晴走雨読

晴走雨読

June 26, 2006
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カテゴリ: つれづれ・・・





およそ400年前、

秀吉の時代から徳川家康の時代にかけて

異教徒(キリスト教)へ弾圧は熾烈を極めた。


凄惨な拷問の数々が生み出され

多くの人が転んだ(改宗した)が、最後まで転ばなかった人も多かった。

長崎はそんな多くの血が染み込んだ地だ。


そしてその数百年後、一発の爆弾がこの地に落ちた。

落としたのはかつてこの地で多くの血を流した人たちの末裔だ。


歴史は皮肉だ。














sutend















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Last updated  July 9, 2006 01:41:01 AM
コメント(66) | コメントを書く


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私もわからない  
心の杖というか・・・(信じる人にはそんな軽いものではないのかもしれませんが)
そんな、ものに私は思えるのですが。
わかりません。
私には、一生縁のないものと思います。 (June 26, 2006 11:48:56 PM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
ぴかぴか3  さん
私にも無縁のものですね。
歴史を振り返えれば、誰でも解ります。
カルトは問題外ですが、どの宗教ももたらすものは
『平和』『やすらぎ』ではなく、『争い』『憎しみ』ですね。
これがないほうが、世界はもっとマシなものに
なりそうだと思うのは、私だけでしょうかね。
(June 26, 2006 11:53:50 PM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
宗教・・・なんていうか、心というか精神的な支えみたいなものでしょうか。

でもまぁ精神的には救われても結局は人を救えるのは人でしかないかも。
神の愛を信じますか? こう聞かれました(笑)
ならば、なぜ戦争が起きる? そもそも神とは? 愛とはなんだって聞いたらアーメンと答えただけで帰られましたーー; (June 26, 2006 11:55:18 PM)

さっき特攻隊のみらばかりで・・・  
skashimaさんの所で末っ子とはまって泣いていましたおかんです、日の丸特攻隊のアニメですが感動が2つになりました。暇があったら見てね。(泣けるよ) (June 27, 2006 12:04:29 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
26聖人・・・
小学校の時の修学旅行で見に行きました

話は詳しく覚えてませんが、悲しい感じがしたのは心に残っています

(June 27, 2006 12:08:02 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
miramira7  さん
大切な誰かのために祈り、日々の感謝を自分以外の誰かから与えられたものとし祈る。
それが本当の宗教のような気がします。

現実は、自分が何かを得る為に祈り、争いや憎しみを正当化する為に祈る。

大切な誰かの為に祈るなら、神など必要ないと思うのは私だけでしょうか… (June 27, 2006 12:15:59 AM)

難しいですよね  
tonotono5531  さん
すごく難しいですよね。
皮肉な歴史です。悲しくなりました。
ユダヤ教ができた経緯にも悲しい争いの過去がありますが、現在も争いは続いています。
きっと辛いことがあると人間は人以外の特別な力を持つものを想像し信じたくなるのかなあと。
<神>ってなんなんだろう。
私はよく思います。

宗教がらみの戦争は絶対になくならない気がします。神様対決?結局は人間対人間の対決だと。
戦争をもたらすような宗教なら私はいらないと思ってます。戦争からは神様がもたらしてくれるとされる幸福は絶対に生まれないと思うからです。
(June 27, 2006 01:42:51 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
久万946  さん
どうしていつも、この数行の言葉が心に響くのでしょう

ふっと違う世界に行きたくなるとここに来ます。。。。 (June 27, 2006 02:14:11 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
まるま3409  さん
私の住むカトマンドゥでは、ヒンドゥー教と仏教が緩やかに混ざり合い、争うことなく、人々の生活の中に、街のいたるところに、いろんな神々が存在しています。
まさに神々の都です。
私が無宗教であること話すと、皆怪訝な顔をするし、なんだか罪悪間すら感じてしまうので、一応「仏教徒です」なんて答えてしまいます。
宗教も生活と共にあるうちは、心に平穏をもたらすものなのに、ひとたび政治に利用されると、憎しみをもたらすものに変わってしまうんですよね。 (June 27, 2006 02:23:30 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
ロクまる  さん
今、気づいた…。 (June 27, 2006 04:53:34 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
yukamama917  さん
この年になっても宗教の意味もわからずにいます。
なにが光で何が闇かなんて誰にも決められないのに安易にのめり込む人たちは宗教という名の元に矛盾や時に怒りも感じるんですよね・・(絶対ではないでが)
宗教でやすらぎや平和をかんじられるんでしょうか・・
何にもとらわれず迷わず自然体で生きていくことの難しさも感じてしまいます。 (June 27, 2006 06:58:11 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
ろく助☆  さん
苦難にぶつかったり、心が弱くなってる時、何かに縋りたくなる。
そんな時に偶然にも出会ってしまう・・・。
私には、よくわからない。
でも、出会ってしまうと、なぜか人は、強くなれる。
私には、わからない。
(June 27, 2006 08:18:24 AM)

