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11月6日で、個人設計事務所が、10周年を迎えます。事業は、携帯電話基地局の設計のみ、特に、ここ数年はたいへん厳しい状況ですが、おかげさまで、開業10年を迎えられそうです。ご愛顧くださっておりますお客様ならびに、事業関連各位の皆様、そして、お声をかけてくださいます方々、サービス(携帯電話)をご利用頂いております方々、いつもありがとうございます。感謝しております。今後とも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
2012.10.24
1960年代に製作された、「スター・トレック」に、携帯電話らしきもの(コミュニケーター)、タブレット端末らしきものが、登場している。40年以上前のロッデンベリー氏の未来像に近いものが、実現されているが、トリコーダーとかできたら、面白いな。
2012.10.08
人は、自身が持っている基準(記憶、知識、言葉・・・)と、それを比べることで、基準との違いでもって、それを知ろうとする。しかし、比べることで、それそのものを知ることはできない。それを知るには、自身の持っている基準(記憶、知識、言葉・・・)を持ち込まず、比べることをせず、それを観察することである。知ることへのアプローチは、観察が極限かと思われるが、観察という行為も、また、それをそのまま知ることにはならない。観察されるそれのデータを蓄積することを知ると言っているだけなのかもしれない。ここでいうデータは主観的(受け取る人によって違う)なものであり、それをそのまま知るということは、できないのではないかと思われる。
2012.10.08
自分がどう生きるかではなくて、自分以外の人をいかに自分の思いどおりにするかということが、自分の「悩み」だと思っている人が増えているようです。自分以外のものを自分の思いどおりにするという考え方を全部やめる。自分がどう生きるかだけをまず考える、というのはどうでしょうか。引用:小林正観さん 「この世の悩みがゼロになる」
2012.10.04
ごくあたりまえのことをあたりまえに行っていけば、あらゆることがもともとうまくいくようになっているのだと思うのです。引用: 松下幸之助さん 「松下幸之助からの手紙-大切な人たちへ-」
2012.09.22
人間は本来、比べ合ったり、競い合ったり、順位づけをするものではなくて、お互いに存在し合いながら、喜ばれる存在です。助け合ったり、力を貸し合ったり、支え合ったり、そういうふうに生きるということが、人間の本来の生き方でした。引用: 小林正観さん 「釈迦の教えは「感謝」だった」
2012.09.22
経営理念に顧客第一を掲げる企業は、数多いと想像しますが、これは勘違いされやすい理念かもしれません。第一というと、何が何でも顧客のことを考えましょうと聞こえてしまいますが、顧客第一の前に、自社の存続が第一の絶対条件です。利益度外視で、顧客の望むままに応えた場合、事業は成り立ちません。資金が潤沢であれば別ですが。逆に、利益のことばかり考えても、事業は成り立ちません。顧客第一の意味は、顧客の希望を理解しながら、さまざまな条件について、自社と顧客とで折り合いを付けていく。これはもちろん経営面だけでなく、技術面でも必要なことだと思われます。
2012.09.21
守ってあげたい 鬼束ちひろさん
2012.09.08
あなたが仮に、注意しよう、助言しようと思ったら、それは、あなたの自己満足。満たされるのは、相手ではなく、あなた自身です。真に、注意・助言が必要なときは、注意しよう、助言しようと思うことなく、そうしているはずです。そのときは、いっさいの思い・計算がありません。そのとき、相手もあなたも存在しません。それは愛の注意・助言です。満たされるのは、あなたではなく(そのとき、あなたはいないのですから)、相手を抱いた生命(愛)そのものです。あなたの自己満足の注意・助言は聞いてもらえませんが、愛の注意・助言は、きっと受け入れられるでしょう。
2012.08.16
明日納付の仕事で、2月から切れ目なく続いていた仕事が一旦、途切れます。ずっと仕事をしていると休みたくなるし、ずっと休んでいれば、仕事が始まるとワクワクする。この繰り返しなわけで。。。流れにまかせると、お盆は休めるか微妙なところだけど、この際、休むと決めてしまおう。
