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デリー行きのスパイスジェットは、またしても「DELAYED」。腹の具合も悪くなってきて、何度かトイレを出たり入ったりしながら待合室でひたすらアナウンスを待った後、1時間半近く遅れてやっと搭乗。上空から見納めのバラナシは全体的に重く雲が立ち込める中、ほんの一瞬だけ雲の切れ間から陽光が差し込み、下界の混沌を最後に少し照らして見せた。
ムンバイ空港に到着したのは、もう夜の9時。バラナシ→デリー→ムンバイの移動で、さすがに疲れていた。しかし今度は、機内預かりの荷物がなかなか出てこない。実は少し焦っていた。今夜の移動はまだこれで終りではない。これから、さらに1時間かけて市内の鉄道駅「ムンバイCST駅」まで行き、1時間半後に出発する夜行列車に乗る予定なのだ。気がかりなネタはもうひとつあって、昨日から両替のタイミングを逃したまま、手持ちの現金がほとんど底をつきかけていた。
金を渡すと客引きの白シャツだけが先に降り、ようやく運転手とワタシの乗るクルマはムンバイ駅に向かって走り出すが、こちらの焦りとは裏腹に、すぐに大渋滞にハマってしまう。じりじりと焦りを募らせながら、やっとのことで渋滞を抜けた瞬間、運転手に「とにかく急いで、飛ばしてくれ!」と頼むと、実にオーダーに忠実な対応で、無茶苦茶クレイジーな運転で飛ばす飛ばす。「あぁ、今度こそ死んだ」と思った瞬間が少なくとも3回あったが実際はすべて寸前で切り抜け、結局は彼のお蔭で列車出発の
「ムンバイCST駅」は、ムンバイから主に南の地域に向かう路線の玄関口になっていて、もう夜の11時前だというのに広い駅の構内は、出発を待つ人や地べたで寝ている人などでごった返していた。ここからワタシが乗るのは、およそ13時間をかけて、アラビア海に面した南のビーチリゾート「ゴア」へと向かう夜行寝台列車である。目指すホームは駅の一番端で、すでに列車はホームに入っていた。インド鉄道名物、貼り出された「予約確認リスト」のプリントの中から、受験の合格発表のように自分の名前を確認し、自分の車輌へと乗り込む。
車内に入り自分の座席(寝台)を探すが、なかなか見つからない。何度か車輌内を行ったり来たりして、「すいませんすいません」と謝りながら寝台を仕切るカーテンを開けていくと、ワタシの予約席を含めて向き合う形の上下4席を、ロンドンから来たというツーリストの4人組(白人2、黒人1、黄人1)ギャルズが占拠していた。「席、間違えてない?」と訊くと、「ゴメーン!私たち同じ仲間で一緒に座りたいので、この通路側の席とチェンジしてくれない?」と言われる。まぁギャルチームの中に男ひとり放り込まれるのもツライし、「別にいいけど」と答えると、「キャー!いいヒトで良かったねー!」などと、あくまでテンションが高い。通路側の寝台席の上段が空いていたので登ろうとすると、下段の席から、丸坊主頭にプロレスラーのようなすごい傷跡のある白人の大男がひょっこり顔を出し「オレもあっちの席から追い出されたんだ」と、ギャルたちの方を指差してトホホな顔をしていた。20年目の印度再訪記<番外編2> 2007年09月16日 コメント(9)
20年目の印度再訪記<番外編1> 2007年09月15日 コメント(14)
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