1
ロシアとの戦争を決意し、ジョー・バイデン政権はルビコンをわたった。引き返すことができない。アメリカに従属するNATO諸国はバイデン政権に従い、夢遊病者のように核戦争へ近づいている。 セルビアのアレクサンデル・ブチッチ大統領はヨーロッパがロシアと戦争状態になるのは「3、4カ月以内」だと考えている。西側では「誰も戦争を止めようとしていない。誰も平和について語ろうとしない。平和はほとんど禁句」という状態で、核戦争が目前に迫っていると彼は懸念している。ハンガリーのビクトル・オルバン首相やスロバキアのロベルト・フィツォ大統領も同じように考えているようだ。 アメリカでは今年11月に大統領選挙が予定されているが、認知症的な状態がひどくなっているジョー・バイデンはその前に退くか、大統領選挙が中止になる可能性もある。 以前にも書いたことだが、アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官、マイク・ジョンソン下院議長、下院外交委員会のマイケル・マッコール委員長などが主張するようにアメリカ製兵器でロシア領の深奥部を攻撃したならば、ロシアは通常兵器で欧米の軍事基地や主要インフラを攻撃して報復するはず。そうなれば、アメリカで選挙は行われない。 銃撃されたフィツォはロシアとの戦争がスロバキア社会に悪い影響を及ぼしている主張、選挙の際にウクライナへの武器供与を阻止すると宣言し、ウクライナのNATO加盟に反対していた。3月2日に公開された動画では、EUとNATOからウクライナに兵士を派遣することは、世界的な終末を招く恐れがあると述べている。 また、フィツォは「COVID-19ワクチン」にも批判的で、その接種によってさまざまな心血管疾患による死亡を増加させていると議会で発言した。この「ワクチン」は「実験的」で「不必要」なものだとしているが、その通りだ。 イギリスの支配者グループがロシア征服を計画したのは19世紀のことだ。冷戦時代には膠着状態だったが、ソ連が消滅してから動き出した。その中心はシオニストの一派で金融資本と繋がっているネオコンは自分たちが支配するアメリカが唯一の超大国になったと認識、ロシアを征服する時が来たと考えたのである。彼らは1992年2月、国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成している。 この計画はユーゴスラビアへの先制攻撃という形でスタート、2001年9月11日の世界貿易センターや国防総省本部庁舎への攻撃を利用してアメリカ政府は中東を戦争で破壊し始めた。 1941年6月、ナチスに支配されたドイツはソ連への軍事侵攻「バルバロッサ作戦」を始めた。西部戦線には約90万人だけを残し、310万人をソ連への軍事侵攻に投入するという非常識なものだが、これはアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。バルバロッサはベラルーシとウクライナへの侵攻からスタートする。 ウクライナはロシアを攻撃する重要なルートなのだが、そのウクライナで2004年、アメリカへの従属度が低いビクトル・ヤヌコビッチが大統領選挙で勝利した。この人物はロシア語系住民が住む東部や南部を支持基盤にしていたのだ。そこで2004年11月から05年1月にかけて西側は反ヤヌコビッチ運動を仕掛けた。これが「オレンジ革命」である。 そして2008年8月、北京で夏季オリンピックが開かれるタイミングでイスラエルやアメリカを後ろ盾とするジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃し、ロシア軍の反撃で完膚なきまで叩きのめされた。この南オセチア攻撃はロシア侵略の序章だった可能性が高い。その当時、アメリカの大統領はジョージ・W・ブッシュだ。 ヤヌコビッチの大統領就任を阻止したアメリカは自分たちの手先で金融界の人間であるビクトル・ユシチェンコを大統領に就任させたが、彼が推進した新自由主義的な政策は貧富の差を拡大させ、国民は怒る。そこで2010年の大統領選挙で有権者は再びヤヌコビッチを選んだ。そこでバラク・オバマ政権はヤヌコビッチ政権を倒すため、ナチズムを信奉するグループを使ったクーデターを成功させている。オバマ政権はロシアとの関係を悪化させ、外交的な挑発を繰り広げた。 オバマ政権で副大統領を務めたのがジョー・バイデン。この人物がルビコンを渡ったのだが、2016年の大統領選挙でヒラリー・クリントンが勝てば、その時点でルビコンを渡っていただろう。 ヒラリーは上院議員の時代からロッキード・マーチンの代理人と言われ、その側近中の側近と言われたヒューマ・アベディンはムスリム同胞団と密接な関係にあり、富豪のジョージ・ソロスから指示を受けていた人物だ。 現在、NATO諸国はロシアを攻撃できる長距離精密兵器を供給、その兵器を扱える専門家を派遣、攻撃に必要な偵察衛星の情報を提供、ターゲットを選定、そのターゲットに関する情報も提供すると宣言、つまりNATOはロシアを攻撃すると言っている。ロシア政府は攻撃されれば反撃するはずだ。 しかし、ネオコンは1990年代から「脅せば屈する」という信仰に取り憑かれている。ハリウッド映画ではポーカーの場面がしばしば出てくるが、アメリカ人には主人公がブラフで勝利するというパターンが受けるようだ。チェスが好みのロシア人にブラフは通用しない。
2024.06.15
閲覧総数 1280
2
6月15日から16日にかけて「ウクライナ平和サミット」がスイスで開催される。スイス大統領が6月10日に発表したところによると、90近い国や団体が参加を表明しているというが、当事者であるロシアは招待されず、ヨーロッパ諸国の半数は参加しない。要するに、アメリカとその従属国による宣伝イベントにすぎない。 アメリカの国防総省は1992年2月、DPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。その時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツが中心になってDPG草案は書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 そのドクトリンではドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、新たなライバルの出現を防ぐことが謳われている。実際、このドクトリンに従い、日本は1995年からアメリカの戦争マシンーンに組み込まれているが、アメリカは旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジア、東南アジアにアメリカを敵視する勢力が現れることを許さないという意思を示している。 このドクトリンをベースにしてネオコン系シンクタンクPNACは2000年に「アメリカ国防の再構築」というタイトルの報告書を発表、それに基づいてジョージ・W・ブッシュ政権は世界戦略を作成していく。その戦略を起動させたのは報告書が発表された翌年の9月11日に引き起こされた出来事。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。2001年10月にアフガニスタン、03年3月にはイラクを先制攻撃しているが、いずれも9月11日の攻撃とは無関係だった。 ウクライナでは2004年に大統領選挙があったが、投票で勝利したビクトル・ヤヌコビッチはアメリカ政府にとって従属度が足りない人物。そこで2004年11月から05年1月にかけて西側は反ヤヌコビッチ運動を仕掛けた。これが「オレンジ革命」である。 ヤヌコビッチの大統領就任を阻止したアメリカは自分たちの手先で金融界の人間であるビクトル・ユシチェンコを大統領に就任させたが、彼が推進した新自由主義的な政策は貧富の差を拡大させ、国民は怒る。そこで2010の大統領選挙で有権者は再びヤヌコビッチを選んだ。そこでバラク・オバマ政権はヤヌコビッチ政権を倒すため、ナチズムを信奉するグループを使ったクーデターを成功させた。 しかし、ヤヌコビッチの支持基盤で住民がロシア語を話す東部や南部ではクーデター体制を拒否、南部のクリミアはロシアの保護下に入り、東部のドンバス(ドネツクやルガンスク)の人びとは軍事抵抗を始めて内戦になった。 クーデターを拒否するウクライナ人は他の地域でも少なくなかったようで、クーデター後、軍や治安機関メンバーの約7割が離脱、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。そのため、ドンバスで始まった内戦は反クーデター軍が優勢だった。 クーデター体制の戦力を増強する必要があると判断した西側は「停戦交渉」を始め、「ミンスク合意」なるものができたが、これは時間稼ぎにすぎず、キエフ政権は合意を守らなかった。その間、西側に支援されたクーデター政権は内務省にネオ・ナチを中心とする親衛隊を組織、傭兵を集め、年少者に対する軍事訓練を開始、並行して要塞線も作り始めた。 停戦交渉が行われている段階から西側では「時間稼ぎに過ぎない」と指摘する人がいたが、ドイツ首相としてこの合意で仲介役を務めたアンゲラ・メルケルは2022年12月、ツァイトのインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認め、その直後にフランソワ・オランド(当時の仏大統領)はメルケルの発言を事実だと語っている。1998年10月から2005年11月までドイツ首相を務めたゲアハルト・シュレーダーも同じことを言っている。 8年にわたる準備期間を経てクーデター政権は2022年初頭からドンバス周辺に部隊を集結させ、ドンバスへの砲撃を本格化させ始めた。ウクライナの元議員、オレグ・ツァロフは2月19日に緊急アピール「大虐殺が準備されている」を出している。 そのアピールによると、この地域を制圧してからキエフ体制に従わない住民を「浄化」してドンバスを制圧、軍、SBU(ウクライナ保安庁)、ナチス信奉者はキエフ体制に従わない住民(ロシア語系住民)を皆殺しにする計画で、それを西側は承認しているとしていた。 それに対し、ロシア軍は2月24日からウクライナに対する攻撃を始めた。ミサイルなどでドンバス周辺に集結していたウクライナ軍の部隊を壊滅させ、航空基地、レーダー施設、あるいは生物兵器の研究開発施設を破壊し始める。これでロシア軍の勝利は確定的だった。 そこでイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットを仲介役として停戦交渉を開始、双方とも妥協して停戦の見通しが立ち、ベネットは3月5日にモスクワへ飛ぶ。彼はウラジミル・プーチンと数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけることに成功した。 その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・ショルツ首相と会うのだが、その3月5日にSBUのメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺している。クーデター後、SBUはCIAの下部機関だ。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。 停戦交渉を完全に壊したのはブチャでの虐殺だとされている。西側はロシア軍が行ったと宣伝してきたが、すぐ、その主張に対する疑問が噴出し始めた。西側の主張に反する証拠や証言が出てきたのだ。状況証拠はキエフ政権の親衛隊がロシアに敵対的態度を取らなかったと判断された住民を虐殺したことを示している。 この問題が浮上する前、ロシア軍は停戦交渉の中でウクライナ政府と約束した通り、キエフ周辺から撤退を始めていた。3月30日にはブチャから撤退を完了、31日にはブチャのアナトリー・フェドルク市長がフェイスブックで喜びを伝えているが、虐殺の話は出ていない。ロシア軍が撤退した後、現地へ入ったウクライナの親衛隊が住民を虐殺したと考えられている。 つまり、「ウクライナ平和サミット」は猿芝居にすぎない。
2024.06.14
閲覧総数 1382
3
ジョー・バイデン大統領の認知症的な状態が深刻化しているように見える。大統領は飾りにすぎないとは言うものの、ひどい。恐ろしい状況だと言うべきかもしれない。アメリカでは今年11月に大統領選挙が予定されている。その前に退くかもしれないが、大統領選挙を中止する可能性もある。 選挙を中止するためには、それなりの理由が必要。アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官、マイク・ジョンソン下院議長、下院外交委員会のマイケル・マッコール委員長などはアメリカ製兵器でロシア領の深奥部を攻撃するべきだと主張しているが、同じことを主張するNATO加盟国も存在する。 そうした攻撃があればロシアは通常兵器で欧米の軍事基地や主要インフラを攻撃して報復するはず。NATO諸国は引き下がるか核兵器を使用するかエスカレートするかの選択を迫られると指摘する人もいる。どちらの場合でも、アメリカでは選挙は行われない。 すでにウクライナ軍は壊滅状態で、ネオ・ナチは前線から逃げ出している。すでに大統領の任期が切れているウォロディミル・ゼレンスキーに国を率いる力はなく、ウクライナ国内、あるいはNATO諸国によって追放される可能性が指摘されている。そうなれば、バイデンは舞台から去るしかないだろう。 バイデン政権はイスラエル軍によるパレスチナ人虐殺を支援しているが、女性や子どもを虐殺している状況は世界に発信され、ベンヤミン・ネタニヤフ政権だけでなくバイデン政権を批判する声は世界で高まっている。しかもハマスを過滅されられていない。 ガザ北部でヒズボラとの戦闘が本格化した場合、イスラエル軍が勝てる見込みはなく、大きな痛手を被る可能性が高く、バイデン政権に対してレバノンやシリアを攻撃するように求める声が出てくると見られているのだが、そうしたことをロシアは許さない。 アメリカ政府は攻撃を正当化するため、彼らが得意とする偽旗作戦を実行するのではないかと推測する人もいる。選挙が直前に迫った10月では遅すぎるので、7月中旬から9月中旬までの間が危険だと言う人もいる。 アメリカはウクライナやイスラエルに武器弾薬を供給、戦闘員を派遣してターゲット国を攻撃されているが、ロシア政府も同じように友好国へ高性能兵器を提供する可能性を口にしている。イラン、シリア、イエメン、アフガニスタン、ミャンマー、朝鮮、キューバ、ベネズエラ、ニカラグア、コンゴ、エチオピア、ソマリア、南スーダンなどロシア製の兵器ほ欲しがっている国は少なくない。イラン、シリア、イエメンは切実であり、キューバ、ベネズエラ、ニカラグアはアメリカを震撼させるはずだ。 フリゲート艦アドミラル・ゴルシュコフと原子力潜水艦カザンを含むロシア海軍の艦隊がキューバを公式訪問、カリブ海で軍事演習するようだが、この艦隊は夏の間もこの海域に留まるという。つまり、アメリカ政府の行動によっては、アメリカ本土を攻撃するという姿勢を見せているのだろう。
2024.06.13
閲覧総数 1834
4
有力メディアを利用して偽情報を流布してユーゴスラビアを先制攻撃して破壊、存在しない「大量破壊兵器」を口実にしてイラクを先制攻撃し、西側の私的権力に従わないウクライナの政権をカラー革命、そしてネオ・ナチを使ったクーデターで2度倒してロシア語系住民を殺戮、言論や信教の自由を否定、アル・カイダ系武装集団を利用してリビアやシリアの体制を軍事的に倒し、イスラエルによるパレスチナ人虐殺を支援してきたのがアメリカをはじめとする西側の国々だ。 その西側を支配する私的権力は世界を支配するため、買収、脅迫、暗殺、クーデター、軍事侵攻といった手法を駆使する。暗殺やクーデターは情報機関、軍事侵攻は軍隊が実行するのだろうが、脅迫のための仕組みも存在している。 有力者の弱みを握り、操り、自分たちの利益を図る人たちは昔からいた。そのひとりが禁酒法時代に密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールだと言われている。 このローゼンスティールと「親子のように」親しく、犯罪組織ガンビーノ・ファミリーのメンバー、例えばジョン・ゴッチの法律顧問にもなっていたのがロイ・コーンなる弁護士。 コーンはコロンビア法科大学院を卒業後、親のコネを使ってマンハッタンの地方検事だったアービン・セイポールの下で働き始めたが、この検事はコミュニストの摘発で有名。1950年にソ連のスパイとして逮捕されたジュリアス・ローゼンバーグとエセル・ローゼンバーグの夫妻の裁判でコーンが重要や役割を果たしたことも知られている。 夫妻に原爆に関する機密情報を夫妻に渡したとするエセルの弟、デイビッド・グリーングラスの証言以外に容疑を裏づける証拠はなかったのだが、夫妻は1953年に処刑された。後にグリーングラスは検察側から偽証を強要されたと語っている。 コーンは1950年代にジョセフ・マッカーシー上院議員の側近として活動、反ファシスト派の粛清でも重要な役割を果たした。この粛清劇は「マッカーシー旋風」や「レッド・バージ」とも呼ばれている。マッカーシーの黒幕はFBI長官だったJ・エドガー・フーバーで、コーンはマッカーシーとフーバーの間に入っていた。 化粧品で有名なエステイ・ローダーもコーンが親しくしていたひとりで、エスティの息子であるロバート・ローダーはドナルド・とペンシルベニア大学時代からの友人。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と親しく、「世界ユダヤ人会議」の議長だ。1973年にコーンはトランプの法律顧問になり、AIDSで死亡する85年までその職にあった。 このコーンの後継者ではないかと疑われているのが2019年7月に性犯罪の容疑で逮捕され、同年8月に房の中で死亡たジェフリー・エプスタイン。自殺とされているが、その刑務所の事情に詳しい人はありえないとしている。 エプスタインの死に疑問を抱く人は少なくない。死亡する前日に同房者はほかへ移動、エプスタインが死んだときに看守は過労で居眠りしていただけでなく、監視カメラの映像は問題の部分が利用できない状態になっているのだとう。しかも房のシーツは紙のように弱く、首をつることは困難だという人もいる。首の骨が何カ所か折れているとも伝えられている。 エプスタインは大学をドロップアウトした後、1973年から75年にかけてマンハッタンのドルトンスクールで数学と物理を教えていたが、76年には教え子の父親の紹介で投資銀行のベア・スターンズへ転職、その時の顧客の中にエドガー・ブロンフマンがいたという。 大学をドロップアウトしたエプスタインを教師として雇い入れたのはドルトンスクールの校長をしていたドナルド・バー。司法長官を務めたウィリアム・バーの父親だ。ウィリアムはCIA出身で、その時代にはジョージ・H・W・ブッシュの部下だった。またドナルドはCIAの前身であるOSSに所属していた。 ところで、ロバート・ローダーの前に「世界ユダヤ人会議」の議長を務めたエドガー・ブロンフマンも密造酒の家系で、父親のサミュエル・ブロンフマンはローゼンスティールの仲間。エドガーの弟、チャールズが1991年に創設した「メガ・グループ」はイスラエル・ロビーとされているが、イスラエルの情報機関と緊密な関係にあると言われている。エドガー・ブロンフマンの関係でイスラエルの情報機関へ引き込まれたひとりがエプスタインだ。 エプスタインは未成年の女性と有力者を引き合わせ、ふたりの行為を盗撮し、それを利用して後に恫喝の材料に使っていたと言われている。そのエプスタインは2011年にビル・ゲイツと親しくしていたとニューヨーク・タイムズ紙が伝えたのは2019年10月12日のことだった。 エプスタイン、彼と親密な関係にあったギスレイン・マクスウェル、そして彼女の父親はイギリスのミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルはいずれもイスラエルの情報機関のために働いていたと言われている。マクスウェルはエプスタインをイランとの武器取引に加えようとしていたようだ。 イスラエル軍の情報機関ERDに所属、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経験のあるアリ・ベンメナシェによると、3名ともイスラエル軍の情報機関(AMAM)に所属していた。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) ロバート・マクスウェルがAMANのエージェントになったのは1960年代だとも言われ、ソ連消滅でも重要な役割を果たしたと言われいるが、ソ連消滅の前の月、つまり1991年11月にカナリア諸島沖で死体となって発見されている。 ギスレインとエプスタインは1990年代に知り合ったとされているが、ベンメナシェによると、ふたりは1980年代に親しくなっている。ニューヨーク・ポスト紙の元発行人、スティーブン・ホッフェンバーグによると、ふたりはあるパーティで知り合ったという。 世界の要人を操るだけでなく、苦境に陥った戦争から抜け出すためにもアメリカは脅迫という手法を使ってきた。例えばドワイト・アイゼンハワーは大統領に就任した1953年、中国に対し、朝鮮戦争の休戦に応じなければ核兵器を使うと伝えたとされている。そして同年7月に休戦は実現した。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) アイゼンハワー政権で副大統領を務めたリチャード・ニクソンは泥沼化していたベトナム戦争から抜け出すため、国家安全保障補佐官だったヘンリー・キッシンジャーに対し、北ベトナムを核攻撃してはどうかと1972年4月に語ったとする記録が残っている。ニクソンは「狂人理論」の信者で、核攻撃しかねないと思わせればアメリカ主導の和平に同意すると考えていたようだ。(前掲書) ウクライナにおけるロシアとの戦争で敗北することが決定的になったジョー・バイデン政権とその配下のNATO諸国も核戦争でロシアを脅して譲歩させ、あわよくば勝利を演出しようとしている。欧米諸国が戦争をエスカレートさせる主張をしている理由はそこにあると言われているが、それに応じるほどウラジミル・プーチン大統領は愚かでないだろうとも言われている。
2024.06.12
閲覧総数 1879
5
日本で「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」が11月28日に承認され、その決定をメーカーもその事実を発表した。これは一種の人口ウイルスで、動物の種を超えて感染する可能性が指摘されている。「ワクチン」というタグがつけられているものの、実際は遺伝子導入剤。この薬剤の承認を「不名誉」だとする声が世界から聞こえてくるが、日本の専門家も危険性を具体的に指摘している。 承認申請したメーカーはMeiji Seikaファルマで、同社は武田薬品系のアルカリスと共同でmRNA技術を利用した製品の製造工場を建設福島県南相馬市に建設、そこでアルカリスが開発した遺伝子導入剤「ARCT-154」を作る計画だ。 アルカリスはアークトゥルスとアクセリードが共同で設立したmRNA医薬品CDMO(医薬品受託製造)会社であり、アクセリードは武田薬品の湘南研究所が2017年にスピンオフして誕生した。 武田薬品には興味深い人物が関係してきた。例えば山田忠孝はビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を経て同社へ入った人物で、父親の山田忠義は渋沢敬三の秘書などを経て1952年に八幡製鉄へ入社している。 戦争中の1940年代の前半、ヨーロッパから日本へ上海経由で神戸に辿り着いたユダヤ系の若者、ショール・アイゼンベルグを忠義は世話している。神戸へ着いた時、アイゼンベルグは19歳か20歳だった。その若者をなぜ日本の財界が面倒を見たのかは謎だ。 財界の大物たちに守られたユダヤ人難民のアイゼンベルグは大戦後、アメリカ第8軍のロバート・アイケルバーガー司令官に可愛がられる。そのコネクションを活かし、アイゼンベルグはペニシリンの販売で大儲けしたという。 その後、アイゼンベルグは日本から追い出されるが、イスラエルの情報機関モサドの幹部としてさまざまな秘密工作に関わり、イスラエルと中国を結びつけたと言われている。似た境遇にあったジョージ・ソロスと緊密な関係にあったことでも知られている。 山田忠孝と同じようにビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を経由して武田薬品に入ったラジーブ・ベンカヤも興味深い人物だ。財団ではグローバル・ヘルス・プログラムのワクチン・デリバリー・ディレクターを務め、武田薬品ではグローバル・ワクチン・ビジネス・ユニットを率いた。 財団に入る前、ジョージ・W・ブッシュが大統領だった2002年から03年にかけての時期にホワイトハウス・フェローを務め、さらにバイオ防衛担当ディレクターを経て大統領特別補佐官およびバイオ防衛担当シニアディレクターとして活動、バイオ・テロリズム研究グループを率いている。 ホワイトハウス時代、ベンカヤはフランシス・タウンゼント国土安全保障担当補佐官の直属で、その時、ロックダウンを考え出したという。その一方、Gavi(ワクチンアライアンス)の理事を務め、CEPI(感染症流行対策イノベーション連合)やIAVI(国際エイズワクチン推進構想)の理事会メンバー。CFR(外交問題評議会)の終身会員でもある。なお、今年3月からアエイウム・セラピューティックのCEOに就任している。 医薬品業界で研究開発に関わってきたサーシャ・ラティポワによると、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動はアメリカ国防総省がバラク・オバマ政権の時代に始めた作戦だ。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。 アメリカの国防総省はウクライナで生物化学兵器の研究開発を行っていたことが判明している。ロシア軍のイゴール・キリロフ中将によると、ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)が管理する研究施設が約30カ所あり、生物兵器の研究開発を行っていた。 昨年2月24日からロシア軍はミサイルなどでウクライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設などを攻撃、その際に機密文書を回収。その中に生物化学兵器に関する約2000文書が含まれていた。そうした文書を分析するためにロシアは議会に委員会を設立、ロシア軍の放射線化学生物兵器防衛部隊と連携して分析、アメリカはウクライナで「万能生物兵器」を研究していたことが判明したという。 万能兵器とは、敵の兵士だけでなく動物や農作物にもダメージを与えることができる兵器だという。そうした病原体を拡散させることでターゲット国を完全に破壊し、民間人、食糧安全保障、環境にも影響を与えることを目的としている。アメリカの国防総省は人間だけでなく動物や農作物にも感染できる万能の遺伝子操作生物兵器の開発を目指しているのだ。レプリコン・ワクチンをWHOが言うところの「疾病X」だと考える人もいる。
2023.12.17
閲覧総数 25978
6
