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ジャッキー・チェンの新作「ライド・オン」は、スターシアターズでは、また吹替版しか上映されないようなので、字幕版を求めてユナイテッドシネマ浦添へ。このところのジャッキー映画は、公開されるごとに何かの節目が謳われているような気はするけど、今回は初主演から50周年で、自身が70歳の記念作ということだ。一応、彼の出演作は観てきてはいるけど、正直、このところは、あまり印象に残る作品は多くなかった。でも、この1作はドラマ部分がまずまず描けていて、近年ではいい方だと思う。ジャッキーの役どころは落ち目のスタントマン。自身の出演作の名場面が随所に登場して、先日見た「カンフー・スタントマン」にも出てきた、”スタントマンはノーとは言わない”のセリフも飛び出す。しかし、数年前に大事故を経験してから自信も失い、友人から譲ってもらった馬の世話を生き甲斐に細々と暮らしている。その馬を借金の方に取られそうになったことで法学部生の娘を頼ることに。仕事一筋で家族を放ったらかしだった父に不信感を持つ娘のリウ・ハオツン。娘というか孫みたいなリウだけど、童顔ながら24歳。そうか、「ワンセカンド」のあの娘か。チャン・イーモウに続いてジャッキーの起用と、順調にキャリアを重ねているよう。弁護士の彼氏のグオ・チーリン(父親役は倉田保昭だった?)が、イケてないけど金は持ってそうな、如何にもインバウンドで日本で見かけるようなチャイニーズである。娘は幸運の女神であったか、ジャッキーにも俄に仕事が増え始める。スタントマン魂が疼くか、馬のチートゥにも危険なスタントを課してしまう。リウは現場で何かと有利な交渉を行うのだけど。そして、特別出演のウー・ジンの依頼で大作のスタントの仕事が舞い込む。今やCG時代故に実際に高所から飛び降りたりする必要はないのだが、ジャッキーは実際に飛ぶのだと言い張るが・・・馬を巡る裁判沙汰等が些か長いのだけど、父と娘のドラマがしっかりしているのと、ジャッキー・ファンならニヤリとさせられる仕掛けも色々あるので気持ちよく見てはいられる一編。室内等での小技の効いたアクションもまずまず。てっきり肝心の最後をCGで見せるのかと思いきや、そこは潔く決心を覆すというクライマックス。その馬にCGは使っておらず、実際の演技?だったと思しい。しっかりNG集もある。最後の歌はジャッキーによるものだったのかな。ジャッキーより一足先に引退した石丸博也が、吹替版では限定復活で担当とのこと。そちらを観てみるのも一興ではあったかな。T V放映あれば、その時はまた。
2024年06月01日
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“ジョニー・トー 漢の絆セレクション”、残りの2本を桜坂劇場で。今日は昨日の2本のようにエグくわないのでポップコーン買って。相変わらずオリオンサイダーだけど。まずは「エグザイル 絆」'06。傑作「ザ・ミッション」の続編的作品で、予告で、あの1作目の音楽が流れてきた時にはぞくぞくしたものだ。前作以上にスタイリッシュな撮影と作りで、舞台も、明らかにマカオだなという絵柄。前作の5人のうちの4人アンソニー・ウォン、フランシス・ン、ロイ・チョン、ラム・シューが揃い、新顔でニック・チョンが加わる。出会う早々、華麗なる室内銃撃戦を繰り広げるが、一旦小休止となると、敵味方協力し合って家を修繕し、飯を作り、皆で食卓を囲む。トーの映画、男が料理の腕を振るって、皆で同じ釜の飯を食べるという場面はよく出てくる。4人がひと稼ぎのために寄るホテルのオウナーが、またしてもチョン・シウファイ。金塊強奪よりもマカオのボス、ラム・カートンを狙う方を選ぶが・・・撃たれたニックを闇医者のところに運び込むも、そこでタマを撃たれたボスのサイモン・ヤム一味と遭遇。ヤムはタマを医者に縫わせながらも銃撃応戦。何度か展開される集団での室内銃撃戦の後、ふっと緊張感が抜け、4人になった殺し屋たちが悪ガキそのままにはしゃぐ様が何度か出てくる。終盤は「ワイルド・バンチ」まんまだけど、いざ修羅場に乗り込んでも尚、殺し屋たちは証明写真ではしゃいだりしている。そして、大銃撃戦は、空き缶が宙を舞っている間にカタがつく。咥えタバコで余裕で強奪犯を迎え撃っていた警官のリッチー・レン、一人生き残ってしまった故に、潔く?金塊を頂戴する方に転換。殺し屋4人と手を組むが、彼の待つ船に戻るのは男たちではなく、ニックの妻ジョシー・ホーとその子供だけだった。いやー、これはこれでいいけれど、やっぱり、「ザ・ミッション」を久々に観てみたいよな。続いて2本目は「ブレイキング・ニュース」'04。これは先にDVDを買ってあったけど、後に劇場でも観てると思う。とにかく、冒頭でいきなり始まる銃撃戦が圧巻。室内での銃撃戦の撮影が多い印象のトーだけど、この屋外での撮影はクレーンも駆使してのワンカットで7分に及ぶ。そして、ここはのちの展開に連なる重要なイントロでもある(ネタバレあり)。犯人に命乞いした警官の映像が映され、また犯人も逃してしまったために威信を問われる香港警察、そこで警視のケリー・チャンが打ち出したのは、犯人逮捕の瞬間を克明に映し出しショーとして公開すること。捏造寸前の映像だが犯人たちは、その裏をかいて出し抜こうとする。この映画でのケリーは終始ロボットみたいな表情で、ちょっと不気味だ。犯人グループの首領のリッチー・レンが飛び込んだのは子連れのタクシー運転手ラム・シューの部屋。そこには自分がターゲットと勘違いしたヒットマンのヨウ・ヨンたちも。長期化する立て篭もりの中で、またしても人質と犯人が一緒に食卓を囲む場面が。レンとヨンは料理好きで意気投合。彼らだけが生き残って脱出、逃亡。しかし、ここでもニック・チョンが執拗に追ってくる。レンとチョンは「ハード・ナイト」'19でも対決していたっけ。レンが仲間を失ったためか、ヨンと役どころを変え、レンがヨンのターゲットを狙おうというところでケリーと遭遇。しかし、さすがにケリーは殺せなかったか。一方で、ヨンが現金強奪を試みて失敗した様が後に報道される。結局、警察のプロパガンダは“成功”した形で終わるのだけど、ケリーの表情が最後まで能面みたいで、その葛藤の程が伝わってこない。映像的な見どころは多いけれど、現在なら、もっとネットを駆使した凝った内容が展開出来たところだろう。ロシアでリメイクされたらしいけど、これこそハリウッド向けの題材かなと思えた。ちょっと疲れたねー。トーといえば、日本では、こういったクライムサスペンス作が人気だけれど、もう一つの面とも言える、アンディ・ラウ&サミー・チェンのラヴコメ作品もまとめて観てみたいもの、テレビでもいいからね。
2024年05月31日
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“漢の絆セレクション”と題されたジョニー・トー監督の4作品上映、いずれも観ているけれど、これは当然、全作再見だ。桜坂劇場のスケジュールの組み方が無茶で、しかもコロナってる中、少ししんどいけれど、夜の二本立て鑑賞を二日続けて。ビール飲みながら観たいところだけど、さすがにオリオンサイダーで。「エレクション 黒社会」'05、これは香港で最初に観た後、日本公開された2007年にも観ていた。香港のヤクザは、ルーツが少林寺らしい。清朝に対抗して明朝再興を誓い少林寺の生き残りが結成した秘密結社・洪門会に端を発し、その分派にも“和”の文字が入る。和連勝会の跡目争いは、和どころか次第に血で血を洗う壮絶な展開になっていく。会長のシンボルである竜頭棍を巡っての中国大陸にまで及ぶ追跡劇、幹部・重鎮たちの思惑、それに会長就任の伝統儀式等、香港でも謎に包まれている黒社会の実態を描いた傑作だ。本当に曲者揃いの顔ぶれを見ていて嬉しくなるけど、とりわけ、レオン・カーフェイのキレっぷりが抜きん出ている。れんげを食っちまうニック・チョンとか、いつもトホホなラム・シュー、吃音の幹部チョン・シウファイ等、トー作品常連陣も税揃い。特に長老タンのウォン・ティンラムの存在感が圧巻だ。この1作目では今一つポジションが分かりづらかったルイス・クーが次作では主役となる。最初から2部作の構想だったのだろうか?銃撃戦が無い分、専ら刃物や鈍器を使った殺し方がリアルで生々しい。裏切り者を木箱に詰めて崖から何度も落とすというカーフェイのサディスティックさもすごいが、冷静沈着と思われたサイモン・ヤムが、最後の最後に見せる獣性が強烈。この、権力への執着ぶりが2作目へと繋がっていく。羅大佑のギターの音楽も印象的。2作目「エレクション 死の報復」'06は日本で劇場初公開だが、僕は台北で観ている。日本語字幕付で観るのは始めてなわけで、改めて詳細が確認出来た形。この2作目は、とにかく描写が前作以上にエグくて後味がよろしくは無いのだけど、香港ヤクザと中国大陸の公安との結びつきなんかも描かれていて、より黒社会の裏の実態に迫った内容になっているのだ。クーには元々権力欲はなくて商売が順調ならそれでよく、いつかは堅気にという思いがあった。ところが、中国大陸・深圳で、警察や地元の政界も巻き込んで商売を続けていくには、やはり権力が必要と知り、俄然、次期会長職を目指すように。一方で、権力欲に取り憑かれたヤムは慣例を破って二期目の会長を目指そうとして、伝統にこだわるタンを殺したり、なりふり構わぬ権力維持に走り出す。クーも対抗するが、そのキレっぷりが尋常ではなく、ヤムの部下を寝返らせるために手足をぶったぎってミンチにして犬の餌になんて、シウファイならずとも吐いちまいそうだ。クーはこの作品で悪役開眼?以後もこういう鬼畜的役どころを好んで?こなしている印象だ。一方、異常に金に執着する大陸からの用心棒マーク・チェンも怪演。中国の役人(とラム・シュー)を人質にした棺桶の争奪戦でトラックの荷台で血みどろの争いを繰り広げたりする。死ぬ間際のセリフが“追加料金だあ”には泣き笑い。そこで、生き残ったのは、もう一人、会長を目指すラム・カートンだったが。彼も前作のカーフェイのような凶暴キャラだ。頂点に上り詰めたクーだが、実は大陸の公安の手の平で踊らされていたことを知る。ここらが英語字幕では今ひとつ掴めてなかったけど、要は、大陸公安側が御しやすいように、クーが会長職を世襲するように仕向けられた形。子供は医者か弁護士にというクーの希望は・・・いやー、こっちはこっちですごい話だ。原題の副題にある“以和為貴”は大陸の公安が最後に言うセリフだが、まるで、香港のその後の運命を暗示するかのような内容でもある。結局は、大陸の手の平の上で・・・そう考えると悲しくもなる1作だ。さて、明日もトー兄貴の2作品、観ることにしませう、加油、加油。
2024年05月30日
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CSザ・シネマではジョン・カーペンター監督作品を続けて放送。録画の中から未見だった「クリスティーン」'83をチョイス。これは、カーペンターという以上に、如何にもスティーヴン・キングっぽい内容だな。原作はキングらしく長くて、車の持ち主の物語も綴られているそう。しかし、カーペンターによる映画版は、シンプルに呪いの車が周囲を次々不幸に陥れていく様を描く。これはこれでなかなか面白い。車には詳しくないけど、如何にもアメ車っぽいプリマス・フューリーと、それに取り憑かれたオタクっぽい高校生(には見えない、みんな)、カーラジオから流れるロックンロール。キングもカーペンターも好きそうなものを集めている感じで、共鳴し合ったのだろうなと思える。主役であるクリスティーンは、感情を持った車?というだけでなく、どんなにぶち壊されても自分で再生していくという超自然生物のような存在。ロイ・アーボガストが手掛けたのであろう、この車の再生の場面が見事だ。映画の予算的にも最も注がれたのは、この部分らしい。故にキャストは地味だ。でも、「殺しのドレス」にも出ていたキース・ゴードンはオタク男役にハマっている。ハリー・ディーン・スタントンが、日本なら蟹江敬三が演りそうなクセのある刑事役で登場。クリスティーンが目覚める瞬間、流れるのがリトル・リチャードというのはいいね。ヒロインのアレクサンダー・ポールは、“ロックンロールは嫌い”なんて捨てゼリフを吐くのだけど。最初と最後に流れるのはジョージ・サラグッド&デストロイヤーズの“バッド・トゥ・ザ・ボーン”だ。スクラップと化したクリスティーンが、また動き出しそうなのが怖い。原作を読んでいたら印象は違うかも知れないけれど、これはカーペンターならではの渋いホラー作として印象に残った。未見と思いきや、これも、やっぱり以前見たことあったかも(爆)。
2024年05月22日
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CSムービープラスで「カンフースタントマン」’21を録画視聴。香港のカンフー映画には欠かせないスタントマンの存在。しかし、かつての黄金時代を経て、現在の香港のスタントマンは決して恵まれた状況にはないようだ。サモ・ハンを皮切りに、往年の名スタントマンや、スタントマン出身の俳優・監督が続々登場。活況の時代の事情を語る。サモ・ハンは、とりわけ厳しい要求をする人で有名だったそうだ。ブルース・リーが香港のカンフー映画に革命を起こしたものの、彼の死後は一時衰退。そんな香港カンフー映画を復興させたのは、サモ・ハンとラウ・カーリョンの存在だった。元々は京劇で、かつて香港には京劇の学校が四校あって、草創期のスタントマンは、みなそこの出身らしい。しかし、香港では京劇は活況とは言えず、出身者たちは映画に活躍の場を求めた。それが香港カンフー映画の始まりであったと。ショウ・ブラザーズ映画は、いつも皆が北海街19番に集合してバスで撮影所に向かったという。そのショウ・ブラザースも、キングスフォード・テラスという、今は大型マンションが立っている場所にあったゴールデン・ハーヴェストの撮影所も、今はない。スタントマンたちが体を張って築いた市場は縮小し、現在は香港映画そのものの状況も合まって、スタントマンは少なくなっているという。ベテラン勢は大陸に活動の場を求めて、武術指導のみならず監督も手掛けるるように。中国映画では監督でないと作品のコントロールが難しいためらしい。脇役俳優の印象のチン・ガーロウも本来はスタントマンで、今は後進の育成に力を注いでいる。香港がまだ貧しかった70年代に育ち、教育も受けられないまま、体一つで映画界に飛び込んだスタントマンたち。無茶な要求にもノーとは言わず、時には命を懸けて危険な撮影に果敢に挑んできた、その心意気。散々な目に遭いながらも、みな、往時の活気を懐かしみ、満身創痍の体で撮影に挑んできたことを誇りに思っている。エンドクレジットも始まったところで、最後にラム・チェンインが取り上げられる。「霊幻道士」でお馴染みの人も元々はスタントマン。病気で早世してしまった伝説的な存在のようだ。空前絶後のアクションを支えてきた香港のスタントマンたちにエールを。映画を通して、彼らの奮闘をしかと目に焼き付けよう。追記:先日、劇場でジャッキーの新作「ライド・オン」の予告編をやってて、“スタントマンはノーとは言わない!”のセリフがあって嬉しくなった。「ポリス・ストーリー」等の名場面も劇中に登場するみたい。今度は少し期待できるかな?
