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楽天でのブログ更新を停止してからのち、わずかではありますがアクセスがあります。また、時折、今までのブロ友の皆様も、覗いて下さるようです。そこで、新しいブログのリンクが常に1番初めになるように、もう1度、ここにリンクを貼っておこうと思います。As Time Goes By → ぜひ、こちらにお越しください
June 17, 2009
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ここから見る星がいちばん好きだとつぶやいたはしゃぎ声のなかでポツリ君が前だけを見て生きてたあの頃ずっと続くと思ってた ”今"この星空のように忘れないと誓ったよ忘れられない筈だから澄んだ春の風の冷たさにひかれて星を見てみる時々は君も見てるかな忘れないと誓ったよ忘れられない筈だから街は今日も踏みしめられて黙って人々を押し出してる僕は この喧噪のなかで星空を忘れている忘れようとしてる忘れられない筈なのに
March 25, 2008
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今日は私の好きな吉野弘さんの詩を…。吉野弘さん、著作権云々、どうぞお許しください。そして、いいなと思ってくださった方、ぜひ、吉野さんの詩集をお買い求めください。 祝婚歌 吉野弘 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派過ぎないほうがいい 立派過ぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうち どちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気づいているほうがいい 立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には色目を使わず ゆったりゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる そんな日があってもいい そしてなぜ 胸が熱くなるのか 黙っていてもふたりには わかるのであってほしい今日はむくみがひどく、眼が十分に開けられません。脚もパンパン。で、もう筋弛緩剤を飲んで、寝ることにします。おやすみなさい。今日の福井は暖かでした。とうとう、春がやってきたようです。
March 11, 2008
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お久しぶりです。皆様いかがお過ごしでしょうか。福井は、週末になると雪、強風が続いています。昨日は、停電までし、お昼だったのでさほど難儀はしませんでしたが、食事中の食卓が暗いのは嫌だったので、蝋燭をつけました。でも、暗い中のろうそくと違い、薄暗い中のろうそくでは、いまひとつ明るさが…(笑)。つけてもつけなくても、あまり変わりませんでした。ちんは、マネージャーをやっているバスケ部の練習試合でいませんでした。茶犬と二人、「いいな~。ちん、青春やな~」と言って羨ましがりました。なんか、みんなで体育館にいる時に停電になんかなったら、怖いとかキャ~とか言いながら、実はちょっとワクワクしてたりするじゃないですか。茶犬なんて、「夜でないのがなぁ…。ちょっと残念やな」とまで言ってました(←おいおい、自分の娘がどうなってもいいのかい?笑)しかし、帰宅後、ちんに「停電したやろ?」と聞いたら、「ううん。」と。どうやら、我が家近辺の地域だけだったようで、ローカルニュースに出てた「停電で信号機が作動せず」という映像も、我が家のほんの近所の交差点でした。来週は、もう、雪は降らないでほしいな。公立高校や、国立大の合格発表の時になごり雪が降る程度であって欲しい。毎年書いてしまいますが、思い出すのは「風」の「暦の上では」。卒業、という言葉にキュンと来てしまう季節が近づいていますね…。
February 24, 2008
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お久しぶりです。恒例の、「抹消されないための更新」です。昨日、よしみちゃんのブログで、拓郎さんの「春を待つ季節」のことが書かれていました。今日、カツオさんのブログでも、それを感じる部分がありました。福井は毎日、灰色の季節。青空が見れるのは、両手には余る、という感じ。でも、着実に星々は動き、季節は巡っている。今は、「春を待つ季節」です。2月に入ったら、なんだかこんなことを書く気分になれないかもしれないので、今のうちに書いておこう。これを書き始めた時は、まるで、もうすぐ春がくるみたいな気分でしたが、書きながらよ~く考えたら、まだ1月でした。勝負はこれから。病人には、暑い時、寒い時は、ひたすら忍耐なのです。今日は、11月22日に元憂歌団:木村充揮さんのライヴに行った時、知り合うことができた、芹沢さんが、このブログを探して、メッセージを残してくださったことが嬉しくて、更新する気持ちになれました。地球上だけでも、一生の間に出会えないまま終わる人がほとんど。僅かな自分の一生の中で、出会う人々というのは、絶対に偶然ではないと思ってしまう。道で歩きながらすれ違うだけでも、すごい確率だけれど、加えて、言葉を交わし、同じ時を共有する、というのは…。実際にお会いできなくとも、このブログで同じ時間を共有している皆様との出会いも、本当にありがたく、素敵なことだと思わずにはいられない。まして大宇宙。まして、数え切れないほど長い歴史の中で。
January 30, 2008
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2007年も終わろうとしています。私は幼少体験から、大晦日が嫌いなのですが、最近は、昔ほど淋しい気持ちにならず、改めて自分の今の幸せを考える日になっています。拙いブログにお付き合いくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。ここ最近には珍しく、大寒波のお正月になりそうですが、皆様どうぞよいお年をお迎えください。私も、来年の今日、また、同じ台詞が言えるよう、頑張って生きようと思います。ありがとうございました。
December 31, 2007
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申し訳ありません。恒例の「サイト自体を削除されないための、意味のない更新」です。おかげさまで、ボチボチやっています。風邪が流行っているようです。特に、インフルエンザは、やはり、どの特効薬も副作用の検証がまだまだです。皆様も、どうぞ、ご自愛ください。
December 9, 2007
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すみません。意味のない更新なのですが、時々やらないと、すべて消されてしまうので…。お気に入りに登録してくださっている方、お騒がせして申し訳ありません。
November 14, 2007
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突然ですが、私の勝手な理由から、このブログを無期限休止状態にさせていただきます。束縛が嫌いな自由人の私、この性格は今更自分でもどうにもならず、こんな場所でまで勝手させていただくこと、お詫びいたします。そして何より、こんな、つたないブログを覗いてくださり、コメントまで書いてくださった皆様、今まで本当にありがとうございました。皆様のコメントやメッセージに、どんなにどんなに力を戴いていたことか…。本当に、「とりあえずの決まり文句」でなく、心から、そう思います。ありがとうございました。また、どこかでお会いできたら、こんな幸せなことはありません。皆様も、お体にお気をつけて、楽しい毎日をお過ごしください。私も、ボチボチと生きながら、皆様のお幸せをお祈りさせていただきます。今まで同様、皆様のブログにはチョコチョコお伺いさせていただきますね。では、本当にありがとうございました。See you again! As Time Goes By
October 9, 2007
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突然ですが、私の勝手な理由から、このブログを無期限休止状態にさせていただきます。束縛が嫌いな自由人の私、この性格は今更自分でもどうにもならず、こんな場所でまで勝手させていただくこと、お詫びいたします。そして何より、こんな、つたないブログを覗いてくださり、コメントまで書いてくださった皆様、今まで本当にありがとうございました。皆様のコメントやメッセージに、どんなにどんなに力を戴いていたことか…。本当に、「とりあえずの決まり文句」でなく、心から、そう思います。ありがとうございました。また、どこかでお会いできたら、こんな幸せなことはありません。皆様も、お体にお気をつけて、楽しい毎日をお過ごしください。私も、ボチボチと生きながら、皆様のお幸せをお祈りさせていただきます。今まで同様、皆様のブログにはチョコチョコお伺いさせていただきますね。では、本当にありがとうございました。See you again!
October 9, 2007
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2~3日前から、ずっと「夜曲」を歌いたくて仕方がなかった。「臨月」というアルバムの、ラストの曲です。でも、今年は夏の終わりからずっと体調が悪く、朝はまだ調子がいいのですが、午後、時間が進むにつれ、リンパ耳下腺のあたりが突っ張ってきて生唾がいっぱい出て、吐き気、吐き気の連続。最近は、ギターを弾いていても手の筋肉が引き攣ってくるので、皿洗いや鍋振りなどの調理に差支えが出るといけないので、ギターを弾くのもためらわれていたのです。今日、少しでも良くならないかと近くの温泉に行って(公共施設なので500円で入湯出来るのです)、体を温めました。大して変わりないようですが、「きっとよくなる」と、少し気分が大きくなって、ようやくギターを弾くことができました。この曲の2コーラス目の「あなたは今も私の夢を 見てくれることがあるかしら」という1フレーズが、とても好きなんです。今日も、涙を流しながら歌い、茶犬とちんに「ひとり号泣」といって笑われました。とっても幸せな気分でした。みんなが笑うきっかけを、自分が作るのは本当に幸せ。私は、吉本か松竹に入ると良かったかも。学生時代、周りによく言われました。 夜曲 詞曲:中島みゆき 街に流れる歌を聴いたら 気づいて 私の声に気づいて 夜にさざめく 灯りの中で 遥かにみつめつづける瞳に気づいて あなたにあてて 私はいつも 歌っているのよ いつまでも 悲しい歌も 愛しい歌も みんなあなたのことを歌っているのよ 街に流れる歌を聴いたら どこかで少しだけ私を思い出して 月の光が 肩に冷たい夜には 祈りながら歌うのよ 深夜ラジオのかすかな歌が あなたの肩を包みこんでくれるように あなたは今も私の夢を 見てくれることがあるかしら 悲しい歌も 愛しい歌も みんなあなたのことを歌っているのよ 月の光が 肩に冷たい夜には せめてあなたのそばへ流れたい 街に流れる歌を聴いたら 気づいて 私の声に気づいて 心かくした灯りの中で 死ぬまで 贈りつづける歌を受けとめて あなたにあてて 私はいつも 歌っているのよ いつまでも 悲しい歌も 愛しい歌も みんなあなたのことを歌っているのよ 街に流れる歌を聴いたら どこかで少しだけ私を思い出して 思い出して
September 30, 2007
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しばらくブログを休ませていただきました。体調が悪く、少しだけ休もうと思っていたら、7月半ばから入院していた義父の容態が急変し、結局、そのままあっという間にあの世へ旅立ってしまいました。我を張って仕事を続ける私に、義父は出来る限りの理解と協力をしてくれた。私の仕事のことを、私の知らないところで自慢してくれていたことも、外から聞いて、初めて知りました。検査の結果が出て行くにつれ、もうダメだなぁという覚悟をし、そう思ったときから泣けるだけ泣いてきました。だから、葬儀ではもう泣くまいと決めていましたが、やっぱり考えると涙ぐんでくる。「あの嫁は、涙ひとつ見せない冷酷勝手な嫁」で通そう、どうせ、今後も今まで同様、ロクなことは出来ないんだから、と、涙が出ないよう、できるだけ生前の義父のことを考えないようにしました。さて、話は変わって。最近読んだ本の中に、浅田次郎さんの「月島慕情」があります。浅田さんのハートウォーミングな短編集。表題の「月島慕情」も、勿論いいのですが、私にとって「特別な」作品は「めぐりあい」というお話なんです。もう何年も前から、TVの恋愛ドラマには全くたなびかなくなっている私。昔は良く観た、いわゆる「月9」と言われるドラマなども、最初から「どうせ、主人公の○○と××が最後にくっつくんでしょ」と言う感じで、一生懸命観る気がしない。でも、この「めぐりあい」は、何回読んでも、泣けてしまうのです。いわゆる「恋愛モノ」なのですが。内容については、もしこのブログをご覧になったことによって、読んでみようと思う方のために、あまり語らないでおきますが、どんどん視力がなくなって、やがては盲人になってしまう病気の、マッサージ師さん(女性)のお話です。皆さんにとっては、呆れるだけの「のろけ話」で申し訳ないのですが、私はこれを読むと必ずその後で茶犬のことを考えます。普通の夫婦同様(いや、皆さんこうだと言ったら失礼か?)、喧嘩もよくするし、腹が立って仕方ないこともしばしば。しかし、自分の今の無能さ(嫁としても、妻としても、女としても、母としても)を思えば、茶犬に感謝し、自分は本当に幸福者だと考えざるを得ません。やっぱり、この世にきっと「純情」は存在する。「めぐりあい」には、それが感じられて、多分、何度も泣けてしまうのでしょう。そして、「純情」というものの存在が嬉しかったり、幸せ者だと感謝できない自分に落ち込んだりして、その複雑ないろいろに、いつもKOされてしまうのです。
September 26, 2007
