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【高市発言と統合作戦司令部】 世界には多くの国が存在するが、その中でどの程度の国の政府が日本を主権国家と認識し、独自の判断で行動しているとは考えているだろうか。アメリカの属国、あるいは植民地にすぎず、日本政府を信頼できる交渉相手だとは考えていないように思える。高市早苗首相の「台湾有事発言」にしても、アメリカの軍事戦略という視点から見ているはずだ。 日本では陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊を一元的に指揮する常設組織として今年3月、敵基地攻撃能力を一元的に指揮する統合作戦司令部が編成された。これは2015年5月から18年5月までアメリカ太平洋軍の司令官を務めたハリー・ハリス海軍大将の提案に基づくという。ハリスが太平洋軍司令官から退いた2018年5月、アメリカ軍は太平洋軍をインド太平洋軍へ名称変更しているが、そのインド太平洋軍司令部と調整することが自衛隊で統合作戦司令部が編成された理由だという。自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入るということだろう。統合作戦司令部が編成された理由として「台湾有事」を挙げる人もいた。 高市首相の台湾有事に関する発言を単純な「舌禍事件」だと理解するべきではない。その背後にはアメリカの対中国戦略があり、そのために中国政府は厳しい対応をしている。ウクライナでNATO軍がロシア軍に敗北したことも、東アジアの軍事的な緊張を高めている一因だ。高市首相の発言はそうした中でのことだった。【アメリカの軍事戦略と日本】 本ブログで繰り返し書いてきたことだが、自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、それに続いて2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。こうした施設建設の理由をアメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書で説明している。これはGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するというアメリカ軍の計画に基づいているのだ。こうした事態になっていることを認識しなければならない。 この報告書が作成された当時、アメリカは日本が掲げる専守防衛の建前、そして憲法第9条の制約を尊重していた。そこでASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力するという形にするとしていたのだが、2022年10月になると「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」と報道された。があった。亜音速で飛行する核弾頭を搭載できる巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。要するに、アメリカの命令だということだろう。 こうしたアメリカの計画は1992年2月にアメリカ国防総省で作成されたDPG(国防計画指針)の草案に基づいている。この指針は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツが中心になって書かれたことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 1991年12月のソ連の消滅でアメリカは唯一の超大国になったとネオコンは確信、世界制覇戦争を始めようというわけだが、そのドクトリンにはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合し、民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。要するに、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 こうしたアメリカの独善的な計画が危険だということを日本の政治家も理解していたようで、1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗するが、94年4月に崩壊した。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られている。 日本側の動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月になると、ジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令した。そのレポートには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。 沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になったようだ。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。 この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンへ急ピッチで組み込まれていく。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.28
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【キエフで英国人将校が戦死との情報】 ウクライナ軍はロシアのクラスノダールとロストフを約250機の攻撃用ドローンで攻撃、3名が死亡、数十人が負傷したと伝えられている。ロストフでは航空機工場が被害を受け、エンジンや装置類が取り外されていた地上訓練用に使われていたIl-76輸送機とA-60実験機が破壊されたようだ。 それに対し、ロシア軍は11月26日、オデッサとキエフの軍事施設をドローンなどで報復攻撃したが、キエフでは3機のSu57戦闘機から亜音速のKH-69巡航ミサイルを発射、兵器庫やパトリオット防空システム、そして「意思決定センター」を破壊したのだが、ロシア軍の発表によると、前日のクラスノダールやロストフに対する攻撃を指揮したのはそのセンターで、そこには15名のウクライナ人将校と7名のイギリス人将校がいた。全員が死亡したとされている。【ロシア軍と戦っているのはNATO軍】 本ブログでも繰り返し書いてきたが、ウクライナ軍が崩壊状態になってからNATO軍、特にイギリス軍やフランス軍が前線で戦うようになっている。例えば、ウクライナ東部の都市で兵站の要衝としても知られているポクロフスクではロシア軍に包囲されたウクライナ軍部隊の中にNATO軍将校、あるいはCIAの幹部工作員が含まれていたという。 包囲されつつあったポクロフスクでウクライナの情報機関GUR(国防省情報総局)は特殊部隊をUH-60Aブラックホークで運び、無謀な救出作戦を強行して失敗している。10月28日にはGURの特殊部隊員11名がヘリコプターから降りたところをロシア軍に殲滅される様子をロシア軍の偵察ドローンが撮影した映像が公開された。10月30日には2機のブラックホークで約20名から24名の特殊部隊員を送り込まれ、同じように殲滅されている。 また、今年8月2日にはロシアのスペツナズ(特殊部隊)がオデッサに近いオチャコフでイギリス陸軍のエドワード・ブレイク大佐とリチャード・キャロル中佐、そしてMI6の工作員ひとりを拘束した。ロシア深奥部に対するミサイル攻撃やテロ攻撃はMI6がオデッサから指揮していると言われている。ロシアのSVR(対外情報局)は、フランスがウクライナに約2000人の部隊を秘密裏に派遣する準備を進め、兵士をポーランドで訓練を行っているともしていた。 イギリスやフランスだけでなく、ほかのNATO加盟国も戦闘員をウクライナへ送り込んでいる可能性が高い。アメリカ軍の退役将校やCIAの元分析官など西側の軍事や情報の専門家もウクライナでロシア軍が戦っている相手はNATO軍だと指摘している。これは理屈の上からも明らかなことである。戦闘員が数千人単位で戦場に現れ、いなくなるというのは部隊として動いているからだとも指摘されている。中でも戦死者が多いとされているのはイギリスやフランスで、こうした国の政府はそうした事実を隠すため、軍隊を正式に派遣したがっている可能性もある。そうした部隊を派遣している国の中に日本が含まれていないとする保証はない。 ドイツのフリードリヒ・メルツ首相は空中発射型巡航ミサイルの「タウルスKEPD 350」をウクライナへ供与すると主張していたが、この攻撃計画はドイツ空軍の中で議論されていることを示す会話がすでに公表されている。 ドイツ軍のインゴ・ゲルハルツ総監や作戦担当参謀次長のフランク・グレーフェ准将、そして連邦軍宇宙本部に所属する2名が2024年2月19日にリモート会議で行った会議の中で、クリミア橋(ケルチ橋)をタウルスで攻撃する計画が議論されていたのだ。イギリスの情報機関もこの橋の爆破を試み、失敗したと言われている。 ドイツ空軍幹部の音声は2024年3月にRTが公開したが、ディルク・ポールマンとトビアス・アウゲンブラウンの分析によると、ゲルハルツらは2023年10月の時点で計画の内容を太平洋空軍司令官だったケネス・ウイルスバックに伝えているという。ウィルスバックは2025年11月から空軍参謀総長だ。 ウイルスバックの後任として太平洋空軍司令官にケビン・シュナイダーが就任したのは2024年2月9日。問題のリモート会談が行われる10日前のこと。その時点でシュナイダーはウクライナでの攻撃計画について知らなかったようだ。グレーフェによると、シュナイダーは彼が何を話しているのか理解できていなかったという。太平洋空軍は独自の判断でロシア軍と戦争する準備を進めていたのだろうか? タウルスに限らず、アメリカのATACMSにしろ、イギリスのストームシャドウにしろ、オペレーター、地上や衛星からの情報、あるいはミサイルを誘導するためのシステムが必要であり、NATO諸国の軍が関与しなければ使えない。つまりメルツの発言はドイツがロシアとの直接的な戦争を始めるという宣言に等しかった。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.28
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アメリカ海軍の空母ジェラルド・R・フォードが5隻の艦船を伴って11月16日にカリブ海へ入った。閉鎖されていたプエルトリコの海軍基地を修復、使えるようにしている。9月からドナルド・トランプ政権は少なくとも8隻の水上艦船と1隻の潜水艦を派遣、「麻薬密売船」だとして小型船を9月から約20回にわたって爆撃し、少なくとも80人を殺害している。 しかし、ベネズエラからアメリカのフロリダまで約2000キロメートルあり、破壊されている小型船では辿り着けない。アメリカへ麻薬を密輸している船ではないことを承知でトランプ大統領は攻撃している。航空母艦が到着したなら、すぐにベネズエラへの軍事侵攻を始めるとする見方もあったのだが、今のところべネルズエラ上空に飛行禁止空域を設定しただけだ。 11月上旬、威嚇のために2機のB-52爆撃機をベネズエラへ向けて飛行させたが、陸地から約100キロメートルの地点でロシア製防空システムであるS-300に照準を合わされ、基地へ戻らざるをえなくなった。そのほか中低高度の防空システムであるブークM2e、シリアで有効性が証明された近距離対空防御システムのパンツィリ-S1も配備されたようだ。 10月下旬にロシアのアヴィアコン・ジトトランス所属のIl-76TD輸送機がベネズエラへ何かを運んできた。この会社はロシア軍や傭兵会社ワグナーの貨物を輸送したとしてアメリカから「制裁」されていることから軍事物資、あるいは戦闘員を輸送したのではないかと言われている。ロシアのスペツナズ(特殊部隊)もベネズエラへ入ったとする話も伝えられている。 カリブ海の軍事的な緊張が高まる中、ロシアだけでなく、中国やイランもベネズエラへの支援を始めている。イランは航続距離が2500キロメートルだという攻撃用ドローン「シャヘド」を供与、これによってベネズエラはフロリダのアメリカ軍基地を攻撃できる。アメリカ軍がベネズエラを軍事侵攻した場合、ロシアの防空システムや対艦ミサイルの洗礼を受けることになるだけでなく、アメリカ本土も戦場になる可能性がある。 アメリカを含むNATO諸国はロシアを征服、分割して石油や天然ガスを含む資源を手に入れようとしてウクライナで戦争を始めたが、ロシア軍に負けてしまった。中東ではイスラエルがイランに勝てないことが明確になっている。東アジアで軍事的な緊張を高めているが、それと並行してベネズエラの石油を手に入れ、それを利用してロシアや中東の産油国を屈服させようと考えているのかもしれないが、その前にはロシア、中国、イランが立ちはだかっている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.27
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ロシア軍は11月22日、ウクライナとルーマニアの国境にある検問所をドローンで爆撃、その翌日にオデッサからルーマニア近くまでの地域をミサイルなどで攻撃した。ルーマニアからオデッサにかけてはウクライナ軍やNATO軍の重要な兵站線。この攻撃によってイギリス、フランス、ルーマニアの兵士も死傷したと伝えられている。イギリスやフランスがロシアに対する攻撃の拠点にしているオデッサは厳しい状況に陥った。今後、ロシア軍はオデッサの制圧に乗り出すかもしれない。 アメリカを中心としてNATOは2014年2月から22年2月にかけてウクライナのクーデター体制を軍事的に強化するため、戦闘員の育成、兵器の供与、そして反クーデター軍が支配していたドンバスの周辺に要塞線を築いていた。 その要塞線の中核がマリウポリ、マリーインカ、アブディフカ、ソレダルに建設された地下要塞。すでにこの地下要塞はロシア軍に制圧されているが、要塞線全体がここにきて崩壊しはじめたようで、ロシア軍の進撃スピードが速まっている。 11月に入ってロシア軍はポクロフスクを制圧したが、ここはウクライナ軍の補給を支えていた幹線道路が交差する場所。ドンバスのウクライナ軍への補給路が立たれることになる。さらにロシア軍は周辺地域を制圧中だ。 キエフから撤退するなと命令されているウクライナ軍は包囲され、降伏するか戦死するしかない状態に追い込まれている。降伏しようとする兵士がウクライナ軍のドローンに攻撃されている映像も流れている。 ポクロフスクではウクライナの情報機関GUR(国防省情報総局)が特殊部隊をUH-60Aブラックホークで送り込んでいたが、CIAの上級工作員、あるいはNATOの将校が取り残されたからだと言われている。その人たちが現在どのような状況になっているかは不明だ。 ウクライナでの戦闘はロシア軍が攻撃を始めて間もない2022年3月上旬には停戦が内定していたのだが、これを壊したのがイギリスの首相を務めていたボリス・ジョンソン、同年4月9日にキエフへ乗り込み(ココやココ)んで戦争を継続するようキエフ政権に命令した。 そのジョンソンが現在、ウクライナでの戦争を継続させようと活動している。ウクライナ人は最後のひとりになるまでロシア人と戦い、ロシアを疲弊させろというわけだ。第2次世界大戦でソ連はドイツ軍に攻め込まれ、勝ったものの疲弊、結局立ち直ることができなかった。そのドイツの役割を今回、ウクライナにさせようとしているのだが、そうした思惑通りには進んでいない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.26