2024年05月21日
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ボブ・マーリーの伝記映画「ワン・ラヴ」を結構期待して初日鑑賞@新都心シネマQ。しかし、んんん・・・結論から言うと、この映画は、「ボヘミアン・ラプソディ」のようなライヴ場面で見せる映画なのかと思うと期待を外される。あくまでもボブの伝記ドラマという作りなのだ。冒頭にジギー・マーリーの挨拶があったりして、マーリー家が全面的に関わった家族公認の映画なのだ。しかし、家族が公認した映画が必ずしも面白いとは限らない。きれいごとに始終することに陥りがちだからだ。描かれるのは1977年のアルバム「エクソダス」が発表される近辺に絞られている。76年の、ジャマイカでのスマイル・コンサートの開催時、映画では、その前日に銃撃に遭い、妻のリタ・マーリーが重傷、そして、ボブも腕に傷を負う。一旦、山奥に逃れるもののコンサートは決行。実際は90分演奏したのだけど、この映画での描き方は、銃撃のトラウマでボブはすぐにステージを降りてしまったような印象を受ける。ここらの描き方が、どうも首を捻らせる。政争に巻き込まれぬようにとロンドンへ逃れたボブたち。アイランドレコードのクリス・ブラックウェルの庇護下で、ボブたちは新譜の録音を進める。アストン・バレットが何気無くかけていた「栄光への脱出」のサントラレコード。アーネスト・ゴールドによるテーマ曲をバレットは好んでいたようだけど、ボブは、映画の原題「エクソダス」に惹かれる。「ナヴァロンの要塞」のスカ・ヴァージョンもあるし、レゲエ系のミュージシャンが映画音楽をよく聞いていたのは事実のようだ。「エクソダス」は持っていないのだけど、これでもってボブは一皮剥けたというか、世界への本格進出の足がかりとなった1枚になる。そして、ボブはジャマイカへ凱旋、ワン・ラブ・ピース・コンサートへ出演となるわけだけど、そのコンサートの模様は描かれない。家族と再会したボブが、子供たちを前に“リデンプション・ソング”を弾き語るというのが最後の場面となる。あの歌は、ボブの中でも最も好きな曲ではあるのだけど・・・冒頭に書いた通り、ライヴシーンでの高揚を期待すると外される。一方で、ボブの生涯が赤裸々に描かれているというわけではない。まさに、“知ってるつもり?”ではあるけど、ボブがアメリカンの混血であることは知らなかった。思わせぶりに何度か登場する、炎に包まれた実父との場面も、結局、意味は明かされぬまま。よく知られてるエピソードなの?でもって、女癖が悪かったらしいボブの側面は、ほんのちらりと。あくまでも妻リタとの絆の深さを描くあたりは、家族公認ならではだろう。ラスタファライの信仰に忠実であったボブについては、よく描かれてはいると思う。しかし、何より、この映画、盛り上がるところがないのだ。お馴染みの曲は、ほぼバックで流れるだけ。ライヴシーンではなくとも、もう少し音楽映画としての高揚が欲しい。対立政党の党首二人をステージ上で握手させたという政治的な場面がクライマックスになるのかと思いきや、記録画像で伝えるだけ。後は、ボブが如何に偉かったという賛辞の映像と字幕がタラタラと。おいおい、家族賛美の映画ってこと?アメリカで1億ドル超えのヒットになったのは、ボブの知名度だけで?ちょっと解せない作りであった。もっと清濁合せたボブの生涯をキッチリ描けていたら、もう少し面白くなっていたのではないか。ジャマイカのヤバさみたいなのも、一向に伝わって来なかったし。「ハーダー・ゼイ・カム」みたいにジャマイカで作られないと、ボブの真実は描けないのかも知れない。誰かいつか、そういうのを作ってね。
2024年05月17日
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来週末にはボブ・マーリーの伝記映画が公開されるタイミングで、マーリーのライヴ映像も含むドキュメンタリーが公開。「ボブ・マーリー ラスト・ライヴ・イン・ジャマイカ レゲエ・サンスプラッシュ」'80。シネマパレットにて。これってリヴァイヴァル上映なんだよね?1979年のレゲエサンスプラッシュのドキュメンタリーだ。レゲエサンスプラッシュって、かつて日本でも開催されていたけど、これは現地ジャマイカでの2回目のフェスの模様だ。だから、マーリーだけでなく、出演者は他に、サード・ワールド、バーニング・スピアー、それにピーター・トッシュも。クライマックスはボブではあるけれども、ボブだけのライヴってわけじゃあない。撮影スタッフは主にドイツ人らしいけど、インタビュアーはアメリカ人っぽい。彼らが出演ミュージシャンも含め、レゲエとは、ラスタとは何ぞやというインタビューが度々挿入され、レゲエミュージック初級編みたいな作りにもなっている。サード・ワールド、この当時から結構ポップな曲を演っている。てっきりイギリス出身なのではと思っていたけど、生粋のジャマイカのバンドだったんだね。しかし、レゲエはメッセージが重要と言いつつ、この映画では歌詞の字幕は出てこない。予算がなかったのかねえ。バーニング・スピア、結構、大所帯のバンドをバックに歌う。この人、79歳で健在らしいけど、マーリーと同い年ということは、ボブも生きていればってことだね。一つ年上のピーター・トッシュも、ボブ同様に早死にした人、それも殺されちまったということだ。“解禁せよ”と歌っている通り、この当時は、ジャマイカでもマリファナは違法だったんだね。なぜか″組頭”の法被を着てのパフォーマンス。今やジャマイカの代名詞みたいなラスタマンも、当時は決して認められた存在ではなかったということが、色々な人物のインタビューで語られる。あくまでもルードボーイは、世間のはみ出し者。そりゃあ、ジャマイカだって、みながみんなドレッドヘアってわけじゃあないだろうからね。現在のジャマイカは、この辺の信仰はどうなっているのだろう?ともあれ、後半に至って、ようやくボブが登場、こちらもアイ・スリーズを含む大所帯バンドをバックに。さすがにボブの歌声の力強さは出色だが、演奏そのものは結構一本調子な感じなのは、当時のレゲエ故にしかたないところか。“ワン・ラヴ”や、“アイ・ショット・ザ・シェリフ”はなかったけど、“ノー・ウーマン、ノー・クライ”等の代表曲5曲くらい。曲間にも結構インタビュー入る。でも、“エクソダス”のインスト演奏で、徐に終わってしまった。ちょっと当時の、まだ素朴な作りというか、音楽ドキュメンタリーとしても、この前の「モンタレーポップ」だとか「真夏の夜のジャズ」みたいな、構成の妙とかは望めない。結局、題名通り、ジャマイカでは最後のライヴとなったボブのパフォーマンスの記録が貴重という1作になるのだろう。まあ、とりあえず予習が出来たということで、来週の「ワン・ラヴ」を期待しよう。
2024年05月11日
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連休前に見た1作目に続き、ミシェル・ヨー(当時はミシェール・キングだがクレジット上はヨーになってた)共演の「ポリス・ストーリー3」'92をCSムービープラスで録画視聴。なぜか日本語吹替版放送。今回、ジャッキー・チェンは、監督をスタンリー・トンに任せている。香港を出て大陸やマレーシアで撮影して大変だったからかな。ヨーが中国のインターポールの部長の設定。当然、香港警察のジャッキーに対してお堅い雰囲気だ。最初のアクション、ジャッキーは、七小福仲間のユン・ワーと共に宙吊りアクション、多分、本当にやってるんだろうな。ジャッキーが適当に故郷と言った地が、そういう設定になっていて、皆が幼馴染を演じる。ヨーは妹の役だ。そして、ユン・ワーをわざと逃すためにジャッキーもヨーも香港へ。その香港直前でのボートチェイスも迫力、アクションのキレは冴えている。冷酷な大ボスを演じるのは、「男たちの挽歌」のケネス・ツァンだ。麻薬取引場所で、ヨーは防弾チョッキと言われて爆弾を着せられて危機一髪。ここでは戦争映画並の大アクションが展開、戦車まで登場する。ジャッキーもカンフーではなく銃をバンバンだ。見覚えのあるKLの中心街、ジャッキーの恋人になっているマギー・チャンがツアコン?で登場し事態がややこしいことになる。そしてKL市内でのカーチェイス。ここが最大の見どころだ。走る車にぶら下がるヨー、更にヘリにぶら下がるジャッキー。マジで死にかねないアクションを生身で演じているど迫力。シリーズでも屈指だろう。降りた先の列車の貨物がドリアンで尻があいたたた・・・まさに、この痛みの感覚がジャッキー・アクションだ。更にアクションは続く、列車上でのバトルに加え、ヨーはバイクで列車に飛び移るとくる。スケールも大きいし、1作目以上に無駄のない作り。まさに、この2大スター共演ならではの傑作、すごかったわ。ジャッキーは新作も今月公開。声優・石丸博也は引退したらしいので吹替版での上映ではどうなるのだろう。でも、一応つきあっとこうかね。
2024年05月10日
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何かねえ、今更ながら、戦争映画大作を見てみたいと思うのだ。2月の「戦略大作戦」もそうだったけど、その5年前に公開された「バルジ大作戦」'65も、かつてテレビの短縮版は見たけれど、167分の完全版は見てないのではないかと。CSムービープラスで追いかけ録画視聴。この映画で何と言っても記憶に残るのは、“戦車の歌”、“パンツァー・リート”が歌われる場面だ。ロバート・ショウ扮するヘスラー大佐が、戦車隊の兵隊は子供ばかりじゃないかと苦言を程する場面で、その兵隊たちが気概を示そうと歌いだす。日本軍もそうだけど、こういう気合だけで無謀な戦いに流れていってしまうのだね。一方で、米軍の中佐のヘンリー・フォンダはどこまでも冷静だ。生粋の軍人ではなく刑事出身だが、疑う商売を20年続けてきたことが、戦場でも何かと適切な判断につながる。彼の敵の動きを読む判断は、次第に将校たちにも認められていく。戦局的には、もうドイツは後が無く、降伏間近と思われていた。独軍側でも厭戦傾向はあって、戦闘継続には懐疑的な声も公に語られていた。ここらは、米独共に正直だね。米軍側もチャールズ・ブロンソン率いる小隊はたるみ切っているし、戦車隊軍曹のテリー・サヴァラスは物資調達でひと財産残すことを考えている。そのブロンソンは捕虜になるが、独軍の米兵虐殺を非難し、捕虜の権利を主張してショウと対決。一方、サヴァラスは、仏人女性とのちょっとしたロマンスがあったりする、あの顔と頭で(爆)。ショウはイギリス人なのに、「ロシアより愛をこめて」ではロシア人、ここではドイツ軍人と、悪役的キャラ故なのか、他国の人物を演じることが続いていた。とにかく、軍服を着続けることが生き甲斐で、勝敗はどうあれ戦闘が続くことを望む。それを知った世話役が呆れて離れていく。軍人や役人、政治家は、いつの世も一般市民のことなど顧みないのだ。そういう意味では、この映画もそこそこ考えられて作られている1作という印象だ。フォンダの献身が戦いを勝利に導く。市井の人物が、頭の固い軍人たちを凌いで貢献を果たす形。戦闘場面の迫力も勿論だし、ハリウッドの戦争映画の範疇で考えれば、よく出来た1作と言えるのではないか。「史上最大の作戦」の主要部分も手がけたケン・アナキン監督、スカイウォーカーの名前の由来はこの人だったんだね、今更ながら。
2024年05月09日
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桜坂劇場で「無名」'23。オープニングに数社のロゴが出てくる大陸製のスパイサスペンス。だから、トニー・レオンもしっかり普通話セリフを喋る。かつては、余り話せない故に「非情城市」で聾唖者の役だったくらいなのに(以下、ネタバレあり)。日中戦争から第二次大戦終結までの間の、中国共産党、日本軍、そして、傀儡の汪兆銘政権のスパイたちの暗躍を描く。しかし、時系列があちこち飛ぶ作りで、「オッペンハイマー」かいというツッコミを入れたくなる。レオンらは普通話で話し、部下のワン・イーボーは日本語も話す。会合では日本軍のスパイの渡部も、ひたすら日本語で話し、それで会話が成立するというのは、ちょっと香港映画みたいな作りでもある。森博之扮する渡部は準主役的役どころだ。ステロタイプの日本軍人ではなく、東條英機と対立した石原莞爾の派を自称。日本の英米への宣戦布告を無謀なものと見なす賢明さもある。この森という人、面構えはいいけれど、日本語のセリフ回しも決してうまいとは言えず、本来なら普通話を話せる日本人俳優を起用しそうなところだけど、なぜ敢えてこの人を起用したのかは不明だ。日本兵が出てくる場面もあるが、これまでの反日映画等での不自然さに較べれば、演技や描き方にしても、だいぶマシな方かも知れない。でも、そこは大陸資本の映画、結局は、正しきは共産党という流れなのだ。つまるところ、レオンは二重スパイで共産党に内通。特別出演程度なのかと思えたジョウ・シュンは同志であり妻なのであった。だから、その夫を演じていた元共産党員で、汪兆銘政権側に寝返るホアン・レイを殺す。しかし、裏切り者である上司を渡部の指令を受けたレオンの部下ワン・イーボーが襲う。かなりの死闘を繰り広げる二人だが、結末を知ると、あのバトルは何だったのかって話にはなる。そのワン・イーボーは、かつての恋人を同僚で親友のエリック・ワンに殺される。ワン曰く、彼女は共産党員だから殺したということだが、実はイーボーも二重スパイで共産党員で・・・とくると、レオンと戦う必要ないじゃんって話になるでしょ。戦後の刑務所で、解放されたレオンが、戦犯として収監されていく渡部とイーボーに飛びかかろうとするのは演技?渡部を欺くためってことか。刑務所内でイーボーが渡部を殺して任務完了ということか。しかし、最後にイーボーが渡部に言った日本語セリフ、何て言ってたの?あれ、重要でしょうに。戦後は、レオンもジョウ・シュンもイーボーも香港にいる。イーボーは、ワンの両親が営む食堂に顔を出して上海語で礼を言うが、両親たちは息子を殺したのがイーボーであることを知らない・・・という結末。エンディングで流れる甲高い歌声はイーボーのものだそう、どちらかというと歌手みたいだね。雰囲気や撮影、語り口は悪くないし、日本人の描き方にも工夫はあるけれど、何せ、結局は、共産党様!で終わってるので、今日日の大陸の映画以上でも以下でもないよなあってところ。レオンもよく出たなってか、出ざるを得ないのだろうかな。久々に観たジョウ・シュンの存在感が、やや小さめなのも気になってしまった・・・
2024年05月06日
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CSムービープラスで「ポリス・ストーリー/香港国際警察」'85を今更見てみようと思ったのは、副音声解説を聞いてみたいと思ったから。多田遠志、てらさわホーク、高橋ターヤンという、もろ、映画秘宝系の怪しい?3名による“副音声でムービー・トーク!”を。なぜなら、この映画、前にも見ていると思うし、色々裏話を聞いてみたかったから。アクション的には大傑作と言える、この1作、ジャッキー・チェンとしても代表作と言って間違いなく1作ではある。でも、そこは香港映画、結構いらんお遊びもあって、ゆるいところもある。しかし、香港映画のみならず、世界映画史的に見ても、こんな超絶アクションは空前絶後くらいの場面がいくつかある。しかし、その陰では、ジャッキー自身は勿論、スタントマンも数名、重症、ひょっとして死亡?・・・といった犠牲が。「プロジェクトA」でもって、ジャッキーは、バスター・キートン映画への傾倒を露わにした。自身のカンフー・アクションにとどまらず、敢えて危険な場面を自らこなして、観客を本気でハラハラドキドキさせる。勿論、CGなぞまだない時代。解説陣が指摘していたのは、キートンのリアクションに加え、ジャッキーは実際の痛みを表現してみせたと。キートンは平気な顔して立ち上がって動いていたけど、本来は当然、痛いはず。そこをジャッキーは表現して、よりリアルに見せたと。のっけの崖上のスラム、大破壊場面。たまたま壊してもいいということだった家屋を車が下って行ってぶっ壊しまくる。いやあ、これ、運転手死にかねないだろ(爆)。そこから、すぐさま次のアクション、二階建てバスのカーチェイス。傘でバスにぶら下がるジャッキーも実際にやってたわけだ。そして、バスが急停車して、放り出される乗客というか、悪の追手たち。本当はバスがもう少し前で停まって乗ってた連中は車の上に落ちるはずが、停まるのが少し早くて、全員アスファルトに叩きつけられる結果に。そのバスの前で銃を構えるジャッキー、N Gでは、轢かれそうになって逃げていた。いやはや・・・彼女のマギー・チャンに嫉妬されてケーキを顔に食らったり、地方の警察署の留守番で、何本もの電話を一気に取ってわけわからなくなり。挙句、消しゴム付の鉛筆2本でラーメンを食うというしょーもないエピソードを挟みつつも、クライマックスは、あのショッピングセンターでの照明ツリーの滑降場面。本当に100Vの電気が入っていて感電死寸前だったとか。しかも、撮影は一発勝負。ちょっとした奇跡だ。副音声解説は、場面に即してない話も多くて、ちょっと煩わしい感じもあったけど、まあ、上記の通り、色々、エピソードは理解できたので、まあよし。また副音声で見るかどうかはわからないけど。
2024年04月30日
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遅ればせだったとはいえ、つい先日「ゴジラ−1.0」を観たばかりで、またぞろのゴジラ映画、やっぱりというか一応観る、ハリウッド版レジェンダリー・ピクチャーズの「ゴジラxコング 新たなる帝国」、公開初日なので結構混んでいた。「ゴジラ−1.0」も別のスクリーンで続映中だったけど。レジェンダリーの「ゴジラ」1作目は、なかなかシリアスな作りで感心したのだけど、キングコングが登場して以降は色合いが変わってきた。コングの方は、まあエコロジー的な視点もあるとはいえ、コングは勿論、ゴジラも何となく人類の味方に回るようになってきた。東宝の昭和ゴジラシリーズのような子供の味方までにはいかないけれど、昭和ゴジラのような怪獣バトルの様相も呈してきていて、むしろ、東宝の「シン・ゴジラ」や、「ゴジラ−1.0」の方が、よっぽど、“おっかないゴジラ”を描いていて、ちょっと日米のゴジラのタッチが逆転してきている印象だ。映画の前半はコングが主役だ。地下王国の王者とはいえ、何だか、そのポジションに疲れているかのような描き方。天敵に追われて満身創痍だったり、せっかくの獲物をワニみたいなのに奪われちゃったり。おまけに歯痛に悩んで、人間の助けを借りる始末。コングも楽じゃないって感じ。悪いけど、前作の人間たちのキャラのこと、ほとんど覚えてない。今回の主役の女性科学者、前作にも出てたわけだよね。モスラを呼ぶザ・ピーナッツ風の少数民族の生き残りの娘のことも。あの陰謀論者の黒人はうっすらと。獣医のイギリス人男は今回が初登場。出てくる度にアメリカンロックが流れるのは、ちょっとバカっぽい。あ、最後はバッドフィンガーね。核とか戦争の影とかは一切なし、オッペンハイマーも真っ青の無責任、ノーテンキなアメリカンモンスター映画の様相だ。前記の通り、モスラ登場で、多少エコの描写はあるけれど。ミニコングみたいなのも登場して、ちょっと「猿の惑星」リブートの予告編みたいな様相も。やっぱり、コングは生身ではゴジラに太刀打ちできず、何だかロボットアームみたいなので対抗する。これは、ちょっとあんまりじゃん?しかしまあ、ゴジラ映画、どんだけ続くやら。日本側が、そこそこ新基軸で評価に値する新作を放っている一方で、ハリウッドの方は、どんどんお気楽怪獣バトル映画と化していっていて、今作なんかは、「猿の惑星」+「ジュラシック・ワールド」のセンに来ている印象。いっそ、キングシーサーを復活させて沖縄ネタにしてはどうか?それは日本側の製作でもいいけど。なんてことは、前にも書いた事があったかな?