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いよいよ、福井も秋めいてきました。秋といえば、今年は、毎年秋に1つ、ライフワークと決めていた仕事さえお断りしました。仕事もせず、そんなにいい主婦でもなく、ただ、毎日を生きている。もう少し頑張れば、本当は出来るんじゃないか、ただ、自分が逃げているだけなんじゃないか、…病気になって以来、この思いが1日たりとも頭から離れたことがありません。自分は精一杯生きているのか、誰かの役に立っているのか、迷いながら今日も生き、明日もまた生きると思います。そうやって、ある時振り返ったら、そんな自分の人生だった、というのでいいじゃない、と自分をだましながら。 僕が僕であるために 作詞:尾崎豊 心すれちがう悲しい生き様に ため息もらしていた だけど この目に映るこの街で 僕はずっと生きてゆかなければ 人を傷つけることに目を伏せるけど 優しさを口にすれば 人は皆 傷ついてゆく 僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる 別れ際にもう1度 君に確かめておきたいよ こんなに愛していた 誰がいけないとゆう訳でもないけど 人は皆 わがままだ 慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから 君が君であるために 勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 君は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる 僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる
September 12, 2007
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オフコースの曲には、私にとっては秋を思わせる曲が多いのですが、こうやって秋の曲、として書く時に、やっぱりどうしても無視できないのは、この「秋の気配」だと思います。本当にきれいな曲だと思いました。一生懸命、ギターをコピーしました。もうひとりギターがいると尚よかったのですが、いないので、得意の「ひとりで演奏→録音→テープ再生しながら別メロを弾き、それをまた録音」という、ビンボーくさいことを繰り返していたのを思い出します。音って面白くて、映像がないと、床を叩いたり机を叩いたりするだけでも、うまくするとパーカッションになるんですよ。ただ、当時の安いカセットテープレコーダーでは、再生速度が正しくないこともあって、同じギターで弾いていても、録音したのを再生しながら弾こうとすると、微妙にチューニングがずれてたりしました(笑)。そのたびにチューニングし直しまでしなくちゃならない、という、今はもう絶対に出来ないな、と思うようなヒマな事を、よくやってました。特に、中3の夏以降、部活を引退してからは、時間がたっぷりある。NHK-FMの「軽音楽をあなたに」が聴けるくらい早く帰宅できる。もう、絶好の趣味タイム。高校に入学して、帰宅が9時ごろになるまでは、毎日、本当に楽しんでました。で、秋の気配。いつものことながら、好きな曲の歌詞にある場所に行ってみたくなる私は、大人になって初めて「横浜」なる所へ行った時も、当然、「港が見える丘公園」へ行っちゃいました。でも、これもまたいつものことながら、あまりにも自分でイメージしすぎてて、「あれ?大した事ないな」と思ってしまうのです。バカ。 秋の気配 小田和正:作詞 あれがあなたの好きな場所 港が見下ろせるこだかい公園 あなたの声が小さくなる 僕は黙って外を見てる 目を閉じて 息を止めて さかのぼる ほんのひととき こんなことは今までなかった 僕があなたから離れてゆく 僕があなたから離れてゆく たそがれは風を止めて ちぎれた雲はまたひとつになる 「あの歌だけは 他の誰にも 歌わないでね ただそれだけ」 大いなる河のように 時は流れ 戻るすべもない こんなことは今までなかった 別れの言葉をさがしている 別れの言葉をさがしている ああ 嘘でもいいから ほほえむふりをして 僕の精一杯のやさしさを あなたは受け止めるはずもない こんなことは今までなかった 僕があなたから離れてゆく
September 8, 2007
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この曲は、ちょうど中学の文化祭の頃に流行っていました。学校中で、この曲や「君の瞳は10000ボルト」が流れていました。この曲もよかったし、その頃、焼酎の「樹氷」か何かのCMに流れていた「グルービー・ガール」も好きでした。柳さんの曲で好きな曲というのも、多すぎて選べないなぁ…。それにしても体調が悪い。もう2週間くらい、ず~っと結膜炎が続いていましたが、今日は、それに加えて多分口内炎から来る、顔面腫脹。お昼ごろ、シャワーからあがったら、いきなり右側の頬が、まるで歯医者さんで麻酔を打たれたかのように、なんだかこわばって感覚がない。はじめ、脳梗塞か、と思い、皮膚を爪でつねってみたら痛かったので、ほんの少しだけ安心。しかし、鏡を見ると顔はパンパン、学校祭が終わってなぜだか半ドンで帰宅した娘のちんに、「藤川球児(阪神の守護神です)」みたい、と言われました。もう、いやだ。仕事での成功も、キレイだと言われることも、もう諦めて、ただ、平穏な生活を送りたいだけなのに。夏の疲れだろうとは思いますが、こんな時に限って、舅が7月半ばから入院中で、未だ症状の原因が特定できず。月曜日は、舅を別の病院の血液内科に連れて行き、1日、介護で疲労困憊。車椅子に乗りたいのはこっちの方だよ~、と思いつつ。人の愚痴って、聞いてて全然楽しくないですよね。ごめんなさい。でも、もう嫌なんだ。病気と闘ってがんばる人になんかなりたくない。かといって、家族に迷惑はかけたくない。でも、実際、次から次へとわけのわからない症状に襲われる。もう、嫌なんです。
September 6, 2007
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秋の曲は多すぎて、絞りにくいのですが、まずは、ユーミンのこの曲から。秋といっても、私の中では夏の終わりくらいから冬の直前まで、それぞれでイメージする曲があるので、本当に絞りにくい。私の中では、まずは夏の終わりにユーミンの「晩夏」から始まっているのです。そして9月に入り、「ああ、もう秋だなぁ」と思う頃に、この曲が来るんですね。最初、いきなりギター・ナイロン弦の「ジャララ~ン」という音が良い。この曲を、あまり人気のない、海水浴場としてはマイナーな(もしや遊泳禁止かも?)、ある福井県内の砂浜に腰掛けて歌うのが好きです。そういうことがしたいばっかりに、「ギタレレ」なるもの(ギターなのですが、ウクレレの大きさ)を、いつも車に積んでいます。茶犬と、「帰らない」のはどこなのか、場所なのか、時間(過去)なのか、と議論(大げさな…)したことがありました。皆さんはどう思いますか? 9月には帰らない 作詞・作曲 松任谷由実 9月には 帰らない ただひとり 残っても 明日あたり 燈台へ 波しぶき 見に行こう 未来が霧に 閉ざされていた頃は この潮騒が重すぎて 泣いた 今はもう 負けないわ 9月には 帰らない 無口な人は 夏の日のはかなさを うまく言えずに バスの窓おろす 今はもう 負けないわ 9月には 帰らない 9月には 帰らない
September 5, 2007
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今日のなぎらさんの番組はRCサクセションでした。ひと夏の疲れでここ1週間ほど結膜炎の繰り返し。それでも昨日も、なんやかんやと寝るのが2時ごろになってしまって、疲れてました。でも、朝からRCの曲が2曲も流れて、いっぺんにゴキゲンになりました。番組で流れたのは「宝くじは買わない」と「僕の好きな先生」でした。 どちらも大好きな曲ですが、そのほかにも、 この季節になると毎年聴きたくなるのが 「甲州街道はもう秋なのさ」と「夜の散歩をしないかね」です。ちょっと、秋の曲シリーズでもやろうかな。私の青春は80年代なので、どうしても、好きな曲だけでなく「思い出の」曲となると、80年代の曲になってしまうのですが。朝晩が過ごしやすくなってきました。夏の疲れがとれたら、きっと体力も戻るはず。秋を満喫しようと思っています!
September 2, 2007
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25日土曜日の午後、19日に開催された一里野音楽祭の録画放送がありました。一里野というのは、石川県の岐阜よりの山間部にあって、冬は温泉スキー場で人気のあるところです。おそらく町おこしの一環として、夏に野外ライヴを始めたのだと思います。もう何年も前から毎年夏にやっています。無料だし、私も、行ける時には行くようにしてました。家から車で2時間ほどのドライヴです。会場が広いだけに、いつもわりと「スキスキ」なのですが、前に、南こうせつさん、世良正則さん、沢田知加子さんが来られた時には、おそらく町もビックリで駐車場などの対応が間に合わなかったほどの人出があったこともありました。その時もホントによかった。世良さんもギター1本で「銃爪(ひきがね)」とかかっこよかったし、観客とこうせつさんとの「一体感」がすごくよかった。久しぶりに沢田さんの「会いたい」もよかったし。今年は、なんといっても南佳孝さんと山下久美子さんが来る!というんで、何があっても行かなくては、体調のことは言ってられない、と思っていましたが、その日は、ちんが部活や塾で私が家を空けることができず、やむなく断念。だから、録画放送を楽しみにしていました。当日は雨の中、山下久美子さんも南佳孝さんも、ずぶぬれになりながらも相変わらずのGoodな演奏でした。山下さんはヒット曲の「バスルームから愛をこめて」をまるでシャワーを浴びながら歌っているかのような感じで(だって雨に濡れてたもの)しっとりと歌ってくれたし、佳孝さんはギターメインにパーカッション、というシンプルでカッコイイ演奏を。私はいっぺんに「ゴキゲン」になりました。それにしても、佳孝さんのギター。サウンド的にはアコースティック(スチール弦)の音に聴こえた気がしたのですが、糸巻きがクラシックギターのような糸巻きで、でも、エレアコなのかホールが開いた分厚いギターボディでもなく、不思議でした。カッコイイ色およびデザインでしたが。来年は誰が来てくれるのでしょうか?その時、野外ライヴに耐えうる体調であることを祈って。いや、そう「する」のだ!その前に、三国(福井県坂井市三国町)のブルースライヴに誰が来てくれるのか、あ、その前に、せっかくチケット取れた拓郎さんを観に行かなくちゃいけないし…。そのためには絶対に体調を整えなくては!今日は朝から体調がいいので、何でも出来る気がしてる。猪木さんの「元気があれば何でも出来る」というのを、ホント、実感する毎日です!
August 26, 2007
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今日の車中のCDは久々振りにユーミンを選びました。聴いていたら、「青いエアメイル」が流れてきて、やっぱりこの曲はいいな、としばし感慨にふけりました。ユーミンの曲で好きな曲はたくさんあるけれど、この曲は1位2位を争うほど好きかもしれない。今のお連れ様が初恋の方は幸せですね。でも、たいてい、今のお連れ様とともに歩んでよかった、と思っていても、それとは別に、若い頃にはそれなりの恋もあったことでしょう。普段は幸せで、忘れているけれど、思い出すと切なくなるような…。そんな、すべての方へ。 青いエアメイル 詞曲:松任谷由実 青いエアメイルがポストに落ちたわ 雨がしみぬうちに急いでとりに行くわ 傘をほほでおさえ待ちきれずひらくと くせのある文字がせつなすぎて歩けない ときおり届いたこんなしらせさえ やがてはとだえてしまうのかしら けれどあなたがずっと好きだわ 時の流れに負けないの 冬は早く来る あなたの町の方が 最後に会ったときのコートを着ていますか 5年 いえ8年たってたずねたなら 声もかけれぬほど輝く人でいてほしい 選ばなかったから失うのだと 悲しい想いが胸をつらぬく けれどあなたがずっと好きだわ 時の流れに負けないの けれどあなたがずっと好きだわ 時の流れに負けないの
August 21, 2007
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今日、また NHK BS2 でつま恋ライヴを放送してました。観たいけど、茶犬が観たい「広島ー阪神戦」と重なっていたし、自分はDVDに録画したものを嫌というほど観ているのだから、また観たいとは言い出せなかった。でも、阪神戦が思うより早く終わって、しかも、阪神戦が終わるか終わらないかのうちに、 茶犬は飲んで眠りだしてしまいました。で、また観たわけです。で、また流涙です。もう、何回観たことか、そして、そのたび流涙。最近は、毎回「いくらなんでも、もう大丈夫だろう、もう、涙は出ないだろう」と思って観るのですが、結果、やっぱり流涙。今日も、「いくらなんでも」と思って観始めたのに、チャンネルを合わせたとき、ちょうど正やんの「置手紙」のイントロで、歌い始めたらすぐに流涙。やっぱりちょっとだけ目覚めた茶犬と、ちんの2人に呆れたような目で見られたので、非常に恥ずかしかったのですが、出てしまうものはしょうがない。なんでだろう。なんで、何回観ても流涙なんだろう。この歳になって、こんなに好きなものが出来るとは思ってなかった。もう、何に対しても、そこまで気持ちが盛り上がることはないと思っていた。最近は、筋肉の引き攣りがひどくなってきたので、ずっとギターを弾けずにいて、ストレスがたまってました。おととい、ちょっと調子がいい気がして、10分ほどだけ弾きました。途中からは攣り始めたけれど、弾き始めると、せめてその曲が終わるまでは止められない。尾崎さんの「僕が僕であるために」「シェリー」、ビートルズ「The Long and Winding Road」の3曲だけしか弾けなかったけれど、すごくすごくいい気分でした。私の中で、こんなにギターの存在が大きなものだったとは、知ってたつもりでしたが、ここまでとは思ってなかった。私の場合は、このエネルギーが恋という方向には向かないわけですが、これが恋に向いたなら、この歳になっても何もかも捨てるような恋をする人の心境がちょっと判る気がしました。前は、まったくわからない、と思っていましたが。さぁ、私の「つま恋流涙」はいつまで続くでしょう?