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マージョリー・テイラー・グリーン下院議員は11月21日、来年1月5日に議員を辞職すると発表した。ドナルド・トランプ大統領の同志だとされていた議員だが、ジェフリー・エプスタインに関するファイルの全面的な公開を求める彼女は大統領と対立していた。トランプ大統領がエプスタインと親しかったことを否定できない。またグリーン議員は今年初め、イスラエル軍によるガザにおける破壊と殺戮について「ジェノサイド」だと表現したが、こうした発言もイスラエルと緊密な関係にあるトランプ大統領と対立する一因になっただろう。 アメリカの政界においてイスラエル批判はタブーだ。辞職する理由について彼女は、大統領が支援する「傷つき憎しみに満ちた予備選挙」から家族を守るためだとしている。トランプ大統領はグリーン議員の辞職表明について、「国にとって素晴らしいニュースだ」と発言した。 グリーン議員はイスラエルと小児性愛の関係にも言及している。ラスベガス警察は今年8月16日、小児性愛者を標的にした囮捜査を実施、8名を逮捕した。そのうちのひとりがイスラエルの国家サイバー局で局長を務めるトム・アレクサンドロビッチ。専門家会議に出席するため、アメリカに滞在していたという。この捜査にはFBI、警察、国土安全保障省、ネバダ州司法長官事務所が参加していた。 アレクサンドロビッチは尋問後に釈放されてホテルへ戻り、2日以内にイスラエルに帰国した。警察の記録によると、この容疑者はヘンダーソン拘置所に収監され、その後判事の面前で1万ドルの保釈金を支払って釈放されている。誰が保釈金を支払ったのか、どのようにして出国してイスラエルへ戻れたのかは不明だ。 アレクサンドロビッチはイスラエルが小児性愛者を受け入れていることも知られている。CBSニュースによると、多くのアメリカ人小児性愛者がイスラエルに逃亡、彼らは法の裁きを受けていない。イスラエルには「帰還法」と呼ばれる法律があり、ユダヤ人であれば誰でもイスラエルへ移住し、市民権を取得できる。 小児性愛の容疑者を追跡しているアメリカの団体「JCW(ユダヤ人コミュニティ・ウォッチ)」は2014年から活動を開始、それ以来、60名以上がアメリカからイスラエルへ逃亡したとしているが、実数ははるかに多いと考えられている。 イスラエルのクネセト(国会)では今年6月3日、数人の女性が未成年時代に宗教儀式の一環として受けた性的虐待について証言した。イスラエル軍がイランを攻撃する10日前の出来事だ。 証言した被害者のひとりであるヤエル・アリエルによると、彼女は5歳から20歳まで儀式的な虐待を受け、ほかの子どもたちに危害を加えることを強要されたという。 警察に被害届を出したものの、数カ月で却下。しかも彼女が自分の体験を明かにすると脅迫を受けたとしているが、これは彼女だけではないようだ。別の被害者、ヤエル・シトリットによると、人身売買は全国で行われていた。薬物も使用され、レイプを含むサディスティックで残酷なことも行われ、その行為は撮影されていたとされている。被害者がそうしたことを証言しても荒唐無稽の話だと思われ、信じてもらえなかったという。 被害者たちによると、聖書の物語を模倣した虐待を受けたともいう。例えば、加害者がイサクの縛りを真似て被害者の女性を縛り付け、間に合わせの割礼の儀式を行うという儀式に強制的に参加させられたと複数の女性が証言している。 ひとりの被害者はいとこから虐待を受け、14歳になると地域社会の著名人から拷問と飢餓に苦しめられていたと主張した。「一般公開のイベントがあり、手錠をかけられて高い柱に縛り付けられる内部儀式もありました」と彼女は当時を振り返り、月経血を飲む儀式や猫などの動物の屠殺についても説明した。 1970年代にイスラエル軍の情報機関ERD(対外関係局)に所属、87年から89年にかけてイツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたアリ・ベンメナシェによると、エプスタインはギレーヌ・マクスウェルや彼女の父親でミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルと同様、イスラエル軍の情報機関、つまりアマンのために働いていた。ロバートは1960年代から、エプスタインとギレーヌは1980年代の後半からその情報機関に所属してたとベンメナシェは語っている。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) エプスタインの事件を明るみに出す上で重要な役割を果たしたひとりは被害者のバージニア・ジュフリーだが、時速110キロで走行していたバスと自分の自動車が衝突、腎不全に陥ったと3月31日にインスタグラムへ投稿した。彼女の家族によると、警察に通報したものの、現場に駆けつける人がいないと言われたという。その後、容態が悪化したため病院に搬送されたとされている。彼女は退院した後、4月25日に西オーストラリア州の自宅で死亡した。「自殺」とされている。 ジェフリーはフランスのモデル・スカウト、ジャン-リュック・ブルネルがエプスタインの人身売買に協力していたと告発していた。1998年から2005年にかけての時期、ブルネルはエプスタインのプライベート・ジェットに25回搭乗した記録が残っている。 また、ブルネルは2008年にエプスタインが逮捕された際、拘置施設でエプスタインと70回以上面会した記録が残っている。そのブルネルは2020年12月、未成年者へのセクハラと性的犯罪の罪で起訴されたが、22年2月に独房内で「自殺」した。 エプスタインがロスチャイルド家と親しかったことも有名。ギレーヌ・マクスウェルによると、イギリス王室のアンドリュー王子(ヨーク公爵)をエプスタインに紹介したのはエべリン・ド・ロスチャイルドの妻、リン・フォスター・ド・ロスチャイルドだったという。リン・フォスターはエプスタインの友人だ。ビル・クリントンとエプスタインが親しかったことも知られているが、ヒラリー・クリントンがリン・フォスターと親しいことを示す電子メールも漏洩されている。 なお、アンドリューはエプスタインとの関係や子ども時代からの性生活が暴かれた(Andrew Lownie, “Entitled,” William Collins, 2025)こともあり、貴族としての称号を返上すると10月17日に表明、同月30日に国王から剥奪された。 また、エドモン・ド・ロスチャイルド・グループのCEOを務めるアリアンヌ・ド・ロスチャイルドは「2013年から2019年の間に、銀行での通常業務の一環としてエプスタインと面会していた」という。彼女はエプスタインがニューヨークに保有していた自宅を訪れたこともあるようだ。新たに公開された電子メールによると、アリアンヌはエプスタインとブロードウェイ公演や2014年のモントリオール旅行など、私的な旅行や社交を計画していた。 エプスタインはイスラエルの元首相エフード・バラクとも親しく、その関係で同国の軍事情報局特殊作戦部に所属する秘密技術部隊の81部隊の人脈と繋がっていた。またエプスタインはバラクとロスチャイルド家との間のメッセンジャーを務めていたともされている。 エプスタインがイスラエルの情報機関と深く繋がっていたのだが、あくまでもネットワークの一部であり、「中間管理職」にすぎない。エプスタインと同じようなことをしているグループはいくつも存在し、そのネットワークの罠に落ちた「世界の要人」は少なくないはずだ。弱みを握られた人間だけを出世させ、世界を操るということもできる。 西側世界を支配している人たちは、買収、恫喝、暗殺、クーデター、侵略戦争へとエスカレートしていく。弱小国はひとたまりもないが、ロシアや中国が相手になると簡単ではない。 しかし、この「犯罪集団」とも言える勢力はウクライナでロシアに敗北した。西側世界が混乱している大きな原因のひとつはそこにある。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.25
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【与那国島へのミサイル配備】 与那国島へ日本がミサイルを配備しようとしていることを中国が非難したと伝えられている。与那国島へのミサイル配備計画が順調に進んでいると小泉進次郎防衛相が語ったことが引き金になったようだが、自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設している。それに続いて2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。【アメリカの軍事戦略と日本】 本ブログで繰り返し書いてきたことだが、こうしたミサイル配備の理由をアメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書で説明している。これはGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するというアメリカ軍の計画に基づいているのだ。 この報告書が作成された当時、アメリカは日本が掲げる専守防衛の建前、そして憲法第9条の制約を尊重していた。そこでASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力するという形にするとしていたのだが、2022年10月になると「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」と報道された。亜音速で飛行する核弾頭を搭載できる巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。要するに、アメリカの命令だということだろう。 こうしたアメリカの計画は1992年2月にアメリカ国防総省で作成されたDPG(国防計画指針)の草案に基づいている。この指針は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツが中心になって書かれたことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 1991年12月のソ連の消滅でアメリカは唯一の超大国になったとネオコンは確信、世界制覇戦争を始めようというわけだが、そのドクトリンにはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合し、民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。要するに、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 こうしたアメリカの独善的な計画が危険だということを日本の政治家も理解していたようで、1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗するが、94年4月に崩壊した。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られている。 日本側の動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月になると、ジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令した。そのレポートには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。 沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になったようだ。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。 この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンへ急ピッチで組み込まれていく。【米英の対中国戦略】 台湾の与党である民進党(DPP)がいう「台湾の独立」とは、アメリカにとって対中国戦争のための「不沈空母」を手に入れることにほかならない。例えば、2019年9月から21年1月まで国家安全保障補佐官を務めたロバート・オブライエンは20年10月、台湾を要塞化するべきだと語り、アメリカ空軍航空機動軍団のマイク・ミニハン司令官は23年1月にアメリカと中国が25年に軍事衝突する可能性があるとする見通しを記したメモを将校へ送っている。 ミニハンがアメリカと中国が軍事衝突する可能性があるとした今年の5月15日、エグザビエル・ブランソン在韓米軍司令官は、対朝鮮だけでなく中国を牽制するためにも在韓米軍の役割を拡大する必要があると主張、韓国は「日本と中国本土の間に浮かぶ島、または固定された空母」だと表現している。アメリカにとって韓国も台湾も「不沈空母」、つまり大陸を制圧するための重要な拠点なのだが、日本も同じだ。また、アメリカは台湾向けにATACMS(陸軍戦術ミサイル・システム)を製造している。ウクライナにおける対ロシア戦争と同じパターンだが、ウクライナではトマホークの供与には消極的になっている。。 中国中央軍事委員会の張又俠副主席がモスクワでアンドレイ・ベロウソフ国防相と会談、ミサイル防衛と戦略的安定について協議し、両分野における協力強化で合意したというが、台湾の問題とは中国と米英との問題であり、ロシアにとっても重大な問題なのである。米英との対立は少なくとも19世紀のアヘン戦争まで遡って考えなければならない。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.25
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アメリカのニューズ・ウェブサイトAxiosは11月18日、アメリカ政府がウクライナ戦争の終結に向けた新たな計画を秘密裏に策定中だと伝えた。キエフのウォロディミル・ゼレンスキー政権やロシアとの戦争継続を主張しているEUの指導部だけでなく、ロシア政府が掲げている戦争の目的とは相容れない内容で、合意は難しい。ロナルド・トランプ大統領も、その計画案で戦争を終結させることはできないと思っているはずだ。 この計画案を作成したスティーブ・ウィトコフは事実上、ウラジミル・プーチン露大統領担当特使。その案ではウクライナが東ドンバス地域全体の支配権を放棄することになっているが、その一方でロシア軍に対し、ヘルソンとザポリージャで軍事作戦を凍結し、ハリコフとスーミから撤退するように求めている。 プーチン大統領はウクライナにおける戦争の目的として、ウクライナの非軍事化、非ナチ化、中立化、西側諸国が凍結したロシア資産の返還、そして領土の「現実」を認めるように求めている。この条件は一貫していて、妥協はしないだろう。もしトランプ大統領が事実を把握しているなら、今回の計画案でロシアを説得できないことを理解しているはずだ。 この文書には、NATOの拡大とミサイル配備の根本原因を認識している兆候は全くなく、「米国を仲介としてロシアとNATOの間で対話が行われ、あらゆる安全保障上の問題が解決され、緊張緩和のための条件が整えられる。それによって世界の安全保障が確保され、協力と将来の経済発展の機会が拡大する」という漠然とした約束があるだけだ。 そこで、この提案の狙いはプーチン大統領を追い詰め、ロシア側が主張する基本原則を放棄させることにあるという推測が出てくるが、そうした展開になる可能性は小さい。戦況は加速度的にロシア軍が優勢になっている。この勢いをロシア側が止めるとは思えない。戦争の真の相手であるイギリスは19世紀からロシア征服を目論んでいるのであり、その長期戦略を放棄することはないだろう。ロシアとしては、中途半端な形で戦闘をやめるわけにはいかない。 ウィトコフによると、Axiosの執筆者は計画案を「Kから入手した」という。アメリカの有力メディアはこの「K」をロシアのキリル・ドミトリエフ特使だと宣伝しているが、その可能性は小さく、ウクライナ特使を務めるキース・ケロッグだろうとされている。ケロッグはネオコンの一員で、ロシア嫌いとしても有名。ネオコンが描いているシナリオを「事実」として主張していた。 Axiosへのリークがあった翌日、そのケロッグが来年1月に退任すると伝えられた。20日にはその情報が正しいとホワイトハウスは確認している。「自然な退任時期」だとアメリカの有力メディアは伝えているが、28項目の「和平計画」に関する情報を漏洩したことから解任されたと見られている。 11月20日にはダニエル・ドリスコル陸軍長官が率いるアメリカ軍高官代表団はキエフに到着、ゼレンスキーと会い、ロシアとの和平交渉の可能性に関する協議を再開するの話し合ったという。この代表団は来週末にモスクワへ飛び、クレムリンと「和平案」について協議する見込みだとされている。ドリスコルの代表団がゼレンスキーと会談した後、でトランプ大統領はケロッグにかわる新しい特使としてドリスコルを任命した。そのドリスコルは21日にキエフでNATO諸国の大使たちに説明したとも伝えられている。 ケロッグ退任の報道に合わせるかのうように、ロシア南西部にある都市ボロネジに向かって4機のATACMSが発射された。いずれもロシア軍によって撃墜され、ふたつの発射装置も破壊された。 ATACMSに限らず、ある程度以上の性能を持つ兵器の場合、訓練の期間が必要であるだけでなく、ターゲットに関する情報の収集、衛星によるミサイルの誘導も不可欠。つまり、NATO軍が直接関与しなければならない。今回の攻撃にはアメリカ軍将校がオペレーターとして関与し、ロシア軍の反撃で戦死したとされている。 兵士不足のウクライナでは街頭で男性を拉致するだけでなく、コロンビアをはじめとするラテン・アメリカ諸国、あるいはドイツ、フランス、イギリス、ポーランドなどのヨーロッパ諸国から傭兵を連れてきていると言われているが、NATO加盟国は正規軍の将兵を送り込み、相当数の死傷者が出ていると主張する人もいる。そうした死傷者を出している国なら、正式に派兵すれば、秘密裏に行っていた戦争を誤魔化すことができるという推測もある。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.24