2024年04月26日
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沖縄でようやく公開、桜坂劇場で「シャクラ」を。ドニー・イェンの製作・監督・主演。原作は、あの金庸の「天龍八部」だ。昨日のジミーさんとは打って変わって(失礼)、ドニーの本物の技が堪能出来るかと思いきや・・・ドニー扮する喬峯、のっけからハイパーなアクションを展開。でも、いつものガチなカンフーではなく、CGやワイヤーワークも使いまくり、「マトリックス」みたいにハンドパワー(ではないのだけど)だけで、空間をぶっ飛ばすような必殺技を繰り出す。今年になって、ようやく金庸の「射鵰英雄伝」を読み終えたけど、映像化作品はまだ見た事がない。まあ、映像化すれば、こういう具合なのだろうという感じは掴める。次々と陰謀に巻き込まれ追われる身となる喬峯、ただ一人信じてくれた阿宗と心を通わす。その阿宗は、段正淳の娘で、その段正淳こそが喬峯を陥れた黒幕?この運命がもたらす悲劇、なるほど、これぞ金庸ドラマならぬ小説の世界だな。色々何でこうなるの?という展開はあれど、これはもう小説でそうだからとしか言いようがないのは、「射鵰英雄伝」を読んだ今ならよくわかる。ホント読んでおいてよかったというか、やっぱり、金庸の小説は読んでおかねばならぬものなのだと痛感。そして、金庸の小説世界ならではといえば、漢民族中心主義ではないことだ。主人公・喬峯は契丹人であることで漢人からあらぬ疑いをかけられるのだけど、彼は英雄にふさわしい気概に溢れる。その喬峯のライバルである慕容復は鮮卑だったり、それぞれ複雑な民族由来の主人公たちが対等に活躍する。映画にもそこらはしっかり反映されている。個人的によかったのは、全編、広東語セリフであること。多分、ドニーは普通話は話せないのだろう。必然、周りもみな広東語で話すのだけど、この映画の出演者は大陸系が多いみたいだから吹替されている人もいたかと思う。色々謎を含みながら結末を迎えるのだけど、最後に契丹人である喬峯の実父が登場、更に、慕容復の父も。彼らの時代に遡った映画としての続編があるかのような思わせぶりな終わり方。まあ、ヒットしたのなら、ドニーは更なる「天龍八部」の映像化を目指すのだろうな。これもさんざドラマ化されているようだけど、特定のキャラをフィーチャーしてのスピンオフは、金庸小説はいくらでも可能だろう。やっぱり、「天龍八部」も読まないといかんかなあ・・・
2024年04月25日
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録画ストックの中からCSザ・シネマで放送された「片腕ドラゴン」'72を。続編は見ているけれど、こちらは初見。ジミー・ウォングの片腕ものは1967年の「片腕必殺剣」が最初で、以後、10年近く片腕ネタをやっていたということになる。とりわけ、「片腕カンフー対空とぶギロチン」'75はカルト映画として名高い?が、こちらの1作目もカルト要素満載だ。オープニングテーマ、もろ、「黒いジャガー」じゃないか。「ギロチン」では、クラウトロックを使いまくりだったけど、こっちも無許可使用だったのだろうな。とまれ、見どころは、「ギロチン」にも受け継がれる、アジア各国の格闘技自慢勢揃いだ。つっても、勘違いものの、なんちゃってレベルばかりではあるのだけど。韓国のテコンドー、タイのムエタイはともかく、チベットのラマ僧の気功拳は本当にあるの?インドはヨガの達人、どう格闘技に繋がるのか。で、さすがに一番強い扱いなのは沖縄空手なのだ。てか、一番の悪役が“日本”ってことなのだろう。師範の二谷太郎ってのは牙を生やした怪物のような容貌だ。この二谷がジミーさんの片腕をもぎ取るのだ。あんなスパッと切れるのかいとか突っ込むのは、まあここでは無意味だ。道場の仲間たちを皆殺しにされたジミーさん、残された片腕を最強の拳にするために火の中に腕を突っ込んで、全ての神経を焼き切る。真っ黒になった片腕は、秘薬によって無敵の拳となる。そして、最後の決闘、敵の爆薬攻撃も受けながらも次々と各国の強者を倒し、二谷太郎には片腕切断返しを見舞う。しかし、哀愁のヒーロー、ジミーさんは勝利の喜びも見せず去っていく・・・正直、ジミーさんのカンフーは、後進たちに比すると、全然本格的ではないのだけど、座頭市と同様のハンディ技に長けるという点で、一つの芸になっているのだ。その座頭市ともジミーさんは片腕で対決しているわけだけど、幻になっているというジミーさん勝利の香港版をいつか見てみたいものだなあ。香港の名誉のためにも復刻させてほしいものだ。
2024年04月24日
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朝いち、シネマパレットで「モンタレー・ポップ」。1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルといえば、あのジミ・ヘンドリクスがギター燃やしたやつでしょ?そのフェスを音楽ドキュメンタリーではお馴染みのD・A・ペネベイカーが記録した映画は、日本初公開って、そうだったの?何かで見たことなかったっけな。ジミヘンとオーティス・レディングという不思議な組み合わせの映像ソフトは発売されていて、昔見た記憶がある。で、ザ・フーも相当に派手に楽器をぶっ壊したけれど、その後でジミヘンが例のパフォーマンスで、ザ・フーが霞んでしまったとか、そんな話を聞いたような映像で見たような、でも、映画版は初公開ってことなんだね。ステージのセッティングの様子で、バックにスコット・マッケンジーの“花のサンフランシスコ”が延々流れる。それもそのはず、この曲はこのフェスのために書かれた曲だったのだそうな。ようやく始まるステージの模様、まずはママス&パパスなのだけど、これもそのはず、ジョン・フィリップスがフェスの主催者なのだった。ヒッピー、フラワー・ムーブメント華やかなりし頃のフェス。考えてみればウッドストックに先駆けること2年前だったんだね。日にちや登場順はランダムのよう。この手の映像では珍しい印象のサイモン&ガーファンクルは、“57番街橋の歌”を穏やかに演奏。この頃のアメリカの観客は、結構大人しく聞いてるじゃないか。ヒュー・マセケラの尖ったパフォーマンスも聞かれ、オーティスも含め、意欲的なラインナップが組まれている印象。グレース・スリックをフィーチャーしたジェファソン・エアプレーン、そして、ジャニス・ジョプリンをフィーチャーしたビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーは、まさに、この時代を代表するもの。正直、ジャニスの歌唱法そのものは、あまり評価しないのだけど、この絶叫は尋常じゃないテンションだった。でもってザ・フー。盛大に暴れまくったわけだけど・・・出演日は、彼らの後、ジミヘンの前にグレイトフル・デッドも出たよう、映像は登場しないけど。オーティス、しっかり、バックをブッカー・T&MGズが固めてる。今更だけど、キヨシローの”愛しあってるかい?”はオーティスを引き継いだものだったんだね。ロックな観客の間でもオーティスの熱唱は大ウケ。案外、懐の広さを感じさせる時代だったのだ。ジミヘンは、単にギターの可能性を追求したというのにとどまらず、改めてパフォーマーとしての革新性も印象付けられた。やっぱり、プリンスのステージングなんか相当影響受けてるよね。ライターのオイルで火を放つ場面、一体何が起こっているんだという観客の驚愕の表情も記録されている。この時代、何気にミュージシャンたちが、観客の混じってフェスの色々なところにいるのもいい。ブライアン・ジョーンズらしき顔も見えたし、客席でステージのパフォーマンスを堪能している様子も多々。とりわけ、最後に延々映されるラヴィ・シャンカールの圧巻のパフォーマンスを、ミュージシャンたちも観客と共に体験し拍手歓声を送っていた様子が印象に残った。観客たちの顔、顔、顔。そして、ヒッピーの時代ならではののびやかさ。セックス&ドラッグ的な要素は意図的に排されていたにかも知れないけれど、後のウッドストック等に比べれば、まだのんびりした感じのフェスの風景は、革命前夜の穏やかさだったであろうか。確か3枚組のDVDを持ってたはずなので、家に帰った時にチェック、見てみるとしよう。
2024年04月20日
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さて、ぼちぼちまたHDに溜まった録画ストックを見ないことには。ということで、今月1日に命日から21年目を迎えたレスリー・チャン、ラジオ番組の特集もあったけれど、CSザ・シネマでは、「覇王別姫」に次いで、チェン・カイコー監督と組んだ「花の影」'96の放送が。多分、未見だよねということで録画視聴。コン・リーとの再共演で、今回は恋愛関係の役どころだ。前半はヤケに細かく年代が飛び、もどかしさがある。クリストファー・ドイルのキャメラ、流麗ながら、レストアはされてない版のようで、「覇王別姫」のような美しさではない。それとストーリーの肝心の部分が少しわかりにくいのも難点だ。幼馴染であるレスリーとの再会に、箱入娘状態のコン・リーが次第に惹かれていく。娘ではなく“女”でないと魅力がないということで、弟筋にあたるダンウー(リン・チェンホワ)を練習台にして女を磨こうとする辺りはすごい。とことん純で忠実に見えた、このダンウーが実は最も強かで・・・という展開なのだが。レスリー、本来の目的は、後継がアヘン中毒のパン家の財産を乗っ取ることだった。姉が嫁ぎ、幼馴染であるコン・リーが家長となった家で、レスリーは下男のような存在だった。姉による近親相○?が彼の人生を狂わせたってことなのか。そして、そもそも後継だったコン・リーの兄に毒を持ったのがダンウーだったってことか。そして、ついにはコン・リーにまで・・・レスリーは天香里の人妻を本気で愛していたようだ。その裏切りの様子を、組織がコン・リーに見せつけるという描写は、ちょっと不自然な印象。この、魔都・上海での光景がダンウーを覚醒させたが如し、曰く、“ここでは男と女が戦っている”と。恋愛で傷つくものは敗者、そして、自らの感情はかなぐり捨てて野心に目覚めるということか。役者陣の演技や、撮影、造形等は一級品なのだけど、お話のわかりづらさやカタルシスの無さ故に、「覇王別姫」ほどの評価を得られなかったと思しい。原題は“風月”なのだけど、そのタイトルは裏腹の、心地良さは、あまり感じられない1作なのだった。
2024年04月18日
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BSテレ東の松竹映画看板シリーズの無限ループ放送、「男はつらいよ」が終わって、何度かの「釣りバカ日誌」放送がまたまたスタート。前々回の放送の際に一通り見たのだけど、実はシリーズ1作目だけ見逃していたのだ。ということで、「釣りバカ日誌」'88を楽しみにリアルタイム視聴。見てはいるのだ、かなり昔に。実は以前は、シリーズで見ていたのは、この1作目だけだった。その後ようやくシリーズをコンプリートしたのだけど、その際に見逃したので、改めて見たかったのだ。このシリーズ、質的には、後の本木克英や朝原雄三監督担当の方が上という印象ではあるけれど、この栗山富夫監督による1作目も案外面白かった。まあ、ハマちゃんの西田敏行が、まま若く、かつ、みちこさんの石田えりがハツラツとしている。だから二人のイチャイチャも嫌味なく見ていられる。一方、この時点ではキャラがまだ確立されてない印象のスーさん、三國連太郎、初の海釣りにニッカボッカー姿で現れる。あのコーディネートは三國自身のチョイスだったのでは?しかし、時代とはいえ、みな、よくタバコ吸ってるよね。三國は実際喫煙者で、火を求められたことがある(汗)のだけど、鈴木建設の社員たちも職場でスパスパ、戸川純は課長の谷啓に喫煙を咎められたりする。その谷啓は、山瀬まみに“こんな鶏ガラ女”のセクハラ発言、南城市の市長を思い起こさせたなあ。品川の釣船屋は、中本賢(この時はアパッチけん)の親父役の三代目江戸家猫八がまだ健在だった。その釣船屋の事務担当に、みちこさんがスーさんを推薦というのは笑えた。スーさんが実は社長であることを最初に知るのもみちこさん。傍から見たら社長の愛人に見えそうなみちこさん、実はスーさんにも、少しその気がという感じもあって、これが監督が「スペシャル」を手がけた森崎東だったら、もっと突っ込んで描いていたかも。とまれ、この1作目では、まだハマちゃんの裸踊りはなかったんだね。“合体”は3回ほどあったけど、パターンが確立されるのは、もう少し後だったかな。何せ、最後は、ハマちゃんは再び四国支社に転勤になる。2作目はどうだったかね?と、もう忘れていて、こうなると、こっちもループ放送にまたつきあうか?いや〜・・・
2024年04月13日
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「オッペンハイマー」は、ナイチ帰宅中の埼玉の方で観ることにした。電車で数駅のユナイテッドシネマにて、隣接するフードコートで腹ごしらえの後、夜の回を鑑賞、ちょっと小さめのスクリーンだな、浦添ならアイマックス上映もあったけど。しかも会員割引の日でも1,300円かい。ともあれ、クリストファー・ノーラン監督作品はちょっと苦手で、これまで少し避けてきた感じだ。でも、さすがにこれは観ないとなあと思って。映画の作りは、やはり苦手なノーラン調だ。オッペンハイマーの心情を表すような不安な画調、ややサイケな映像。そして、音楽が常に鳴り響く。不安を掻き立てるような重低音や弦楽器の響き。映画は始終、緊張感が漂う。オッペンハイマーを演じるキリアン・マーフィの表情は、ピュアな子供のようでもあり、神経症の大人のようでもある。周囲の人物がやたら多く、かつ、誰がどんな役割の人なのか分かりにくいけれど、特に目立つのは、まずやはり、ロバート・ダウニー.Jr演じるルイス・ストローズだ。靴屋から成り上がった政治家?日本版ウィキ等でもないけれど、とにかく野心満々の人物だったようだ。元々、演技派だったダウニーの、オスカー受賞は頷けるけど、授賞式での、あの態度はいただけなかった。そのダウニーといい、軍の将校を演じるマット・デイモンといい、敢えて老け役を演じているようだ。デイモンは役作りのために太ったのだろうか。ケネス・ブラナーは、オッペンハイマーの心の師的な役どころのようだ。そして、出番は少ないながらも印象に残るのは、あの“ミスター・ローレンス”トム・コンティ演じるアルバート・アインシュタインだ。尤も、彼は既に過去の人と化しているような描かれ方だったけど。そして、現在の人がオッペンハイマーその人だ。当初は、ナチスを止めるためという大義名分があった。しかし、ナチスが降伏した後も原爆の開発は続行、ロスアラモスで実験が行われる。そこが一つのクライマックスだ。成功を喜ぶ開発者、関係者たちの様子に背筋が寒くなる。賞賛を浴びるオッペンハイマーの不安感以上に、日本人なら戸惑いと違和感を覚えざるを得ないだろう。開発の過程と、戦後のオッペンハイマーのスパイ疑惑の模様が並行して描かれるので、時系列ではないので分かりにくい。これがノーラン調なんだよね。英雄から一転、糾弾される立場になるオッピーだが、罪の意識故か、抵抗を示さない。これもストローズの嫉妬、怨恨によるものらしいけれど、そんな夫の優柔不断さに、妻のエミリー・ブラントは始終、苛立ちを隠さない。夫婦関係は続いたようだけど、オッピーは不倫もしていて、愛人フローレンス・ピューの裸は、やたら登場する。どういう意味があったのかな。広島の被曝の惨状の映像をオッピーが見るという場面があるけれど、直接的には描かれない。それでも、開発者としての苦悩を抱えたことは理解できる。原爆を落とした張本人で、恨まれるのは自分だと宣うトルーマン大統領は、ゲイリー・オールドマンが演じていたそうだけど、わからなかった。心の師のニールス・ボーア教授や、アインシュタインは、研究の成果が及ぼす結果を把握していたようで、オッピーが直面する葛藤を予感もしていたかのようだ。脇で登場するラミ・マレクが終盤で、実は重要な役どころとなる。オッピーが水爆の開発には反対したというのは、原爆の父である自らの存在が薄れてしまうためだったのか。その、水爆の父のエドワード・テラーは、オッピーに不利な証言をして窮地に陥れる。テラーは水爆開発に関して何の後悔も抱いてなかったそうで、コイツこそゴジラにふんずぶされて然るべき人物だったろうか。勿論、単純な悪役としては描かれていなかったけれど。こんな具合に、やっぱり、ノーラン調、一筋縄では行かない映画だ。でも、それ故にオスカーには、むしろ、ふさわしい気がした。分かりやすい感動作ではない故に。この世は白や黒、単純な善悪では割り切れないのだ。原爆が戦争を終わらせるために必要だったのだという、アメリカ人の見方には、勿論、共感はしかねる。一方で、原爆でもぶち込まない限り、日本が降伏しなかった可能性はあったかも知れないと、近年の日本のバカさ加減に直面すると、思えなくはない。こんな兵器を開発した側も、その要因を作った側も共に愚かだ。日本の惨状が描かれなかったからと、この映画の価値を疎んじるのは適切ではないと思う。歴史を振り返って、未来を慮っていく。そう、信じていかないと、愚か者の歴史が続いていくのだ。