August 17, 2007
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さて、夏の曲に戻って。今日は、暑くて、ムンムンの体育館でのバレーボールの練習を終え、バイト先に向かう時や、バイトが終わっての帰路などで、ホッとしながらご機嫌に聴いていた曲を紹介します。さして爽やかでもないのですが、大抵、部活が終わってとか、バイトの帰りなんていうのは夜なんで、夜にいいムードの曲なのかもしれません。それは、SADEの「Promise」というアルバムです。特に、「Jezebel」なんかが好きでした。SADEというのはイギリスの一応4人組のグループですが、実際はSADEという名前の女性ボーカルのひとりかと思うくらい、ボーカルの存在感が大きいのです。イギリスですが、ブリティッシュ・ロックやフォークではなく、黒人で、どちらかというとブラック・コンテンポラリーやジャズに近い感じ。最初、「DIAMOND LIFE」というアルバムでデビューした時、「なんだ、これ、いいな」と思いましたが、2枚目の「PROMISE」はもっとムーディー(ムーディ勝山さんとはカンケーなし笑)なんです。1枚目はポップな感じでした。当時、バンドをやっていた私は、SADEの、サックスの音とハモるボーカル、というのにすっかり魅せられて、自分のバンドでも、楽器の音とボーカルがハモる、というのをまねしたくて仕方なかったのを覚えています。明日は、お盆休みの中で、ようやくお墓参りも布団干しやシーツの洗濯もなく、本当にフリーな1日。嬉しいです。まるですべて自分がやったかのような言い方ですね。実は布団干しは、私が今、筋肉が引き攣って力仕事が出来ないので、茶犬が全部やってくれたのですが(笑)。昨夜は、昼にコックンさんのブログで「ペルセウス座流星群」のことを思い出して、茶犬の実家からの帰りにちょっと星を見てみました。短い時間でしたが、とりあえず、1つは流れ星を観ました。昔、星を見るのが大好きだった。私たちの世代には多いんじゃないかなぁ。天体望遠鏡なるものにものすごい憧れを持っていたし(だってお金持ちの子の象徴的な持ち物だったもの)、プラネタリウムなんかもよく行きました。自治体がやってたのでタダだったから、ビンボー人でも行けた。今でも、なんとなく、流れ星に出会うとラッキーな感じがして嬉しくなる。もう、昔のように一生懸命願い事を3回唱えなくなってる、夢のないおばさんにはなったけれど。
August 14, 2007
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夏の曲特集(大げさな…)の途中ですが、茶犬が宮城へ出張したことを書いて欲しそうなので、今日は夏の曲は一休みして茶犬の報告をさせていただきます。茶犬は仙台出張と言っていましたが、正しくは「登米(とめ)」という所でした。お偉いさんたちが喜ぶように、七夕の日に設定したのかと思っていたら、お偉いさんたちは七夕へは行かなかったそうな。で、向こうの担当の方に紹介して連れて行ってもらった料理屋さんで、それはもう新鮮な魚介類(ほや、かき、マンボウなど)をおなかいっぱい(?)堪能してご機嫌だったようです。もちろんおいしい地酒をいただいたそうですが、銘柄は覚えていないとのこと。翌日は、当然七夕に行くのかと思いきや、お偉いさん方は花はすを見に行きたいとのたまって、おやじ(老人含む(笑))4人で遊覧船。なにが嬉しいんだか、4人が4人ともひたすらケータイで写真や動画撮影。ほとんど会話さえないまま、遊覧船に揺られたそうな。しかし、ほやは苦手な人は苦手だと聞きます。実際、登米の担当の方も、お二人とも苦手で召し上がらなかったそうです。そんな中、茶犬はいたく喜んでました。ほやがホントにおいしかったようで。そういう話って、いっつも家を守る(娘を部活に出し、塾の送り迎えを続けていた)私にとっては、「あ、そう。」と冷めた気持ちで聞いちゃうんですよね。私も大人気ないなぁと思いますが、出張前日また一方的に逆上されたばかりだったし。逆上したほうはそれでスッキリするみたいですが、当たられた私は…。それでも、痛い体に鞭打って、ちゃんと駅まで送迎したんですよ!しかも、仙台へ向かう前夜、東京で会う友達に何か簡単な手土産を、という私の意見を振り切って手ぶらで行ったのです。でもやっぱり東京で友達にお世話になったようで、向こうから友達に牛タンを送るとかで、年賀状捜して住所教えてくれ、電車の時間がないから急いでくれって、そんな願いにも応じたんですよ!はい、やっぱり茶犬の報告よりも私の愚痴になりました。今日は、私の推測が的中して、茶犬のお父さんの病状が思わしくないことを知ってかなりショックでしたが、愚痴言ってる間は忘れていられました。お父さんが駄目になると、茶犬のお母さんは車が運転できません。買い物に行くにも、耳鼻科や眼科に行くにも、誰かが乗せていかないといけなくなります。誰かって一人しかいませんよね…。とうとう、この問題が現実化してきたか…。追記忘れてました。茶犬が言うには、宮城は美人が多かったそうです。茶犬はいつも、東京・大阪・名古屋などでは、「ヒット率が低い」と言っているので、本当に宮城は綺麗な人が多いのでは?ちなみに、茶犬の言う「ヒット率」とは、女性全員に対する美人の出現率です。都会へ行くと、こんなに人が多いのに、なかなかいいのがいないと言っています。女性には大変失礼な意見ですよね!
August 9, 2007
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免許とりたての大学時代、私は、スカイラインの通称「ケンメリ(ケンとメリーのスカイライン)」に乗っていました。別に乗りたかったわけではないのですが、家が田舎で公共交通機関に制限があり、しかもビンボーだったので生活費を稼がねばならず、そのためには車が必需品だったのです。スカイラインというと聞こえはいいですが、車好きな兄がポンコツのケンメリをローンで買ってしばらく乗り、自分は別の車に乗りたくなったがローンが残っているので、そのローンごと私に押し付けてきたというだけのこと。ちなみに兄はもう働いていましたが、家に生活費さえ入れてませんでした(愚痴)。そんなわけなので、エアコンは壊れているし、ラジエータの水は、3時間も駐車したら、戻って来た時にはもう2Lはもれてる、という状態。私は、いつも車に、大酒飲みだった父の「サントリー・レッド」の2Lボトルに水を入れたものを3本積んで走ってました。授業に出るために駐車した時点で1本、バイトから帰る時に1本、という感じで補充(涙)。ちなみに、当然バッテリーも古く、交差点の真ん中でバッテリーが上がってエンジンがかからなくなり(右折待ちをしていて、エンストしてしまったのです)、立ち往生で大恥をかいたこともありました。夏、授業や部活が終わってバイトに行くために車に戻ると、車の中は蒸し風呂。エアコンが効かないから窓を全開にするのですが、生暖かい風が舞うだけ。その、暑い暑~い車のカーステレオで、聴いていたのがサザンの「人気者で行こう」なのです。夏っぽいのは「海」などでしょう、実際にサザンの曲の中で人気もありますが、私はなぜか、暑さがさらに増すような「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」とか、「夕方 Hold On Me」、「女のカッパ」なんかが好きです。とにかくこのアルバムは、すべてが「暑い」夏の思い出。どの曲を聴いても暑くらしくて、そして涼しい気持ちになる、という、私にとって不思議なアルバムになりました。次は、この暑い暑~い車でバイトに行って、夜、少しは涼しくなった車内で聴いていた曲を紹介します。
August 8, 2007
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先週、福井もようやく梅雨が明け、明けたかと思ったら連日の真夏日です。夏と言えば、思い出す曲がいくつかあります。しばらく、それについて書いていこうかと思います。まずは、矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」。中学の頃です。私は、学生時代はずっとバレーボールをやっていましたが、高校・大学はいわゆる「チンタラ」部で、大学時代に至っては「キャバレー部」とさえ言われる始末でした。でも、中学時代はお正月の3ヶ日しか練習の休みはなかったし、練習もハードで平均身長の低い田舎のチームとしては大会でも好成績だったのです。ちなみに、元全日本のエースだった中垣内君は、同じ中学の2年下の後輩でした。入学して来た頃は、彼はまだ私とそう変わらない身長でした。暑い中でのキツイ練習。朝から弁当持ちでバレーの練習をし、それが終わると、3時から市の連合体育大会の陸上練習。これがまた、西陽の暑い中、キツイキツイ。1日の練習が終わって、夕方6時半ごろにはようやく少し涼しくなってきます。グランドの石段に腰掛けて少し涼んでいると、頭の中に流れてくる「時間よ止まれ」。当時、私の中でほんとに新しかった。このメロディーは。こんなに綺麗な、そして複雑なコード進行の曲をどうして思いつくんだろうと、別世界に行ったような気持ちでした。「思い出になる恋と 西風が笑うけれど この女にかける」…結局、思い出になるんだろうな、と、わかっていても止められないような恋は、多分、いえ、絶対、もう出来ない。ちんには、「おばさんになると、だんだん、現実にあわせて妥協さえする恋愛になりがちだから、せめて高校生くらいの若い時は、好きだな、と思う気持ちだけを大切にしたほうが良いよ」と言っています。それなのに気がつくと、ちんの恋に対しても、学校の環境だとか、相手のモテ加減とちんのレベルだとか、そういう、条件的なことをすぐ考えてしまう、おばさんの私。いやですね~(笑)。
August 6, 2007
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オンエアの時、観れなかった「フォークの達人:長谷川きよしさん」と、「泉谷しげるさん」が、昨日NHK BShiで再放送されるのを茶犬が発見して、ビデオに録ってくれました。で、今日、観ましたが、まずは長谷川きよしさんから書こうと思います。長谷川さん、全然変わってない、と言いたいところですが、やはり寄る年波には勝てないようで、あのさらりと伸びたロングヘアーは少しちぢれてちょっと髪は年齢相応になったかな、と言う感じ。でも、美声は相変わらずで、やっぱり唱はうまかった。大きく分けると因幡晃さんも同じグループかと思うのですが、甘い歌声です。そして、眼が見えないとは信じられないほどギターがうまい。この人は、いわゆるアコギじゃなくて、ガットギター(ナイロン弦)を弾きます。曲がボサノバタッチのものが多いからでしょうか。私が苦手とするリズムなので尚更、すごいうまいと思ってしまいます。曲は、1曲1曲はそれぞれかっこいいし、いい曲なのですが、やはりずっと続くと少々飽きてしまうところがありました。途中で椎名林檎さんとハモる場面があって、少しそれで気分転換になりました。なにせ、長谷川さんは無口であまりMCがない。だから、演奏曲は今までのフォークの達人の中で1番多かったのでは?と思うほど。そして私は、私が長谷川さんの曲を聴いた最初の曲である「別れのサンバ」が、やっぱり懐かしくてよかったです。最後に「黒の舟歌」を演ってくれたのですが、この曲は、他の長谷川さんの曲とはちょっと曲調が違う、へたすると演歌っぽい曲なので、ボサノバタッチの曲が続く中、逆に新鮮でよかったです。そういえば、中津川でこの曲を歌っていたような…。ホントに、’71中津川フォークジャンボリーは多彩な顔ぶれ、そして多彩な音楽ジャンルでした(当然、私は行った訳じゃありませんが)。
August 1, 2007
