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礼拝の説教というのは、不思議ですね。
牧師は、聖書の言葉を噛み砕いて、
特定の個人に対してではなく、万人に向かってお話してくださるわけですが、
その説教が、何故か自分に向けられているというか、
「思い当たる節」がある話なんですね。
あー、この話、私のことじゃない?!ってな感じです。
毎週、きちんと礼拝に出て「説教」されないと、
普段の生活の中で「嫌だな~」「あの人、、、、だよな~」と
余計な雑念が容易に生じます。
そんな雑念を見透かすかのように、ピシャリとやられるわけです。
昨日の説教もそうでした。
「噂話」について。
この噂話ってのは厄介で、されるのが嫌な時もあれば嬉しい時もある。
するのがクダラナイ時もあれば、かなり面白い時もある。
ま、でも、いずれにせよ「無責任」であることには変わりなく、
結論の出ない堂々巡りなわけです。ま、言ってみれば「無駄」。
最近、私は、この「無駄」を省きたいな、、、と感じていたところなのです。
そのところを、牧師が偶然にも話の中で説かれたものですから、
私のツボにドンピシャリとはまり、
マッサージでうっ血していた凝りがほぐされて血流がよくなった時のように
なんだか心がサラリと軽くなったわけ。
で、その流れで、大学野球の応援合戦に行き、
昨日は、心も身体もすっきり爽やかでありました。