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ジョン・F・ケネディ米大統領はテキサス州ダラスで1963年11月22日に暗殺された。62年前の出来事だ。テキサス州は副大統領だったリンドン・ジョンソンの地元であり、ダラス市長だったアール・キャベルはケネディ大統領にアレン・ダレスCIA長官と共に解任されたチャールズ・キャベルCIA副長官の弟である。 ケネディは大統領に就任して間もない段階でアメリカ軍のキューバへの軍事侵攻を止めて軍やCIAの軍事強硬派と対立、ミサイル危機は話し合いで解決してソ連との核戦争を回避することに成功した。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなどは1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。楽勝できると思っていたのである。 ソ連が反撃するためにはアメリカの近くから中距離ミサイルを発射するしかない。そこで、1962年10月までにソ連はキューバへ中距離ミサイルを運び込む。これがキューバ危機だ。 またアメリカ軍をベトナムから撤退させることを決断したケネディは1963年10月にはNSAM(国家安全保障行動覚書)263を出した。アメリカ軍の準機関紙であるパシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙は「米軍、65年末までにベトナムから撤退か」という記事を掲載している。 しかし、この決定はケネディ大統領の暗殺で実行されていない。新大統領のリンドン・ジョンソンは1963年11月26日付け、つまり前任者が殺されて4日後にNSAM273を、また翌年3月26日付けでNSAM288を出し、ケネディのNSAM263を取り消してしまった。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Carol Publishing Group, 1996) ジョンソンのスポンサーはハリー・トルーマンと同じアブラハム・フェインバーグ。この人物はシオニストの富豪で、彼が経営していたアメリカン・バンク・アンド・トラストはスイス・イスラエル銀行の子会社である。(Whitney Webb, “One Nation Under Blackmail Vol. 1,” Trine Day, 2022) 第2次世界大戦後、アメリカでは「反ファシスト派狩り」が展開された。いわゆる「赤狩り」だが、その中心的な人物だったジョセフ・マッカーシーの法律顧問を務めていたロイ・コーンはジョン・ゴッチを含むニューヨークの犯罪組織を顧客としていた人物で、のちにドナルド・トランプの顧問にもなっている。そのコーンはリンドン・ジョンソンも支援していた。 また、ケネディは巨大資本の横暴を批判、その一方でイスラエルの核兵器開発に厳しい姿勢をとり、CIA(中央情報局)の解体を目論み、その代わりにDIA(国防情報局)を設置した。通貨制度へもメスを入れようと考え、EO11110という大統領令を出している。 そして1963年6月10日にケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言した。 アメリカにとって都合の良い「平和」を軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけた。 ケネディ大統領に続き、マーチン・ルーサー・キング牧師が1968年4月4日に、大統領の弟で元司法長官のロバート・ケネディが同年6月6日に暗殺されている。ロバート・ケネディは1968年の大統領選挙における最有力候補で、キングが副大統領になるとも言われていた。 ケネディ大統領の暗殺にはナチ親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーの名前も出てくる。大戦後、アメリカ政府はナチの元幹部や協力者の逃走させ、保護している「ブラッドストーン作戦」だ。そのひとりがスコルツェニーだった。 スコルツェニーは拘束される前にナチスの仲間をアルゼンチンへ逃がすための組織ディ・シュピンネ(蜘蛛)を設立、1948年7月には彼自身も収容施設から逃亡することに成功した。この逃亡にはアメリカ軍憲兵の制服を着た元親衛隊将校3名が協力しているのだが、スコルツェニーはアメリカ政府が協力したと主張している。この組織のアメリカでの暗号名がODESSAだという。 スコルツェニーは1950年までパリで生活、そしてマドリッドへ移動し、そこでイルゼ・フォン・フィンケンシュタインという女性と結婚した。2度目の結婚だ。この女性はドイツの国立銀行総裁や経済大臣を務めたヒャルマール・シャハトの姪にあたる。イスラエルでの報道によると、スコルツェニーはケネディが殺された1963年、イスラエルの情報機関であるモサドに採用された。 スコルツェニーとシャハトはドイツの高等弁務官だったジョン・マックロイに助けられた。このマックロイはウォール街の大物で、1947年3月から49年7月まで世界銀行の総裁を務めている。ケネディ大統領暗殺未遂を調査したウォーレン委員会のメンバーでもあった。 ケネディ大統領を敵視していた勢力の多くはソ連を壊滅させたいと考えていた。本ブログでは繰り返し書いてきたことだが、こうした戦略は19世紀にイギリスで始まった。そして現在まで続いている。ウクライナでの戦争を中途半端な形で「停戦」した場合、欧米諸国が近い将来に再びロシアを征服しようと仕掛けてくることは必定。ドナルド・トランプ米大統領がどのような条件を出そうとも、ロシアは自分たちの特別軍事作戦が目的を達成した場合にのみ、戦争を終結させると見られている。ウクライナでの戦争はロシアの存亡がかかっている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.23
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モスクワのトロエクロフスコエ墓地で破壊工作グループがセルゲイ・ショイグ安全保障会議書記を暗殺しようと計画、それをFSB(連邦保安庁)が阻止したと11月14日に発表された。花瓶に偽装された爆弾を国外からの遠隔操作で作動させる仕掛けになっていたようだ。 爆弾を仕掛けようとしたグループには中央アジアからの不法移民、麻薬中毒で有罪判決を受けたロシア人ふたり、そして殺人と武器密売の容疑でロシアが指名手配していたキエフ在住の人物が含まれ、その容疑者とウクライナの情報機関GURの工作員が連絡を取り合っていたことが判明したとされているが、その背後からアメリカやイギリスの情報機関が指揮していたはずだ。 すでにNATOはロシアをテロで攻撃している。例えば、ロシア軍の放射線・化学・生物防衛部隊を率いていたイゴール・キリロフ中将は昨年12月17日にモスクワで暗殺された。電動スクーターに取り付けられた爆発物が遠隔操作で作動したという。ウクライナの情報機関が実行したとされているが、その背後にはアメリカやイギリスの情報機関がいる可能性は高い。 実は、2022年2月にロシア軍がウクライナを攻撃する前からCIAはロシア政府の高官を暗殺していた疑いが濃厚だ。バラク・オバマ政権は2014年2月にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、その2年後の16年8月、マイク・モレルはチャーリー・ローズの番組に出演した際、司会者のローズに対し、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語ってる。ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたうえ、わからないようにと付け加えているのだ。モレルは2010年から13年までCIA副長官を務めた人物。退職した理由はヒラリー・クリントンを支援するためだった。 その発言の直後、2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン露大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡。 さらにロシア政府の幹部が変死していく。例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺されている。その翌日、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。モレル発言の前、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTの創設者がワシントンDCのホテルで死亡している。 テロを実行するのは軍事的に相手を倒すことが困難な集団、つまり弱者が採用する戦術だ。CIAやMI6には正規軍を動かす力はなく、破壊活動、つまりテロを使うしかない。ウクライナでは当初、ウクライナ軍を手先として利用していたが、兵士も兵器も枯渇してロシアに勝つことは不可能に近い状態になっている。少しでもロシアを疲弊させようとアメリカやヨーロッパの国々はウクライナ政府に対して対ロシア戦争の継続を命令してきたが、限界に達し、NATO軍が前面に出ざるをえなくなっている。 ロシア軍が掃討作戦を進めているポクロフスクではGURが特殊部隊をUH-60Aブラックホークで送り込み、救出しようとしたが、これは包囲された舞台の中にCIAの上級工作員、あるいはNATOの将校がいるからだと見られている。 また、キエフ州ボルィースピリにある特殊部隊の訓練基地をロシア軍はマッハ10という極超音速ミサイルのキンジャールで破壊したが、そこで訓練を受けていた傭兵の出身国はドイツ、フランス、イギリス、そしてポーランドだとされている。ロシア軍はスムイにある深さ50メートルという地下バンカーを極超音速巡航ミサイルのツィルコンで破壊したとも伝えられているが、そこにはイギリス軍の将軍とフランス軍の大佐、そしてウクライナのGUR(国防省情報総局)高官がいたという。キリーロ・ブダノフが公の席に現れるかどうかが注目されている。 西側ではNATOの正規軍が出てくると主張する人もいるが、アメリカ軍が出てくる可能性は小さく、ヨーロッパ諸国だけではロシア軍に蹴散らされることは必至だ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.19
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モスクワを訪問していた中国中央軍事委員会の張又俠副主席がアンドレイ・ベロウソフ国防相と会談、ミサイル防衛と戦略的安定について協議し、両分野における協力強化で合意したという。アメリカはヨーロッパだけでなく日本列島にも大陸を攻撃できるミサイルの発射施設を建設しているが、そうした動きを意識したものだろう。 自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書は、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画について説明している。アメリカの計画に基づいて自衛隊は軍事施設を建設したと言える。核弾頭を搭載できるトマホークを配備するともされているが、トマホークが発射されたなら、相手は核弾頭が搭載されているという前提で反応する。つまり核兵器で反撃される可能性がある。 ロシアの周辺部にもアメリカはミサイルを配備、NATOを東へ拡大させた。これはナチ時代のドイツによるソ連への軍事侵攻、バルバロッサ作戦を彷彿とさせる動きであり、ロシアが反発しただけではない。 ウォール・ストリート・ジャーナルによると、リチャード・ニクソン元米大統領は1994年3月21日にビル・クリントン大統領へ手紙を出し、その中でウクライナの内部状況が非常に危険だと警告。ウクライナで戦闘が勃発すれば、ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争は「ガーデンパーティー」のように感じられるとしている。 また、「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンは1998年、NATOが拡大について「これは新たな冷戦の始まり」であり、悲劇的な過ちだと批判、この政策を決めたアメリカ上院での議論について表面的で無知だと指摘している。 こうした政策は必然的にロシアから悪い反応を引き出すことになる見通し、NATOがロシア国境までの拡大すれば新たな冷戦を引き起こすことになるとしていた。ポーランド、ハンガリー、チェコで拡大が止まれば、そこで新たな分断線が引かれるともケナンは予測していたが、実際はそこで止まらず、ウクライナを制圧しようとする。「新バルバロッサ作戦」だ。 ヘンリー・キッシンジャーは2014年3月5日付けワシントン・ポスト紙でウクライナとロシアの関係について論じている。 ロシアの歴史はキエフ・ルーシで始まり、宗教もそこから広がり、ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部であり、その前から両国の歴史は複雑に絡み合っていたと指摘している。ロシアにとってウクライナが単なる外国ではないということだ。特に東部と南部はロシアとの繋がりが強い。 こうした「旧保守」の警告をネオコン(新保守)は無視、対ロシア戦争を始めてしまった。簡単にロシアを屈服させられると考えていたのだろうが、逆襲で敗北必至のNATO諸国はパニックに陥っている。NATO諸国を率いている人びとは今でもロシアの戦力、工業力を過小評価し、自分たちの戦力と工業力を過大評価しているようだ。 ウクライナで敗れたアメリカやイギリスは東アジアの軍事的な緊張を高め、自分たちの存在感を高めようとしているが、中国とロシアの同盟は強化されている。バラク・オバマ政権がウクライナでクーデターを仕掛けた当時、日本でも中国とロシアが手を組むことはありえないと主張する「知識人」が少なくなかったが、それは妄想にすぎなかった。 東アジアの均衡を保つための前提、「ひとつの中国」を高市早苗首相は否定、核を保有しない、製造しない、持ち込まないという非核3原則に否定的な姿勢を示した。台湾と中国が別の国だということは台湾にアメリカが軍事基地を建設して「航空母艦」にできるということであり、日本列島に並べられたミサイルの核弾頭を搭載することもできるということを意味する。高市は首相に就任して早々、中国を軍事侵略するかもしれないと脅したわけだ。 ネオコンは中国やロシアを脅して屈服させようとして失敗したが、高市首相も同じことをしている。EUは自分たちの経済を支えていたロシアのエネルギー資源を断ち切ることで破滅へ向かっている。菅直人政権の前原誠司と同じように、高市首相は日本にとって最大の貿易相手国である中国との関係を悪化させた。日本を破壊しようとしている。 高市首相が民族派? まさか!**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.22