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長渕剛さんの新作アルバムを聴きました。お父さんが亡くなって、自分の中に変化があって、故郷である鹿児島に帰ってそれが何であるかを考えようと思い、桜島ライヴをし…。ご本人のそういうコメントを何かで見て、「これは聴かなくちゃ」と思いました。もともと、昔は長渕さんのコンサートには毎年行ってました。そして、コンサートに行くと必ず「帰ってからギターを弾くぞ!」という気持ちになりました。今でも、「逆流」や「暗闇の中の言葉」、「祈り」などは、私が酔っ払って泣きながらギターを弾く曲の定番です。「時代には僕らに雨を降らしてる」くらいまでは、新作アルバムが出るたびに聴き、コピーしてました。でも、長渕さんは映画「オルゴール」「英二」あたりからちょっと変わってしまい、自らもドラッグ使用で逮捕されたりして、すさんだ感じになってしまったと思うのです。その頃から逆に、その前とは違った層のファンは増えていった気がするので、ミュージシャンとしてはそれでいいのかもしれませんが。今回の「Come on Stand up」も、私が勝手に思っている「変わってしまった」長渕さんのままのイメージの曲も多々ありました。でも、「これってハイロウズっぽい?」とか「ギンギンロックだな」と思えるような、それまでの曲調とはちょっと違うものもあったし、「ああ、昔から変わらない長渕さんのスローバラードだな」と言う感じの曲もあったし、そんなことから、何かいい意味でこだわりがなくなったというか、肩に背負っていた荷物が軽くなったんだなというか、そんな変化が見えました。「鶴になった父ちゃん」は、亡くなった彼のお父さんへの思いを例えではなく、直接素直に歌った曲、と言う感じです。お父さんとのことについては、詳しくは知りませんが、お父さんが警察官で、長渕少年は悪さばっかりして警察のお世話になることもあったように聞いています。誰でも、その人なりの事情を含んで、自分の親への思いは深いと思いますが、この話がもし本当であれば、彼のお父さんへの思いもまた、他人には分かり得ない、いろいろなものがあるでしょう。なんてことない彼のよくあるパターンの曲なのですが、私も数年前に父を亡くしたせいもあるのか、すごくジーンときました。多分、アルバムのために作ろうとして作った曲じゃなくて、彼の心の叫び。だからこそ、響いてくるんだと思います。昔は、みんな、最初「父ちゃん」「母ちゃん」と呼んでいませんでしたか?私も、当然のように「父ちゃん」「母ちゃん」でしたが、小学校に上がって、作文を書くときに「父ちゃん」「母ちゃん」と書くのが恥ずかしくて、でも、自分が言ったせりふなどを「お父さん」とか「お母さん」に書き換えて嘘を書くようなのが嫌だと思って、意図的に「お父さん」「お母さん」と呼ぶようにしたのを覚えています。 鶴になった父ちゃん 長渕剛 詞曲 もしも も一度 逢えるならば 父ちゃんに やっぱり 逢いたい あの日のでっかい背中にしがみつき おもいっきり 甘えてみたい 幼い俺を 父ちゃんはバイクに乗せて 宮ヶ浜にいつも連れてってくれた 浜の西に沈む 夕陽が赤く揺れていて 海よりも限りなく優しかった 俺の父ちゃん…ただ生きていてくれるだけで 本当は 本当は よかった 俺の父ちゃん…最後の最後まで 俺の名を呼んでくれたよね 俺は今 国道3号線をとばし 東シナ海を左に見て山並ハイウェイ 米野津川を渡り 記憶をたどれば 出水 高尾野の原野に雪が降る 父ちゃん綺麗だなあ 1万5000羽の鶴の群れたちがシベリアから飛んできたよ 父ちゃん綺麗だなあ 雪降る空から今 天使のように一勢に舞い降りているよ もしも も一度 逢えるならば 父ちゃんに やっぱり 逢いたい 澄みわたる冷たい風の中で おもいきり あたためて欲しい さらに高尾野の原野に降り積もる しんしんと しんしんと 雪が降る 白銀の空から舞い降りてくる鶴よ お前の命の叫びがうれしい! 俺の父ちゃん…ただ生きていてくれるだけで 本当は 本当は よかった 俺の父ちゃん…最後の最後まで 俺の名を呼んでくれたよね 大切な人と もう二度と会えなくなったけど これ以上もう 泣くのは止めちまおう この世で一番俺を愛してくれたから ずっとずっと俺の心に住みついているから 父ちゃん綺麗だなあ 1万5000羽の鶴の群れたちがシベリアから飛んできたよ 父ちゃん綺麗だなあ 雪降る空から今 天使のように一勢に舞い降りている。
July 29, 2007
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今日、家の呼び鈴がなったので、私はまた、宗教の勧誘かはたまた家のリフォームの営業かと思い、うんざりしながらインターホンに出ると「郵便局ですが小包です」と言う。「誰から…」と思いつつ、受け取ると、なんと、カツオさんからの贈り物でした。仙台と言えば笹かまぼこ、一応茶犬が帰ってくるまではこのままにして、茶犬にも見せよう、と思っていましたが、学校の補習から帰宅したちんが、「おなかすいた」と言って、笹かまぼこを次々と食べまくり。それを見ていたら私もどうにも食べたくなって、「母ちん(家では私は自分のことをこう言っている)にも頂戴」と、一緒になって食べてしまいました。茶犬が帰宅する頃には、この笹かまぼこのセットはもう原形を留めていないでしょう。食べてしまってからブログに書こうと思いついたので、写真を撮ることが出来ず、これはネットで探したものなので、実際のセットとはちょっと違うのですが。若い頃、2週間東京で研修を受け、後の2週間は伊豆熱川で、という計1ヶ月の研修を受けたことがありました。そのとき、たいていの人は2週間終了した時点で一旦地元へ帰り(私は残っていましたが)、あとの2週間が始まる日に、東京駅銀の鈴の前で待ち合わせて、みんなで踊り子号に乗って伊豆に行きました。毎日毎日、受講メンバーで飲んでばっかり、研修時間は多分まだアルコールが抜けてない状態で眠気との戦いでした。そのとき、日本鋪道さんの仙台支社から参加していた方が、前半終了後に1度仙台へ帰って、お土産に、と、笹かまぼこを持ってこられたのが私が仙台の笹かまぼこを食べた最初です。伊豆で、仙台の笹かまぼこをあてにして飲む、最高でした。ところで、8月の6・7日になんと茶犬が仙台へ出張することになりました。茶犬の会社の仙台の事業所に監査に行くお偉いさんの鞄持ちです。茶犬の会社は会計的には基本的に1つ1つ独立した事業所ということになっているのですが、結局は人事など業務の上では、つながっているのです。所詮、鞄持ちだから気が楽だし、仙台行けるし、うらやましい。しかも、わざわざ5日から東京まで前のりして、東京にいる学生時代の友達と飲む、って、もう、ホントに羨ましくて憎まれ口が出そうになる(いや、もう、出てる?)。
July 25, 2007
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やっと、パソコンを買いました。前のパソコンはWindows Meで、 1.ちんのケータイとのデータのやり取りに対応して いない 2.ちんがリンゴ君との交信に必要なSkypeに 対応していない 3.メモリが少なすぎてネットがスムーズに行かない 4.仕事で同時にいくつかのアプリケーションを使うと しょっちゅうフリーズして仕事がパアになる 5.映像好きの茶犬がネットを利用して映像を楽しむのに不自由する 6.パソコンデスクが畳の上に正座するタイプなので、最近 特に筋肉が 引き攣りやすくなってきた私は、必然的にあまりパソコンを使えない。 その体勢から全身の引き攣りにつながりやすい。などの不自由がありました。それを解消するには、新しいパソコンを買うしかないのは間違いありませんが、ノートパソコンを買って無線LANにし、私の体が比較的楽な体勢で使えるようにする(これは家族にとっても、好きな場所でパソコンが使えてよい)ことが必要だと考えました。そうすれば、新たに机とか椅子とか買わずに済むし(なんたって、狭い我が家ではその場所の確保が大変だ)、急いで前のパソコンからデータやアプリケーションを移動させなくても、ボチボチと必要なものから移動していけばよい、と思いました。ただ、今Windowsを買うとVistaになるのは必至、春ごろはまだ、不具合もよく報告されていたので、夏モデルまで待とう、そうすれば、ずいぶん不具合部分を修正してくるだろうと思い、夏が来るのを待っていました。でも、肝心の夏モデルが出てきた頃には私の体調が思わしくない日が続き、電気屋さんへ足を運ぶことが出来ずにいました。よくなるのを待っていても、この状況は変わらないだろうと決心し、先日電気屋さんへ行ったのです。大体のところは電気屋さんのチラシやネットで情報を収集して、最後いくつかに絞ってからお店に行きました。快適です。前のパソコンではYou Tubeなんか、3秒に1回くらい止まっていたし、仕事でいくつかのアプリケーションを平行させながら作業していると、途中でフリーズなんてのはざらで、それまでの仕事が台無し。新しいパソコンは、今のところは大丈夫で、メモリが足りているようです。実家の母のパソコンはWindows XPで、とりあえずSkypeはできたので、母のパソコンを借りてきて、それにネットをつないでいましたが、それではブログ画面はなぜかうまく表示されず、見えないまま今までの感覚でクリックしては更新や書き込みをしていました。今は、バッチリなので皆さんの写真の美しさに、皆さんの写真の腕やカメラの性能がいかに素晴らしいか、再認識しています。でも、快適になったらYouTubeも飽きたのか、それともたまたま今の私の体調がよくないからか、まだネットサーフィンしてまで楽しんでません。しかも、ちんも、リンゴ君とはサヨナラしたそうで(なんでもリンゴ君にほかに好きな人が出来たそうな)、Skypeはリンゴ君との更新にのみ利用していたのでとりあえず今は必要なし。世の中、こんなもん!?手に入らないものが、欲しいんですね、結局。とりあえず、ご報告まで(*^^)v。
July 22, 2007
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今日の福井は台風が去りましたが、相変わらずの曇り空。時折霧雨の降る1日でした。でも、さっき、夕方ほんの30分ほど、夕陽が差しました。平凡な休日の夕暮れ。今日は祝日で月曜ですが、昔の日曜だったらTVでサザエさんをやっていて、ちゃぶ台に正座してご飯を食べてるような平凡で平和な夕暮れ。昨日は朝から胃痛と下痢でダウンしてしまった私ですが、昨日おとなしくしてたので、脅威の回復力で今日は何とか元気が出ました。そうすると、遊び好きの私が黙ってはいられません。行きたかった「花はす公園」に行かなければ!で、行きも帰りも車中で「高田渡さん」三昧(小豆さん、ホントにありがとうね)。帰りにちょうど陽が差した頃、「夕暮れ」が流れました。私が、東京に行くと必ずいく、上野アメ横の小さな一杯飲み屋があります。多分、夏も冬も戸は開けたまま、相席は当たり前の汚い店です。でも、そこは安くておいしくて(500円も出せばマグロのぶつ切りが食べれます)、特に、そこの生ビールはなぜかこの上なくおいしいんです。渡さんの「夕暮れ」に出てくるお店は、きっとあんな店だろうと決めている。今日も1日働いて、今日も1日生きたと一息つける店。 夕暮れ 原詩:黒田三郎 曲:高田渡 夕暮れの町で 僕は見る 自分の場所からはみ出してしまった 多くのひとびとを 夕暮れのビヤホールで ひとり 一杯のジョッキをまえに 斜めに座る その目が この世の誰とも交わらないところを えらぶ そうやってたかだか三十分か一時間 雪の降りしきる夕暮れ ひとりパチンコ屋で 流行歌のなかで 遠い昔の中と その目は 厚板ガラスの向こうの 銀の月を追いかける そうやってたかだか三十分か一時間 黄昏が その日の夕暮れと 折りかさなるほんのひととき そうやってたかだか三十分か一時間 夕暮れの町で僕は見る 自分の場所からはみ出してしまった 多くのひとびとを
July 16, 2007
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お久しぶりでございます。おかげさまで、少し落ち着いてきました。まだ、「一触即発」という感じはありますが。病気の話をしようかと思います。プロフィール欄に少し書きましたが、自分の病気のことをグダグダ書くのは、なんだか同情を引きたいのか、読んで下さっている方々にまで嫌~な空気を分けたいのか、…とにかく、なんとなく美徳ではない気がして(私の場合、同病の方に役に立つような闘病日記でもないだけに)、今まで、あまり触れずにいました。でも、その状態では、悔しいけれど精神的に弱い私は、少し調子が悪くなると、もうブログが書けなくなってしまう。不安や、愚痴や、そんな諸々を吐露するのは格好悪い、迷惑な行為のようで、かといって何事もないように明るい話をすることも出来ず、結果として、書かない日々が続いてしまう。もし、誰一人としてこのブログに興味を持って下さらなくても、やはり私は書くことで潤いたい。だから、迷惑でも、格好悪くても1度、病気について書こうと思います。私の病気は「慢性骨髄性白血病」という、いわゆる血液のがんです。発病時、29歳でした(あと3ヶ月で30歳だったけど)。「なんで、去年と同じように仕事してるのに、この頃は帰宅してからいったんソファーで休まないとご飯の支度をする気になれないのかな、やっぱ、少しでも歳をとっていくからかな」程度に思っていました。それよりも前からずっと下腹部に違和感があったので、婦人科を受診したら、子宮筋腫がものすごい大きさになっているので、手術しなければならないとのこと、それだけでも、その間、仕事やちんの世話などどうしようかとショックだったのに、術前スクリーニング(ひととおりの検査)をしたら、なんと白血球数が5万5千もありました。病院での再検査を待たず、私は職業上自分で血液像を見てみました。そして、「白血病」以外の病名を見つけたくて、必死でいろんな文献を集め、自分の血液像と比較しました。でも、集めれば集めるほど、「白血病」という結論からの逃げ道がなくなるだけでした。茶犬と、実家の母に、この事実をどう告白しようか、二人は冷静に明日も仕事を続けることが出来るだろうか、本当に悩みました。ちんの前でいつものように笑うのも、すごくすごくつらいことでした。さいわい、私は発見が非常に早く、しかも、もともと体育会系で鍛えた体があったので、抗がん剤がよく効いて、副作用の強さに周りが次々とリタイヤしていく中、現在も、抗がん剤を使用し続けています。(それどころか時には酒まで飲む図太さ)。しかし、やはり白血病というのは甘いものではなく、それを抑えるような薬というのはさすがに強烈です。人によってさまざまに違いますが、私の場合も、発熱や脱毛、食欲不振に始まり(もう、今はこの症状は軽いですよ)、倦怠感、うつ、肝機能障害、慢性的な貧血、筋肉の痛み、リンパの流れが悪くなることからくるメニエール病など、まさに病気のデパート。今は、白血病と闘っているというよりも、薬の副作用と闘っている感じ。基本的には、いつもは割と忘れているのです。病気のことは。それよりも、今夜のご飯はどうしようかなとか、あの曲はいいなとか、ちんの弁当のおかずの心配とか、家の中、汚いなとか、仕事のことはもういいや、どうにでもなれとか、そんなことを考えているのです。でも、ちょっと調子が悪くなると、とたんに鍍金がはげてくる。事実として認識しつつも、普段は「忘れているふり」をしていた病気に関するいろんな現時点での医学的な事実から、目をそらせなくなってしまうのです。弱いですね。情けないですね。甘えてますね。わかっているけれど。でも、今回、発病以来13年目にして始めて、毎日うっていたインターフェロンという注射薬が2日に1回うってみよう、ということになったんですよ。これは、進歩です!先行きは明るいぞ。少なくともまだまだ死ぬ気はなし。病気の話で長々と、皆様にご迷惑をおかけしました。そんなわけで、もう、自分を元気よく装ったりしなくていいからこれからはまた、いろいろ話しまくろうと思います。皆様のメッセージ、そして、こりもせずまた今日も読んでくださったことに、本当に感謝します。そして、「なあんだ、心配して損した」とお思いの方々、大変申し訳ございませんでした。最後に、なぜ、今日の写真が拓郎さんなのか?そう!当たったんですよ、福井(越前市)にやってくる拓郎さんのコンサートのチケットの抽選が!11月4日です。コンサート終わったら、もちろんご報告させていただきます。そのころは、去年も書いた「三国(みくに)」で、ブルースライヴもある頃なので、まぁ、しばらく興奮状態は続くだろうなぁ…。