2024年04月05日
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桜坂劇場で「リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング」。リトル・リチャードがロックンロールのオリジネイターなのは言うまでもないけれど、今日日は、LGBTQ、クイアの先駆け的人物としても再注目、評価されているという視点からも描かれる。リチャードのイメージとして、自らも“彗星”を掲げているためか、映画全編、星が煌めくような効果があちこちで施されている。この手のドキュメンタリー、ミュージシャンらのインタビューで主役を称えるのは定番だけど、リチャードといえばポール・マッカートニー、かと思いきや、まず登場するのはミック・ジャガーだ。考えてみればジャガーの、あのアクションもリチャードの影響はなのかも知れないな。ポールはアーカイヴ映像のみで登場。リチャードが、そのスタイルに影響を受けた人物たちが興味深い。特にギターをかき鳴らすシスター・ロゼッタ・サープ、やっぱり、かっこいいね(ピーター・バラカンが字幕監修なので“ロゼータ”の表記)。ジョージア州出身で、黒人でゲイとなれば、どれだけの苦悩と苦労があったかと思うが、それを表面には出さずに爆発的なエネルギーでパフォーマンスを展開する。それにしても、“トゥッティ・フルッティ”のオリジナルの歌詞はひどいもんだね(苦笑)。何とも振り幅の激しい人物で旅客機での体験や天文現象に影響を受けて信仰に目覚めてしまう。ゴスペルを歌うリチャードも悪くないが、特に、2度目の出家?時に披露していたロック調のゴスペルは、なかなかいい。リチャードというと初期のものばかりが残ってる感じだけど、後期のものも発見がありそうだし、パフォーマンスに遜色はない。自信に溢れ、自らをオリジネーター、イノベイターと称するけれども、決して傲慢ではなく、実は繊細な人物らしいことは見てとれる。そんな人だから、最後にAMAの功労賞を受賞して涙するあたりはグッとくる。しかし、グラミー賞を獲れてなくて、せいぜいAMAというところに、彼のあまりの過小評価ぶりが表れている。そして、この人もまた印税の不払いに悩まされていて訴訟沙汰になっていたそうだけど、結局、勝利できたのだろうか?彼は色々な人に影響を与えて精神を解放したけれど、皮肉にも自身の精神はなかなか解放されず、順風満帆とはいえぬ生涯だった。インタビューで登場のジョン・ウォータース、あの髭はリチャードへのトリビュートなのだそうだ。波瀾万丈の生涯、亡くなる数年前の教会での姿は、さすがに別人の如く衰えていた。享年87歳だったか、改めてRIP
2024年03月30日
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桜坂劇場で「キャロル・キング ホーム・アゲイン」、ナイチでは結構前に上映されていたと思うライヴ映画。キャロルが、故郷ニューヨークのセントラルパークに凱旋しての無料コンサートの模様だ。「つづれおり」直後くらいかなと思いきや、もう少し後、1973年5月26日の公演の模様だ。この後、再結成サイモン&ガーファンクル等色々なコンサートが公園で催されるけれども、これが、その元祖らしい。キャロルは、「つづれおり」大ヒットの後もライヴツアーを行なっておらず、このコンサートを皮切りに、ようやくツアーを行なったそうなのだ。その意味では貴重なライヴ映像だ。観客は10万人に及んだとな!このコンサートの開催過程がルー・アドラーの語りで綴られるが、早くコンサートが見たいところ。リハーサル時点でも既に観客がいて、キャロル自身も登場。「つづれおり」の後、「ミュージック」と「喜びは悲しみの後に」の2枚のアルバムを発表していて、このコンサートの直後に「ファンタージー」が発売というタイミング。そのアルバムの録音メンバーを従えての公演、かなりの豪華メンバーだ。ようやく始まるライヴ、オープニングはピアノ弾き語りで、“ビューティフル”。2部構成ということで、前半は、やはり「つづれおり」からの曲中心で、7曲をソロで演奏。元気いっぱい、声も溌剌の演奏だけど、改めて聴くと、キャロルの曲はすごくソウルフル。黒人シンガーが歌えば、まんまソウルだったろうというナンバーだ。前半最後を飾る“イッツ・トゥー・レイト”で、もうウルウル来るなあ。観客も結構大人しく聴いている。バンドが登場しての2部は、アルバム「ファンタジー」をほぼまるまる。その演奏形態もだけど、曲そのものも、ジャジーで意欲的な内容だ。スペイン語で歌われる“コラソン”とか、メッセージを込めた“ビリーヴ・イン・ヒューマニティ”等々。キャロルのアルバムというと、どうしても「つづれおり」前後の数枚ばかりを聴いてしまうけれども、こう聴くと、「ファンタジー」も、かなりいい内容だ。改めて聴いてみないとな。最後はジェームズ・テイラーに捧げての“君の友だち”、いや、これは泣くでしょ、もう。その盟友JTは来週末に来日公演を行う。やっぱり、行きたかったなあ。それがアンコールで、終わったらキャロルは、すぐに車に乗り込んで公園を後にする。まあ、混乱を避けたのかな。尺的には90分弱で、概ねライヴ映像でありました。
2024年03月29日
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セントパトリック・デーということもあって、グリーンのTシャツ着て、シネマパレットにアイルランド映画「コット、はじまりの夏」を観に。英語題は“クワイエット・ガール”で、アカデミー賞外国語映画賞にもノミニーされたそうだ。何せ、ほぼ全編ゲール語セリフなのだ。コットはcaitと綴る。お化粧しているみたいにきれいな女の子だが、末っ子のせいかどうか、家族の中で何となく疎まれている。そんなコンプレックスのためか、おねしょ癖もあったりする。娘ばかり4人いるみたいだけど、母は更に妊娠中。持て余されたコットは、母の姉夫婦に預けられることになる。父はご馳走になった料理の皿にタバコの吸い殻を押し付けるような粗野な男。賭けで牛を失うような典型的ダメアイリッシュのようだ。預け先の叔母アイリンはコットを温かく迎えてくれる。夫のショーンは口下手だが、根は優しい男のようだ。コットもあまり多くを語らないが、全く喋らないわけでもない。叔母夫婦の家で家事や牧畜を手伝ううちに、少しずつ自分の居場所を見出していく。ある時、近所で不幸があり、叔母夫婦がその手伝いの間に近所に預けられる。そこのおばちゃんに根掘り葉掘り聞かれるコット、叔母夫婦が息子を失くしていた事実を知る。田舎特有の濃密だけど、些か煩わしい人間関係。ポーグスのシェインも子供の頃にアイルランドの親戚に預けられたことが自らのアイリッシュ・ルーツを意識させることになったそうだけど、シェインの家のような賑やかさはここにはない。口下手なショーンがコットの理解者となる。“沈黙は悪いことではない”とコットの個性を尊重する。いつしか、ショーンは実の父親以上の存在となる。そして来る別れの日、最後にコットは秘めた感情を爆発させる。しみじみと沁みるエンディングだ。80年代の設定とのこと。中国も何だが、アイルランドも田舎は貧しく、子供の躾や教育もままならぬくらい余裕が無さそうな様子。家族がいたって幸福とは限らない。逆「東京物語」のような設定の映画にも思えた。
2024年03月17日
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アメリカのアカデミー賞に先立って8日に発表された第47回日本アカデミー賞、その授賞式完全版をCS日テレで視聴。例によって3時間半超の長丁場だが。司会は、いつもの日テレアナウンサー、羽鳥慎一に、昨年「ケイコ目を澄ませて」で主演女優賞(厳密には最優秀)を受賞した岸井ゆきのだ。岸井、高下駄みたいなヒールを履いて登場するが、それでも小さい。今回の授賞式は、この岸井の存在が色々と興味深かった。まずはレッドカーペットってことで技術部門の人たちが一通り舞台に登壇し、次にプレゼンターたち。更に、俳優部門の候補者(厳密には優秀賞受賞者)が登壇、そのプレゼンターという順。技術部門は、映像も映されることなく淡々と進むので、そう退屈はしないのだけど、まあ味気ないといえば味気ない。プレゼンターは昨年の受賞者で、みな一様に“優秀賞受賞おめでとうございます。では、最優秀賞を発表します”のパターンだ。あまり、自己主張する人はおらず、さっさと終わらせるように釘を刺されている感じ。技術部門、ほぼ、昨日観た「ゴジラ-1.0」だ。脚本賞を受賞した監督の山崎貴、ここでもオスカー同様にゴジラのフィギュアを抱えて登場する。音楽賞は「ブルー・ジャイアント」で上原ひろみが受賞した。ジャズ漫画のアニメ化らしいけど、ちょっと面白そう。新人俳優賞で、「怪物」に出ていた10代の二人が実に堂々たるスピーチで驚かされた。この新人俳優賞の時のみ、昨年の西島秀同様に、プレゼンターの妻夫木聡が気合の入ったスピーチをする。役者部門は、例によって優秀賞受賞者が一人一人コメントを求められる。その前に特別賞関係、東京現像所、解散したと聞いたが、まさに。しかし、功績を称えてということで受賞。ここらはちゃんとしてるね。会長功労賞には小林旭も。物故者を見ていて、ちょっと驚いたけど、プロデューサーの榎望が昨年亡くなっていた。既知の人ながら仲がいいわけではなかったけれど、まだ60代になったばかりだったのだな。で、役者部門なんだけど、最初は緊張していた感じの岸井ゆきの、次第に映画の場面の撮影の様子を具体的にツッコむ感じで、そこらは現場の人ならではで、この人は役者以上に、いつか監督なりスタッフ側で活躍することになる予兆が。主演男優賞は役所広司、監督賞はヴィム・ヴェンダースが獲り“ゴジラの牙を一本抜き”、安藤サクラがあの程度の役柄で、「ゴジラ-1.0」で助演女優賞受賞(他にいなかったのだろう)、更に主演女優賞も受賞して、また一本自らゴジラの牙を抜いたものの、作品賞は、やっぱり、「ゴジラ」。以前、「シン・ゴジラ」もかなり獲っていたよね。プロデューサーは東宝OBに賞を捧げていたけど、宜なるかな。吉永小百合様も出席していたのだけどねえ。後、「ゴジラ」の浜辺美波は、ちょっとステファニー・スンに似てる感じがした。まあ、この数年、この授賞式を見てきたけど、今年に関していうと、これはこれでまあいいのかなと思えてきた。どうせなら、何か歌踊りのパフォーマンスが欲しいけど、それがやれないのも日本らしいっちゃらしいのかな。何より、"本場”アカデミー賞の授賞式の様子(一部だけど)が、かなりゲンナリ来るものだったからね。今回も粛々と終わった印象だが。
2024年03月16日
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ハリウッド版「ゴジラ」は、ギャレス・エドワーズ監督の1作目が良かったので見続けているけどれ、東宝の平成ゴジラシリーズというのは一本も観ていない。いや、唯一が「シン・ゴジラ」、あれはまあまあで、世間的にはかなり評価が高かった。で、「ゴジラ-1.0」だけど、山崎貴という監督、「オールウェイズ」シリーズは悪くなかったけど、あの百田とかの原作を何作か映画化しているので、そういう人物なのだろうと思って、今回も敬遠していた。でも、「-1.0」が日本のみならずアメリカのアカデミー賞の特殊効果賞も受賞したということもあって、ちょっと観たくなった。吉岡秀隆も出ているしね。公開は昨年で、受賞記念の凱旋上映ってことらしいが新都心シネマQで上映されていたので遅ればせで観に行った。結構、客も入っていたな。「-1.0」は、戦後で破壊された日本、東京が、更にゴジラによって破壊されてマイナスになるというニュアンスだそう。瓦礫になった東京のセットに、能登地震の被害がダブる。さすがに今は、こういったセットがリアリティ持って作られている。ゴジラは説明なく、突如、大戸島に現れて、容赦無く日本の兵隊を蹴散らす。感情移入は出来ない怪物ゴジラとしての描き方だ。もう、かつての昭和ゴジラのような描き方には戻れないのだろう。特攻で生き残り、更に、大戸島で仲間を見殺しにした負い目を背負う神木隆之介。実は軍部の重要人物である吉岡共々、弱そうな主人公が主役なところはいい。浮浪児みたいに登場する浜辺美波は、朝ドラで神木と夫婦役、でも、撮影はこちらの方が先だったそうだ。もう一人の元朝ドラヒロイン、安藤サクラが近所のおばちゃんなのは、ある種ぴったりな感じ。ゴジラが突如東京に上陸して、逃げ惑う人々の描写はこれまでもさんざあったけど、今回は踏んずぶし容赦無く破壊する。その中にカメオ?橋爪功がいたと思う。今回のゴジラ、なぜか傷を負ってもすぐに再生する。そして、必殺技が背鰭が突出していって波動砲のように繰り出される放射能火炎。まるで原爆のような破壊力で、なかなかメリハリのある怪物描写が見られる。オスカー受賞はここら故かな。そのゴジラも、吉岡ら立案の作戦、そして、神木の特攻で倒される。その瞬間、何で一向は敬礼するのかな?結局、日本政府も米軍も頼りにならず、民間が結束してゴジラを倒すと。ここら、百田を映画化した人とは思えぬ設定だな。特攻の生き残りの神木も生還、生にこだわるという姿勢を描いているのは悪くない。大傑作かどうかはともかく、ハリウッド版を経て以降の新時代のゴジラ描写として印象には残った。この調子ではこれからもゴジラ続くのかなって、もうゴジラコングの新作が公開されるそうな。昭和の怪獣プロレスの伝統はハリウッド、レジャンダリーに受け継がれていく?
