まで歩く間に汗が吹き出し、早くも二人で「帰ろうよ」コールが始まる始末だった。40キロのキスリングはさすがのやんちゃ坊主たちをも拉(ひし)いだ。もちろん完走したが。 水道橋にあった『フタバヤ』で登山靴をオーダーしたのもこの頃だ。代金は、もちろん響子が出した。その当時の大卒男子初任給の半分以上した。 山から戻ると、休養と称して館山の別荘に1週間ほど滞在した。今の表現でいう、『ゆるーい』日々を過ごすわけだ。そのうち1日か2日は響子たちが遊びにくるのも毎年恒例になった。相変わらず冷房のある部屋はひとつしかないから、俺たちはセットで夜を過ごした。恒久と俺はそういう仲だったし、響子と弓子も似たような関係だった。 3年の夏はこの生活から戻ってすぐに駿台模試を受けて、平気で1番を取った。 話は戻るが、父親からは入学祝にオリベッティのタイプライターを買ってもらった。活字はパイカではなく、名前に惹かれて一回り小さいエリートにしてもらった。それに、英語専用ではなくドイツ語のウムラウトもβ(エスツェット)も、フランス語のセ・セディーユ(Cの下にひげがあるやつ)までも打てる西ヨーロッパ言語仕様を頼んだ。βはさすがに特注で、一ヶ月待たされて届いたのを見ると、バーに活字が銀蝋付けしてあった。俺はつまらない英語の授業の間、フランス語の独習を始め、3年になる頃にはこのタイプライターでラシーヌの『フェードル』を写し、持ち歩き、イポリートの名セリフををそらんじたりしていた。Vous voyez devant vous un prince deplorable,D'un temeraire orgueil exemple memorable.あなたの前にいるのは、一人の哀れな王子、後の世まで、傲慢な自負心のいましめとなるべき者なのです。(二宮フサ 訳) バカな話だが、結局英語よりフランス語の方が(日本人としては、だが)より自由に使えるようになった。押し付けはだめだと気付いた。 夜は、このころから父親が家に寄り付かなくなっていたこともあり、粗末な夕食をそそくさと掻きこんですぐに兄や弟が冷たく北側の兄弟3人が寝起きしていた六畳へ引っ込んでしまうのに対して、俺はやさしい母親の悲しそうな顔を見ているつらさよりもそばにいてくだらないテレビを一緒に見てやる方を選んだので、響子との1週間に一度は通うという約束が果たせないこともあった。ひとしきりテレビに母親が飽きてこっくりこっくり始めると、六畳から自分の教科書や兄の参考書などを持ち出して来て12時まで暇つぶしをした。NHKが国旗を映し、君が代を流すのを聞いて、ため息をつく母親が布団を敷くのを手伝ってから、件(くだん)の6畳に引き上げる日々だった。 そういうわけで、別に意図したわけではないものの、中学校の成績は、お兄さんの再来いやそれ以上、神武以来の秀才だと囃し立てられた。入学して最初の中間テストで488点を取った。5科目だから平均は98点近いわけで、囃されるのも当然かもしれない。数学と英語、それに地理(一年生の社会は地理だった)は満点、国語は答案用紙に名前を書き忘れて10点減点、理科の第2分野(生物と地学をまとめてこの当時はそう呼んでいた。ちなみに次の「第一分野」は物理と化学である)は満点、そして第一分野はあとで「意地でもミスを見つけてやろうと思って必死にアラ探しをした」と教諭が笑って話してくれたのだが、元素の『元』の字が数学の「π」に見えるという言いがかりでマイナス2点になっていた。それで都合488点だ。 このときばかりは世の中そんなものかと思った。悲しそうな母親の顔を見たくないから隣で暇つぶしに教科書を広げているだけでほとんど満点が取れるほど世の中は難問が枯渇しているのかと思った。それなら俺は世のため人のために一生をささげる必要はない。自分の好きなことをしていればそれで世の中は俺と関係なく回って行くに違いないと悟った。万一、世界が俺を必要とする時が来たなら、その時はすべてを捨てて尽くせばいいと思った。この時は、捨てるに惜しいものなど何ひとつ持っていなかった。 そのあとも似たり寄ったりの点数で、ついに卒業まで一番で居続けた。別に「一番を守った」なんて言うつもりはない。単に、結果として、そうだっただけだ。 一方めちゃめちゃに遊び回っている恒久はさすがに一番は取れず、それでも麻布の中でひとけたにちょっと届かないあたりをうろうろしていたようだ。はっきりとは言わないがまあ、10番から20番くらいのところなのだろう。これは嫌味でも何でもないのだが、俺たちにとって学校の成績は人間の善し悪しを測る尺度ではなくなっていた。そんもの、やればやったで上がるし、やらなくたってできるやつにはできる。でも人間の価値は学校の勉強・成績なんかとは全く別のところで決まるんだということを、学校生活とはかけ離れたところで思い知らされていたからだ。それは、響子や弓子や、彼女たちを取り巻くオトナの男たちを見たり実際に彼らと付き合ったり彼らのシノギの邪魔をしたりしながらわかったことだった。 でもまだその話に行くのはちょっとだけ早い。注1 シュラフ:寝袋。それもダウン100%なんてぜいたく品ではなく、重くかさばる化繊の安物だった。注2 ツェルト:非常用の小さなテント。注3 停滞:山中で雨などのとき、同じ場所で『停滞』し、次の日の行程を先延ばしすること。だからその分食料が余分に必要になる。注4 キスリング:昔の、帆布でできた大型のリュックサック。今はまず見かけない。 ばっちっこ 続く人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.28