July 13, 2007
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ブログ仲間の小豆さんからいただいた高田渡さんのこと、NHK”Songs”のYAZAWAのこと、ケーブルTVでやってたコブクロのライヴのこととか、他にもお話したいことがいっぱいあるのですが、ちょっと週末から体調が悪すぎてパソコンに向かえません。全身の筋肉が次々に硬直もしくは痙攣していくので、その症状が出たら風呂場に駆け込んでお湯に浸かっているしかないのです…。たまたま、メニエール病のため処方された筋弛緩剤がまだ少しだけあったので、昨日のよるそれを飲み、いま少し落ち着いている間に書いています。でも、筋弛緩剤も残りわずかなので、先ほど病院にいって、神経内科の先生に診てもらい、新たに処方してもらいました。そんなわけで、長くこの体勢を取っていられず、皆さんのところへお邪魔するのも、自分のブログを更新するのもしばらくはままならない状態です。ブログやめるつもりもないし、調子がよければいつでもお邪魔しますので、首を長~くしてお待ちください。Key-san、なぎらさんは聴きましたよ~!私も、バラッドのこととか同じことを思いました。
July 10, 2007
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このところ、あまり変化のない毎日が続いています。それなのに、なぜか今日は少しセンシティヴになってる気がする。ちんの送り迎えの時に車中で聴いたラジオが、ビーチボーイズやビートルズなどを次々に流して、CDはCDで私の今日のセレクトが杉山清貴&オメガトライブで、なんだか大学時代を思い出してしまった。センシティヴ、なんて書いた理由は、なにかと涙もろくなると言うか、なんか胸のあたりがキュッと来たりするからなんです。時々あるのです。決して悪い精神状態な訳ではなく。変化のない毎日と言えば、私の好きな佐野元春の曲に、”Goodtimes,Badtimes”というのがあります。”Back to the Street"という初期のアルバムに収録されている曲です。その歌詞の中に、 Goodtimes and Badtimes この街で Goodtimes and Badtimes 繰り返せば Winkの数またひとつ 増えていくと言うのがあるのですが、私は、ここでの”Wink”は、まばたき、つまりそれが増えていく、というのは、とりもなおさず「生きていくこと」なんだというように捉えています。いい時、悪い時を繰り返しながら、特に大きな変化はないが穏やかに確実に生きていく、人生とか、毎日の生活ってそういうものなんじゃないか、というような…。でも、車中でこの曲を聴きながら、この話を何気に茶犬にしたら、茶犬は、この場合の”Wink”は、普通に私たちがよく耳にする「ウィンク」だと思う、いい時、悪い時を繰り返しながら、そうやって、ちょっとウィンクしたくなるような小さなふれあいや出来事が増えていく、という意味なんじゃないかと言うのです。なるほど、そうも考えられるな、と思ってしまったわけです。この曲をご存知の方、ブログを覗いてくださる方にどれくらいいらっしゃるか分かりませんが、皆さんの見解はどうでしょう?ぜひ、お聞かせいただけると嬉しいです。
July 4, 2007
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最近、寝る時に枕元に置いたラジオを聴くようになりました。たいていの局は、夜中12時くらいからは、ヒーリングっぽい曲をやっています。有名な「ジェットストリーム」のような…(昔はこのテの番組といえばクロスオーバーイレブンというイメージでしたが)。今でも、12時過ぎからはNHK FMはヒーリング音楽をやっていて、確かに入眠には最適だなと思います。でも、福井では民放のFM局は2局しかなくて、そのひとつは「ジェットストリーム」、もう1つは50年代から60年代の音楽をナレーションなしでず~っと流しているんです。最近は、その局を選局することが多い。で、昨夜もラジオをつけたら、いきなり「As Time Goes By」が流れてきて、すっかりいい気分に。この曲は定番中の定番なので、いろんな人がカバーしてますが、昨夜のはBilly Holidayでした。しかも、次の曲は「All Of Me」。ある意味、寝るどころではなくなってしまうんですけどね。だとしたら目的にはあってないか(笑)。休日前の夜は、ぜひスタンダード・ジャズをやって欲しい。なぜなら、私の中には、【休日前→バーボン飲む→バーボンにはジャズが1番あう】 という図式が成立しているからです!特に、私はボーカルが入ったものが好きです。もちろん、渋い金管楽器の響きやピアノなんかもいいですけどね。昨日は、せっかく久しぶりの「ちんの補習や部活のない、茶犬の休日出勤もない、ゆっくりできる土曜日」の前夜だったけれど、なぜか飲まなかった。食べ物でおなかが一杯になってしまった。もう、飲めるスペースが残ってなかった…(号泣)。部活がないということは、そう、ちんは期末テスト前です。火曜日に「1週間前」を迎えて以来、現時点で家での学習時間は0。リンゴ君ともめてるみたいですね。中間テストよりもさらにスコアを落とすか…?ま、青春ですな…。いいなぁ。
June 30, 2007
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昨日アップした甲斐よしひろライブについての綴りを読んでみたら、まるで「甲斐さんのライブがあんまり良くなかった」と思っているような誤解を招く気がしました。で、あわてて追記させて頂きます。確かに私は、原則的にオリジナルで発表した人の演奏が好きです。だから、今回の甲斐さんも、カバー曲よりは、オリジナルの、たとえば「レイン」などは甲斐さんらしさが溢れていて本当によかった。で、往年の名曲はやらなかったような書き方ですが、ちゃんとやってくれてます。「ヒーロー」とか「きんぽうげ」とか「漂泊者(アウトロー)」とか…。たまたま、私の好きな曲(「ダニーボーイに耳をふさいで」とか「嵐の季節」とか「男と女のいる舗道」などたくさんありすぎて選べないほどなのですが)は、選曲されませんでしたが。どっちかというとマイナーな曲ですもんね、何曲かだけやる、となったらやっぱり売れたもの順になりますよね(笑)。ということで、甲斐さんのライブ、総じて良かったんだということを分かっていただければ幸いです。御年54歳だそうで、でも、今でもガンガン、ロックをやる、というその姿勢にも感動。Ikuさんからいただいたコメントの中に、サウンドストリートのお話がありましたが、ちょうど昨夜(火曜日)、6月の火曜日4回だけ、佐野元春さんのサウンドストリートが「サウンドストリート21」となって帰ってきていたのです。私も、佐野さんや甲斐さんのサウンドストリート、楽しみにしていた者の1人。近いうち、そのことについて書こう、と思っていたらIkuさんがコメントくださったので、「すごい偶然。」って思いました。
June 27, 2007
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土曜の夜、NHK BS2で会よしひろさんのライブがありました。福井には、駅前の再開発もかねて、駅前の繁華街に収容人数230人程度の小さなホールが出来たのですが(自治体を含む第3セクターが経営しているので利用料が異常に安いのが売り)、そこに、前に甲斐さんが来て、アコースティックライブをやったことがあったのです。行きたいな、と思いつつ決心がつかず、後ですごく後悔しました。で、今度のこのライブも、福井でのアコースティックライブのように、往年のヒット曲をアコギでやってくれるような期待を抱いて、観たのでした。でも、実際はどちらかというと、他の人の曲を「名歌手」甲斐よしひろが歌う、という感じでした。もちろん、甲斐さんが歌うとまた一味違う良さがあるのですが、作った人が歌っている曲などは特に、私の中ではその人のオリジナルを誰も超えられない、ということも多く、上手下手の問題ではなく、やはり、もとの人の方がいいな、と思ったものもたくさんありました。最近、トリビュートとかいって、名曲をカバーしたCDなどがよく企画されていますが、私は頑固なのか、やっぱりオリジナルが聴きたいと思ってしまう。私は、聴く側の「器用さ」というようなものに欠けているのかもしれません。甲斐さんの、ハスキーだけど、ちょっと鼻にかかったような声。これで「~してよ」とか、「~なのさ」などという歌詞を歌うと、いきがった中にどこか甘えが見え隠れするようで、いいんですけどね…。それって、私だけか(笑)。ライブの内容は次のとおりです。( )は、オリジナルの人「今宵の月のように」(エレファント・カシマシ)「歌舞伎町の女王」(椎名林檎)「ハナミズキ」(一青窈)「くるみ」(Mr.Children)「SWALLOWTAIL BUTTERFLY」(YEN TOWN BAND)「色彩のブルース」(EGO-WRAPPIN’)「すばらしい日々」(ユニコーン)「レイン」(甲斐よしひろ)「マドモアゼル・ブルース」(ザ・ジャガーズ)「野獣」(甲斐よしひろ)「ブルーシティ」(甲斐よしひろ)「三つ数えろ」(甲斐バンド)
June 26, 2007
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お久しぶりでございます。昨年12月に放送されたフォークの達人:杉田二郎さんを、ようやく観ました(どんだけ~(笑))。今は、我が家にもケーブルTVをひいたので、NHK BSが自宅で観れるようになりましたが、この頃は、まだ自宅では観れないので、妹にDVD録画をお願いしていたのです。で、1枚のDVD、3倍録画にするとフォークの達人が4本録れるので、4本録って一杯になってからもらっています。ところが、フォークになど何の興味もない妹は、時々録画を忘れてしまい、私も、例えば前日などに確認するのは、なんとなく催促するみたいで言いにくく、そんなこんなで録れなかったものも結構あるのです。で、今頃になって、この間のトワ・エ・モアさんでようやく一杯になり、もらってきた次第です。録り逃した中には、長谷川きよしさんや泉谷しげるさんなど、「その人こそ、ぜひ聴きたかった」、という人も多く、「逃がした魚」は大きすぎて魚を通り超えて鯨くらいあるのですが、やっぱり人に頼んでいる以上、しょうがないです。私の世代は、杉田二郎さんの「ジローズ」や「シューベルツ」は、リアルタイムでは見てなくて、リアルタイムで聴いたのは「ANAK(息子)」だけ。ANAKは売れましたが、私はそんなに好きではなかったので、正直、杉田二郎さんには余り興味がありませんでした。でも、今回、この人なんて格好良いんだろう、と見直しました。なんといっても、声がいい。歌がかっこいい。番組の中で、「人生のその時その時、感じたことなど自分のその時の生き方のままの曲を歌っていきたいと思ってきた」というような意味のことをおっしゃってましたが、二郎さんの歌を聞いていると、そのとおりだな、と思いました。いい歳になって、青春時代の恋愛の歌を作ってもそれは作り話です。小椋佳さんは、歌を作る時にはある意味青春時代に戻る作業があって、それがしんどくもあるけれど楽しくもあるとおっしゃってましたが、少なくとも私にはそんな才能はない。心を打つ言葉やメロディーは、それを歌う人の心から搾り出されたものでなければ。(しかし、これを語ったときの小椋佳さんの番組も、とってもとってもとっても良くて、何度も見ているので、今度語らせて頂きます!)ラストの「前向きに倒れてみたい」は、歌謡曲っぽい入りやすい曲で、もし、山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」が映画化される、という話が本当であれば、そのテーマソングにいいなぁ、と思いました。ま、もし映画化されるとしたら、すっごいお金のかかったものになるでしょうから、テーマはもちろん、それに向けて「旬」の方が書き下ろしたものになるでしょうけど。
