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どもです。長らく休止していました、なんだか妙な気分でもあるんですが、久しぶりに近況報告おば。今は実家に帰り、田舎のイタリアンレストランで店長をしています。このお店が困ったもんで人気がない。それも長い間です。今はその立て直しを頑張ってます。それと並行して開業の準備も進めています。まだまだお店のコンセプトも霧の中。「お前となら一緒にやるぜ」そう言ってくれる人もいます。なんとかかたちにしたい、その一心で頑張っています。まだまだ未熟です、まだまだひ弱です。だからこそ、だから今が大切だと思います。もっと強く、もっと高みへ。まだまだ、心の旅は続きます。
2010年01月29日

起きてます起きてます寝たら駄目だ!!と言われずとももども、namiです。ウェイヽ(´Д`)ノ深夜映画って、はじまると見てしまうのさ。イブラヒムおじさんとコーランの花たち綺麗事でもなく気取ってもなく、丁度良い。そんな映画だった。恵まれているんだと思う、いろんな人がいるけど、教えてくれる人は少ない。答えは、たいてい答えにはならない。この映画のじいさんは、少年に自分が生きて学んだことを伝えた。じいさんが少年に返す答えは「しゅるん」としていた。なんかそんな感じなんだぉwしっかりがっちりピンポイントでズキュン、なんてこたぁない。じんわり広がりあったまるコンソメでもない。でも、知らない間に根付いて実がなる。イスラム教のコーランって根源的なものなのかも。興味は湧いたけど、読まないんだろうなぁ。ちゃあ、アリデベルチィ。
2009年01月29日

日々アマガミ、常にアマガミども、namiです。新芽が顔出しそうな陽気だなおいってな天気ですな。こりゃもうセサックス日和だから(下世話ですな)早速練習に行きますた。まだまだ人前で披露できる吹き前じゃあございやせんので肩身が狭い、でもだだっ広い場所でやってまふ。日課のランニングはアスファルトなんで、ぬかるんだ砂地のグラウンドの感触が新鮮w野良ドッグの足跡を見つけたからその跡を踏み足跡(アーメン天草)今はとりあえずムーン・リバー(基本ですな)とフライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン。どっちもお月さんだなぁ、好きだなあ。月と言やあアポロ、アポロと言えばオメガΩ、アポロと言えばロッキー、アポロと言えばチョコレートゥ。近くをランニングしてた人、「ロッキーのテーマ」聞こえました?こんな音色じゃプロテストにも受からないだろうがねw少しはテンション上がったんじゃねかあ?ネヴァー・ギヴ・アップァァアアア!!(おいらはトランペッターの気持ちで吹いてたYO)やっとこさマウスピースに歯形がついたにょ。アンブシュア(咥え方を表すそうな)がつかめてきやした。そのとき下唇をアマガミするんで、最近ふっくらプリンとなってきまして。ども、アンジェリーナ・ジョリーです(byタカダ・ジュンジー)のようにね。職場でもよくアマガミして「フーフー」とマタドールと対峙したモーモーさんの様に、ちとサイケデリックになってまふ。大丈夫、これは強力粉です。ちなみに↓は練習場所へ向かう道。ご近所さん、不快なら言ってください、頑張って上手くなりますんでw
2009年01月23日

フラッフラッしています。ども、namiです。東京に行ってきやした。遠かったでつ。年末年始は出費が多かったんだなあ。だから夜行バスを使ったんだなあ。どんな状況でも眠れる便利な体質なんですが、弱点が見つかりました臭いのさっワンOップ飲んだおっさんの口臭が。友達数人の家に寄生してやっと帰ってきますたよ。今年はまたあっちゃこっちゃににゅるりと首突っ込んでいきます。早速にゅるりぃおいらは何処へむかうのでひょか。ちゃあアディオス(´▽`)/
2009年01月11日

明日は少し早めのクリスマスパーティーがあります頼まれてもないんだけんどもトルタを焼きました「初恋のトルタ」おいらのスペシャリテです
2008年12月19日
髪を撫でて 手を握って 目をとじて 恋とは愛と違ってて 見つめあって 求めあって 日差しに溶けて 消えてしまおう
2008年12月08日
毎日3キロ走ってます朝か夜気力と体力があるときにハムストリング?(太ももの裏の筋肉)が悲鳴を上げていますまだ暖房を入れないで過ごしてます汗かいてお風呂入ってすぐ寝るんでまったく落ち着かない毎日です
2008年11月29日

火力が足りないのはしかたあんめえマリナーラです
2008年11月28日
◇ ル ー ル ◇■こ れ は 地 雷 バ ト ン で す ! ■みちゃった人はコメントを残して、すぐに自分もやること!タイトルは「妊娠しましたor子供ができました」か「これが恋!?」にすること! 【01】今の髪型は短い?長い?少し伸びた【02】背は小さい?大きい?高いと思ってたけど低い?【03】人に頼られるのは好き?苦手?面倒、最近は率先して断る【04】性格は目立ちたがり屋?恥ずかしがり屋?目立ちたがりの恥ずかしがりや【05】眼鏡派?コンタクト派?眼鏡【06】デートの時はハイテンション?クール?ふり幅大きい【07】デートするなら遊園地?ショッピング?インテリア雑貨系なら可、絶叫マッシーンオンリーなら可【08】自毛は天パー?ストレート?猫っ毛?クセ毛【09】異性から言われる第一印象は優しそう?近付きがたい?謎【10】本当の自分は「天使」?「悪魔」?デッビール【11】他人から言われるのは「普通だね」?「変わってるね」?謎【12】今の髪の色は?漆黒【13】香水はつけてる?つけてない?つけない【14】恋人に呼ばれるとしたらちゃん(くん)?呼び捨て?あんまり呼ばれない【15】どっちかというとヤンキー?ヲタク?ヤンキーっぽいオタク?【16】性格は真面目?不真面目?真面目に見られる不真面目【17】性格は几帳面?いい加減?いい加減に見られる几帳面【18】眉毛は細い?太い?太いけど今細い【19】連絡とるなら電話?メール?電話して伝言メッセージ残す(みんなも電話かけてきたらそうしてほしい)【20】自分のエロさは並?上?特上?なし?野生と理性の両立(ふり幅大きい)【21】好きな異性の体型はスレンダー?グラマー(マッチョ)?人型【22】自分は精神的に子供っぽい?大人っぽい?ガキ【23】好みのタイプは年上?年下?タメ?意識しない【24】バレンタイン(ホワイトデー)のプレゼントは何がいい?ワイン【25】遠距離恋愛はできる?望むなら【28】好きな人のルックスのタイプは美形?動物系?様々