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次の「櫻井ジャーナルトーク」を12月19日(火)午後7時から駒込の「東京琉球館」で開催、「ウクライナ後の東アジア」について考えてみたいと思います。予約受付は12月1日午前9時からですので、興味のある方は東京琉球館までEメールで連絡してください。なお、「櫻井ジャーナルトーク」は12月で定期的開催を終了します。東京琉球館https://dotouch.cocolog-nifty.com住所:東京都豊島区駒込2-17-8Eメール:makato@luna.zaq.jp アメリカの軍事や外交をコントロールしてきたシオニストは1991年12月にソ連が消滅した直後、世界制覇プロジェクトを始めました。その計画書とも言える文書が1992年2月に国防総省のDPG(国防計画指針)草案として作成されています。1990年代以降の世界を考える場合、この文書からスタートしなければならないということになるでしょう。 その当時の国防長官はリチャード・チェイニー、文書作成の中心にはポール・ウォルフォウィッツ国防次官がいました。そこで、この文書は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれています。このドクトリンの前提はライバルのソ連が消滅、アメリカが唯一の超大国になったということであり、他国に気兼ねすることなく、国連を無視して好き勝手に行動できるとチェイニーやウォルフォウィッツを含むシオニスト、いわゆるネオコンは考えました。 しかし、21世紀に入ってウラジミル・プーチンが登場、ロシアの再独立に成功します。そこでネオコンはロシアを再属国化するため、2度のクーデターを仕掛けました。2004から05年にかけて実行された「オレンジ革命」と2013年から14年にかけてのユーロマイダンを舞台としたクーデターです。 しかし、ソ連時代にロシアから割譲された東部や南部では住民の多くがクーデターを拒否、クリミアではロシアと一体化する道が選ばれ、東部のドンバスでは武装抵抗が始まりました。旧体制の軍人や治安機関の少なからぬメンバーがクーデター体制を拒否、その一部は武装抵抗に合流したとも言われています。 抵抗運動は強く、NATOはクーデター体制の戦力を増強しなければならなくなります。そのための時間を稼ぐ必要が生じました。そこで成立させた停戦合意が2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」です。その後、8年かけてNATO諸国は兵士の育成、訓練、兵器の供与などでクーデター体制の戦力を増強しました。 2021年から25年にかけて大統領を務めたジョー・バイデンはロシアに対して軍事的な挑発を強め、クーデター体制は22年に入ると反クーデター勢力への砲撃を強め、大規模な軍事作戦が始まると噂されました。そうした中、ロシアが先手を打って2月にウクライナ軍部隊や軍事施設などを攻撃、戦闘は始まります。 出鼻をくじかれたウォロディミル・ゼレンスキー大統領はロシアと停戦交渉を開始しました。交渉の仲介をしていたのはイスラエルとトルコで、仲介役のひとりだったイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットは交渉内容を詳しく説明しています。トルコ政府を仲介役とする停戦交渉は仮調印にこぎつけていました。 ベネットは2022年3月5日にモスクワへ飛んでプーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ゼレンスキー大統領を殺害しないという約束をとりつけることに成功、その足でドイツへ向かってオラフ・ショルツ首相と会っていますが、その3月5日、SBU(ウクライナ保安庁)のメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームで中心的な役割を果たしていたデニス・キリーエフを射殺してしまいました。そして4月9日、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込み、ロシアとウクライナの停戦交渉を壊します。(ココやココ) ジョンソンはウクライナ人に対し、最後のひとりになるまでロシアと戦えと命令、ヨーロッパ諸国に対しては資金と長距離ミサイルをウクライナへ集中させるように求めました。ジョンソンを含むヨーロッパの嫌ロシア派やアメリカのネオコンは簡単にロシアを倒せると信じていたようですが、NATO側が8年かけてドンバス周辺に築いた要塞線も突破されてロシアの勝利は決定的です。最後のひとりになるまで戦えという号令の効果はありません。 すでにウクライナ戦争から距離を置き始めているドナルド・トランプ政権はロシア政府と停戦、安全保障、ヨーロッパの枠組み、将来の関係について水面下で話し合いを進めていると伝えられています。マイアミでアメリカのスティーブ・ウィトコフ中東担当特使とロシアのキリル・ドミトリエフ特使が会談しているようですが、これは事実上、敗者であるNATOと勝者であるロシアとの降伏交渉だと言えるでしょう。トランプ政権としては、その結果がアメリカの降伏に見えないように演出したいはずですが、プーチン政権は「ミンスク合意」の二の舞にならないよう事を進めるはずです。 それに対し、ヨーロッパの嫌ロシア派とアメリカのネオコンはそうした交渉を認めようとしないでしょう。「停戦」ではなく恒久的な和平が決まった場合、欧米諸国で戦争を推進してきた勢力は厳しい状況に追い込まれてしまいます。 権力を維持するため、欧米の「エリート」はベネズエラや東アジアで新たな戦争を始める可能性もあります。1995年以降、日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれ、中国やロシアと戦争する準備を進めてきたことは本ブログでも繰り返し書いてきました。そうしたことを最終回に考えてみたいと思います。櫻井 春彦
2025.11.21
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メキシコの麻薬組織が西側の巨大銀行と結びついていることは西側の有力メディアも伝えてきた。2008年の金融破綻、いわゆるリーマン・ショックを処理する際に麻薬資金も重要な役割を果たしたと伝えられている。UNODC(国連薬物犯罪事務所)のアントニオ・マリア・コスタによると、麻薬取引で稼いだ利益3520億ドルの大半が経済システムの中に吸い込まれ、いくつかの銀行を倒産から救った可能性があるという。 しかし、それ以上に深く関係しているのはCIAである。アメリカ政府が主張する「麻薬との戦争」は「テロとの戦争」と同じように、侵略する際に使うタグのバリエーションのひとつにすぎない。 サリナス・デ・ゴルタリ家はメキシコの麻薬カルテルと関係が深いが、その一族に属すカルロス・サリナス・デ・ゴルタリは1982年から87年にかけて予算企画大臣、88年から94年にかけて大統領を務めた。その期間にNAFTAに署名してアメリカ支配層のために尽くしている。 1980年代にCIAはニカラグアの革命政権を倒すため、アメリカ支配層の傀儡だったソモサ家の手先である国家警備隊を中心に「コントラ」なる武装集団を組織した。 その革命集団は「サンディニスタ」と呼ばれるが、その名称は1920年代から30年代にかけてアメリカ軍と戦ったニカラグアの英雄、アウグスト・サンディーノに由来している。 アメリカ大使のアーサー・レインは1933年にサンディーの暗殺を計画、アナスタシア・ソモサ・ガルシアというアメリカの手先として働いていた人物が実行することになった。 1934年2月にソモサ配下の国家警備隊がサンディーノを拉致のうえ射殺し、サンディーノ支持者やその家族も殺害。1936年にソモサは実権を掌握、その翌年には大統領に就任した。そしてソモサ家の独裁体制が始まる。このソモサ家はイスラエルなる国が出現する前、シオニストを支援していたことでも知られている。 ロナルド・レーガン政権でコントラを支援する秘密工作を指揮していたのは副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュ。その息子、ジェブ・ブッシュはスペイン語が流暢だと言うこともあり、工作で重要な役割を果たした。つまり、麻薬取引に関係していた可能性が高い。 そのジェブが親しくしていたひとりがカルロス・サリナス・デ・ゴルタリの兄、ラウル・サリナス・デ・ゴルタリ。1990年代には「麻薬の親玉」と呼ばれていた。メキシコにおける麻薬カルテルの中心的な存在だったということだ。ふたりの父親、ラウル・サリナス・ロザーノも麻薬カルテルの中心にいた。この一家とはジョージ・H・W・ブッシュも親しかった。 本ブログでは何度か指摘したが、ジョージ・H・W・ブッシュはエール大学に在学中、CIAにリクルートされた可能性がきわめて高い。エール大学におけるCIAのリクルート担当者と親しくしていただけでなく、父親のプレスコットが仕事の関係でアレン・ダレスと親しかったのである。 ベトナム戦争の際にCIAは東南アジアの山岳地帯で栽培したケシを原料とするヘロインで儲け、アフガニスタンで秘密工作を始めてからはパキスタンからアフガニスタンにかけての山岳地帯へケシの主要産地を移動させ、やはりヘロインを主に生産して売りさばいてきた。麻薬取引の中心にはCIAが存在している。
2019.12.03
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【日本はアメリカの従属国】 日本がアメリカの植民地なのかが国会で問題になった。高市早苗首相は日本を主権国家だと主張したが、日本がアメリカの支配層に従属していることは言うまでもない。 アメリカの支配層の中核には金融資本が存在、その下に日本の外務、軍事、治安のトライアングルが存在している。その支配構造の基盤が「日米安全保障体制」にほかならない。財務省の打ち出す政策もそこから出てくる。自衛隊がアメリカに刃向かう恐れがなくなった現在、アメリカは日本国憲法の第9条を必要としなくなったどころか邪魔な存在になった。 現在の日本は単にアメリカの従属国ということだけでなく、アメリカの戦争マシーンに組み込まれていることは本ブログで繰り返し書いてきた。ソ連が1991年12月に消滅した直後、92年2月にアメリカの国防総省内でDPG(国防計画指針)の草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」が作成された。 そのドクトリンの作成で中心的な役割を果たしたポール・ウォルフォウィッツはネオコンの大物だが、そのネオコンはソ連の消滅でアメリカが唯一の超大国になったと確信、世界制覇戦争を始めようとする。そして作成されたのがDPG草案だ。 その中にはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合して民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。アメリカにとっての平和地帯とは、アメリカが支配し、誰も逆らわないという地域を意味する。要するにドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 このドクトリンが作成された時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュだが、その政権の中にもネオコンの世界征服プロジェクトが危険だと考える人もいたようで、有力メディアにリークされた。日本の政治家や官僚の中にも危険だと考える人がいただろう。 1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗するが、94年4月に崩壊。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られている。 日本側の動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月になると、ジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令した。そのレポートには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。 沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になったようだ。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。 この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンへ急ピッチで組み込まれていく。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、ウォルフォウィッツ・ドクトンに従ってアメリカは世界制覇戦争に乗り出すのだが、日本もそれ追随している。 国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っている。自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 専守防衛の建前と憲法第9条の制約がある日本の場合、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされていたが、すでにそうした配慮は放棄されている。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。 日本は中国やロシアと戦争する準備を進めてきたが、高市早苗首相はそうした動きを加速させようとしている。【明治維新から日本は米英の影響下にあった】 ところで、第2次世界大戦で敗北する前から米英の金融資本は日本に大きな影響力を持っていた。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、関東大震災以降、アメリカの巨大金融資本の影響下に入った。復興資金調達の結果、日本の政治や経済をアメリカの巨大金融資本JPモルガンが動かすようになり、治安維持法によって思想弾圧が強化され、「満蒙は日本の生命線」と言われるようになった。その構図を象徴する存在が1932年から駐日大使を務めたジョセフ・グルーだ。 その年にアメリカでは大統領選挙があり、ウォール街が支援していたハーバート・フーバーが落選、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが勝利する。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の大物たちはニューディール派政権を倒し、ファシズム体制を樹立すためにクーデターを計画したが、スメドリー・バトラー退役海兵隊少将によって阻止された。 グルーはアメリカの金融資本に属す人物である。彼のいとこ、ジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻なのだ。しかもグルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーにほかならない。こうした背景もあり、グルーは天皇周辺に人脈を持っていた。 グルーが親しくしていた日本人には松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、最も親しかったのは松岡洋右だと言われている。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945~1952』時事通信社、1994年)グルーは1942年6月に離日する直前、商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007) ジョン・W・ダワーによると、「上流階級の一定の『穏健な』人々に対して、個人的な敬意と好意を抱いていることは決して隠そうとしなかった」のだが、日本人一般は人間扱いしていなかった。日本を「全員が女王蜂(実生活では天皇)に使える騒がしいミツバチの巣」に例えていたという。(ジョン・W・ダワー著、猿谷要監修、斎藤元一訳、平凡社、2001年) 豊下楢彦が指摘しているように、第2次世界大戦後、日本はダグラス・マッカーサーと吉田茂ではなく、ウォール街と天皇を両輪として動き始めた。ドイツが降伏する直前、アメリカではフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、ニューディール派の力は急速に衰え、ウォール街が実権を奪い返していた。 そうした中、ジャパン・ロビーと呼ばれるグループが戦後日本の基盤を築き上げていく。そのグループの中核的な団体が1948年6月にワシントンDCで創設されたACJ(アメリカ対日協議会)。設立メンバーの中心的な存在はジョセフ・グルー。そのほか、ニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、同誌東京支局長だったコンプトン・パケナム、トーマス・ハート提督、ウィリアム・プラット提督、ウィリアムキャッスル元国務次官、弁護士のジェームズ・カウフマン、ユージン・ドーマン、ジョセフ・バレンタインたちが含まれ、その支援グループにはジョージ・マーシャル国務長官、ロバート・ラベット国務次官、ジェームズ・フォレスタル国防長官、陸軍省のケネス・ロイヤル長官とウィリアム・ドレーパー次官、ジョン・マックロイ、フランク・ウィズナーなどが名を連ねている。 JPモルガンの前はイギリスの金融資本と関係が深かった。例えば、日露戦争で日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。日本に対して約2億ドルを融資、その際に日銀副総裁だった高橋是清はシッフと親しくなっている。 