ガザ南部のラファでイスラエル軍は非武装の住民を虐殺している。軍事施設や発電施設など戦略的に重要なターゲットを選んで攻撃しているロシアを声高に批判してきた西側の有力メディアはラファをはじめとするパレスチナの惨状を伝えていないが、無惨な殺され方をした子どもの姿がテレグラムなどで世界へ発信され、イスラエルやイスラエルを支援している西側諸国に対する批判は高まってきた。 イスラエルにしろ、アメリカ/NATOにしろ、非武装の人びとを虐殺できても高性能兵器を保有し、訓練された兵士で構成された軍隊には刃が立たない。さほど大きな戦力を保有していないハマスとの戦闘にも苦しんでいる。ウクライナではロシア軍に刃が立たなかった。 そうした中、イスラエルはガザの北部へ戦闘の舞台を移動させようとしているとも言われているが、そこにはハマスとは比較にならないほど強力なヒズボラが存在している。 ガザでの虐殺が始まって以来、何ヵ月にもわたってヒズボラはイスラエルに対する地味な攻撃を続けてきた。そのターゲットは通信施設、傍受施設、レーダー施設などイスラエルの「目」や「耳」であり、アイアン・ドームなど防空システムの弱体化につながる。ガザ北部で本格的な戦闘が始まった場合、このダメージはイスラエルにとって痛い。 ヒズボラがターゲットにした施設のひとつであるメロン基地は占領下にあるパレスチナ最高峰のジャルマク山(メロン山)の頂上に位置し、占領空域の防空が主な任務だ。この基地と南部にあるミツペ・ラモン基地はイスラエルの監視システムで重要な役割を果たしている。 4月1日にイスラエル軍がシリアのイラン領事館を攻撃、IRGC(イスラム革命防衛隊)の上級司令官や副官を含む将校7名を殺害したことへの報復として、4月13日にイランはイスラエルに対し、ドローンやミサイルで報復攻撃した。 この報復は戦乱を拡大させないよう念入りに計画されたもので激しいものではなかったが、イラン軍の攻撃能力はアピールしている。例えばドローンやミサイルでイスラエルのネバティム空軍基地、ラモン空軍基地、そしてハルケレン山頂にある「サイト512」基地のAN/TPY-2 Xバンドレーダー施設を攻撃、大半のミサイルは目標にヒットしたと伝えられている。 イスラエルや西側諸国では99%を戦闘機や防空システムで撃墜したと宣伝しているが、ネバティム基地のケースは衛星写真で確認された。その写真を見ると、ふたつの滑走路に命中、その精度は高いことが示されている。日本の車力分屯基地にも配備されているAN/TPY-2 Xバンドレーダーはイランの攻撃に対して有効でなかった。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)への攻撃から10日ほど後、国防長官のオフィスで軍事攻撃の対象国リストを見たという。まずイラク、ついでシリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランだ。(3月、10月) イラクは2003年、レバノンとソマリアは2006年、シリアとリビアは2011年、スーダンに対しても執拗に介入している。イスラエル軍の地上部隊は2006年7月から9月にかけてレバノンへ軍事侵攻したが、その際にイスラエルが誇る「メルカバ4」戦車が破壊され、ヒズボラに敗北している。
2024.06.11
閲覧総数 1726
7
天本英世という俳優がいた。1926年に生まれ、2003年に死亡している。日本軍が中国で全面戦争に突入した盧溝橋事件の時に11歳、日本が降伏した時には19歳ということになる。1944年に旧制七高へ入学、48年には東大法学部へ進んだ。「少年時代・青春時代を送ったのは、天皇を頂点に戴く日本国家が超国家主義的な狂気の思想に依ってアジア征服・世界征服へと突き進む破壊の道のちょうど真っ只中」(天本英世著『日本人への遺書』徳間書店、2000年)だ。 天本の友人で高名なギタリストでもあるマノロ・サンルーカルのアメリカ観が『日本人への遺書』の中で紹介されている。「アメリカなんて国は、自分が滅びることになったら、その前に世界中の国を滅ぼしてからしか滅びないであろう・・・」と言っていたというのだが、アメリカを中心とする欧米の支配層は今まさにそうした道を進んでいる。欧米の支配層が好んでいるらしいAIは恐怖を感じない。 アメリカではアントニー・ブリンケン国務長官、マイク・ジョンソン米下院議長、下院外交委員会のマイケル・マッコール委員長、ノルウェー人でNATO事務総長のイェンス・ストルテンベルグなどはアメリカ製兵器でロシア領の深奥部を攻撃するべきだと主張、フランスのエマニュエル・マクロン大統領もロシアとの戦争に進もうという発言をしている。フィンランドのアレクサンダー・シュトゥッブ大統領は「国際法の範囲内」であれば、西側諸国から提供された武器でウクライナ軍がロシア領土を攻撃することに問題はないと語っていた。 2004年11月から05年1月にかけての「オレンジ革命」以来、アメリカのネオコンを中心とする西側諸国はウクライナを舞台にしてロシアと戦っている。その流れの中に2013年11月から14年2月にかけてのクーデターがあり、22年2月からのロシアによるウクライナに対する軍事攻撃がある。アメリカの国防総省はロシアとの戦争を睨み、2005年からウクライナで生物兵器の研究開発を進めてきた。 こうしたアメリカの動きは1992年2月に作成された国防総省のDPG(国防計画指針)草案から始まる。その当時の国防長官はネオコンのディック・チェイニー、次官はやはりネオコンのポール・ウォルフォウィッツで、DPG草案はウォルフォウィッツを中心に作成された。そこでこの指針案は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれる。 ソ連が消滅したことでアメリカが「唯一の超大国」になったと考えたネオコンはドクトリンの中で「潜在的ライバル」を抑え込み、新たなライバルの出現を許さないという意思を明確にした。その計画を実現するため、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込むともしているが、実際、日本は1995年にアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。 ネオコンは1970年代、ジェラルド・フォード政権で台頭したが、金融資本と関係が深い。その思想的な支柱とされているレオ・ストラウスは1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にウラジミル・ヤボチンスキーの「修正主義シオニズム」運動に加わっている。 ストラウスは1932年にロックフェラー財団の奨学金でフランスへ留学し、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学ぶ。その後、プラトンやアリストテレスの研究を始めた。(The Boston Globe, May 11, 2003) こうして作られたストラウスの思想は、カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると一種のエリート独裁主義であり、「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997) アメリカのライバルだったというソ連だが、第2次世界大戦におけるドイツとの戦争で疲弊していた。 ドイツ軍がソ連への軍事侵攻を始めたのは1941年6月。「バルバロッサ作戦」だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだが、これはアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。 それだけの軍事作戦を遂行するためには半年から1年くらいの準備期間が必要だろう。ドイツ軍は1940年9月から41年5月までの間、イギリスを空爆している。 1941年7月にドイツ軍はレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達。ヒトラーはソ連軍が敗北したと確信、再び立ち上がることはないと10月3日にベルリンで語っている。ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015) しかし、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにことは進まず、ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入。ここでドイツ軍はソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的。ここからアメリカやイギリスは慌てて動き始めた。 スターリングラードでドイツ軍が降伏した1943年1月、フランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、そしてフランスのシャルル・ド・ゴールはカサブランカで会談、善後策を協議した。そして同年7月に英米軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、翌年の6月にはハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)を実行する。シチリア島上陸やノルマンディー上陸はドイツとの戦争において大きな意味はない。 その一方でナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。「サンライズ作戦」だ。その後アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。「ラットライン」、「ブラッドストーン作戦」、「ペーパークリップ作戦」などである。大戦の終盤からウォール街人脈がファシストの大物を救出、保護、逃走を助け、のちに雇い入れたのだ。 その時に助けられた東ヨーロッパのファシストもウォール街人脈は助け、後継者を育成した。その中には2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを実行したネオ・ナチも含まれている。 1940年2月にバーミンガム大学のオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスのアイデアに基づいてMAUD委員会なるものが設立され、この委員会のマーク・オリファントがアメリカへ派遣される。オリファントがアーネスト・ローレンスと会ったのは1941年8月だ。その結果、アメリカの学者も原子爆弾の可能性に興味を持つようになり、同10月にフランクリン・ルーズベルト大統領は原子爆弾の開発を許可、イギリスとの共同開発が始まった。 この「マンハッタン計画」を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。米英の核兵器は最初からソ連/ロシアがターゲットだった。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
2024.06.06
閲覧総数 2272
8
ネオ・ナチの武装蜂起によってウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ大統領は実権を奪われた。今回の政変はファシストのクーデターである。クーデター派は棍棒、ナイフ、火焔瓶だけではなく、ピストルやライフルを使い、警官隊を襲撃していた。この事実に触れないメディアがあるとするなら、記者なり編集者が怠慢なのか、その事実を隠して「民主化」を演出したいからだろう。 「西側」と手を組み、ウクライナをEUへ組み込もうとしている勢力は3政党が中心。投機家のジョージ・ソロスの影響下にあったユリア・ティモシェンコが率いる「祖国」、ウクライナのパイプライン業界に君臨する富豪のビクトル・ピンチュクを後ろ盾とするビタリ・クリチコの「UDAR」、歴史的にナチや米英の情報機関とつながるオレフ・チャフニボクの「スボボダ」である。 昨年11月にヤヌコビッチ大統領がEUとの連合協定締結に向けての準備を停止すると発表してから混乱が始まると、この勢力が抗議活動をはじめ、ビクトリア・ヌランド国務次官補やジョン・マケイン上院議員のようなネオコン(アメリカの親イスラエル/シオニスト派)が支援のため、ウクライナへ乗り込んでいる。 「西側」のメディアは「平和的」と形容した抗議活動だが、火焔瓶や石が投げられるだけでなく、ブルドーザーも持ち出され、日本から見るとかなり激しいもの。1月の下旬になると、アレキサンダー・ムージチコ(別名サーシャ・ビリー)やドミトリー・ヤロシュたちが率いる武闘色の強いグループが注目され始める。警官隊は「西側」に比べ、かなり平和的に対応しようとしていた。 ビクトリア・ヌランド国務次官補によると、そうした工作のため、昨年12月中旬の段階でアメリカは50億ドルをつぎ込んでいたようだが、メディアを使ったプロパガンダや火焔瓶を投げる程度の抗議活動でヤヌコビッチ政権の発表を覆すことはできなかった。 ソチで開かれていたオリンピックの閉幕が近づいてくると、警察や治安当局の施設が襲撃されて300丁とも1500丁とも言われるピストルのほか、ライフル、マシンガン、手榴弾などが盗まれるという事態が生じ、街頭での銃撃が始まる。 銃撃を始めたのはムージチコやヤロシュなどのファシスト団体のメンバーだと見られている。ムージチコは1994年にチェチェンでロシア軍との戦闘に参加し、その残虐さで有名になった。1995年にウクライナへ戻ると犯罪の世界へ足を踏み入れている。かなり物騒な経歴の持ち主だが、ウクライナのファシストでリーダー的な役割を果たしているのはヤロシュだという。 屋上からスナイパーが頭部を狙ったという報道もあるのだが、これはリビアやシリアの時と同じパターン。予想通りのことが起こったようだ。プロの狙撃だから政府派に違いないという話になっているようだが、チェチェンやシリアから戦闘のプロが「反ヤヌコビッチ派」に参加しているわけで、ヤヌコビッチ派が狙撃したと断定することはできない。むしろ、状況証拠は「平和的」な反ヤヌコビッチ派が怪しいと言っている。 軍事的な緊張を過度に高めることをEUは避けたいはずだが、ネオコン(アメリカの親イスラエル/シオニスト派)は戦争も辞さないという態度。ビクトリア・ヌランド国務次官補とジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との会話でもEUの「ソフト路線」をヌランドは批判、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にした。 ファシストとはいっても、ムージチコやヤロシュのような人ばかりではない。そこで2004年、EUへ参加したばかりのバルト諸国にNATOは軍事訓練のための施設を設置、そこでファシストを訓練するようになったという。 こうした訓練を受けたネオ・ナチがキエフなどウクライナ西部で大きな影響力を持ち始めていることをロシアは警戒、大規模な軍事演習を行っているのだが、ファシストを訓練してきたNATOのアナス・フォー・ラスムセン事務総長はロシアを牽制している。ウクライナ侵略の邪魔をするなということだ。 ウクライナの庶民にとってEUへの参加は地獄への一本道。「西側」の巨大資本やその手先の食い物になるということだ。2004年以降、旧ソ連圏から多くの国がEUへ加盟したが、そこでは庶民の貧困化が進み、不満が高まっている。 こうした国々から仕事を求めて人が西へ移動、その先で賃金を引き下げる原因になり、そうした移民への反発からファシストを支持する人が増えた。ウクライナでは移民を増やす要因を作り、西の国々では移民に反対しているのがファシスト。いわば「マッチポンプ」。 そうしたファシストの背後に見えるのは、ネオコン/シオニスト、NATO、サウジアラビア。ブレーキをかけているのはロシア。おそらく、アメリカの非ネオコンもロシアと話し合いのパイプを持っている。 ネオコン/シオニストはウクライナの次にロシアを狙っている可能性が高い。2008年8月、イスラエルやアメリカから軍事訓練を受け、武器/兵器を提供されていたグルジアが南オセチアを奇襲攻撃したが、これもロシアを念頭においた作戦だった可能性がある。このときはグルジアやイスラエルが予想した以上にロシア軍が強く、追い返されている。
2014.02.27
閲覧総数 366
9
1989年1月、アメリカ大統領はロナルド・レーガンからジョージ・H・W・ブッシュへ交代、その直後に新大統領はイギリスのマーガレット・サッチャー首相と会談、ソ連を崩壊させることで合意している。その当時、すでにソ連のミハイル・ゴルバチョフはCIAのネットワークに取り囲まれていた。ブッシュはその年の5月、ジェームズ・リリーを中国駐在アメリカ大使に据えた。 ブッシュはジェラルド・フォード政権時代の1976年1月から77年1月にかけてCIA長官を務めているが、彼はエール大学時代、CIAからリクルートされたと言われている。同大学でCIAのリクルート担当はボート部のコーチを務めていたアレン・ウォルツだと言われているが、そのウォルツとブッシュは親しかったのだ。 しかも、ブッシュの父親であるプレスコットは銀行家から上院議員へ転身した人物で、ウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった。言うまでもなく、ダレスはOSSからCIAまで秘密工作を指揮していた人物だ。ブッシュは大学を卒業した後にカリブ海で活動、1974年から75年まで中国駐在特命全権公使(連絡事務所長)を務めている。 ジェームズ・リリーはジョージ・H・W・ブッシュとエール大学時代から親しく、ふたりとも大学でCIAにリクルートされた。リリーは中国山東省の青島生まれで中国語は堪能で、1951年にCIA入りしたと言われている。 このエール大学コンビは中国を揺さぶりにかかる。中国のアカデミーはビジネス界と同じように米英支配層の影響下にあり、揺さぶる実働部隊は主要大学の学生。現場で学生を指揮していたのはジーン・シャープで、彼の背後にはジョージ・ソロスもいたとされている。学生たちと結びついていた趙紫陽の後ろ盾は鄧小平だ。 中国とアメリカは当時、緊密な関係にあると見られていた。1972年2月にリチャード・ニクソン大統領(当時)が中国を訪問、北京政府を唯一の正当な政府と認め、台湾の独立を支持しないと表明して米中は国交を回復させているのだ。1980年には新自由主義の教祖的な存在だったミルトン・フリードマンが北京を訪問、新自由主義の推進役だった趙紫陽は1984年1月にアメリカを訪問、ホワイトハウスでロナルド・レーガン大統領と会談して両国の関係は緊密化していく。 新自由主義は社会的な強者に富を集中させる仕組みであり、中国でも貧富の差が拡大、1980年代の半ばになると労働者の不満が高まる。社会は不安定化して胡耀邦や趙紫陽は窮地に陥り、胡耀邦は1987年1月に総書記を辞任せざるをえなくなった。学生は新自由主義を支持していたが、新自由主義に反対する労働者も抗議活動を始めたいた。 そうした中、1988年にミルトン・フリードマンは8年ぶりに中国を訪問、趙紫陽や江沢民と会談したが、中国政府はその年に「経済改革」を実施している。労働者などからの不満に答えるかたちで軌道修正したと言えるだろう。 胡耀邦は1989年4月15日に死亡。新自由主義を支持する学生はその日から6月4日までの期間、天安門広場で中国政府に抗議する集会を開いたのだが、新自由主義に反対する労働者も抗議活動を始めたいた。 西側の政府や有力メディアは6月4日に軍隊が学生らに発砲して数百名を殺したと主張していた。広場から引き上げる戦車をクローズアップした写真を使い、「広場へ入ろうとする戦車を止める英雄」を作り上げているが、この写真が撮影されたのは6月5日のことだ。 例えば、当日に天安門広場での抗議活動を取材していたワシントン・ポスト紙のジェイ・マシューズは問題になった日に広場で誰も死んでいないとしている。広場に派遣された治安部隊は学生が平和的に引き上げることを許していたという。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 学生の指導グループに属していた吾爾開希は学生200名が殺されたと主張しているが、マシューズによると、虐殺があったとされる数時間前に吾爾開希らは広場を離れていたことが確認されている。北京ホテルから広場の真ん中で兵士が学生を撃つのを見たと主張するBBCの記者もいたが、記者がいた場所から広場の中心部は見えないことも判明している。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 西側の有力メディアは2017年12月、天安門広場で装甲兵員輸送車の銃撃によって1万人以上の市民が殺されたという話を伝えた。北京駐在のイギリス大使だったアラン・ドナルドが1989年6月5日にロンドンへ送った電信を見たというAFPの話を流したのだ。 しかし、これはドナルド大使自身が目撃したのではなく、「信頼できる情報源」の話の引用。その情報源が誰かは明らかにされていないが、そのほかの虐殺話は学生のリーダーから出ていた。当時、イギリスやアメリカは学生指導者と緊密な関係にあった。ドナルド大使の話も学生指導者から出たことが推測できる。 また、内部告発を支援しているウィキリークスが公表した北京のアメリカ大使館が出した1989年7月12日付けの通信文によると、広場へ入った兵士が手にしていたのは棍棒だけで群集への一斉射撃はなかったとチリの2等書記官だったカルロス・ギャロは話している。銃撃があったのは広場から少し離れた場所だったという。(WikiLeaks, “LATIN AMERICAN DIPLOMAT EYEWITNESS ACCOUNT O JUNE 3-4 EVENTS ON TIANANMEN SQUARE”) イギリスのデイリー・テレグラム紙が2011年6月4日に伝えた記事によると、BBCの北京特派員だったジェームズ・マイルズは2009年に天安門広場で虐殺はなかったと認めている。軍隊が広場へ入ったときに抗議活動の参加者はまだいたが、治安部隊と学生側が話し合った後、広場から立ち去ることが許されたという。マイルズも天安門広場で虐殺はなかったと話している。(The Daily Telegraph, 4 June 2011) 治安部隊とデモ隊が激しく衝突したのは広場から8キロメートル近く離れている木樨地站で、黒焦げになった複数の兵士の死体が撮影されている。このデモ隊は反自由主義を主張していた労働者だったと言われている。路上での衝突と広場の状況を重ねて語る人もいるが、全く違うのだ。 吾爾開希をはじめとする反政府活動の学生指導者たちはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。このルートを運営していたのは米英の情報機関、つまりCIAとMI6だ。吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡って独立運動に参加、つまり台湾で軍事的な緊張を高める仕事を始めた。
2024.06.05
閲覧総数 2843
10
NATO諸国はロシアを攻撃できる長距離精密兵器を供給、その兵器を扱える専門家を派遣、攻撃に必要な偵察衛星の情報を提供、ターゲットを選定、そのターゲットに関する情報も提供すると宣言している。つまり、NATOはロシアを攻撃すると言っているのだ。これを「宣戦布告」と表現する人もいる。それに対し、ロシア政府は攻撃されれば反撃すると宣言した。 ジョー・バイデンは大統領に就任して間もない段階で「ルビコン」をわたり、回帰不能点を超えた。2021年3月16日にABCニュースに出演、アンカーを務めるジョージ・ステファノプロスからウラジミル・「プーチンは人殺しだと思うか?」と問われ、「その通り」と答えているが、それだけでなく、ロシアに対する軍事的な圧力を強めている。すでに兵器だけでなく戦闘員をウクライナへ送り込んでいることは公然の秘密であり、ロシア領への攻撃も事実上、NATOが行なっているのだ。それでもロシア側が厳しい対応をしなかったことから、NATOは図に乗ったと言えるだろう。 アメリカの好戦派は1992年2月、国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。そのウォルフォウィッツが中心になって作成されたことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。 そのドクトリンの柱は「新たなライバルの出現を許さない」ということであり、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込むともされている。日本が1995年にアメリカの戦争マシーンに組み込まれたことは本ブログで繰り返し書いてきた。そこから現在までは一本道だ。 ジョー・バイデン政権はすでにルビコンをわたり、EU諸国の大半はバイデン政権にしたがっている。後戻りはできないのだが、前へ進めば核戦争に近づく。もし核戦争を望まないなら、ロシア政府はアメリカ政府に「ルビコン」を渡らせてはならなかったのだ。 バイデン政権がルビコンを渡ったのは、ロシアと戦っても楽勝できると信じていたからだろう。例えば、外交問題評議会(CFR)の定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載された論考には、アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると書かれている。アメリカの支配層にはそう信じている勢力が存在しているわけだ。 アメリカが軍事力を行使してもロシアは動かないともネオコンは信じていた。1991年1月の湾岸戦争でアメリカ主導軍がイラクへ軍事侵攻してもソ連は動かなかったことから、ロシアも動かないと思い込んだのだという。 その年の5月に国防総省を訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官はウォルフォウィッツからシリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると聞かされたという。その後、2001年9月11日から10日ほど後に統合参謀本部で攻撃予定国のリストが存在していたとも語っている。そのリストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていた。(3月、10月) ソ連が消滅、唯一の超大国になったアメリカは誰にも気兼ねすることなく行動できるという思い込みからウォルフォウィッツ・ドクトリン、そしてこうした計画は生まれた。ところが21世紀に入る頃にロシアは復活しはじめ、すでに生産力も戦力もロシアはアメリカを上回っているのだが、そうした現実を西側の支配層は受け入れられない。彼らは「神風」を信じているのだろう。
2024.06.10
閲覧総数 1900
11
ノルマンディー上陸作戦は1944年6月6日に実行された。その80周年を記念するイベントがノルマンディーで開催され、多くの人が参加したという。この作戦を題材にした作品「史上最大の作戦(The Longest Day)」をハリウッドの映画界は1962年に公開、多くの人はその映画で作戦のイメージを作り上げているようだが、この作戦はドイツ軍の主力がスターリングラードで壊滅、ドイツの敗北が決定的になってから1年半ほど後に実行されたのだ。 ノルマンディー上陸作戦と並行する形でソ連軍は1944年6月22日、ベラルーシに向かって進撃を開始、ワルシャワに到達、ベルリンが視界に入った。ドイツ軍はこの攻撃によって28個師団を失ったという。 ドイツ軍は1941年6月22日、ソ連に対する奇襲攻撃を開始した。バロバロッサ作戦だ。全戦力のうち約90万人を西部戦線に残し、約300万人を東方へ振り向けたのだ。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。ヒトラーは西から攻められないことを知っていたのではないかと疑う人もいる。 その前年、つまり1940年の5月下旬から6月上旬にかけて、イギリス軍とフランス軍34万人がフランスの港町ダンケルクから撤退しているのだが、その際、アドルフ・ヒトラーは追撃していたドイツ機甲部隊に進撃を停止するように命じている。そのまま進めばドイツ軍が英仏軍より早くダンケルクへ到達することは明らかだった。この停止命令はヘルマン・ゲーリングのアドバイスによるとも言われている。 第2次世界大戦の終盤、ドイツの幹部はウォール街の弁護士でOSSの幹部だったアレン・ダレスらと接触しているが、その一人がゲーリングだ。1930年代から親ファシズムで、ナチスに資金を援助していたウォール街の人脈はゲーリングを戦犯リストから外そうとしたが、ニュルンベルク裁判で検察官を務めたロバート・ジャクソンに拒否された。ゲーリングはニュルンベルクの国際軍事裁判で絞首刑が言い渡されたものの、処刑の前夜、何者かに渡された青酸カリウムを飲んで自殺している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) 1940年9月から41年5月までドイツ軍はロンドンを空襲しているが、空襲が終わった5月にアドルフ・ヒトラーの忠実な部下として知られているルドルフ・ヘスが単身、飛行機でスコットランドへ飛んでいる。パラシュートで降りたとされているが、イギリスで何があったのかは秘密にされている。無線通信を避けなければならない重要な情報をイギリス政府へ伝えるため、ヘスはドーバー海峡を渡ったのではないかと推測する人もいる。 1941年7月にドイツ軍はレニングラードを包囲、兵糧攻めにする。多くの死者が出たが、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにはことが進まない。この段階でドイツ軍は苦境に陥ったと見る人もいる。 同年9月にはモスクワまで80キロメートルの地点にドイツ軍は到達した。ヒトラーはソ連軍が敗北したと確信、再び立ち上がることはないと10月3日にベルリンで語っている。またウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015) しかし、レニングラードもモスクワも攻撃に耐え、1942年1月にドイツ軍はモスクワでソ連軍に降伏。残ったドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するのだが、11月からソ連軍が反撃、ドイツ軍25万人は完全包囲され、43年1月にドイツ軍は降伏。主力が壊滅したドイツ軍の敗北は決定的だった。 これを見て慌てたイギリスやアメリカの支配層は動き始め、1943年1月にウィンストン・チャーチル英首相とフランクリン・ルーズベルト米大統領はモロッコのカサブランカで会談、シチリア島とイタリア本土への上陸を決定。米英両国軍はその年の7月にシチリア島へ上陸、9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏する。ドイツ軍の主力は東部戦線で壊滅していたわけで、難しい作戦ではなかった。そして1944年6月6日のノルマンディー上陸だ。 大戦後、イスメイはNATOの初代事務総長に就任、NATO創設の目的はソ連をヨーロッパから締め出し、アメリカを引き入れ、ドイツを押さえつけることのあるとしている。
