ぼたんの花

ぼたんの花

2005/06/24
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: 原発と劣化ウラン
『戦艦ミズーリ号での日本の降伏文書調印(45年9月2日)を取材したウェラー記者は、なんとしても原爆被災地に潜入しようと決意。このときGHQは西日本全域で外国人記者の立ち入りを禁止しており、唯一、取材が許された場所は鹿児島県の特攻隊基地だった。ウェラー記者は米軍の目を盗んでモーターボートで基地を抜け出し、列車を乗り継いで6日、長崎に入った。

 ウェラー記者は、記者証を隠し、大佐を名乗った。危険を承知で、がれきとなった長崎の町を歩き回った。後に「(被爆は)血小板が減少し、出血が止まらずに死に至る緩慢な死だ。このことをどうしても伝えたかった」と話している。

 無許可で長崎に潜入したウェラー記者だが、GHQに原稿を提出。90年にラジオインタビューに応え、「戦争は終わっている。マッカーサーに記事を止める権利はない。こんな重要な原稿を止めることができるのか。私はマッカーサーに責任を突きつけた」と話した。

 原稿は結局、戻らなかった。ウェラー記者は84年に書いた短い手記で、「原爆投下から何年もたつのに、なぜ世界は焼死した犠牲者しか知らないのか。マッカーサーは、放射線の人への影響という重要な教訓を、検閲によって歴史から消し去ろうとした」と書いている。

 息子のアンソニー・ウェラーさん(47)によれば、ウェラー記者は戦場特派員として太平洋戦争を4年間取材し、「検閲はプロパガンダのひとつの形態」と嫌悪。「戦争で最初に犠牲になるのは真実」との言葉をよく口にしていた。

 ウェラー記者は常に「この戦争とは何か、どこに行くのか、米国は戦争で何を得るのか」と質問した。こうした質問に答えなかったマッカーサーを、ウェラー記者は「英雄になりたかっただけの男」と表現した。ウェラー記者は原稿没収の理由を「原爆が戦争の勝因とみなされることに対するマッカーサーのしっと」と推測していた。

 また、湾岸危機・戦争(90~91年)の際には、記者たちが政府や軍の規制に挑戦する気持ちを失ったとみて、「パチパチと写真だけを撮る記者になり下がった」と怒った。アンソニーさんは「父が生きていたら、メディアが米軍の応援団の役割を果たしたイラク戦争報道には批判的だったに違いない」と語っている。』

http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/06/17/20050617ddm010040071000c.html


6/17付 毎日新聞朝刊



日本だけが多くの犠牲者を出したということでもない。二十歳の時に友達と2人で九州旅行をした時に長崎にも立ち寄り、その悲惨さ、惨さを写真などで見てきているし、その被害は同じ国民としては、忘れてはならないもの。

ただ、原爆の悲惨さだけを日本がアピールするのは、世界の国、とりわけアメリカや中国や朝鮮半島の人々には、中々、受け入れられない、と思ってきた。

果たしてそうだろうか?

『【ワシントン和田浩明、ロンドン小松浩】米ニューヨーク・タイムズ紙、英インディペンデント紙とガーディアン紙は20、21日、毎日新聞が掲載した故ジョージ・ウェラー記者の原爆投下直後の長崎ルポを報じた。タイムズ紙は「破壊された長崎に関する米人記者の最初の報告が、60年近くを経て、ついに出版された」などとし、インディペンデント紙は国際世論や自身の野心への影響を恐れたマッカーサー連合国軍総司令部(GHQ)司令官の検閲で掲載を禁じられた記事が日本の新聞によって明るみに出たと見開き2ページで大きく掲載した。

 タイムズ紙は「原爆が他の爆弾と違うという証拠は見つからない」とした同記者が、取材を進めるにつれ「特異で長期にわたる影響に気づくようになった」と説明。ルポを「被ばくで死んでいく家族や知人を前にした生存者の悲しい混乱や、破壊を生々しく伝えている」と報じた。ガーディアン紙も別冊特集で2ページを割き、被爆者の写真付きでルポの要約を伝えた。

 同記者の息子の作家アンソニー・ウェラーさんはインディペンデント紙に対し「検閲は米国民に原爆の悪い印象を植えつけないためだった。戦争に勝ったのはマッカーサーではなく(原爆実験が行われた)ニューメキシコの科学者の連中だ」などと語った。また、原爆問題に詳しい米ジャーナリスト、グレッグ・ミッチェル氏は「長年、原爆の実相は秘密にされてきた」と、ルポの歴史的重要性を強調した。

毎日新聞 2005年6月22日 東京朝刊』

http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/06/22/20050622ddm012040140000c.html


ウェラー記者は、自分の危険も顧みず、危険だから長崎には入るなと他人には言い、自分は取材を続けて記事を書き、この悲惨さを伝えようとした。そして60年経った今、このAP電は米国や英国、カナダ、インドの100以上の報道機関ウェブサイトで取り上げられた。他国の人々がこの悲惨さを配信して伝えようとしてくれている。
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/06/20/20050620dde007040010000c.html

もし、この記事があの当時、世界各国に伝わっていれば、原発もこんなに普及しなかったのではないか、と言っている科学者もいる。『抑止力』としての原爆ではなく、『通常兵器』として、アメリカは小型原爆を開発中(既にスーツケースに入るほどの原爆が出来ている、という話もある)。




 ◇広島原爆被爆者援護事業団理事長で、元原爆放射能医学研究所(当時)所長・鎌田七男さん(68)