2012.08.02
科学・技術においては、よりベターな正解が見つけられる(創造できる)が、思想においては、それ(これ)が正解だとは言えない。思想そのものが、つかみどころなく、よくわからないものであるし、思想・空想は、いかようにも構築できてしまうものである。科学・技術も無限に進歩・発展していく可能性を秘めているとすれば、正解がないとも言える。←これもひとつの思想です。
2012.08.01
信実とは、人の思いの数だけあって、それら全てが、当人にとって紛れもない信実である。人は信じたように世界を見ている。信実は他者と比べて、その違いを、すり合わせる必要はないんです。隣人と違いがあっても、すべて信実です。信じたいように信じればいい(と思います)。
2012.08.01
仕事で頼まれごとを引き受けると、(個人的感覚ですが、)お客さま目線で85%くらいの出来で、感謝されることや、またお願いしますとのお声を頂くことが多いと思われますが、仕事をくださいとお願いして仕事を引き受けるときは、90%以上の出来でも、感謝はされないことがほとんどで、クレームすら頂くことになってしまうこともあるのではないかと思います。この違いは、仕事を頼む人が困っているか否か。困っているタイミングに、うまく仕事をくださいという声をかけられれば、もちろん最高です。頼まれごとをしっかり仕上げることが、リピーターになって頂くことや、ご紹介を頂けるような、最高の営業だと思います。
2012.07.26
説得とは他者をコントロールしようと試みること。他者をコントロールする必要がないと、説得は要らない。説得したい状況、説得しなければならない状況は、自身の欲望を満たすため。過剰な欲望がなければ、説得の必要もありません。
2012.07.23
F1ドイツGP、可夢偉さん、4位入賞だったそうで、今年は、ザウバー強いです。優勝したアロンソは、2歳からカートに乗っていたらしいけど、日本じゃ、それは無理だよ。今年のドイツはホッケンハイムでしたが、先日、ニュルブルクリンクが破産?とかいうニュースがあったので、来年から交互開催でなく、毎年ホッケンハイムになるのかな?今年は、F1、BSでしか放送されていないので、結果しか観れてません。年末、DVD買って、ゆっくり観戦します。
2012.07.22
イエスか、ノーか。白か、黒か。どちらかが正解だと思い込んでしまうことがありますが、イエス・ノー、白黒の他に正解があるかもしれません。そもそも正解というものは、その選択が都合がいいというだけ、そう決めた、あるいはそう決められただけで、ただの選択にすぎません。選択したものを正解・不正解と言っているだけ。決められた世界では、決められた答えがありますが、決められた世界とは、空想の世界ですから、本来の世界ではありません。決められたことが多くなるほど不自由な世界になります。逆に見れば、決めることができるほど、本来の世界は自由度が高いのです。白黒はっきりしないのはダメなのか、白黒どちらでもいいという目線のほうが、むしろ視野が広いと言えます。白黒の選択をしなければならない状況であれば、どちらでもいいならば、さいころふって出た目で選べばいいだけです。敵か味方か、というのもありますが、この振り分けもただの都合。敵味方に振り分けるのは、スポーツで試合をするときのように、敵味方の振り分けが必要なときだけで充分でしょう。敵味方を創らなければ、みな共存しているだけです。共存の中に共栄はありますが、敵味方は潰し合うだけです。
2012.07.21
今年に入ってから、某企業様からのお仕事のご相談を、いくつもルートから頂いております。先日も記載しましたが、これは、どの会社様も採算があわない仕事のようで、たらい回しにされている状態と思われます。全く同じ仕事の内容で、A社様ご予算がB社様ご予算の1/6、最低賃金をはるかに下回る仕事であったり、まるでウイルスのような仕事が膨大に膨れ上がって、蔓延しているようです。当事務所も付き合い程度で、請けておりましたが、引き受けている限り、業務内容と予算の見直しはされないので、より慎重に対処していきたいと思います。
2012.07.20