2024.06.08
閲覧総数 1751
12
WHO(世界保健機関)の最高意思決定機関である世界保健総会が5月27日から6月1日までスイスのジュネーブで開催された。今回は感染症対策という名目で世界を支配する仕組みを作り上げようという「パンデミック条約」やIHR(国際保健規則)の改定が予定されていたが、反発が強く条約を合意に至らなかった。IHR改定は多くの加盟国が欠席する中、採決されたとされている。 強大な私的権力に支配されているWHOだが、世界を押さえ込む力はなくなっている。パンデミック条約やIHRの改定にロシア、イラン、スロバキア、コスタリカ、アルゼンチンは公然と反対しているが、「パンデミック条約」にもIHR改定にも署名するつもりはないと公言していたスロバキアのロベルト・フィツォ首相は5月15日に銃撃された。 親欧米派の政党「進歩スロバキア」の活動家だという71歳の男性ユライ・チントゥラがその場で逮捕され、その妻も拘束されたと伝えられているが、銃撃から4時間後、容疑者のフェイスブックの通信内容と履歴が削除されたという。 現場にいて逮捕されたチントゥラ自身に削除のチャンスがあるようには思えず、彼の妻は技術に疎い。夫妻以外の何者かが削除した可能性が高いということであり、暗殺未遂事件の背後に組織が存在していることを窺わせる。 スロバキアの内相は5月21日、スロバキアのテレビで銃撃事件について「単独犯でなく、その背後で何かが進行している」と語っている。すでにスロバキアではメディアの一部はチントゥラの背後にウクライナが存在している可能性があると囁き始めた。確かに状況証拠はそうした方向を示しているのだが、ウクライナの大統領はイギリスの情報機関であるMI6、ウクライナの情報機関はアメリカのCIAに従属している。 ウクライナは2005年8月、「病原体」を保管し研究しているウクライナのバイオラボの管理をアメリカ政府に引き渡すという協定をアメリカと結んだ。その協定はウクライナの施設において生物兵器の開発に利用できる技術、病原体、知識の拡散を防ぐことに重点を置いているとされているが、この時からアメリカの国防総省はウクライナで生物兵器の研究開発を開始したのだ。生体実験も行われている。 ウクライナでの研究開発はDARPA(国防高等研究計画局)やDTRA(国防脅威削減局)が中心になって行われたが、「パンデミック」計画もDARPAとDTRAが中心になっている。アメリカではすでに国防総省が保健当局を取り込み、「COVID-19対策」を軍事作戦として行っているようだ。 国防総省は2019年11月、つまり中国湖北省の武漢でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見される前に「COVID-19研究」のため、ラビリンス・グローバル・ヘルスへ「SME原稿文書化およびCOVID-19調査」を発注している。この契約は「ウクライナにおける生物学的脅威削減プログラム」のためのプロジェクトの一部だという。武漢で患者が発見される前、そしてウイルスの名前が決まる前からアメリカの国防総省は「COVID-19」を知っていたことになる。 また、モデルナはアンソニー・ファウチが所長を務めるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)と共同開発した「mRNAワクチン」候補について、2019年12月初旬に守秘義務契約を結び、その候補をノースカロライナ大学チャペルヒル校に譲渡することで合意している。 その直前、武漢では2019年10月18日から27日にかけて国際的な軍人の競技会が開かれ、アメリカも選手団を派遣。その前、10月18日にはコロナウイルスが全世界で流行するというシミュレーション「イベント201」がニューヨークで開かれている。主催者はジョンズ・ホプキンス健康安全保障センター、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団、そしてWEF(世界経済フォーラム)だ。 アメリカの国防総省は2019年当時、ウクライナ軍にドンバスへの大規模な軍事侵攻が2022年春に行われることを知っていた、あるいは計画していたのではないだろうか。これはロシア征服作戦の一環だったはずだ。アメリカとイスラエルの後押しでジョージアは2008年8月に南オセチアを奇襲攻撃したが、これはロシア征服戦争の始まりだったように見える。勿論、アメリカはロシアに楽勝するつもりだったはずで、世界を制圧した状態で「COVID-19プロジェクト」を仕上げる予定だったのだろう。
2024.06.04
閲覧総数 1745
13
イスラエルによるパレスチナ人虐殺は続いている。誰も止められないどころか、アメリカやイギリスをはじめとする西側諸国は武器を供与するなど支援し続けているのだ。 西側諸国は自由、民主、人権といった衣をまとっているが、その下から帝国主義という鎧が現れた。イスラエルを作り上げたのは帝国主義国のひとつであるイギリス。その際に利用されたのがシオニストだ。 今から57年前の6月5日、シオニストの国であるイスラエルはエジプトに対する空爆を開始した。第3次中東戦争の勃発である。この戦争でイスラエル軍は圧勝、ガザ、ヨルダン川西岸、シナイ半島、ゴラン高原を占領した。「イスラエル建国」の際に制圧しそこねた地域の一部を占領することに成功したのである。 この戦争ではアメリカがイスラエルを支援している。例えば、ドイツに駐留していたアメリカ空軍第26戦術偵察航空団第38戦術偵察大隊に所属する4機の偵察機RF-4Cが6月4日にイスラエルへ向かい、ネゲブの基地で塗装をイスラエル軍の航空機のように塗り替えた上で偵察飛行し、上空から撮影した写真をイスラエル側へ提供している。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) その戦争の最中、1967年6月8日にアメリカ政府は情報収集船のリバティを地中海の東部、イスラエルの沖へ派遣した。そのリバティをイスラエル軍は攻撃する。 午前6時(現地時間、以下同じ)、10時、10時半、11時26分、12時20分にイスラエル軍の航空機がリバティ近くを飛行、アメリカの艦船であることを確認した上で、14時5分に3きのミラージュ戦闘機が攻撃を開始した。 イスラエル軍機はまず船の通信設備を破壊したが、14時10分には船の通信兵が寄せ集めの装置とアンテナで第6艦隊へ遭難信号を発信することに成功、それに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害してきた。その後もイスラエル軍は繰り返し船を攻撃、乗組員9名が死亡、25名が行方不明、171名が負傷した。 遭難信号を受信したとき、第6艦隊の空母サラトガは訓練の最中。甲板にはすぐ離陸できる4機のA1スカイホークがあった。艦長は船首を風上に向けさせて戦闘機を離陸させている。イスラエルが攻撃を開始してから15分も経っていない。そこからリバティ号まで約30分あれば現場へ到達できる。 艦長は艦隊の司令官に連絡、司令官は戦闘機の派遣を承認し、もう1隻の空母アメリカにもリバティを守るために戦闘機を向かわせるように命じるのだが、空母アメリカの艦長がすぐに動くことはなかった。リバティが攻撃されたことはリンドン・ジョンソン大統領へすぐに報告されたが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んでいる。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) ちなみに、ジョンソンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはシオニストの富豪で、ハリー・トルーマンのスポンサーとしても知られている。イスラエルを「建国」しようというシオニストへ多額の資金を提供していたことも有名だ。(Will Banyan, “The ‘Rothschild connection’”, Lobster 63, Summer 2012) 第6艦隊の第60任務部隊は15時16分、空母サラトガと空母アメリカに対して8機をリバティ救援のために派遣し、攻撃者を破壊するか追い払うように命令、16時前後に現場へ到着するとホワイトハウスに連絡している。 その直後にイスラエル軍の魚雷艇は最後の攻撃を実行し、16時14分にイスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れた。 リバティが攻撃されている間、イスラエル軍による交信をアメリカの情報機関は傍受、記録していた。その中でイスラエル軍のパイロットは目標がアメリカ軍の艦船だと報告、それに対して地上の司令部は命令通りに攻撃するように命令している。イスラエル軍はアメリカの艦船だと知った上で攻撃していることをアメリカの情報機関は知っていた。 交信を記録したテープは重要な証拠だが、アメリカでは電子情報機関のNSAがそうしたテープを大量に廃棄したという。複数の大統領へのブリーフィングを担当した経験を持つCIAの元分析官、レイ・マクガバンもこうした隠蔽工作があったと確認している。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) ジョンソン政権はイスラエル軍による攻撃を隠蔽しようとしただけではなく、ジョンソン政権こそが計画の主体だとする見方がある。この政権で秘密工作を統括していたグループは「303委員会」と呼ばれていたが、そこで1967年4月にフロントレット615という計画が説明されたという。リバティを潜水艦と一緒に地中海の東岸、イスラエル沖へ派遣するというもので、実際、後にリバティや潜水艦は派遣された。 この計画の中にサイアナイド作戦なるサブ作戦が存在しているとも言われている。リバティを沈没させ、その責任をエジプト、あるいはソ連に押しつけて戦争を始めようとしたのではないかというのだ。トンキン湾事件という偽旗作戦を利用してベトナムで本格的な戦争を始めたジョンソン政権が中東でも似たことを目論んだ可能性は否定できない。もしサイアナイド作戦が事実なら、イスラエルはアメリカの重大な弱みを握ったことになる。 イスラエル軍がアメリカの情報収集船を攻撃する様子を、近くにいたアメリカの潜水艦アンバージャックが潜望鏡を使って見ていたとする証言もある。リバティの乗組員も潜望鏡を見たとしている。ただ、記録したはずのデータは見つからない。 リバティに対する攻撃の後、アメリカ政府は関係者に箝口令を敷き、重要な情報を公開していない。イスラエルでは機密文書が公開されるのは50年後と決められているため、イスラエルが開戦に踏み切った目的、戦争の実態、リバティを攻撃した本当の理由などを知ることのできる資料が2017年に公表されるはずだったのだが、2010年7月にイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は情報公開の時期を20年間遅らせることを決めている。勿論、2037年に公開される保証はない。
2024.06.09
閲覧総数 1500
14
アメリカのノースウェスタン大学で行われた研究の結果、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)」に感染したとされて人工呼吸器を装着され、死亡したとされた人の大半の死因は細菌性肺炎であり、ウイルスが原因ではないことがわかったという。 WHO(世界保健機関)は2020年1月30日に緊急事態を、3月11日にパンデミックをそれぞれ宣言した。2020年4月になるとWHOやアメリカのCDC(疾病予防管理センター)は、医学的な矛盾がなく、明白な別の死因がないならば、あるいは適度な確かさがあるならば、COVID-19を死因としてかまわないと通達した。 アメリカ上院のスコット・ジャンセン議員はその年の4月8日にFOXニュースの番組に出て、病院では死人が出ると検査をしないまま死亡診断書に新型コロナウイルスと書き込んでいると話している。COVID-19に感染している場合、病院が受け取れる金額が多くなるからで、人工呼吸器をつけるとその額は3倍になるという。そこで必要がないにもかかわらず人工呼吸器を装着するケースが少なくなかったようだ。人工呼吸器が死因になっているとするならば、患者を死なせる政策を打ち出していたことになる。 パンデミック宣言を正当化するためには「感染者」を大きく見せる必要もある。そこで利用されたのがPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査にほかならない。これは特定の遺伝子型を試験管の中で増幅する分析のための技術だが、増幅できる遺伝子の長さはウイルス全体の数百分の1程度にすぎず、ウイルス自体を見つけることはできない。 増幅の回数(Ct値)を増やしていけば医学的に意味のないほど微量の遺伝子が存在しても陽性になり、偽陽性も増える。偽陽性を排除するためにはCt値を17以下にしなければならず、35を超すと偽陽性の比率は97%になるとも報告されている。ちなみに、2020年3月19日に国立感染症研究所が出した「病原体検出マニュアル」のCt値は40だ。 Ct値をこうした数値に設定したならPCR検査は無意味だが、結果だけは出るので人びとを騙す材料には使える。PCRを開発、1993年にノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスもPCRをウイルスの検査に使ってはならないと語っていた。 PCRを診断に使う危険性をアメリカの有力紙も指摘している。例えばニューヨーク・タイムズ紙は2007年1月に掲載した記事で、PCRのような高感度の簡易検査は、伝染病が蔓延していると誤って判断させる原因になりうると警鐘を鳴らしている。 同紙によると、ニューハンプシャー州にあるダートマース・ヒッチコック医療センターで2006年4月にあった出来事がその一例。ひとりの医師が2週間ほど咳き込み、他の医療関係者も咳をするようになったことから百日咳が疑われる。そこで医療センターで働く1000名近くが簡易検査を受け、勤務から外され、そのうち142名が感染しているとされた。 数千名がワクチンを接種する事態になったのだが、何人かは本格的な検査の結果、百日咳菌に感染していた人は確認されず、通常の風邪だった可能性が高いことがわかる。騒動が始まってから8カ月後、関係者は伝染病が発生したとする警報はまちがいだったことを知らされた。こうした間違いを引き起こした原因のひとつがPCRのような高感度の簡易検査だと指摘されている。PCRをパンデミックの判断に使うことは危険だとアメリカの有力紙は熟知していたのだ。 そして、COVID-19対策だとして安全性が確認されていない遺伝子操作薬が世界規模で接種された。この新薬はコロナウイルスのスパイク・タンパク質を人間の細胞に製造させ、それによって抗体を作って免疫を高めることになっている。 このスパイク・タンパク質こそが病気の原因だという事実をカリフォルニア州サンディエゴ郊外にあるソーク研究所が2021年3月に発表している。解説記事も出された。 スパイク・タンパク質は血管へ入り込み、血管にダメージを与えて血栓や出血の原因になる。さまざまな臓器に炎症を引き起こすが、脳へも侵入。神経系の症状が出るのもそのためだと見えられている。脳に蓄積されたスパイク・タンパク質はパーキンソン病、アルツハイマー病、痴呆症などの原因になるとも指摘されている。 抗体には感染を防ぐ「中和抗体」と感染を防がない「結合(非中和)抗体」があり、結合抗体はウイルスを免疫細胞へ侵入させて免疫の機能を混乱させ、ADE(抗体依存性感染増強)を引き起こすと考えられている。 当初の宣伝とは違い、細胞がスパイク・タンパク質を作り続ける期間は1カ月以上に及ぶことがわかっている。その間、人間の免疫システムは自分の細胞を攻撃することになる。自己免疫疾患を引き起こすのだが、その一方で免疫力を低下させてエイズ状態を作り出す。LNP(脂質ナノ粒子)やグラフェン誘導体によっても人体に害を及ぼし、最近ではDNAの混入が発覚した。ファイザー製の製品に含まれていたDNAには発癌性ウイルスであるSV(シミアン・ウイルス)40の塩基配列の一部が入っていることがわかったという。それがゲノムの中に入ってしまうという。 これはサルを宿主とするポリオーマウイルスで、人間の体内に入り込むと癌を誘発する。1950年代にポリオ・ワクチンが開発された際、それを投与したサルがポリオを発症することが判明、バーニス・エディという研究者はワクチンの中にSV40が混入していることにも気づく。彼女は講演会でこのウイルスが人間の体内に入り込むと癌を誘発すると話している。 エディはNIH(国立衛生研究所)に所属していた研究者だが、その発言にNIHの上司は激怒、組織の幹部は警告を封印し、医薬品メーカーはワクチンの製造を続ける。1961年7月に製造は止まってリコールが宣言されたものの、NIHは市場へ出回っている製品の回収を命じなかった。そこでアメリカ人は発癌性のワクチンを1961年から63年にかけて接種されることになる。その後、SV40が原因だと推測される病気が増えていった。
2023.05.23
閲覧総数 4370
15
厚生労働省は5月24日、今年3月分の「人口動態統計速報」を発表した。死亡者数は14万4451人と高い。mRNA技術を利用した「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種が始まってから日本人の健康状態は悪化しているが、これは短期的な副作用。中期、長期の副作用はこれからだろうが、同省がデータの公表を中止しているところを見ると、すでに深刻な状況の悪化が現れているのかもしれない。 この問題では情報の隠蔽が徹底しているが、その理由をサーシャ・ラティポワが明らかにしている。パンデミック騒動が始まって間もない頃から彼女は黒幕はアメリカ国防総省で、バラク・オバマ政権が始めたと主張している。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。 ロシア議会が発表した報告書の180ページから181ページにかけて次のような記述がある。「アメリカは人間だけでなく動物や農作物も標的にできる普遍的な遺伝子操作生物兵器の開発を目指している。その使用はとりわけ敵に大規模で回復不可能な経済的損害を与えることを前提としている。」「避けられない直接的な軍事衝突の可能性を見越して、秘密裏に標的を定めて使用することで、たとえ他の大量破壊兵器を保有している相手であっても、アメリカ軍が優位に立てる可能性がある。アメリカ軍の戦略家によれば、ある特定の時期に、ある特定の地域で、異常な伝染病を引き起こす可能性のある生物学的製剤を、秘密裏に、かつ標的を定めて使用した場合の結果は核の冬に匹敵する可能性がある。」 この「万能生物兵器」の特性は日本で治験が始まった「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」に似ている。それを日本政府は日本人に接種しようとしている。動物の種を超えるだけでなく植物へも伝染する可能性がある「人工ウイルス」、あるいは生物兵器を日本人で実験しようとしている。
2024.05.29
閲覧総数 2799
16
6月21日の「櫻井ジャーナルトーク」は満席になったそうです。ありがとうございました。テーマは「苦境に陥った米国と生物兵器」を予定していますが、状況によっては変更する場合があります。櫻井 春彦
2024.06.05
閲覧総数 848
17
犯罪組織と同じように、シティやウォール街を拠点とする西側の支配システムは「暴力」が基本になっている。暴力で威圧し、従属させようとしてきた。そのため、映画で「アメリカは強い」というイメージを世界の人びとに植えつけるだけでなく、見せしめのために弱小国を破壊することもある。この構図が崩れ始めている。 1991年12月にソ連が消滅した時、ネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識、92年2月には国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。その中でドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、新たなライバルの出現を防ぐことが謳われている。 それに対し、細川護煕政権は国連中心主義を打ち出したものの、ネオコンの怒りを買い、1994年4月に倒された。同年6月に自民、社民、さきがけの連立政権が誕生、村山富市が首相に就任して抵抗する。 そうした動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に訴え、95年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。沖縄ではこの報告に対する怒りのエネルギーが高まり、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件で爆発する。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年に日本はウォルフォウィッツ・ドクトリンに書かれている通り、アメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。 中国ではアカデミーやビジネスの世界をアメリカは支配、ソ連消滅後にロシアの軍事力は弱体化したと考えたネオコンは全面核戦争に勝てると思い始めたようだ。そうした主張が米英支配層と深い関係にある外交問題評議会(CFR)の定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載された。アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるというのだ。 この分析が間違っていることは2008年8月に判明している。イスラエルやアメリカを後ろ盾とするジョージア軍が北京で夏季オリンピックが開かれていた期間を狙い、南オセチアを奇襲攻撃したのだが、完膚なきまで叩きのめされたのである。 イスラエルは2001年からジョージアに武器/兵器を含む軍事物資を提供、将兵を訓練しはじめている。イスラエルから供給された装備には無人飛行機、暗視装置、防空システム、砲弾、ロケット、電子システムなども含まれていた。 当時のジョージア政府にはヘブライ語を流暢に話す閣僚がふたりいたことも知られている。ひとりは奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリであり、もうひとりは南オセチア問題で交渉を担当しているテムル・ヤコバシビリだ。 そのほか、アメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を2008年1月から4月にかけてジョージアへ派遣して軍事訓練を実施、同年7月にはコンドリーサ・ライス国務長官がジョージアを訪問している。南オセチアへの奇襲攻撃はその翌月だ。アメリカ政府の承認を受けての奇襲攻撃だったのだろう。 アメリカはアル・カイダ系武装集団を使って2011年春にリビアやシリアへ軍事侵攻、同年10月にはリビアの破壊に成功、その際にムアンマル・アル・カダフィを惨殺している。 カダフィ体制が崩壊した後、アメリカはシリアでの戦争に集中するのだが、バシャール・アル・アサド政権は倒れない。そこでリビアと同じようにアメリカ/NATOはシリアを直接攻撃すると言われ始めたが、そうした中、2013年9月に地中海からシリアへ向かって2機のミサイルが発射された。 ところが、このミサイルは途中で海中へ落ちてしまう。イスラエルはミサイルの発射実験を行ったと発表するが、事前の警告はなく、ロシア軍がECM(電子対抗手段)を使ったと言われている。ドナルド・トランプ大統領が2度試みたシリアへのミサイル攻撃もECMを含むロシア製防空システムに阻まれた。 2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権はウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒す。アメリカ/NATOはロシアに対する威嚇を開始、2014年4月にはアメリカ海軍の駆逐艦ドナルド・クックを黒海へ入れ、ロシア領に接近させた。 ところが、その艦船の近くをロシア軍のSu24が飛行すると状況が一変した。ドナルド・クックはすぐルーマニアの港へ入り、その後、ロシアの国境には近づかなくなったのだ。ロシアでの報道によると、ロシア軍機は「キビニECMシステム」を搭載、ドナルド・クックのイージス・システムを麻痺させたという。 こうしたことからロシア軍は電子戦でアメリカ/NATO軍を上回っていると言われるようになったが、その推測が正しいことは2022年にロシア軍がウクライナ軍を攻撃し始めてから明確になった。 アメリカ/NATOはウクライナにロシア軍を攻撃させるため、武器弾薬を供給するだけでなく戦闘員も送り込んでいるが、HIMARS(高機動砲兵ロケットシステム)を含む西側のGPS(全地球測位システム)を使った兵器はロシア軍の妨害技術で無力化されている。これはウクライナだけの問題でなく、中国やイランを含む世界の国々が注目しているはずだ。 攻撃能力の面でもロシアがアメリカを上回っていることは明白。「無敵のアメリカ」というハリウッドが作り上げたイメージは崩れ始めている。そのイメージを維持するため、アメリカ/NATOはロシアを核戦争で威嚇しているのだが、「受けて立つ」と返されている。楽勝するつもりで始めた戦争でアメリカ/NATOは窮地に陥った。「神風」が吹くとは思えない。 アメリカ/NATOではウクライナにロシア領内奥深くを攻撃させろと叫ぶ議員が現れ、ジョー・バイデン政権はウクライナにロシア領攻撃を許可したと伝えられているが、それに対し、ロシア軍はリビウ近郊にあるヤボリブ訓練場を極超音速ミサイルのKh-47M2キンジャールで攻撃した。ここにはNATO諸国の教官やウクライナ軍の軍人300人以上がいたと言われている。今後、状況によってはウクライナの周辺にある軍事施設も目標になる可能性があるだろう。 勿論、アメリカがロシアと並ぶ核兵器の保有国であることは確かで、自暴自棄になり、原爆を手にした当時に描いた計画通りに核兵器を使った場合、世界は破滅する。アメリカは自分たちが滅びることになれば、その前に世界を滅ぼそうとすると言う人もいるようだが、間違いではない。ジョー・バイデンは現在のアメリカを象徴する人物だ。
2024.06.01
閲覧総数 2464
18
