best imitation of myself☆
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先日、細木数子の番組で梅宮アンナが出ていた。梅宮アンナに別に特別な感情はない。梅宮辰夫の愛娘、幼い頃から何不自由なく育てられた箱入り娘。ナイスバディにハーフという恵まれた外見。私と、なぁんの共通点もなしっ( ̄▽ ̄;Aでもね・・・番組みてるうちに、なんかすごくあるあるあるある!! の状態に陥ってしまった!Σ( ̄□ ̄|||)まず梅宮アンナと言えば羽賀研二(略して細木和子いわく「ハガケン」)。世間知らずの彼女が若くして出会い、尽くして結局破局となった。そのエピソードで、アンナと似ても似つかない私だけど、聞いてると共感する部分がいっぱいあった。ハガケンに「(借金返すため)コレやってよ」って言われる。躊躇すると「できないの?じゃ愛してないんだね」って言われる。そうすると「ううん、できる!」ってなって尽くしてしまったというのだ。私も遠い記憶をたどるとそういうことが・・・あった。とにかく尽くす。自分がどうなっても。相手の喜ぶ顔がただ見たい。ゆがんでると周りから嘲笑されようが忠告されようが聞く耳持たずだった。どこか破滅型、それでもいいと思っていたあの頃・・・( ̄ー ̄)トオイメアイシテルってなんなんだ?話は、アンナの小さい頃のことや両親の溺愛ぶりにスライドする。これもあまりにも家庭環境が違いすぎるのになぜかまた共感。うちはどちらかというと貧乏な家だったけど、両親の溺愛ぶりはすごかった。高校は大阪方面じゃなくレベルを1こさげて和歌山方面に向かされた。理由は「スレル」から!(/||| ̄▽)/ゲッ!!働きだしても門限は10時。結婚しても隣の市より遠くへ行くなと言った。それでも車で1時間ほどのK市に住んだ私。週に1度は顔を見せにいかないと「あんた、生きてるんか!!」と怒りの電話が入った。あまりの親の干渉にしんどくなって、電話も居留守を使ったりしていた。呼び出しを何十回とならす。留守電にすると「おかあさんやけど・・・(長い沈黙&溜息)」という用件ではないメッセージ・・・。異常やすごくしんどくなった。数年前、スープの冷めない距離に移住したが、合い鍵を持って勝手に家に来ては「家、汚いなぁ、掃除しぃや」とか、まぁ本人達は大意なく言ってたんだろうけどしんどかったなぁ。普通ではない干渉は私が三十路を超えても続き、結局私が爆発。そのとき両親は「あんたの為を思ってやってあげてたのに情けない」といって泣いて帰っていった。。。後ろ姿を見送りながら「可愛そうなことした」という思いと「これで干渉から解放される」という思いがあった。異常すぎる執着、なんでも親の言うことは間違いない!そういう育ち方をして私はなんのギモンも持たず大人になった。結局はただの世間知らず。なんも知らんかった。そんなオトナコドモが21才で結婚しはじめて親元を離れた。アンナも両親から離れたいと語っていたが細木数子になだめられていた。それもわかるんだけど・・・ハリネズミのジレンマ?老い先短い両親を喜ばせてあげたいでも、そばにいるとまた干渉される。そんな感じ。あと番組中に泣いてしまったアンナが言っていた言葉。「ただ涙もろいだけですから、気にせず普通に接してください」私もとにかく涙もろい。自分では感受性が強いって思ってる。すぐ泣けてきちゃう。いろんな方向に頭が働いて、情けないやら、淋しくなるやら。どこかカワイイカワイイで育てられたゆえに似通った精神状態にあるのかな。愛してる人を失いたくない。失ったら一人で歩けない。だから無くさないように一生懸命尽くす。自分を無くしてでも尽くす。(私を)愛して愛して・・・って求めてる。でもこれって愛じゃなく依存してるよね。相手からしたら、愛どころか恐怖すら感じるかも知れへんそ~んな経験もあったよね~~~。しんどい思いをして学んだこと。なんか梅宮アンナの話を聞きながら私の半生振り返った。いろんなこと考えてしまった。結局のところ私は一人では生きられない。アマチャンだ。でも苦しかった。親に爆発してはじめて言いたいことを相手の反応も気にせずぶちまけたあの日。私は生まれ変わったのかも知れない。それでもまだまだ、甘えてる自分と、干渉から逃れたい、未熟な自分がいてこれからは自分の不完全さを認めながら、自分らしくいきたいなと思った。う~ん、尻すぼみではあるけどなんかアンナの鑑定を見ながら、文章にまとめなきゃって気になったので書いてみました。
2007年08月09日
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