2024年03月15日
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CSザ・シネマで放送の「ウィッカーマン」'73を録画視聴。今や伝説のカルトムーヴィーで、クリストファー・リーが自身の最高傑作と語る1作。最近劇場公開もされたけど見逃していた。これは面白かったね、救いのない話ではあるけど(以下、ネタバレあり)。西スコットランドの離島での少女失踪事件。村人たちは、なぜか少女の存在を認めない。敬虔なクリスチャンの警官エドワード・ウッドワードは、それでも頑なに捜査を続けるが、島で見かける奇妙な光景の数々に戸惑う。トラッド的な唄と踊りに満ちた島だが、どこか不気味。原始宗教を信仰しペニス信仰を学校で教える。夜はアオカン当たり前、クリスチャンからしたら野蛮で許し難い行為、習慣の数々。でも、それはあくまでクリスチャンからの視点、原始宗教はそれはそれなりに信仰の対象ではある。ただ、島を牛耳るリーの祖先が民衆を操るためだったという意味合いもある。村の五月祭の開催で、いよいよ真相が判明する。予測は出来たけど、全ては生贄を呼び寄せるための仕掛け、その生贄とはウッドワード、その人。最後は、巨大な木製の像ウィッカーマンと共に焼かれる。神への祈りなど何の役にも立たない。壮絶なラスト。全編、トラッドミュージカルといった調子で、恐ろしくも楽しい。村人たちの五月祭の扮装はランボーかフェリーニかといった異形の世界。リーも楽しげに飛び跳ねる。リーとしては自らの出自とも言えるホラー映画の新境地であったろうか。中世にはこんな世界が現実にあったのかもと思わせる光景が展開される。放送されたのは89分の尺だったけど、劇場公開版はディレクターズカットの99分版だったのかな。いずれにせよ、これはまた劇場でも観てみたい1作だ。サントラ盤のレコードもあるらしいけど、そそられるなあ。
2024年03月14日
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CSムービープラスで放送された中国映画「こんにちは、私のお母さん」を録画視聴。2021年の春節に公開された大ヒット作。山田洋次監督の近作と似たタイトルだけど、公開はこちらの方が先(日本でも)だったわけだ。原題は、“你好,李焕英”と、監督・脚本・主演のジア・リンが、ずばり、自分の母親の名前を冠した自伝的映画だ。このジア・リンという人、春節特番「春節聯歓晩会」の常連で、僕がその名を知ったのも、数年前の番組でだった(今年は出てなかったと思う、以下、ネタバレあり)。SFなんである。事故で入院中(同じ事故に遭っても娘はなぜか無傷?)の母に付き添う娘ジア・リンが、テレビの回顧番組を見るうちに、その世界にタイムスリップ。よりによって若き日の母親の上に落下する。勝利化学工場なる工場で働く母の他、叔父や叔母の若き日の姿も。これ、すっごく前の話のように思えて1980年代なのだ。過去にタイムスリップした後、モノクロの世界がカラーになっていく。中国は1980年代にテレビが珍しかったようで、街頭テレビの空手チョップ状態。ここいら、日本から20年遅れという感じなのは、やっぱり、文革の影響なのかどうか。まだまだ同志がどうこう、明るく労働に励もうって世界である。話の主題としては、現世で母親を喜ばせることが出来なかった主人公が、過去の世界で母の笑顔を見ようと・・・というよりは、運命を変えさせようとドタバタする。ここでは、主人公の父親が一向に描かれないけれど、若き日の父だけは登場。ただ、娘は、その父と母との結婚に反対、暗に父のダメさ加減を描いていたのか。ルックス上は、娘は父親似だったよう。しかし、その父と母を結婚させないとなると、自身が消えてしまうということになるわけで、正直、パラレルワールド上は、かなり無茶な話である。母をバレーボールに参加させることで運命を変えさせようとするのだけど、結局、勝利は出来ず、現世で歪み合う親戚のチームの勝利。しかし、母の奮闘は工場長の目に止まり、その息子との縁談話が浮上。しかし、ムロツヨシ似の工場長の息子は一向に冴えず、結果的にはフラれることになる。何だか結局、何もうまくいってない感じだけど、最後にちょっと“転”なのは、病室の母もテレビ番組から過去にタイムスリップ?娘よりも前に過去の世界に飛んでいて、実は、従姉妹と称したジア・リンが娘であることを知りながら付き合っていた?というオチか。でも、母はやっぱり死んでしまうみたいで、実際、ジア・リンの母は48歳で事故死したのだそうな。ジア・リンが母に思いを捧げる個人的な意味合いで作り上げた映画という印象だけど、それが全中華圏的に共感を得たというところかな。結局のところは競争社会で、親の顔を立てないとという現代中国の事情が透けて見えるし、ジア・リンも、成功した自身の姿を親に見せたかったということだろう。心温まる話という以上に、やっぱり、中国で生きていくのは大変そうって思えちゃったんだよねえ・・・
2024年03月05日
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CS日本映画専門チャンネルで「プラン75」'22を見る。ちょっと気になっていたのでね。政府主導で、75歳以上の老人は死を選択できると。一種のSFだけれども、これは近未来にありそうな話だ。あの、おでんメガネ野郎とかが推進しそうだな。政府主導だからプロモーションも盛ん、フォローは至れり尽くせり。申し込んだ独身老女は制度を利用する前に孤独死。それを目の当たりにした元同僚・倍賞千恵子も、制度を申し込む。コールセンターで、15分以内のリミットはあるが、色々な話を聞いてくれる。年寄りは話を聞いてもらえるのが嬉しいからね。ホテルの清掃業務をクビになった倍賞は、夜の交通誘導員の仕事をこなす。彼女のバックグラウンドは詳しくは語られないけれど、年金だけでは食っていけない、暮らしてさえいけないという現実がある。並行して、プラン75の相談員の若手・磯村勇斗と、子供の治療費のために働くステファニー・アリアン(フィリピーナ?)のエピソードが語られる。磯村は叔父を勧誘するも、合同葬儀ではなく単独の葬儀を行わせようと、施設から遺体を運び出す。その死の瞬間を目の当たりにした倍賞の方は・・・正直、説明されないとシチュエーションがわかりづらい。倍賞は最後に施設を抜け出すわけだが、それも単なる外出かなと思えた。磯村の叔父の死の瞬間を目撃するところも、交通誘導員の件も、監督はカットしようとしたらしいが、倍賞が残すべきと言って残ったそうだ。しかし、それらは映画として非常に重要な場面と思われ、それをカットしようとする監督の判断はいかがなものか。倍賞の主張が無ければ、この映画は別物と化していたかも知れない。その意味で、これは、まさに倍賞の映画と言える。最後に夕日を眺めながら倍賞が歌を歌う。テレビでは音量の問題で何を歌っていたかわからなかったけれど、これも倍賞の案らしい。いやいや、もう監督以上に倍賞だね。そういう意味では疑問はあるけれど、取り上げられたトピックそのものは切実さを感じさせるものだった。まあ、こちとらは死ぬまで生きてやろうと思うけどね。
2024年02月29日
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CSムービープラスで「ディンゴ」'91なる映画を。オーストラリアとフランスの合作映画で、舞台は、豪の砂漠のようなど田舎とパリだ(パースもちょっと)。何でこれ見たかというと、マイルス・デイヴィスが出ているのだ。あの人が演技したのは初めてらしい。しかし、1991年って死んだ年じゃないか!結構トンデモ映画だ。プーナ・フラットなるど田舎に、突如、旅客機が降り立ち、そこからいきなりバンドが出てきて、ビリー・クロスと名乗るマイルスが演奏を始める。それを聞いた少年、マイルスに、いつかパリに来いとか言われたのを間に受けてトランペットを始める。そして、幾星霜・・・野犬狩を商売にした主人公コリン・フリールズは、幼馴染の妻との間に二人の娘もいて、それなりに幸せな生活を送っていた。地元のバンドでトランペットを吹いているが、本当は本格的なジャズを演りたいようで、キャンピングカーの中で音楽に浸る。バンド仲間にからかわれて、パリからの電報などを真に受けて、見てて痛いくらいはしゃぐ。金持ちになった友人にカミさんも狙われていて、野犬というか完全に負け犬の体だ。後半は、ある種のサクセスストーリーになるのだけど、本当にマイルス=ビリーからの誘いが来てパリに赴いたフリールズは、クラブのステージの飛び込み演奏で好評を博す。演奏を気に入ったマイルスは、数年来引退状態だったのが、彼もステージで飛び入り演奏を始めると。この映画でのビリーは、脳卒中を機に人前に出るのをやめたようだけど、マイルス自身は、晩年まで活動していたんだよね?マイルスはフリールズの曲を録音するけれど、彼がパリに残ることには反対、音に込められた野生が失われるからと。まあ、マイルスの演技は割と自然かな。しかし、主役のフリールズが、本当に豪の田舎ものっぽくて今一つだな。それにしても、マイルスはどうしてこの映画に出る気になったのか?数年前にデクスター・ゴードンの「ラウンド・ミッドナイト」が好評を博したから、あれを見てオレも、なんて思ったのかも?残念ながら、宵の口くらいまでで終わった印象だけど・・・
2024年02月27日
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CSムービープラスで放送の「戦略大作戦」'70の日本語吹替版を録画視聴。むかーし、ゴールデン洋画劇場で短縮版を見て、とても面白かったという記憶。初めての完全尺版だが、前に見たのは何年前かは定かではないくらい。一応、戦争映画なので、そこそこスケールは大きい。しかし、キャストは曲者揃い。大体、クリント・イーストウッドの主演だから普通の戦争映画ではない。ドイツとの戦争拠点の銀行に1600万ドル相当の金塊があると知ったイーストウッドが、その強奪作戦を展開する。戦況がどうこうなんて知ったこっちゃない。指揮官は将軍の甥のボンボンで、パリにヨットを運ぶとかしている隙に、仲間を集めて勝手に進軍していく。何ともアナーキーな戦争映画。といえば、「マッシュ」が思い浮かぶけど、その役柄の延長のような感じでドナルド・サザーランドも加わる。堅物の軍人テリー・サヴァラスも説得して、夢の金塊強奪作戦は如何に?ワーグナーならぬハンク・ウィリアムス・ジュニアのカントリーを鳴らして進軍するサザーランドのシャーマン戦車。しかし、その行手には更に強力なドイツのティーガー戦車が立ちはだかる。しかし、ドイツ軍人だって命令に従っているだけ。最後は、その敵兵を説得するべく、イーストウッド、サヴァラス。サザーランドの3人が決闘よろしく歩み寄る。バックには、明らかにマカロニウエスタン調の調べが、おいおい。そこが最も印象に残っていた。後にイーストウッドと「ダーティー・ハリー」で組むラロ・シフリンが、およそ戦争映画らしからぬスコアを提供。戦争のアホらしさをとことん追求している作風は、当時はハリウッドのアウトサイダーであったイーストウッドならでは。やってくれるよね。吹替の欠落部分は、別の声優が担当。イーストウッドの山田康雄の代役は、山田と同じテアトルエコーの多田野曜平という人だけど、山田と遜色なく、ルパンだってこなせそうだ。サヴァラスの大平透、サザーランドの宍戸錠も代役が務める。他にも永井一郎、富田耕生、大塚周夫ら、今から考えれば大変豪華な顔ぶれ。敢えて吹替版で見たのは一興でありました。
2024年02月24日
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桜坂劇場の招待券利用で「緑の夜」。ファン・ビンビンが久々に出ているのに惹かれたけど、香港映画で、舞台は韓国という異色作。これは、どういう企画だったのかね。ビンビンは中国人だけど、韓国の地方都市の空港の保安検査係として働く。そこで会った緑の髪の女(名前は出ない)イ・ジュヨン。ビンビンが彼女の胸の刺青を見た時から、この二人の関係は予感させられる。緑の髪の女はコケインの運び屋らしい。でも、どうやらビンビンの上司の検査員は運び屋を黙認しているらしい。ビンビンがなぜ韓国にいるのかは語られない。暴力的な夫から逃れて一人暮らしをするものの、夫と別れると韓国では暮らしてはいけなくなる。92分の短い尺で収めているため、敢えて詳しい事情は語られない設定のようだ。緑の髪の女の彼氏のドンは美容院を営む華僑らしい。最後はビンビンがドンのところに乗り込むわけだけど、緑の髪の女は殺された?そこは、わかりやすく描いて欲しかったな。夫を殺した(のは緑の髪の女だが)のに、刑事?にビンビンが放免されるのは何故?色々とミステリアスなのである。逃亡先のボウリング場で出くわす女になろうとした男の存在を機に、女であることの不自由さを吐露する二人。そこはわかるのだけど、ちょっと色々わかりづらい。敢えて、今もマチズモ社会であろう韓国を舞台に設定したということなのかな。僕は基本、韓国映画は観ないのだけど、これはほぼ韓国映画っぽくって、ちょっと失敗したかなと・・・中国政府に脱税の疑いで起訴されて(真相は如何に?)、数年は活動してなかったビンビン、復活の意味で、こういう役どころを体当たりで演じたのだろうか。しかし、どうも悲惨な内容というか、カタルシスなく後味は良くない映画でありましたなあ。
2024年02月23日
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悪いけど、自ら経営する桜坂劇場で延々ロングラン上映された際には観なかったのだけど、CSテレビ放送されて、ようやく視聴。中江裕司監督の「土を喰らう十二ヵ月」'22。ドラマでは変わらず沖縄路線だけど、久々の映画の方は沖縄とは無縁だ。水上勉のエッセイの映画化だそうな。信州の古民家で一人暮らす作家、沢田研二は、自給自足の生活を送っている。米も作っているのかどうかわからないけれど、とにかく、野菜を育て、山菜は山から採り、自ら包丁を取り、精進料理を作っている。時折、担当編集者の松たか子がやってきて、出来立ての料理をうまそうに頬張る。二人は男女の関係ではないけれども、満更ではない雰囲気だ。四季折々、野菜や山菜が食卓を彩る。寒冷の中でも採取に勤しみ、冷水に材料を浸し、丁寧に料理を施す。とにかく、その様を丹念に描き出す。それこそが、この映画の目的のようだ。それでも、多少はというか、そこそこのドラマもある。沢田の亡き妻(遺影は小泉今日子と違う?)の母・奈良岡朋子(遺作だったようだ)の死がある。奈良岡の葬儀で、弔問客をもてなす料理を、沢田が一手に引き受けるところが、ある種のハイライト。松との関係も深まるかと思いきや・・・沢田の病気、そして、松との別れ。松に未練を見せながらも、孤独に向き合う沢田というか、主人公の心情も理解は出来る。再び一人になって、でも、変わらず、丁寧に料理をし、食膳に手を合わせる。殊の外、印象に残るというわけではないけれど、最早、失われたであろう日本の食卓の光景が、ここにだけ再現、生き続けている。菜食の割に腹も出ている沢田だけど、「キネマの神様」の時よりはマシかな。自らのイメージを保つために肉体的な努力をする人ではないようだけど、それでも、往年の二枚目の片鱗は残されている。逆に、松の方の女としての色気が今ひとつなのは、中江監督の不得手故か?ただまあ、共感する部分はあるけれど、自分は絶対に出来ない生活が描かれているというところは間違いない。
2024年02月22日
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先月本を読んだばかりのウディ・アレン、新作がようやく日本公開。と言っても4年近く遅れてではあるけれど。さすがにアメリカでは撮れず?ヨーロッパ・シリーズの第何弾かで、「サン・セバスチャンへようこそ」、シネマパレットにて。スペインはぐるっと一周したけど、サン・セバスチャンなるところには行ってない。映画祭も開かれるリゾート地ってことだ。アレン映画常連ながら、ついに主役になったウォーレス・ショーンは、アレン以上に風采は上がらない。アレンほど早口でもないのは、さすがのアレンも歳を取ったから、ならではのペースなのだろうか。でも、理屈っぽさ、惚れっぽさ、スノッブなところは、アレンのキャラそのままだ。妻役がジーナ・ガーション、こちらも還暦を超えて、かつてのギラギラした感じから程よく油分が抜けた感じ。それでも20歳以上下の映画監督とできてしまう艶っぽさは残している。その気鋭の監督に扮するフィリップ・ガレルは、実際に監督でもあるそうな。一方でショーンが惚れてしまう女医さんには地元スペイン出身のエレナ・アヤナが扮する。微笑ましい熟年恋愛の描写は悪くない。アレンの愛する映画を模した場面が次々登場するのが、この映画ならではの趣向。「市民ケーン」に始まって、フェリーニ、ブニュエル、ヌーヴェルヴァーグ、そして、ベルイマン。死神で登場したのがクリストフ・ヴァルツだったのか。ショーンに健康に留意しろというアドヴァイスを残して消えていく。夫婦関係の終焉に加えて、現代の映画に共感できず、過去のヨーロッパの名作に耽溺するアレンの心情が描かれる。いつものアレン映画のようでもあり、一味違う風味でもある。撮影が80代のヴィットリオ・ストラロ、健在でありましたか。クレジットを見逃したけど、オープニングとエンディングで流れるマヌーシュ・スイングのナンバーは誰の曲だったのかな。かつてのアレン映画のクセやケレン味が好みであると、この映画には少し物足りなさを覚えるかもねえ。
2024年02月04日