ある科学雑誌に  
Alinkosan  さん
人間が望みと希望という感情を持ち続ける限り神を信じる心は消滅しない と書いてありました。 宗教は根本的には善だと思います。 仏教もキリスト教もイスラム教も根本的には人々に希望と道を与えてくれるもの。 しかし政治が絡むと神の名のもとに悪質な行動が正当化されてしまうのは悲しいことですね。  (June 27, 2006 08:21:09 AM)

希望になる時期もある  
pukkari  さん
宗教が必要な時期もあると思います。
ふと訪れた神社で手を合わせるのも同じ。
全く必要ない人は、とても幸せか
底を見てしまった人なのかもしれません。 (June 27, 2006 08:37:13 AM)

うむー  
hiropon168  さん
世界のほとんどの戦争は、宗教がらみですもんね
どの宗派のどの神も残酷なものです。

やはり、自然崇拝が一番だと思う私です(笑)
(June 27, 2006 09:40:34 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
pinna-pink  さん
宗教って、私の中では興味の対象でしかないみたいです。
聖書やお経って何が書いてあって、何が言いたいんだろう。
なんて、ちょっとお勉強に行ったりしました。
キリスト教や仏教って、イスラムやヒンズーって・・・
いったい何をどうしたいの・・・?
限がありませんが、すべて共通して人が求めるものがあるんだろうなって思います。
信じたいがあまり、妄信するがあまり、あるときは本末転倒なことに。その不完全さが人間で、また宗教も必要なのかと。
宗教、やはり私には興味があって、また興味のないものとも言えそうです。


(June 27, 2006 10:29:07 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
羊さん おはようございます!!
羊さんが書くと哲学ですね~
宗教とは??難しいけど自分の中で善悪について戦う心・・・善が勝った時は=宗教の心理に叶ったということなんじゃないかな~要はどっちが勝っても人の心は宗教という言葉を受け入れなくても宗教心がある。という事なんじゃないでしょうか??そう言う諺沢山あるもんね~ (June 27, 2006 11:12:41 AM)

人間の弱さを救ってくれるもの、、  
moro_moro  さん
僕もよくわからないけど、、
でも、すがりたい何かであることでは、、
いつかわかるときがくるのかも、、 (June 27, 2006 11:54:56 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
はじめまして。
宗教。
私もよく分からないです。
宗教同士の差も。

私には特定の宗教はないけれど、
それぞれの良いところは
心がけていこうかなとは
思ってるんですけどね。
(June 27, 2006 04:42:17 PM)

謙遜  
神様に造られたものである人間が 神様の前に謙遜であれば 争いなど起こらないと思うんですが。。。でも謙遜ではありえないのが 人間のもともとの姿ではないかと 思うんですが。  (June 27, 2006 06:52:46 PM)

宗教  
金比羅系  さん
救ってくれる神の存在にすがらなければ生きていけないような過酷な環境にいる人でもなければ、なかなか信仰心なんて湧かないでしょう。
私もあんまり・・。
平和な国に住んでいる人は「宗教なんて争いのもとになるから無い方がいい」って考えに至りやすいのかもしれません。 (June 27, 2006 07:02:14 PM)

Re:私もわからない(06/26)  
101匹の羊  さん
きたもーらっきょさん、こんばんは。

>心の杖というか・・・(信じる人にはそんな軽いものではないのかもしれませんが)
>そんな、ものに私は思えるのですが。
>わかりません。
>私には、一生縁のないものと思います。

宗教が全般的に訴えているものは納得できるものが多いです。
でもそれらは本来生活の中で感じて、身に着けていくことばかりに思えます。
それらに固執しなくてもいいのではと思ってしまいます。 (June 27, 2006 07:33:51 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
ぴかぴか3さん、こんばんは。

>私にも無縁のものですね。
>歴史を振り返えれば、誰でも解ります。
>カルトは問題外ですが、どの宗教ももたらすものは
>『平和』『やすらぎ』ではなく、『争い』『憎しみ』ですね。
>これがないほうが、世界はもっとマシなものに
>なりそうだと思うのは、私だけでしょうかね。

