CJKが飛ぶ

SRに関する2、3の事柄

ふと思う2、3の事柄
 SRが公開され、賛否両論の声が流れます。どんな映画でもどちらか一方ということはありませんが、
Chris Reeve版と引き比べてしまうコメントというのはどうなのでしょう。
 何事にも古い時代、そしてもう取り戻せない時代を優れたものと評価してしまう傾向がありますが、
Reeve版でも掟破りはあったわけです。時間の逆転や力の放棄など。
ですからそういうものとの比較なしで、この作品の掟破り部分を少し考えてみたいと思います。


●飲酒
Supieは基本的に酒気帯び飛行はしません。STMでは“飛ぶときには飲まない”ことが台詞として登場しますし、
コミックスでも原則、飲んでいないと考えて良いでしょう。1983年の3の時には、合成クリプトナイトで
悪の心に染まったSupieが飲酒する場面がありますが、それはPseud-Supieだったからです。
今回のSRではビールを昼っから飲んで、シャトル暴発の救出に向かうのです。
この作品を悪く言う人々の中でも、このシーンは良い評価が多いようですし、私も涙なしには観られないのですが、
それでもあそこで飲酒というのは、cjk67にとっては非常に違和感があるのです。
この点を深く追求しているコメントはまだ見かけません。
もちろんあそこの場面は2人のジミーが抱きあって喜ぶ、その仕掛けだけで「ありがとう!」です。
国内版パンフでも落ちていますが、あの人こそTVドラマ版でかつてジミーを演じた方なわけで。
しかもBoというキャラクターは近年のコミックスでも大事な脇役の1人ですし。
だから、あそこはバーの風景を使っても、CKが飲まないでなんとか展開させてほしい、と思ってしまうわけです。

●子ども
ここのブログを当初から読んでくださっていた方は、驚かなかったでしょうが、
女LLには子どもがいて、その子がなんとKalの息子なわけです。
SRではRichard(この名前も意味深ですね、リーヴが「ある日どこかで」で演じた役名です)が
LLの昔の記事のタイトルから疑いを持つので、本作だけを観ていると、LLの否定が嘘だったと解釈できます。
またSTMを観ていると、その記事の後に何もなかったことが判明し、LLは記事タイトルの否定は問題ありません。
ところが、S2を観ていると、超人的能力を失ったSupieがあの時……になるわけです。
コミックスでもKalとLLは夫婦ですから肉体的な関係は否定できません(ただしNivenのエセーは不問で)。
しかし、子どもというのはこれまでEarth-2設定でない限りなかったわけです。
ここで思い出されるのは、Dean CainのTV版の最終回ですが、あれもよくわからない子どもの登場です。
それはともかく、この子がまたとんでもなく掟破りなのです。

 ◆子ども問題
 Supieは絶対に人を殺しません。善良であることが弱点であるように“罪を憎んで人を憎まず”です。
 コミックスで別世界でKrypton星の3悪人を殺ってしまった後は、人事不省に陥ったくらいです(1987年)。
 それなのに、今回の子Jason(名前が……)はママを助けるためとはいえ、パパのやらないことを
 やってしまったわけです。この辺りはちょっとビミョウです。
 ◆アレジー体質
 cjk67は、実はこの点が気になっています。次回作を作るに当たり、この子の扱いは難しい。
 以前にあった脚本、Doomsdayとの闘いでSupieが一端死んで、その遺伝子が成長して復活
 というのはいただけません。ボツになって当たり前です。
 本作を観ていると、この子のアレジー体質はことなる遺伝子が交じっているためではないか
 と思ってしまいます。本作の中で起こる3回の発作のうち2回はそばにCKがいますし、
 もう1回は力を発動させたときです。
 こうした部分を次回作で使っていくのかな、なんて愚考するわけです。

 それにしても、実のパパより先に父親が誰か気付く悪LLって……それは愛ゆえでしょうか(笑)

●吃音
 今「どもり」と書いてはいけないんでしたっけ?
 CKの吃音はクリス版の時にわりと出ていましたが、髪型・メガネ・姿勢(猫背)にこの吃音を加えて、Supieではないと思わせるように演じていました。こうした設定は以前のコミックスやフライシャーアニメ・ラジオなどの影響の下に作られているからでしょう。
 今回のBJも撮影開始頃の情報を読んでいたとき、吃音を踏襲しそうな感じだったのですが、できあがった作品を観たら、結局それは使われていませんでした。合衆国でも、こういう差別的な描写は好まれないのでしょうか。
 1986年の再設定以後は、コミックスでもCKはあまりオドオドせず、ご立派な体格もあまり隠そうとしません。意見もきちんと言うし、わりと堂々としています。初対面のCat GrantがCKを顔・身体・才能いずれも申し分なしと評価している場面もあります。そういう意味ではBJのCKは近年の設定に忠実とも言えるでしょう。
 CKとSupieが似ていても同一人物だと気が付かない―疑いは持っても―というのは観ている側のお約束で、リアリズムを求めても意味はないのですが、BJがオドオドした感じで吃音だったら似合いそうだなと思うと、それが見られずちょっと残念です。


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