朝鮮の金正恩労働党委員長は9月11日、ロシアのウラジオストクに到着した。EEF(東方経済フォーラム)に出席し、ウラジミル・プーチン露大統領と会談するためだ。 アメリカは日本や韓国を引き連れて東アジアの軍事的な緊張を高めているが、そのために朝鮮を利用してきた。朝鮮が相手なら少々のことをしても大丈夫だと高を括っていたのだろうが、これからはそれなりの覚悟が必要になる。 しかし、日本人の大半はそうした覚悟ができていないだろう。ネオコンやその後ろ盾に従属することで自らの地位と収入を維持している日本の「エリート」はアメリカの強さを演出し、そのアメリカに従っていれば日本は心配する必要がないと日本の庶民に思わせたいのだろう。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、ネオコンはソ連が消滅した直後の1992年2月にアメリカの国防総省はDPG草案という形で世界制覇プラン、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を作成。その中でドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れ、新たなライバルの出現を防ぐとしている。 このドクトリンに日本を従わせるため、1995年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表したが、それと前後して奇怪な出来事が相次いだ。 例えば、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、その10日後には警察庁の國松孝次長官が狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。 アメリカの戦争マシーンに組み込まれた日本は必然的に戦争への道を歩み始める。そして自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設、19年には奄美大島と宮古島にも作った。2023年には石垣島でも完成させている。 この軍事施設はアメリカの戦略に基づくもの。アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようとしているが、配備できそうな国は日本だけ。その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約があるため、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにする。そしてASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたという。 ところが、昨年10月、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。日本のミサイル開発を待っていられなくなったのだろう。 トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートルとされている。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されている。 このミサイルを使う自衛隊の戦力は約25万人、予備役は約5万6000年、日本と同盟関係にある韓国軍の戦力は約50万人、予備役は310万人ということになる。アメリカ軍はオーストラリアを拠点にし、航空兵力は太平洋の島に分散させると見られている。 アメリカはユーラシア大陸の東岸で十分の手下を見つけられなかったようで、AUKUSなる軍事同盟を組織した。オーストラリア(A)、イギリス(UK)、アメリカ(US)のアングロ・サクソン同盟だ。そこへ日本は近づこうとしている。 明治維新、そして明治体制の東アジア侵略の背後にはアングロ・サクソン系のイギリスとアメリカが存在していた。琉球併合、台湾派兵、江華島への軍艦派遣、日清戦争、日露戦争と続くが、いずれも米英の戦略に合致している。 日露戦争で日本に戦費を用立てたのは、ロスチャイルド系金融機関のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。戦争の調停に乗り出したセオドア・ルーズベルト米大統領はハーバード大学出身だが、その先輩にあたる金子堅太郎と親しかった。ちなみに、関東大震災以降、日本に大きな影響力を及ぼすことになった金融機関は親ファシズムのJPモルガンだ。 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語った。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びついた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015) アラスカ、ハワイ、フィリピンを手に入れ、東アジア侵略を視野に入れていたアメリカにとって日本の韓国併合は願ってもないことだった。アメリカが最も欲しがっていた場所はカリフォルニアのはるか西にある「新たな西部」、つまり中国東北部だった。その場所に日本は「満州国」を建国することになる。
2023.09.13
閲覧総数 4505
19
ロシアのウラジミル・プーチン大統領は新内閣の陣容を明らかにしているが、中でも国防大臣の交代が注目されている。2012年から国防相を務めていたセルゲイ・ショイグを安全保障会議の書記へ移動させ、副首相を務めていた経済を専門とするアンドレイ・ベローゾフを後任に据えた。この人事は先月、国防副大臣だったティムール・イワノフが収賄の容疑で逮捕されたことと関係があると推測する人もいる。この逮捕がショイグにも影響を及ぼしているはずだ。 ロシアがウクライナに対する攻撃を初めて間もない2022年夏にイワノフはスベトラーナ・マニオビッチと離婚しているが、これは西側によるイワノフへの「制裁」を回避することが目的だったと言われている。ヨーロッパで贅沢な生活をしていた「元妻」はイスラエルとつながりがあり、息子が留学している(徴兵逃れと言われている)というイギリスへ渡ったとも伝えられていた。 当然のことながら、ロシアでは軍事予算が膨らんでいる。イワノフが行ったような行為は許されない。彼の事件を利用してプーチン政権は軍の粛清を実行したのではないだろうか。 ベローゾフを新国防大臣に据えた理由は「軍事経済を国民経済とより深く統合する」ことにあるという。軍事予算が一般経済に悪影響を及ぼすことがないよう、先手を打ったのかもしれないが、軍事分野で進む技術的な革新を一般経済へも波及させる意図があるのかもしれない。 ロシアを壊滅させるのは簡単だとアメリカの好戦派、いわゆる「チキン・ホーク」は信じ、ロシアを「国を装ったガソリンスタンド」、「核兵器を持ったガソリンスタンド」だと表現していた。アメリカ支配層の広報誌的な存在である「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載された論文には、アメリカのエリートはアメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると主張する論考が載っていた。 また、ロシアについて詳しい専門家とされていたアン・アップルバウムは2018年春、プーチンたちが「技術革新と起業家精神を阻害する腐敗した経済」を作り上げ、ロシアを貧困化させたとしていたが、実際は逆だ。大多数のロシア人を地獄へ突き落とし、富を欧米の私的権力へ流していたボリス・エリツィン政権の仕組みを壊し、生活を向上させてロシアを繁栄させている。アップルバウムが西側で引っ張りだこになった理由は、西側の人びとが聞きたい話をしたからにすぎない。 プーチンがロシア経済を復活させたということは、西側の私的権力が甘い汁を吸えなくなったことを意味する。しかも軍事力も再建、アメリカ/NATOは軍事力で世界を脅すことができなくなった。プーチンに罵詈雑言を浴びせたくなる気持ちがわからないでもない。 その私的権力は2022年2月にロシアをウクライナでの戦乱に巻き込むが、先制攻撃で叩くことには失敗した。彼らはロシアに対する「経済制裁」でロシア経済は崩壊すると信じていたようだが、ロシア経済は成長し、経済の崩壊が始まったのはヨーロッパで、アメリカでも悪い影響が現れている。 エリツィン時代のロシアでは西側資本の手先になったグループが大儲けし、オリガルヒと呼ばれるようになった。例えばミハイル・ホドルコフスキー、アレックス・コナニヒン、ロマン・アブラモビッチ、ボリス・ベレゾフスキーたち。ソ連が消滅した1991年当時、ベレゾフスキーは45歳だが、その他は25歳から28歳と若い。 その背後にはソ連消滅を画策したKGB人脈が存在していたとも言われている。KGBの頭脳とも言われていたフィリップ・ボブコフのようなKGBの幹部だ。オリガルヒは犯罪組織を後ろ盾にしていたが、その組織にはソ連時代の情報機関員や治安機関員が加わっていたという。ちなみに、ミハイル・ゴルバチョフはボブコフのプランに従ってペレストロイカを進め、1990年に東西ドイツの統一を認めている。【追加】 ロシア国防省人事局長のユーリー・クズネツォフ中将が拘束され、家宅捜索が実施されたと伝えられている。クズネツォフは2010年から23年まで参謀本部第8局長を務め、国家機密保護業務を担当している。主要人事局長に任命されたのは2023年5月だという。ウクライナでの勝利が確定的になる中、軍内で掃除が始まったようだ。
2024.05.14
閲覧総数 2560
20
安倍晋三首相が靖国神社を参拝して以来、欧米の政府やメディアの日本を見る目が厳しくなっている。この神社は日本がアジアを侵略した象徴的な存在であり、そこを参拝するということは侵略を肯定していると解釈されて当然。日本がアジアを侵略、その責任を連合国は極東国際軍事裁判(東京裁判)で問い、「民主的」な憲法に基づいて日本は再出発したということになっているのだが、そうした仕掛けを靖国神社参拝は破壊することになりかねない。 欧米諸国もこれまで侵略を続けてきた。ソ連が消滅してからだけでも「西側」はユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアなどを先制攻撃、ベネズエラやホンジュラスでクーデターを試みてベネズエラでは失敗したが、ホンジュラスでは成功した。最近ではウクライナで体制転覆プロジェクトを実行中だ。 こうした侵略行為の目的は巨大資本の利権を守り、拡大することにある。そうした利権にとって邪魔な存在は物理的に排除、つまり拘束したり虐殺したりするわけだが、その手先としてファシストやアル・カイダのような民主主義とは無縁の存在を使ってきた。 つまり、安倍政権がいかにファシスト的な体質であろうと、欧米支配層は驚かない。安倍政権を見る目が厳しいのは、この政権が反民主主義的、国粋主義的だからではなく、その愚かさによって欧米の支配システムを揺るがしかねないからだ。 昨年11月と12月に安倍首相が任命したNHKの経営委員のうち、小説家の百田尚樹は南京大虐殺を否定、東京裁判について、東京大空襲や原爆投下を「悲惨な大虐殺」を「ごまかすための裁判だった」と主張している。 東京裁判は日本が降伏し、その戦争責任を問い、「新生日本」をスタートさせるための儀式だった。日本の支配層は自分たちが降伏した意味を理解していなかったようだが、当時、連合国の中には昭和天皇の戦争責任を問うべきだとする声があった。天皇制が廃止される可能性も小さくはなかったのである。 そうした展開になることを恐れたのがアメリカの巨大資本。本ブログでは何度も書いていることだが、彼らは関東大震災のあった1923年から日本に大きな影響力を及ぼしはじめ、皇室とも緊密な関係を築いていた。この日米関係を戦後も維持するためには、天皇制を存続させる必要があり、早い段階で天皇制の維持を盛り込んだ「民主的憲法」を成立させ、戦争責任をとらせたという形を作りたかったのである。 つまり、百田の主張は単に事実を無視しているだけでなく、そうした天皇制維持の仕掛けを否定するもので、天皇をはじめとする「皇族」の戦争責任を問う議論を蒸し返し、アメリカ支配層が日本を支配するシステムを揺るがしかねない。 やはりNHKの経営委員に任命された埼玉大学名誉教授の長谷川三千子は「大悲会」の会長だった野村秋介に対する追悼文の中で、野村の自殺によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである」としている。「人間宣言」は天皇の戦争責任を問う声を封印し、天皇制を維持する仕組みのひとつだった。 NHKの新会長、籾井勝人は「従軍慰安婦」について「どこでもあったと思いますね、僕は」と根拠を示さずに断言、だから日本だけが非難されるのはおかしいと主張、韓国を恐喝犯であるかのように表現して周辺国を挑発した。これも、昭和天皇をはじめとする日本人の戦争責任を問う声を高めることになりかねない発言だ。 ウクライナではネオ・ナチの「スボボダ(全ウクライナ連合『自由』)」を使い、欧米の支配層、特にネオコン(アメリカの親イスラエル派)は内乱に近い状況を作ろうとしているが、ナチを連想させる党名や党旗を変更して「本音」を隠している。そうすることで欧米の支援を得ようとしているわけだ。 ところが日本のファシスト、つまり安倍晋三の一派は「本音」、イデオロギーをあからさまに主張している。これでは、手先として使い物にならないとアメリカの支配層は考え始めているだろう。特定秘密保護法、国家安全保障基本法、TPP、集団的自衛権などの実現、いわば汚い仕事を仕上げさせたうえで処分するつもりではないだろうか?
2014.02.17
閲覧総数 126
21
いかなる人にも思想信条の自由は認めなければならない。そうした自由を認めないとしているのが安倍晋三首相や彼を担いでいる人びとだ。教育への介入強化、「日の丸」や「君が代」の強制はその一例。人びとが判断するために必要な公的な情報を官僚の都合で際限なく制限できることにした特定秘密保護法も思想信条の自由を国民から奪うものだと言える。 前にも書いたが、日本では「愚民化政策」が推進されている。「教育」や「報道」の力を使い、「エリート」の暗示に従って行動するような人間、お仕着せの「思想信条」を受け入れ、自分自身は考えない人間、「エリート」のために命を投げ出す忠実な下部を育てようというわけだ。そうした忠実な下部を「エリート」は「愛国者」と表現する。 かつて、日本の支配層は「愛国者」を操るため、彼らが心地よく侵略に協力できるように「大東亜共栄圏」なる物語を作り出した。一種の幻術だが、敗戦から69年を経た現在でもこの幻術から抜け出せない人も少なくない。その中には公的な役職に就いている者もいる。 例えば、安倍首相が任命したNHKの経営委員。昨年11月に小説家の百田尚樹、日本たばこ産業顧問の本田勝彦、12月に埼玉大学名誉教授の長谷川三千子、海陽学園海陽中等教育学校長の中島尚正が新たに任命され、中島と長谷川と一緒に九州旅客鉄道会長の石原進が再任された。この5名を含む12名で構成される経営委員会によって選任されたNHK会長があの籾井勝人。「従軍慰安婦」は「どこの国にもあったこと。」と根拠もなく言い切った御仁だ。 この籾井に続き、世界から驚かれる発言をしたのが百田。都知事選に立候補した田母神俊雄元航空幕僚長を応援しているのだが、その中で極東国際軍事裁判(東京裁判)について、東京大空襲や原爆投下という「悲惨な大虐殺」を「ごまかすための裁判だった」と語り、南京大虐殺も否定したという。 東京大空襲や原爆投下が非戦闘員の虐殺だったことは否定しないが、1937年12月に日本軍が南京を攻略する際に住民を虐殺したことは日本軍も認めている事実。証拠や証言も残っている。当時、特務機関員として南京の周辺で活動していた人物も、虐殺があったことは間違いないと話していた。 支那派遣軍の岡村寧次総司令官は部下からの報告に基づいて「南京攻略時、数万の市民に対する略奪強○等の大暴行があたのは事実」と書き残し、虐殺の責任を問われて極東裁判で死刑が言い渡された中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官の松井石根は師団長クラスの退廃ぶりを嘆いていた。少なくとも師団単位で虐殺が実行されたことを示唆している。 しかし、より組織的な虐殺だった可能性も否定できない。この攻略戦を実際に指揮していたのは松井でなく、上海派遣軍司令官だった朝香宮鳩彦(昭和天皇の叔父)だと言われているが、この人物の指揮下、虐殺と略奪が実行された可能性があるのだ。 つまり、この件で有罪判決を受けて処刑された松井は冤罪だったと言えるかもしれないが、だからといって南京大虐殺が「幻」だったことを意味するわけではない。松井は朝香宮の身代わりとして殺された可能性が高いということだ。 極東裁判はアメリカ軍の「悲惨な大虐殺」を「ごまかすための裁判だった」わけではなく、日本とアメリカを結ぶ「深層海流」を隠し、「天皇制」を維持することが目的だったと考える方が合理的だろう。皇族を守る、つまり戦前から続くウォール街と日本の支配層との関係を隠し、天皇制を維持することにあったと考えるべきだ。(この件に関しては本ブログで何度か書いているので、ここでは割愛する) この裁判で戦争の最高責任者、昭和天皇の身代わりになったのが東条英機。日本国憲法をアメリカの支配層が慌てて作った理由もおそらく天皇制の維持にある。民主的な装いをした天皇制。当時、連合国の内部には、天皇に対して厳しい意見を持つ人が少なくなかった。そうした声が表面化する前に「戦後日本」の形を作ってしまいたかったのだろう。 百田は小説家であり、妄想は職業上、必要なことなのかもしれないが、埼玉大名誉教授で哲学者だという長谷川には当てはまらない。この長谷川は「大悲会」の会長だった野村秋介への追悼文を昨年11月に書いている。 野村は1993年10月に朝日新聞東京本社の応接室で拳銃自殺した人物。この野村について長谷川は、「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」としたうえで、野村氏の自殺によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである」と書いている。 どうやら、この「哲学者」は、「人間が自らの命をもつて神と対話することができる」と信じているらしい。追悼文を書いたこと自体が問題なのではなく、こうした考え方、あるいは信仰の持ち主がNHKの経営委員としてふさわしくないだろうということだ。こうした人物を「名誉教授」にした埼玉大学の知的水準にも驚いてしまう。 野村が新聞社に銃を持ち込み、発射した真意は不明だが、マスコミへの脅しになったことは間違いない。その6年前、1987年に覆面をしたふたりが朝日新聞阪神支局の編集室に押し入り、散弾銃を発射して小尻知博記者を殺害、犬飼兵衛記者に重傷を負わせているが、この事件でマスコミ、特に上層部は完全に腰が引けてしまった。その出来事を野村の自殺は思い出させたであろう。こうした暴力による威圧を長谷川は賛美したということである。 議論ではなく暴力を前面に出しているという点で、長谷川は石原慎太郎元東京都知事とも似ている。石原は2011年3月、インディペンデント紙のインタビューを受け、日本は核兵器を作るべきだと主張、核兵器を持てば周辺の国々を恫喝でき、全世界に対して「強いメッセージ」を送ることになると語ったという。彼にとって、外交の交渉力とは核兵器なのだそうだ。(注)○は楽天の規制による伏せ字。
2014.02.09
閲覧総数 148
22
2月11日は「建国記念の日」だという。1966年に祝日法が改訂され、祝日に加えられたのである。ポツダム宣言の受諾を決め、同盟通信の海外向け放送で降伏の意思を連合国側へ伝えた8月10日でも、「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれる放送があった8月15日でも、政府全権の重光葵と軍全権の梅津美治郎が降伏文書に調印した9月2日でも、また「日本国との平和条約」に吉田茂らが調印した9月8日でもない。「紀元節」を「建国記念の日」と言い換えたのだ。 この「紀元節」が定められたのは1873年10月のこと。『日本書紀』を引っ張り出し、神武天皇が即位した日を割り出し、1872年12月には1月29日だと決められたという。 ところが、1月29日では旧暦(太陰暦)の1月1日になってしまい、「旧正月を祝う日」だと考える人が多くなり、日付を変えることになったようだ。妹が徳川家茂(第14代将軍)と結婚していた孝明天皇が1867年1月30日に死亡しているので、紀元節と孝明天皇の命日が近いことも日付変更の一因になったとも言われている。 「人間が自らの命をもつて神と対話することができる」と埼玉大学名誉教授でNHK経営委員に選ばれた長谷川三千子は公言しているが、「建国記念の日」を定めた人びとの精神構造も似たようなもの。ただ、長谷川よりは多少、分別があったので呼び方を変えたのだろう。 長谷川と同様、安倍晋三首相からNHKの経営委員に任命された百田尚樹は『永遠の0』なる作品で2006年に小説家としてデビュー、昨年12月には映画化されたそうだが、この「0」とは「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」を意味しているようだ。(基本的にフィクションには興味がなく、読んでいないので小説の内容は知らない。) 言うまでもないだろうが、この「零」は戦闘機が正式採用された年からきている。運用が始まった1940年が「皇紀2600年」にあたり、下2桁が「00」であることから名付けられたということだ。 この「皇紀」は神武天皇が即位してから何年後かを表したもので、当然、日本書紀の記述が正確で、神武天皇が実際に存在したことが前提になる。日本書紀によると神武天皇が橿原宮で即位したのは「辛酉年春正月庚辰朔」(辛酉の年の正月1日、庚辰の日)、西暦では紀元前660年に相当し、今から2674年前、つまり縄文時代の晩期、あるいは弥生時代の前期ということになる。「邪馬台国」の主人公として卑弥呼が登場するのは弥生時代後期だ。 藤原不比等が「藤原朝」を正当化するために日本書紀を編纂させたのかどうかは知らないが、記述内容に問題があることは間違いない。そうした書物の記述を明治政府が手前勝手に解釈してでっち上げたのが「皇紀」だと言える。 その明治政府とは、イギリスを後ろ盾にした薩摩藩と長州藩を中心とする勢力が徳川幕府(徳川朝)を倒し、新たに作り上げた「王朝」。その新王朝を正当化するため、「万世一系ノ天皇」なる話を作り上げ、自分たちの正当性を主張したように見える。 イギリスは1840年から42年にかけて清(中国)に戦争を仕掛け、半植民地化することに成功していた。産業革命でイギリスは工業化が進んだものの、中国との貿易は大幅な輸入超過。茶をはじめ、木綿、生糸、絹織物、陶磁器などが中国からイギリスへ大量に売られる一方、ヨーロッパの工業製品は中国で人気がなく、売れなかった。つまり貿易戦争で資本主義は惨敗していた。 そこでイギリスが目をつけたのはアヘン。イギリスの綿織物をインドへ売り、インドでアヘンを生産して中国へ売り、中国から茶などを買おうとしたのである。当然、中国は麻薬の輸入を拒否したが、イギリスは軍事力を使い、強引にアヘンを売りつける仕組みを作り上げたわけである。 そのアヘン貿易で大儲けしたジャーディン・マセソン商会が日本に送り込んできたエージェントがトーマス・グラバー。イギリスが1863年に長州藩の若者5名を自国へ留学させた際、ジャーディン・マセソン商会やグラバーが協力している。その若者5人とは、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)だ。
2014.02.11
閲覧総数 1435
23
ロシアのウラジオストックで9月4日から6日にかけてEEF(東方経済フォーラム)が開催されている。そのフォーラムへウラジミル・プーチン露大統領の名誉ゲストとしてインドのナレンドラ・モディ首相が出席、両国がソ連時代の「兄弟関係」へ向かいつつあると注目されはじめた。 2016年8月、インドとアメリカは両国軍が修理や補給でそれそれの基地を利用できることで合意しているが、今回、モディ首相はロシアとも同じ取り決めをしたと伝えられている。 すでにインドはロシアから防空システムS-400を5システム、54億ドルで購入することを正式に決め、2018年10月には契約書が取り交わされた。引き渡しの完了は2023年が予定されている。その契約を破棄するようにアメリカ政府は圧力を加えてきたが、すでに支払いが始まったという。 インドはロシアにとってもアメリカにとっても重要な国。アメリカ太平洋軍は2018年5月に名称をインド太平洋軍へ変更、インド洋から太平洋にかけての地域を統括して扱うようになった。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。 ソ連が存在していた当時、インドはソ連、インドのライバルであるパキスタンは中国と結びついていたが、今、ロシアと中国は戦略的な同盟関係にあり、インドとパキスタンを接近させる力として働いている。 アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスは19世紀からアジア大陸の東側を支配、略奪する拠点としてインドと日本を利用した。イギリスの後継国であるアメリカも同じだ。その戦略をまとめた理論をハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が1904年に発表している。今でもアメリカはこの戦略に基づいて動いているように見える。 この理論はイギリス(アメリカ)が海洋を支配しているという前提で、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部、つまり中国やロシアを締め上げていくというもの。ヨーロッパの内陸国もターゲットだったのだが、ふたつの世界大戦で米英の支配下に入っている。NATOの役割のひとつはそのヨーロッパを支配することだ。 フランスの大統領だったシャルル・ド・ゴールは1966年に自国軍をNATOの軍事機構から離脱させ、67年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出しているが、これはそうした事情を熟知していたからだろう。 イギリスやアメリカの中国侵略が本格的に始まったのは19世紀のアヘン戦争からだが、イギリスが薩摩や長州を支援して徳川体制を倒して新体制を樹立、その新体制を支援した理由は中国の内陸部を支配するためだったようにしか思えない。 そのアヘン戦争でイギリスが奪い取った地域のひとつが香港である。それ以来、ここはアジア侵略、麻薬取引、マネーロンダリングなどの拠点として利用されてきた。シティを中心とするタックス・ヘイブンのネットワークにも組み込まれている。 明治時代、朝鮮はイギリスの侵略に加担しようとせず、日本の侵略を受けた。現在、朝鮮半島は北の朝鮮と南の韓国に分かれているが、朝鮮だけでなく韓国も中国やロシアに接近している。アメリカが朝鮮半島を支配することは難しい情勢だ。 アメリカとしては日本支配を強めようとするだろうが、ボリス・エリツィン時代のロシア人と同じように、日本人は絞め殺されることになる。ロシアでは大多数の国民が貧困化、その一方で西側巨大資本の手先になった一部は巨万の富を手にしたわけだが、それこそが日本の「エリート」が望んでいることだ。
2019.09.06
閲覧総数 3033
24
リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制やシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すため、「西側」やペルシャ湾岸の産油国は自国の特殊部隊を潜入させるだけでなく、資金や武器と伴に傭兵を送り込んできた。主な傭兵集団はイスラム戦線、アル・ヌスラ戦線、ISILだと言われているが、そうした組織へ欧米からも参加している。 最も多くの戦闘員を送り込んでいるのはチェチェンで約1万4000名、サウジアラビアの1万2000名がそれに次ぐらしいが、ヨーロッパからも1800名程度、アメリカからも50名以上がシリアへ渡り、戦闘訓練を受け、実際に戦闘を経験しているという。そうした人びとが出身国へ戻り、「経験を生かす」可能性もある。 サウジアラビアでも「元戦闘員」を懸念してか、テレビ局MBCの人気番組でホストを務めるダブド・アル・シャリアンがシリアへの軍事介入に反対する聖職者を登場させている。その聖職者は、一部の聖職者がサウジアラビアの若者を洗脳してシリアへ送り出していると批判したという。 イギリス検察庁で対テロリズム部門を率いているスー・ヘミングは、戦闘を目的にシリアへ渡った場合、帰国したなら終身刑を求めると発言、アメリカのジェームス・クラッパー国家情報局長官もそうした状況を懸念している。カフカス出身の戦闘員はウクライナやオリンピックが開催されるソチへ向かうとも言われているが、それならかまわないのだろうか? イスラム戦線はサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官が昨年11月に諸団体を再編成して組織、アル・ヌスラ戦線はカタールに近く、トルコの司法当局や警察によると、ISILはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が自国の情報機関に命じ、秘密裏に創設したのだというが、その背後にはアメリカ、イギリス、フランス、イスラエルなどが存在している。 欧米各国の政府が「元戦闘員」を危険視するのはわかるが、そうした人間を送り込む仕組みを作ったのは自分たちだということを忘れてはならない。「自由の戦士」は「テロリスト」なのだ。
2014.02.06
閲覧総数 89
25
アメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンに水兵として乗船していた79名が東京電力を相手に集団訴訟を起こしたようだ。要求額は10億ドル。東電は事故で破壊された原子炉から放出された放射性物質に関する正しい情報をアメリカ政府に提供せず、結果として乗組員が深刻な被曝を強いられたとしている。元乗組員によると、被曝後に甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ている。 東電がアメリカ政府にも正しい情報を提供しなかったと原告は主張しているわけだが、被爆直後に将校たちだけにはヨウ素剤が配られていたようで、高濃度の放射性物質に直撃された/ることを上の階級の人びとは知っていた可能性が高い。それに対し、水兵たちはヨウ素剤をもらえず、検査のために血液や尿のサンプルが採取されることもなかった。 その当時、日本にいて被爆した可能性のある米軍兵士や軍属、そしてその家族は7万人近いという。そうした人びとに対して予定されていた連邦政府の医療記録が中止されていることも、疑惑を深める一因になっている。情報を隠そうとしている。 第2次世界大戦後、1960年代の初めまでアメリカは核実験を繰り返し、多くの兵士を使い、事実上の人体事件が行われていた。福島沖で被曝した水兵にアメリカ軍が冷淡な態度を示すのも不思議ではない。 アメリカ軍以上に被曝の実態を隠そうとしているのは、勿論、日米の核利権集団だろう。ロナルド・レーガン政権は増殖炉計画に資金を投入するのだが、1987年に議会は予算を打ち切り、計画は凍結されてしまう。 そこで目をつけたのが日本。この計画で獲得した技術を日本の電力会社へ格安の値段で提供し、計画を継続しようとする。日本の電力会社が増殖炉計画のスポンサーになるということだ。 日本とアメリカは協定を結び、アメリカの高速増殖炉と再処理技術を日本へ移転し、アメリカから核物質を無制限に輸入し、再処理し、取り出したプルトニウムを他国へ再輸出する権利を日本に与えた。日本側が最初に要求した高性能のプルトニウム分離装置はリサイクル機器試験施設(RETF)へ送られた。 しかし、日本でも増殖炉計画は暗礁に乗り上げる。1995年に高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム火災事故、97年には東海村の動燃(現在の日本原子力開発機構)東海再処理施設で火災爆発事故、また99年には高速増殖炉の実験炉である「常陽」の核燃料を製造していたJCOで臨界事故と立て続けに事故が起こったのである。 それでも高速増殖炉計画に執着する日本だが、一方でイギリスやフランスからプルトニウムを購入している。しかも、それらは兵器級だという。こうして入手したプルトニウムも含め、日本は70トンの兵器級プルトニウムを保有しているとジャーナリストのジョセフ・トレントは主張している。 1960年代からCIAなどアメリカの情報機関は日本の核兵器開発を監視、国防総省や原子力規制委員会も日本の動きに目を光らせてきた。どの段階にあるかは明確でないが、日本が核兵器を開発していることは公然の秘密であり、アメリカの核利権集団が結びついている。 こうした事情もあり、空母ロナルド・レーガンの元乗組員たちの集団訴訟がどうなるかは不明だが、安倍晋三政権の暴走を止めるために裁判が始まるかもしれない。もし実際に裁判が始まった場合、日本での被曝の深刻さが明らかになるだけでなく、核兵器開発に関する情報が浮上する可能性もあるだろう。
2014.02.13
閲覧総数 898
26
ウクライナの情勢に関し、アメリカのバラク・オバマ大統領は2月19日にメキシコで興味深い発言をした。反政府/ロシア派と警官隊の衝突で死傷者が出ている責任はウクライナ政府にあり、その事態を収束させるため、警官隊を引き揚げさせるべきだと主張したのだ。 ニューヨーク大学のステファン・コーエン教授も指摘しているように、オバマの主張は「恥知らず」なもの。もし、ワシントンDCで群集が火焔瓶を投げ、議会に向かって行進、ホワイトハウスの出入り口を封鎖、ホワイトハウスの警備員に投石しているとき、オバマ大統領は警官隊を引き揚げさせるだろうか、ということだ。現在、ウクライナでは石や火炎瓶が投げられているだけでなく、トラクターやトラックが持ち出され、銃撃が始まっている。 本格的な内戦へと発展する様相を見せているのだが、その中心には「スボボダ(全ウクライナ連合『自由』)」のようなネオ・ナチや、シリアからウクライナへ入った戦闘員がいると見られている。NATOに「秘密部隊」が存在していることは1990年に発表されたイタリア政府の報告書で明確になっているが、その部隊は「右翼団体」を手先として使っている。スボボダも歴史的にCIAやMI6と関係があり、NATOの意思が反映されている可能性は高い。 そうした勢力の反政府/ロシア行動にアメリカ政府が指示を出している可能性が高いことはビクトリア・ヌランド国務次官補とジェオフリー・パイアット駐ウクライナ大使との電話での話し合いがYouTubeにアップロードされ、明らかになった。 民主的な選挙で選ばれた現在のウクライナ政府を倒すことを前提にして、新たな政権を作るときに誰を閣僚として入れるかを話し合っているのだ。これは「期待」とか「推測」ではなく、当事者の人選として行っている。「品定め」ではない。ウクライナを自分たちのものとして扱っているのだ。 そうした体制転覆プロジェクトを遂行する上で、EUの姿勢が生ぬるいとヌランドは感じているようで、その不満を口にしている。そして「EUなんかくそくらえ(Fu*k the EU)」という表現が出てくるわけだが、これはヌランドが下品な人間だということを示しているだけで、大きな問題ではない。問題は他国の政権を作り替える、つまり一種のクーデターの相談をしていることにある。「内政干渉と受け取られかねない発言」などという生やさしいものではない。 こうした体制転覆プロジェクトの資金について別の場所でヌランドは語っている。昨年12月13日、工作資金として50億ドルをウクライナに投入していることを明らかにしたのだ。演壇の後ろには巨大石油企業、シェブロンの看板も掲げられていた。 現在、アメリカを拠点とする「国境なき巨大資本」は「国」というシステムを支配下に置く新秩序を築こうとしている。「グローバル化」とはそういうことだ。世界の「エリート」たちは自分たちの好きなように法を作り、操り、民主主義を蝕んでいるわけだが、その結果、NGOのOxfamによると、世界の富は半数近くが1%の人びとに独占され、低所得側の半数が所有している富は上位85名が保有する富と同じ程度でしかないという。 こうした状況に抗議するため、2011年にはウォール街で「占拠運動」が始まったのだが、この文字通り「平和的な抗議活動」をアメリカ支配層はウクライナとは比較にならないほど暴力的な手段を使って弾圧した。その弾圧には地元警察だけでなく、FBIや国土安全保障省が参加している。勿論、そうした「西側」権力の暴力に対し、「西側」のメディアは寛容な姿勢を見せていた。 ネオコンを中心とする「西側」の支配層がウクライナの体制を変えようとしている理由は、ウクライナやロシアを「グローバル化」し、富を奪うことにある。当然、中国やイランも狙っている。アメリカに反旗を翻していたベネズエラも現在、攻撃されている。TPPもそうした戦略の一環。つまり日本の富も狙われている。
2014.02.21
閲覧総数 137
27
アメリカ陸軍はバージニア州に軍事訓練用の町を作った。広さは約121万平方メートルで、5階建ての大使館、銀行、学校、地下鉄と駅、モスク、フットボールのスタジアム、ヘリコプターの離発着ゾーンなどがあり、地下鉄は実際に動かすことが可能で、客車のロゴはワシントンDCの地下鉄と同じだという。アメリカの都市、例えばワシントンDCでキエフのような蜂起があった場合、鎮圧するための訓練をするということだろう。 すでにアメリカ軍は「政治活動家」を拘束する計画を立てている。この計画は「I/R(強制収容再定住)作戦」と呼ばれ、戦後、CIAやFBIが行ってきたことを考えると、ターゲットは戦争に反対、平和を求める人びとになるだろう。2001年9月11日の出来事を利用して「愛国者法」が成立、憲法が機能不全になっているアメリカでは近い将来、現実になりそうだ。 強制収容所では心理戦を担当している軍人が「再教育」、つまり「洗脳」するらしい。アメリカの軍や情報機関では1950年代からマインド・コントロールの研究、「ブルーバード」、「アーティチョーク」、そして「MKウルトラ」と呼ばれている。議会が情報活動を調査した1970年代に重要な文書は証拠隠滅のために廃棄されたと言われているものの、その成果はどこかに保管され、研究も継続されているだろう。 アメリカでは現在、銃の規制が叫ばれている。犯罪で使われたり、暴発や誤射で死者が出ているためだというが、この問題は1776年に採択されたアメリカの独立宣言と関係があり、「刀狩り」としての側面があることを忘れてはならない。 独立宣言には次のような記述がある:「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有する」。 いわゆる「革命権」だが、すでにアメリカはこの権利を行使すべき段階、つまり独立宣言が革命を求める状況になっている。政府がこの革命を阻止しようとすれば、武装蜂起をしなければならないということだ。銃規制には、この権利を庶民から取り上げるという意味もある。そうした意味で、「銃犯罪」は権力者にとって悪いことではない。人びとが治安を望むようになるからだ。
2014.02.21
閲覧総数 63
28
イランの反政府行動で死者が出ていると伝えられている。イラン政府はアメリカが介入していると非難、ロシアは内政問題だと静観の構えだ。2018年にアメリカが、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がイランの体制転覆を狙って何らかの行動に出ることは予想されていたが、その幕開けなのかもしれない。ところで、アメリカ支配層は遅くとも1991年の段階でイランの体制転覆を狙う動きがあった。イラク、シリア、イランを殲滅するとポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が口にしたのは1991年のことだ。この話は2007年にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が語っている。(3月、10月)ウォルフォウィッツが国防次官だったのは1989年5月から93年1月にかけてのことで、当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ。その頃、イラクとクウェートは石油採掘をめぐって対立し、交渉が進展しないことに業を煮やしたイラクが1990年8月にクウェートへ軍事侵攻、翌年1月にアメリカ軍主導の軍隊がイラクへ攻め込んでいる。いわゆる「湾岸戦争」だ。ウォルフォウィッツはネオコンの大物として知られているが、このネオコンはロナルド・レーガンが大統領だった1980年代からイラクのサダム・フセインを排除して親イスラエル政権を樹立させ、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯を形成し、シリアとイランを分断するという戦略を立てていた。そこで、ネオコンは湾岸戦争の際にフセインを排除(つまり殺害)するつもりだったのだが、ブッシュ・シニア大統領はフセイン体制を倒さずに戦争を止めてしまう。それの怒ったひとりがウォルフォウィッツで、イラク、シリア、イランを殲滅するという発言につながる。ブッシュ大統領の判断に反発したネオコンだが、湾岸戦争ではその後の戦略を決める光景を彼らは目にした。ソ連軍が介入してこなかったということだ。1985年3月から91年8月までソ連の党中央委員会書記長を務め、90年3月から91年12月までソ連大統領だったミハイル・ゴルバチョフ、その側近だったエドアルド・シェワルナゼ、このふたりは西側に好意的な感情を持つ人物で、そうしたこともソ連が強く出なかった理由のひとつだろう。シェワルナゼは外務大臣を務めていたが、外交の経験はなかった。1991年12月にはロシア大統領だったボリス・エリツィンが勝手にベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めて連邦を崩壊させる。エリツィンとその取り巻きはそれから約10年に渡り、西側の富豪たちと手を組んで旧ソ連圏の資産を略奪して私腹を肥やすことになった。その一方、1992年2月にウォルフォウィッツを中心とするグループは国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。このドクトリンを危険だと考える人はアメリカの支配層内にもいたようで、メディアにリークされて問題になった。そこで書き直されたようだが、その考え方は消えない。このプランに基づいて日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。ソ連の消滅でネオコンたちはアメリカが唯一の超大国になったと考えた。ソ連が消滅した後のターゲットとして考えたのは中国。そこで東アジア重視を打ち出すが、潜在的なライバルがライバルに成長しないよう、潰していくことも想定している。その潜在的なライバルとは東アジアや旧ソ連圏のほか、西ヨーロッパも含む。ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアの支配も重視している。1991年のウォルフォウィッツ発言はこのプランを先取りしたものだと言える。イラク、シリア、イランを含む中東の国々を属国化するため、アメリカやイギリスはこれまど幾度となくクーデターや暗殺を実行してきた。そのひとつが1953年夏、イランのムハマド・モサデク政権を倒したクーデター。当初、イギリスとアメリカの利害は対立していたが、途中から手を組んで秘密工作を進めている。モサデクがイギリスの利権を揺るがすと判断した同国の対外情報機関SIS(通称MI6)はクーデターを考え、アメリカのアレン・ダレスCIA長官に接触する。1953年4月にダレスは100万ドルの資金提供に合意した。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)ダレスCIA長官の兄、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は6月22日、イラン政府の転覆を準備する許可をアレンCIA長官、そしてCIAの中東担当で、破壊工作部門に所属していたカーミット・ルーズベルト(シオドア・ルーズベルトの孫)に出している。この時に作成されたのが「アイアス作戦」だ。ドワイト・アイゼンハワー大統領は7月に最終的なゴーサインを出している。それに対し、8月16日にモサデクを支持し、国王とアメリカに抗議するデモが始まる。アメリカのロイ・ヘンダーソン駐イラン大使はこのデモに抗議、18日にモサデクは警察や軍隊に命じてデモを止めさせた。19日になるとCIAが手配した反モサデクのデモが始まる。反政府デモの一部はモサデクを支持する新聞社や政党、政府施設などを襲撃、CIAのエージェントがテヘラン・ラジオを制圧して「モサデグ解任の命令が国王から出され、ファズロラー・ザヒディが新首相に就任した」とする情報を流した。(Brendan O'Malley & Ian Craig, "The Cyprus Conspiracy," 1999)結局、モサデクの支持派と反対派の衝突で約300名が死亡、一部では戦車での戦闘も行われている。国王が帰国したのは混乱が治まった後だ。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)クーデターに成功したアメリカは支配システムを築く一環として秘密警察の導入を決める。そして生まれたのがSAVAK(国家情報治安機構)。当然、SAVAK創設にはCIAが深く関係しているが、同じ程度重要な役割を果たしたのがイスラエルの情報機関モサドである。モサドとSAVAKとの関係は、CIAが1972年にまとめた報告書が指摘している。ズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代終盤にアフガニスタンで始めた秘密工作ではCIAの下、モサド、SAVAKがサウジアラビアやパキスタンの情報機関と同じように参加している。クーデターでアメリカの傀儡王制が復活したのだが、1978年の初めにイランを極秘訪問したイスラエルのモシェ・ダヤン国防相(当時)は同国で活動していた情報機関員から国王の様子が奇妙だとする報告を受け取っている。精神状態が不安定で、会談中に取り乱したり泣き出したりすることがあるというのだ。イラン国王の寿命はあと数年ではないかとする警告をテヘラン駐在の非公式大使ウリ・ルブラニがエルサレムへ伝えたのはダヤンがイランを訪問した数カ月後のこと。(Gary Sick, "October Surprise," I.B. Tauris, 1991)イラン王制は1979年1月に崩壊、2月1日にはアヤトラ・ホメイニがフランスから帰国した。この当時、アメリカやイスラエルが最も恐れたのはイランで社会主義革命が引き起こされること。それを防ぐため、ホメイニを中心とするイスラム革命を容認したとする見方もある。
2018.01.03
閲覧総数 3863
29
NATO(北大西洋条約機構)は2024年中に連絡事務所を東京に設置するという。アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ編成替えしているが、この海域における協力関係を強化することが目的のようだ。仮想敵国は中国とロシア、NATOの同盟国として想定されている国はアングロ・サクソン系で米英の支配下にあるオーストラリアとニュージーランド、そして日本と韓国だ。 イギリスやアメリカは19世紀から東アジアを侵略し、略奪しようと目論んできた。当時、経済力で中国(清)に太刀打ちできないイギリスはインドで生産したアヘンを売りつけようとする。麻薬取引への批判を回避するため、イギリス王室は「民間企業」の東インド会社が中国へ売るという形式を作った。 麻薬の流入を嫌った中国は取り締まりを強化、それに対抗してイギリスは1839年から42年にかけての「アヘン戦争」、そして1856年から60年にかけての「第2次アヘン戦争(アロー戦争)」を仕掛けた。この戦争でイギリスが手に入れた香港はその後、秘密工作や麻薬取引の拠点になる。 イギリスがアヘンを生産させていたインドでは1857年から58年にかけてインド人傭兵(いわゆるセポイ)が反乱を起こした。「インド大反乱」と呼ばれているが、その責任を問われて東インド会社は1858年に解散した。 2度のアヘン戦争でイギリスは勝利、同国とアメリカの貿易商は大儲けしたものの、征服はできなかった。戦力が足りなかったからだ。そこで目をつけたのが侵略拠点としての日本列島であり、傭兵としての日本人だ。イギリスは長州と薩摩を利用して徳川体制を倒す。これが明治維新であり、天皇制官僚体制の始まりだ。 中国の茶や絹をイギリスへ運び、インドで仕入れたアヘンを中国へ持ち込んで大儲けした貿易商のひとつがジャーディン・マセソン。この会社は1859年にエージェントとしてウィリアム・ケズウィックとトーマス・グラバーを日本へ送り込む。ケズウィックは横浜、グラバーは長崎を拠点にした。 アメリカの業者はトルコ産のアヘンを中国へ売っていた。そのひとりがウィリアム・ハンチントン・ラッセル。1833年にエール大学の秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」を創設した人物だ。この結社はアメリカを支配する人脈へ通じている。 ラッセル家はイギリスの東インド会社とつながり、奴隷取引でも儲けていたとも言われている。麻薬の売買を始めてからは奴隷制度反対を言い始め、嘲笑の対象になっていたともいう。(George Canning, “The bones in Bush’s closet,” EIR, January 22-28, 1980) イギリスは19世紀に植民地を拡大させていた。1866年にアフリカの南部地域でダイヤモンドが発見され、86年にはトランスバール(南アフリカ北東部)で大量の金が発見されると、セシル・ローズは南アフリカへ移住、ダイヤモンド取引で財をなし、デ・ビアスを創設した。ローズに融資していた金融機関はNMロスチャイルド&サンである。 その後、トランスバールへの侵略に失敗したローズはイギリスへ戻ってナサニエル・ロスチャイルドと会う。ロスチャイルドはウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、そしてアルフレッド・ミルナーと緊急会談を開いて対策を練った。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013) ロスチャイルドは金融界に君臨する大物であり、ステッドは多くのメディアを支配して情報操作を行っている。ブレッドは心霊主義の信者としても知られているビクトリア女王の相談相手で、後にエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めた。(前掲書) 1899年から1902年にかけての南アフリカ戦争でトランスバールとオレンジは併合され、イギリス領になっていたケープ植民地とナタールに新しく併合した2領地を合わせてできたのが南アフリカ連邦だ。その後オランダ系のボーア人とイギリス系の白人は手を組んでアパルトヘイト(人種隔離政策)を推進、有色人種を支配するシステムを作り上げていく。 一連の動きで重要な役割を果たしたローズは優生学を信奉していた。彼は1877年6月にフリーメーソンへ入会、その直後に書いた『信仰告白』の中でアングロ・サクソンは最も優秀な人種であり、その居住地が広がれば広がるほど人類にとって良いことだと主張している。領土を拡大して大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務であり、領土の拡大はアングロ・サクソンが増えることを意味するとしている。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877) そのアングロ・サクソンはアメリカやオーストラリアで先住民を虐殺しているが、東アジアでは中国に照準を定め、最終的にはスラブ民族が支配するロシアを征服しようと計画する。ウクライナへの工作もその一環だ。 オーストラリアは2021年9月、イギリスやアメリカとAUKUSなる軍事同盟を創設したと発表、アメリカとイギリスはオーストラリアに原子力潜水艦の艦隊を建造させるために必要な技術を提供するとも伝えられた。ジョー・バイデン米大統領はオーストラリアへ売却する3隻のバージニア級原子力潜水艦を2030年代の初めに建造すると語っている。 その潜水艦を動かすためにはアメリカの軍人が乗り込む必要があり、事実上、アメリカ海軍の潜水艦になる。山上信吾オーストラリア駐在大使はキャンベラのナショナル・プレス・クラブで2022年11月14日、日本がオーストラリアの原子力潜水艦を受け入れる可能性があると表明した。 アングロ・サクソン系のアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、その戦闘奴隷とみなされている日本という構図は19世紀と基本的に同じだ。当時、朝鮮は侵略の手先になることを拒否、日本に併合された。韓国の現政権は侵略の手先になる道を進もうとしているが、国内の反発は小さくないだろう。
2023.05.09
閲覧総数 3913
30
言うまでもなく、東電福島第一原発は危機的な状況が続いている。環境中へ大量の放射性物質が放出されているだけでなく、作業ミス、新たな地震、台風など何らかの理由で北半球全域に致命的な被害を及ぼしかねない。しかも、国際的な協力を拒否している。 福島第一原発で事故を起こしたマーク1型は以前から構造的な脆弱性が問題になっていた原子炉だが、アメリカでも23基が稼働しているという。これらを止めるべきだという声を無視しているようだが、日本の動向次第では止めざるをえなくなるかもしれない。 日本でも、メーカーで圧力容器や格納容器を設計していた元エンジニア、東電で原発の制御を担当していた元社員などは地震の揺れで原発が壊れた疑いが強いと指摘しているのだが、そうしたことを認めれば「津波対策」で再稼働させることはできず、アメリカへも影響が出てくる。アメリカの核利権集団にしても日本の原発が危険だとする話は認められず、再稼働しろと日本側に圧力を加えていることだろう。 しかし、すでにアラスカ、カナダ、カリフォルニアといった太平洋の東岸で放射性物質が原因ではないかと違われる異変が報告され、事故直後に福島第一原発の沖で被曝したアメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンの乗組員70名以上が裁判を起こそうとしている。甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているという。情報を統制し、原発に批判的な声を力で封印しても世界を黙らせることはできない段階に達している。 日本政府や東電に事故を処理する能力がないことは世界的に知られてきた。それだけ危機感を持つ人が増えているということでもある。しかも、核兵器の開発が絡む。本ブログでは何度も書いていることだが、CIAやNSAといったアメリカの情報機関は日本の核兵器開発を警戒、監視を続けてきた。そのあたりから兵器級プロトニウム70トンという話が流れてきている。外国からの力で日本が原発を止めざるをえなくなる可能性もある。
2014.01.22
閲覧総数 68
31