部下が上司から、あるいは、お客様から、間違っている(と思う)指示を受けたときどうするか。ここでの判断が、より深い信頼関係を作れるかの分かれ道。上司の指示だから、お客様の指示だから、そのまま、その指示を遂行する。これは、疑問が残ったままですので、訪れた経験、気づきのチャンスが生きません。また、実際に間違っていた場合に、大きな問題に発展してしまうこともあります。でも、責任は問われないかもしれません。一方、疑わしく思えたときに、上司、あるいはお客様に確認することによって、その疑念が解ければ、自らの視野が広がるし、上司、お客様の指示が間違っていれば、(伝え方が重要ですが、)伝えたことにより、間違いがなくなり、信頼関係が深まります。あたながその仕事に携わっている意味は、後述の「確認すること」にあります。あなたの視点を通すことによって、間違いの可能性がより小さくなるのです。まあ、そうは、言っても、普段から、キツイ上司には、気づかないフリをしたくなることもあるかもしれませんね。笑
2012.07.19
昔、会社勤めしていたときに、仕事でこんなことがありました。お客様から、商品を明日欲しいとの連絡があり、商品在庫があり、すぐ発送すれば、明日には、お客様の手元に届けることができる。しかし発送するためには、発送のための手続き書類を書き、明日、発送の承認がおりてからの発送。商品がすぐ手元にあるのに、送れない。相談しても、承認されなかったのを覚えています。これは、手順・手続きが絶対化してしまって、本来の販売の目的を見失ってしまっている状態です。業務システムがしっかり固まってくると、このような、罠にはまってしまいます。システムを崩すのは、抵抗があるものですが、柔軟な対応もできるようにしておきたいものです。
2012.07.06
仕事の早い人と遅い人の違いはどこから生まれるかというと、スタート時期の差であると思う。作業スピードでは、それほど大きな差は生まれない。仕事の早い人は、とにかく始める時期が早い。仕事の遅い人は、始める時期が遅い。スタート時期を早くするコツは、とにかく始めること、手をつけることである。考えないでいいから、とりあえず動き出す。これができないから仕事が遅い人は、遅いわけだが、やればいい、こんな簡単なことはない。
2012.07.06
当事務所から協力会社様へ仕事を頼むことは、ほとんどなくなりましたが、頼まれる側からの目線で感じていること。例として、1週間かかる仕事を依頼する場合、1週間後納期の仕事を今日お願いした場合、引き受けて頂ける確率は非常に低いと思います。引き受けて頂けるとしても、引き受けてくださった方は1週間かかる仕事を無理をして5日で仕上げようとか、休日返上で仕上げようと考えていることが大半だと思います。円滑に引き受けて頂くには、『事前の連絡』が大切だと思います。1週間前、2週間前に予め仕事が見えているならば、見えている時点で、依頼先のご担当に、1週間後、あるいは2週間後に、仕事をお願いしたいという連絡をしておくのです。引き受け先はこの連絡を受けた場合、過密な予定はまず、立てないはずです。この一報が無い場合は、可能な限り仕事を入れてしまいますから、突然の依頼はまず、引き受けることができなくなってしまう場合がほとんどでしょう。この事前の連絡をしている場合、その仕事が仮に無くなったときは、無くなった時点で依頼先に再度連絡をする。無くなったことが決定した場合、事前連絡した依頼先に連絡をしないのはNGです。この連絡を交わすだけでも、信頼関係を築いていけるものだと思います。頼みたい仕事があっても、なかなか依頼を引き受けて頂けない場合、早めのスタートが切れていないからかもしれません。まだ、余裕があるから大丈夫ではなくて、余裕があるときに仮依頼をしておくこと、他者との協力の上で仕上げる仕事には、大切なことだと思います。習慣になっている方には、ごく基本的なことだと思いますが、お読み頂きありがとうございます。
2012.07.03
先日、ケガの保険セールスのお電話を頂きました。私的に必要性は感じませんでしたが、保険屋さんも、おもしろい商品を考えるものだと思いました。
2012.07.01
考えるとはどういうことかというと、思うようにことが進んでいないので、どうにかしようとする行為なので、考えて得られる答えに従うのはあまり賢明なことではありません。考えなくてもどうにかなっている、こんな状態でいられればいいですね。