この戦争について、セオドア・ルーズベルト米大統領は日本が自分たちのために戦っていると語り、日本政府の使節としてアメリカにいた金子堅太郎はアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。1910年に日本が韓国を併合した際、アメリカが容認した理由はこの辺にあるだろう。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015) 明治維新の背後でもイギリスの怪しげな人脈が蠢いていた。アヘン戦争で清(中国)に勝利したとされているイギリスだが、内陸部を支配することはできなかった。そこで、サッスーン家と同じようにアヘン取引で大儲けしたジャーディン・マセソンは日本に目をつける。 同社は1859年にふたりのエージェントを日本へ送り込んできた。ひとりは長崎へ渡ったトーマス・グラバーであり、もうひとりは横浜のへ送り込まれてあウィリアム・ケズウィック。歴史物語ではグラバーが有名だが、大物はケズウィックだ。母方の祖母は同社を創設したひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉なのである。 グラバーとケズウィックが来日した1859年にイギリスのラザフォード・オールコック駐日総領事は長州から5名の若者をイギリスへ留学させることを決め、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)が選ばれる。この若者は1863年にロンドンへ向かうが、この時に船の手配をしたのがジャーディン・マセソンだ。 薩摩も1865年に留学生15名をイギリスへ派遣しているが、この時に船を手配したのはグラバー。その留学生の中には五代友厚、森有礼、長沢鼎も含まれていた。年少の長沢以外はロンドン大学へ入学した。 その後、薩摩からの送金が途絶えたことから9名の留学生は帰国したが、長沢や森を含む6名はアメリカへ渡り、ニューヨークに拠点があった心霊主義を信奉するキリスト教系団体「新生兄弟」へ入る。イギリスでこのカルトに取り込まれていたのだろう。 何人かはすぐに離脱したが、長沢と森は残る。その森も1868年に帰国したが、長沢ひとりは残った。のちに長沢は教団を率いることになるが、1890年代前半に解散している。その一方、ワインの醸造所を建設してビジネスは成功、「ワイン王」とも呼ばれている。 森は文部大臣に就任、「教育勅語」を作るなど天皇カルト体制の精神的な基盤を作るが、その一方、森の下、日本へ迎えられたルーサー・ホワイティング・メーションを中心に唱歌が作られる。安田寛によると、その目的は日本人が讃美歌を歌えるようにすることにあった。(『唱歌と十字架』音楽之友社、1993年) 日本の中国侵略は1872年に琉球を併合した時から始まる。「維新」で誕生した明治体制は琉球併合の後、1874年に台湾へ派兵、1875年に江華島へ軍艦を派遣、そして1894年の日清戦争、1904年の日露戦争へと進んだが、こうした侵略はアメリカやイギリスの外交官に煽られてのことだった。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.16
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国連の安全保障理事会は11月17日、ドナルド・トランプ米大統領のガザ計画を承認する決議を採択した。13カ国が賛成し、中国とロシアは棄権している。当初の決議案ではパレスチナ主権の可能性について言及されていなかったのだが、追加されたことでアラブ諸国やパレスチナ自治政府が決議を支持、ロシアは拒否権を行使するという姿勢を撤回、中国も棄権に加わった。s ガザを民族浄化して地中海リゾート開発を行うべきだとトランプが公言していたことを考えると、この決議はトランプが構想する開発を実現するための地上げを承認するためののものだと見ることもできる。 この決議によると、ガザの復興調整を担う暫定政権としての平和委員会設立を歓迎、暫定的な国際安定化部隊(ISF)を設置する権限をその委員会に与えている。その委員会を指揮するのはトランプ大統領になるため、ISFもトランプの指揮下に入る。 ガザではイスラエルによる破壊と殺戮に抵抗するため、ハマスが武装闘争を続けてきたが、そのハマスを武装解除することが決議では定められている。 ハマスが武装解除されたのち、イスラエル軍はガザから撤退するというのだが、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はパレスチナ国家への反対を改めて表明し、そのような事態は決して起こらないと断言している。ハマスもこの決議について、これはガザに国際的な監視メカニズムを押し付けるものであり、パレスチナ国民はこれを拒否していると宣言、決議を拒否した。つまり、今回の決議では当事者の意思が無視されている。 ハマスが武装解除を拒否する可能性は小さくないが、そうなると、トランプが指揮する部隊とハマスの戦闘が始まる可能性がある。しかもハマスが武装解除されなかった場合、イスラエル軍はガザに居座るとしており、三つ巴の戦いになるかもしれない。イスラエルやアメリカの影響下にあるパレスチナ自治政府が出てきても、事態が複雑になるだけだろう。安定化部隊はパレスチナ自治政府と連携しないという見方をする人もいる。 パレスチナでは今回と似たような展開の出来事があった。1981年6月7日にイスラエル軍はイラクのオシラク原子炉を空爆、7月17日にはベイルートにあったPLO(パレスチナ解放機構)のビルに対して大規模な空爆を実施した。 それに対して国連のブライアン・アークハート事務次長がイスラエルを説得するようにアメリカ政府へ働きかけ、停戦が実現する。イスラエル側ではアリエル・シャロン国防相も準備不足だとして停戦を望んでいた。 シャロンは1982年1月にベイルートを極秘訪問、キリスト教勢力と会い、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決め、1月の終わりにはアメリカに送るメッセージについて話し合うためにペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開いた。イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してPLOを破壊してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカを制裁しないという合意を取り付けることが目的だった。 1982年6月に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使を暗殺しようとするが、この3名に暗殺を命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派だった。イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという。(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018) この出来事を口実にしてイスラエル軍はレバノンへ軍事侵攻するが、8月21日にアメリカの仲介で戦闘は終結、西側諸国が監視する中、パレスチナの戦闘員は9月1日までにベイルートから撤退。西側諸国は難民と難民キャンプの保護を保証していた。 撤退の直後、イスラエルのメナヘム・ベギン首相はレバノンのバシール・ジェマイエル大統領と会談し、イスラエルとの和平条約への署名を強く求めたが、イスラエルとの和平条約の締結を拒否し、残存するPLO戦闘員を掃討するための作戦を承認しなかった。 パレスチナ難民の安全を保証していた国際部隊は9月11日にベイルートから撤退、ジェマイエルは9月14日に暗殺され、その翌日にイスラエル軍は停戦協定を無視して西ベイルートへ侵攻するが、パレスチナ難民キャンプへはファランヘ党の部隊を入れることにしていた。 ファランヘ党を中心とする部隊は9月16日、イスラエル軍から提供されたジープに乗り、イスラエル軍から提供された武器を持ち、イスラエル軍の命令に従って行動、サブラとシャティーラの難民キャンプに侵攻し、大量虐殺を始めた。1万数千名の市民が殺されたとされている。その際、レイプなどの残虐行為も行われたという。 パレスチナ人を虐殺したのはレバノンのファランヘ党だが、そのファランヘ党にパレスチナ人を虐殺させたのはイスラエルであり、反イスラエル感情は世界に広がる。 要するに、イスラエルはパレスチナでの民族浄化を放棄することはなく、保護するという西側諸国の保証は信用できない。ハマスが武装解除に応じようとしないのは当然なのだ。トランプ政権もそうした展開を予想しているだろう。西側諸国にしろ、アラブ諸国にしろ、ロシアや中国にしろ、ハマスが武装解除に応じなければ、イスラエル軍がガザ占領を続けることを容認する口実ができる。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.20
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【非核三原則の見直し】 高市早苗首相は11月11日、衆院予算委員会において、核を保有しない、製造しない、持ち込まないという非核3原則を堅持するかどうかを問われ、明言を避けた。見直しを検討しているという。 自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」は報告書の中で、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画について説明している。アメリカの計画に基づいて自衛隊は軍事施設を建設しているわけだ。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する核弾頭の搭載が可能な巡航ミサイルを日本政府は購入する意向を表明したのだ。 トマホークの射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制核攻撃できるということになる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。 高市首相は10月7日、衆院予算委員会において、台湾で軍事衝突があれば軍事介入する意思を示した。日本にしろ、アメリカにしろ、「ひとつの中国」という主張を受け入れているわけで、中国と台湾が軍事衝突したなら、それは「内戦」ということになる。その内戦に日本が軍事介入するということになる。これは少なからぬ人が指摘している。 中国との戦争を覚悟しているということになるが、ならば食糧やエネルギーをどのように確保する準備をしなければならないが、高市の行っていることは食糧生産を弱体化させ、エネルギーをどうするかも考えていない。中国に依存しているレアアースを輸入できなくなれば、日本経済は破綻するだろう。ウクライナでの対ロシア戦争で自爆したヨーロッパと同じだ。 リチャード・ニクソン大統領は1972年の中国との共同声明で、台湾海峡両岸のすべての中国人が中国は一つであり、台湾は中国の一部であると主張していることを認めると表明した。それが「ひとつの中国」にほかならない。2022年8月2日、アメリカの下院議長だったナンシー・ペロシが台湾を訪問してこの原則を揺さぶったが、それでも「ひとつの中国」という立場は維持している。日本も同じだ。その立場を変更するとなると、その前提で動いてきた政治や経済の関係も崩れる。【日本の核兵器開発】 1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。(NHK、「“核”を求めた日本」、2010年10月放送) 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るが、予想された通り、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。 ところが、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東電福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントだけでなく、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信しているようだ。 第2次世界大戦後、日本を原子力を日本へ導入したのは中曽根康弘である。彼は内務省を辞め、1947年4月の衆議院議員選挙に出馬して当選し、河野一郎の配下に入り、児玉誉士夫と知り合った。 中曽根が権力の階段を登り始めるのは、1950年6月にスイスで開かれたMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席してからだ。MRAはCIAとの関係が深い疑似宗教団体で、岸信介や三井高維も参加していた。そこで中曽根はヘンリー・キッシンジャーを含むCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合っている。 中曽根は1953年、キッシンジャーが責任者を務めていた「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加しているが、このセミナーのスポンサーはロックフェラー財団やフォード財団で、CIAともつながっていた。 中曽根が国会に原子力予算を提出したのは1954年3月。修正を経て予算案は4月に可決された。その背景には、1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。 1964年10月に中国が核爆発の実験に成功した3カ月後、佐藤栄作首相はワシントンDCを訪れ、リンドン・ジョンソン大統領と秘密会談を実施、もしアメリカが日本の核攻撃に対する安全保障を保証しないなら日本は核兵器を開発すると伝えた。それに対し、ジョンソン大統領は日本にアメリカの「核の傘」を差し出すと約束している。 1976年にアメリカ大統領となったジミー・カーターは潜水艦の原子炉技師を務めた経験を持つ人物で、プルトニウムと高濃縮ウランについて熟知していた。そのカーターは1978年に核拡散防止法を議会で可決させた。この法律はウランとプルトニウムの輸送すべてに議会の承認を得るように義務付け、日本からの多くの機密性の高い核技術の輸入を阻止するものだ。 当時、アメリカのエネルギー省では増殖炉計画が注目されていたが、カーター大統領はその流れにブレーキをかけた。その方針に反発したひとりが原子力規制委員会のリチャード・T・ケネディにほかならない。そのケネディを助けたアメリカ海軍大佐のジェームズ・アウアーは後にバンダービルト大学の終身教授に就任、同大学の米日研究協力センター所長にもなっている。 しかし、1980年にロナルド・レーガンが大統領に就任すると状況は一変し、ケネディたちを喜ばせることになる。そのケネディをレーガン大統領は核問題担当の右腕に据え、ケネディはカーター政権の政策の解体させていく。そして始められたのがクリンチリバー増殖炉計画。エネルギー省は1980年から87年にかけて、このプロジェクトに160億ドルを投入するが、議会は突如、計画を中止する。 世界的に見ても増殖炉計画は放棄されるのだが、日本は例外だった。その日本とアメリカの増殖炉計画を結びつける役割を果たした人物がリチャード・ケネディ。アメリカのエネルギー省と手を組んでいた日本の動力炉・核燃料開発事業団(後に、日本原子力研究開発機構へ再編された)はCIAに監視されていたが、動燃が使っていたシステムにはトラップドアが組み込まれていたとも言われている。 この計画に資金を提供することになった日本の電力業界の関係者は核兵器に関する技術を求め、兵器用プルトニウムを大量生産していたプルトニウム分離装置をリストに載せた。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術である遠心分離機が運び込まれている。 アメリカは日本へ技術を提供するだけでなく、日本へ限りなく核物質を輸出し、それを制限なくプルトニウムに再処理し、他国へ再移転する権利が与えられていた。イスラエルへも再移転できるということだろう。 それだけでなくイギリスやフランスの再処理業者が日本へ返却するプルトニウムも核兵器に使用できるほど純度が高く、アメリカ産の核物質はトン単位で日本へ輸送されているようだ。 高市の発言は重い。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.18