個人のレベルで信じているだけなら良いのですが、大きな塊になると政治や経済に影響を及ぼし始めるのがやっかいです。
信仰と金や力が絡み合っているのが納得できません。 (June 27, 2006 07:36:13 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
凪坊ヤ★クゥ。さん、こんばんは。
>宗教・・・なんていうか、心というか精神的な支えみたいなものでしょうか。

>でもまぁ精神的には救われても結局は人を救えるのは人でしかないかも。
>神の愛を信じますか? こう聞かれました(笑)
>ならば、なぜ戦争が起きる? そもそも神とは? 愛とはなんだって聞いたらアーメンと答えただけで帰られましたーー;

信仰によって救われるのは悪いことではないです。
でもそれは人にごり押しをするものでは無いはずです。
どうも真っ直ぐな思いになる人が多い気がします。 (June 27, 2006 07:37:42 PM)

Re:さっき特攻隊のみらばかりで・・・(06/26)  
101匹の羊  さん
Albero di ciliegiaさん、こんばんは。

>skashimaさんの所で末っ子とはまって泣いていましたおかんです、日の丸特攻隊のアニメですが感動が2つになりました。暇があったら見てね。(泣けるよ)

タイトルは何ていうのかな。
教えて~^^ (June 27, 2006 07:38:36 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
こあら3世。(^-^)ノさん、こんばんは。

>26聖人・・・
>小学校の時の修学旅行で見に行きました

>話は詳しく覚えてませんが、悲しい感じがしたのは心に残っています

このころの虐殺はすさまじいものでした。
今はその丘で猫が昼寝をするのどかな景色ですが。。 (June 27, 2006 07:41:03 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
miramira7さん、こんばんは。

>大切な誰かのために祈り、日々の感謝を自分以外の誰かから与えられたものとし祈る。
>それが本当の宗教のような気がします。

>現実は、自分が何かを得る為に祈り、争いや憎しみを正当化する為に祈る。

>大切な誰かの為に祈るなら、神など必要ないと思うのは私だけでしょうか…

日本の檀家制度ではないけれど、もう生まれたときから洗礼を受けそれに疑いを持たずに生きていく人たちも多いのでしょうね。
日本にいるから宗教には冷静に対応できるけど。

本来はmiramira7さんの言うように、大切なもの同士の心と心の繋がりで十分なはずですが。 (June 27, 2006 07:44:18 PM)

Re:難しいですよね(06/26)  
101匹の羊  さん
tonotono5531さん、こんばんは。

>すごく難しいですよね。
>皮肉な歴史です。悲しくなりました。
>ユダヤ教ができた経緯にも悲しい争いの過去がありますが、現在も争いは続いています。
>きっと辛いことがあると人間は人以外の特別な力を持つものを想像し信じたくなるのかなあと。
><神>ってなんなんだろう。
>私はよく思います。

>宗教がらみの戦争は絶対になくならない気がします。神様対決?結局は人間対人間の対決だと。
>戦争をもたらすような宗教なら私はいらないと思ってます。戦争からは神様がもたらしてくれるとされる幸福は絶対に生まれないと思うからです。

宗教が生じるときの想いはとても純粋だったと思います。
しかし、それに力があることに気付いた時からいろいろな事に利用される存在になってしまうのでしょう。
(June 27, 2006 07:49:46 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
久万946さん、こんばんは。

>どうしていつも、この数行の言葉が心に響くのでしょう

>ふっと違う世界に行きたくなるとここに来ます。。。。

こんなブログでよければいつでもいらしてください。
お持ちいたしております。 (June 27, 2006 08:01:02 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
まるま3409さん、こんばんは。

>私の住むカトマンドゥでは、ヒンドゥー教と仏教が緩やかに混ざり合い、争うことなく、人々の生活の中に、街のいたるところに、いろんな神々が存在しています。
>まさに神々の都です。
>私が無宗教であること話すと、皆怪訝な顔をするし、なんだか罪悪間すら感じてしまうので、一応「仏教徒です」なんて答えてしまいます。
>宗教も生活と共にあるうちは、心に平穏をもたらすものなのに、ひとたび政治に利用されると、憎しみをもたらすものに変わってしまうんですよね。

海外の人からすると無宗教とは名前を持たずに生きているような感じに受け取られるのかもしれませんね。
日本は世界の中でも少し特殊な環境にいるのかもしれません。
土着した日本独自の観念のようなもの、それが僕らの中には染み付いています。
とても優しく、謙虚で、思いやりのある風習です。
(June 27, 2006 08:03:46 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
ロクまるさん、こんばんは。

>今、気づいた…。

ん?何に気付いたのですか? (June 27, 2006 08:04:29 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
yukamama917さん、こんばんは。

