.     47歳今まで中途半端に生きてきたけど,この歳になって「今から医者になる」と決意しました

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2007年11月05日
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三月末に、桜前線を追いかけながら、

ある時は、地下道で野宿して流れ込んだ大雨に溺れそうになり

ある時は、「きせる乗車」を企てながらも、生来の小心者故

近場の駅で中途半端に下車し、

またある時は、優しいトラッカーに施しを受けながら

「約束の地」に、二人のチャレンジャーが集結

だがしかし、所持金は少なく、引き返すだけのギリギリしかないぞ!!!

その時、どこから聞こえてきたのか、ニールの励ましの声が・・・

「たとえ、ドブの中でも前のめりになって死ぬ」

   (星飛雄馬&坂本竜馬 談)

俺たちは、遂に津軽海峡を渡った。(BGM「津軽海峡冬景色」

かくして、北の大地「函館」に降り立ったのである。(BGM「函館の女」

しかし、感動の涙も束の間、

あてにしていたアルバイト代は20000円

ささやかな贅沢三昧の末、二人合わせて7万5000円ほどの所持金。

俺たちの運命やいかに・・・







函館で、たらふくメシを食ってからは今後の作戦を企画しました。

命名「オペレーション: シンザン

あの「伝説の名馬:シンザン」の牧場まで行こう!という作戦です。

  ※作戦は、すぐに「全会一致」で決まりましたが、

   「作戦名」を決めるまで数時間かかりました。



シンザン君は、1961年生まれで、私たちと“同年代”です。

この時点で、彼が北海道のどこにいるのかは知りません。

私たちの認識は、

   「函館⇔網走」間が、せいぜい「東京⇔名古屋」

ぐらいの感覚でしたので、「函館に着けば何とでもなる」と思ってました。

   (だって、北海道・・・って、日本地図でも変なふうに離れているので、

    実際の距離間が全然わからんのです。)

実際は、「函館⇔網走」は、600~700kmぐらいですかね・・・

「東京⇔名古屋」は、300kmぐらい・・・かな?



と、言う事で「常に前向き:ポジティブシンキング」です。

実際は、ほとんど「ヤケクソ」状態です。

作戦名を付けるのに時間がかかったので、

なんとか重い腰をあげた頃には、夕闇迫る函館の街が

異国のように不思議な感覚で、我々をいざなうのでした。


とは言え二人とも「約束の地:青森」を目指す道中で

ヒッチハイクをしてきて

「簡単には、“どこの馬のホネかわからんヤツ”を自分の車に乗せない」

という事はイヤというほどわかっています。

さんざん苦労してきたので、いざ決行・・・となっても

「どないすべえ・・・

自称「ヒッチハイク3段」とか抜かすワリには

お互いに気が重いわけです。

この寒さの中、このままここに居てもラチがあきません。

「とりあえず、サウネにでも泊まって作戦立てようか」



二人とも「作戦会議」が大好きです。



「内地での苦労を糧にして、1台ゲットせんかい!」

「おめぇこそ、ここまでの武勇伝は、ウソやったんかい~?」



と、寒さと不安に打ち震える私たちに

「兄ちゃん、どこ行きたいん?」

・・・おおおぉ 関西弁???



見ると、そこには、金ピカデコレーションのトラックが1台。

し・か・も・・・「京都ナンバー」やんけぇ~


地獄に仏 とは、この事か!

(決して北海道を“地獄”と言ってるのではありません。

 勝手に二人組みがビビッてるだけです。)

「札幌までなら、乗ってもええよ」



おおお   じぃざす



金ピカデコトラのお兄ちゃんは、京都から札幌まで

JRA(日本中央競馬会)の券売機だか何だかを運送中との事。


一人でブッ飛ばして来たが、エエ加減退屈してきたとこらしい。

そこへ、「怪しげな関西弁の二人組み」を発見・・・という事でした。

(因みに、私は、母親が「浪花のお嬢様」親戚の大半が「岸和田市民」

 相方は、「生粋の大阪人」です。)



さて、トラックは一路北へ・・・


  「ヒッチハイク」で肝心な事は、“乗せて頂くまで”は勿論ですが

   まず、「寝る」なんぞは御法度です。
   乗せてくれる人のほとんどは、「退屈しのぎ」を期待しています。
   話題も、「名古屋~静岡までは中日ファン」
   「江戸~東北にかけてはジャイアンツファン」たまに関西訛りがあると
   「ブレーザー監督ではあきまへんなあ」と豹変します。
   (乗せてくれるなら、悪魔にでも命を売るぜ
   話題も少しずつ仕入れます。
   さっき乗せてもらった人が言ってた事を次の時に
   「この辺は○○○らしいですねぇ」などと言っておけば
   「よう知ってるなあ。実はな・・・」
   てな具合に膨らんできます。それを順繰り順繰りに回していきます。
   初めて言った東北でも、「花巻」に来る頃には
   もはや、「東北生まれですが、今は大阪です。」ぐらいの勢いです。



夜の帳が下りて、次第に漆黒の闇が迫ってくる頃には、

「長万部」の文字が見えてきます。



「メシでも食うか?」とデコトラ兄ちゃんが言いますが、

私たちの当日の「メシ予算」は既に使い切っていました。

無言でいると、

「ああ、そういえばデカイ声で“作戦”立ててたなぁ。

で、今日のメシ代はもう使ってもうたんやろ?

カネ出せ!なんて言えへんから、安心せえや」



あんたは、ホントに 仏さん



カニ  です。


カニ・・・ってこんなに旨かったのか?

「もう食えん!!!」というほど食べさせて頂きました。

しかも、「非常食用」にカニ缶まで買ってくれました。

長万部を出てからは

    「 アニキ

と呼んでいたのは至極当然の成り行きだ。




アニキと共に長万部を後にして、向かいは

「恋の街 札幌

何事かを期待しつつ、金ピカデコトラは走り出す。



つづく


父に幼い頃から、

「カニのミソは毒があるから子供は食ってはならん!」

と教育されてきたので、この時まで食べた事がありません。

子供には、「美味しいアシ」を分け与え

自分は「俺は、これを我慢して食べる」と言って

自ら犠牲になってきた偉大なる父です。


カニのミソが食える事を初めて知った私ですが、

「俺も大人になったからか・・・?」

と健気な事を思っていました。


 つづく ⇒ 「アニキと別れて・・・」



2007/11/05 18:42:50





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最終更新日  2009年07月02日 01時27分45秒
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