June 25, 2007
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昨日の夜、ポストに何か配達された音がして、取りに行こうと思っているうちに茶犬が帰宅して、ポストの中味を持って入ってきました。何かな、と思って見てみたら「豪快な号外」と書かれたフリーペーパー。はじめ、ちょっと危ない宗教団体とか、宗教ではないまでも似たような怪しい団体の広告かなと思いました。でも、ちょっと読んでいくと、環境のことについて書いてあって、別に宗教団体の勧誘ではなさそう。本部は香川県小豆島とありましたが、きっと、エネルギッシュな若者達が声をあげて、環境を守ることを呼びかける活動をしているのでしょう。賛同した多くの個人や団体の寄付で、配付物の印刷費や事務経費などをまかなっているようです。環境に関しては、真剣に考えなくちゃ、と日々思っています。実際、使い捨ては楽だし、それに慣れてしまっているので、ゴミのリサイクルなども面倒くさいと思ってしまいます。プラスティックごみなど、食品がついたままではあまりにも臭くなるので洗っていますが、「ゴミを洗うのか…」という感覚。ゴミじゃないんですよね、これ。食器洗うのと同じ感覚持たなくちゃ、と自分に言い聞かせているのですが。何百年も先、自分の子孫と言ったって顔も知らないような子孫が困る、と、数年前まで思ってました。でも、多分このまま行くと、自分の子どもの世代でもう、子供達の生活が危ういな、下手すると、環境適応能力の落ちた年寄りになって、私たち自身も住みにくい中で生きていかなければならないのかも、と真剣に思うようになりました。あと、50年持つのかな、って…。この会は、夏至と当時の日20:00~22:00に「キャンドルナイト」と銘打って、家の電気を消してキャンドルで過ごそう、というのをオススメしています。ろうそくを灯して、この号外を読みながら未来のことを考えよう!とありますが、この号外は限りあるスペースにいっぱい記事が盛り込まれているので文字は小さく、まぁ、視力が悪い人やお年寄りには難しいかも(笑)。でも、どこかの国や自分の畑にケナフを植えるとか植樹するとか、環境問題を訴える活動に参加するとか、自分の身体を使うことは出来ない私も、少しずつ、生活の中で出来る事はやって行きたい、やらなくちゃと思います。サイトがあるみたいなので、興味のある方はぜひどうぞ。 TEAM GOGO!2007 http://www.teamgogo.net/
June 20, 2007
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突然ですが、我が家のPCはWindows Me です。Vistaまで発売されているこの頃、さすがにMeは、新しいアプリケーションはもう対応していないことも多く、ちんの携帯のPCとのデータのやりとりなども、Meでは出来ないし、ちんがリンゴ君と電話するのに使いたいという「Skype」も、Meでは使えません。で、バカ親よぴちは、実家の母のWindows XPのノートPCを借りてきて、Skypeを使えるようにしたのですが(実家の母は、たま~に花札ゲームをするのと、結局年に1度年賀状作成の時くらいしか使わないので)、それでブログを見ようとすると、ブログの背景色や管理ページの「日記を書く」とか「フォトをアップロード」だとか、そういうメニューの1部も画面に表示されず、しかも、お友達の所で書き込んだり、新しくブログを更新するべく、一生懸命文字入力しても、途中でパッと画面が変わって、それまで入力した分が全部パァ(「ますだおかだ」ではありません笑)になったりするのです。セキュリティレベルは「中」に設定、ウィルスチェックもスパイウェアチェックもして、一応今の所問題ないように対処しました。画面設定は、色を「最高(32色)」にしました。どうしてだ?もう、今はVistaの時代になろうとしているのに、今頃XPが全然わからないよ~。こんなに苦労してskype使えるようにしたのに、リンゴ君のほうのPCのマイクとPCがどうも相性が悪いみたいで、結局思ったほど2人は満足できてないし。世の中、こんなものですか?ホント、バカ親。なんだか、この不都合のせいで、ただでさえゆっくり過ぎるブログ更新がますます遠のき、皆さんのところへの書き込みのエネルギーも半減しています。どなたか、いいアドバイスをいただけませんか?
June 17, 2007
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天気のよい、ほのぼのとした日に、風街ろまんをBGMにドライブするのは、本当に気持ちいいです。中津川フォークジャンボリーに出場している人たちの中でも、やっぱり「はっぴいえんど」と「ガロ」はちょっと異色だと思う。今は、車の中で聴くのにもいいし、音の保存という点でもCDにしてますが、これも、元はレコードで、A面、B面があったんですよね。A面は「風サイド」、B面は「街サイド」だったのです。20分か25分でレコードをひっくり返す、というのも手間なのですが、その「間」が存在するからこその曲順だと思います。だから、昔のレコードをそのままCDにしたものは、ある意味、ちょっと作り手の意図から離れてしまう所があるのかも。私なんかも、やっぱりA面の最後の曲はちょっと一休み、B面の最後の曲は、このアルバムのラスト、という聴き方が、なんか板についてしまっているし、その他にも、「A面の3曲目らしい曲」なんて表現をしてしまったりする、つまり自分の中で、○面の○曲目は、こういう存在、というのがあってしまうんでしょうね。最近は、紙ジャケCDなるものが人気とか。わかる気がします。昔のアルバムって、音楽だけでなく、写真集や絵本を買うような気がしたものね。「見る」「読む」嬉しさもあった気がします。
June 11, 2007
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巷のコブクロ熱も少し落ち着いた今、あえてコブクロの曲で好きなものについて話そうと思います。私が好きなのは、「風」という曲です。どうってこともない曲、といえばそうなのですが、コブクロはどの曲でもそうですが、変に「音楽性が高いでしょ、こんな歌、なかなか歌えないでしょ、僕ら、歌上手いでしょ」的な押し付けがないのがいいんです。さらっと、時に歌謡曲やポップス的な要素を入れた、聴きやすく、歌いやすい曲。でも、小渕さんの書く詞は、なかなかいいフレーズがあって、胸に響くんですよね。この曲は、歌詞がほんの少し暗いといえば暗い。「セカチュー」でも見られた、「別れた彼女を忘れられない男」の曲。でも、「あなたを忘れてしまう程の 恋が胸を焦がす日まで この道は誰とも歩けない あの日のように」というフレーズが妙に響くんです。今日は、病院受診日でした。薬の副作用で機能低下していっているものは相変わらず機能低下し続け、でも、白血球の方は安定している、という、いつものパターン。今日は、染色体検査のための採血をしましたが、染色体検査は外注なので、すぐには結果が出ません。結果が揃うのは大体2週間後くらい。でも、主治医が「染色体検査の結果が良かったら、少し考えましょうか」と言ってくれました。さらにインターフェロンを減らせるのか、それともしばらく止めてみるとか…?ぬか喜びに終わるかもしれないけれど、期待に胸、膨らませてしまいました。インターフェロン減らしたら、さらに太るなぁ…。食べられなくても、食欲は充分にある私なので…。インターフェロン減らしたら、もっともっと「食べれる」ようになってしまう。長いこと忘れていた食欲との闘い、再びか…!?(笑) 風 小渕健太郎 詞 薄手のシャツじゃまだ 少し寒い春の 朝の匂いが切ないのは あなたを想い出すから 足早な人波 立ち止まり見上げれば 春のぬくもりが恋しくて 強い風 待ちわびる 舞い上がる花びらに吹かれて あなたと見た春を想う うつむくまで気付きもしなかった どうしてだろう? 泣いてた… こみ上げる想いは 誰に届くのだろう 指先をつないで歩いた あなたにはもう届かない 胸の奥に覚えた痛みが 冬を越えて 溶け出す頃 迷いの中わずかな光が 照らす場所も見えなくて 人は誰も 恋をして初めて知る 本当の自分の 弱さと強さと向き合っていくんだ 雲が遠ざかる あなたを忘れてしまう程の 恋が胸を焦がす日まで この道は誰とも歩けない あの日のように 舞い上がる花びらに吹かれて あなたと見た春を探す 小さなつむじ風鳴いている この風は あなたですか? 次の春も吹きますか?
June 7, 2007
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帰りました。群馬に行く前は、保険屋さんのことでイヤな気持ちになりましたが、またもや皆さんから温かい言葉をいただいて、本当に感謝しています。ありがとうございました。皆さんやっぱり、保険屋さんが少しおかしい、私の気持ちは自然なものだと思うという内容のご意見だったので、ホッとしました。群馬へは、ちんの彼(リンゴ君)に会いに行ったわけですが、ちょうど、高崎高校の文化祭である翠巒祭(すいらんさい)をやってました。その中のロックコンサートに、ちんの彼が出場するので、それを見に行きました。リンゴ君は高1にして、なかなか上手でした。ドラムなので、練習大変だろうなと思いましたが。私の周りのドラマーにもありがちでしたが、どちらかというと無口そうな、…まぁ、おばちゃんの私から見たら子供以外のなんでもない、かわいい子です。ちんも嬉しそうで、バカ親よぴちも、嬉しかったのでした。それよりも。久しぶりに高校の文化祭に触れ、若いエネルギーに圧倒されたよぴち。自分の学生時代を重ね、「あぁ、そうだ、深い理由もなく、とにかくバンドやってると楽しくて、とにかくステージに出たかったな」とか、「準備、大変だったろうな、でも、それが楽しいんだよね」とか、いろいろ思いを馳せ、「理由などない」行動や、「根拠などない自信」、そして理由も根拠も必要とさえしなかった頃を思い出しました。そして、ステージが終わって、ちんがリンゴ君としばらくデートしている間に、茶犬と私は高崎高校のすぐ前にある、山田かまち君の記念館に行きました。前に、福井にも山田かまち君の展覧会がまわって来て、その時も行きましたが、本拠地で見るかまち君の作品群に、私は、本当に圧倒されました。生きるということだけを考えている若いエネルギー。ただでさえ、翠巒祭の若者達に強力なパンチを浴びせられていたので、かまち君で決定的にK.Oされてしまいました。今は、いろんなことを計算しながら生きています。仕方のないことだと思っています。そうでなければ世の中成り立たない。でも、毎日の生活の中で、どこか流されて、いいこと探しが出来なくなっていたりする。楽しくないけど、生きてかなくちゃならないから生きてる感じ。若者の、毎日精一杯生きてる感じが、とにかく今の私には眩しくて、涙を禁じえませんでした。ちなみに、伊香保の旅館は、ちょっとひどかった。2食ついて8400円だから仕方ないのですが、この前の「きむら」さんが良かったし、福井の「芦原温泉」の旅館に比べると、かなり劣るので、少し面食らいました。でも、リンゴ君と会う場所のことを考えると(たいてい高崎です)、伊香保が1番近くてお手ごろなんですよね。ビジネスホテルで、素泊まり7000円も7500円も出すのなら、2食ついて温泉で10000円までなら、そんなに出費は変わらないか、と思うのです。どうせ、茶犬と私の事だから、どこかのご飯屋さんで定食を食べて済ます、ということは考えられませんから、居酒屋へでも行けば、すぐにそこそこの金額になってしまうので。しかも、私はいっぺんにたくさん食べることが出来ず、お部屋でボチボチと休憩しながら食べられるのはいい。お酒飲んだら、そのまま寝れるのもいい。なんか、娘をデートさせるために大枚はたいてるバカ親の言い訳ですね(笑)。土曜日、深夜2時くらいに帰着しましたが、さすがに疲労困憊で、日曜日も、なぎらさん聴かないといけないし、天気がよかったので朝のうちに洗濯もしないといけないし、そんなこんなで体が鉛のようでした。そして、精神的にもまだK.O状態から立ち上がってなく、何から書けばよいかも分からず、ご報告が今日になってしまいました。もう、元気になりましたよ。そんなわけで、まぁ、これからしょっちゅう群馬行きをすることになると思います。目的はちんなので、時間的拘束もあって、いよいよ観光も行き詰まっているのですが、まだきっと、良い所もあるでしょう。調べて、茶犬と私はボチボチ群馬観光をしていこうと思っています。ビバ!バカ親(笑)!
