Los Angeles綴り

Los Angeles綴り

ビザ取得後は、、。

さて、ビザ取得から後出発まで1ヶ月を切ってしまっている。でもビザが確実に取れるとの保証がなかった為、まだ何も手をつけていない、、。アパートの引き払いの契約、ユーティリィティーの各会社に解約届け、引越し、車の処分、会社にもぎりぎりで言ってしまったので、私としては12月10日出発の前1週間位までは働かなくては、、と思っていたのに、社長が 「これから忙しくなるだろうから、11月いっぱいまででいいよ」 と言って下さった。本当は3週間Or1ヶ月前に辞職言わなきゃいけないのに、、。会社の皆も驚いていたがわかってくれた。私の留学決意は2人の親友しか言っていなかったので、それ以外は誰も知らなかった事。

とにかくバタバタの3週間。

アパートの荷物も引っ越し業者に頼んで両親の家へ。でもだぶってしまう、家具や電化製品はリサイクル業者へ。私の愛車のレビン君もその時10歳を迎えたので、出発前の9日まで乗って車の業者さんへ、、。私がこの車を買ってから殆ど何も問題なく、走り続けたレビン君。ちょーと寂しかった。またCDコンポもまだ2年程しか使用していなくて(高かったのよー)売りたかったが、何せ時間がない。

また子供の予防接種もその間に通った。なぜならアメリカではたくさんの予防接種が必要だという事を、事前に本で読んでいたからだ。又、母子手帳も必要だが、英訳を業者に頼むと高い!ので私は市役所で英語の母子手帳をもらい、私が記入できる所は記入して持って行く事にした。

アパート引き払って両親の家へ住んだのが、多分1週間前頃かな。
母はどーんより暗いし、父は何も言わない。私はというと、心はアメリカ、、
でも親不孝は十分わかっている。でもすまぬ、母上、これは私の人生だ。

子供はというと、5年間通った小学校にも退学届けを出し、学校へはこれも本人の希望で1週間前ぎりぎりまで通った。最後の日は先生の計らいで送別会をしてもらっていた。アルバム帳、色紙もらって体育館でパーティをしていた。すまぬ、Renのファンの子達よ、、。(わが息子ながらこれがまたもててまして、、、ふっ)で、本人が一度でも日本に残るっていうのかな?また母も 「残りたい?」 っていつも聞いてたような、、気がするが本人は1度もいわなかった。ので両親も何も言えなかったのだろう。
小さい時からアメリカに住むのよーって洗脳してきた効果が、このときになって現れた!

続く⇒



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