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「ストップ・メイキング・センス」4Kリストア版、沖縄でも公開されるのはいいが、スターシアターズのシネマパレットで?アイマックス版もあるというのだから、そっちで上映せにゃ意味ないでしょー。と思ったら、やりますわ!ユナイテッドシネマ浦添のアイマックスで上映、そりゃあそっちを観に行きますわい。海を見ながら自転車漕いで浦添パルコへ。あの干潟を埋めちゃおうってんだから愚かだねえ。ともあれ、会員とはいえ、土曜でアイマックス特別料金だから都合2,000円也。それでもええわと、最後列を予約。昨年の「パターン」に次ぐアイマックス、鑑賞、これはでかい!「ストップ・メイキング・センス」を初めて観たのは、まだ3年半ほど前の話。その時の日記で、大体の感想は書いているけれど、やはり、この画像、音響で鑑賞すると、その臨場感は格別だ。コザのホールで観た時もそうだったけど、とにかく、観ながらじっとしていることが煩わしいのなんの。インド映画のマサラ上映みたいに、ライヴ鑑賞的上映でやってくれたら、もっといいのにね。とにかく、デヴィッド・バーンの運動感覚が驚異的だ。カッコよく決めるサポートの黒人ミュージシャンたちを尻目に、クネクネヘロヘロ、何とも意図的にカッコ悪くキッチュなパフォーマンスに終始する。そして、今回の予告編でもフィーチャーされたあのビッグスーツ姿。頭でっかちと言われる音楽指向に対して、頭を小さく見せるための自虐であったのか?“ガールフレンド・イズ・ベター”の歌詞中に登場する映画のタイトルは、分別を失くしてお前も踊れ!ってか?そうしたいとこだけどね。そのスーツへの着替え前のトム・トム・クラブ・パートは、改めて見ると、バーンのテンションに負けじのクリス・フランツの張り切りぶりが些か浮いている印象だ。とはいえ、その後の終盤の流れは、また圧巻だ。冒頭のガランとしたステージから、倉庫のような場所に思えたのが、実は大観衆が見守るホールであったという、この見せ方も、また秀抜。で、そうか、「アメリカン・ユートピア」でフィナーレを飾った“ロード・トゥ・ノーホエア”は、この時点ではまだ出てなかったんだね。「スピーキング・イン・タングス」発表後のライヴ、今更ながら。そのバンド最盛期の勢いは、余すところなく、この映像から伝わる。映像も勿論だけど、このサントラもやっぱり買わないとなと改めて。本当に遅まきながら、このライヴ映画は色々と楽しめる1作だ。来月、普通のスクリーンでもう1回観てみるのも、それはそれで悪くないかなと思ったり・・・
2024年02月03日
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久々にスポーツ観戦のない日、では、映画でも見るかと、ムービープラスで放送の「フル・モンティ」'97 を今更ながら視聴。ブロードウェイミュージカル版も好評も博したこの映画、実は初見なのだ。この頃のイギリス映画、絶好調であった。「トレインスポッティング」でも怪演していたロバート・カーライルが主演。イギリスのダメおやじというのは、本当にとことんダメだね。息子にも、少しはパパらしくしてなどと言われ、養育費を払えないと子供の親権も奪われてしまう。そこで、一発勝負、ストリップで稼ごうって、安易だよな〜集められた面子もお世辞にもイケてるといけない連中ながら、それぞれの思いを掲げながら、おかしいけれども結構本気というか決死の思いで最後の希望にすがる。この、情けないサクセスストーリーのパターンは、この映画の後にも色々繰り返された気がする。90分の程よい尺で、笑わせて、少ししんみりさせられる。そして、最後はハラハラさせながらも幸福の大団円。イギリス庶民映画の魅力が集約された1作だ。ミュージカル版は日本でも日本人キャストで上演されたっけかな。まさか、舞台ではイチモツ、見せてるとか?だったら、オエっ
2024年02月01日
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第96回アカデミー賞のノミネーションが発表。やはり、「オッペンハイマー」が最多ノミネート(13部門)だった。当初、東宝東和配給だったらしい同作、電通が絡んでいたこともあって、ビビって日本公開が見送られそうになった。結局は、ビターズエンドの配給で公開決定、公開日も3月29日と発表された。オスカーの下馬票が高かったことで公開せざるを得なくなった形だ。正直、クリストファー・ノーランの映画って苦手なのだけど、さすがにこれは観ざるを得ないでしょう。日本に与えた影響の部分は描かれてはいないそうだけど。作品、監督の他、主演助演男優賞、技術部門も受賞有力の下馬評。「バービー」ってのはおバカ映画なのかと思って観なかったけど、さにあらず。現代的な意匠を大いに取り入れた秀作だったらしい。しかし、女性監督だったのが災いしてか、監督賞も候補にならず、8部門ながら、どれくらい受賞できるか。ビリー・アイリッシュの主題歌賞は獲るかもな。あと、衣装デザインとか。女フランケンシュタインの話?「哀れなるもの」も主演女優賞他を獲りそうだ。日本絡みでは、3つ、アニメの「君たちはどう生きるか」はゴールデングローブに続いて受賞するのか?「パーフェクト・デイズ」は一応、日本映画なんだね。結局、観なかったけど、国際長編映画賞、どうなんだろう。「ゴジラ−1.0」も観なかったのだけど、視覚効果賞獲るの?作曲賞は「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」のロビー・ローバートソンが獲るんじゃないかな。そういえば、主題歌賞では、ジョン・バティストも候補に。闘病中の妻との関係を描いたドキュメンタリー映画だそうだ。バティストは、今年のグラミー賞でも再び多くの候補に上がってる。さて、アカデミー賞といえば、「夜の大捜査線」'67で受賞したノーマン・ジュイスン監督が97歳で死去の報。この人の60〜70年代の作品群は、本当に秀抜な作品ばかりで、「シンシナティ・キッド」、「華麗なる賭け」、「屋根の上のバイオリン弾き」、「ジーザスクライスト・スーパースター」等々。70年代後半以降は、まあまあって作品が続いたけど、こんなに長寿だったとは。RIP
2024年01月24日
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いやあ、何だかんだ観ちゃうね「エクスペンダブルズ」。今回はつまんなそうだなあと思いつつも、予約入れちゃったよ、「エクスペンダブルズ ニューブラッド」。思いっきりネタバレありでまいります。知りたくない人は観てから読んで下さいね。のっけは結構スケールを感じさせる。リビアのカダフィの兵器工場で展開される戦闘、ここでシルヴェスター・スタローンの操縦する輸送機が攻撃で墜落。敢えなく、消耗品軍団のリーダーは黒焦げかと思いきや・・・もう、既に眉唾だよね。失意のジェイソン・ステイサムは、作戦のミスでチームから外される。その命令を出すCIAの職員アンディ・ガルシアが怪しいなとは誰でも思うでしょ。しかも、ステイサムの代わりに自らチームに加わるのだから。このシリーズ、そもそもは、往年のアクションスターを総集合させたお正月顔見せ時代劇みたいなのがウケたわけだけど、さすがに出演するアクションスターのネタも尽きてきたのと、昨今の多様性を取り入れる形で、アジア系とか女性を加える形で、本来の路線からは外れ気味で、顔ぶれ的に最も小粒になってしまった印象だ。そして、結果的に最もつまらない1作になったのは致し方なしか。スタローンがステイサムに華を持たせる形の展開だけど、ステイサムは、終始、例の“ハズレの合コン”的な表情が目立つ。相方のミーガン・フォックスってのは前のには出てなかったよね?もう一人アジア系?女性のレヴィ・トランも、そう目立つわけではない。何だか問題があって出演してないテリー・クルーズに代わるのが50セントらしいけど、こちらも目立たない。ドルフ・ラングレンはスタローンとの腐れ縁なんだろうな。アジア勢では、イコ・ウワイスが敵役で、トニー・ジャーは消耗品の方。むしろ、二人とも消耗品にして、敵役にもう少し大物を迎えればよかったろうに。ウワイス、ステイサムとの直接対決では、さほど手腕を発揮できず。あ、一番悪いのはガルシアなんだけどね。いずれにしてもちょい役不足。結局、スタローンは死んでなかったのだけど、さすがに、もうシリーズを続けるのはキツいかな。往年のアクションスター大集合路線に戻すとしても、もう、セガールやカート・ラッセルは出てくれないらしいし、香港系も無理みたい。いっそ、インド人スターとかを招いて新展開を見せれば海外の販路が拡がるかも。あと、真田広之も呼んでね、とか。
2024年01月12日
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沖縄に戻っての最初の映画、ドニー・イェンの「シャクラ」はやらんのかい〜!と思いつつ、まあ、上映中のものから何か見るかと桜坂劇場の招待券を利用するが、ここはまあ、アキ・カウリスマキの「枯れ葉」かね。何せ、あちこちで絶賛されている。カウリスマキの映画って、まあ、観る前から大体、調子はわかるのだけど、これまで以上に賞賛されているということは、これまでとちょっと違う?と期待しつつ観に行ったが・・・カウリスマキの映画、観ているものも観ていないものもあるが、前作「希望のかなた」、前々作「ル・アーブルの靴みがき」も観たのだけど、正直、あまり覚えてない。で、「希望」の後に引退宣言をしていたことも知らなんだ。別に引退しようが撤回しようが個人的には構わないけど(苦笑)。まあ、前記の通り、カウリスマキの映画って、概ね同じ調子だから内容は想像出来る範囲なのだけど。今回もやっぱり同じ調子だった(爆)。強いていえば、主人公たちがラジオをつければウクライナのニュース。だからこそ、今、愛が重要というメッセージはわかる。映画の内容等については他を参照いただくとして、音楽の使い方は色々と面白くはあって。ラジオでいきなり日本語で流れる“竹田の子守唄”、篠原敏武なる歌い手はフィンランド在住の人で、前にもこの人の歌がカウリスマキの映画で流れたことあったそうだ、それも覚えてないけど。ジュークボックスから流れる“マンボ・イタリアーナ”はほっこりしたなあ。主人公の友人のおっさんが歌う「ナナカマドの木」は、「生きる」のあの歌とは別なのかな。しかし、あの音痴が何でカラオケキングなの?女性二人組がライヴ演奏をする憂鬱なロック?も印象的。主役の二人の恋が芽生える場面では、なぜかチャイコフスキーの“悲愴”が流れる。そして、最後はタイトルである“枯れ葉”のフィンランド語ヴァージョンか。しかし、二人がデートで観る映画が、ジャームッシュの「デッド・ドント・ダイ」なのは、友情使用みたいなもの?ヒロインが飼うのが犬ではなく猫だったら、もっとよかったのにな。犬の名がチャップリン故に、桜坂劇場ではチャップリン映画の上映も?ま、映画細部については色々あるけど、繰り返すけど、個人的には、やっぱり、いつもと変わらぬカウリスマキ映画でありました。それとも、何かが違ったのでしょうか?勿論、これはこれで悪くはないのだけど。凡庸な見方で、どうもあいすみません。
2024年01月07日
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新年最初の映画は、「午前十時の映画祭13」の「カサンドラ・クロス」'76。1977年のお正月映画だったのは覚えているけど、リアルタイムには観ておらず、テレビでだったと思う。こうのすシネマは、如何にも補助金施設の中にあるが、割としっかりしたシネコンだ。ただ、この映画が1500円とはなあ、ままよ。イタリアのカルロ・ポンティ主導の大作なので、冒頭の雰囲気からしてもヨーロッパ映画っぽい。自フランシス・レイあたりかと思えた音楽は、意外にもジェリー・ゴールドスミスだったが。キャストも、ポンティ夫人のソフィア・ローレンを始めとして、ヨーロッパ+アメリカの豪華キャストで、如何にもパニック映画らしい様相だ(以下、ネタバレあり)。そのローレンと、腐れ縁っぽいリチャード・ハリスとのやりとりもヨーロッパ風。一方で、列車内には、ハリス夫人だったアン・ターケル扮するヒッピーっぽいミュージシャンらも同乗。武器商人の夫人エヴァ・ガードナーと不倫相手のマーティン・シーン(実はヤクの売人)とか怪しい神父のO・J・シンプソン(実はシーンを追う刑事)等々。そこに収容所の記憶を引き摺るユダヤ人のリー・ストラスバーグ、車掌のライオネル・スタンダーが加わる多彩な出演陣。医師のハリスがヒーロー的な活躍をする。ローレンも車両爆破を手伝わされたり、DIYでの危機打開の様が見どころではある。一方のジュネーヴの国際保健機構の施設では、米軍人のバート・ランカスター、部下のジョン・フィリップ・ロー、保健機構の医師イングリット・チューリンの3人だけの密室的なやりとり。結局、ランカスターの大佐は、最初から列車を事故で全滅させようという意図だったのか。その場所が、大昔に作られたカサンドラ鉄橋ということだ。実働部隊として動いていたシーン、シンプソンがやられて、ハリスとローレンらだけで対処法することに。前方の機関車部分と二等車両を切り離し、後方の一等列車を残すということになるが、感染者の出てなかった二等部分が丸ごと犠牲になるのはお気の毒。カサンドラ鉄橋は簡単に崩れ落ち、阿鼻叫喚のパニック、大惨事となる。軽くなれば大丈夫かもなんて言っていたのだけど・・・事件を闇に葬ろうとしたランカスターも医師チューリンも監視付き、口止め状態なのは変わらない。まあ、生存者が多く存在したことに後で気づくわけだろうが。アメリカを悪役に出来るのもヨーロッパ系主導作品ならではだ。兵器として開発された病原菌の存在がコロナを彷彿とさせるので、今回のセレクションに入ったのだろうけど、この当時では、やっぱり、怪しいことをはたらくのはアメリカという認識だったろうか。撃たれちゃったアリダ・ヴァリは乳母?幼い娘は生き残ったけど、ヴァリはどうなったやら。ガードナーは愛人も犬も失ってお気の毒。ハリスとローレンは、また元の鞘に?この二人は同じくらいの年齢だったんだね。今見ても、脚本・演出ともに、割とよく出来ていた方なのではと思えた。次回の午前十時は、まだ作品が発表されてない(沖縄での上映がないみたいだが)けど、「カプリコン1」が上映されるのが期待出来るかも?
2024年01月04日
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はい、恒例の映画ベストだ。観た映画は33本、例年よりも少なめかな。では、観た順にイニシェリン島の精霊未来惑星ザルドスエンドロールのつづき生きるLIVING少年と犬星くずの片隅でパターンジョン・ウィック コンセクエンストラヴェリン・バンドウォンカとチョコレート工場のはじまり次点は、ブラフマーストラ かな「イニシェリン島」、ちょっと似たような事例?を自身も体験。「ザルドス」は新作じゃないけど、これはSF映画史に残る大傑作だ。派手な作品よりも沁みるインド映画「エンドロール」。「生きる」比較も一興だった。「少年と犬」も去年の公開作なのかな?「星くず」の香港人情ものの美しさ。「パターン」は今年のベストだ、フーレー・フォー・ボリウッド。「ジョン・ウィック」最終作?はアジアン・キャストの健闘故。「トラヴェリン」は最高のライヴ映画。そして、締めの「ウォンカ」も上出来のファンタジー。山田洋次監督の「こんにちは、母さん」も次点止まりかな。「シェイン」、観られてよかったね。近所の桜坂劇場の、編成担当者が変わった?自分との相性が良くないようで、観たくても観れない作品が多かったり、痒いところに手が届かない感があって、本数が減ったと思う。まあ、来年の会員更新はないだろうなあ。むしろ、スターシアターズの編成の方がベターだったけど、来年は「午前十時の映画祭」を、もうやらないみたいなので。まあ、いずれにせよ、沖縄での映画生活は、もうすぐ終了?色々観られるようになったとして、何をチョイスするかが課題になってくるな。新年は、その「午前十時」の1作から。多様な映画を安く、気軽に観られたらいいね。ではまた、来年。
2023年12月29日
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新都心シネマQで「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」を。クリスマスにはふさわしい1作だね。最初の映画化作品「夢のチョコレート工場」のようにミュージカルに戻っている。若き日のウォンカに扮するティモシー・シャラメの歌声はきれいとは言えないが、純粋で前向きななキャラクター設定で夢と希望のストーリーを紡ぎ上げる。イギリス系のベテラン俳優たちが脇を固め、「クリスマス・キャロル」のような雰囲気に好感が持てる。ちょっと黒人キャストが多めな気もして、これならアジア系も入れたらとは思わないでもない。ウォンカの母役のサリー・ホーキンス、神父役のローワン・アトキンスン、意地悪おばさん役のオリヴィア・コールマンといった芸達者たちがシャラメのウォンカを盛り立てる。そして、ヒュー・グラントである。ウンパルンパですか、グラント、歌も歌うんだね。かつてのロマコメの帝王は、こういった癖のある役どころに新境地を見出している。段々と、デヴィッド・ニヴンみたいになっていくのかな?脇のキャラが多過ぎる気はするけれど、ウォンカが、グルメ・ギャラリーに開く店は、まさに夢のチョコレート・ランド。楽しさいっぱいだ。ウォンカの窮地を救うのは、悪役に思えたウンパルンパだった。グラントが飄々と活躍を見せる。最後に、ウォンカが母の想いに応えるところは、ちょっとホロリ。これは、ティム・バートン版よりもよっぽど上出来のファンタスティックストーリー。そして、最後に登場のチョコレート工場の造形もいい。これはアイマックスで観てもよかったし、吹替版でもちょっと観てみたい。ネスレは、この映画を機に、また、ウォンカチョコを再発してくれればよかったのに。観終わってチョコレートを食べたくなったけれど、明日は胃カメラだから、最早、何も胃には入れられないのであった・・・
2023年12月22日