2012.07.01
仕事の話を頂いたとき、イヤな予感がするときと、ワクワクするときと、どちらもあまり感じないときがあります。イヤな予感とワクワク感は、仕事を進めていくと、ほぼ的中していきます。これは予感が的中しているのかもしれませんし、それとも、予感、感じ方がそうであったと思えるような現象を引き寄せるのかもしれません。いずれにしても、ワクワクするときは積極的に、イヤな予感を感じるときは慎重に対応すればよいことになりそうです。
2012.07.01
昨日夜、書店にて金田一少年の事件簿が気になって、購入して読んでいたのですが、金田一少年が雨水管にしがみついている絵がありました。昼に仕事で、雨水管をよじ登る話を聞いていたばかりでした。(^^;;
2012.06.29
昨年の11月に、右目眼底出血にて、年末年始・1月半ばくらいにかけて、視界が不自由な生活をしておりました。症状が進んでいた時期は、視力は、ほぼゼロで文字が全く読めない状態でした。視力ゼロといっても、何も見えないのではなく、中心がかすみがかっているので、視力測定をしても、視力測定盤の文字が見えない状態です。周りは見えているので、何も見えないわけではない状態です。眼科の先生の診断によりますと、眼底にむくみがあるので、そのような状態になってるということでした。むくみができるとむくみのなかに新生血管ができてしまうので、新生血管ができるのを抑えることが必要になってきます。現在、眼底のむくみに対する有効な治療法は、レーザー治療・アバスチン注射(またはルセンティス注射)のようです。1月半ば頃、アバスチン注射の治療を受けました。アバスチンとは、抗ガン剤として作られている薬で、新生血管の増殖を抑える薬です。アバスチンとルセンティスの違いは、アバスチンはガンの治療目的で作ったものが、目の治療にも有効であるというもの、ルセンティスは目の治療に特化した薬ということで、治療費が全く違います。調べたところルセンティスは、おそらくアバスチンの30倍くらいの価格でしょうか。ちなみに、アバスチン注射は1800円くらいでした(3割負担?)。レーザー治療は、眼底に新生血管ができずらくするために、眼底を凝固させる目的で行うそうです。アバスチンの治療効果ですが、中心の視野欠けが治まりました。むくみが治まったということです。現在も、視界の中心の上側が見ずらい状況と、寝起きで視界が見えずらい状態ですが、治療を受けられてよかったと思います。今は、経過観察中です。同じような症状の方への参考までに。
2012.06.28
本日、大袋駅から、新方川、大落古利根川を渡り、片道5kmほど歩いて参りました。
2012.06.28
この半年、新規のお客様からのご依頼が増えています。なぜかというと、当事務所が素晴らしい仕事をしているから・・・・だといいのですが、そういうわけではなく、おそらく、価格(予算)破壊、(物理的に不可能な)納期設定、などの理由で、同業他社様が断っているからと思われます。ご依頼のなかには、当事務所でもお請けできない仕事もあります。
2012.06.24
打ち合わせをしているときに、携帯電話が鳴ると、電話を取ってしまう人が、多くみられます。打ち合わせ中に電話に出るなと言われることがあるかと思いますが、これはビジネスマナー以前に、人としてのマナーだと思います。目の前の人を大切に。でも、打ち合わせ中、ごめんなさいと言って、電話を取ろうとせず、音を消したりする人には、好感が持てますので、逆にどうぞと出ることを勧めたくなります。
2012.06.22
ビジネス競争社会でありがちな、お客様から、より多くの仕事を頂くために、必死になって無理をして仕事をこなしていくと、仕事の依頼が増える。しかし、必死になって仕事をしているので、今以上に増えた仕事をこなすには、今のやり方は通用しなくなるので、やり方を変えなくてはならない。これを「欲循環」という。 ← うそです。当事務所は競争意識をあおられますと、むしろ競争相手に仕事を譲りたくなりますので、ご依頼の際は、ご注意が必要です。 ← 本当です。
2012.06.22
