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裏の裏は表だろう 否定の否定は肯定ではないか ネバーと否定し さらにネバーと否定すれば肯定になる それをもう一度ネバーと否定するまではいいのだが これをさらにネバーと否定するから事態はおかしくなる つまり ネバー ネバー ネバー ネバー ギブアップ は ギブアップを肯定することになる さてさて 野田内閣はいまや あっぷあっぷ いっぱいいっぱいと みずから告白したのだろうか
2012.01.20
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昨年十月末から十一月にかけて、「国民文化祭京都2011」のイベントが 京都府下各地で繰り広げられた。 文芸部門では、「現代詩フェスティバル」が京都テルサホールで開催される というので行ってみた。 昨年は東日本大震災の年でもあり、国民文化祭全体がそんな状況に沿った鎮 魂と復興への願いをこめた色あいを帯びていたが「現代詩フェスティバル」も その例外ではなかった。 オープニングとして、応募作品の表彰式があった。 小学生の部の文部科学大臣賞は、岩手県奥州市の一年生の「がっこうのたう え」という作品だった。まだ幼い小柄な女の子が壇上で賞を受け、自作の詩を 朗読する姿は、被災地の様子と重ねあわされ、いたいけな気持ちを覚えたが、 作品そのものはのびやかで救われる思いがした。 シンポジウムでは「ことばと風土」というテーマが話し合われた。 コーディネーターは日本近代文学研究者の鈴木真実氏、パネリストとしては 詩人の高橋睦郎氏、京都在住の詩人河野仁昭氏と白川淑氏。 テーマからして、風土から方言に言及されるのは自然な流れだった。 例として、天野忠や宮沢賢治の作品が取り上げられた。天野忠は、ずっと京 都に居住した詩人で、日常のできごとは克明に日記に記録したが、京都弁のの 詩はほんの数編しか書かなかった。東北の詩人宮沢賢治の「永訣の朝」は余り にも有名であり、「あめゆじゆとてちてけんじや」という東北弁の一節は、詩 のイメージを増幅するのにきわめて効果的な役割を果たしている等々。 一方、もっぱら京都弁を駆使して京都の雰囲気をはんなりと表現するのは、 女流詩人の白川氏である。 私見を交えるならば、詩における方言に対する立居ち位置は「かくあるべし」 と規定されるべき問題ではないのだろう。この国には、地方地方の風土・歴史 に根ざした多くの方言があり、そのことばでしか表現できない詩的世界がある に違いないし、風土に培われた歴史・伝統から滲み出た、地方発の言葉によっ て、よりインパクトを高める、そんな作品もあるに違いない。 帰りの電車のなかで、フェスティバルの全体像をもう一度なぞりながら、詩 と風土とのかかわりを考えていた。 風土が言葉を発するのか、言葉が精神風土を醸成するのか。 いずれにしても、それらが共振するところに詩もまた存在すると。 詩誌「蒼」への草稿として
2012.01.20
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ひとりぐらしのおとしよりに さびしいでしょうね なんて いってはならぬ おやのないたみなしごに かなしいですか なんて きいてはならぬ まずしいひとにむかって おいしいものたべたいですか なんて とうてはならぬ こころないことばのつぶては ひとのからだを きずつけることはなくても ひとのせいしんをとことんきずつける
2012.01.13
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しとど(巫鳥) しとど 目白い鳥よ 稗の実やろか なずなをやろか きっと食べたら笹の子藪へ さっさとお逃げ ひよどり来るよ ヒーヨ ヒーヨ ひよの鳥 小豆をやろか からすむぎやろか きっと食べたら 柿の木へお逃げ さっさと飛んでけ キジバト来るよ デデッポッポー 雉の鳩 なんのえさやろか とうもろこしやろか しとど ひよどりいじめちゃならぬ きっと食べたら塒に帰れ
2012.01.11
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葉っぱをすっかり落とした冬の疎林 木漏れ日を受けて 裸木の枝枝に 一面にきらきらと輝くものがある なんの花だろう あれは よくよく近づいてみると それは 花ではなかった 「ナンキンハゼ」の実 樹氷のように 冬咲く花のように 疎林に 水墨画の静謐さと彩りを 湛えていた
2012.01.06
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少年老い易く学成り難し ましてや 少年ならぬわが身にとって 月日の経つのは まさに 光陰矢の如しである 一昨年の大晦日は とある町で カウントダウンコンサートを 聞いていた 千住女史のバイオリン演奏 秋川雅史氏の独唱があったりして 楽しいコンサートだった さて今年の大晦日の カウントダウンコンサートは? と 案内をみるが オーケストラの指揮者に 井上道義氏の名がなかった だからというわけでもないが 今回はやめにした ところで帰ってから テレビを見ていたら NHKの大河ドラマ「平清盛」の テーマ音楽指揮者に 井上道義氏の名があったのには 少しびっくりしたのだが・・・ それはともかく 今年はどんな年になるのだろう 1月1日 「年の初めのさだまさし」という 番組をみていたら 「風に立つライオン」の曲を さだまさしが歌っていた 世代が違うせいもあって さだまさしの歌には 今までずっと疎遠であったが この曲は良かったよ いまの日本 いや世界の状況からして この曲にこめられたメッセージが持つ 意味はとても大きいと思う さてさて 今年の新年 この国のゲーノージンは まるで猫も杓子も 大挙してハワイへ押しかけた 毎年恒例の行事である そのゲーノージンを追っかけて いわゆるゲーノーキシャも 大勢押しかけた なんというゲーノのなさ それをテレビで放映してみせるくだらなさ どこかしら この国は間違っている 去年は「絆」なんて言ってたけど あれはうそでしょう 表面を取り繕うために言っただけで 本音はエゴイスティックなあなただったのでしょう でないのなら ハワイなんぞに出かけずに 今年ぐらいは 東北の温泉へ行ってやったらどうなんだ 年明けそうそう 腹を立てたり 慰めてみたり ひとそれぞれ 問題の多い年 それがわたしの辰年占いです
2012.01.06
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