東京大空襲や原爆投下のような「悲惨な大虐殺」をごまかすための行われたのが極東国際軍事裁判(東京裁判)だと主張、南京大虐殺も否定している小説家の百田尚樹。昨年11月、安倍晋三首相からNHKの経営委員に任命されている。この百田が東京都知事選で支援していたのが田母神俊雄元航空幕僚長。かつて、航空自衛隊のトップだった人物だ。 この田母神元航空幕僚長、「我が国は50年も原発を運転していて、運転中の原発による放射能事故で死んだ人など一人もいない」と主張している。通常運転での被曝、あるいは高速増殖実験炉「常陽」向けの燃料を加工していたJCOでの事故で死んだ人がいることを意識、そうした事例を排除する道を作っているつもりかもしれない。 田母神の「放射能安全論」は、外部被曝と内部被曝の区別をせず、自分に都合の良い「専門家」の意見を垂れ流しているだけ。東電福島第一原発が事故を起こした直後、マスコミに出てきた「専門家」が宣伝していた陳腐なもので、最近は聞かなくなった代物だ。 放射線被曝によって死者が出ていることを知った上での主張だとするならば、この人物は「原発さえあれば後のことは知ったことではない」と思っているのだろう。こうした人物が「愛国者」でないことは明白だ。 すでに国外から放射線の影響を疑わせる現象が報告され、事故当時に福島沖で被曝した空母ロナルド・レーガンの乗組員の間で甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているともいう。この件では70名以上が裁判を起こそうとしている。田母神から見ると、こうしたアメリカの軍人は信用できないということになるのだろう。 勿論、日本でも放射線の影響が出ている可能性が高い。原発で作業している少なからぬ人が死亡しているという噂はともかく、福島県で甲状腺癌が増えていることは無視できない。事故当時に18歳以下だった子どもの甲状腺検査を実施中だが、現段階で、25万4000人のうち75名が甲状腺癌、あるいは癌の疑いがあると診断されたという。通常、調査対象の年齢で甲状腺癌になる確率は100万人に1〜9名と言われているので、桁違いに多い。 こうした結果に対し、県民の被曝の健康影響の調査のあり方を検討する委員会の星北斗座長は、被曝の影響とは考えにくいと言い張っている。チェルノブイリ原発の事故で子どもの甲状腺癌が増えたのは事故から4、5年後からだという。が、この説明に説得力がないことは本人たちも自覚しているようで、福島県立医大の鈴木真一教授は遺伝子異変、あるいは道の異変がないかを探すと発言している。 そのチェルノブイリ原発の事故でもソ連当局だけでなく、IAEAの調査団も甲状腺癌と原発事故との因果関係を当初は否定していた。「広島で小児甲状腺癌が出るまでに十数年かかっているのだから、こんなに早くチェルノブイリ被災地で多発するはずがない。」ということだったようだ。数字として甲状腺癌が増加していることについては「超音波診断の精度があがったから発見数が増えただけだ」と主張していたと報告されている。日本以外にも「核エネルギー利権」に結びついた「専門家」は少なくない。 田母神は航空幕僚長だった人物である。自衛隊を配下に従えているアメリカ軍の歴史を振り返ると、1950年代半ばから60年代半ばにソ連への核先制攻撃を計画していた勢力が存在する。核弾頭の運搬手段、つまり戦略爆撃機やICBMでアメリカが圧倒、ソ連から反撃されないと判断していたようだが、その結果がソ連によるキューバへのミサイル持ち込みだったのではないだろうか。 現在、アメリカの内部、例えばネオコン(親イスラエル派)はNATOを東へ拡大、ミサイルを配備してロシアを刺激している。1990年に東西ドイツが統一される際、当時の国務長官、ジェームズ・ベーカーは東へNATOを拡大することはないとソ連に約束しているのだが、この約束が守られていないとロシアは反発している。アメリカは「唯一の超大国」としての立場を取り戻すため、ロシアや中国を核攻撃できる態勢を整えているのではないかとロシアは疑っている。 本ブログでは何度も書いたことだが、日本も核兵器を開発している可能性はきわめて高い。そうした状況の中、田母神元航空幕僚長は放射線は安全だと発言している。核兵器で問題なのは破壊であり、放射性物質は問題でないと言っているに等しい。もし、田母神が本当に「放射能安全論」を信じているのだとすれば、似た考え方の自衛隊幹部が少なくない可能性が高く、由々しき事態だ。
2014.02.13
閲覧総数 286
32
アメリカの親イスラエル派、一般に「ネオコン」と呼ばれている勢力はウクライナでも体制を乗っ取ろうとしているわけだが、その手先として最前線で活動中のビクトリア・ヌランド国務次官補は昨年12月13日、工作資金として50億ドルを投入していることを明らかにしている。ウクライナの体制を転覆させるために50億ドル、ざっと5000億円を使っていると公言しているのだ。 ジョン・マケイン上院議員と同じように、ヌランドはウクライナで公然と反ロシア勢力を支援してきた。こうした工作の担当として国務次官補に任命されたとも言える。何しろ彼女が結婚した相手はネオコンの大物、ロバート・ケーガンだ。 このヌランドがジェオフリー・パイアット駐ウクライナ大使と電話で話し合っている内容が今月、YouTubeで明らかにされた。その中でヌランドの口から「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という下品な言葉が飛び出し、話題になったが、問題は別のところにある。ウクライナの閣僚をどうするか検討していたのだ。 また、オランダのロバート・セリー元駐ウクライナ大使が国連特使としてキエフへ派遣されるとジェフリー・フェルトマン国連事務次長から聞いたともヌランドは話している。その決定をヌランドは歓迎、そして「EUなんかくそくらえ」という表現が出てくるわけだ。EUより国連の方がネオコンの意向に沿った動きをしているということなのだろう。確かに、シリアなどでもそうだった。 また、欧州対外行動庁(EEAS)のヘルガ・シュミット事務次長と駐ウクライナEU大使のヤン・トムビンスキーとの会話もアップロードされ、その中でシュミット事務次長はアメリカからEUの対応が生ぬるいと言われていることを明らかにしている。 EUを生ぬるいと批判しているネオコンが何をしているかというと、ファシストを使った暴力行為だ。ネオ・ナチの「スボボダ(全ウクライナ連合『自由』)」は反政府行動で棍棒、ナイフ、火焔瓶を手にし、ブルドーザーを持ち出してウクライナ政府を挑発、警官隊と衝突してきた。抗議行動を撮影した映像や写真の中に3本指の旗を見つけたなら、それはスボボダのものだ。ちなみにスボボダの旧党名は「ウクライナ社会ナショナル党」であり、ナチは「ナショナル社会主義党」。 ウクライナのナショナリストはOUNという団体の流れをくんでいる。この団体は1929年に創設され、イギリスの対外情報機関MI6と結びついた後、1938年頃にナチと手を組み、1941年にドイツ軍がウクライナを占領すると「新秩序」の障害になると考えられていた人々、つまりユダヤ人、ロシア人、知識人、コミュニストなどの虐殺していった。このときにOUNは勝手に独立を宣言、ドイツとの関係が悪化するが、1944年にソ連軍と戦うため、ドイツ軍へ合流している。 戦後、OUNの幹部は再びMI6に結びつく。OUNのリーダーだったステファン・バンデラが1948年にMI6に雇われているが、その2年前、1946年にバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコはMI6のエージェントになり、ABN(反ボルシェビキ国家連合)の議長に就任している。この団体は1966年にAPACL(アジア人民反共連盟/後のアジア太平洋反共連盟)と合体し、WACL(世界反共連盟)になった。 反政府行動ではスボボダのほか、アフガニスタン、チェチェン、グルジアといったカフカス地方での戦闘を経験したグループも参加しているようだが、そうした中にはシリアで反政府軍に加わっていた人もいるようだ。今年1月、シリアからウクライナへ約350名が入ったという情報もあり、オリンピック期間中に何らかの動きがあるのではないかと考えている人もいる。
2014.02.16
閲覧総数 24402
33
ウクライナの反ロシア派が警官隊に対して銃撃を開始、リビアやシリアと同じように狙撃も始まっているようで、「内戦」の様相を呈してきた。死者は70名とも100名とも言われ、その中には多くの警官も含まれているようだ。黒幕が「アラブの春」と同じため、手口が同じになり、展開が似てきたのだろう。[配布されたパンフレット:左の赤枠がエジプト、右の黄枠がウクライナ] はがした敷石、あるいは火炎瓶を投げるだけでなく、棍棒やナイフで武装していた反政府/ロシア派はここにきてピストルやライフルを使い始めているが、そうしたグループの中心にはスボボダ(全ウクライナ連合『自由』)」のようなネオ・ナチがいる。しかも、今年1月にはシリアから約350名の戦闘員がウクライナへ入ったと言われ、内戦化する恐れが大きくなっている。 中東/北アフリカのときと同じで、こうした中、「西側」はプロパガンダを展開している。シリアではサウジアラビアやカタールに雇われたイスラム教スンニ派の武装集団(いわゆるアル・カイダ)が潜入して戦争を始めたが、それと並行する形でCNNやBBCのような「西側」のメディアはプロパガンダを展開していた。 例えば、2012年2月にホムスのババ・アムルでパイプラインが爆破された際、CNNやガーディアン紙などは政府軍の航空機が爆撃したと伝えていたが、後に事実でないことが判明する。放送では煙の出ている映像が流されたのだが、その前、削除された部分には煙も航空機も写っていなかったのだ。政府軍機による空爆、飛行禁止空域の設定、NATO軍による空爆、というリビア方式を「西側」は考えていたのだろうが、実現しなかった。 「西側」のメディアに登場する「活動家」や「人権団体」の情報も正しくなかった。シリアで「政府軍による弾圧」を宣伝するスター的な存在だったシリア系イギリス人のダニー・デイエムなどは典型例。 欧米の有力メディア(例えばBBCやテレグラフ紙)に「証人」として登場、外国勢力の介入を求める発言を続けていたのだが、「シリア軍の攻撃」をダニーや仲間が演出する様子を移した部分も含めた映像が流出して嘘が発覚する。ところが、それでも「西側」メディアは反省していないようだ。 そして現在、ウクライナではリビアやシリアと同じ戦術が採用されている。例えば、2月10日に「Whisper Roar」の名義でYouTubeにアップロードされた映像「I Am a Ukrainian」では、ウクライナの蜂起は「自由」と「民主主義」のためだと若い女性が語る。1980年代、ロナルド・レーガン政権が始めた「プロジェクト・デモクラシー」を思い出させる内容で、ウクライナについて興味のない人には効果的だろう。 この映像を製作したのはベン・モーゼズという人物。1987年に公開された映画『グッドモーニング、ベトナム』の共同プロデューサーで、2012年には『A Whisper to a Roar』というドキュメンタリーを作っている。この作品はラリー・ダイアモンドなる人物に刺激されて製作したのだというが、このダイヤモンドはCFR(外交問題評議会)のメンバーで、CIAの工作資金を扱っているNED(ナショナル民主主義基金)やUSAID(米国国際開発庁)と関係の深い仕事をしているという。 勿論、ジョン・マケイン上院議員やビクトリア・ヌランド国務次官補の扇動、暗躍も忘れてはならないが、彼らだけで体制転覆は不可能。国務次官補だけの力でウクライナの体制を転覆させるために50億ドルもつぎ込むことはできない。背後は巨大だ。
2014.02.20
閲覧総数 212
34
ネオ・ナチを使ってクーデターを実行したのはオリガルヒ(一種の政商)や「西側」の「国境なき巨大資本」。彼らは「融資」という形式で資産略奪の仕組みを築き始めた。ウクライナ政府が保有していた金塊もアメリカへ持ち去られたと言われている。ウクライナ議会は「危機対策法」を承認、緊縮政策、つまり庶民から搾り取る準備が進んでいる。とりあえず庶民の年金を半減させるようだが、当然、それだけではすまない。 こうした「西側」の傀儡ファシスト政権を拒否する動きはクリミアだけでなく、ウクライナの東部や南部、かつてロシア領だった地域に広がっている。元軍人、治安部隊「ベルクト」などウクライナ内務省の元職員などで武装グループを構成、その人数は7万人とも伝えられている。 クーデターの際、ネオ・ナチは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に石や火炎瓶を投げ、途中からピストルやライフルを撃ち始め、ベルクトの隊員を拉致、拷問したうえ、殺害している。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあるようだ。このベルクトを内務大臣は解散させた。こうした事情があるため、軍や警察の内部には暫定政権に対する怒りを持っている人は少なくないはずで、暫定政権としては手強い相手。 それに対し、議会は6万人規模の国家警備軍を創設する法律の制定を採択したというのだが、メンバーはネオ・ナチになり、ナチスの「親衛隊」に近い存在になるだろう。反キエフの勢力を鎮圧するため、こうした部隊を創設するほか、アメリカの傭兵会社アカデミ(旧社名はブラックウォーター)などから戦闘員を雇い始めているようだ。イスラム教スンニ派の戦闘集団が入ったとも言われている。 反クーデター派の動きが最も素早かったのはクリミア。ネオ・ナチやイスラム教の武装勢力が侵入するのを防ぐために自衛軍を編成、外部からの侵入をチェックしていた。すでにイスラム教スンニ派の戦闘員がタタール系住民を装って潜り込んだとも言われたが、大きな混乱はなかった。 自治共和国最高会議はロシアへの編入を全会一致で議決、3月16日には住民投票が実施され、投票率は83.1%に達した。96.7%がロシアへの編入に賛成している。ロシア系住民云々というような次元の話ではない。非ロシア系住民もファシストやオリガルヒの体制下で生活したくはないということだろう。 しかも、ここにきてネオ・ナチの一部と暫定政権との関係が悪化している。右派セクターなどは自分たちがファシストであることを隠さず、「民主的勢力」を装いたいオリガルヒ、そして後ろ盾になっている「西側」の巨大資本としては、目障りな存在になっていた。 そうした中、右派セクターを率いていたひとり、アレキサンダー・ムージチコ(別名、サーシャ・ビリー)が警官隊に射殺された。1994年にチェチェンでロシア軍との戦闘に参加、その残虐さで有名になり、95年にウクライナへ戻ると犯罪の世界へ足を踏み入れたという経歴の持ち主。クーデター後、検察官事務所に押しかけてスタッフを罵倒、暴力を振るったり、武装解除を求めてきた暫定政権の人間を恫喝している。 内務省の発表では、3月12日にムージチコは警察に指名手配され、ウクライナ西部のレストランにいることをつかんだ特殊部隊が踏み込み、銃撃戦の末に容疑者は射殺されたということになっている。 それに対し、ウクライナ議会のアレキサンダー・ドニ議員によると、ムージチコの乗った自動車が2台に自動車に止められ、彼はそのまま拉致され、後ろ手に手錠された状態で外へ放り出され、心臓へ2発の銃弾を撃ち込まれたのだという。 仲間を殺されたということで、右派セクターはアルセン・アバコフ内務大臣の解任と殺害に関与した特殊部隊員の逮捕を要求している。彼らによると、殺害を支持したのは内務大臣だという。このアバコフはオリガルヒのひとりだ。 ムージチコ自身も自分が命を狙われていることに気づいていたようで、その辺の事情を説明する映像を残し、10日前にYouTubeへアップロードしている。検事総長室や内務大臣が彼の処分を決定、殺害するか、捕まえてロシアへ引き渡し、全ての責任をロシアの情報機関になすりつけて非難する段取りになっているとしていたという。 クーデターの際、その指揮官はアンドレイ・パルビーだったと言われている。話し合いでの解決を不可能にした狙撃もパルビーがコントロールする場所で始まった。後に暫定政権を作る勢力の中にスナイパーを使っていた人物がいることは、EUも早い段階で知っていた。ネオ・ナチのメンバーは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を投げ、トラックやブルドーザーを持ち出し、ピストルやライフルを撃ち始めるが、現場を修羅場にしたのは2月22日の狙撃開始。 25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は翌日、EUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で次のように報告している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」 しかし、「西側」が支援している勢力を守るため、つまり「西側」の巨大資本へウクライナの利権を提供するため、この報告をアシュトンは封印する。ネオ・ナチを守ったということにもなった。この事実を報道しないメディアも同じことだ。 パルビーはアメリカの特殊部隊ともつながっているようで、右派セクターが反旗を翻した場合は鎮圧側につくのだろうが、戦乱に発展する可能性はある。そこで「国際治安支援部隊」と称してNATO軍がウクライナへ入って来たなら、ロシア軍も黙ってはいないだろう。 「西側」がウクライナでクーデターを実行したひとつの理由は、ロシアからクリミアにある軍事拠点を奪うことにあった。この目論見は今のところ、失敗。ロシアを制圧するためには、どうしても潰しておきたかったはず。 ビル・クリントン米大統領はロシアを属国扱いし、あのボリス・エリツィン露大統領を怒らせたそうだが、アメリカ支配層の精神構造に変化がなく、クリミアを奪おうとするなら、第3次世界大戦に発展する可能性がある。
2014.03.30
閲覧総数 485
35
巨大資本や富豪が自分たちの資産を隠し、租税を回避するためにオフショア市場/タックスヘイブンを利用していることは常識。世界銀行やIMFといった支配層に支配された機関などの推計でも、そうした形で隠されている資産は21兆ドルから32兆ドルに達するとされている。アメリカの情報機関には世界を移動する資金の流れを調べられるシステムが存在、西側支配層の一部はその詳細を知っているはずだ。 4月3日にはパナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」の内部文書、いわゆる「パナマ・ペーパーズ」が公表され、オフショア市場の口座に関する情報が明らかになった。ICIJ(国際調査ジャーナリスト協会)などの手を経て表に出たのだが、その背後には投機家のジョージ・ソロス、フォード財団、ロックフェラー家やCIA系の基金が存在していると言われている。 ICIJは入手した文書の大半を公表せず、WikiLeaksから批判されているが、公表した文書にはウラジミル・プーチン露大統領の名前が出てこない。それにもかかわらず、プーチンの家族が何らかの不正な手段で儲けているに違いないと西側の有力メディアは宣伝している。(WikiLeaksも指摘)意味不明なのだが、それが現在の西側メディアでは通用しているのだ。実際に名前が出てくるイギリスのデイビッド・キャメロン首相について西側メディアはさほど興味を示していない。 2013年にもICIJはロシアに関連したオフショア市場の口座を明らかにしたが、その際にロシアでは政府の主要ポストについていたり議員になっている人物やその家族などは国外で銀行口座を持つことを厳しく規制することにした。オフショア市場に作られた銀行口座はアメリカ支配層が各国の「エリート」を買収するためにも使われているため、規制は当然だ。 ロシアには現在でも西側支配層に従っている勢力が存在し、その中心にはボリス・エリツィンの娘、タチアナがいる。エリツィン自身、西側巨大資本の傀儡だったが、飲んだくれの父親に代わり、クレムリン内外の腐敗勢力と手を組んでロシアを食い物にしていた人物だ。プーチンの体制を倒した後、西側支配層はタチアナをはじめとする勢力に実権を握らせようと考えているのだろう。 タチアナは「実業家」のアレクセイ・ドゥヤチェンコと結婚、ウラジミル・プーチン政権になって結婚相手が捜査の対象になると離婚し、エリツィンの側近だったバレンチン・ユマシェフと再婚した。 ユマシェフの娘、ポリナ・ユマシェバが結婚したオレグ・デリパスカはイスラエル系オリガルヒ。ロシアのアルミニウム産業に君臨、ナット・ロスチャイルドから「アドバス」を受ける一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている。こうしたロシアの勢力が今でもロシアの再属国化を目論んでいる。 イギリスの支配層は遙か昔から有力メディアを宣伝機関として利用してきた。セシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、ウィリアム・ステッドを中心にイギリスで「選民秘密協会」が創設されたのが1891年2月だが、この団体はタイムズ紙をはじめ多くのメディアを支配し、情報操作に使っている。 ローズは南アフリカに渡り、ダイヤモンドの取り引きで財をなした人物で、その資金を出していたのがNMロスチャイルド&サン。ローズは1896年にレアンサー・ジェイムソンを使ってボーア人が支配していたトランスバールへ軍事侵攻を試みたが、目的はそこで発見された金にあった。 この侵略は失敗、ローズはイギリスに戻ってナサニエル・ロスチャイルドに会い、ロスチャイルドはステッド、ブレット、そしてアルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)と緊急会談を開いて対策を練る。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)つまりジェイムソンの侵略は選民秘密協会が黒幕だったと言える。その後、イギリス本体が戦争に介入、1899年から1902年にかけてボーア人と南アフリカ戦争を戦い、トランスバールとオレンジ自由国は併合された。そして、すでにイギリス領になっていたケープ植民地とナタールと合体させ、南アフリカ連邦を作りあげるわけだ。 イギリスの支配層は1970年代にロンドンを中心とするオフショア市場のネットワークを築き上げた。それまでの有名な税金避難地はスイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなどだったが、ロンドンのシティを中心に、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなど、かつで大英帝国を構成していた国や地域を結びつけたのである。 ロンドンに対抗するため、アメリカは1981年にIBF(インターナショナル・バンキング・ファシリティー)を開設、これをモデルにして日本では86年にJOM(ジャパン・オフショア市場)をオープンさせたが、ここにきてアメリカが租税避難の主導権を握ったとされている。 ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーは昨年9月、サンフランシスコ湾を望む法律事務所で講演した中で、税金を払いたくない富豪は財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべきだと語ったという。アメリカこそが最善のタックス・ヘイブンだというわけだ。ロスチャイルドはネバダのレノへ移しているという。シティを中心としたオフショア市場からアメリカのネバダ、ワイオミング、サウスダコタなどへ富豪たちは口座を移動させたと言われている。 ドルを発行するしか能がなくなったアメリカ支配層はペトロダラーという回収システムを1970年代に作り、金融の規制緩和を推進して投機市場へドルが流れ込むようにし、アメリカをオフショア市場化することでドルが還流するようにしているように見える。が、そうした仕組みはアメリカの腐敗を促進、この国は早晩朽ち果てることになるだろう。 現在、支配層は巨大資本が国を支配する仕組みを作り上げようとしている。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)によって巨大資本が世界を直接統治しようというわけだ。現在の西側支配層は生き残りをこの仕組みにかけているようだが、その中にはオフショア市場の推進も含まれている。 ところで、「パナマ・ペーパーズ」を流出させた法律事務所を創設したひとりはジューゲン・モサック。その父親は第2次世界大戦でナチスの武装親衛隊に所属、1960年代にパナマへ移り住んだという。第2次世界大戦後、ラテン・アメリカへはアメリカ支配層の支援を受けてナチの元高官が逃げ込んだ。モサックの法律事務所はCIAやメキシコの麻薬組織ともつながっていると伝えられている。 麻薬は世界の「主要産業」になっている。UNODC(国連薬物犯罪事務所)のアントニオ・マリア・コスタによると、2008年に世界の金融システムが揺らいだ際、麻薬取引で稼がれた3520億ドルの大半が経済システムの中に吸い込まれて銀行の倒産を救った可能性がある。 また、2010年には麻薬取引の利益が年間6000億ドルに達し、金融機関でロンダリングされている資金の総額は1兆5000億ドルに達するとも言われ(UNODC, “Annual Report 2010”)、麻薬の年間売上高は8000億ドル以上という推計もある。アメリカの巨大金融資本にとって、こうした麻薬業者も大事な顧客。アメリカ上院では1999年の時点で、銀行が行っている違法資金のマネーロンダリングは年間5000億ドルから1兆ドルに達するという話が出ていた。(Minority Staff Report For Permanent Subcommittee On Investigations (Senate Committee On Homeland Security & Governmental Affairs) Hearing On Private Banking And Money Laundering, November 9, 1999)アメリカが巨大なオフショア市場になったということは、こうした資金も呑み込もうということだ。
2016.04.06
閲覧総数 8783
36
アメリカの歴史は先住の「アメリカ・インディアン」を殲滅、土地を奪い、奴隷に働かせるところから始まる。そのアメリカはイギリスから独立するが、人権を否定するという点で両者に大差はない。アメリカのいわゆる「独立宣言」は「すべての人間は平等」としているが、その人間の中に先住民や奴隷が含まれていないことは歴史が示している。 西側の支配層やその従者たちは「共通の価値観」なる用語をしばしば使う。彼らが行っていることは侵略、破壊、殺戮、略奪であり、民主的な体制を倒し、民主主義を実現しようとする人びとを排除してきた。それが彼らの真の価値観であり、かつて彼らは「帝国主義者」と呼ばれていた。そうした事実が語られることを嫌い、最近では言論の弾圧を強めている。 そうした帝国主義的な行為を正当化するため、彼らはしばしば「神」を持ち出す。アメリカを「自由と民主主義」に基づく「正義の国」だと主張する人は、虐殺されたアメリカ・インディアンを「悪魔の創造物」だと考えているのかもしれない。特定の人以外は劣等だとする優生学がイギリスやアメリカで生まれ、発展したことは本ブログでも書いてきた。 優生学の創始者とされているフランシス・ゴールトンは『種の起源』で知られているチャールズ・ダーウィンの従兄弟にあたる。ダーウィンはトーマス・マルサスの『人口論』から影響を受け、「自然淘汰」を主張していた。当時、イギリスの支配階級に広まっていた信仰だが、その信者にはセシル・ローズも含まれていた。彼は1877年6月にフリーメーソンへ入会、その直後に『信仰告白』を書いている。 その中で彼はアングロ・サクソンを最も優秀な人種だと位置づけ、その領土が広がれば広がるほど人類にとって良いことだと主張している。大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務であり、領土の拡大はアングロ・サクソンが増えることを意味するというのだ。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877) イギリスで生まれた優生学はアメリカの支配層へ広まり、イギリス以上に社会へ大きな影響を与えることになる。支援者の中心はカーネギー財団、ロックフェラー財団、そしてマリー・ハリマンで、優生学に基づく法律も作られた。 マリーは鉄道で有名なE・H・ハリマンの妻だが、ハリマン家は金融の世界でも有名。ハリマン家の銀行で重役を務めていたジョージ・ハーバート・ウォーカーの娘と結婚したのがプレスコット・ブッシュだ。プレスコットはウォーカーの下でブラウン・ブラザーズ・ハリマンやユニオン・バンキング・コーポレーションの重役を務めていたが、いずれもウォール街からナチスへ資金を供給する重要なルートだ。同僚のひとりにW・アベレル・ハリマンがいる。 優生学の信奉者はアングロ・サクソン、ドイツ系、北方系の人種が優秀だと主張、劣等な種を「淘汰」するべきだと考える。そうした考えに引き寄せられたひとりがアドルフ・ヒトラーであり、ウクライナを支配しているネオ・ナチもその神話を信奉している。 いわゆる『新約聖書』にもそうした思想が書き込まれている。例えば「ヨハネの黙示録」の第7章には天使が「我々の神の僕たちの額の上に我々が印をつけるまでは、地と海と木を害してはならぬ」と語ったとしてある。その僕とは「イスラエルの各支族の中から印をつけられた者」で、その印を付けられた人だけが殺されるのを免れるのだという。(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 7 ヨハネの黙示録』作品社、2017年) 田川健三によると「民族伝説の趣旨からすれば「ユダヤ人」は十二支族の中の二支族にすぎない」のだが、これは無視されている。勿論、「十二支族」は歴史的な事実に裏付けられていない。(前掲書) 田川は「黙示録」の中にギリシャ語の文法を理解している人物と初歩の知識もない人物の文章が混在していると指摘、少なくともふたりの人物によって書かれているとしている。大量殺戮に関する記述は後で文法的な知識のない人物によって書き加えられた部分だ。(前掲書)