「簡単な仕事ですよ。」と頼まれる仕事には、たいがい難題が隠されている。初めに、その難題まで説明されない。頼む人がその難題を知っていて説明しないわけでもなく、頼む人もその難題に気づいていない。難題が発覚するときは、簡単だと言われているだけに、その難題がより難しく思えてくる。「簡単な仕事です。」と頼まれたときは、じゅうぶん注意したい。
2012.06.22
6月1日に、スカイツリーに登ってきました。地上を見渡したときに、日向と日陰の境がはっきり見えました。構造がしっかりしているためか、高すぎて感覚が麻痺してしまったのか、高さへの恐怖は全く感じませんでした。
2012.06.18
先日、キャラメルボックスさんの演劇、『容疑者Xの献身』を観てまいりました。自発的に観ようと思って観た演劇は、本作が初めてでした。見事な演出で、演劇の魅力を味わうことができました。演劇に、はまってしまいそうです。
2012.06.18
先週の土曜日、上野駅・上野公園からスカイツリーシャトルバスでソラマチまで行ってまいりました。開業から初めての土曜日でしたので、混雑しておりました。寄ってみたお店: キッチンジョーズ・レムソンズ・三省堂
2012.05.31
昨日、仕事で、打ち合わせに同席させて頂きました、お客様のお客様のお住まいが、同じ町内の隣の番地でした。
2012.04.17
現象に意味はない。現象に意味をつけるのは、その意味をつける人の見方・思い・考えである。現象から読み取る意味は、読み取る本人の思い・考えそのものである。
2012.02.05
担任の佐藤先生(←仮名です)を、やさしい先生という生徒、こわい先生という生徒、面白い先生という生徒、厳しい先生という生徒、がいるとします。多様な意見があるとき、いったい、佐藤先生はどんな先生なのでしょうか。佐藤先生の本当の姿はどのような感じなのでしょうか。答えは、佐藤先生はどんな先生かは、「わからない」のです。((注)答えといっても、この答えを受け入れるか、 受け入れないか読む方の思いのまま、自由です。)ここで言えることは、それぞれの生徒が、佐藤先生を「そのように見ている」ということです。やさしいと見る生徒、こわいと見る生徒、面白いと見る生徒、厳しいと見る生徒、これらは、全て正しい見方です。『全て』がポイントです。『全て正しい』のです。全ての生徒の見方が、それぞれ正しいということです。間違っている見方などないということです。それぞれの生徒が見る世界の中での佐藤先生の在り方は、それぞれ、違って見えている。佐藤先生の本当の姿というものは、固定されたものではなくて、佐藤先生が決めているわけではなくて、見る生徒が、そのように見ているということです。そして、それぞれの生徒が佐藤先生をどのように見ても、佐藤先生には、責任はないのです。生徒が勝手に(独自に)そのように見ているのです。人が人を見る見方とは、こんな感じで決まっているような気がします。世界には、感性が似ている人、かけ離れている人がいますから、信じられないことや、面白いことがあるのかもしれません。自身の見方を「絶対的」に正しいと思っていると、さまざまな葛藤が起きます。あなたの見方は、あなたの見る世界の中では、絶対的に正しい。あなたの見方は、他者と関わる世界の中では、主観的に正しい。あなたの見方は、正しい、正しくないで測れるものではない。
2012.01.24
わからないことがあると、調べるのが面倒であったり、楽なので、ついつい、その答えを憶えている人に聞いてしまいますが、わからないことは、自身で調べる。調べ方がわかならいことのみ、人に「調べ方を」聞く。知っている人も、その答えを教えるのでなく、こう調べればわかるという調べ方を教える。聞いても答えを教えてくれない人、「自分で調べろ」と言うは、もしかしたら、そう考えているのかもしれませんね。
2011.11.24
評価というものが一切、存在しない世界は、居心地がよさそうだなぁ。(妄想)
2011.11.22
事務所のほうが、この週末に、9周年を迎えます。おかげさまです。誠にありがとうございます。始めるのは、簡単ですが、続けるためには、それぞれ、それなりの課題を、クリアしていかなければなりません。人に倣うもあり、独自で考えて道を拓くもあり。続けることで、日々勉強させて頂いております。ありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2011.11.02