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ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーは2024年5月に大統領の任期が切れた後も大統領を自称している。そうしたことを可能にしているひとつの理由は彼がイギリスの対外情報機関MI-6を後ろ盾としているからだろうが、ウクライナがロシアに敗北していることを隠し切れなくなった現在、西側のメディアもゼレンスキーにとってマイナスになる情報を伝え始めている。そうした記事のひとつがイギリスの体制派メディアとして知られているスペクテイターに掲載された。 ウクライナ国家汚職対策局(NABU)の捜査により、ティムール・ミンディッチの所有物の中に、純金製のトイレや200ユーロ札が詰まった戸棚などが含まれていることが判明した。ミンディッチは家宅捜索の数時間前に国外へ脱出、イスラエルへ向かったとも言われている。 ミンディッチは不動産、肥料、銀行、ダイヤモンドの取り引きで富を築いているが、ゼレンスキーが率いるテレビ制作会社「クヴァルタル95」の共同所有者でもある。ふたりの関係は緊密だ。 アメリカ大使館が管理していたNABUとSAPO(専門汚職対策検察庁)をゼレンスキーは自分の配下に置くことに決め、自分が任命する検事総長に従属させる権限縮小法案を今年7月に可決させた。自分たちに対する汚職捜査を阻止するためだったと見られているが、この試みは国民の抗議活動を引き起こし、失敗に終わる。アメリカ政府からの圧力もあったはずだ。 NABUが注目していたのは、ロシアのミサイルやドローンからエネルギー施設を守る防空システムの建設を請け負った業者からの「キックバック」疑惑に焦点を当てていたようだ。これは1億ドル規模の汚職計画で、ウクライナの国営原子力発電会社エネルゴアトムを含む大手公営企業が関与していたとされている。 イギリス、ドイツ、フランスの政府や欧州委員会の幹部は今でもゼレンスキーを支援、これまで彼をコントロールしてきたイギリスのMI-6、ゼレンスキーに忠誠を誓っている治安機関のSBU(ウクライナ保安庁)を傘下に置いてきたCIAがどのように出るかが注目されている。 かつてロシア人を虐殺するべきだと主張していたユリア・ティモシェンコ元首相はウクライナが「主権を失いつつあり、権利を奪われた植民地」だと訴えたようだが、2004から05年にかけての「オレンジ革命」でビクトル・ヤヌコビッチ大統領の誕生を阻止された段階で主権は奪われていた。ティモシェンコ自身、ウクライナの主権を放棄した仲間のひとりだ。 西側諸国からウクライナへ流れ込んだ資金の相当部分をゼレンスキーたちが盗んだことは明確になっているが、資金を送った国々の「エリート層」へもキックバックされていた可能性もある。2013年11月から14年2月にかけてキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で展開されたクーデターの後、ウクライナはマネーロンダリングの舞台になったとも言われてきた。盗まれた資金はシティを中心とするオフショア市場のネットワークへ流れ込んでいる可能性が高い。 クーデター当時、アメリカの副大統領だったジョー・バイデンの息子であるハンターはウクライナのエネルギー企業ブリスマ・ホールディングスの取締役を務めたが、元国務省職員でFFO(自由オンライン財団)を創設したマイク・ベンツによると、ブリスマはCIAの作戦であり、ロシアのガスプロムを解体しようとしていたという。 ハンターはNDI(ナショナル民主主義研究所)の所長諮問委員会メンバーを務めていたが、この団体はIRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターなどと同じように、NED(ナショナル民主主義基金)の資金、つまりCIAの資金を流す役目を負っている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.17
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アメリカやイギリスを中心とする西側諸国は覇権を維持するため、彼らの潜在的なライバルを潰そうとしている。アメリカの軍事や外交を支配してきたネオコンは1992年2月に作成された国防総省のDPG(国防計画指針)草案で明確に知っている。ウクライナやベネズエラでアメリカが行っていることも、そうした計画から派生しているが、ウクライナやベネズエラでアメリカやイギリスが戦っている相手はロシアと中国にほかならない。 21世紀に入ってもロシアと中国が手を組むことはないと信じるインテリが少なくなかったが、バラク・オバマ政権がウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、香港で「佔領行動(雨傘運動)」なる反中国運動を展開した2014年から状況は大きく変化した。このふたつ工作ではイギリスも重要な役割を演じている。ウクライナと香港における米英の動きを見てロシアと中国は接近、この2カ国は現在、「戦略的な同盟関係」にある。 1992年のDPGでネオコンは新たなライバルの出現を許さないと宣言していた。潜在的ライバルとされた地域のうち西ヨーロッパは自滅、日本はアメリカに従属しているが、中東は不安定でイランという自立した国が存在、ロシアと中国はすでに強力なライバルに成長した。中露の周辺には欧米帝国主義国から自立しようとする国々は集まりつつある。 ロシアと中国は天然資源があり、生産力もある。金融マジックの世界へ入り込んだ西側諸国には資源も生産力もなく、自らが作り出す幻影の中で生きている。その幻影の中心には「通貨」という呪物が据えられている。実態のない幻影の世界で自分たちが無敵だと信じ込んだ西側諸国が実態のあるロシアと中国に戦いを挑んでいるのが現在の状況だ。 ウクライナの魅力として資源が喧伝されてきたが、穀倉地帯が広がっていることでも有名。その穀倉地帯の約4分の1を外国企業が所有している。2022年には約3分の1をカーギル、デュポン、モンサントの3社が所有、この3社は効率性を高めるため、コンソーシアムとして契約を締結して事業を開始した。このコンソーシアムは事実上、ウクライナの土地の半分以上を支配している。 カーギル、デュポン、モンサントには黒幕が存在する。3社の主要株主には巨大金融機関のブラックロック、バンガード、ブラックストーンが名を連ね、ウォロディミル・ゼレンスキーはブラックロックのほかJPモルガン・チェースやゴールドマン・サックスと協力関係にある。ブラックロックは2022年後半からウクライナ政府のコンサルタントを務め、ブラックロック傘下の企業はウクライナの戦略的資産の大部分を支配するようになったと報道されている。ちなみに、ドイツのフリードリヒ・メルツ首相はブラックロックで監査役を務めていた人物で、エマニュエル・マクロン仏大統領はロスチャイルド銀行で働いていた。 ロスチャイルド一族のうちイギリスを拠点にする故ジェイコブ・ロスチャイルドはソ連が消滅した後、ロシアで暗躍している。ボリス・エリツィン時代のロシアでオリガルヒとして同国の資産を略奪していたミハイル・ホドルコフスキーによると、彼が所有していたロシアの石油会社ユーコスの支配権はジェイコブ・ロスチャイルドに渡ったという。 彼はロシアの石油をほぼ手中に収めていたのだが、その野望はウラジミル・プーチンに砕かれた。冷戦時代からソ連/ロシアを支配しようと工作してきたジョージ・ソロスはロスチャイルド一族とビジネス上、緊密な関係にある。 ウクライナ軍の兵站にとって重要なポクロフスをロシア軍は包囲、その中には約5000名のウクライナ兵がいると言われている。クピャンスクも似た状況だ。ウォロドミル・ゼレンスキー政権は包囲されていることを否定しているが、西側の有力メディアでさえこの事実を否定できない。 そのポクロフスが制圧されるとドンバス地域におけるウクライナ軍の苦境はさらに強まるため注目されている。ウクライナ人をロシアと戦う代理人として使っているNATO諸国はそれでもロシアと戦い続けるように要求しているのだが、すでにウクライナ軍は崩壊状態で、死傷者の数はロシア軍の数十倍だと言われている。 すでに正規軍でロシア軍と戦う能力がなくなっているウクライナ側にはイギリスやフランスの軍人や情報機関員が入っている。西側から供与された射程距離の長いミサイルはウクライナ人だけでは使えない。オペレーターのほか、目標に関する情報、ミサイルを誘導する衛星が必要であり、すでに代理戦争の時期は過ぎ、NATOが直接ロシアを攻撃している。ロシアに対するテロ攻撃にもイギリスのMI6は参加している。 トランプ大統領が軍事侵攻するのではないかと言われているベネズエラではロシア軍が防空システムが供与されたようだが、対艦ミサイルも配備、さらにクーデター対策として傭兵を送り込んだ可能性がある。ラテン・アメリカ諸国との関係を強めている中国も何らかの形で支援するだろう。もしアメリカ軍がベネズエラへ侵攻した場合、大きなダメージを受けると見られている。**********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.02
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ウクライナの情報機関がイギリスの対外情報機関MI6とオランダに拠点を置く「報道機関」のべリングキャットから支援を受けてキンジャール極超音速ミサイルを搭載したロシアのミグ31戦闘機を盗もうとしたとロシアの治安機関FSB(連邦保安庁)は11月11日に発表した。べリングキャットに所属しているとしていたフリスト・グロゼフはイギリスの情報機関員だという。 FSBによると、ミグ31のパイロットは昨年秋、ベリングキャットの研究員で、セルゲイ・ルゴフスキーと名乗る男から接触を受け、300万ドルの報酬とイタリアのパスポートを提示された。盗みだした戦闘機に黒海上空を飛行させ、ルーマニアのコンスタンツァ市近郊にあるNATO空軍基地で偽旗作戦を実施、その防空システムで撃墜されるかオデッサの飛行場に着陸させる計画だったようだ。 この作戦は11月4日に実行される予定だったというが、イギリスとしては、この作戦でNATO軍とロシア軍を軍事衝突させようとしたと言われている。 それに対し、ロシア軍は11月8日、スムイ、チェルニーヒウ、ニコラエフ、ポルタバ、ドネプロペトロフスク、ハリコフ、キエフに対して大規模なミサイル攻撃を実施した。ミサイルの中には多くのキンジャールが含まれていたようだ。 イギリスとしては、この作戦でNATO軍とロシア軍を軍事衝突させようとしたと言われているが、それに対し、ロシア軍は11月10日、キエフに近いブロヴァリーにあるGUR(国防省情報総局)の主要な電子情報センターとスタロコスティアンティニフ飛行場をキンジャールで攻撃したと報道されている。この飛行場は、ウクライナへ新たに供与されたF-16戦闘機が駐留していた。 ふたつの幹線道路が通り、ウクライナ軍の補給にとって重要な場所であるポクロフスクをロシア軍は制圧、NATO/ウクライナ側の兵站線を抑え、進撃のスピードが増すと見られている。しかも包囲された地域にウクライナ軍だけでなく、NATO軍の将校やCIAの上級エージェントも閉じ込められていると見られている。GURやCIAが必死に包囲網を突破して中の人間を救出しようとしているのはそのためだ。 すでにウクライナ側はNATO各国から特殊部隊や情報機関員を入れてロシアに対するテロ攻撃を繰り返してきたが、それも限界に来ているのだろう。対ロシア戦争の中心にいると見られているイギリスはNATOの正規軍を引き込みたいのだろうが、ロシア軍に勝てるとは思えない。アメリカはすでにウクライナから距離を置いている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.15
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政府の「インテリジェンス」に関する司令塔機能を強化するため「国家情報局」の創設を検討する方針だということを木原稔官房長官は10月24日の記者会見で明らかにした。情報を収集し、分析する機関を作るというのだ。外務省、警察庁、防衛省の出向者が新組織の中心になるとされている。 アメリカの下で日本を支配しているのはこの軍事、外交、治安のトライアングル。このトライアングルに財務省も逆らえない。1990年代に証券と金融はスキャンダルで揺れた。そのスキャンダルで財務省/大蔵省はアメリカに弱みを握られたはずだ。警察、検察、そしておそらく裁判所も裏金に関する情報をアメリカの情報機関に握られている。情報を収集分析するといってもそれはどのような情報なのか、それ以外のことは行わないのかという問題が当然、生じる。 しかも、この機関創設と並行して「スパイ防止法」を制定するというのだが、プロのスパイにとってそうした法律は意味がない。アメリカでもこの種の法律はジャーナリストがターゲットになる。日本の大手マスコミにジャーナリストと呼べるような記者や編集者がいるとは思えないが、大手マスコミ以外にジャーナリストは存在するかもしれない。 かつて、アメリカでは情報を収集分析する機関として、国家安全保障法に基づいてCIA(中央情報局)が1947年に設置されたのだが、アレン・ダレスやジョージ・ケナンのような人びとは破壊活動を実行する機関の創設を求め、48年にNSC10/2という文書が作成された。 この文書に基づいてOSP(特殊計画局)が設立され、すぐにOPC(政策調整局)へ名称は変更された。OPCの資金やスタッフはCIAから出ていたのだが、指揮系統はCIA長官の下になく、名目上はケナンが創設した国務省のPPS(政策企画本部)が管理していた。OPCは1952年8月1日にCIAの特殊作戦局(OSO)と統合され、計画局(DDP)の支柱になる。計画局の秘密工作を監督するために設置された部署が「工作調整会議」だ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) 破壊工作部門は活動の実態が問題になる多部に名称が変更される。計画局は1973年に作戦局に名称が変更され、2005年からはNCS(国家秘密局)、そして2015年には作戦局へ戻された。 問題になるような活動をしているのだが、CIAは情報を収集分析する機関として創設されたのだ。そこへ破壊工作機関が潜り込み、今ではその部門にCIAは乗っ取られている。そのネットワークは「民間」の世界へも広がり、「国家内国家」として機能している。 OPCは東アジアでも活動していた。創設当初は上海に拠点が置かれていた。第2次世界大戦で日本が敗北した後、アメリカのハリー・トルーマン政権は、蒋介石が率いる国民党に中国を支配させようと計画、軍事顧問団を派遣しているのだが、紅軍(1947年3月に人民解放軍へ改称)は農民の支持を背景として勢力を拡大、1949年1月には北京へ無血入城し、その指導部も北京入り、5月には上海も支配下においた。10月には中華人民共和国が成立する。そうした状況になったため、OPCは拠点を日本へ移動、新たな拠点を厚木基地をはじめ6カ所におく。その段階でOPCは中国への反抗を計画していたはずだ。そうなれば、日本は兵站の拠点になる。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, “The United States and Biological Warfare”, Indiana University Press, 1998) その1949年の夏、日本では国鉄を舞台とした怪事件が引き起こされた。7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件だ。これらの事件は共産党が実行したというプロパガンダが展開され、国鉄の組合は大きなダメージを受けた。ストライキによって物資の輸送が滞る心配がなくなったと言える。 海運の拠点である港も重要。特に神戸と横浜でストライキが引き起こされたなら、戦争はできない。そこで港の労働者を抑える仕組みが必要になる。そこで神戸を任されたのが山口組の田岡一雄、横浜を任されたのが藤木幸太郎だ。1949年7月には沖縄の軍事施設費を次年度予算に計上することが決定され、沖縄での本格的な基地建設への扉が開かれた。そして1950年、アメリカは朝鮮半島で戦争を始めたが、その前からアメリカの破壊工作機関は朝鮮半島で挑発活動を始めていた。 ところで、「国家情報局」は内閣情報調査室と内閣情報官を格上げして創設するというのだが、内閣情報調査室は1952年4月に設置された「内閣総理大臣官房調査室」が起源だとされている。首相だった吉田茂の意向を受け、緒方竹虎と村井順が中心になった。村井は国家地方警察本部警備第一課長だった人物で、のちに綜合警備保障を創設する。 