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こんな回廊を抜けていくと、思いがけない展示品に出会います。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.19
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もう一度、戦場に咲く一輪のバラ! そして大砲! 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.18
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殺伐とした中にもバラです。 でも油断しているとこんな感じ。大砲が市街地を睥睨しています。ああやっぱりここは殺人の館なのです。「バラと大砲の日々」うん、新しい小説ができた! 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.17
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続きです。鍵を開けると、ギロチン(フランス語でギヨチーヌ)。生首まで置いてある大サービス。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.16
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やっと戻ってきました。本当に「奥地」でした。成田から北京まで、これは3時間半ですが、そこから飛行機を乗り継いで昆明まで。これがなんとほとんど成田までと一緒で3時間ちょっと。そこで一泊。翌早朝の列車で6時間掛けて午後1時半ごろ駅に到着。そこからさらにタクシーで30分。わかってはいたけれど、遠い・・・。しかも、早朝の昆明駅で背広の外ポケットからデジカメと旅行用メモ帳を掏られてしまいました。 えーん(泣)。 今回の旅行はしたがって携帯電話にオマケでついているカメラで撮影したしょぼい写真しか残りませんでした。折りがあったらブログに載せようと思います。人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.15
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明日からちょうど一週間、中国の奥地に出張に行ってきます。しばらく更新できませんが、ブログランキングよろしく。人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.08
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ガイドさんがいて、定時になると砦の建物の中を案内してくれます。フランス語コース、フラマン語コースがあって、英語はないのかと聞くと、ちょっとだけね、とのこと。フランス語で話してくれるガイドさんにくっついていくことにしましたが、あまり教科書的発音でないので聞き取るのに四苦八苦。。 で、いきなりですが、これは牢屋の鍵。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.08
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ばっちっこ その9 朝吹龍一朗 響子はそろそろ出勤なのだろう、栃女高剣道部と縫い取りのあるTシャツが脱ぎ棄てられ、上半身はブラジャーだけというあられもないかっこうだった。化粧はまだのようだ。そのままちゃぶ台の向こう側に座ると、幾分眼の覚めたような、やさしい声で言った。「のぶくん、よくわかったわね、ここが」ちゃぶ台をはさんで俺も腰をおろした。冷えてしまっていそうなお茶の入った湯のみがあった。口をつけると案の定冷たい。「すぐ近くに住んでる。だから歌舞伎町は歩いて10分だって言っただろう」「そうだったっけ。でも訪ねて来てくれるとは思わなかった、ぷろみっしんぐ東大さん」「それが危なくなった」「なあんだ、成績が急降下。毎晩あたしのあそこ、思い出して自家発電してたんでしょ、なあんでもお見通しなんだから」「そんなことは起きない。俺、一度読めば覚えるから」「あら、じゃあ」「金が続かない」 響子の声にかぶせるように言った、恥ずかしさを感じないように。2秒くらい、間が空いた。「で?」「抱きにきた」「なによ、お金、ないんでしょ」 そう言いながら両手を後ろに回した。顔は笑っている。「手伝いなさいよ」 俺は立ち上がってちゃぶ台を半回りした。響子の両手を前に戻した。「先に俺の方じゃないのか」「しょうがないわねえ、今日は一人だから、充分、お役に立ってもらうから。でも出勤時間がね、あんまり時間ないのよね」 響子は俺のバミューダパンツのボタンに手をかけた。初めて会った時と同じ短パンだったのに俺は気がついたが、響子はどうだっただろうか。 きっかり1時間後、俺は扇風機で汗を乾かしていた。「ハンろバックにお財布入ってうから。必要なだけ、持っれっれ。あらしもうらめ」 口がまわっていない響子の指さす先には口金の周りに皮の帯が回されている、少し大きめのしっかりした造りでやや大きめのバッグがあった。今ならすぐわかるが、それはケリーバッグと呼ばれるブランド品だった。当時の俺はもちろんそんなことは知らない。「じゃ、模擬試験、3回分、3千円。ありがと」「試験、がんあって、ね、もう、浪人、らめよ。ああ、きょう、お店出られないかもしえない。あんらのせいよ」「この部屋、電話、ないのかな」「ない、わよ」「じゃあ、次、来るとき、どうすればいい」 響子のとぎれとぎれの話し方が俺にまで伝染してしまう。