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昨日の話なんだけど、小津安二郎の誕生日&命日、それも生誕120年没後60年ということで、東京国際映画祭でも特集が組まれたり、盛り上がりを見せていたようだ。テレビでも関連番組がいくつか放送。それらをまとめてチェックした。まずは、Eテレで不定期に放送されているらしい「最後の講義」をリアルタイム視聴。以前、大林宣彦のを見たことがあったけど、今回は岩下志麻。この人がメディアに登場するのは、かなり久々ではないか。俳優としては既に引退済みなのだろうが、82歳!しかし、10歳年上の夫の篠田正浩が存命なのが、更に驚きだ。役者志望の学生たち?を前に登壇した岩下、凛とした風情は変わらない。足腰も、語りもしっかりしている。外側から役に入る人だそうだ。瞽女の役を演じる際は盲学校を訪ねたり。そして、一度、役に入り込んだらなかなか抜けられない人らしい。それまで喫煙経験がなかったのに、喫煙者の役を演じて以降、喫煙するようになったとか。そういえば、一度、インタビューに立ち会った時もメンソールのタバコを吸っていたっけ。元々は俳優になる気はなかったそうだけど、いざとなれば、もう根っからの役者のような人生を全うしていくことに。デビュー作のNHKドラマ「バス通り裏」の貴重な映像も。出産した後も、独立プロの映画に関わっていた故に子育てよりも仕事を優先。その事が未だに後悔の念として残る。小津の遺作「秋刀魚の味」でのテスト100回のエピソードも。"人間は悲しい時に悲しい顔をするほど単純じゃない”という小津の言葉を肝に銘じる。そして、“個性は結果論”と言い切る。要は、その役を心から演じ切ることであると。愚直に近い、真摯な役者としての姿勢が印象的だった。続いては、12月2日に放送されたETV特集「生誕120年・没後60年 小津安二郎は生きている」の録画視聴。今やすっかりお父ちゃんになったヴィム・ヴェンダースが、若き日に小津映画を観て魅せられた。そのことに、逆に山田洋次が驚かされたと。改めて、小津作品の普遍性に気付かされたという。この番組でも小津作品で活躍の大女優が登場、岡田茉莉子は90歳か。夫の吉田喜重は亡くなってしまったけど、岡田はまだ元気そうだ。本読みは、全ての役を小津が一人で読んだそうで、その通りに演じることを求められたと。最高の演技は能面であると。ただ表情には出さなくても、役を心から理解した上での能面が理想であると。これは、先の岩下に小津が語った、“人間は悲しい時に・・・”という言葉に通じるものがある。小津が脚本を書いていた茅ヶ崎館には周防正行が訪ねる。旅館の風情は驚くほど変わっていない。ここで、少しではあるけれど、田中眞澄さんの功績が伝えられたのは重要なことだったと思う。評論ではない、原典の資料を探り続けた、真の“研究者”であった。昔、仕事で会ったこともある人も数名登場。小津に関する資料を諸々かき集めていたり、何とも微に入り細に入り小津映画を分析する。まあ、小津は、ノーベル文学賞受賞の作家に匹敵するような存在といえ、その一言一言や日記、家族のルーツまで事細かに探求されている。しかし、平山周吉なる作家が存在するとは。その人、元文春の編集者で、川本三郎あたりの周辺にいたと思う。小津映画のキャラの名をペンネームというのが、如何にもオタクっぽいが、実際、かつてはオタクっぽい風貌の人だった。いいのかな、しかし。興味深くはあったけど、個人的には微妙な印象を持った。もう一つ、これは昨日放送のBS「美の壷」の2016年の再放送、“和の美の理想郷、小津映画”を。当時まだ存命だったプロデューサー、山内静夫氏も登場するが、江東区の小津イベントで、ファンは、なんつって、さり気なく活弁士・澤登翆さんの顔が。番組関係者はわかってなかったのかな。それにしても、小津の美術面のこだわりは尋常でないものがある。飲み屋街の看板一つ一つも自らデザインし、「お早よう」のような1作でも背景には、自らが好んだ壺などがさり気なく配されている。赤坂に今もあるのだろうか、喜多川という古美術店が、小津映画に登場する美術品の調達を一手に担っていたのだけど、映画では“美術工芸品考撰”としてクレジットされている北川靖記氏の息子さんと覚しい人が、「お茶漬の味」に登場するような酒の燻製の茶漬を特別な器で提供する。朝日新聞でも取り上げられていた、小津映画の脚本語りを続けている中井貴恵も登場。小津好みの着物で朗読を続ける。小津映画に登場する赤い薬缶は不思議なバタ臭さがある。小津好きのアキ・カウリスマキの新作にも赤い薬缶が登場しているとか。あれ、やっぱり観るかねえ。まあ、個人的には、小津作品は、もう、ちょっと遠いところに行ってしまっている印象だ。好きな方々が好きなように小津作品を語り、取り上げればいい。これは前にもどこかで書いたかも知れないけれど、かつて、さんざ観た小津作品、自身がもう少し年齢を重ねた時に、また無心で向き合うことが出来れば、それはそれでいいなと今は思えている。
2023年12月13日
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というわけで、昨日観た「シェイン 世界が愛する厄介者のうた」の件。長年の友人というジョニー・デップの製作、監督は音楽ドキュメンタリー系一筋の感じのジュリアン・テンプル。シェイン・マガウアンのインタビュー中心の構成だが、撮影時に撮られたものの他、過去の録音も使用されているようだ。2020年の映画ということで、この頃のシェインはヘロヘロ度も、かなり増していたのだろう。リアルタイムでは、かなりよれている感じで、ボーッとした目付きで、かろうじて語っている感じ。そして、時折、ギシギシという絞り出すような笑い声。でも、まだ歯は残ってたから、少し前の撮影か。勿論、インタビュー中も常にグラスがある。何せ、酒とタバコは5歳からということだ。生まれはイギリスながらアイリッシュのシェイン、夏休みは、いつもアイルランドの片田舎で、叔父や叔母たちと一緒に過ごした。もう野卑そのものな親戚たちの温かい?もてなしの中、シェインも奔放に育っていった。それでも、さすが文豪の国アイルランドの人だけあって本は読んでいる。初めて書いた曲が”ストリームズ・オブ・ウイスキー”で、元ネタはフラン・オブライエンの小説だそうだ。そんなシェインも、イェイツの詩は評価され過ぎだとこき下ろしていた。もっともっと庶民の方に目が向いていたのだろうか。アイルランドの文化を守ろうという意識はあったらしい。そこに、イギリスのパンク・ムーヴメント。最初に組んだバンドが、ニップル・エレクターズとは笑えるね、乳首のぼっきか。尤も、ポーグスがどんな風に結成されたかは、あまり詳しくは描かれない。そういえば、家に、ポーグスとシェインのドキュメンタリー・ヴィデオが数本あったけど、その辺はそっちなのかな。どこまでもシェイン個人に絞った内容と言える。インタビューは監督もなのだろうけど、ジョニデ、そして、奥さん、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーらが務める。冴えない風貌にも拘らず、なぜかモテたというシェイン、奥さんも金目当てとかではなさそうで、愛情が感じられる接し方だった。正直、ポーグスがそんなに売れたバンドだとは認識してなかった。でも、ことイギリスでは、アルバムは軒並み好セールスを記録していて、とりわけ、あの“ニューヨークの夢”は2位になってるのだ。あの曲があれだけ売れなければ、ポーグスは存続していたかも知れないと、ピーター・バラカン氏も語っていたし、映画もそんな論調だったけど、そうかなあ?シェインの素行からすれば、いつか破綻には至ったのではないか。ただでさえ、日常生活を保つのが大変だったのが、過密なスケジュールになって、にっちもさっちも行かなくなったようだ。そして、シェインはバンドをクビになる。シェインのソロは聴いていないのだけど、ポーグスでも一人だけ注目が集まり過ぎてしまった弊害は、本人も語っていた。とはいえ、やはり、シェインの歌は、アイリッシュ・トラッドのベテラン勢もみな評価していたそうだし、何より、今でこそ似たようなバンドは色々あれど、あの当時、トラッドにパンクを組み合わせた、あんなバンドは他に存在していなかった。厄介者は、天才にしてパイオニアだったのかも知れない。ポーグスのパフォーマンスは、再結成時の2005年のフジロックでの演奏を、友達が録音したのを聴かせてもらった。そして、その翌年、単独公演を見ることが出来た。一応、シェインは酔っ払いながらも歌おうと努力はしていたのを覚えている。そして、アンコール、まさか演るとは思っていなかった、“ニューヨークの夢”が聴けて、もう涙が止まらなかった。その後、2012年の公演も見ているけれど、その時は、“ニューヨークの夢”はなかったな。シェインのよれよれ度も上がっていたし。ホント、シェイン、よくぞここまで生きたなと思う。映画は、情報量が、やたら多い上に、会場が少し暑くて(ゴールウェイで買ったアランセーター着てたけど)、ちょっと疲れたけど、何より観られてよかったと思う。改めて、愛された厄介者を偲びたい。シェイン・マガウアン、RIP
2023年12月03日
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スターシアターズでお誕生月クーポンというのをもらったので、映画観ておくかと。無料じゃあないのだけど、800円で。新作では目ぼしいのがないので、シネマパレットでの007映画一挙上映のうちの、「ロシアより愛をこめて」を観ることに。007シリーズ、大体は観ている感じだけど、これは、実は未見?テレビでもちゃんと見てなかったような。シリーズの最高作の評価を得ている1作なのにね。冒頭で、ショーン・コネリーのジェームズ・ボンドがロバート・ショーの手にかかって・・・と思いきや、替え玉であった。このショーの悪役はセリフも少なくて凄みがある。シリーズでも屈指の悪役キャラといえる。しかし、キャスティングがかなり無茶というか、ロシア人の設定のボンドガール、ダニエラ・ビアンキはイタリア人。ボンドをサポートするトルコの大物には、メキシコ人のペドロ・アルメンダリス、ロシア諜報機関からスペクターに寝返ったロッテ・レーニャはオーストリア人等々。ボンドは、本来スコットランド人の設定なので、コネリーは合っているわけだけど。コネリーのボンドはコ一見ワモテ風だけど、やっぱり女好きで、あの胸毛やら野生味やらが、ちょっとインド映画のヒーローあたりに通じる魅力。主にイスタンブールで展開するけれどヴェニスにも行ったり、観光要素もしっかり。ボンドがアルメンダリスに連れられてロマの部落に行ったりするが、ロマのダンスが結構しっかりしていて、これもお色気要素なのだろうけど、彩りとしても面白い。ロシアとイギリスの諜報合戦にスペクターが入ってきて、後の007映画のようなSF風味は抑えめで、スパイアクションとして王道の出来。アクションもヘリの追跡、ボートでのチェイスと豊富に展開。コネリーとショーの対決は列車内の狭いスペースで、しかも照明抑えめの暗さで緊張感を醸し出す。Mの秘密兵器の存在が勝敗を分ける感じだね。そういえば、コネリーはこの10年後に、再び映画の中でオリエント急行に乗車するのだった。しかし、タイトルとは裏腹に、この映画にはロシアは登場しない。マット・モンローの歌だけだね。そもそも、この映画の当初の邦題は水野晴郎が付けたという「007/危機一発」だった。まだ、コネリーの髪がしっかりあったのだから、危機一髪でもよかった?何か007シリーズを続けて観たくなってきちゃったね・・・
2023年11月20日
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桜坂劇場で「リバイバル69」、ピーター・バラカンの音楽映画フェスで上映された1本のよう。今となっては知られざる?カナダ版ウッドストックのようなフェスのドキュメンタリー。ライヴ場面もそこそこある。観客は2人だったけど。カナダのプロモーターで当時はイケイケだったジョン・ブラウアーが、勢いに乗じてロックンロール・リヴァイヴァルのフェスを企画。当時は、決して全盛期とはいえなかったろうオリジネイターの出演者たちを一堂に集めた、までは良かったけど、チケットが売れない。焦った主催者は、あの手この手で話題と告知を拡げようと悪戦苦闘するが・・・チャック・ベリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、ボー・ディドリー、ジーン・ヴィンセント・・・すごい顔ぶれなのだけど、集客にはつながらない。そこで、いきなし、当時旬のドアーズにオファー。ちょうど、あのジム・モリソンの露出騒動の後で干され気味だったので、スケジュールが空いていたのだ。この顔ぶれで大トリはドアーズって節操無いよなあ。つぎはぎ的に出演者が決まっていく。色々、顔の繋がりでジョン・レノンにオファーを。これも偶然の幸運か、ビートルズの活動に停滞を感じていたジョンが、オノ・ヨーコとのプラスティック・オノ・バンドを俄に組んで参加を表明。メンバーは、ベースにクラウス・フォアマン、ドラムにアラン・ホワイト、そして、ギターは何気にエリック・クラプトン!無茶振り的に前日?にジョンに呼ばれてチャーター機でカナダへ。セットリストは機内で決める。そもそも、直前までジョンやクラプトンは、行くのを渋ってたりって何だか。フェスには、他に、これで名を馳せることになったアリス・クーパーに、シカゴやトニー・ジョー・ホワイト、なぜかダグ・カーショウとかまで出ていたそうな。オルタモントのヘルス・エンジェルスじゃ無いけど、地元の暴走族グループのボスが出資者兼ガード役。あの、D・A・ペネンベイカーが撮影をしていたそうだけど、記録映画は完成しなかったそうだ。でも、スタッフとして働いていた女性キャメラマンと、むくつけき暴走族のボスが、ちょっといい関係に。これ、いいエピソードだよね。オリジネイターたちの渾身のパフォーマンスは、どれも見事。まさにジェリー・リーも語るように、ロックンロールを復活させるぞという気概に溢れたステージだ。そして、ジョンだけど、リハーサルもろくに無しにいけるもんなんだね。プラスティック・オノ・バンドだから、ヨーコをフィーチャーするわけだけど、奇声を発するヨーコにクラプトンもギョッとしていた。ここは、観客、引いたろうな。それでも、最後に“ジ・エンド”で始まったドアーズのステージは、それなりに盛り上がったのかな。ロビー・クリーガーが証言者として登場するが、生憎、ライヴ映像はなし。まあ、これは数奇なフェスの成立過程を描く内容だから、ライヴ映像少なめでもやむ無し。でも、オリジネイターたちのパフォーマンスは迫力いっぱいでお腹いっぱい。これで自信をつけたのかどうか?ジョンはビートルズ解散を決心。結果的にロック史の分岐点となったフェスとなったわけだね。
2023年11月04日
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CSザ・シネマで放送の「ルージュ」'87を録画視聴、初見。これ、東京国際ファンタスティック映画祭で上映されたのでは?その時に、アニタ・ムイが来日したような記憶がある。これはもう、アニタ・ムイの映画だ、レスリー・チャンの、ではなく。その分、レスリーは、あんまりな役どころという気もしないでもない。早世の2大スターが共演ということでは貴重な1作だが、それにしてもすごい話だ(以下、ネタバレあり)。4K版ということで画質はクリア。SFというか、これもチャイニーズ・ゴースト・ストーリーである。前半は、1930年代の香港で、アニタとレスリーの逢瀬が描かれる。そこから一気に現代に飛んで、新聞社に勤めるアレックス・マンの前に、突如、30年代の服装のままのアニタが現れる。新聞広告を出すことにこだわるのだけど、あの世の人が新聞読むのかというようなツッコミどころは多々ある。アニタがアレックスにつきまとうあたりは、ちょっとコメディっぽい展開。あれあれ、これどういう映画なの?と戸惑わされることしきり。そこに、「男たちの挽歌」のエミリー・チュウまで加わるもんだから、ますます?の展開。しかし、未婚の現代カップルであるアレックスとエミリーの前で、親や周囲に結婚を反対されて心中を選択せざるを得なかったアニタらのエピソードが、恋愛とは?幸福とは?何かを考えさせられることになっていく。正直、アニタって決して美人とは思わないけど、この映画では、ひたすら妖艶、とりわけ現代部分での浮いた感じが尚更異彩を放つ。終盤もまさかの展開だ。何と、レスリーは、生きていた。途中で、京劇に弟子入りする件があって何の意味があるのかと思ったけど、要は道楽者のレスリー。家業を潰し、エキストラの三流役者に落ちぶれていた。その老醜さえ晒す役どころ、アニタならずとも正視したくない残酷な現実である。よく、レスリー、この役やったね。そのくらいに、これはとにかく、アニタの映画である。スタンリー・クワンは文芸映画の人の印象だけど、これは何とも、異形のラヴストーリーである。レスリーの全盛期の美貌も見られるけれど、繰り返すけれど、何よりもアニタなのであった。そういえば、サミー・チェンを主役に撮った「長恨歌」のDVDが家にあったはずだけど、未見だ。クワンはサミーをどんな風に描いているのかな。
2023年10月24日
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予定してなかったのだけど、CSムービープラスで放送の「マーベラス」'21なるアメリカ映画、日本で公開されていたことも知らなんだ。主演は、マギーQ、テレビ版の「ニキータ」でも活躍して、今も主役級をキープしているよう。なので、見たくなったのだ(以下、ネタバレあり)。原題は“プロテージ”で、クレジット上の主役はマイケル・キートン。更に、サミュエル・L・ジャクソンも共演という、まあ一流と言っていい顔ぶれで、監督も「007」を数作撮っているマーティン・キャンベルだ。マギーはヴェトナムの血が入っている人らしいけど、この映画の最初の舞台もヴェトナムはダナンだ。孤児となったマギーは、サミュエルに引き取られ、殺し屋として仕込まれる。例によって、飄々とした風情のサミュエル、イギリスのお城のような家に住み、誕生日にマギーからアルバート・キングが弾いたというギブソンのフライングVをプレゼントされてご満悦だったが・・・マギーがロンドンで営む古書店にキートンが訪ねてくることで命運が変わる。サミュエルは屋敷で殺され、折角のギターも破損、古書店も襲撃される。復讐を誓うマギーは、黒幕に迫っていくが、その護衛役がキートンで、マギーとも死闘が繰り広げられるが、なぜかベッドインしたりもする。キートンが知性派殺し屋で存在感を発揮。シャープなアクションのマギーにも堂々対抗する。正直言って、お話はよくわからない。とにかく、実は生きていたサミュエルは、因縁の相手を自ら共々始末する。そして、マギーとキートンの最終対決、結局、最後に勝ったのはマギー?そこをあまりハッキリ見せずに双方に肩を持たせる感じのエンディングだ。ジャッキー・チェン主演の「ザ・フォーリナー」も撮っているキャンベル監督だけに、ここはアジア人贔屓なのか、マギーもなかなか魅力的に描かれている。40歳超えながら、まだまだアクションもいけそうだ。こうなったらミシェル・ヨーとの対決なんてのがハリウッドで制作されればいいね。ジャッキーとかジェット・リーとかがゲスト助演で入れば言うことなし。真田広之も一枚。アジアンスター勢揃いアクションが、今なら充分にいけそうだからね。