村井は1953年9月から3カ月の予定で国外へ出ている。その名目は中曽根康弘と同じようにスイスで開かれるMRA(道徳再武装運動)大会への出席だったが、この組織はCIAの別働隊で、村井は西ドイツのボンに滞在していたアレン・ダレスCIA長官に会うことが本当の目的だったと言われている。新情報機関に関する助言を得ることにあったと推測されている。 しかし、内閣情報室には調査能力がなく、情報機関とは言いがたい存在だった。実際の調査は下請けに出していたのだが、調査を請け負っていた団体の多くはCIAともつながり、内閣調査室に提出される報告書より詳しい内容の報告書がCIAへ渡されていたと関係者は証言している。 官房調査室が設置された当時、公安調査庁も法務省の外局として作られ、旧軍人グループの「睦隣会」が発足、世界政経調査会になる。この旧軍人グループの中心になる有末精三陸軍中将や辰巳栄一陸軍中将は河辺虎四郎陸軍中将、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将、大前敏一海軍大佐らと同じように、アメリカの軍や情報機関と密接な関係にあった。こうした親米派の軍人は「KATO機関」、あるいは「KATOH機関」と呼ばれている。 森詠によると、このうち辰巳中将を除く5名は東京駅前の日本郵船ビルを拠点にしていた。その3階には「歴史課」と「地理課」があり、歴史課は1947年5月から50年12月まで活動、地理課は朝霞のキャンプ・ドレークに移転した後、75年まで王子十条の米軍施設内で活動していたと言われている。(森詠著『黒の機関』ダイヤモンド社、1977年) 歴史課には杉田一次陸軍大佐、原四郎陸軍中佐、田中兼五郎陸軍中佐、藤原岩市陸軍中佐、加登川幸太郎陸軍少佐、大田庄次陸軍大尉、曲寿郎陸軍大尉、小松演陸軍大尉、大井篤海軍大佐、千早正隆海軍中佐らが、また地理課には山崎重三郎陸軍中佐など参謀本部支那班の元メンバーが出入りしていた。(前掲書) こうした旧日本軍の軍人たちを統括していたのはGHQ/SCAPのG2(情報担当)を統括していたチャールズ・ウィロビー少将。この人物は親ファシスト/反コミュニスト派として有名で、彼に関する情報はほとんど公開されていない。退役後、彼はスペインの独裁者フランシスコ・フランコの非公式顧問に就任した。 朝鮮戦争の最中、1952年6月に大分県直入郡菅生村(現竹田市菅生)で駐在所が爆破されるという事件があった。いわゆる菅生事件である。近くにいた共産党員2人が逮捕され、3人が別件逮捕されるのだが、後に警察当局が仕組んだでっち上げだということが判明する。 この事件でカギを握る市木春秋(後に戸高公徳が本名だと判明)は事件後に姿を消すものの、共同通信の特捜班が東京で見つけ出し、彼の証言から彼は国家地方警察大分県本部警備課の警察官だということが判明した。ダイナマイトを入手し、駐在所に運んだのも彼だと言うことがわかる。 警察官が爆弾テロを実行しいたわけだが、実行者で有罪判決を受けた戸高は刑は免除され、その判決から3カ月後に警察庁は彼を巡査部長から警部補に昇任させ、しかも復職させている。最終的に彼は警視長まで出世、警察大学の術科教養部長にもなり、退職後も天下りで厚遇された。戸高の事件には、警察という組織全体を揺るがす事実が隠されているということだろう。 いや、日本の警察を超えたところまで波及する可能性がある。松橋忠光元警視監によると、アメリカは1959年から「1年に2人づつ警視庁に有資格者の中から選ばせて、往復旅費及び生活費と家賃を負担し、約5か月の特殊情報要員教育を始めた」という。公式文書に記載された渡航目的は「警察制度の視察・研究」だが、実際はCIAから特殊訓練を受けるのだともされている。(松橋忠光著『わが罪はつねにわが前にあり』オリジン出版センター、1984年) 警察、特に公安はアメリカの管理下にあるわけだが、検察、自衛隊、そして外務も同様だ。これが日本を支配する軍事、外交、治安のトライアングルである。その周辺に有力メディアもある。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.26
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ドナルド・トランプ米大統領がアナウンスした中国やロシアに対する政策はことごとく失敗している。外部から見ていると当然のことなのだが、トランプには状況が見えていない。そうした現実がここにきて明確になってきた。CIAでは1970年代後半から優秀な分析官が排除され、イランへ軍事侵攻した2003年頃から軍の中枢は軍需産業と癒着した将軍たちで占められるようになったようだ。 そうした人びとのアドバイスに従い、トランプはロシアが疲弊しているという前提で圧力をかけたが、軍事的に圧倒的に優位なロシアはトランプの思い通りに動かない。またロシアだけでなく中国に対しても経済戦争を仕掛けたが、アメリカを含む西側諸国にダメージを与えることになり、欧米諸国は世界で孤立することになった。 ロシアと中国には天然資源があり、生産力もあるということを理解していれば、金融マジックが作り出す幻影の中に生きている西側諸国が窮地に陥ることは見通せたはずだ。実際、そのように警告する人は少なくなかった。 トランプに限らず、アメリカ政府を動かしてきた人びとは自分たちが優秀であり、ロシアや中国は劣等だと信じ、戦争をすれば簡単に勝てると思い込んでいる。いわゆるネオコンだ。自分を天才だと信じている愚か者がトランプの周辺を固めているため、大統領はアメリカとロシアの戦力や生産力を認識できていない上、戦況に関する情報も知らない。 アメリカ政府の内部にもネオコンの「マッチョ」的な主張を批判する人もいたという。例えば国務省のINR(情報調査局)のアナリストだが、その意見を不愉快に感じたトランプは苛立ち、意に沿わない分析をする人たちは排除されていく。今年7月にはロシア・ユーラシア・グループに所属していたアナリスト3人が解雇され、もう1人のアナリストが辞任したと伝えられている。 ウクライナによるロシアの石油や天然ガスの施設に対する攻撃はイギリス政府の情報機関や軍が主導していると見られているが、アメリカ政府も容認しているのだろう。この攻撃によってロシア政府は踏ん切りがついたようで、大規模な報復攻撃を始めただけでなく、核戦争の準備を始めた。 ドネツク、ルハンシク、ヘルソン、ザポリージャの4地域全体をロシアの支配下に置くことを認め、NATOに加盟する意思をウクライナは正式に放棄することに加え、ウクライナの非軍事化と非ナチ化もロシア政府は求めてきた。その求めに欧米諸国は応じる意思がないと判断したのだろう。 ネオコンのネットワークはアメリカだけでなく世界に広がっている。そのひとりがポーランドのラドスワフ・シコルスキ副首相。ウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を2014年2月22日に排除したクーデターを現場で指揮していたネオコンのビクトリア・ヌランドの友人だ。 シコルスキは高校生だった1981年6月にイギリスへわたり、同年12月にポーランドで戒厳令が敷かれると彼は政治亡命が認められ、オックスフォード大学へ入学する。 大学では学生の結社「ブリングドン・クラブ」へ入るが、その結社のメンバーは多くがイートン校の出身、つまり富豪の子どもたちで、素行の悪さを「売り」にしていた。大学を卒業した後、シコルスキはオブザーバー紙やスペクテイター紙の記者として働くが、2003年から05年まではネオコンの拠点として知られているアメリカン・エンタープライズ研究所に所属していた。 ブリングドン・クラブが創設されたのは1780年で、シコルスキと同じ1980年代のメンバーにはボリス・ジョンソン、デイビッド・キャメロン、ジョージ・オズボーン、トニー・ブレアといった後の政治家、そして金融界に君臨しているナット・ロスチャイルドも含まれている。また帝政ロシアの有力貴族だったフェリックス・ユスポフもクラブのメンバーだ。彼は1909年から13年にかけてオックスフォード大学で学んだが、その時に入会している。 オックスフォード時代、フェリックスはクラスメートのオズワルド・レイナーと親しくなるが、この人物は後にイギリスの情報機関SIS(秘密情報局、通称MI6)のオフィサーになる。それだけでなく、ユスポフ家が雇っていた家庭教師の子どもとして1876年2月に生まれたスティーブン・アリーものちにMI6のオフィサーになった。ちなみに、フェリックスが生まれたのは1887年3月である。 フェリックスがオックスフォードでの留学を終えた翌年の1914年には第1次世界大戦が勃発するが、ロシアの支配層は戦争に反対する大地主と参戦を主張する資本家が対立していた。大地主の主張を代弁していたのがグレゴリー・ラスプーチンで、そのバックにはアレクサンドラ皇后がいた。 そうした中、ラスプーチンは腹を刺されて入院、その間にロシアは参戦を決めたが、退院後もラスプーチンは戦争に反対する。1916年の後半に入るとフランス軍やイギリス軍は疲弊、ロシア軍を離脱させるわけにはいかず、ラスプーチンの存在はイギリスにとって大きな問題だ。 その年にイギリス外務省はサミュエル・ホーアー中佐を責任者とする情報機関のチームをペトログラードへ派遣、そのチームにはフェリックス・ユスポフと関係の深いステファン・アリーとオズワルド・レイナーも含まれていた。 ペトログラードにおけるイギリスのお抱え運転手だったウィリアム・コンプトンの日記によると、彼はレイナーをユスポフの宮殿へ1916年10月の終わりから11月半ばにかけて6回にわたり運んだという。ユスポフは1916年12月19日にレイナーと会ったと書き残している。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013) 1916年12月30日にラスプーチンは暗殺されたが、殺害に使用された455ウェブリー弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたもので、殺害現場にいた人の中でその銃弾を発射できる銃をもっていたのはレイナーだけだったという。 そして1917年3月の「二月革命」でロマノフ朝は倒されるが、この時にボルシェビキの幹部は亡命中か刑務所に入れられていた。革命後に成立した臨時革命政府は戦争を継続、ドイツは両面作戦を続けなければならない。 そこでドイツ政府は即時停戦を主張していたボルシェビキのウラジミル・レーニンキに目をつけ、ボルシェビキの幹部32名を外務省の「封印列車」でロシアへ運んでいる。レーニンが帰国したのは1917年4月。ボルシェビキが実権を握ったのは11月の「十月革命」だ。その翌年から1920年にかけてイギリスとフランスはアメリカや日本を巻き込んでソ連へ軍事侵攻している。いわゆる「干渉戦争」だ。 レーニンはドイツとの戦争を終結させたものの、アメリカが参戦していたこともあってドイツは敗北するのだが、こうした経緯があるため、ドイツとソ連の関係は良かった。悪化するのはアドルフ・ヒトラーが率いるナチスが台頭してからだ。そのナチスにイギリスやアメリカの金融界は資金を提供していた。 ロシアを攻撃し続けてきたイギリスは19世紀からロシア征服を目論んでいる。その長期戦略を始めたと言われている政治家がヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)。ロシア征服戦略を始めただけでなく、ビクトリア女王を説得して第1次アヘン戦争(1839年9月から42年8月)と第2次アヘン戦争(1856年10月から60年10月)を始めている。この歴史をロシア人が忘れたとは思えない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.01
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社会を混乱させている野放図な移民政策に対する怒りの声が高まっているが、イギリスでは移民問題の解決策として人びとの管理を容易にするデジタルIDの義務化が打ち出された。キア・スターマー英首相は9月26日、イギリス市民と永住権保有者は就労する際、デジタルIDカードの提示を義務付けると発表したのである。新しいIDシステムは2029年までに予定されている次回選挙までに導入されるという。 イギリスに限らず、西側の移民受け入れ策は度を越し、社会問題を生みいだしてきた。それを口実にして、支配層が以前から目論んできたデジタルIDの義務化を実現しようとしているように見える。社会を混乱させることが明確な移民政策を強行してきた理由はここにあったのかもしれない。 デジタルIDの推進が表面化したのは2015年9月のことである。国連で「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択され、その中で示された「SDGs(持続可能な開発目標)」を実現するため、デジタルIDの導入が推進されることになったのである。個人を特定するためのシステムに記録されていない人びとを管理する必要があるというのだ。こうしたアジェンダを作り出した「エリート」たちは人口を問題にしている。 デジタルIDにはチップ化して体内へインプラントする計画がある。例えばWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組に出演し、マイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話している。チップを服に取り付けるところから始め、次に皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合、人間を端末化しようと考えているようだ。 RFID、つまり識別情報を無線でやりとりする小型チップを商品でなく皮膚下に埋め込む技術も実用化されつつある。そのチップにはID番号が記録され、個人情報が集積されているデータベースにアクセス、犯罪歴、病歴、学歴を含む個人データを引き出すことができる。IC乗車券を持たずに電車やバスに乗車でき、支払いも電子的に決済することが可能で、身分証明書としても機能する。便利だと感じる人もいるだろうが、囚人化とも言える。人間が何を考えているかを外部から探る技術も研究され、すでに脳波を測定することで心理状態をある程度把握することは可能になっている。(South China Morning Post, 29 April 2018) 拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』(三一書房、2005年)でも書いたことだが、アメリカの場合、監視技術の開発は国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)が中心になっている。DARPAで開発されていたTIA(総合情報認識)では個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆる個人データを収集、分析できた。(William D. Hartung, “Prophets Of War”, Nation Books, 2011)このプロジェクトが発覚した後、2001年9月にはMATRIXと名づけられた監視システムの存在が報じられている。(Jim Krane, 'Concerns about citizen privacy grow as states create 'Matrix' database,' Associated Press, September 24, 2003) ACLU(アメリカ市民自由連合)によると、このシステムを開発した会社はスーパー・コンピュータを使い、膨大な量のデータを分析して「潜在的テロリスト」を見つけ出そうとしていた。どのような傾向の本を買い、借りるのか、どのようなタイプの音楽を聞くのか、どのような絵画を好むのか、どのようなドラマを見るのか、あるいは交友関係はどのようなっているのかなどを調べ、個人の性格や思想を洗い出そうとしたのだ。図書館や書籍購入の電子化、スマートテレビの普及などと無縁ではない。勿論、インターネット上でのアクセス状況も監視される。そうしたシステムの能力は飛躍的に「向上」しているだろう。 アメリカ国防総省にはCIFA(対諜報分野活動)というデータ収集活動があり、TALON(脅威地域監視通告)というデータベースに情報を記録、このデータを分析することで情報活動をモニターし、将来の脅威を見通すのだという。(William D. Hartung, “Prophets Of War”, Nation Books, 2011) アメリカやイギリスの電子情報機関の活動を1970年代から暴いてきたジャーナリストのダンカン・キャンベルによると、1993年から西側諸国の捜査機関高官は毎年、会議を開いて通信傍受について討議を重ねてきた。