違いを面白いと思うか、違いを裁いてしまうか、その違いは、自我意識の強さにあるのかもしれません。私が、私は、という自我意識が強いと、私と違うものを、受け入れることがなかなかできません。私が、私は、という自我意識が弱いと、それぞれの在り方の違いが、世界に深みをもたらしているのかと、そう感じます。
2011.10.31
どれが正しいかを選ぶのは、難しい。しかも、正しさの追求は楽しくない。どれが楽しいかを選ぶのは、簡単。しかも、選んだものがどれでも正しい。・・・から、重ねて楽しい。正しさを追求して、「本当に」正しいものが見つかることはない(と思う)。なぜなら、正しさとは、絶対的に「ある」ものでなく、相対的に(誰かが好き勝手に)「決めた」ものだから。
2011.10.29
世界には違いも差もない。違いは、適当に設定した境界で分断した対比。差は、違いに加えた判断。違いや差は仮定だと自覚した上で、これらを必要以上に重視しないようにしたいものです。
2011.10.06
何を聞いても、「ああ、そうなんだ。」これが「受け容れる」ということです。ただ、聞いている状態、受け容れるとは、同意することではないです。極めて消極的な態度。耳にしたこと、目にしたことに対して、反応したり、感想が浮かばない。「ああ、そうなのですね。」が、受け容れる。相手を想うということは、安易に同意することでなく、意識的に興味を持つこと、話を聞くこと。意識的に興味を持つことで、反応、感想、意見も生まれます。「受け容れる」と「想う」は、ちょっと違いますね。「受け容れる」は消極的。「想う」は積極的。
2011.09.28
悟りという事は、いかなる場合にも、平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は、いかなる場合にも、平気で生きている事であった小林正観氏の書籍で紹介されていた、正岡子規氏のことばです。死について、本気で考えたとき、生きているということに気づくものかもしれません。
2011.09.20
食べ物の好き嫌いと同じようなもので、世界の見え方は、人それぞれ違う。それぞれ違う、そんなの当たり前!そう、当たり前のように思っているかもしれないが、日常、様々なことに及ぶ思いや考えを他者も同じように考えていると思ってしまう。そんなことはまずないのである。同じこともあるのは、たまたま偶然。自分がどう見るか、それだけで世界のあり方が決まるのだ。
2011.08.12
日々進歩、発展、今日より良い明日を・・・前向きなことは素晴らしいこと、輝いて見えますが、時に後退することも重要な選択となるときがあります。後退はしないまでも、今日より明日が良くならなければならないという思いを持たない、そんな思いの負担を軽くしてみるのもいいかもしれません。良くしよう良くしようという思いはストレスの原因となります。良くなっていたらいいなくらいでちょうどいい。悪くなっていたらそれもまた構わない。個人的にですが、本来、良くなったとか、悪くなったとかいう前後の比較評価が混乱の元、要らないものだと思っています。目の前のことに一所懸命に取り組んだなら、その結果はどうあれ、「よくやった」と言っていいのではないでしょうか。進歩も道中、また退くことも道中です。進歩となったポイントは紹介されることが多いですが、退いたとき、なぜ退いたのかということも、とても興味深いことだと思います。
2011.08.03
感覚的に、なんとなく、わかるようなことが、とても大切なような気がする。何言っているのかわからないけど、ただ、なんとなく・・・
2011.07.31
どうしたらいいかと聞かれたときは、私は、こうしているとは答えられるけれど、それはあくまでひとつの選択であって、他の選択がないということではない。こうしたほうがいいとか、こうしなさいと、軽々しくは言えない。明らかに間違っていることは挙げられるかもしれないが、何がいいかなんてことはわからない。
2011.07.25
それが、できると思っているか。それが、できないと思っているか。技術・技量が全く同じでも、この思いだけの違いが、大きな差を生む。
2011.07.24
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