June 4, 2007
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突然ですが、今日・明日とまた伊香保(群馬県)へ行って来ます。またもや、前回の伊香保行きと同様、ちんがらみです。ここのところ、ちんは「会いたい病」かなんだか知りませんが元気がなくて困っていました。で、急な話だったのですが、今日はちんが、高校総体予選のために学校が2時間で終わるので…。(ちなみにちんは弦楽部で、総体予選は関係ないのです)どちらにしても、親バカです。ちんは、ろくな人間にならないでしょう。社会の皆様、申し訳ありません。今回は、東京へ行ったついでに伊香保に行くのではなく、車で直接伊香保に行くので、私の体の疲れ方は随分少ないと思います。インターフェロンの作用が筋骨格系(特に股関節)に来ている私にとっては、「歩く」ということがとにかくダメなので…。みなさんのブログを回るのが遅れますが、帰ってきたらいっぱい拝見させていただこうと思っています。また、伊香保ではこの前とは別の旅館(この前の「きむら」はとっても良かったのですが、同じ所というのもなんなので)に泊まるので、帰ってきたら報告しますね。ちなみに、今回も楽天で、1泊2食(朝夕共に部屋食で~す)で8400円の激安!では、行ってきます。
June 1, 2007
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今日はイヤな話です。すみません。茶犬の事故から1ヶ月近く経ちました。まだ完全には事故処理は終了していません。皆さんからあの時も、いろいろ励ましをいただきました。でも、私を一番不安にさせていたのは、時が経ってから、相手の方が体の具合が悪いと言い始めないか、ということと、何より私の車であるデミオの保険代理店の人が、どこか信頼できる人ではないということでした。おかげさまで、相手の方のお体は大丈夫のようで、それはすごく良かったと思っています。体のことは、お金では済みませんから…。ただ。保険屋さんは、やはり私が心配したとおり、あまりよく動いてくれません。何かあると「会社に申し訳ない」を連発(直接の社員ではなくて代理店なんですよ、個人でやっている、それなのに)、客と保険会社とどちらが大切なのか、普通は、自分の商売で獲得した客のために一生懸命動くものではないのか、少なくとも、客の前ではそれを装うのではないか、と思ってしまうのです。遠い遠~い親戚にあたることから(血はまったくつながってませんが)その人から加入して、かれこれもう十数年のお付き合い。その間、私は1度マンションの駐車場で、私の車の隣りにとめている人から、私の車のドアが当たっての傷だといわれて、その修理に保険を使っただけで、ずっと保険を使うことはなく、等級も年々上がって今や保険料は限界まで減額状態。けれど、その間、更新手続きをするたびに、1度も時間を守ってもらえたこともなく、いつも仕事が終わってから職場で1時間は待たされ(当然、電話1本ありません)、連絡もナシのすっぽかしさえありました。私も、そこできちんとクレームをつけなかったのがいけないのでしょうが、相手は遠くても親戚だし、年上だし、黙って更新して来たのです。そして、そのわりには、自分の人間ドックの結果だとか、具合が悪くて病院へ行った際の検査結果などを持って突然家に来て、主治医や、医者である自分の息子さんに聞けば良いのに、主治医は異常なしと言うんだけど、と、ウザウザと私に聞いて来て、「主治医か息子さんに聞いてください、私には主治医のおっしゃること以上のことは何も言えません、主治医の診断を支持します」と言っているのに、ウダウダと帰ってもくれず、本当に迷惑していたのです。今回も茶犬が言うには、事故現場に来てくれたのは電話してから3時間以上も後(ちなみに保険屋さんの家は事故現場から車で30分あれば十分のところです)で、いつも車を購入したり修理してもらっている私の古い知り合いが、車を引き上げるために連絡したらすぐにきてくれて、保険もやっている人なので、てきぱきと、急ぐ処理をすべてしてくれたそうです。本当に助かりました。で、茶犬は、今後はその車屋さんから保険に入りたいと言っていたのです。いつもいつも、たくさん助けられているので…。でも、たまたまタイミングの悪いことに、6月28日で保険期間が切れ、更新の時期なのです。今日、更新手続きのための免許証を見せて欲しいとの連絡があったので、私は非常に辛かったけれど、車を購入当初の思いと違って、実際は茶犬が運転することが多くなったので、茶犬の知り合いから入りたいと言っているので、申し訳ないが、更新はお断りしたい、と言いました。保険屋さんからは文句をいっぱい言われました。でも、本当にもう縁を切りたかったので、頑張ってつらぬきました。ところが、帰宅した茶犬にそのことを話すと、「今はマズいわ、一生懸命動いてくれなくなるもの、嫌かも知れんけど、今年1年だけ我慢して更新してくれ」と言うので、「じゃ、嫁が常識知らずで変なこと言ったけど、という事で電話してよ」と言ったら、茶犬が保険屋さんに更新をお願いしたいと電話したのです。そうしたら!保険屋さんの方が「信頼関係がなければ上手くいかないから」、とか何とか言って、「もう、更新しなくていい」、と言い、黙りこくったり、でも、奥さんに昼間、更新しないって言われたから、の連発で、「あ、そうですか、ありがとう、では、更新しますね」、という言葉が出てこない。2~3度茶犬も引き下がっていましたが、とうとう茶犬もキレて、「もういいです、あなたからは更新しません!事故起こした僕がいうのはなんですが、いろいろ今回のことでご迷惑をかけたし、いろいろお世話になっているのに申し訳ないと思って、客があなたから入りたいと言っているのに断るんですか、○○さん、おかしいですよ!」と言って電話を終えました。茶犬も私もすごくイヤ~な気持ちになりました。おそらく向こうもそうだと思いますが。タイミングが悪かったのは認めます。心情として、事故処理やってる時にあなたからはもう更新しない、と言われたらテンションは落ちるでしょう。でも、保険料はいつも年払で一括、1度の滞りもなく支払っていて、今回も保険期間内の事故です。面倒でも、事故処理は、保険屋さんの当然のお仕事じゃないでしょうか?その処理の仕方、これまでの長いお付き合いの中での対応に問題があるからこんなことになったのに、私たち、そんなに責められなければならないほど、恩知らずの非情な人間でしょうか…?とにもかくにも、これでやっと縁が切れる。ずっと、「積年の大怨」だったんです。やっと、果たせた。せまい福井のことですから、これからもどこかでお会いすることもあるかもしれませんが、私が小さくなって、申し訳ないとは思わなくていいですよね?事故に関しては、ほとんどこちらが100%悪いようなものなのですが、保険屋さんの料率は8:2のようです。しかも、相手の方の車の査定額があまり高くなく、実際は相手の方の負担は査定額の2割プラス残りの修理費、ということになります。もう、茶犬と私は、「お金で済むだけありがたかったと思おう」、ということで、私たちが自腹を切って相手の残りの修理費を出してもいいとさえ思っています。それでも、少しでも私達の自腹を少なくするためにも、本当は、せめて9:1の料率にしてもらえないかと保険屋さんに言っていたのですが、保険屋さんは保険会社から代理店である自分の評価が悪くなるのを避けたいらしく、そういうふうには動きそうもありません。車両保険には入ってなかったので、自分の車の修理費と合わせると50万くらいの出費になりそうですが、仕方ない。それだけ覚悟すればいいだけの事だから、と、自分を落ち着かせていたのに、やはり、あの保険屋さんとの関わりは、私に、イヤ~な「もやもや」を残しました。皆さんから、「よぴちはそんなに間違ってないよ」と言われたくて、甘えてこんなブログをアップしてしまいました。本当に、愚痴ですみません。茶犬も私も、この経験を生かして、安全運転を心掛けなければ。
May 30, 2007
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やっと、なぎら健壱さんの「あの頃のフォークが聴きたい」を聴くことが出来ました。実は、一昨日までは確実に覚えていたのですが、昨日の夜の時点では忘れていました。いつものように、「さて、もう布団に入ろうか」と思い、本日最後のブログチェックをしたら、なんとKey-sanが、わざわざ書き込みを下さっていたのです。それで、「ああ、そうだった」と思い出し、2週連続聴き逃しから回避することが出来ました。(Key-san、ありがとうございました!)絶対に逃したらダメ、とか、いつもと違う時間に起きなければならない時(仕事などで早く出ないといけない時など)は、前日から眠れなくなってしまう、小心者のよぴち。当然のように昨日は4時までは1時間おきに起き、4時からは30分おきに起きてしまい、目覚ましは全く無用の長物でした。で、今日はウッディ・ガスリーの曲でした。私は、今日の放送で初めて、高田渡さん、高石友也さん、岡林信康さんなどが、実はアメリカの曲を日本語で発表していたことを知りました。前に、GAROの大野さんのライヴに再度感激して、CDを買った際も、大野さん達が、洋楽のコピーをしていたということがどこか新鮮だったのですが、今日もまた、新鮮な驚き。先輩諸氏には申し訳ないのですが、私たち世代や、もっと言うと今の若者に比べ、先輩方の青春当時は外国というものが今以上に遠かったような気持ちがしていたのです。海外旅行が簡単には出来なかったり、1ドルが360円もしていたら、輸入盤なんて高かったんじゃないかな、とか、今ほど外国のミュージシャンが来日することがなかっただろう、とか、TVで洋楽番組なんて、今ほどなかっただろうとか、レンタルレコードなんてないから買うしかなかっただろうとか…。そりゃもう、「不良息子・不良娘」とのレッテルを貼られて、その身をかけての音楽生活、ということもあったのではないか…(←すみません、これらはすべて私の勝手な憶測です)。そんなこんなを乗り越えての先輩方、音楽に対する思いは相当だっただろうとお察しいたします。最後に視聴者からのメッセージで、「朝早い上に放送時間が短い。自分はまだ現役で、土日はゆっくりしたいので、よく聴き逃す。どこかでまとめて放送してもらえないか」というのがありましたが、アナウンサーはあっさりと「予定なし」と切り捨てておられました。えーっ!そう思っている視聴者は非常に多いと思うよ~。ぜひ、NHKさん、ご検討願います。ちなみに、来週は岡林信康先生の「山谷ブルース」だということです。
May 27, 2007
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今日は雨です。昨日は、福井県内で気温30度以上になった地域があったくらいなのに、今日はちょっと肌寒い。天気予報では、雨だけど気温は結構上がるような予想でした。でも、どう考えても今日は半袖は無理。天気予報が、最近本当に当たらない。私の「メニエール天気予報」の方が、ホント、当たります。昨日から今日にかけてめまい発作が多い。さて、今日は雨。暗いといえば暗い歌です。大学時代から最近まで、人前では口に出しにくい曲名だったかも。私がちょうど青春時代と言われるような年頃の頃は、巷はフォークじゃなくて、シティ・ポップス(稲垣潤一とか杉山清貴とかに代表されるような)だとか、洋楽ロックだとか、の時代だったので、私は、自分は実はフォークが好きで、そっちの方は結構語れるよ、みたいなことは言えないところがあったのです。別に、周りの風潮がどうでも、自分が好きな物は好きだと言えばいいのに、と皆さん思われるでしょう。でも、若かったので、それだけ自分に強さもなく…。上手くいえませんが、どこか「仲間はずれ」になるのが怖いと言うか、「大多数」の中で、のほほんと、いたかったんでしょうね。今はもう、怖い物ないですよ~。少し、あった方がいいとさえ思われるほど、「標準的な」おばちゃんになりました(笑)!国道で車を走らせているときに雨が降っていたりすると、必ずこの曲を思い出します。今日は、大学の学生実習の指導をしに、国道を車で走っていました。地方にありがちな、「街中にあった地方大学の建物がいよいよ老朽化した。新しい学舎はちょっと郊外にドカンと建てよう」コンセプトにのった、郊外の学舎。国道を走るようなところにあるわけです。「今日は雨」は、多分私の記憶の中では、こうせつさんがかぐや姫解散後(活動休止後?)、初めてソロで出したシングルのような気がします。そのためか、かぐや姫時代の匂いがプンプンする曲です。「昨日ほど、お前のことを憎んだ夜はない」という、ある意味コワ~イ、怖いほど内向的で暗いフレーズが、大好きです。