2023年10月17日
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この時期にはピッタリと言える映画「パニック・イン・スタジアム」'76がCSザ・シネマで放送、録画視聴。TVの吹替短縮板はむかーし見たことがある(以下、ネタバレあり)。原題が“トゥー・ミニッツ・ウォーニング”と聞けば、アメリカンフットボールの映画だとファンならわかるはず。LAのコロシアムでのLAラムズとボルティモア・コルツのチャンピオンシップゲームが舞台という設定。冒頭に、顔の見えない狙撃手が、いきなりホテルの自室から一般市民を狙撃する。それで逮捕されないんだねえ。一方、別のホテルではコルツのQBジョー・カップ(実際にワシントンやミネソタでQBだった)が、大事なゲーム前に彼女とハッスル・・・ここいらリアリティには欠けているのかも知れないが・・・様々な人物が交錯するうちに、次第に10万人収容のスタジアムで大パニックが発生というのは、パニック映画のルティーンではあるけど、そのドラマ部分も含め、サスペンスの盛り上げ方は、なかなか悪くない。警部のチャールトン・ヘストンが本格的に動き出し、スワットのジョン・カサヴェテスが登場するのは、映画が1時間経過してから後。何より、試合の展開がそこそこリアルな感じ、勿論、そこは別撮りの映像が使用されてはいるのだけど。しかし、あの当時なら、銃を分解して服に忍ばせてスタジアムへなんてのも不可能ではなかったかも。警備員が殺され、テレビ中継映像が犯人を捉え、スワットが動き出すも、カサヴェテス隊長の隊員は、あまり優秀ではなく、次々犯人に射殺される。VIP系は軒並み避難させられ、最初の犠牲者になるのはデヴィッド・ジャンセンだ。カサヴェテス夫人のジーナ・ローランズはジャンセンの方の相手役で、二人がヨリを戻そうというところの悲劇は、サスペンスの盛り上げ方としては巧い。双眼鏡で犯人を見つけたボー・ブリッジスが、直訴した警官に囚われてしまうあたりも、警察らしい対応なのか。結局。狙撃犯は仲間はおらず単独犯行の様子。スワットの銃弾が直撃するも、一発で仕留めることが出来なかったのが最大の誤算。そこから、犯人の銃の乱射、スタジアムでの大パニックが展開される。そんなスペクタクル場面もあるし、試合、観客、追う警察側を切り返す編集が秀抜。オスカーノミニーも宜なるかな。試合の賭けの結果が命に関わるジャック・クラグマン(「ドクター刑事クインシー」)とかスリのウォルター・ピジョン(ワイラー映画の常連!)らも何気に狙撃される。結局、犯人は誰を狙っていたのか、何が目的だったのかはハッキリせぬまま終わる。ここらは現在に通じるサイコパスの犯罪というセンで描いた形か。犯人を仕留めるのはスワットではなくヘストン。やっぱり、カサヴェテスの部隊はダメだね、彼自身も犯人に撃たれて負傷。せめてもの憂さ晴らしに、あの人らしい皮肉っぽいセリフを吐いて去る。どうもカサヴェテスは狙撃犯側の人のような印象を持ってしまうけど、この後の「ブラス・ターゲット」という映画でも暗殺阻止にあたる役どころで、監督作を撮るための金稼ぎとはいえ、案外ヒーロー的な役どころを演じているのは意外に思えた。意外といえば、この映画の出来そのものが、意外なくらいに悪くなかった。アメリカンフットボールのゲームのエッセンスも描きつつ、ドラマとサスペンスを巧みに盛り上げて、なかなかのエンタテイメントに仕上げていたと思う。ヘストンが出たパニック映画としては、他の2作(「大地震」、「エアポート75」)ほどメジャーではないけれど、結構拾い物であった。因みに今季のNFL、LAラムズ、及び、インディアナポリス・コルツ、ボルティモア・レイヴンズ、それぞれ出だしの成績は今いちであります・・・
2023年10月11日
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NHK「プロフェッショナル」で、“ふたりのキネマ 〜山田洋次と吉永小百合〜”。そろそろ公開が終わる、この時期の放送なのか。山田洋次監督、92歳か。番宣のTV番組にも出演していたし、自分の足で歩いていたし、健康面はまだ問題ないのかと思っていた。しかし、嚥下障害で食べ物が喉を通らず痩せたという。癌でなければ良いのだけど。90作目の「こんにちは、母さん」は、さすがにキツい体を押しての撮影だったようだ。「キネマの神様」での志村けんの映像、これはリハーサルだろうか、最後の劇場で死ぬ場面。今となっては貴重な映像だ。以来、1年半ブランクが空いたのは、山田監督としては初めてのことだったらしい。それだけコンスタントに映画を撮り続けてきたのだ。控室に戻ることも苦になっていて、セット内で休憩。撮影中に咳き込んでむせて中断することなども。本当に最後の体力を振り絞っての撮影の様相だ。驚いたのは、吉永小百合に対しても、容赦無くダメ出しが飛ぶところ。吉永も、この映画で引退を意識していたようだ。奇跡の78歳の女優も、寄る年並みでセリフの覚えが悪くなっているという。しかし、大ベテランでも未だに緊張するのが、吉永の良さと山田は語る。でも、吉永が“おばあちゃん”になれるのか。宮本信子なら、簡単におばあちゃんになれるのだが、吉永はなかなだと。日常から相当に努力を重ねている結果なのだろう。体力も気力も充分そうな吉永、正直、おばあちゃんっぽくはなかった。一方、撮影終盤、山田は少しずつ笑顔を見せるようになってきた。自身は、引退を考えなくはないが、最後の作品と意識して撮影することはないという。撮りたかったけれど、撮れなかったねでいいのだと。試写に欠席した山田は、撮影後の後悔の念をメッセージで語った。それを受けてかどうか、吉永も俳優を継続することを語る。次回作の構想を語り合う二人は、実に楽しそうだった。最後のプロフェッショナルとは?は、山田のみが答えて、吉永のコメントはなかった。それが、あの人の謙虚さなのかな。偉大な二人の映画人に、幸あれ。
2023年09月27日
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さて、今回のコザ泊まりのメインはこっちの方なのだ。7月に続いて、那覇ではもう上映されない「午前十時の映画祭」の上映作、あの「エクソシスト」であります。恐怖映画の最高峰と言われつつ、未見であったのだけど、監督のウィリアム・フリードキンも死んだことだし、怖いけど観ておこうと。ということで、シネマプラザハウスへ(以下、ネタバレあり)。冒頭は、ちょっとドキュメンタリー調で、マックス・フォン・シドウがイラク(実際にロケ)の遺跡発掘現場にいる姿を延々映す。神父が何で遺跡発掘?と思うが、ここで悪霊の像を発見するのが伏線にはなっている。一方、悪魔に取り憑かれるリーガン=リンダ・ブレアと母エレン・バースティンの幸せそうな光景が。バースティンは女優で、その活動ぶりも描かれるけど、あれは必要なのか。酔っ払い映画監督を、アイリッシュのジャック・マッゴーランという俳優が演じているが・・・更に、もう一人の主役である神父ジェイソン・ミラーの悩む様子も念入りに。この辺は、昔の映画っぽくって、結構、不要そうなエピソードも盛り込まれて、やや長さを感じさせる。リー・J・コッブの刑事の存在もどうなのかな。ミラーとの映画を観る観ないのやり取りは、映画のエンディングにも繋がる。確かにミラーはボクサーっぽいイタリア系の神父で、母親との関係でも悩む。そこを後に悪魔に突かれるわけだけど。何か、まだ色々余裕があった時代の映画という印象で、観客に阿て展開を急ぐようなことがない。監督なりに(また脚本家なりに)必要と思われるところを丹念に描く。ま、これはディレクターズカット版だから、その前のヴァージョンは、もう少し端折られていたのかも知れないけど。リーガンが検査という拷問を延々受ける場面が、既にかなり恐ろしい。注射針を刺す等の鋭角的な痛みが観客にも伝わってくる。そして、不安を隠しきれない母バースティンの恐怖が。ここらはフリードキンと原作・脚本のウィリアム・ピーター・ブラッティの手腕か。リーガンのお守りをしていた映画監督が怪死を遂げるのが、いよいよ本番の始まりだ。演じたマッゴーラン、これが遺作になったって、また恐ろし過ぎる。しかし、マッゴーランがナチス呼ばわりした執事を、なぜかコッブが、全く疑わないのは少し解せないのだが。普通の場面では、かなり可愛らしかったブレアが、どんどん悪魔になっていく恐ろしさ。卑猥な言葉を吐きまくり、肉体破壊に及び、緑のゲロを吐き、首を360度回転等々。衝撃が強過ぎる故か?短いカットで見せる、階段のけぞり血反吐吐きとか、すごい場面が続出する。なぜ悪魔はリーガンに取り憑いたのかは説明がなく、ただただ、いたいけな少女が豹変する様が描かれる。シドウが登場して本格的な悪魔祓いが始まるところがハイライト。しかし、シドウは心臓発作であっさり逝ってしまう。残されたミラーの捨て身の行為でリーガンは救われる。息絶えるミラーを看取るダイアー神父を演じたウィリアム・オマリーというのは本物の神父?フリードキンがパワハラで恐怖の演技を引き出したのだとか。色々呪われた噂もあったこの映画に関わりながらも、80代後半まで生き永らえたフリードキンという人、ある意味、悪魔的存在だったかのようだ。この映画に使われて大ヒットしたマイク・オールドフィールドの“チューブラー・ベルズ”、そんなに重要な使われ方をしてないのだけど、確かに印象に残る旋律ではある。完璧ではないかも知れないけれど、恐怖映画としてのインパクトは、この映画を超えるものは、今でもなかなか無いかも知れない。そして、現代のように様々なホラー映画が溢れてはいなかった、あの時代、この映画をリアルタイムで観ていたら、一生もののトラウマになっていたかも知れない。その意味では、観たのが今回であったことは、むしろ、幸いだった?のではなかったろうか。
2023年09月23日
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メインは明日観る映画なのだけど、わざわざバス代払ってコザに泊まるわけだから、もう1本映画を。そりゃあ、本日初日のこれでしょう、シリーズ第4弾「ジョン・ウィック・コンセクエンス」@シネマライカム(そこそこネタバレあり)。インド映画並3時間近い長尺だ。でも、このシリーズは元々嫌いじゃない上に今回はアジアキャストいっぱい。ただ、正直、前作はあまり印象に残ってない。映画冒頭、NYで潜伏していたジョンは、いきなりヨルダンの砂漠で馬に乗ってたり。今回の最大の敵役は、旧友でもあるというドニー・イェン扮するケインということになるけれど、ケインはいわば娘を人質に取られたような可哀想な立場で、一番の悪玉は、組織を牛耳る侯爵のビル・スカルスガルドとなる。アジア勢は、ある意味、この映画にインスピレーションを与えた人たち故に完全な悪役にはできない。一方で黒人を悪役にするのも今日日は難しいだろう。黒人キャストは、すぐに殺されてしまう故ランス・レディックに加え、なぜか「マトリックス」には出なかったローレンス・フィッシュバーンだが、些か影が薄い。なので、もう一人ジョンを付け狙うトラッカーとかいう犬連れの殺し屋が登場するけど、シャミア・アンダーソンという役者が演じるこの役どころ、正直、必要だったの?と思える。次の舞台は大阪だけど、久々に変なニッポン満載だ。真田広之扮するコンチネンタルホテル支配人の部下たちは、もろヤクザだし、忍者だったり相撲取りだったり。しかし、真田の名前がシマヅなのはあまりよろしくない?本来は、このホテルも聖域なはずだったのだけど、ジョンが冒頭でヨルダンの首長を殺した報復で、NYのコンチネンタルが破壊され支配人イアン・マクシェーンも路頭に迷いコンシェルジュのレディックが殺される。で、ドニーも含む組織の追手と真田率いるホテル従業員たちとの死闘が始まる。相変わらずセリフが少ないジョン、キアヌ・リーヴスだけど、ここでは、日本語で“メイワクカケテスマナイ”などと発する。真田の娘に扮するリナ・サワヤマも、くのいち風コスチュームだ。ここでは、やはり、旧友という設定の真田とドニーの対決が実現する。ドニーは盲目役なのだが、普段の行動では盲人としてのさり気ない演技を見せながらも、いざ、対決となると、目開き以上の立ち回りを見せる。仕込み杖を使うけれども、特段、座頭市風というわけではない。ジョンとケインの対決もあるがトラッカーの乱入で引き分け状態となる。結局、直接格闘対決はここだけなんだよな。ケイン相手にではないけど、ジョンはヌンチャクを振り回したりもする。で、ここで父を殺されたサワヤマは復讐を誓ったはずだけど、どうしたのかなと思いきや・・・ジョンは梅田駅からどうにか日本を脱出したようで、NYからベルリンに飛んで、組織への復活を図る?そのために対決するのがスコット・アドキンス?「イップ・マン」でも対戦したドニーも加わるけれど、アドキンスは別人の如し、メイクでブクブクになっていたのかな?こういう演技も出来る人なんだねと、ちょっと感心。そういえばウィックってロシア・ルーツの人なんだよなと思い出した。次の舞台はパリ。決闘をすることになる侯爵がパリにいるからってことだけど、エッフェル塔周辺のカーチェイスは本当にやったのかな。車が走る隙間をぬいながら展開されるアクションってのは新趣向だな。しかし、ジョンも結構車に当てられているのだけど、普通に起き上がるんだよな。屋上から落下して車の屋根にぶち当たるなんてのもあるけど、ジャッキー・チェンも平気だから?大丈夫なのかな。ジョンへの懸賞金がどんどん釣り上がり、ラジオDJがジョンの居場所を知らせて、あちこちの殺し屋が大挙してやってくるといった趣向は前作にもあったような。古い館内でのアクションは、最早、ゲーム感覚。頭上から俯瞰でとらえたカメラが、ジョンが次々殺していく様子を追う。ジョンも含め防弾スーツを着ているようで、敵方も結構至近距離で銃弾を浴びてもなかなか死なない。だから、頭とかを打ち抜かないとダメで、まるでゾンビ退治の様相。ジョンが何人殺しているかカウントする好きものとかいるらしいけど、これはいちいち数えちゃいらんないでしょ。決闘の場になる高台の寺院に至る階段でのアクションも新趣向。登ったと思ったら、そこに敵方が待ち構えていて、また下まで落とされて・・・スタントはいるのだろうけど、あんなにゴロゴロ階段落ちして満身創痍で、よく立ち上がれるもんだと呆れる。そこにケインが登場して助太刀。しかし、決闘の相手は、そのケインになるのだ。生憎というか中世風の向き合って銃を撃ち合う決闘だから、ジョンとケインの格闘最終対決があるわけではない。でも、お互い深手を負った末に・・・これで続編出来るの?やはり、インド映画並に蘇るのか、ジョンの弟でも登場するのか。そして、最後の最後にサワヤマが再登場・・・マクシェーン扮するホテル支配人は、ちゃっかり地位を回復、トラッカーは結局、何?犬も生き残る。決闘を仕切る爺さんがクランシー・ブラウンか。前作で登場したアナ・デ・アルマスが主役のスピンオフがあるそうで、そこにはキアヌもマクシェーン、レディック、アンジェリカ・ヒューストンらも登場するらしい。それはちょっと面白そうだな。まあ、とにかく、この1作はドニーの存在感が光った。とりあえずのシリーズ終了?とはなるのだろうから、機会されば過去3作を振り返ってみたいと思う。あと、この1作を再見する際は、どこだかの場面でジョンが広東語の粗口(ポッカーイとか?)を発していたそうなので、そこもしっかり聞き取りたい。
2023年09月22日
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CSムービープラスで「シティ・オブ・ジョイ」'92を。公開当時に劇場で観ているのだけど、正直、あまり印象に残っていなかった。のっけからインド人が英語セリフを喋るあたりに違和感があったのかも知れない。去年だか、デジタルリマスター版が劇場公開されたけれども、改めて観ると、これはなかなか悪くない1作だった。原作のドミニク・ラピエールという人は、あの「パリは燃えているか」の人?実体験に基づく内容なのだろうか。カルカッタにやって来たパトリック・スウェイジは、単に骨休みのために来たのか?それがポーリーン・コリンズ(「シャーリー・バレンタイン」の人だね)扮するイギリス人看護師に絆されて診療所を手伝うようになる。ボリウッド映画とは異なり、見事なくらいにバッチいところばかり映される。本当にカルカッタのスラムで撮影されたのかね?街の権力者による貧乏人搾取の実態は生々しいものがある。この映画のもう一人の主役と言えるのはオム・プリ。農場を奪われて仕事を求めて都会に出るが、車引きの仕事でかろうじて生計を立てる。家族思いだが体制には逆らえない。そんな父が、最後は娘のために捨て身の行動に出る。オム・プリ、インド映画のみならず、ハリウッドや特にイギリス作品でも印象に残ったけれど、6年前に亡くなってしまった。スウェイジは、「ダーティ・ダンシング」や「ゴースト」はあったけれど、まだまだアクション俳優のイメージが強く、この映画のオファーに喜んでノーギャラ出演とか。ダラス・カウボーイズ・ファンとか、アメリカンっぽいキャラながら、嫌味になる手前で抑えられている。診療所の看護師のコリンズがおばちゃんで、恋愛関係とかにならない点がよかった。イギリス出身のローランド・ジョフィが製作・監督。次作の「スカーレット・レター」の失敗で失速してしまったけれど、「キリング・フィールド」を撮っている監督だけに、ハリウッド臭くはない、比較的インドの地元に寄り添った内容にはなっていたかと思う。あの洪水の場面は本物なのかどうか。カルカッタあたりは、しょっちゅうあり得そうな感じはする。スウェイジは57歳で病死し、生きていれば71歳。本人が嫌っていたかも知れないアクション作でも、「ロードハウス」とか「ハート・ブルー」等は嫌いじゃなかった。アメリカとインドの惜しい早世役者たちに、改めてRIP。
2023年09月20日
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