2008年11月28日
夜中に味噌汁をPCにぶちまけました逆さにして乾かしてます動くかなぁ・・・・・・・・・・・・・・まあ気にしない
2008年11月28日
少年期 かくして私は、ついに学校教育法が定める9年間の義務教育課程に入ることになった。この少年期では小学校の6年間を、今時の流れに便乗して軽量化&コンパクトに書いて行きます。 入学式。洒落こみましたよ、スーツでビシシッと決めて。髪型は当時のイケメン御用達、ピッチリ七三分け。母いわく「あんた1番おっとこまえやなあ」でした。その言葉を信じて胸を張っての晴れ舞台。新入生の集合写真を撮り終わった後、早速女の子に声をかけられました。「あんたミカンみたいやなあ」。なんて失礼な子だ、自分でもおでこが丸出しなのは気になっていたが、このままでは「ミカン」というあだ名で6年間を過ごさないといけないかもしれないじゃないか。人の口に戸は立てれない、身の危険を感じた僕の対応は早かった。幼稚園の頃とは打って変わってやんちゃ坊主へとまっしぐら、華麗な転進だった、ここに女の子はいない、みんな敵だ。 3年生の頃だったと思うが、図書室で漫画はだしのゲンと出会う。体を動かすことに生甲斐をかんじていた僕は、漫画やアニメには縁遠い生活を送っていた。周りの男の子が週間少年ジャンプでドラゴンボールや幽遊白書、るろうに剣心に篤くなっている頃、僕はお小遣いをこれっぽっちも貰っていなかったのだ。ジャンプは廻してもらって読んでいたクチである。そんなとき図書カードを作っていつでも読めるはだしのゲン、仲沢先生ありがとう、中岡兄弟ありがとう、ダグラス・マッカーサー元帥ガッデOファッOンばっきゃーろー。 小学校に入ってすぐ、地元のサッカークラブに入った。最初は1年生が僕を入れて2人と寂しかったが、6年生になったときには20人くらいいた、全学年では120人くらいだったか。小さい小さいチームだったが、キャプテンを任されていたのだ。(入門序列ではない、実力主義だ)6年生の全国大会のとき、2回戦で去年準優勝したチームと対戦することになった。そのチームにはなんと幼稚園の憧れのトフ君がいたのだ。試合結果は2-1で敗退、善戦したほうだと思う。でもトフ君に足で競り勝っていたのだ、試合に負けて勝負に勝ったということか?まあ個人的には結果ドローだ。でも身長は180超え、僕はまだ160cm、トフ君、君は何をどうやって食べてるんだい? 小学校に入って煙たかったのは姉の存在である。2つ違いということで、幼稚園ではなかったパブリックな環境での姉は、まさに目の上のコブをさらに踏んづけられているようなものだった。酉年生まれのかに座のB型、通称チーちゃん。お察しの通りの姉貴肌で背中に般若でも背負ってんじゃないかと思う、日焼けして捲れた皮膚をきれいにいっぺんに剥がすことにこの上ない喜びを感じる乙女である。(どこがや) 忘れもしない3才の時の記憶。この女に家の階段の最上段から突き落とされたのだ。16段もあったんだ、大切な跡取りをなんだと思ってんだ。はじめて生で鬼を見たんだ、どこをどうやってもあの何事もなかったかのように自分の部屋に隠れた鬼の姿は消えはしない。 言い出したらキリがないがもう1つ、4年生のときガラスの灰皿で頭をカチ割られた、重さは1キロはあったと思うがタバコは消せるわ凶器になるわでなにかと重宝していた代物でだ。もちろん僕は胸ぐらをつかみ返しただけで手は上げていない、これでも女のような姿をしていたからだ、でもそう見えたのは今殴られたせいでは?やっぱり鬼?血が出てないのが不思議なくらいだった。(割られたと思ったんだほんとに) そんなことを数限りなく繰り返すチーちゃんだが、なんと本人は私のことを「可愛い弟」と思っているらしい、これが問題なんだ。チーちゃんは自分と同じ年の男の子たちに「弟に手出したらしばくで」と校内を徘徊していたのだ。こっちが余計に気を使ってしまう。そして「OOOがあんたと一緒に遊びたいんやって、どう?」実の弟を売る気だ、裏で絶対に金が動いている、間違いない。だがそれもこれも姉が6年生の文化祭で、舞台上でへそだしルックにピンクのセンスを持って悪友数人と全校生徒の前で踊り狂って卒業し、僕が中学校に入学するまでの2年間は平穏を保つことになる。 そして僕の5~6年生の学校生活は有意義に過ごせた。運動会で応援団をして、1~6年間、校内のマラソン大会全てで1位を勝ち取った。担任の先生と殴りあったこともあったが、振り上げた拳を下ろす場所がなかったのだ。あれは互いに拳で語り合ったんだと先生も言っていたのでそういうことなんだろう。そう言えばよく学校の屋上に上って遊んでいた、もちろん立ち入り禁止だが、そこから打ち上げた花火はきれいだった。サイレンの音も耳に残っている、大阪の子どもなら彼らとは仲良くなっていたほうがいいこともある。自転車を改造するのが流行った時期もあった。ハンドルをひん曲げたり2段シートを付けたりロケット、六角、パトランプなどなど。僕はマウンテンバイクだったのでそんなことはしてないが。まあそんなこんなで無事6年間を過ごして卒業することになる。 青春期へ続く <あとがき> 少年期としてまとめたが、かなり偏った内容になってしまった。でも6年間も同じ顔を見て生活するんだからいいかげん飽きもするだろう。違う学年との交流が少ない学校だったし、中学校まではエレベーター式に勝手に引き上げられていくだけだ。この頃の僕はスポーツで食って行くんだと考えていたから勉強もそこそこに学校が終わったらボールを持ってグラウンドに集合、日が暮れるまでボールを蹴る毎日だった。(こういうのを本文で書いたほうがよかったのかな?) 近所の悪ガキ程度のやんちゃしかしていなかったので、武勇伝なんてのもないわけだが。試しに被害額が1番高かったのが公園内にある博物館の厚さ10mm縦3m横1.2mのガラスを、鬼ごっこをしている最中に走って突っ込み頭でカチ割った40万円だ。さっきまで開いてたんだ、閉めたやつにも責任があるだろうし、キレイに磨きすぎだと思う。きっと何人もぶつかってた筈だ。ちゃんと管理室の職員さんを呼んできて説明したら、修理費用は市が出してくれることになった。「割れないように出来てるんだけどなあ」と言われたがこっちはおでこにたんこぶがしっかり出来てるんだ、いったい何が言いたいんだ。 お小遣いは6年生で月1000円くらいだったが、スポーツ飲料水に消えてしまう。経済的にはなかなか物分りがいい子どもだったんじゃなかろうか。だから多少の出来事には目を瞑ってもらってもいいと思うんだが。 <あとがき完>