>この年になっても宗教の意味もわからずにいます。
>なにが光で何が闇かなんて誰にも決められないのに安易にのめり込む人たちは宗教という名の元に矛盾や時に怒りも感じるんですよね・・(絶対ではないでが)
>宗教でやすらぎや平和をかんじられるんでしょうか・・
>何にもとらわれず迷わず自然体で生きていくことの難しさも感じてしまいます。

生きていると悩むこともしばしばですよね。
そんな時に宗教が役立つのであればそれは素晴らしいことだとは思います。
でも、現実は十時を切りながらミサイルを落としたりしているわけですよね。
教えはどこにあるのでしょうか。
”汝の隣人を愛せ”は有名無実なのですか。。。 (June 27, 2006 08:08:50 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
ろく助☆さん、こんばんは。

>苦難にぶつかったり、心が弱くなってる時、何かに縋りたくなる。
>そんな時に偶然にも出会ってしまう・・・。
>私には、よくわからない。
>でも、出会ってしまうと、なぜか人は、強くなれる。
>私には、わからない。

宗教の教えは普遍的な人間の善について説かれています。
それらが迷ったときの力になるのであれば素晴らしいことだと思います。
でもだからといって何々教とか、棲み分けをしないといけないのがおかしいのではないだろうか。 (June 27, 2006 08:13:22 PM)

Re:ある科学雑誌に(06/26)  
101匹の羊  さん
Alinkosanさん、こんばんは。

>人間が望みと希望という感情を持ち続ける限り神を信じる心は消滅しない と書いてありました。 宗教は根本的には善だと思います。 仏教もキリスト教もイスラム教も根本的には人々に希望と道を与えてくれるもの。 しかし政治が絡むと神の名のもとに悪質な行動が正当化されてしまうのは悲しいことですね。 

どの教えも根源的な善と呼ばれるものについて説いていると思います。
それらはおそらく人間には必要だと思うのですが、だからといって私は何々教とか区別したりするのがおかしいと思います。
結局は勢力争いなんじゃないでしょうか。 (June 27, 2006 08:16:34 PM)

Re:希望になる時期もある(06/26)  
101匹の羊  さん
pukkariさん、こんばんは。

>宗教が必要な時期もあると思います。
>ふと訪れた神社で手を合わせるのも同じ。
>全く必要ない人は、とても幸せか
>底を見てしまった人なのかもしれません。

日本には土着している風習や道徳があります。
でもそれらは特別宗教とは呼ばれません。
大航海の時代、日本に来日したルイスフロイスが日本人は勤勉で礼儀正しいと絶賛した報告書を本国に送っています。
インディアンもそうですが、人が安寧に暮らすためには人とや自然に対する敬意を払う気持ちが大切だと思います。
(June 27, 2006 08:20:55 PM)

Re:うむー(06/26)  
101匹の羊  さん
hiropon168さん、こんばんは。

>世界のほとんどの戦争は、宗教がらみですもんね
>どの宗派のどの神も残酷なものです。

>やはり、自然崇拝が一番だと思う私です(笑)

僕も強くそう思います。
僕ら人類はこの地球、自然がなければ一日たりともいきていけません。
自然こそ僕らの全て、神と呼ぶにふさわしい存在だと思います。 (June 27, 2006 08:22:46 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
pinna-pinkさん、こんばんは。

>宗教って、私の中では興味の対象でしかないみたいです。
>聖書やお経って何が書いてあって、何が言いたいんだろう。
>なんて、ちょっとお勉強に行ったりしました。
>キリスト教や仏教って、イスラムやヒンズーって・・・
>いったい何をどうしたいの・・・?
>限がありませんが、すべて共通して人が求めるものがあるんだろうなって思います。
>信じたいがあまり、妄信するがあまり、あるときは本末転倒なことに。その不完全さが人間で、また宗教も必要なのかと。
>宗教、やはり私には興味があって、また興味のないものとも言えそうです。

そうですね。
僕も宗教についてはとても興味がありますが、それ以上踏み込む気持ちは湧いてきません。
処女受胎や奇跡の数々を聞けば聞くほど醒めてきます。
古くは十字軍、昨今の中東での紛争、利権と宗教とがドロドロに絡み合っている様は醜悪です。 (June 27, 2006 08:26:13 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
ギャルママ3072さん、こんばんは。

>羊さん おはようございます!!
>羊さんが書くと哲学ですね~
>宗教とは??難しいけど自分の中で善悪について戦う心・・・善が勝った時は=宗教の心理に叶ったということなんじゃないかな~要はどっちが勝っても人の心は宗教という言葉を受け入れなくても宗教心がある。という事なんじゃないでしょうか??そう言う諺沢山あるもんね~