 記事に限らず、米国が資料を持ち去ったのは、原爆症の究明の障害になった。記者が自由に現場を見て記事を公表し、原爆に対する世界の認識を変えていたら、核の抑止に役立っただろう。放射線による被害を記録した原稿が、プレスコード公布以前に提出されたとすれば、公布時期を早めた可能性もあるのではないか。

 ◇1955年、ケロイド治療のため渡米した原爆乙女の一人・山岡ミチコさん(75)

 隠滅は、原爆の恐怖を自分たちの都合で葬ろうとしたGHQのやりそうなこと。今までどれだけの事実を隠してきたのかと思うと恐ろしくなった。私たちの渡米治療にしても、当時は感謝の気持ちばかりだったが、今となっては、米政府に放射能の影響を調べるためのモルモットとして利用されたと思っている。核兵器の恐怖はまだ続いており、被爆60年は区切りの年ではない。証言を通じて、子どもには事実を知って世界に目を向けることの大切さを伝えていきたい。

 ◇被爆者で県被団協理事長の金子一士さん(79)



 ◇原爆詩人・峠三吉と親交があった医師で詩人の丸屋博さん(80)

 日本だけでなく、米国内でも検閲が行われていた実態を明らかにする歴史的に意義の大きな発見だ。プレスコード下で原爆詩集を発行した峠は、『逮捕覚悟だ』と言っていた。多くの文学者も『原爆』という言葉を使わないようにするなど、ものすごい状況だったと聞いている。』

http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/06/18/20050618ddlk34040587000c.html


こういう状況は、今のアフガン、イラクとよく似ている。違うところは、日本国民は、戦争を終結してくれ、食糧も豊富に与えてくれた米国に感謝する人が多数いること、『アメリカのおかげで今の日本がある』と思っている人が今の日本にも多数いること。

しかし、今のアメリカはイラクに対して、食糧をあげるどころか、逆にイラク人の家のものを強奪し、『アメリカが勝利宣言をした戦争終結』後も、未だにイラク人から受け入れられず、大量殺人を繰り返している。

何故だろう?米兵の死者も一万人を超えているという報道もある。何故に米国国民の反対運動、ベトナムの時ほど盛り上がらないのだろうか。それは、『職業軍人』になるのは、『職業の選択の自由だから』なんて、マヌケな回答をする人は、まず、いないだろう。米国はハッキリとした階層社会になっており、軍隊に入る人は、『職業の選択』があって無いような人達が殆ど。職業の選択には、人種差別がハッキリとあるのだ。



ナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命した多くのユダヤ系の物理学者は、ヒトラーが核兵器を開発することを恐れ、1939年にアインシュタイン書簡をルーズベルト大統領に差し出した。ドイツの世界制覇を防ぐために亡命物理学者たちは、アメリカに協力する。

そしてアメリカは、『マンハッタン計画』という国家プロジェクトで核兵器の開発を始める。1945年5月にドイツが敗北した後、亡命物理学者たちは、アメリカはドイツの核開発を未然に防ぐためではなく、真珠湾攻撃に対する報復として日本に核爆弾を投下する計画だったことを知る。その物理学者の一人、レオ・シラードは日本に投下することを反対したが、トルーマン大統領は、実行する。

広島・長崎の悲劇を知ったシラードは、物理学者から生物学者に転向、アインシュタインは、戦後、核廃絶運動に参加。



日本は、やはり『核廃絶』を世界に呼びかけなくてはいけないのではないか。


東海村の臨界事故、この時、世界のメディアはどう伝えたのか。

◎アメリカ・ニューヨークタイムズ(1999/10/1.2.3.)
『しかし、この質問のほかに、より根本的で深刻な疑問がわいてくる。日本ー世界で唯一原爆を落とされ、その外交政策や内務政策において常に核を問題視して来た国がなぜ、自国の原子力の扱いに気抜けした対応をするようになったのか?』

◎フランス・ ル・モンド紙(1999/10/2/4
日本の遅い対応や、事故の重大性を見極めなかったこと、1995年から7回目の事故であること。

◎イギリス・エコノミスト紙(1999/10/9号)
『日本の原子力発電の業界は、世界と違った方針を持っている。
日本はウランとプルトニウムを混ぜてつくる核燃料MOXを進めている。この点で日本はユニークである。日本は核分裂の後の廃棄物からわざわざプルトニウムを取り出し。再利用する数少ない国の一つである。経済的にそれは馬鹿げたことである。再処理をした燃料は通常の1.5倍から3.5倍ものコストがかる。

日本の核開発計画はもうひとつ奇妙な特徴がある。日本はもともとはプルトニウムを作ることを目的とした高速増殖炉の計画を相変わらず進めている。以前、高速増殖炉を持っていたどの国も、そのタイプの原子炉を放棄した。しかし、日本だけは諦めない。

実際のところ、MOX燃料も高速増殖炉も経済的には何の意味もなさない。日本に残っているのは、おそらくその計画をもともと進めたい人たちの利権が絡んでいる。』



そして最後に、MOXを使うということは、日本には沢山のプルトニウムがあるといことを意味し、もちろんこのプルトニウムは核兵器を造るのに適している。

日本の政府は、もちろん電力に使うんでしょうね?このプルトニウムを・・と結んでいる。



参考文献:『隠された原発データ』日本工業新聞社編集局編 『なぜ脱原発なのか』西尾漠著『原子力と日本病』村田光平著 『原発天国ニッポンのホントとウソ』日本みらい探検隊編 『日本の電気料金はなぜ高い』田中優 著
毎日新聞 日本経済新聞

*『隠された原発データ』この本は原発推進派の本です。














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Last updated  2005/06/25 12:10:25 AM
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