2008年09月16日
続々・幼少期 かくして美味いカレーに舌鼓をうち、スクスクと育っていく私でありますが、ここで私の後の人生になんやかんや影響を及ぼしたはずの祖父、繁夫の話を少し。 繁夫は戦時中えらく寒いところに出兵されていたそうで、なんどもそのときの話しを聞かされていました。そこは極寒の地、そりゃ凍るわけですよいろいろ。そこで繁夫は言うのです、「下世話な話、小便するとそれもすぐ凍るんや。せやから銃弾が無くなったときにはその氷柱を投げるんや」繁夫、俺はまだ半信半疑なんだ。もう確かめることができないのが心残りだ。茶菓子をくれるからって耳タコ作って聞いてたけどさ。 繁夫は戦時中に受けた傷の後遺症で、僕が幼稚園に入ってすぐに寝たきりになってしまうのだが、何度か幼稚園の迎えに来たことがあります。親が共働きで家事は祖母にまかせっきりとなれば、繁夫、あんたの出番だ。繁夫を一言で表すと「ファンキー」これにつきます。繁夫は趣味で畑を耕していて、その畑仕事の後に迎えにきます。愛機はホンダ技研工業製スーパーカブ90、荷台にはには取れたて野菜をてんこ盛り。幼稚園で配り、スイカ割りも好評と味を占めると週3回と大盤振る舞い、ありがたみがなくなっちまうよ。それに加えて写真の趣味ももってやがって毎回記念撮影。繁夫、トイレ行ってる奴まで待たんでいい、さっさと撮らないと笑えないぞ。勿論こんな生活が長く続くわけもなく、2ヶ月でダウン。なんとか1年持ちこたえた末天に召された。南無(合掌)しかし繁夫は噛めば噛むほどのスルメで(見た目もそうだったが)飲食店経営、マラソンランナー、相撲もとれば得意技はうっちゃり、水泳選手で背泳ぎのターンはまさにイカ姿、警察署長からの感謝状多数、老人会副会長(惜しいなぁ)等等、出るわ出るわ。これでもまだショートケーキのイチゴの部分だと思ってほしい。 では本題に参りましょう。繁夫亡き今、跡継ぎとしてなんて気負いは全くなく、私は元気に成長していきます。幼稚園の友達とも家に遊びに行ったりすることが多くなりました。そう、僕はスパ美ちゃんの家にお呼ばれする毎日でした。2人で庭のブランコに乗ったり、ウサギにキャベツをあげたり、ピアニカでセッションしたり。2人の時間はこのままずっと続くんだと思っていた。スパ美ちゃんの家にお呼ばれした男の子がもう1人、僕と1番の仲良しで、クラス内で僕との人気を競っていた男の子だ。彼は1番背が高くて、走るのも1番早い男の子。名前はまた母に倣って高いのトールと早いのファーストを混ぜてトフ君と呼ぶことにしよう。 トフ君は僕の憧れだった。身長、足が速い、幼い頃はこの2つが人気者の鉄則でした。スパ美ちゃん、トフ君、そして僕、3人の時間がはじまったのです。僕らは豆と人参とジャガイモみたいに仲がよく、どこへ行くにも何をするにもずっと一緒だった。僕らの幼稚園は2年制、1年は年少さん、2年は年長さんと呼んでいました。僕らが年長さんになり、ちょっとマセた男の子達がハバをきかせるようになった。お目当てはもちろんスパ美ちゃん、他のクラスの男の子が休み時間にちょっかいを出しに来るのが当たり前になっていたのだ。でも僕らは豆と人参とジャガイモだ、トフ君と僕はスパ美ちゃんを泣かすようなやつらは絶対に許さなかった。僕の幼い夢を残して、卒園の日が来るまでその関係は続いたのだ。 そして、待ちに待った行事、「お泊り会」の日が来た。クラスのみんなと1泊2日、生まれて初めて親とはなれる。みんなと、トフ君と、何よりスパ美ちゃんとお泊りだ。会の前日、僕は興奮して寝るに寝れず、当日の朝祖母の繁子(しげこ)に背負われて集合することになる。繁子は「ハードパンチャー」の異名を持ち、一見松ぼっくりのようなソフトアフロヘアーが特徴である。僕の友人いわく、「あの人は120m離れててもわかる」そうだ。140cmあるかないかのミニマムボデーにちゃっかり騙されて迂闊に近寄ると、そこいらのチンピラヤOザは裸足で逃げ出すという噂は有名である。ともかくなんとか間に合った、これから僕は大人への1歩を踏み出すのだ。(いやほんとに) どこへ行ったのかは忘れてしまった。場所は関係なかった、汽車に乗ったりコーヒーカップでグルグル回ったのは覚えているが、近場の遊園地かどっかだろう。みんなはしゃいでいた、スパ美ちゃんとトフ君とミクちゃんと僕、同じグループでカルタをしたりレゴで遊んだり、しりとりを始めるといつまででもやっていただろう。食事の時間はもう大変だ。僕は今では考えられないが当時はかなりの偏食で、全て食べ終わるまで先生が付きっ切りで見ていた。それがこの状況で発展するとこうなる。まず僕はこのときまさに人気No1だ、女の子はまるで超伝導磁石にでも吸い寄せられるかのように集まってくる、そして僕は偏食だ、苦手なものがあるとなかなか食べない、すると必然的に「ほらアーンして食べて」「ほら食べて」と女の子たちの総口→撃がはじまる、先頭はスパ美ちゃんときたもんだ。先生はそれを見て「この子たちったらw」のん気なもんである、僕はどうにかなってしまいそうだ。(今となってはもうシステムを利用しないと経験できないことだ、嘆かわしい) お風呂にも入って後は寝るだけ。でも話しは尽きない。するとスパ美ちゃんが「トフ君足速いね」と言い出した。「ほんまやね」「絶対追いつかれへんもん」トフ君は凄いなあ、かっこいいなあ、僕の憧れ、トフ君は僕の憧れだ。僕も足早くなりたいなあ、速くなったらスパ美ちゃんに言ってもらえんのに「早いね、凄いなあ」って。 僕は走った、もっと早く走るために。トフ君の走り方をずっと見ていた、どうやってるんだろうと。トフ君と同じ靴も買ってもらった、トフ君が食べてるものは全部食られべるようになった。トフ君は言った「もっとな、グワーーってやんねん」そう教えてくれた、でも分からなかった。僕は叫びながら走っていた。「グワーー、グワーー」僕は怖くなっていた、このままじゃトフ君においていかれそうで、スパ美ちゃんと一緒に居れなくなりそうな気がして。 僕はトフ君には追いつけなかった、もうミクちゃんと手をつなぐこともない、スパ美ちゃんともお別れしないとしけない。卒園の日。体育館で園長先生の話を聞きながら泣いていた、教室に戻るときスパ美ちゃんが、トフ君が、ミクちゃんが手をにぎってくれた。みんなばらばらの小学校に行ってしまう。でも、もう合えないんだとは思わなかった、だから泣いてるんじゃない。このままで終わってしまうのが嫌だったんだ。