人間である以上宗教的な考えからは逃れられないのですね。
僕は群れずに、穏やかな気持ち持ちたいと願います。 (June 27, 2006 08:28:04 PM)

Re:人間の弱さを救ってくれるもの、、(06/26)  
101匹の羊  さん
moro_moroさん、こんばんは。

>僕もよくわからないけど、、
>でも、すがりたい何かであることでは、、
>いつかわかるときがくるのかも、、

宗教心が大切なのか、自分や仲間の命が大切なのか。
拷問にかけられても、自分の命よりも宗教を捨てなかった人たち。
イエスは本当に彼らを救ったと言えるのだろうか。 (June 27, 2006 08:31:03 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
ポンタン2002さん、こんばんは。

>はじめまして。
>宗教。
>私もよく分からないです。
>宗教同士の差も。

>私には特定の宗教はないけれど、
>それぞれの良いところは
>心がけていこうかなとは
>思ってるんですけどね。

そうですね。
それぞれ教訓というか生きる上での教えとしては素晴らしいものです。
自分に足りないものをそれらから学べばよいのだと思います。
例えそれがどの宗教であろうと関係ないはずです。 (June 27, 2006 08:32:40 PM)

Re:謙遜(06/26)  
101匹の羊  さん
Jasmin(ジャスミン)さん、こんばんは。

>神様に造られたものである人間が 神様の前に謙遜であれば 争いなど起こらないと思うんですが。。。でも謙遜ではありえないのが 人間のもともとの姿ではないかと 思うんですが。 

そうですね。
自分の驕った姿を戒めるためにそれらは存在しているのですよね。
でもそれが争いの素になっているのは・・・ (June 27, 2006 08:34:55 PM)

Re:宗教(06/26)  
101匹の羊  さん
金比羅系さん、こんばんは。

>救ってくれる神の存在にすがらなければ生きていけないような過酷な環境にいる人でもなければ、なかなか信仰心なんて湧かないでしょう。
>私もあんまり・・。
>平和な国に住んでいる人は「宗教なんて争いのもとになるから無い方がいい」って考えに至りやすいのかもしれません。

日本にいると見えないことも多いのでしょうね。
でも、彼らも周りが同じ宗教の人で囲まれていれば気がつかないことも多いはず。
迷わされない信念を持ちたいものです。 (June 27, 2006 08:36:35 PM)

自然崇拝が一番に激しく同意!^^  
ワタシにも宗教は今一分からない。 
デモご先祖様を大切に!の感性は一応慣習に準じているカナ?
自分のブログ管理で羊さんの「26聖人殉教の丘」という見出しを見てアラ^^アノ丘の銅像の写真が載っているのかな?と思ったらまったく違っていた^^。
サスガです。 でもこの写真はどこで写したの? (June 27, 2006 09:55:03 PM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
ひつじ@@  さん
キリスト教の環境で青春時代の数年間を過ごしました。
親友はクリスチャンになりましたが、
私はテロリストも輩出するキリスト教を見たり、
世俗的な牧師を目の当たりにして、
とてもそういう気になれなくて。
個人の救済のための宗教は、ただひたすら信じて自分を委ねるだけ。

これが国家や民族がかかわってくると話が違って来ますね。。

でも人間にとって、なんらかの形の宗教は必要だと考えます。
自然に対する畏れでも何でもいい。
大きなものの存在を畏れ、信じることも宗教なのではないかと思います。 (June 27, 2006 09:55:06 PM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
rose37ai  さん
宗教の語源を調べてみました。
「宗教」の語源は、幕末期にReligionの訳語にあたる語が必要になるにあたり、宗教一般をさす語として採用された語である。一般には明治初期に広まった。この元になった単語 Religion は、ラテン語の単語 religare から生じた語である。religare はもともと「参加すること、結合すること」という単語であり、そこから人間と神をつなぐこと(縁)を意味すると理解されていた。

人間と神をつなぐもの。。。

神はなんだろう。
古代の日本において「カミ」は、人知を超える霊的な力の総体を指すものであり、「かしこきもの」とされる。いわゆる「神様」だけではなく、精霊のようなものも含まれる観念であったと考えられる。一方、漢字の「神」は人の心(死んだ際に抜け出すもの)であり、日本語では「タマ」に近いものと考えられる。

とすれば、
人と人の心をつなぐもの。。。

自分自身の内がもっている法則?
人がもともともっているものをちょっと思慮深い人がいろいろな事を編みこんだ内容で文章にまとめ、他の人が参加していったもの?

