ぼたんの花

ぼたんの花

2007/10/29
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カテゴリ: 構造改革


『民間企業と同様の・・・規制監督を適用』とは、簡保の所管官庁を現在の総務省から金融庁へ移管させて、その立ち入り検査を受けさせるということである。また、『完全な会計の透明性を含む適切な処置』とはおそらくソルベシー・マージンなどの公表を義務付け、会計事務所の会計監査も受けるということであろう。

金融庁が民間の会計事務所と連携しながら、金融検査や会計監査を通じて真綿で首を絞めるように、りそなを国有化へ、UFJを身売り同然の合併へと追い込んでいった経緯は記憶に新しい。

さらに、簡保を独禁法の適用対象とし『その市場支配力を駆使して競争を歪曲させることのないよう』公正取引委員会に調査させる。という筋書きである。公取委は検察当局と連携しつつ、日本道路公団を追い詰めた。そう遠からず簡保と郵貯に対しても、民業圧迫・市場独占批判、会社分割要求などの情報戦が顕在化してくるであろう。

要するに、米国にとって民営化はゴールではなく、簡保を弱体化させ、最終的には分割、解体、経営破綻に追い込み、M&A(企業の合併・買収)や営業権譲渡などさまざまな手段を弄して、簡保が擁護している百二十兆円にのぼる資産を米国系民間保険会社に吸収させることが最終的な狙いなのである。

簡保は小口であることと、無審査という簡単な手続きを特色としている。もともと簡易保険制度は、民間の生命保険に加入できない低所得者にも保険というセーフティーネットを提供することを目的として大正五年(1916年)に創設されたもので、ビジネスというよりは日本社会の安定化装置なのである。それが米国人の目には単なる市場としてしか映らない。安定化装置をはずした後に日本社会がどうなろうと一切関係がない。

『官から民へ資金を流せ』、『民にできることは民にやらせろ』というときの『民』は、日本国民の『民』ではない。日本社会の行く末に責任を負わない米国民間保険会社の『民』にほかならないのである。

そう話すと『それのどこがいけないのか?』と真顔で問い返す人が必ずいる。深層心理の階梯まで無国籍化した日本人の増殖は、まさに占領以来のゆがんだ戦後教育の『アッパレな』帰結というほかにはない。世を厭い隠棲したい衝動に駆られる。




『奪われる日本』 関岡英之 著  講談社現代新書
700円+税





欲しい本を探していたら、この本にめぐり合った。
2006年8月20日に発行されたもの。

関岡さんと言えば、あまりにも有名な『拒否できない日本』で、
元一銀行員の方が、野党の政治家さえも気づかないところをこの本で指摘された。


戦後、日本が主権を奪われた占領下において、法制審議会商法部会委員として、商法改正に協力させられた東大法学部教授の石井照久さんという方が、関岡さんの母方の祖父だそうです。納得ですね。

『祖父の屈辱は私の屈辱だ。祖父の苦悩もまた、私の苦悩である。本書を祖父に捧げたい』とこの本の最後に記してある。


こういう方が議員になって欲しいですね。






自衛官の実態を書いた『自衛隊裏物語』後藤一信著 を読めば自衛隊に賭博は付き物。
賭けマージャンや接待ゴルフ、そんなことを知りたいわけではない。この大きな利権は最終的に政治家に流れているのは間違いないでしょう。民主党の議員の名前は即答するけれど、一緒に接待を受けた与党の議員であろう方の名は、迷惑をかけるから、と出さない。




沖縄の辺野古のV字型滑走路での大儲け、そのお金がどこに流れているのか?


しっかり追究してくださいね。



















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Last updated  2007/10/29 05:53:34 PM
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