教室でも僕は泣き続けていた、我慢しても滲み出てくる涙を拭っては鼻を啜っていた。一人ひとりに別れの言葉をかけていた先生が僕のところへ来た。「どうしたの?」そう、先生は分かっていたんだ、僕がお別れだから泣いてるんじゃないってこと。僕は恥ずかしくて先生だけに、みんなには聞こえないように話した。トフ君に追いつけなかったこと、ミクちゃんの手の振り方のこと、スパ美ちゃんに言ってほしかったこと。「いっぱい大切にしたいことがある子へプレゼント」先生にキスされた。クラスのみんなに見られてる、みんなのお母さんやお父さんにも、自分の母にもばあちゃんにも見られてる。そして祖母繁子の「アラーー」の一声でクスクス笑いと拍手が教室を包んだ。「大切にね」唇をはなしてそう言った先生の顔には微笑と涙が浮かんでいた、僕の涙は止まっていた、鼻水は少し出たままっだったと思う。 4人で手をつないで門まで走った、トフ君がミクちゃんをおんぶして、2人は同じ小学校に入学する、トフ君が一緒ならきっと大丈夫だろう。スパ美ちゃんと僕は別々の学校だけど、大丈夫、白いウサギ饅頭の魅力ならどこに行ってもマドンナになる。みんなのお母さんから仲良くしてくれて本当に感謝してるとお礼を言われた、トフ君とはかたい握手、スパ美ちゃんとミクちゃんからはほっぺたにキス、同じくトフ君にも。(もう1回僕にしてほしいと思っていた、貪欲なのだ)「お母さんたちもしてあげよっか?」と乗便されそうだったが、丁重にお断りした。(ここで愛想というものを学んでおけばよかった) 幼少期・完 少年期へ続く <あとがき>1番長いであろう幼少期、端折ってばかりですが形にはなったかなと。メインストーリーだけでもどうにか騙し騙しですが。サブを入れるととんでもないことになりそうです。 さて、小ネタをば少し。ファーストキスを奪った先生ですが、かなり美人です。行事の際には子どものパパさんたちはカメラのファインダーを自分の子どもではなく、この先生に向けていた程です。もちろん祖父繁夫もその1人、しぶとい人です。繁夫の死後に発見したことですが、僕が年少さんのときに担当していた先生は通称クジラと呼ばれてまして、プールのときにスクール水着を着たその先生に私が付けた呼び名なんですが(なんと失礼な)ご想像の通り肉弾的です。その先生の写真は皆無。で年長さんのとき担当の先生の写真は出るわ出るわで。 卒園式の帰り、母のコメント「あんたやるやんかあ」 祖母繁子の付加「あの先生ほんまベッピンさんやなあ」 母の詰め「男前やなあ、お母さんともしてよ」 息子の対処「棺おけに入ってからな」 作者の結論(子どもをからかい過ぎるとスレてろくな大人になりません)<あとがき完>
2008年09月16日
続・幼少期 かくして様々な経験をして、はじめての集団生活が終わるのである。だが、この幼少期に忘れてはいけない出来事が2つ残っている、初恋とファーストキスだ。小さな恋のメロディーとまではいかなくとも、ヒロインとヒーロー(ふふっ私だ)の設定はなかなかいいと思う、そのうち小説でも書いてやろうかなんて企んでいる。(何年前からだろな) 彼女はどっからどう見てもヒロインだった。(切り口がなんて安易な)例えば卒園アルバムを開いてみよう、「この子可愛らしいなぁ」と誰もが言う1番星みたいにキラキラ輝いていた、英語ではスパークリーだ。母に倣って本名と半分くっつけてスパ美ちゃんと呼ぶことにする。スパ美ちゃんはいいとこの住職さんの孫娘だった。小さな丘の麓に立派な家と本堂があった。広い庭はこまめに手入れされた芝生が青々と広がり、庭の中央に生える大木の枝からはお父さん手作りの木製ブランコが風に揺れ、その木陰の下で白いウサギ、茶色のウサギの2匹がスヤスヤと眠っていた。(どうだ、メルヘンだろ)僕がスパ美ちゃんの家に招待されたのはほかでもない、クラスで1・2を争う人気者だったからだ。僕たちが通う幼稚園は花や天体の名前を付けてクラス分けをしている、某歌劇団と関係があるのかどうかはしらないけど、ほぼそっくりそのまんまだ。スパ美ちゃんと僕のクラスは星組。そう、同じ星の下に生まれたようなもんだった。スパ美ちゃんはどちらかというと控えめな性格で、みんなの前で歌を歌ったりするときにはすぐ頬が赤くなる。乳白色のオパールというか、お土産のウサギ饅頭みたいな可愛らしさがあって、休み時間も教室で絵を描いたり、ピアニカを吹いている子だ。(何年ぶりにピアニカって単語使っただろう)僕は先生に「太陽の匂いがするね」と言われるくらいエネルギッシュ、スパ美ちゃんとは休み時間を一緒に過ごすことなんてなかった、はじめての遠足に行くまでは。 おやつ代は200円、それでも買ってきたおやつの量はまるで冒険家にでもなったかのようにリュックいっぱいだ。名前の順で男の子と女の子がお手手をつないで出発。(お手手って書いちゃったよ、そのままにしとこう)僕と手をつないだのはスパ美ちゃんではなく、違う女の子だった。クラスの中で1番小柄でヒョロッとしていて、病弱な体質らしく、いつも先生が傍についていた。僕の家で飼っていたチワワみたいにクリクリした大きな瞳で、少女マンガに出てくるようなウルウルアイの持ち主。また母に倣って愛犬ミニとミックスしてミクちゃんと呼ぼう。「ナイトがいるから安心ね」先生がそう言うとミクちゃんはコクリと頷いた。「お願いね」僕の先生への返事は「アイアイおさるナイトぉおお」僕は歩くとき、手足を限界までブンブン振り回しながら歩く癖があった。すると歩き始めてすぐに、つないでいたミクちゃんの手が「ギュッ」と握り締めてきた。僕は「ハッ」とした。ミクちゃんがフラフラしてる、僕がこんなに手を振って歩いてたらミクちゃんヘロヘロなって壊れてまう。「びびった?ミクちゃんごめんな」それからはつないだ手は真っ直ぐ下ろしたまま歩いた。(加減がわからなかったのだ) 冒険家の冒険はなかった、ナイトのエスコートになった。遠足は近所の農家の畑での芋掘り体験。「行ってきていいよ」先生にミクちゃんを任せて男の子たちとスコップドリル隊を創設。途中芋どころか井戸でも掘るように深く掘って起こられたりもした。みんなもチームを作って一緒に掘ったり花を摘んでる女の子もいたが、僕はミクちゃんが気になっていた。先生と2人日傘の下で芋掘りをしてる。見てみると先生は手伝っているようで土をイジイジしてるだけだし、ミクちゃんの掘り方じゃみんなと勝負にもなりゃしない。(量とか大きさとか勝負にこだわるのは男の宿命なのかもしれない)「先生僕二刀流やねん」そう言って先生とミクちゃんのところへ行ってスコップ自慢。