宗教は人の中にあるもの。が答えなのかな?
それが他の人と違うと言って戦うのだろうか?

宗教がわからなくなってきた???? (June 27, 2006 10:14:06 PM)

Re:自然崇拝が一番に激しく同意!^^(06/26)  
101匹の羊  さん
はあるんちゃんさん、こんばんは。

>ワタシにも宗教は今一分からない。 
>デモご先祖様を大切に!の感性は一応慣習に準じているカナ?
>自分のブログ管理で羊さんの「26聖人殉教の丘」という見出しを見てアラ^^アノ丘の銅像の写真が載っているのかな?と思ったらまったく違っていた^^。
>サスガです。 でもこの写真はどこで写したの?

この写真に写っているのは26聖人殉教の丘です。
遠くに長崎の港が見えます。
写した場所は記念教会の中からです。
こうして見ると、ステンドグラスってなんかサイケですよね。
ふと思ったのですが、こういう色合いってドラッグと融合すると結構トリップするんですよね。
そういう力も利用していたのかなぁ・・・と (June 27, 2006 10:46:12 PM)

さすがです  
イニシア  さん
というか、羊さんの感性がとてつもなく大きな問題提起をしていると感じました。
かくいう私も宗教のために人々が憎しみあい、しなくてもよい殺し合いをするという構図に矛盾を感じてきました。
しかし、よく見ると世界の宗教に起因する戦争も結局は近所げんかの理由として宗教を持ち出している印象があるのは私だけでしょうか。
ともあれ、日本人が殆ど無宗教であることと戦後の平和が続いていることは関係があるのか、関心があるところではあります。
それともう一つ、エルサレムが世界三大宗教の聖地として紛争の原因になるのならば、(無宗教的な無節操と日本人的作りこみのこだわりをもって)エルサレムを日本のゼネコンが行って3階建てにしてしまったらどうなるのでしょうか?????
(June 27, 2006 10:48:53 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
ひつじ@@さん、こんばんは。

>キリスト教の環境で青春時代の数年間を過ごしました。
>親友はクリスチャンになりましたが、
>私はテロリストも輩出するキリスト教を見たり、
>世俗的な牧師を目の当たりにして、
>とてもそういう気になれなくて。
>個人の救済のための宗教は、ただひたすら信じて自分を委ねるだけ。

>これが国家や民族がかかわってくると話が違って来ますね。。

>でも人間にとって、なんらかの形の宗教は必要だと考えます。
>自然に対する畏れでも何でもいい。
>大きなものの存在を畏れ、信じることも宗教なのではないかと思います。

なかなか興味深いお話です。
そういう環境に置かれるといろいろ見えてくるのでしょうね。
キリスト教の教義はさておき、その存在は多くの紛争や憎しみを生み育ててきました。
大航海時代もその力は如何なく発揮され続けました。
人が争うのは正直どうしようもないとは思いますが、そこに必ず影のように存在し続けるのがどうしても解せません。 (June 27, 2006 10:51:52 PM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
rose37aiさん、こんばんは。

>宗教の語源を調べてみました。
>「宗教」の語源は、幕末期にReligionの訳語にあたる語が必要になるにあたり、宗教一般をさす語として採用された語である。一般には明治初期に広まった。この元になった単語 Religion は、ラテン語の単語 religare から生じた語である。religare はもともと「参加すること、結合すること」という単語であり、そこから人間と神をつなぐこと(縁)を意味すると理解されていた。

>人間と神をつなぐもの。。。

>神はなんだろう。
>古代の日本において「カミ」は、人知を超える霊的な力の総体を指すものであり、「かしこきもの」とされる。いわゆる「神様」だけではなく、精霊のようなものも含まれる観念であったと考えられる。一方、漢字の「神」は人の心(死んだ際に抜け出すもの)であり、日本語では「タマ」に近いものと考えられる。

>とすれば、
>人と人の心をつなぐもの。。。

>自分自身の内がもっている法則?
>人がもともともっているものをちょっと思慮深い人がいろいろな事を編みこんだ内容で文章にまとめ、他の人が参加していったもの?

>宗教は人の中にあるもの。が答えなのかな?
>それが他の人と違うと言って戦うのだろうか?

>宗教がわからなくなってきた????