2023.01.24
閲覧総数 4032
37
ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相が公的な場所で「われわれはロシアと戦争している」と語り、話題になっている。ロシアにはEU/NATOを攻撃する正当な理由があると宣言したに等しい。この宣言をしたベアボックは昨年の8月31日から9月2日にかけてプラハで開かれた「フォーラム2000」で「ドイツの有権者がどのように考えようとも、私はウクライナの人びとを支援する」と発言、民主主義を否定した好戦派だと非難されている。 ドイツのアンゲラ・メルケル元首相は昨年12月7日、ツァイトのインタビューでウクライナの戦力を増強するための時間稼ぎに過ぎなかったと語り、メルケルと同じようにミンスク合意の当事者だったフランソワ・オランド元仏大統領もその事実を認めている。EU/NATOはアメリカに従い、ロシアを殲滅する目的で戦争を始めたということだろう。 そのアメリカを大統領として率いているジョー・バイデンは2021年3月16日、ABCニュースの番組に出演、インタビュアーからウラジミル・プーチン露大統領は人殺しだと考えるかと問われ、バイデンは「その通り」と答えている。挑発的な発言だが、その後、バイデンは軍事的な挑発を繰り返している。 バイデン政権は最初からアメリカ/NATOはロシアとの軍事的な緊張を高めようとしいるが、これは彼が副大統領だったバラク・オバマ政権の政策を引き継いだことを意味する。ロシア政府はアメリカ/NATOのそうした政策を変えられないと腹を括ったのが昨年秋のことだ。脅せば屈するだろうというネオコンの甘い考えは崩れ、アメリカ/NATOの好戦派は追い詰められている。そうした好戦派に属しているベアボックは開き直ったのかもしれない。
2023.01.26
閲覧総数 2390
38
ウクライナの現体制はアメリカやイギリスの支配層を後ろ盾にしているが、体制を維持する仕組みを支えているのはステパン・バンデラを信奉するネオ・ナチにほかならない。ウクライナに限らず、第2次世界大戦後にネオ・ナチを保護、育成してきたのはアメリカやイギリスの情報機関だ。 バンデラは第2次世界大戦の前に組織されたOUN(ウクライナ民族主義者機構)の幹部だった人物。当初、この組織を率いていたのはイェブヘーン・コノバーレツィだが、1938年5月に暗殺された後、内部対立が激しくなる。 1941年3月にその対立は頂点に達し、アンドレイ・メルニクを中心とするグループ(OUN-M)とバンデラを中心とするグループ(OUN-B)に割れた。ドイツはOUN-Bに資金を提供、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。この年の6月、ドイツはソ連へ軍事侵攻を開始した。バルバロッサ作戦だ。その一方、イギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーはバンデラ派を雇っている。 ウクライナのリビウを制圧したドイツ軍はOUNのような排他的なナショナリストとユダヤ人を虐殺しはじめ、6月30日から7月2日にかけて犠牲になった人の数は4000名から8000名だと推測されている。ウクライナ西部全体に拡大すると、7月に殺されたユダヤ人の数は3万8000名から3万9000名に達するという。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) レベジと同じようにバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコは仲間とウクライナの独立を宣言、ナチスの親衛隊は7月からOUN-Bのメンバーを次々に逮捕していくのだが、活動が止まったわけではない。8月にレベジたちはOUN-Mの幹部ふたりを射殺している。9月になるとゲシュタポがウクライナのナショナリストを摘発し始め、その年の12月にOUN-Bは1500名のメンバーが逮捕されたと発表している。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) 1943年1月にドイツ軍はスターリングラードで降伏、ドイツの敗北は決定的になった。その年の春にOUN-BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立。OUNやUPAの幹部のうち半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられている。(前掲書) UPAはユダヤ人やポーランド人を虐殺しているが、その際、妊婦の腹を引き裂いて胎児や内蔵を取り出すようなこともしている。脅しのために灌木に引っかけるといったことをしたという。1943年から45年の間にOUN-BとUPAが殺したポーランド人は7万人から10万人と言われている(前掲書) 1945年5月にドイツが降伏した後、OUN-Bの少なからぬメンバーはオーストリアのインスブルックへ逃げ込み、夏になるとバンデラたちはドイツの情報法機関を統轄することになるラインハルト・ゲーレンの機関に匿われていく。 ゲーレンはドイツ陸軍参謀本部第12課(情報部門)の課長を務めていた軍人で、ドイツの敗北が決定的になっていた1944年にOSSのフランク・ウィズナーを介してアレン・ダレスのグループと接触、ソ連に関する情報を持っていたゲーレンにダレスは興味を持った。そのゲーレンに雇われたバンデラがCIAの指揮下に入るのは必然だ。 OUN-Bが組織した反ボルシェビキ戦線は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)へと発展、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。WACLはCIAが秘密工作を行う際の道具として機能している。WACL/WLFDの役割は小さくなったが、ウクライナで実権を握っているネオ・ナチは対ロシア戦争の最前線にいる。
2024.02.28
閲覧総数 1719
39
ロシアのメディア、RTのマルガリータ・シモニャン編集長はドイツ空軍のインゴ・ゲルハルツ総監や作戦担当参謀次長のフランク・グレーフェ准将、そして連邦軍宇宙本部の2名による会話を録音した38分間の音声記録を公開した。会話は2月19日に行われたという。宇宙本部の人間が2月21日にウクライナを訪れ、ロシア本土への攻撃準備についても話し合ったとされている。 4名はクリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア橋(ケルチ橋)の爆破について話し合っている。ドイツ国防省は会話がどのように記録されたかの調査を開始、ドイツ国内で録音を聞けないようにブロックしていることから音声は本物である可能性が高い。この話し合いは長距離ミサイル「タウルスKEPD 350」のウクライナへの供給に絡んで行われたものだ。 ウクライナ軍はアメリカ軍のP-8ポセイドンと連携してセバストポリを「スカルプ(イギリス版の名称はストーム・シャドウ)」で攻撃した経験がある。ドイツのオラフ・ショルツ首相はタウルスを提供すればシステムを動かすためにはドイツ兵を派遣しなければならないとしていたが、ストーム・シャドウとタウルスのシステムは大差がないとドイツ軍の幹部4名は指摘、フランスのダッソー・ラファール戦闘機を使えるという見方も示した。 しかし、イギリスやフランスがウクライナへミサイルを供給するにあたり、目標管制や目標管制の支援を行う要員を送り込んでいるとショルツは主張、米英両国が自国の兵士をウクライナへ送り込んでいることを示唆した。ウクライナにいるイギリスの専門家はストーム・シャドウを使ったロシア攻撃計画を支援しているともいう。 アメリカやイギリスからドイルは圧力を受けているようだが、ドイツ軍がウクライナ軍と直接関係することをドイツ側は回避しようとしている。ドイツ製兵器の使い方をウクライナ人に訓練したり作戦の立案に協力することは容認されたという。また、話し合いの中でゲルハルツはウクライナにいる「アメリカ訛りの私服の人びと」についても言及したようだ。 アメリカ/NATOがどのようにもがいてもウクライナの戦況を変え、ロシアを敗北させることができないという認識が広まっている。西側が打てる手は限られている。アメリカやイギリスの支配層は大陸で核戦争が勃発しても平気だろうが、大陸の人びとにとっては深刻な話だ。
2024.03.02
閲覧総数 1744
40
安倍晋三首相はリチャード・チェイニーやI・ルイス・リビーの属す勢力、ネオコンの影響下にある可能性が高い。これは前回のブログで書いたこと。 その戦略を示す文書DPG(国防計画指針)の草稿が1992年3月にリークされた際には大きな問題になった。一旦は取り下げられた形になったものの、2000年にはネオコン系のシンクタンクPNACがDPGをベースにした報告書「米国防の再構築」を公表している。 DPGが問題になった理由は、内容があまりに攻撃的だったため。アメリカを「唯一の超大国」と位置づけ、西ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、南西アジアなどでのライバル出現を阻止すると宣言しているのだ。こうした目的のため、軍事費を大幅に増やし、「予防的攻撃」、つまり先制攻撃も辞さないとしていた。他国との協調政策を放棄するということでもある。 この当時、アメリカはジョージ・H・W・ブッシュが大統領の時代。DPG作成の最高責任者は国防長官だったリチャード・チェイニーで、その下にはポール・ウォルフォウィッツ国防次官、I・ルイス・リビー、ザルメイ・ハリルザドがいた。実際に草案を書き上げたのは国防総省内部のシンクタンク「ONA(ネット評価室)」のアンドリュー・マーシャル室長だと言われている。 ネオコン系のハドソン研究所で安倍首相を紹介したのはリビーにほかならない。ウォルフォウィッツは1991年、湾岸戦争でブッシュ・シニア大統領がイラクからサダム・フセインを排除する前に停戦した直後、シリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。 1991年の段階では、アメリカ支配層の内部でもネオコンの戦略を懸念する人は少なくなかったが、そうした声を2001年9月11日の出来事が粉砕してしまった。それから間もなくして、ドナルド・ラムズフェルドを長官とする国防総省では、統合参謀本部の意見に関係なく、攻撃予定国リストを作成している。イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンがそのターゲット。 石油パイプラインの建設でアメリカ系の企業を排除したアフガニスタンをまず攻撃、次いで1980年代からネオコン/イスラエルが望んでいたフセインの排除に着手して実現、リビア、シリア、ソマリア、スーダンへ直接、間接の軍事介入を実施、イランに対する秘密工作を実行している。その一方、「潜在的ライバル」のロシアと中国に対するプロジェクトも始まった。菅直人、野田佳彦、安倍たちは、その片棒を担いでいる。 リビアやシリアに対する軍事介入で明確になったように、「西側」やペルシャ湾岸の産油国はイスラム教スンニ派の武装勢力(アル・カイダ)を傭兵として使ってきた。その直接的な雇い主がサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官だということも公然の秘密。スルタン長官が頻繁にイスラエルと接触していることもわかっている。 当初の計画では、アル・カイダを投入して国内を混乱させ、NATO軍を投入して一気に殲滅することになっていたようだが、シリアではNATO軍の直接的な投入に失敗した。特殊部隊を潜入させているようだが、戦闘部隊の主力はサウジアラビアやカタールが雇った傭兵。最近はサウジアラビア系が力を持っているが、思惑通りには進んでいないようだ。 シリアでの戦闘が長引くにつれ、世界各地からさまざまな人間がカネや武器を求め、軍事訓練を受けるためにシリアへ流れ込んでいる。欧米からも少なからぬ傭兵が来ているようで、帰国してから、それぞれの国で破壊活動を展開するのではないかという懸念が「西側」の支配層で広がっている。 また、現在、ネオコンはロシアを見据え、ウクライナを揺さぶっているが、その手駒として使われているのはネオ・ナチと見られている勢力。スボボダをはじめとするファシストたちで、OUN(ウクライナ民族主義者機構)の流れをくんでいる。 OUNはイェブヘーン・コノバーレツィなる人物を中心として創設された反ポーランド/反ロシア組織で、ステファン・バンデラが引き継いだ。当初、ドイツに接近していたが、1930年代にソ連情報が欲しいイギリスの情報機関MI6に雇われている。第2次世界大戦が始まると、バンデラの一派はドイツと手を組む。ウクライナの独立を宣言したことからドイツとの関係が悪くなるが、1943年にOUNはドイツと再び同盟関係に入り、UPA(ウクライナ反乱軍)として活動を開始、「反ボルシェビキ戦線」を設立、大戦後の1946年にはABN(反ボルシェビキ国家連合)となり、APACLと合体してWACL(世界反共連盟)になった。WACL創設にはCIAが協力している。 ネオコンは現在、アメリカを利用して自分たちが世界を支配しようとしている。その手先としてイスラム教スンニ派の武装勢力(アル・カイダ)やネオ・ナチを使っているのだが、そうした勢力の矛先が「西側」や湾岸産油国に向かう兆候が見られる。日本の支配層はそうしたネオコンに従属しているわけだ。
2014.02.02
閲覧総数 295
41
反シリア政府軍のひとつ、ISIL(イラク・レバントのイスラム国、ISISやIEILとも表記)はシリア政府軍の手先だとする話が伝わっている。リビアやシリアの情勢に余り関心のない人は信じるかもしれないが、これまでの流れをウォッチしている人には効果がないだろう。 繰り返しになるが、現在、シリアで政府軍と戦っている主な戦闘集団は3組織。つまり、イスラム戦線、アル・ヌスラ戦線、ISILだ。イスラム戦線はサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官が昨年11月に諸団体を再編成して組織、アル・ヌスラ戦線はカタールに近く、トルコの司法当局や警察によると、ISILはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が秘密裏に創設したのだという。カタールとエルドアン首相はムスリム同胞団と緊密な関係にある。 自分たちに対する批判を敵にぶつけるのは「西側」の手口。ユーゴスラビアへの先制攻撃以来、「西側」は「人道」や「人権」を破壊と殺戮を正当化するために使っているのだが、ラテン・アメリカではアメリカが「人道」や「人権」を踏みにじっていると批判されていた。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) 例えば、1954年にグアテマラでは選挙で圧勝して誕生したヤコボ・アルベンス政権をアメリカ政府はクーデターで倒している。PBSUCCESSと呼ばれる作戦だが、目的はアメリカのボーダーレス資本、ユナイテッド・フルーツの利権を守ることだった。1973年にはチリでもクーデターで合法的に成立した政権を倒し、「左翼」と見なされた約2万人が殺害さている。黒幕はヘンリー・キッシンジャーだった。 1980年代にアメリカはニカラグアの革命政権を倒すために反政府ゲリラ「コントラ」を組織する。アメリカの傀儡だったアナスタシオ・ソモサ政権時代の国家警備隊メンバーや革命政権から離脱したエデン・パストーラの部隊で編成されていたが、資金稼ぎのためにコカインを密輸していたことが明らかになっている。 その一方、コントラ支援工作をしていたオリバー・ノース中佐たちはニカラグアの革命政権が麻薬密輸に関与しているとする情報を流そうと計画、DEA(麻薬捜査局)の反対を押し切ってメディアへリーク、ロナルド・レーガン大統領は声高にサンディニスタを非難したのだが、偽情報だということはすぐに判明してしまう。 ニカラグアの隣国、エル・サルバドルでは1980年にオスカル・ロメロ大司教が暗殺されているが、この暗殺にはニカラグアの反政府ゲリラの核になった「9月15日軍」が協力している。 大司教殺害の首謀者はエル・サルバドル国家警備隊の元少佐、ロベルト・ダビッソン。エル・サルバドル駐在のアメリカ大使だったロバート・ホワイトは、大司教暗殺にダビッソンがどのように関わったかを詳細に述べた電文をワシントンに送っている。この人物が暗殺後に「ニカラグア人」へ合計12万ドル寄付していることを示す記述が発見されているのだ。 1981年にはエル・サルバドルの北部で女性や子供を含む村民、約800名が殺害されている。殺戮は大人の男性から始まり、若い女性は殺害の前にレイプされ、子供はナタやライフルで頭蓋骨を割られたという。 この出来事は翌年、ニューヨーク・タイムズ紙のレイモンド・ボンナー記者やワシントン・ポスト紙のアルマ・ギラーモプリエト記者が記事にしている。「右翼独裁者は人権を守り、難民を生み出さない」というジーン・カークパトリック国連大使の主張と矛盾する報道だった。アメリカ大使館が派遣したトッド・グリーントゥリーとジョン・マッケイも虐殺の事実を確認している。 それに対し、ロナルド・レーガン政権は大使館の報告書を無視、国務次官補のトーマス・エンダースとエイリオット・エイブラムズ(中東での工作でも名前が出てくる)は虐殺に関する記事を誤報だと非難した。カークパトリック、エンダース、エイブラムス、ネオコン(親イスラエル派)。 メディア内に張り巡らされた権力者のネットワークも機能、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の論説欄がボンナー記者たちを激しく攻撃、ニューヨーク・タイムズ紙の幹部編集者エイブ・ローゼンタールはボンナーを1983年にアメリカへ呼び戻し、その直後にボンナーは同紙を辞めている。勿論、今ではこの虐殺は歴史的な事実として認められている。 ホンジュラスでも「死の部隊」が反体制派を殺害、1980年代の前半に200名近くが行方不明になったというが、この時のホンジュラス駐在アメリカ大使はジョン・ネグロポンテだ。ジョージ・W・ブッシュ政権で国連大使、イラク駐在大使、国家情報長官、国務副長官を務めることになる。 中東/北アフリカでアメリカはレーガン政権の時代と似たことを行っているのだが、今回は「人道」や「人権」を隠れ蓑に使い、「人権擁護団体」の支援を受けている。アメリカの支配層は過去の失敗をこのような形で学んでいる。
2014.01.23
閲覧総数 343
42
マイケル・マクフォール駐露米国大使が辞任の意向を表明した。スタンフォード大学の教授を務める一方、フーバー研究所に所属して反ロシア活動を続けていたことでも有名な人物なのだが、1996年にロシアで大統領選が実施された際にはボリス・エリツィン大統領からクレムリンに招待されている。 1991年以降、新自由主義で富を少数の利権集団に集中させ、ロシアを荒廃させていたエリツィンを多くのロシア国民は批判、選挙では劣勢が伝えられていた。クレムリンの黒幕的な存在になっていたエリツィンの娘、タチアナ・ドゥヤチェンコはロシアを私物化した利権仲間のアナトリー・チュバイスを引っ張り出し、金融やメディアを支配する富豪たちを集めてチームを編成、資金の提供やエリツィンに有利な報道を約束させている。そうした中、マクフォールも招待されたわけだ。 スタンフォード大学の学生だった頃、マクフォールはソ連へ留学しているが、その後、ローズ奨学生としてイギリスのオックスフォード大学で学び、ソ連が消滅した1991年にそこで博士号を取得している。 この時期、同じようにスタンフォード大学からローズ奨学生としてオックスフォードへ留学していた人物がいる。国連大使から安全保障問題担当大統領補佐官へ移動したスーザン・ライスだ。ライスが博士号を取得したのは1990年のこと。 また、ライスの師と言われている人物がマデリーン・オルブライト。国務長官時代の1998年にユーゴスラビア空爆を主張した好戦的な人物で、アフガニスタンで戦争を仕掛けたズビグネフ・ブレジンスキーの教え子でもある。つまり、ライスはブレジンスキーの孫弟子であり、バラク・オバマ大統領と同じ人脈ということになる。 スーザンの母親、ロイスはブルッキングス研究所の研究員で、自宅にはオルブライトも訪問、その縁でオルブライトはスーザンと親しくなった。またスーザンの父親、エメットはコーネル大学で経済学を教えていたが、1979年に連邦準備制度理事会の理事に就任している。 イラク、イラン、シリア、レバノン、ソマリア、スーダン、そしてリビアを攻撃する計画をジョージ・W・ブッシュ政権がたてたのは2001年9月11日から間もない頃。ユーゴスラビアに対する先制攻撃を正当化するため、「西側」は「人権」に関する作り話を広めているが、リビアでも「人権」が口実に使われた。 2011年3月にアメリカやイギリスの情報機関や特殊部隊がリビア国内で秘密工作を本格化させているが、同時に「人権擁護団体」は「アフリカ人傭兵話」や「バイアグラ話」を広めている。バイアグラ話とは、レイプのためにバイアグラを兵士に配っているというものだが、証拠や根拠が示されたわけではなく、単なる作り話だった。このバイアグラ話の宣伝にライスも参加している。 こうした宣伝は国連人権調査団のシェリフ・バッシオウニ団長からもすぐに批判され、「人権擁護団体」の調査員もレイプの被害にあった女性を見つけることはできず、アムネスティ・インターナショナルは後に「カダフィが傭兵軍を雇った証拠はないと認めなければならない」と表明せざるをえなかった。 しかし、それでもサハラ以南出身者への差別を助長することになり、ムアンマル・アル・カダフィ体制が崩壊した後、サハラ以南出身の労働者が虐殺されるという状況を招く一因になった。「人権」の名の下に「人権」が否定されたわけである。 ところで、マクフォールが大使としてモスクワに到着したのは2012年1月14日のことだが、その3日後にはロシアの反プーチン/親アメリカ(親ウォール街)派のリーダーがアメリカ大使館を訪れている。これは本ブログで何度か書いたことなので、詳しい内容を今回は割愛するが、その後も反ロシア運動を煽っていたことは間違いないだろう。 ウクライナの反ロシア運動を煽っているグループにはネオコンも含まれ、ソチへの破壊工作を予告しているカフカスの反ロシア勢力はイスラム教スンニ派の武装勢力(アル・カイダ)と結びつき、その背後にはサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官がいると言われている。そうした構図の一角を絞めていたマクフォールの離脱は、アメリカの戦略が変化しつつあることを暗示しているのかもしれない。実際に変化している場合、安倍晋三政権が対応できないと日本は厳しい状況に陥る。
2014.02.05
閲覧総数 160
43
生命に有害な影響を及ぼすことを示す研究も明らかにされているGMO(遺伝子組み換え作物)。これまでEUはGMOの栽培を厳しく規制してきたのだが、欧州委員会(EUのいわば政府)はEU加盟国多数派の意向を無視、デュポンとダウ・ケミカルが開発した遺伝子組み換えトウモロコシ「パイオニア1507」を認可する方向へ動いているという。 EU総務理事会でGMOの認可に反対したのは19カ国。つまり、オーストリア、ブルガリア、クロアチア、キプロス、デンマーク、フランス、ギリシャ、ハンガリー、アイルランド、イタリア、ラトビア、リトアニア、ルクセンブルグ、マルタ、オランダ、ポーランド、ルーマニア、スロバキア、スロベニア。賛成したのは5カ国で、エストニア、フィンランド、スペイン、スウェーデン、イギリス。そしてベルギー、チェコ、ドイツ、ポーランドの4カ国は棄権した。 賛成と反対を国の数で比較すれば賛成派が圧倒しているが、EUの投票ルールに従うと認可を拒否するには足りないのだという。EUにおいて民主主義は機能していない。 GMOに関し、アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権からの強い働きかけがあることは、WikiLeaksが公表した外交文書でも明らかにされている。2007年、バイオテクノロジーの巨人モンサント社が生産した遺伝子組み換えトウモロコシの栽培禁止をフランスが決めたことを駐仏アメリカ大使だったクレイグ・ステイプルトンは憂慮、報復リストを作るべきだと進言している。このステイプルトンとブッシュ・ジュニアはテキサス・レンジャーズの共同所有者として名を連ねていたことがある。それほど親しい関係ということだ。 遺伝子組み換え作物の動物に対する影響に関する研究には、例えば、フランスのカーン大学でジル-エリック・セラリーニ教授が率いるチームが行ったものがある。2年間にわたり、200匹のラットの集団に対して実施したもので、その結果は2012年9月に「フーズ・アンド・ケミカル・トクシコロジー」(食品と化学的毒物学)で発表された。 それによると、モンサントが作り出した「NK603」系統のトウモロコシをネズミに与え、寿命に近い24カ月目の時点で調べると、腫瘍の発生率が対照群では30%だったのに対し、実験群のメスでは50から80%に大きな腫瘍が現れたうえ、早死にの傾向も見られたという。またオスでは肝臓や皮膚に腫瘍が発生し、また消化管での異常もみられたとされている。 2009年にEFSA(欧州食品安全機関)はモンサントのNK603ラウンドアップ耐性トウモロコシの認可を勧告していたが、その決定はモンサントが提供した情報やスペインの所轄官庁などの報告に依存していた。EFSAが承認を決める根拠にしたモンサントのラット試験は90日間で打ち切られたことになっているが、カーン大学の研究では、腫瘍の多くが18カ月をすぎてから発見されている。スペインの報告もモンサント社が提供した既存の情報やデータを参考にしている。 GMOの導入に前向きなEFSAのGMO委員会。この委員会に所属する専門家の半数以上はバイオ業界から研究資金を得ていたり、業界が資金を出している刊行物へ寄稿したり、バイオ業界寄り団体のメンバーや協力者だったりしているという。 カーン大学の研究発表を受け、EFSAは2012年11月に、セラリーニらの論文には、設計と方法論上、深刻な欠陥があり、条件を満たす科学的基準には合致せず、遺伝子組換えトウモロコシNK603の過去の安全性評価を見直す必要は無いと発表している。が、具体的な反論があったとは言えず、自らが長期にわたる実験をする意思は見せなかった。 今回の一件でEUの非民主的な一面が再確認されたが、それでもEUの場合は議会など、それなりに民主的な側面もある。民主的な側面が全くないに等しいのがTPPだ。この協定が成立すると、GMOであろうと原発であろうと、アメリカの巨大資本に従うしかない。
2014.02.12
閲覧総数 83
44