「そっちのおっきいのは誰の?幼稚園のじゃないでしょ?」「先生これおじいちゃんの畑のやつ、めっちゃ掘れんねん、もうこんなけ取ってん」勝手に持ってきたのである、誰にも負けたくなかったのだ。先生に自慢したかったし、ミクちゃんのカレーにジャガイモが入ってなかったら可哀想だと思っていた。それからは我がスコップドリル隊の協力もあり、作業は順調に進んだ。ミクちゃんは掘った芋の土落とし隊員である。大きいのを渡すとミクちゃんのウルウルアイの本領発揮だ。そして芋掘りレース(勝手に)の結果は先生の「みんなで一緒にがんばったから」という鶴の一声で芋は均等に分配された。このとき僕はプラトンやマルクスの唱えた共産主義という言葉を知ったのである。(僕が掘り当てた特大の芋はタケル君に渡った、今でもちょっち悔しい) 帰り道ははしゃぎすぎたせいか頭がボーっとしていた。おやつも食べてないからリュックは重いしスコップはデカイし。すると「ミクちゃんをよろしくね」と言って先生がミクちゃんと僕の芋袋を奪って手をつながせた。そのとき、つないだ手はミクちゃんが振っていた。同じ年の子と手をつないだのはミクちゃんが初めてで、今まではどれだけ手をブンブン振っても大丈夫だったのに、ミクちゃんはヘロヘロになっちゃいそうで、ミクちゃんの振り方はフワフワしてて、でも、ちゃんと手をつないで歩くのって、こういうことなのかなって思った。「ミクちゃんとこも今日カレー?」「うん、ジャガイモカレー」 プロフィール3へ続く
2008年09月16日
今回はちょっち本格的に書いてみます。 出産 20数年前、大阪は田園風景が広がる田舎町の病院で生まれる。家系はかなり昔から女系とあって待望の男児&長男&もう婿養子を確保しなくてすむというなんともありがたい出来事に親族一同涙無しでは迎えられなかった瞬間である。その2年前に姉を出産していた母だが、「まさか自分の中に男の子が居るなんて不思議でしょうがなかった」と、当時のことを実家に帰る度にほぼ毎回聞かされる、もう母も歳かもしれない。予定日を2週間過ぎても出てこない我が子、少しナイーブになりながらも「よっぽど私のお腹の中の居心地がいいのね」と、対面する前から親バカっぷりをさらしていたらしいが、とんでもない放蕩息子が生まれるのである。いるのかどうかは知らないが、神は逆子出産というかたちで私をこの世に送り出した。頭が引っかかりなかなか出てこなかったのだ。姉を産み落としたときは書いて読んで字の如し、頭からツルンと出たらしいが、先生が言った「足が出ましたよ」の一言で母は頭が真っ白になったらしい、なにせ前回とは全てが違うのだ、無理もない。意識が朦朧としつつも、やっとこさ出てきたわが子の顔はお尻まで伸びた髪の毛で覆われていたのである。ついでに天使の歌う賛美歌、産声まで上げないときたもんだ。先生が私の足を持って逆さにし、背中やお尻を叩くさまを室内の全員が息を呑んで見守っていた。産声はない。先生が私の顔に張り付いた長い髪を掻き分けたとき、パッチリ開いた瞳が睨みつけていたのである。波乱と喜びと少しの苛立ちを含んだ出産は無事に終わった。 幼少期 以後たぶんお目にかけることのないロングヘアーもバッサリと切られ、男の子としての自覚が早くも目覚めたのか、保育器から飛び出さんばかりの活発さを見せ、一躍白衣の天使達の人気をさらっていた、第一期モテ期をもう使ってしまうとは、もったいない。母乳100%で育てられたせいか、その成長は著しく1才になるかならないかで歩き話しはじめた。ちなみに第一声は「ママって言って」の母の願いは叶わず「ミカン」っだったらしい、正直な子だ、小腹でも空いてたんだろう。名前は行き着けの(行き着けって言うのか?お世話になっている?)お寺の偉い住職さんからいただいた、ありがたい話だが母は提案された2つの名前のどちらも気に入らずその1文字ずつを取ってくっつけてしまった、だから物事をゴチャゴチャにしてややこしくしてしまうように育ってしまったんだきっと。とにかくよく動く子で、高いところがあれば登り道があれば走り坂があれば滑っていた。そして幼稚園に入り、その行動力はより開花していった。園内にある園具を遊びつくした私は物足りなさを感じて頭をもたげていた。そこで親しい遊び友達を集めてワンランク上の独自の遊び方を作り上げていったのだ。1つ紹介すると園具の花形ブランコの乗り方である。数年前、様々な事故が多発して園具が取り外されている公園も当たり前になってしまったが、このブランコも例外ではない。失敗を繰り返して人は成長するのだから。もとい、ブランコは常に人気を博していた園具だった。休憩時間になると走って行かないと列ができてしまうほどにだ。「あと5回こいだらかわってな」となればカウントダウンの掛け声がついてくる。そこで考え出したのが4人乗りである。このブランコのデフレ状態(略ブラデ)を一挙に解消することになる画期的な乗り方だ、今やったらば確実に保母さんや母親達に囲まれて引っぺがされてしまうに違いない。未来を託す子ども達に真似されて怪我されても困るので詳しいフォーメーションは書かないが(私は教わるだけではなく体験して学ぶことを進めるが)一味違った鎖のきしむ音と乗ブラ員の重量が作り出すG(重力)のそれは、まるでニュートンになったかのような高揚感があった。(俺ら林檎やアップルなんやー) 「プロフィール2」へ続く
2008年09月16日
欲しがりな君だって猫のパンドラ お皿の端まで舐めて中毒 ウンザリな僕だって犬のロザリオ 祈る言葉も消えた窓際 芳しいほど開かないでよ疎ましいから 図れないほど動かないでよ狭いんだから 昼も夜も薄めない 溢れ出すから飲み込んでしまうだけ 額や縁にも入らない 滲み出たその後味が好きだから 偽りの色だって描けば奇麗 持ち歩くのは眼(まなこ)と台詞 手応えのない雲だって流れていく 探していたのは終わりの始まり 判り易いほど作らないでよ虚像なんだから 醒めるほどほっとかないでよ熱くなるから 今日も明日も奪えない 唯此の海から飛び出して行くだけで 愛も恋も夢じゃない 生温い雨が降り注ぐ季節なだけで
2008年09月12日