とても論理的な分析で、一字一字じっくり読ませていただきました。
語源が「参加すること、結合すること」というのも意外です。
教義を非難する気持ちは毛頭なにのですが、それを利用する人たちの行動が理解に苦しみます。
安寧な世の中のために存在するというよりも、いつまで経っても異教徒を廃絶することしか頭にない宗教こそこの世から根絶されるべきでしょう。 (June 27, 2006 10:56:08 PM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
rose-quatz0421  さん
坂を登った事・・・それくらいの記憶しかありません。何かを信じ、それに縋れる人は今の私には幸せな人に思えます。 (June 28, 2006 01:29:17 AM)

困った時の神頼み。  
ももはいぬ  さん
私は困った時は神様にも仏様にもお願いします。すごい!
でも普段は宗教心なんて0です。これまたすごい!
悪にも善にも神様はついているって。
敵にも味方にも神様はついているって。
聞いた事あります。
宗教でうまれた戦争に終わりはないです。
神様って沢山いるのですね。 (June 28, 2006 09:00:15 AM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
世の中が安定していないとき、いろんな宗教が出るのだそうです。
でも、安定してるしてないは、自分の心次第だと思うんです。 (June 28, 2006 02:10:18 PM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
Paradox2004  さん
こんにちは。

私も、分からないです。
宗教弾圧で、凄い数の人たちが死んでいる。

ヨーロッパ中世の魔女狩りなども正気の沙汰
とは思えない行為です。

だから、宗教を心の支えにはしたくないのです。 (June 28, 2006 04:54:28 PM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
私も宗教は無縁ですね。

歴史ってほんま奥が深いですよね。
この平和がづっと続きますように (June 28, 2006 06:31:57 PM)

Re:26聖人殉教の丘(06/26)  
ちょっと見ないうちに、なんだかすごい展開になってるんですね (〃^∇^)o_彡☆ 

宗教ですか・・
宗教って辞書で調べるとなんて出てくるのかしら
もし何かを信じる事だったら、私は生きてきた中で沢山信じてきましたよ
オギャーと生まれた赤ちゃんは、ひたすら母を信じているし、大好きな彼ができれば今度は彼をひたすら・・
信じられるものを沢山もっている人は幸せだなって思います。
でもその信じたものが変わっていくこともあります。いえ ひょっとしたらそれはこちらが変わっていっているのかもしれませんね

私は日本人だから仏教的なんだと思うんですけど、
神は自分からみると外へ、仏っていうと自分の内側に向かっていく感じがするんです。
101匹さんもやっぱり日本に生まれてるから、そういう感じなのかなって少し思いました。 (June 28, 2006 06:40:51 PM)

Re[1]:自然崇拝が一番に激しく同意!^^(06/26)  
101匹の羊さん
>写した場所は記念教会の中からです。
-----
ああ^^ やっぱりね^^

記念館だと直ぐに思ったんだけど映っている物が分からなかったよ^^;

羊さん、宗教は奥が深いよね。
宗教は戦争になるよ。 フシギフシギ。。?????

いつもありがと^^。 返事のレスはいらないよ又ね。^^
(June 28, 2006 08:08:25 PM)

Re:さすがです(06/26)  
101匹の羊  さん
イニシアさん、こんばんは。

>というか、羊さんの感性がとてつもなく大きな問題提起をしていると感じました。
>かくいう私も宗教のために人々が憎しみあい、しなくてもよい殺し合いをするという構図に矛盾を感じてきました。
>しかし、よく見ると世界の宗教に起因する戦争も結局は近所げんかの理由として宗教を持ち出している印象があるのは私だけでしょうか。
>ともあれ、日本人が殆ど無宗教であることと戦後の平和が続いていることは関係があるのか、関心があるところではあります。
>それともう一つ、エルサレムが世界三大宗教の聖地として紛争の原因になるのならば、(無宗教的な無節操と日本人的作りこみのこだわりをもって)エルサレムを日本のゼネコンが行って3階建てにしてしまったらどうなるのでしょうか?????

人は争うものですよね。
宗教はその道具にいつも使われています。
教義そのものはとても立派なものなのに・・・

エルサレムの3階立てとはまた斬新なアイデアですね。
でも、その階数をめぐってまた争いになりそうですが^^; (June 29, 2006 01:02:52 AM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
rose-quatz0421さん、こんばんは。

>坂を登った事・・・それくらいの記憶しかありません。何かを信じ、それに縋れる人は今の私には幸せな人に思えます。

のどかな小高い丘に犠牲になった人の銅像が並んでいるだけの静かな場所です。
今は猫がのんびり昼寝をする場所にもなっています。
人は忘れっぽいです。
だからこうしたものが必要なのでしょうね。 (June 29, 2006 01:05:09 AM)

Re:困った時の神頼み。(06/26)  
101匹の羊  さん
ももはいぬさん、こんばんは。

>私は困った時は神様にも仏様にもお願いします。すごい!
>でも普段は宗教心なんて0です。これまたすごい!
>悪にも善にも神様はついているって。
>敵にも味方にも神様はついているって。
>聞いた事あります。
>宗教でうまれた戦争に終わりはないです。
>神様って沢山いるのですね。