ちゃぶ台と姫鏡台以外に何もない部屋を見回しながら返事を待つ。「いつれも、大丈夫。あたし、シングルらから。シングルって、特定の旦那さんを持ってないってこと」「じゃあきょうから俺が『特定の旦那さん』、な」「いいわあ、いい。それでいい。あんらみたいな人、そうそういないもん。あたし、当分、それでいい」「とうぶん、ね。わかった。じゃあ、3千円、ね、もらっとく」「うん、また、また来てね。今度いつ来るの」 ようやく口が回り出した。正気が戻って来たのだろう。3千円が惜しくならないうちにどろんしようと思った。大きいほうの聖徳太子も3人くらいいたから、まあ、このくらいは大丈夫か。「毎日ってわけにはいかないから」「そりゃそうよ、今日だって二つでしょ、毎日だったらあたし、死んじゃうわ」「じゃあ、まあ、最低週いち、かな」「そうして。その間にあたし、回復しとくから」 右の頬を引き上げてついでにへたくそなウインクをした。俺は再びバミューダパンツのボタンをかけてもらって部屋の外に出た。3度目のお役にたちそうな形態に変身しつつあるのを恨めしそうに響子が見上げたが、俺は左の口角を思いっきり上げて、「また、今度、な」 と言った。 すぐに恒久が出てきた。弓子の部屋で何があったかはあえて聞かないことにした。3千円、差し出された。「これでプラス3回分、ま、付き合ってくれてもいいし、何かに使っちゃってもいい。気にしないで。出所はわかってるとおりだし。俺たち、『ヒモ』って言うんだろうね」 無造作に紙幣という紙きれを受け取って、「いいんじゃんか、ヒモで」 と言った俺の声には別に引っかかりそうな棘はなかったつもりだったが、恒久は珍しく不機嫌そうに黙ってしまった。 そのまま俺たちは自転車で十二社通りを南に下り、これ以上言葉を交わさずに家へ戻った。響子の左頬にほくろがあったことをすっかり忘れていたことに気付いた。好きになってきた証拠かもしれないと思った途端、ポートボール(注1)の授業でわざとぶつかってきたチャコや、毎朝登校の時に俺のアパートの門の横で待っていて、俺の後ろを一人で歩いてくる晴子の顔が浮かんだ。この子たちを組み敷いている自分を想像してにやついていると、「伸彦さん、登校日、よっぽどいいこと、あったのね」 と母親が笑いかけた。 結局そのあと俺は予定通り夏休み中の3回だけ、日曜テストを受けた。予定通り、3回とも1番だったが、別にそれで自信がついたとか、うぬぼれたとか、別の進学を考えたとか、そういうことはなかった。進学教室で4回連続1位というのは珍しかったらしく、そのあといろいろと俺たちの同年次の奴らから話の種にされた。高校時代、大学時代に何かのきっかけで中学受験の話題になると、決まって進学教室話に進み、挙句、お前があの幻の天才少年か、とどこでも驚嘆された。いいことか悪いことか、俺にはわからない。単に、答えのある問題に短時間で正解を見つけることに長(た)けていただけだと今でも思っている。 先走るが、高校では4つくらい上に、自分の経歴に日進で一番を取ってどうのこうのと書いているやつがいるらしいが、俺からするとあんなもの何回でも取れる。さして誇るべきものではない。単なる学校秀才であることがそんなにうれしいか。俺の感覚では、進学教室の成績なんてせいぜいそんな感じだった。 夏休みが明け、気がつくと何人かが中学受験をするようだった。担任の女教諭があからさまにひいきをし始めた。「俊子ちゃん、よくできるわよねえ、陽子ちゃんもすごい、こんなにできるんだから5をあげていいわよね」 俺は世の中に『内申書』というものがあって、私立中学の場合、合否のボーダーラインになったとき、それに書かれている内容によって合格できたりするのだということを恒久から教えられた。「あの教員はたくさんもらってんだよ」「誰から」「決まってるだろ、あいつらの親からだよ」「お前のうちもか」「女子組(注2)と一緒にしないでくれ」 あきれたような声で俺を見上げる顔は、既に大人の顔だった。そして、恒久の目に映っていた俺自身の顔も、それ以上にオトナの仮面をつけていたに違いない。 それは、この夏が、俺たちにとって、決定的に、少年時代との訣別の季節だったと、そして同時に、取り返しのつかない喪失を内包していたと、感じさせる出来事だった。注1:バスケットボールの小学生版みたいなスポーツ。注2:当時の日本進学教室で、国立2組、1組、慶応2組、1組の次の席順のクラス。 ばっちっこ 続く人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.08
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弾痕です。左側はかなりの至近距離から撃たれたものですが、外れたようですね。第二次大戦でもここで攻防戦があったそうです。しかし平和ボケしている朝吹には映画で知る以外の知識はなく、こんな狭いところでバンバン撃ち合ったらすごい音がしただろうなんていう、ちょっとピントが外れた感想しか浮かんできませんでした。まあ、外れた弾の跡なんだからしょうがないか。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.07
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いわゆる銃眼です。ちょうどディナンの町が見えますので、街に向かって発砲したのでしょうね。このスリット幅だと、弓矢は通らないでしょうから、結構新しいものかもしれません。銃の時代になってから改造したのかも。 こんな感じです。橋の向こうが鉄道の駅、すぐ手前にノートルダム寺院が見えます。てっぺんの高さは相当なものですから、あそこを取られると砦としても困ったのではないでしょうか。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.07