ぽこよん>どうも、ぽこよんのアっめっけちゃった!!のコーナー略してメチャポケのお時間です。今日はブログ掛け持ち疑惑の疑いがあるnamiさんに突撃取材です。nami>いつまでカッペリーニやるんだろ・・・ぽこよん>アっめっけたnami>おひさ、どしたの?ぽこよん>キャンプ誘ってくれないし、海も行かないし、この夏なにやってたのよぅnami>・・・仕事ぽこよん>変わらないわね、あなたっていつだってなんだってかんだって裕子って誰?nami>・・・・・・・・・ぽこよん>だって、男の子だMON!?もう25よ?いいかげん年相応の自覚ってモルモットじゃなくてもん持ってほしいわ、私がみてないとすぐヤンチャしちゃうんだからBOYnami>で、何?ぽこよん>魚の目タコイボコロリしたの、魚の目って鶏の目って言うのが正しいのよ?nami>治ってよかったなぁぽこよん>苦労したわほんと、3ヶ月も苦楽を共にした仲だったけど思い残すこともなかったわnami>楽もあったんだぽこよん>3つあったの、でね、2つ並んでるのが双子のロバートとロバート改、小指の裏にいるのが幸子よnami>・・・・見せられてもないやんぽこよん>子を送り出した親の気分ね、気楽だわnami>頭痛いぽこよん>夏風邪ね、とろろオクラ納豆そうめん食べなさい、あなたのフェイヴァリットでしょ?nami>卵黄入り?ぽこよん>もちのイーペーコウドラドラよnami>ロン!!ぽこよん>えっ?タンヤオ!?nami>俺ポーカーしかやらないのぽこよん>大富豪っていっつもルール忘れるの、言われるとすぐ思い出して勝つの強いのストロンガーnami>あるねえそういうのぽこよん>7並べやってると毛を発見するわnami>I田さんとこは凄かったなぁぽこよん>ことあるごとに引っこ抜いてんのよnami>考えたくないなぁぽこよん>あっちむいてホイであっち向かしてホイしたときにほっぺたパックんちょとかnami>そりゃないなぁぽこよん>・・・剥いちゃうとかnami>・・・何を?ぽこよん>枝豆?知らないわよそんなの、夏だしビールと枝豆出しとけばタンクトップで団扇扇いで縁側座って蚊取り線香焚きながらプハーって言うんじゃない?nami>・・・誰が?ぽこよん>私がwnami>・・・・・・・・ぽこよん>蚊取り線香の香りがする女って案外イイのよ?nami>聞いたことないんだけどぽこよん>当社比よ当社比、そう言っとけば大体納得するんだからジャポネーゼはnami>俺はぽこよん>そりゃ自分とこで新しく作ったんだから前のよりなんかイイ感じになってないと、石鹸の香りが肌に残りつつタンクトップが蚊取り線香を醸し出す、コレよnami>今日仕事は?ぽこよん>・・・・・・・・・・・・・・なんだったっけ?nami>知らないぽこよん>これが俗に言うミセス・サザエ症候群ね略してサザエルnami>まぁなんか取材だろ?終わったらまた今度聞かせてぽこよん>アイヤーnami>どっちだよぽこよん>北京に長く滞在しすぎたかしら、そういえばダックを食べてなかったわ、こりゃいかんこりゃいかん、じゃ再見(ツォイギン)nami>・・・
2008年08月27日
グッドモーニング グーニングです 堕ちてました 起きたら枕とタオルケットに見事な湖が そりゃあもう琵琶湖並みの こんなのはじめて 歳とったら枕がにおうっていうけどこれが原因じゃないかなぁ 違うよね 前使ってた洗濯機は乾燥機付きだったけど今のは付いてないからなぁ 洗っても中まで乾くかなあ ってかどうやって干すんだ?洗濯ばさみで吊せる? なんかで縛るの? クリーニングに出すのが正解? なんでクローゼットの中からTバックが出てくんの? こんなの脱がしたおぼえもないし履いた記憶もないじょ? どうやって履けば…いや誰に履かせれば…いやどう処分したらいいの? 萌えるゴミ…いや燃えるゴミ? 燃えたのはハンコックだね 最近小難しい内容の映画が多かったけど シンプルでイカしたアメリカンムービーだねシャーリーズ・セロンのメイクもいいね チリペッパーみたいにホットだね スミスも室井さんなみの眉間のシワ ラブリースマイル封印でいい味だしてます スーパーマン+マトリックス÷スミスの笑顔ってな映画だね 楽しくなる映画ってなこうじゃないといけねぇと実感させらられるね グッジョブ!!
2008年08月19日
パンにこってます 練り練りしてます なかなか納得いくもの作るのは難しい 小麦粉も最近は高値の影響か今まで見たこともない種類が出てきてます お値段据え置きのためか味も据え置き 業者さんに聞いても今は個人に流しにくいどころか確保するだけでも大変 それよりも大変なのはバターなんだけど
2008年08月07日
PCを買いました 今更?とも思うけど まあ実家だったし まだ届いてはいないです 配線工事もまだ 都合つけるのもやっとだったし 届いたら届いたらで設定やらなんやらで暴走するのが目に見えてるし 茶菓子出すからちょちょいとやってくれる人がいると助かるんだけど 自転車も早速盗まれて新しいの買いましたよ 生活がかかってんのにひどいことするもんです またなかなかいいの買ったから次は2ヶ月もつかどうか 今日は夕立が降って布団干したまんまだったし 玄関の鍵は開けっ放し チャックも昼過ぎまで開けっ放し はふぅ
2008年08月01日
いつからだろうか ずっとずっと昔からだったんだと思う家族という体系ができたのは日本では室町時代くらいかららしい それまでは通い妻だったり村や集落全体 所謂コミュニティーの在り方が生活のテーマになっていたように思う 戦争で国の存亡が次のテーマになり民主主義が広まった バブルがはじけて資本主義が打って変わって出てきたら実力主義の出番になった 父親=大黒柱は倒れ片親だからって生きていける そんな生活を望む人も多くなった 出生率の低下が叫ばれはじめて10数年 新聞やテレビでの幼児虐待や家族殺害なんてのも見慣れてしまった 今人が生活に求めているのは家族という形態ではなくなっているように思う ずっと前からそんなことを感じていた 最近ではいつの間にか近所の人が引っ越ししていた いつ何処へ行ったのかも分からない ご近所付き合いも薄くなり 隣に住んでる人の顔も名前も知らないなんてのも当たり前だ それでも人は独りでは生きられない 家族か恋人か友達かペットなのかは分からない ただそれはもう変わっているんじゃないかと思う 生活スタイルというものがコミュニティーから個人にシフトしている 今回の原油高騰でまたその流れに拍車がかかるかもしれない 義務とされている年金も約4割の人は未納 払える状況を作り出せない人も多い 意図的に払わない人はもうアテにしてないんだろうし 流れを加速させる要素は増えていく でも流れを作り出すのは常に人の心なんだろう その有りどころさえ分からなくなってしまう日が来るのだろうか そんなことよりも焼きたてのワッフルを食べたいと思う僕は楽観的?