世界の有力者に未成年の女性を提供、行為の様子を隠し撮りしておどしの材料に使っていたジェフリー・エプスタインの亡霊が今でも徘徊している。名前が出てきた人物には、「COVID-19ワクチン」でも注目されているビル・ゲイツ、バージン・グループを創設したリチャード・ブランソン、JPモルガンのジェイミー・ダイモン、ノルウェーの首相、王族なども含まれている。体制に批判的な学者として知られているノーム・チョムスキーもエプスタインと親しく、イスラエルで首相を務めたエフード・バラクとも会っていたと伝えられている。 バラクは首相に就任する前、イスラエル軍の情報機関AMANの局長を経て参謀総長になっているが、AMANの命令でエプスタインは活動していたという。世界の有力者を脅す材料をイスラエルの情報機関に提供していたということだ。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) エプスタインのパートナーだったギスレイン・マクスウェルの父親はミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェル。ロバートは第2次世界大戦の際、チェコスロバキアからイギリスへ亡命、ミラー・グループなどを買収、言論界に君臨することになる。彼とイスラエルの情報機関との関係は有名だが、ギスレインとエプスタインも1980年代後半からAMANの仕事をしていたと言われている。 イスラエルには「8200部隊」という電子情報機関があり、私企業として企業を創設している。そのひとつである監視システムの会社「カービン」にバラクも出資、同社の会長になった。その会社にエプスタインも出資していた。 このエプスタインは2019年7月6日に逮捕され、翌月の10日に房の中で死亡した。自殺とされているが、他殺だと考える人が少なくない。 エプスタインはその前にも同じ容疑で摘発されたことがある。2005年にひとりの女性がフロリダのパームビーチ警察を訪れ、14歳になる義理の娘がエプスタインの自宅で猥褻な行為をされた訴えたのだ。そこから内偵捜査が始まり、その11カ月後に家宅捜索している。 捜査の過程でエプスタインが有力者へ少女を提供、その行為を秘密裏に録音、撮影して恐喝の材料に使っていたことが浮かび上がる。エプスタインは有罪を認め、懲役18カ月の判決を受けるのだが、州刑務所へは入っていない。 この事件を地方検事として事件を担当したアレキサンダー・アコスタはドナルド・トランプ政権で労働長官に就任するが、彼はその当時、エプスタインについて「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたとしている。 2006年の摘発でエプスタインが盗撮していた映像を警察は押収、それを保安官補だったジョン・マーク・ドーガンが保有していた。エプスタインの軽い刑罰が決まった2008年にドーガンは退職を強いられた。FBIは2016年にドーガンの自宅を家宅捜索、コンピュータなどを押収している。 エプスタインの知り合いには大物が少なくない。そのひとりがリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドだ。夫はNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきたエベリン・ド・ロスチャイルドである。ふたりは1998年に開かれたビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚している。 リン・フォレスターはエベリンと結婚する前、マンハッタンにある自分のアパートをギスレイン・マクスウェルに使わせていた。エプスタインが保有していたプライベート・ジェットの搭乗者名簿にはリン・フォレスターの名前も記載されている。
2023.06.01
閲覧総数 3891
45
日本では「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」が昨年11月28日に承認された。製薬会社は今年の秋、または冬に接種する予定だという。「COVIDワクチン」とは遺伝子導入剤で、古典的なワクチンではない。しかも「レプリコン・ワクチン」は一種の人工ウイルスにほかならず、動物の種を超えるだけでなく、植物と動物との間でも感染する可能性があると指摘されている。これだけ危険な薬剤の接種を日本政府はなぜ強行しようとしているのだろうか? 承認申請したメーカーはMeiji Seikaファルマで、同社は武田薬品系のアルカリスと共同でmRNA技術を利用した製品の製造工場を建設福島県南相馬市に建設、そこでアルカリスが開発した遺伝子導入剤「ARCT-154」を作る計画だ。 アルカリスはアークトゥルスとアクセリードが共同で設立したmRNA医薬品CDMO(医薬品受託製造)会社であり、アクセリードは武田薬品の湘南研究所が2017年にスピンオフして誕生した。 ロシア議会の委員会は昨年4月、アメリカの国防総省がウクライナで「万能生物兵器」を研究開発していたと発表している。敵兵、つまり人間だけでなく動物や農作物にダメージを与えることができるため、これらの病原体の拡散によって影響を受けた国を完全に破壊し、民間人、食糧安全保障、環境にも影響を与えることができる。「レプリコン・ワクチン」と特徴が似ている。アメリカは昆虫、哺乳類、野鳥を利用して人間を攻撃する病原体の伝播に特別な注意を払っているようだ。 ロシア軍は2022年2月24日にウクライナを攻撃しはじめ、機密文書を回収、その文書を1年がかりで分析した上での結論だ。万能生物兵器とは「核の冬」に匹敵する深刻な被害をもたらすような遺伝子組み換え兵器だとされている。 万能生物兵器と似た特徴を持つ「レプリコン・ワクチン」を承認した国は日本だけだという。生態系を破壊する可能性がある危険な薬剤を承認しないのは当然で、日本政府が正気だとは思えない。 日本の政治家、官僚、「専門家」、マスコミなどを狂わせているのは製薬会社のカネだと考える人は少なくないが、それ以上に強力な要因がある。アメリカ国防総省の計画だ。 医薬品業界で研究開発に関わってきたサーシャ・ラティポワは情報公開法で入手した文書を分析、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動は国防総省がバラク・オバマ政権の時代に始めた作戦だとしている。 ロシア軍が回収した文書の分析を指揮したイゴール・キリロフ中将によると、ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)が管理する研究施設が約30カ所あり、そこで生物兵器の研究開発を行っていた。研究テーマのひとつが万能生物兵器だ。 日本政府は人類の存続を危うくしかねない薬剤を人びとに接種、すでに深刻な副作用が現れている。日本以外の国では2022年の春、つまりロシア軍がウクライナで生物兵器に関する機密文書を回収した直後から遺伝子導入剤の接種を止めているのだが、日本政府は「レプリコン・ワクチン」の接種を強行するつもりだ。正気の沙汰ではない。 アメリカの国務省は歴史的にファシストの巣窟だが、1970年代にネオコンが台頭すると、その影響を受けるようになる。1990年頃になると国防総省もネオコンに支配されるようになった。ネオコンはシオニストであり、シティやウォール街、つまり米英金融資本の影響下にある。ネオコンが1995年に日本をアメリカの戦争マシーンに組み込んだことは本ブログで繰り返し書いてきた。
2024.01.08
閲覧総数 5340
46
ジョージア(グルジア)議会は「外国の影響を透明にする法律」を可決した。国外から20%以上の資金提供を受けているNGO、メディア、個人に対し、「外国勢力の利益を促進する」団体として登録し、資金提供者を開示するよう求めているのだ。 この法案はアメリカのFARA(外国代理人登録法)をベースにしているのだが、ジョージアの法案について西側諸国から批判の声があがり、連動してジョージア国内でも「ロシアの法律」だとして反対運動が展開された。フランス生まれ、同国とアメリカで教育を受けたサロメ・ゾウラビチビリ大統領は拒否権を発動させたが、議会は拒否権を覆すと見られている。 ジョン・パーキンスが『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』(ジョン・パーキンス著、古草秀子訳、東洋経済新報社、2007年/John Perkins, “Confessions of an Economic Hit Man,” Berrett-Koehler, 2004)で書いたように、アメリカはターゲット国を支配するため、買収、スキャンダルを使った恫喝、社会的な抹殺、肉体的な抹殺、クーデター、軍事侵攻といった手段を組み合わせて使う。 アメリカ海兵隊の伝説的な軍人であるスメドレー・バトラー少将が指摘したように、第2次世界大戦の前はアメリカの巨大資本の利権のために海兵隊が使われていたが、大戦後にはCIAが中心的な役割を果たすようになった。その背後で買収や恫喝といった手法も使われたのだ。 ところが1970年代、アメリカ議会でCIAの秘密工作が問題にされた。1975年に上院で「情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会」(フランク・チャーチ委員長)が、下院で「情報特別委員会」(ルシエン・ネジ委員長、すぐにオーティス・パイクへ交代)が設置された。最も重要な証言をしたのはウィリアム・コルビー。CIA長官を務めていたが、それだけでなく、大戦前から破壊工作に従事していた人物だ。その当時は有力メディアにも気骨あるジャーナリストが存在、この問題にメスを入れていた。 そこで支配層はCIA内部の締め付けを強め、言論統制を強化する。規制緩和で有力メディアを少数の資本に統合するのはその一環。そしてロナルド・レーガン政権では秘密工作に「プロジェクト・デモクラシー」や「プロジェクト・トゥルース」というタグをつけ、1983年11月にはNED(ナショナル民主主義基金)が創設された。 NEDへは国務省のUSAID(米国国際開発庁)を含む政府の資金が流れ込むが、その実態はCIAの工作資金にほかならない。NEDからNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターなどを経由して各国に設置したNGO(非政府組織)へ流れる。 言うまでもなく、NGOは仕組みにすぎない。その仕組みを利用して人びとの利益のために活動することもできるが、強大な私的権力が自分たちの手先として他国の内政に干渉する道具として使うことも可能だ。 投機家として知られている富豪のジョージ・ソロスもこの仕組みを利用し、内政干渉のために資金を供給してきた。彼の人脈を見ると、ロスチャイルド資本との関係が見えてくる。 ソロスは1930年にハンガリーで生まれ、47年にイギリスへ移住、54年から金融の世界へ入っている。彼が生まれたハンガリーは大戦中、ナチスに占領されてユダヤ人は強制収容所へ送られた。 ソロスはユダヤ教徒だが、キリスト教徒を装い、ナチスに取り入ることでその時代を生き延び、ユダヤ系住民の富を手に入れることで財を築いたという。この話は彼自身も1998年12月20日、CBSの「60ミニッツ」でスティーブ・クロフトに話している。 そのハンガリーでソロスは1984年にソロス財団ブダペストを設立、反ソ連活動を開始した。ポーランドの「連帯」やチェコスロバキアの反体制運動へも資金を提供していた。 1991年12月にソ連が消滅した後、ウクライナやジョージアでいわゆる「カラー革命」に資金を提供、ロシア包囲網の構築に協力している。ジョージアでソロスはエドゥアルド・シェワルナゼ政権を倒し、配下のミヘイル・サーカシビリを2003年の「バラ革命」で後釜に据えた。 マーク・アーモンドによると、その際、ソロスに協力したのはUNDP(国際連合開発計画)や国際連合副事務総長を務めていたマーク・マロック・ブラウンだという。なお、2007年にマロック・ブラウンはソロスのヘッジファンドの副社長になる。 サーカシビリは1994年にコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学のロー・スクールへ通い、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働いていた。そのサーカシビリは2008年8月、北京で夏季オリンピックが開催されるタイミングで南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で粉砕された。本ブログで繰り返し書いてきたように、ジョージア軍はイスラエルとアメリカの軍事支援を受けていたわけで、同程度の戦力ならイスラエル軍やアメリカ軍はロシア軍に勝てないことがこの時点で明確だった。 ウクライナでアメリカ/NATOの代理軍はロシア軍に敗北、ウクライナ軍を率いてきたネオ・ナチは前線から逃走したと伝えられている。そこで、ウクライナでクーデターを仕掛けたネオコンはジョージアを新たな戦場にしようと目論んでいる疑いが濃厚だ。 そうした中、スロバキアのロベルト・フィツォ首相が銃撃され、一時は命が危ぶまれた。同国では国外の組織が関与していると言われているが、中でもウクライナの情報機関が怪しいと言う人が少なくない。ウクライナの情報機関はイギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAを後ろ盾にしている。 ここにきてジョージアのイラクリ・コバヒゼ首相はEUからの脅しについて話し始めた。もしジョージア政府がNGOに外国からの資金提供の開示を義務づける法律を成立させようとするならば、西側諸国は彼に対して「多くの措置」をとるだろうと警告したと述べている。スロバキアのロベルト・フィツォ首相と同じ運命をたどることになるかもしれないと脅されたという。
2024.05.25
閲覧総数 1854
47
アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補は、マイケル・マクフォール駐露米国大使やジョン・マケイン上院議員と同じように公然と反ロシア勢力を支援してきた。アメリカをはじめとする「西側」は、中東や北アフリカでの体制乗っ取りプロジェクトでイスラム教スンニ派の武装勢力(アル・カイダ)を使ってきたが、東ヨーロッパではネオ・ナチを「突撃隊」として利用している。 このヌランドとジェオフリー・パイアット駐ウクライナ大使との会話内容がYouTubeにアップロードされ、話題になっている。何しろ、ウクライナの政権をどうするのかが話し合われているのだ。「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という下品な表現が問題なのではない。下品な人間が下品な表現を使うのは自然なことだ。問題は露骨な内政干渉。 ヌランドとパイアットが同意した内容は、「全ウクライナ連合『祖国』」の議会におけるリーダー、アーセニー・ヤツェニュクを次期副首相に据え、「UDAR(改革を目指すウクライナ民主連合)」のビタリ・クリチコは入閣させず、デモを内戦化させたネオ・ナチの「スボボダ(全ウクライナ連合『自由』)」のオレーフ・チャフニボークは信用しないというようなこと。ちなみに、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領は先月、ヤツェニュクを新首相に、またクリチコを副首相にするという提案をしたが、拒否されている。 スボボダはネオ・ナチであり、反政府行動で棍棒、ナイフ、火焔瓶を手にするだけでなく、ブルドーザーを持ち出して警官隊と衝突した。こうした光景がインターネットを通じて全世界に広がっているため、とりあえず距離を置こうということかもしれない。 また、オランダのロバート・セリー元駐ウクライナ大使が国連特使としてキエフへ派遣されるとジェフリー・フェルトマン国連事務次長はヌランドに話したという。その決定をヌランドは歓迎、そして「EUなんかくそくらえ」という表現が出てくる。ウクライナの体制転覆に国連を利用するということ。ヌランドはEUのウクライナに対する対応が気に入らなかったようだ。 明らかにヌランド次官補やパイアット大使はウクライナを独立国として扱っていない。自分たちにとって都合の良い、つまり傀儡政権を樹立させようとしている。マイケル・マクフォール駐露米国大使も、このふたりの仲間だったが、先日、ソチ・オリンピック後に大使を辞めると発表している。 ウクライナへの内政介入の「謀議」を盗聴されたうえ、インターネット上で公開されたことでヌランドや仲間は怒り心頭だろうが、大声で文句は言えない。何しろ、各国政府の要人をアメリカが盗聴していたことが露見したばかりだ。ドイツは強く批判している。 ロシア側からすると「西側」の内政干渉はソ連時代からのもの。現在、「西側」が使っている戦術を最初に実行したのは投機家で大富豪のジョージ・ソロス。1979年にニューヨークで「オープン・ソサエティ基金」を設立している。その後、ハンガリー、ソ連、中国などでも同じような基金を作った。 ソ連消滅後、ボリス・エリツィン政権と手を組んで巨万の富を手にした人たちがいる。そのひとり、ボリス・ベレゾフスキーとソロスは共同でビジネスを展開したこともある。後にふたりは仲違いするが、2004年から05年にかけてウクライナで展開された「オレンジ革命」のパトロンは、このベレゾフスキーだった。 現在、ウクライナで体制転覆プロジェクトを実行しているヌランドやマケインはアメリカの親イスラエル派(ネオコン)。ベレゾフスキーも一時期はイスラエルの市民権を持っていた人物で、エリツィン体制が倒れた後、イスラエルへ逃れた彼の仲間も少なくない。
2014.02.07
閲覧総数 751
48
マリウポリから脱出した市民が「アゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)」の実態を告発、西側の政府や有力メディアが描いてきた「勇敢な市民が邪悪な侵略軍に立ち向かい、勝利する」という「ダビデとゴリアテ」的なストーリーが事実でないことを明らかにしている。(例えば、ココやココ) 脱出して間もない市民の声が外へ伝えらているのは現地で取材している記者がいるからである。例えば、ドンバス・インサイダーの記者によると、彼女はフランスの有力メディアTF1やRFIのほか、ロシアやイタリア人の記者とマウリポリへ入ったとしている。 早い段階で記事も出ているが、脱出した人の証言映像をツイッターに載せていた人もいた。ところがその人のアカウントをツイッターは削除。知られたくない事実だからだろうが、一部の映像はインターネット上にまだ残っている。 しかし、西側の有力メディアは大多数が「ダビデとゴリアテ」話を維持するため、こうした証言は無視しているようだ。親衛隊の仲間である「市長」のコメントを伝えても市民の証言は伝えない。 それだけでは足りないようで、ウクライナやアメリカの政府にとって都合の悪い情報、つまり事実を伝えるジャーナリストをウクライナ政府は国外へ追い出したり恫喝し始め、身の危険を感じるような状況になっているという。今後、ウクライナ政府は脱出した市民を拘束し、その証言が外へ漏れないようにするかもしれない。 マリウポリなど東部に住む人びとはロシア語を話し、多くは2014年2月のクーデターで排除されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を支持していた。つまり反クーデター派が多数を占めていた。そこで反クーデター戦争を始めたのだ。それに対し、ポーランドへ逃げ込んだ住民は西側に住む人が多いはずである。 ポーランドへ逃げた市民について、西側メディアは文明度が高いとし、「目が青く、ブロンドのキリスト教徒」だから助けなければならないと叫んでいた。その一方でインド人やアフリカ系の人びとは脱出を妨害されたり、棍棒で殴打された人もいる。アジア人も差別の対象だ。西側メディアもネオ・ナチと同じ価値観を持っていると言われても仕方がないだろう。
2022.03.31
閲覧総数 7681
49
ロシアでは国防省をはじめとする各省の入ったビルの屋上に短距離用防空システムのパーンツィリ-S1を設置したと伝えられている。このシステムは2017年4月と18年4月にアメリカの巡航ミサイル「トマホーク」に対して使われ、その有効性が確認された。モスクワでの動きはアメリカ/NATO軍による攻撃を想定していると見られている。 アメリカを動かしてきたネオコンは「脅せば屈する」という呪文を唱え続けているようだが、勿論、現実にはならない。かつて日本人が唱えていた「神風」と同じだ。 アル・カイダ系武装集団を使ってシリアに対する侵略戦争をバラク・オバマ政権は2011年に始めたものの、計画通りに進まない。そこでアメリカ/NATO軍よる直接的な攻撃を正当化するため、「シリア軍が化学兵器を使った」という偽情報を宣伝していたが、失敗。そこで次のドナルド・トランプ政権はトマホーク・ミサイルを撃ち込んだのである。 2017年4月には地中海に配備されていたアメリカ海軍の駆逐艦2隻、ポーターとロスがトマホーク59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射したものの、6割が無力化されてしまった。 2018年4月には100機以上の巡航ミサイルをアメリカ軍だけでなく、イギリス軍やフランス軍もシリアに対して発射したが、7割が無力化された。2017年には配備されていなかったパーンツィリ-S1が効果的だったと言われている。 昨年12月5日、ロシア領内のディアギレボ基地とエンゲルス基地が、また12月26日にもエンゲルス基地が攻撃された。新しい誘導システムを取り付けられたTu-141を衛星で誘導したとみられている。ロシアの外からではなく、いずれもロシア領に潜入した工作員による工作だと言われている。ジャーナリストのジャック・マーフィーによると、CIAはNATO加盟国の情報機関を利用し、ロシアで破壊活動を続けてきた。 ディアギレボ基地やエンゲルス基地への攻撃、あるいはHIMARS(高機動ロケット砲システム)による12月31日のロシア軍仮設兵舎への攻撃はロシア政府を脅すつもりで行ったのかもしれないが、おそらく裏目に出た。 ここにきてイギリス政府はウクライナへの戦車提供に積極的で、ほかのNATO加盟国へも主力戦車を供給するよう促しているが、それだけでなく射程距離の長いミサイルやロケット砲を提供、クリミアを攻撃すると脅している。ロシア政府がロシア領だとしているクリミアが攻撃された場合、報復攻撃することは間違いないだろう。モスクワが攻撃された場合、ワシントンDCが攻撃される可能性もある。 岩塩の採掘場を利用して築かれた全長200キロメートルという「地下要塞」のあるソレダルを制圧したのはロシアの傭兵会社ワグナー・グループ、ネオ・ナチを中心とする親衛隊が拠点にしていたマリウポリを陥落させたのはチェチェンの武装グループ、全体的には反クーデター軍として2014年から戦っているドンバス軍で、ロシア軍はミサイルや航空兵力が中心だと言われている。 しかし、ウラジミル・プーチン露大統領は昨年9月21日に部分的な動員を実施すると発表、集められた兵士のうち約8万人は早い段階でドンバス入りし、そのうち5万人は戦闘に参加、さらに20万人から50万人が訓練中だという。どこかの時点でロシア軍が動き始めると、これだけの戦力が投入されることになる。 現在、アメリカ/NATO軍はウクライナへ兵器や資金を供給、ウクライナ人が血を流すという仕組みになっているが、すでに15万人以上のウクライナ兵が戦死した。アメリカ軍はウクライナでの戦闘を念頭に置いてアフガニスタンから撤退したとする説もあるが、ウクライナにしろアメリカ/NATOにしろ、限界がきている。 全面核戦争の危機はこれまでになく高まった。
2023.01.21
閲覧総数 3310
50
ウェンディ・シャーマン国務副長官が6月末に退任する予定だ。その後任としてビクトリア・ヌランド国務次官が昇格するのではないかと言われている。シャーマンだけでなくNSC(国家安全保障会議)で中国担当シニアディレクターを務めてきたローラ・ローゼンバーガー、そして国務副次官補として中国と台湾の問題を担当するリック・ウォーターズも退任すると言われ、ジョー・バイデン政権の好戦的な色彩は強まると可能性が高い。 ヌランドは父方の祖父母がウクライナからの移民で、夫はネオコンの重鎮であるロバート・ケーガン、義理の弟はフレデリック・ケーガン、フレデリックの妻はISW(戦争研究所)を設立したキンベリー・ケーガン。ヒラリー・クリントンは友人のひとりだという。アメリカ中央軍、ISAF(国際治安支援部隊)司令官、そしてCIA長官を務めたデイビッド・ペトレイアスとキンバリーは親しい。 2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使ってウクライナでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した。このクーデターで中心的な役割を果たしたのはジョー・バイデン副大統領、ビクトリア・ヌランド国務次官補、副大統領の国家安全保障補佐官を務めていたジェイク・サリバンだ。 現在バイデンは大統領、ヌランドは国務次官、サリバンは国家安全保障問題担当の大統領補佐官。この3人にアントニー・ブリンケン国務長官が好戦的な政策を推進している。そうした中、シャーマンが排除されてヌランドが昇格した場合、その好戦性は強まる。 シャーマンはビル・クリントン政権時代、1993年5月から96年3月までウォレン・クリストファー国務長官の下で国務次官補を務めていた。1997年1月に国務長官がクリストファーからマデリーン・オルブライトに交代するとクリントン政権はユーゴスラビアへ軍事侵攻する方向へ舵を切った。1997年8月、シャーマンは参事官として国務省へ復帰している。 オルブライトは1998年秋にユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月から6月にかけてNATO軍はユーゴスラビアへの空爆を実施した。4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、03年3月にジョージ・W・ブッシュ政権はイラクを先制攻撃するが、泥沼化。そこでバラク・オバマ米大統領は2010年8月にPSD-11を承認してムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使った体制転覆作戦を始動させ、「アラブの春」が始まる。 しかし、シリアやリビアに対してはズビグネフ・ブレジンスキーが作り上げた「アル・カイダ」の仕組みが使われる。2011年春に両国に対する攻撃が始まり、同年10月にはムアンマル・アル・カダフィ体制が倒された。カダフィ本人はその際に惨殺されている。 そこで戦力をシリアへ集中させるのだが、バシャール・アル・アサド政権は倒れない。そこで軍事支援を強化、登場してきた戦闘集団がダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)。2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルが制圧される。ダーイッシュは残虐さを演出、アメリカに軍事介入させる道を作ろうとしていると考える人もいた。 その当時、オバマ政権には戦争に消極的な人物がいた。例えばチャック・ヘーゲル国防長官やマーチン・デンプシー統合参謀本部議長は上院軍事委員会で直接的な軍事介入に慎重な姿勢を示し、ヒラリー・クリントン国務長官らと対立している。 オバマ大統領が主張する穏健派は存在しないとする報告を出したDIAの局長、マイケル・フリンは2014年8月に退役を強いられていたが、それだけでなくヘーゲルは2015年2月に解任、デンプシーは同年9月に再任を拒否されている。オバマ大統領は戦争体制を整えた。 デンプシーが退役した直後の2015年9月30日にロシアはシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュを含むアル・カイダ系武装集団を敗走させる。 そこでアメリカはクルドと手を組むのだが、これによってアメリカとトルコの関係が悪化する。現在、アメリカ軍はシリア領内に900名程度の部隊を侵攻させ、10カ所とも20カ所とも言われる数の軍事基地をシリアに建設、不法占領を続けている。 そして今、バイデン政権はまたホワイトハウスを好戦的な布陣にしようとしている可能性がある。簡単に勝てるという思い込みで始めたロシアや中国に対する戦争だが、ネオコンの思惑は外れた。窮地に陥ったバイデン政権は暴走し始めた。6月12日から23日まで実施されるNATOの軍事演習「エア・ディフェンダー23」が注目されたのはそのためだ。 ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は6月13日、ロシアから戦術核兵器をすでに受け取っていると語った。自国が攻撃にさらされれば躊躇なく核兵器を使用するとしている。ルカシェンコの要請に基づくとされているが、少なくともロシアは同意している。ネオコンが攻撃してくれば受けて立つという意思表示だろう。 そうした国際環境の中、日本は夢遊病者のように戦争へと向かっている。すでにアメリカ/NATOはウクライナへ供給する武器弾薬が枯渇、5月には韓国がアメリカ経由でウクライナへ砲弾を提供したと伝えられてるが、ここにきてアメリカ政府は日本政府と155mm榴弾のウクライナへの供給することで話し合ったという。数少なくなったアメリカ支援国として日本に対する要求は強まってくるだろう。
2023.06.17
閲覧総数 4617