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トンネルを抜けると開けたところに出ます。ここが城砦の中心部、山の頂上に当たります。この広場を中心に施設がぐるりとめぐらされています。振り返ると、こんな感じ。この右にもうひとつトンネルがあって、そこから入ってきたのですが、 構造は結構複雑です。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.07
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岡側からの入り口です。というか、こっちしか入り口はあり得ない。 この奥に城砦本体があるわけです。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.06
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高射砲です。「この高射砲を見てみい、これならどんなジェット機だって打ち落とせる」「そしてこっちは最新鋭のジェット機だ、どんな高射砲の弾よりも早く飛べる」「その高射砲でそのジェット機を撃ったらどうなるんだ」「フッフッフ。矛盾の故事だな。その答えは、それ、この本に書いてる、さあ買った買った!」 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.04
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400段を超える階段をパスして楽チンに登ると、なんとお出迎えはジェット戦闘機。本物です。墜落したのではありません。看板によると、ベルギー空軍で実戦配備されていたものとのこと。 こちらから見れば、墜落したのではないのがわかる?! 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.03
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ノートルダム寺院を出て、いよいよシタデルに上ろうと思ったら、この階段!400段以上あるとのことで、しかし疲れそう、と思ったら、 ロープウエイがありました。普通なら二人は座れる切符販売ブースを一人でも窮屈そうにしているおばちゃんにあまり安くはない切符を売ってもらって、4人しか乗れないかごに乗ると、1分ほどでシタデル駅に到着します。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.03
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荘厳な雰囲気に少し浮わついた気分を鎮めていると、中年と若年の間くらいの女性が出てきて足元になんだか赤いじゅうたんを敷き始めました。 なんとこの昼から結婚式だとのこと。朝吹が日本からやってきたと知ると、ぜひ出てくれとご招待されたのですが、そのあとのスケジュールがあるので申し訳なくもお断りしました。その代わり、 ほら、いすにオリーブをくわえた鳩が舞い降りていますよ、ぼくの代わりに、と指差しました。女性は、すごいすごいを連発し、あなたが連れてきてくれたのね、今日結婚するふたりはきっと幸せになる、と言いました。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.02
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ノートルダム寺院です。あんまり立派なので入ってみました。想像通り、かなりの立派さです。全体の大きさはナミュール司教区の司教座である聖オーバーン教会のほうが立派は立派なのですが、全体が醸し出す雰囲気は大きさの劣位を補って余りある壮大さでした。 近寄ってみるとこんな感じ。ただ、普段の教会には生花が飾られることはあまりないので、それも面白いなと思いました。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.01
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川に出ます。Meuse川です。画面の左から右へ流れていきます。したがって、ナミュールの町は右手の方向ということ。向こう岸の丘の上に見えるのがディナン(Dinant)の城砦です。ふもとに見える立派な教会は、ノートルダム寺院です。こんな小さな町には不似合いなほど大きくて立派です。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.01
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インターシティ(まあ、急行、という感じですね。追加料金は不要です)で30分くらいでディナンの町に着きます。殺風景な駅を降りると、いきなりこの装飾。クモの巣と蜘蛛! 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.10.31
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