2008年07月16日
トラックバック全面拒否設定しましたちゃんとブログ管理できてないってのが原因ですが・・・これといってトラバを活用してなかったってのもありまして以後よろしゅうにとりあえず今後の展望を伺いつつこの夏を干からびないで乗り越えることを目標にしていますそのうちまたひょっこり更新しますんでと某ケータイブログでも同じようなこと書いてますが・・・でわでわ
2008年07月14日
生きてます 堂島川沿いも暑くなってきました オーストラリア帰りの悪友のおかげもあり呪縛から解き放たれました ああ 自由だ アンダーグラウンドに戻れそうです では潜ります ズッパディペッシェうめえ
2008年07月06日
意地を張ってバカなことをした でも後悔はしない 済んだこと 私以上の人なんていないんやから わかってた 勝手な理由 君の幸せをわかってなかった僕がバカで 見離される前に先手をうったつまらないプライド やっとさよならできるかも
2008年05月23日
あなたのことを嫌いなあなたが僕は好き
2008年04月23日
荷物ばらして朝から業者との手続きを終わらせました なんとか形にはなったかな しかし広い んで荷物少ない 生活感がない これからだろうけどたぶん物は増えない 掃除がしやすいから満足してます しかし広い
2008年03月30日
包丁を買いましたちょっといいやつです研がなくてもやたら切れるのが怖い
2008年03月24日
決まりました 大阪福島で働きます 新規オープンのお店 是非にと誘われました 書類用意して部屋探しにきてます 空が青いぜ
2008年03月21日
えー久しぶりに復帰しました長らく留守にしていたのでほこりっぽいですが・・・・・・書き込みやらトラバがエロイんじゃぁあああああああああああああもう無法痴態・・・・好きにしておくれやす最近はというとウイルスにやられましてぶっ倒れてましたがもうさすがに有り余る体力のせいで寝ることが出来なくなってまして朝から公園走り回ったり部屋の中の物という物を全てゴミとして捨てたりとそれなりに忙しくしてますさっさと市内へ移り住もうとそんなことばかり考えてます部屋の片付けをしてるとなんでギターが2本もあるんだ?とかもう1本あったんじゃないか?とかいいかげんサックス買おうとかこのフィルムもう使えないだろとかもうこのシャツ小さいなとかあらまだ畳が青いわとか携帯でサイト開けないやとかこのウイスキーなんか混ぜたっけ?とかあっ風邪ひいてんだ俺とか確定申告まだやとか今年で25?26?とかいろいろ考えてしまいましたんでまたすぐに放置してしまうんだろうと
2008年02月29日
やっぱり仕事人間なんでしょう この一年 全てを仕事に費やしてきました でも まだまだ足りない まだまだ本気じゃない 今年は飛躍の年 何が何でも夢を掴んでみせる
2008年01月13日
生きてます あと2ヶ月 市内へ引っ越し予定
2007年12月12日
来年 僕は動きます たぶん 携帯変えます また潰れる一歩手前…
2007年10月10日
棚卸し中 眠いっす
2007年10月03日
新しい翼 飛び過ぎないようにほどほどに
2007年09月28日
どもnamiです最近この挨拶もしてなかったなぁちょっと一息入れてますそうするとやっぱり見えてなかったものが色々見えてくるものでこの前の休みは一人で海辺をドライブBGMはビーチボーイズキッチンカタログを買って本の虫友達と会うこともなくずっと一人で過ごす時間前はもっとアクティブだったかぁたぶん体力休めのシグナルがチカチカしてるからできることを少しだけそんな感じでしばらくやっていきます
2007年09月05日
姉です結婚式でながすビデオを撮ってくれということでデジカムを奪い去っていきました姉に物を貸すとスムーズにはかえってこないもので多少心配ではありますでもなかなか活躍の場がないデジカムにとっては使われてこそ思い出を残してこそデジカムということで背中を押しました(ディスクポケットの辺り)無事にかえってきておくれ
2007年09月05日
どっか行きたい死に直面したとき人のぬくもりを感じたときそんなときにしか自分の鼓動を感じない風をくれい
2007年09月04日
どこにでもあるさでもアスファルトだって突き破るどんな場所でも生きてやる踏まれても平気ちょっと悲しいけど花を咲かせて空を飛ぶのさいつかどこかに近くか遠くかわからないけど風に乗せて生きた証を残すためにあなたの心に残るように眩しいくらいの黄色い花羽ばたく白い羽を手に入れるのさ
2007年08月19日
コツコツと 小さなことから コツコツと 来週は部屋探し 調べてます いろいろと 根無し草 どこへやら たぶんまた1年後くらいには部屋探し コツコツと おでこを液晶画面にコツコツと 土曜にプラズマテレビが実家にやってきます
2007年08月15日

行ってきましたんがぁーコンクリートボックス?だったかな?これで作ったんですよユウジロウがバシューン!!とりあえず中心ですこの日の水深う~んおやきがうまいこれ乗ってえんでこれ乗ってえここ行ってえんで地獄へようこそおいでまし満喫しました
2007年08月11日

答えは必要なときにでるその時が待てないのなら感じるままに
2007年08月11日
なんとか生きていますもう仕事をはじめて4ヶ月いろんなことを覚えましたかといってお店の色に染まることなく勝手気ままになぐられながらの毎日です自分というものを持ち続け愛想を振りまき汗を流すのはまあなかなか面白いものでなんせ16~18時間立ちっぱなしなだけでもそれなりの収穫はありますとにかくワインを飲み本を読み学び行き倒れ休みの日は食べ歩きアルバイト時代よりも少ない給料で貯金もしっかりとしつつ今後の展望を伺ってますまた少し時間ができればブログも更新していくつもりですまあ生きてますということだけ今は伝わればと・・・ではでは
2007年07月16日
多忙でも毎日楽しんでます睡眠時間は3~2時間まで減りましたでも調子はうなぎのぼりです少し時間ができたらまとめていろいろ書こうかなともうしばらく復帰をお待ち下さいませ
2007年02月27日
乗り遅れたぁああ!!最終の電車に滑り込みセーフ。またこんな時間になっちまったよお。これからまた3時間睡眠のローテーション。まったくぅ、もう寝かせろよ、愛してんだぜ?でも、あと5minでいいからさぁ、な?ったくぅ、わかったよニョッキ☆☆☆今日はセージを手に入れたのでセージバター風味でいきます。やっぱうまいもんなぁ、好きだよ☆(変体の夜は続く・・・・)あっ、シュベルツ・カッツだ・・・・・飲もう
