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やったね!ついさっき、泊りがけで群馬県の桐生市に遠征していた、姪っ子のまりりんから、従姉どうしのゆめちゃんの携帯にメールが届いた。今日、高校演劇の予選地区でも、とびきりの難関・・・関東大会で第一位獲得。まりりんの所属する高校の演劇部が、昨年に続いて全国大会の決勝コンクールに進む事になったのだ。 ↑遥かな場所の、さらに遠い高み。たそがれの樹海に沈んでゆくアンコール遺跡☆高校生のときに、演劇に関係していたひとなら、これがどのくらい凄いことなのか判ると思うけれど、去年の九州で行なわれた決勝大会の成績は全国で2位だった。副賞の、マクドナルドのハンバーガー1年分と言うものが、少ない部員(20名足らず)に365個ぶんのバーガー無料券だったので、かなり持て余したらしくて、はるるのとこまで廻って来たからよく覚えてる。笑さらに、ことしの芝居のスゴイところは、オリジナルの脚本『美術室から愛をこめて』を執筆したのがまだ十五才、ピカピカの一年生だったこと。つい、この春まで中学校の制服を着ていた女の子なのだ。演劇部の先輩たちも、顧問の先生も、審査員たちも、等しくその非凡な才能を認めていると言う。話は別だけれどぼくの友達で、その人のお姉さんの子供が宝塚に合格した人が居る。その姪っ子は現役のステージを、娘役としてけっこう永いこと勤めていて、つい先ごろ引退したばかり。その誇らしさと、愛おしさは、いかばかりだったことだろう。それと同じ、ぼくにとっては義弟の娘が、全国で1位を争うレベルの芝居に、重要なポジションで情熱を燃やしてる。はるるには、ひとごとのような、そうでないような?!なにしろ、まりりんのことはオムツ姿のよちよち歩きの頃から知ってるし、小中学生の頃は娘のゆめとともに、幾度と無くスキーにキャンプ、カヌーの川下りをやった仲間(?!)なのだ。高校野球が、学校が長期の休暇に入る夏休みに決行されるように、演劇部の全国決勝も同じように、暑い盛りの時期に開かれる。今年の開催地は福井県。ベストを尽くして、良い芝居ができるといいなあ♪追記 1/23の下野新聞にこの演劇部の関東大会優勝の関連記事が出ました!写真入りでおおきく、副部長まりりんのインタビューなども少し。
2003年01月19日
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京大西部講堂は、京都大学吉田キャンパス西部構内にある厚生施設の一つですが。・・それに止まらないで関西のロック音楽シーンにとって、伝説の場所でもあるんです。昨日の「 愛人の美容とホテル 」日記につづいて、百万遍かいわいの写真です。はるるさんにとって永い間、京大西部講堂は「金閣寺」とか「清水寺」にも匹敵するような京都名物のひとつ、だったので通りがかりにチャリンコでこれを見つけたときには、独特の感慨のようなものがありましたよ。西部講堂でロックの公演が実施されることになったのは1970年12月31日に開催されたFuck'70というライブが最初。これ以降、大晦日には"Mojo West"というロックコンサートが定期的に開催されて、矢沢永吉をはじめ、ジョニー大倉、豊田勇造、村八分といった現在のロックファンの間では著名なミュージシャンが西部講堂のステージに立ちました。元々は円山音楽堂で開かれていたのが、あまりにも騒音?がひどいというのでこっちに引っ越したようです。他にも内田裕也とかジョー山中とか言った、そうそうたる面々が顔を揃えていました。(かつて、あのThe Policeもここのステージを踏んだことがあります・・)おおみそかのコンサートに参加したひとによれば、あるミュージシャンの「明日からお正月だというのに、こんな所にしかこれなかった人たちに一握りのブルースを」という言葉が印象的だったとか。笑そこからメジャーレコード会社の目に止まり、デビューしていくこととなったミュージシャンが多数生まれて・・。ロックミュージシャンの中では「西部講堂の大晦日コンサートに出演すると売れる」というジンクスが伝聞されていた時代がありました。これは西部講堂が1970年代の日本のロック黎明期に、大きな役割を果たしてきたことから出てきた一種の伝説でしょうけど。(京大西部講堂 ★2007年3月 撮影)ちょっと見には、打ち捨てられ荒れ果てて廃墟になった寺院のように思えるようなたたずまいなんですが、サークル活動の部室になってたり、様々な不定期のイベント会場に使われたりしてる、現役の建物なんです。1937年に現在の天皇の生誕を祝して京都大学構内に建築されて、1963年に今の場所に移築しています。この屋根に描かれているオリオンの三ツ星は、1972年の日本赤軍によるテルアビブ空港乱射事件で死亡した日本赤軍メンバーを偲んで同年に描かれたものらしい。当時は、毛沢東の語録がまとめられた赤い手帳が、日本でもベストセラーになるような時代。けれど、事件から30年以上経過した現在、追悼の意味合いは風化していて、単なるオブジェと化しているけれど。屋根の三ツ星も、描かれた当時は赤色だったけど、紆余曲折を経て、近年は黄色に落ち着いているようです。。。。京都大学は、日本で2番目に創設された帝国大学の流れをくんでいる国立大学です。この大学では伝統的に「自由な学風」を謳っていて、現在でも学生自治活動が活発に行われています。また、西部講堂のロックコンサートなどに代表される京都地区における文化発信地としての役割も担ってきていました。東に「保守」の東大があるとすれば、西に常にあたらしい「革新」の京大があると言われるゆえん、ですね。当然ながら、60年から70年代の激しい反体制派の学生運動の拠点にもなった過去があります。。。かわら屋根の上の、黄色いみっつの星は・・・そんな歴史の引っかき傷がいつの間にか「かさぶた」になって治癒したあとのような、名残りだけの存在なのでしょうか。『はるるさんが、過去に楽天で書いた音楽関連の日記のほんの一部』 ↓古井戸★スイトピーをあげるよ ジョンとポール:馬鹿げたラブ・ソング♪ 70年代日比谷野音★日本語のふおーくとろっくのコンサート:キャンディーズ解散宣言のチケット:バンド復活!~古い古いともだち☆ ビートルズの時代 06つま恋全演奏曲リスト☆拓郎&かぐや姫 1980年のRCサクセション「スローバラード」 異国でレッドツェッペリンを聴いた♪ はるるが出会った人(実名)紹介。人気blogランキングへ ↑アジアを始めとする世界各地、選りすぐりの旅行好きたちのHPが、ここで見られます♪
2007年05月18日
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