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2011年07月06日
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カテゴリ: カテゴリ未分類

昭和27年(1952年)夏

7月半ばに、 静岡のMI君 からはがきが来ました。同級生が集まって、山に登ろうという誘いです。参加者は 8月9日朝 、松本駅集合という通知。私は、講座のTA助教授に申し出て、休みをもらいました。

当日、松本駅に集まったのは6名。目指すは 槍ヶ岳 。松本駅から有明で下車し、中房温泉からまず 燕岳 (つばくろだけ)に登り、北アルプスの 表銀座 (おもてぎんざ)と呼ばれるコースを経て、 槍ヶ岳 に行くのです。


燕岳
燕 岳

燕岳 への登山路はよく整備されていましたが、最後の登りはかなりきつく、霧も吹き上がって来ました。それだけに稜線に達したときの眺望はすばらしいものでした。正面は 槍ヶ岳 。北は 立山 から南は 穗高岳 乗鞍岳 まで。


燕岳から見る槍ヶ岳 
燕山荘前からの北アルプスの展望



現在の燕山荘
現在の燕山荘

燕岳 に登り、その夜は 燕山荘 燕山荘 は、当時の山小屋では最上等の宿でした。今はさらに奇麗に大きくなっていますが、外観は昔の形をとどめています。

翌朝 燕山荘 を出発し、南へ。 大天井岳 (おてんしょだけ・だいてんじょうだけ)の肩を巻いて、 東鎌尾根 (ひがしかまおね)に取り付き、真正面の 槍ヶ岳


東鎌尾根から仰ぐ槍ヶ岳
東鎌尾根から仰ぐ槍ヶ岳

肩の小屋 に着いて荷物を下ろし、鎖、鉄ばしごを頼りに岸壁を登って、 槍ヶ岳 頂上に立ちました。


槍ヶ岳頂上に立つ
槍ヶ岳頂上に立つ

360度の展望を満喫して巌峰を降り、その夜は 肩の小屋 で宿泊。翌朝、槍沢を下って 上高地 へ。ここでさらに 焼岳 に登り、その夜は 上高地 で野宿しました。


焼岳
上高地から見る焼岳

そして、つぎの朝、互いに別れを惜しみながら解散しました。4人はバスで帰りましたが、 KG君 と私は 徳本 (とくごう) を越え、島々まで歩きました。途中、国蝶 オオムラサキ が群れ舞う姿を見て感激しました。


徳本峠
惜しや穂高との別れ・・徳本峠

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徳本 (とくごう) を共に越えた KG君 は、早くに父君を亡くしていました。とても純真な心の持ち主でしたが、あまり笑うことがなく、やや寂しい感じのする友でした。この旅の帰路、滋賀県大津市で別れ、その後は専門の違いもあって、会う機会もありませんでした。

およそ10年後、 KG君 は体調を崩して入院し、病気は治ったのですが、看病してくれたご母堂が亡くなったあと気鬱状態になり、ついに自殺しました。

また、この 槍ヶ岳 登山を共にした6人のうち、 KG君 を含めて4名が、すでに世を去っています。






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最終更新日  2011年07月06日 21時01分43秒
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