2007年01月10日
夜中から展示料理のリチェッタで頭を悩ませ、ブラウン管ではCIN CITYが流れ、ナンシーことジェシカ・アルバの腰振りに目を奪われ、殺人兵器ミカにハートを貫かれた末に紀州緑茶梅酒の香りが漂う部屋で泥酔(ρ_-)oウメェ 明日から学校だぜ、面白くなってきやがった
2007年01月09日

ぽこよん(以下ぽ)「明けましておめでとうございます」 「namiさんが多忙のため、今回は私とこの人でおおくりします」エステ「ども、エステです」ぽこよん「あらダンディズム☆」エステ「2007年かぁ」ぽこよん「青息吐息、エステさんどうしたの?」エステ「いやさぁ、ワインとかチーズとか、人気じゃん?」ぽこよん「へえへえ人気ですねぇ」エステ「もちっとさぁ、こっちも脚光浴びてもいいんじゃないかなぁって思うのさ」ぽこよん「ドレッシングとか煮込みの隠しキャラですもんね」エステ「イタリアじゃぁ結構キャーキャー言われてんだぜ?」ぽこよん「namiさんはまんま飲んじゃうくらいだけど」エステ「なんだよぉ、もう親善大使だよそりゃぁ」ぽこよん「いつも一人で晩酌ですけどね」エステ「それじゃ広まんないじゃんかぁったくよお」ぽこよん「時間的に誰とも会えないらしいし」エステ「呼べよぉ、なんで電話しねぇんだよ」ぽこよん「2人で盛り上がっても広まらないからねぇ」エステ「お手上げバンザイじゃん」ぽこよん「やっと正月っぽくなりましたね☆」エステ「☆じゃねぇよ☆ってなんだよぽこちゃん」ぽこよん「あっ、年賀状の後だしをせねば☆」ドロンッ!!エステ「☆☆☆☆☆☆☆☆・・・・・☆☆!!」
2007年01月04日
久しぶりのまぶしい太陽でした
2006年12月30日
消えたぁああ(*'▽'*)わぁ♪携帯で更新した3つのブログネタが消えたぁぁあああヽ(´□`。)ノ・゚ヤッタアァァアァンついにやってくれましたねぇ楽天さん(#゚Д゚) プンスコ!おいらのおいしい写真が(#゚Д゚) プンスコ!(#゚Д゚) プンスコ!忙しいなか、手塩にかけて作ったティラミスが(#゚Д゚) プンスコ!(#゚Д゚) プンスコ!(#゚Д゚) プンスコ!どこに吸い込まれていったんでしょうねぇパラレルワールドか、はたまたプティブラックホールか(ノ゚ρ゚)ノ ォォォ・・ォ・・ォ・・・・にゃるほど♪そんなにおいしそうだったかぁ( ̄ー ̄ )ニヤリ勝手に食ってんじゃねぇ!!!( ゚Д゚)ドルァ!!(#゚Д゚) プンスコ!( ゚Д゚)ドルァ!!ちとエキサイトしてしまいました(/ \) イヤンまた作ったらUPすることにします(次は吸い込ませねぇ(`-_ゝ-)
2006年12月28日
ども 正月まで連勤です 今日はかなりナーバスでした それというのも昨日知り合いのお店でしこたま飲んだんで んで帰ってからも狂ったように煽ったんで 2日酔い(Θ_Θ) このまま帰っても寝れないし また今日も変態行為に身を投じてしまうんでしょう。 楽しい時間だ(??????@)
2006年12月22日
※サンタクロースの正体を知らない人は、読むかどうかはご自身の判断にお任せします。なお当ブログは一切の責任を取りませんのであしからず。 「サンタ年齢」 いわば「サンタクロースを信じていた年齢」です 年を重ねてクリスマスのイメージや過ごし方がかなり変わります 今は恋人や親しい仲間と過ごす日になり いつからか自分がサンタクロースの役になるようにもなった そこでいつまでサンタクロースがクリスマスの日の朝にプレゼントを届けてくれていると信じていたかを思い出してみたわけです 幼い頃の僕はクリスマスが大好きでした 悪いことをして親に叱られたとき 「そんなことする子にはサンタさんプレゼントくれへんよ」と言われ サンタクロース宛てに反省の手紙を送ったこともありました 幼稚園の年長(小学校に上がる前の年)のときに ついにある計画をたてたんです (サンタクロースを見てやろう)と そうはいってもまだまだ子供 8時にはとっくに夢の中 朝起きると毎年と同じように枕元にプレゼント 来年こそはと夜更かししようものなら 「早く寝んとサンタさん来てくれへんよ」 そのうち顔も見てない相手に手紙を書くことに苛立ちを隠せなくなっていました そして小学校2年生のクリスマス 2年間の計画がついに達成されることに なんとか寝ないようにとサザエさんから北斗の拳まで 知っているアニメソングを布団被って歌ってました 11時を少し過ぎたころ ドアノブが回ってヤツが入ってきた 枕元に置いた手作りの大きな靴下にガサゴソとプレゼントを詰めている ここが見るチャンス!! だけどサンタだって知らないじいさんだ なにをされるか考えるとちと怖い ドアを閉めようと振り返ったときを狙おうと決めた サンタクロースはプレゼントを詰め終えて背を向ける (あれ!?帽子被ってるけどパジャマじゃん)(・_・;) (なんて微妙な)(-.-;) ドアを閉めようと振り返った (今だ!!)(-_☆)・・・・・・・・ 暗くて見えない・・・ だがそのときサンタクロースがドアの向こうで一言 「・・・うぅ・・・・・さぶいっ」 (じいちゃん!?)( ̄□ ̄;)!! みんなは何歳までサンタクロースを信じていたんでしょうか 僕は姪に僕くより長くサンタクロースを信じさせようとしています
2006年12月17日
シリーズ化するかは未定なんだけど さっそく今日のnamiの胃袋です 朝しか食べてないんだけど まずシュトーレン2切れ ヨーロッパではお馴染みのパンケーキ? ウイスキーやバーボンに浸して食べるもんです 朝からアルコールはやばいんで牛乳だけど そして厚く切ったトーストにバナナの薄切りをのせて焼いて蜂蜜をかけたサンド メインとフルーツを同時に済まそという企み 腹持ちもいいし 自然な糖分で頭が冴えます もちろん牛乳だけじゃなくてストロングなコーヒーも 朝はできるだけしっかり食べるようにしてます パジャマに寝ぐせ頭で焼き上がりを待つ そこに入れたてのコーヒーが入ったマグを持ってきてキスしてくれる相手がいれば言うことないんだけどなあ まあこんな胃袋で僕は働いてます
2006年12月17日
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