排他的な宗教は手に負えません。
それが存在する限り宗教をめぐって争いがなくならないから。
揺るぎない教義の宗教が数多ある以上、争いは絶えることはないでしょうね。 (June 29, 2006 01:08:37 AM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
宮城ねここねこさん、こんばんは。

>世の中が安定していないとき、いろんな宗教が出るのだそうです。
>でも、安定してるしてないは、自分の心次第だと思うんです。

そうですね。
焦らず、偏らずに冷静な心を持ち続けていたいものです。
(June 29, 2006 01:11:09 AM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
Paradox2004さん、こんばんは。
>こんにちは。

>私も、分からないです。
>宗教弾圧で、凄い数の人たちが死んでいる。

>ヨーロッパ中世の魔女狩りなども正気の沙汰
>とは思えない行為です。

>だから、宗教を心の支えにはしたくないのです。

狂信的な人々は聞く耳を持てているとは言えません。
宗教の下に集まった多勢は、時に大きな力でマイノリティに向かいます。
「汝の隣人を愛せ」はお飾りでしょうか。 (June 29, 2006 01:14:39 AM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
プリンセスプータンさん、こんばんは。

>私も宗教は無縁ですね。

>歴史ってほんま奥が深いですよね。
>この平和がづっと続きますように

日本のようなほぼ無宗教な国は本来大きな可能性を秘めているはずですよね。
戦後、特にそのチャンスが多くあったはずなのですが。
うまくいかないのはやはりアメリカの下にいるからでしょうか。 (June 29, 2006 01:16:33 AM)

Re[1]:26聖人殉教の丘(06/26)  
101匹の羊  さん
チプリンママさん、こんばんは。

>宗教ですか・・
>宗教って辞書で調べるとなんて出てくるのかしら
>もし何かを信じる事だったら、私は生きてきた中で沢山信じてきましたよ
>オギャーと生まれた赤ちゃんは、ひたすら母を信じているし、大好きな彼ができれば今度は彼をひたすら・・
>信じられるものを沢山もっている人は幸せだなって思います。
>でもその信じたものが変わっていくこともあります。いえ ひょっとしたらそれはこちらが変わっていっているのかもしれませんね

>私は日本人だから仏教的なんだと思うんですけど、
>神は自分からみると外へ、仏っていうと自分の内側に向かっていく感じがするんです。
>101匹さんもやっぱり日本に生まれてるから、そういう感じなのかなって少し思いました。

人間は生涯悩み、考えていくものだと思います。
ある時点で確信に近いものがあっても、時が経てばまったく違う考えを持つこともしばしばです。
でも、それは成長している証だと思いたいし、ある考えに固執していない柔らかな頭を持っていると良い方に取りたい。
若いうちに結んだ契約に疑いを持つ勇気を持っていたいですよね。 (June 29, 2006 01:22:12 AM)

Re[2]:自然崇拝が一番に激しく同意!^^(06/26)  
101匹の羊  さん
はあるんちゃんさん、こんばんは。

>>写した場所は記念教会の中からです。
>-----
>ああ^^ やっぱりね^^

>記念館だと直ぐに思ったんだけど映っている物が分からなかったよ^^;

よくご存知ですね^^
普段は教会の中に入ることなど皆無なのですが、九州、特に長崎に来るといろいろな感慨がありつい入ってしまいます。
長崎はとても興味深いところです。 (June 29, 2006 01:26:22 AM)

Re[1]:さすがです(06/26)  
イニシア  さん
101匹の羊さん
>人は争うものですよね。
>宗教はその道具にいつも使われています。
>教義そのものはとても立派なものなのに・・・

>エルサレムの3階立てとはまた斬新なアイデアですね。
>でも、その階数をめぐってまた争いになりそうですが^^;
-----
毎年、サイクリックに変えたらよいと思います。 (June 29, 2006 11:35:05 PM)

Re[2]:さすがです(06/26)  
101匹の羊  さん
イニシアさん、こんにちは。

>101匹の羊さん
>>人は争うものですよね。
>>宗教はその道具にいつも使われています。
>>教義そのものはとても立派なものなのに・・・
>>
>>エルサレムの3階立てとはまた斬新なアイデアですね。
>>でも、その階数をめぐってまた争いになりそうですが^^;
>-----
>毎年、サイクリックに変えたらよいと思います。

毎年の引越しが大変そうですね^^; (July 2, 2006 04:33:05 PM)

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