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俳句、和歌、詩はリンクすることが多い。
有名な漢詩、杜牧の「江南春」。
千里鶯啼緑映紅
水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺
多少楼台烟雨中
江戸中期の俳人で芭蕉の門人のなかでも
十哲の一人に数えられた服部嵐雪の句。
はぜ釣るや水村山郭酒旗の風
晩唐時代の女流詩人杜秋娘の詩「金褸衣」。
君に勧む金褸の衣を惜しむなかれ
君に勧むすべからく少年の時を惜しむべし
花開きて折るに堪えなば直ちにすべからく折るべし
花無くして空しく枝を折ることを待つなかれ
詩人佐藤春夫はこの詩をこのように訳した。
綾にしき何をか惜しむ
惜しめただ君若き日を
いざや折れ花よかりせば
ためらはば折りて花なし
唐の詩人コウイ(734~?)の詩「秋日」。
返照閭巷(りょこう=村里)に入り
憂え来るも誰と共にか語らん
古道人の行くこと少(まれ)に
秋風禾黍(かしょ=コーリャン)を動かす
松尾芭蕉はこの詩を基として次の句を作った
といわれる。
あかあかと日はつれなくもあきの風 此の道や行人なしに秋の暮
歌人の会津八一は、この詩を短歌にした。
いりひさすきびのうらはをひるがへし
かぜこそわたれゆくひともなし
詩は詩のジャンルのなかでリンクするだけではなく
小説にも展開する。その典型を井上靖の散文詩
と小説「猟銃」にみることができる。
小説『猟銃』の書き出しはこうである。
< 私は日本猟銃倶楽部の機関誌である「猟友」という
薄っぺらな雑誌の最近号に「猟銃」と題する一編の詩
を掲載した。
斯う言うと、私は狩猟に多少なりとも関心を持ってい
る人間のように聞えるかも知れないが、もともと殺生
を極度に嫌う母親の手に育てられて、未だ曾て空気
銃一挺手にした経験はないのである。 >
この小説の原型ともいうべき、作品のイメージ、思想は
散文詩『猟銃』に凝縮されている。その書き出しはこう
である。
なぜかその中年男は村人の顰蹙を買い、彼に集る
不評判は子供の私の耳にさえも入っていた。
ある冬の朝、その人がかたく銃弾のバンド(腰帯)
をしめ、コールテンの上衣の上に猟銃を重くくいこ
ませ、長靴で霜柱を踏みしだきながら、天城への
間道の叢をゆっくりと分け登ってゆくのを見たこと
があった。
それから二十余年、・・・
* この項漢詩に関する部分は「漢詩に遊ぶ」松下緑
(集英社文庫)を参考とした。