May 25, 2007
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カツオさん、Key-sanオススメの「あの頃のフォークが聞きたい」。詳細な時間を調べ、忘れずに枕元にラジオを置いて寝ました。茶犬も、酔っ払って眠くなってしまい、まだ早い時間ではありましたが、私が、「寒いから、もう上(寝室は2階です)にあがる」というと、「うん。俺も寝る、そして明日早起きしてラジオを聴く」と言って、布団に入って30秒後にはもう寝てました(彼は)。私は少し本を読み、スイッチを入れるだけで聴けるように周波数とボリュームをあわせ、寝ました。今朝、5時頃に1度目が醒め(別に休日には働かなくてもいい体内時計が、私を起こしてしまう)、まだもう少し寝よう、と思ってまた寝ました。次に起きたら6時半でした。6時半…。なぎらさんの「あの頃のフォークが聞きたい」は6時16分からです…。最初の頃、何度も聞き逃していたKey-sanと同じ徹は踏むまい、と思っていましたが、見事にやってしまいました…。まったく、「学校で何を習ってきたの」でしょう…。高石ともやさ~ん!ちなみに茶犬は「そんなこと、俺言ったっけ?」というくらい、すっきりとした顔で9時ごろになって降りてきましたとさ。このまえのSongsのことなども、ブログのネタとして取り上げたいのは山々ですが、今日は、ちょっと、あまり公には言えない事情で(説明に時間がかかりすぎる)非情に疲れたので、これで失礼します。
May 20, 2007
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たっちゃんがやってきました。カツオさんのところから、あったかい空気を運んで来い、と言われてやって来たと言いました。59歳で、あまりにも早く逝ってしまったたっちゃん。でも、「たっちゃん」と呼んで、作品集を作ったり展覧会を開催してくれる友達がいるたっちゃん。そのことがすでに、作品を見るまでもなく、たっちゃんの温かさを物語っています。たっちゃんの絵は、角が少ない。みんな、丸い。線が丸い。色があたたかい。日本人だからか、たっちゃんの魔法か、お地蔵様が妙にホッとする。一昨年、逝去した私の父は、家で飼っていた「ミャウ」という白い猫をとてもかわいがっていました。この猫は、私が独身の頃、寒い冬に、飲んで夜中に帰ってきたら、玄関のところでサッと出て来て、今にも消え入りそうな声で泣き、足元に擦り寄って離れなかったのです。一晩で良いから、入れてやって、このままでは凍え死んでしまう、と母に頼んで、それから結局いつくようになりました。父は58歳で脳卒中で倒れ、それからは家でのんびりと過ごしていました。1日中でも、台所の椅子に座って、窓から見える田んぼの色が変わっていく様子を眺めていました。膝にはいつも白い猫、猫の方も、微動だにせず座っている父の膝が心地よかったのでしょう。二人して、時間が止まってました。父が逝く2年前に、先にミャウは逝きました。時々、保育園が休みのときや、夜の通学の時などに、実家にちんを預かってもらうことがありましたが、その時、父と、ミャウと、ちんは、こんなふうだったのかな、と、ちょっとせつなくもあり、微笑ましくもあった1枚です。この作品は、どちらかというと、たっちゃんの作風の中では変わっている方かもしれませんが。藤の花や花菖蒲が咲いている。季節は今ですね。眺めていると、本当にちょっと一呼吸おく時間ができる。時間に追われている人、それで少し疲れている人、たっちゃんを家に連れてくると良いですよ。
May 15, 2007
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あれから、娘のちんと、ちょっと出かけました。私のデミオは相変わらず入院中、でも、今日は茶犬が大阪へ行っているので茶犬のSMXが空いていて、それに乗って出かけました。茶犬の車はタイヤがもう限界で、ハンドルに震えが出てきている状態でした。で、ここ数日、特にハンドルの震えがひどいな、早くタイヤを何とかしないと…と思っていたら、今日は妙な音までが!「パンクじゃないかな」と思いつつ5mほど走ると、周囲の視線が私の車に集まっている。歩道を歩く人たちも振り返ってまで、見る。慌てて近くのガソリンスタンドに入って見てみるとやっぱり!パンクしてました。もう、笑うしかない。すぐに、スペアタイヤに交換してもらいました。茶犬がいない時に限って…。ホントに、ついてない。続・さんりんぼうです。でも、後で落ち着いて考えると、私は所詮、ほんの少しの距離で、しかも街乗りなのでスピードも出ない。それに比べ茶犬は、家から20Kmも離れた職場へ、毎日農道をかっ飛ばして往復している、そんな時にパンクしたらまた事故になる確率が高い。田んぼに突っ込むかもしれないし。そう考えると、私がトロトロと運転している時でよかった、とも思えてきて、これは、ついてないと言うより、ついてたのかな?という気もしてきました。「今鳴いたカラスがもう笑た(わろた)」と、福井では泣いた子を相手によく言うのですが、41歳の私も、それは同じかも。もう、少し元気が出てきています。なぜか、今日は体の引きつりも少ない。病は気からですもんね。
May 12, 2007
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少し疲れています。身体の筋肉の引き攣れはひどくなる一方で、ふくらはぎなどは攣らないように気をつけることも出来ますが、足指や手指は食器洗いや寝転んで本を読んでいるときなど、予告もなく突然やってきて、1回攣るとしばらくはどうしてもまた攣ってしまうので作業の中断を余儀なくされる。インターフェロンで骨髄を叩いているせいか、骨痛もひどく、木曜日は病院受診と仕事でわずか数時間立ち歩いただけなのに、夕方にはもう歩行はもちろんの事、立ち座りにも苦労する始末。受診での末梢血検査結果はあまり望ましいものではなかったように思います。主治医は特にいいとも悪いともコメントしませんでしたが、次回は染色体検査をやろうとだけ告げられました。半年ほど前からインターフェロンの薬量を減らしているので、結果、末梢血の白血球数が増えたのかもしれない、必ずしもガン化したものが増えているとは限らないと自分に言い聞かせ…。せっかくインターフェロン減らしてから食欲も出て、僅かでも体が楽だったんだけどな、悪くすればやっぱりまた、元のインターフェロン量に戻ってしまうかな、そうすると年々体力が落ちているからこれからの衰えは今までよりスピードアップしてしまうな、股関節の痛みに耐えるのも、10年は持たないかもな、そしたら車椅子かな、ギターが抱えにくくなるな、流し台も洗濯機も高さが合わないな、家事が出来ない私など、家族のただのお荷物になってしまうな、…いろいろな思いが錯綜する。仕事でも、また年に1回恒例の、「コイツとは一緒に仕事したくない」と思う、要領が悪く常識知らずな人との仕事があって、必要以上に疲れを感じます。なんだか、最近ついてない気がするな、こんな時はあまり焦って動かないようにしよう、と思っているところへ、今日は、一生懸命ブログを書いて送信ボタンを押したら妹からTEL。我が家のADSL回線は電話線を利用しているので、電話が入るとネットよりもそちらが優先されてしまうのです。やっぱり思ったとおり、更新したはずのブログは更新されず、画面だけ「サーバーが見つかりません」になってしまい、また書き直し。頭の中を「さんりんぼう」とか「天中殺」とか言う言葉が駆け巡ります…。仕事のことも、身体のことも、考えたらどうにかなるような簡単な問題ではないのです。だから、唯一の解決法は「考えないこと、忘れて今を楽しく生きること」。それでなくとも、私はラッキーな人ですからね。家庭には愛があると自分では思っているし、生きてるだけでまるもうけ。しかし、私のもともとの体力は、自分で言うのもなんですが、相当なモノのようです。どのドクターもビックリします。これのおかげで、何とか今も楽しく生きている。そしてもう1つ、神の恵み。これには感謝感謝、それ以外の何もありません。職場での私の唯一の理解者である理事長が、今、福井県立歴史博物館でやっている白山展で買ってきた白山のDVDを貸してくれました。日本人は山を拝む習慣が長く根付いています。福井・石川ではやはり霊峰・白山がその対象になることが多く、「白山神社」という神社が多くあります。いろいろなところから見る白山の風景、そこにある仏像などが、ゴンチチ調の緩やかなBGMとともに映し出されているのを見ると気持ちが落ち着きます。(そういいながら、いや、だからこそかな、私の場合やっぱりクラシック・ギターを手にとって、コピーしようとしてしまうのですが笑)神様、どうか私から家族とギターだけは取り上げないで下さい。それさえあれば私は幸せに生きていけるのです。
May 12, 2007
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今日のNHK SONGSはTULIPの2回目でした。やっぱり青春のメロディー。例えば小椋佳さんの曲などは、昔の曲でも落ち着いているというか達観しているというか、人生の歌みたいなものがあったりするのですが、TULIPは永遠に青春なんです。そこが、いつまでも青さを引きずっている私などにはたまらない魅力なんだと思います。ナビゲイターの船越さんの「再結成はありえないのか」の質問に、財津さんはまだ分からないと言っていた。青春のバンドが老いていく、「枯れたTULIP」を見てみたい、と船越さんが言えば、財津さんは「それを許せる時に再結成できるだろう」と言っていました。私は明日は、病院受診日。行きたくないが、1日1本の注射薬が切れるから、行くしかない。ついでに、職場に出勤して、やっつけ仕事をしてこなくては。このところ、診察前の血液検査結果待ちの時間を利用して職場に出勤して、どうしても出勤しないと出来ない仕事をやっている、というのが定番化しています。もう、スカッと一切仕事から離れようか、実際、今の体力では、今のような仕事の仕方さえ無理になってくるだろう、…そう思いながら踏ん切りもつかずにいます。「枯れた自分」をさらけだしてでも、現役にこだわるか、「夢は夢のままで」落ちた自分を見せないまま終わるか。この命題は、誰もが直面し、誰もが答えを出すのに苦労する問題なのでしょう。スポーツ選手の引退を見るにつけ、「答えを出したんだ、悩んだろうな」と思います。私はまだ、41歳。今月27日にようやく42歳になります。普通なら引退なんてまだまだ早いのです。これを読んでいる方々も、「まだまだ人生ヒヨッコの若造が、何を言っている」と思われるでしょうね。でも、ソコソコの年齢になって人生を考える時には、「後どれくらい生きられるか」を意識し始めて、自分なりにどれくらいか目途がついたら(たとえ具体的に何年とまでは分からなくても、遠い先の事か、まぁまぁ先の事か、くらい、目途がついたら)、その、終わりからの年数で年齢が決まってくるような気がしています。あと、どのくらい生きるのか、という数字が同じ人が同い年のような感覚、というか…。うまく、表現できませんが。誤解を招きそうなので、蛇足ですが一応書きますと、これは決して前向きじゃないというわけではありません。先を考えつつ、一生懸命、やりたいように生きるという生き方もあるし、何も考えずに毎日一生懸命、やりたいように生きる、という生き方もあります。終わりを考えるということは、=悲観する、というわけではないのです。話がそれまくりましたが、私はきっと、TULIPは自分達の、老いを許せる時が来る、と信じています。きっとまた、会えると思います。
May 9, 2007
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