(Duncan Campbell, "Development of Surveillance Technology and Risk of Abuse of Economic Information Part 4/4: Interception Capabilities 2000," April 1999)そうした国際的な流れの中で、日本でも1999年に通信傍受法(盗聴法)が制定された。日本も社会の刑務所化が図られてきたわけだ。 どのようにデジタルIDの導入を進めるかについて2016年5月に国連本部で話し合われ、ID2020というNGOが設立されている。こうした計画の実施に最も積極的なのはEUの執行機関である欧州委員会だ。 2019年に同委員会が公表した指針の中には、EU市民向けの「ワクチン・カード/パスポート」を2022年に導入する計画が示されていた。欧州委員会のステラ・キリアキデスは2022年12月、WHO(世界保健機関)のテドロス・アダノム事務局長と「世界的な健康問題に関する戦略的協力を強化する」協定に署名している。 WHOと欧州委員会は2023年6月5日、GDHCN(グローバルデジタルヘルス認証ネットワーク)を実現するために「画期的なデジタル・ヘルス・イニシアティブ」を開始、世界的な相互運用可能なデジタル・ワクチン・パスポートを推進すると発表した。これは2022年12月に署名された協定の一部だ。 日本で導入された「マイナンバーカード」も一種のデジタルID。岸田文雄内閣は2022年10月13日、「マイナンバーカード」と健康保険証を一体化させる計画の概要を発表、それにともない、それまで使われてきた健康保険証を2024年の秋に廃止。「カード取得の実質義務化」を打ち出したのだ。 発表時、河野太郎デジタル大臣は「デジタル社会を新しく作っていくための、マイナンバーカードはいわばパスポートのような役割を果たすことになる」と述べ、「日本は国民皆保険制度であり、保険証と一体化するということは、ほぼすべての国民にマイナンバーカードが行き渡るということで、格段に普及が進む。」と寺田稔総務大臣は主張した。「語るに落ちる」とはこのことだが、「机上の空論」でもあった。この政策は現実を無視したもので、現場は混乱、計画を実現させることは難しい状況だ。 現在、日本もデジタル通貨に向かっているようだが、金融システムのデジタル化が進むと人びとの交友関係、活動、趣味などを把握することが容易になり、支配層に「好ましからぬ人物」と判断された場合、銀行口座が封鎖されるということになる。実際、ヨーロッパではウクライナ情勢で西側支配層の意向に反する事実を報じたジャーナリストの中には銀行口座が封鎖された人もいる。ウィキリークスのジュリアン・アサンジを支援するキャンペーンも複数の銀行口座が解約されたという。現物の通貨が廃止されたなら、対処することが困難だ。**********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.09.30
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危機的な状態に陥った人びとを救うために大活躍する「高市」を主人公とするNetflix映画「新幹線大爆破」がヒットしたようだ。主人公で車掌の高市和也を演じたのは草彅剛、高市と並ぶ作品の中心的な存在である運転士の松本千花をのん(能年玲奈)が演じた。この作品の宣伝などで「高市」という名前を嫌というほど聞かされた印象がある。 ところで、同じ高市という苗字の人物が今年10月21日から日本の総理大臣を務めている。右翼キャラの人物で、好戦的なパフォーマンスをしてきた。その高市は10月7日に衆院予算委員会において、「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだ」と発言した。 これを聞いて驚いた人は少なくないだろう。最も大きな軍艦で、強力な艦砲が装備された「戦艦」だが、すでに時代遅れで、運用している国はないとされている。軍艦の中でまだ使われている航空母艦も時代遅れで、相手国を威圧する程度のことしかできない。戦闘になれば、対艦ミサイルで簡単に撃沈されてしまう。イージス・システムを搭載した駆逐艦は使われているが、これも対艦ミサイルには脆弱。すでに海軍は潜水艦が主力になっている。高市首相のイメージは第2次世界大戦で止まっているのか、あるいは「宇宙戦艦ヤマト」が刷り込まれているかもしれない。 中国が台湾に対する軍事行動を起こすとするならば、最も可能性が高いケースはアメリカ軍が中国への攻撃を念頭に基地を建設し、軍隊を入れる場合だろう。台湾は中国を攻撃するための「不沈空母」だと考える人もいる。 中曽根康弘は総理大臣に就任して間もない1983年1月にアメリカを訪問、その際にワシントン・ポスト紙の編集者や記者たちと朝食をとっている。その際に彼はソ連のバックファイア爆撃機の侵入を防ぐため、日本は「不沈空母」になるべきだと語ったと報道された。 中曽根はそれをすぐに否定するが、インタビューは録音されていた。そこで、「不沈空母」ではなくロシア機を阻止する「大きな空母」だと言い換えたが、このふたつの表現に本質的な差はない。日本列島はアメリカ軍がロシア軍を攻撃するための軍事拠点だと中曽根は認めたのである。 中曽根は首脳会談で日本周辺の「4海峡を完全にコントロールし、有事にソ連の潜水艦を日本海に閉じ込める」、また「ソ連のバックファイアー(爆撃機)の日本列島浸透を許さない」と発言した。「シーレーン確保」も口にしたが、要するに制海権の確保だ。 国外に出たことから口が軽くなったのかもしれないが、当時、アメリカとソ連との間で軍事的な緊張が高まっていたことは事実だ。例えば、1983年4月から5月にかけてアメリカ軍はカムチャツカから千島列島の沖で大規模な艦隊演習を実施、アメリカ海軍の3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加している。この演習を日本のマスコミは無視した。 この演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返し、米ソ両軍は一触即発の状態になったのだ。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年) 徳川体制を倒して成立した明治政権は1872年に琉球を併合、1874年に台湾へ派兵、1875年に江華島へ軍艦を派遣、1894年の日清戦争、そして1904年の日露戦争へと続く。その背後でイギリスやアメリカの外交官が暗躍、日本にアジアを侵略するように煽っていた。自覚していたかどうかはともかく、明治体制はアメリカやイギリスの手先として動いていたと言える。 日清戦争の結果、清朝政府は1895年に下関条約を締結し、台湾を日本へ割譲するのだが、その当時、台湾に住む人びとの間には共通のアイデンティティがなかったという。漢民族は祖先である氏族、あるいは故郷の福建省や広東省との結びつきをより強く意識、先住民族は部族的なアイデンティティで繋がっていた。日本の植民地になった後、台湾では共通のアイデンティティが形成され始めたようだ。 第2次世界大戦後、日本軍の将校、下士官、兵士が蒋介石軍によって処刑される中、日本は台湾との軍事的な協力関係を築いている。蒋介石が接近した旧日本軍大将の岡村寧次は海で戦犯として裁判にかけられたが、1949年1月に無罪の判決を受けてすぐに帰国、GHQ/SCAPの保護下に入っている。蒋介石が岡村の下へ曹士徴を密使として派遣したのは同年4月のことだ。 曹は岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して「台湾義勇軍」を編成することで合意、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれている。 その白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡っている。 白団へ軍事情報を渡していたのは「富士倶楽部」、つまり陸士34期の三羽烏と呼ばれた服部卓四郎大佐、西浦進大佐、堀場一雄大佐、あるいは海軍の及川古四郎大将や大前敏一大佐たちだ。服部はノモンハン事件で作戦指導を行った軍人で、1949年には市ヶ谷駅の近くに「史実研究所」をつくり、その後、約20年間に白団へ6000点ほどの資料を渡している。その中には自衛隊の教科書も含まれていた。白団メンバーのうち23名は自衛隊へ入っている。 服部や大前を含む旧日本軍の軍人、つまり有末精三陸軍中将、河辺虎四郎陸軍中将、辰巳栄一陸軍中将、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将、大前敏一海軍大佐はアメリカ軍の下で活動している。このグループはKATO機関、あるいはKATOH機関と呼ばれた。 森詠によると、このうち辰巳中将を除く5名は東京駅前の日本郵船ビルを拠点にしていた。その3階には「歴史課」と「地理課」があり、歴史課は1947年5月から50年12月まで活動、地理課は朝霞のキャンプ・ドレークに移転した後、75年まで王子十条にあったアメリカ軍の施設内で活動していたと言われている。 歴史課には杉田一次陸軍大佐、原四郎陸軍中佐、田中兼五郎陸軍中佐、藤原岩市陸軍中佐、加登川幸太郎陸軍少佐、大田庄次陸軍大尉、曲寿郎陸軍大尉、小松演陸軍大尉、大井篤海軍大佐、千早正隆海軍中佐らが、また地理課には山崎重三郎陸軍中佐など参謀本部支那班の元メンバーが出入りしていた。こうした旧日本軍の軍人たちを統括していたのはGHQ/SCAPのG2(情報担当)を統括していた親ファシストのチャールズ・ウィロビー少将だ。(森詠著『黒の機関』ダイヤモンド社、1977年) ソ連が1991年12月に消滅した直後、92年2月にアメリカの国防総省内でDPG(国防計画指針)の草案が作成された。作成の中心は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツだったことから、この文書は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ソ連の消滅でアメリカは唯一の超大国になったとネオコンは確信、世界制覇戦争を始めようというわけだが、そのドクトリンにはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合し、民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。要するに、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗するが、94年4月に崩壊。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られている。 日本側の動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月になると、ジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令した。そのレポートには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。 沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になったようだ。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。 この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンへ急ピッチで組み込まれていく。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、ウォルフォウィッツ・ドクトンに従ってアメリカは世界制覇戦争に乗り出すのだが、日本もそれ追随している。 国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っている。自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 専守防衛の建前と憲法第9条の制約がある日本の場合、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされていたが、すでにそうした配慮は放棄されている。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。 日本は中国やロシアと戦争する準備を進めているのだが、命令しているのはネオコン。ウクライナでロシアに戦争を仕掛けて敗北、ガザで苦境に陥り、中国との経済戦争でも負けている勢力だ。ネオコンの代理として日本人は中国やロシアと戦争させられようとしている。戦争が現実になった場合、ウクライナより凄惨な状況になるだろう。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.11
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海上自衛隊が保有する「いずも」が横須賀を出港したようだ。アメリカ海軍の補給艦を護衛するとしている。日本政府は5月から8月にかけて自衛隊が保有する最大の艦船を南シナ海へ派遣する計画だと伝えられたのは今年3月のことで、その計画から外れてはいない。ところで、「いずも」は「護衛艦」というタグが付けられているものの、艦首から艦尾まで平らな「全通甲板」を有し、垂直離着陸が可能なMV22オスプレイや戦闘機F35Bも離発着できると言われている艦船で、国際的にはヘリ空母(航空母艦)、あるいは揚陸艦などを兼ねた多目的空母と見なされている。護衛に適しているとは思えない。2014年にアメリカ海軍は強襲揚陸艦「アメリカ」を就役させたが、旧来のものに比べて航空運用機能が強化され、正規空母並みになっている。アメリカのこうした流れに「いずも」は符合していると言えそうだ。ロイターによると、「いずも」はシンガポール、インドネシア、フィリピン、スリ・ランカへ寄港した後、インド洋でインドやアメリカとの合同艦隊演習に参加するとも報じられている。
2017.05.01
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ロシア軍がチェルノブイリ原発を制圧したと伝えられている。攻撃されない場所を拠点にするためだとする人もいるが、現在の状況はロシア軍が圧倒している。ロシア軍によると、ウクライナ軍の軍事施設74カ所をミサイルで破壊、ボロディミル・ゼレンスキー大統領はウクライナが孤立していると訴えていると伝えられている。ウクライナの一部勢力が原発を「ドゥームズデイ・マシーン」として使う、つまり放射性物質を環境中へ撒き散らすことを防ぐ、あるいは撒き散らすと脅すことを防ぐ意味もあるだろう。 ロシアのウラジミル・プーチン政権が軍事作戦の実行を決断したのはアメリカのウェンディ・シャーマン国務副長官とロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官がジュネーブで安全保障問題について話し合った1月10日の後だろう。 プーチン政権はアメリカ/NATOに対し、ウクライナをNATOへ加盟させず、モスクワを攻撃するシステムをロシアの隣国に配備しないように求めているほか、ロシアとの国境近くで軍事演習を行わず、NATOの艦船や航空機をロシアへ近づけないようにとも言っている。さらに定期的な軍同士の話し合いを実施、ヨーロッパへ中距離核ミサイルを配備しないことも要求。そして、それらを保証する文書を作成するように求めている。 こうしたロシア政府の要求をアメリカ政府は拒否、リャブコフ次官は交渉が袋小路に入り込んだと表現した。双方の問題への取り組み方が違い、交渉を再開する理由が見つからないともしている。この段階でロシアはアメリカ/NATOとの交渉に見切りをつけたと見られたが、その後も会談は続いた。 シャーマンとリャブコフが会談する直前、1月2日にカザフスタンの旧首都アルマトイで暴力的な反政府活動が始まり、暴動へエスカレートする。救急車やパトカーが放火されるだけでなく、市庁舎も放火される事態になった。この地区では非常事態が宣言され、夜間外出禁止令が出されている。 その際、カシムジョマルト・トカエフ大統領は外国が介入していると非難、CSTO(集団安全保障条約)に平和維持部隊を派遣するように求め、認められた。CSTOの動きは迅速で、短時間に暴動を沈静化させることに成功、撤退していった。なお、CSTOの加盟国はカザフスタンのほか、アルメニア、ベラルーシ、キルギスタン、ロシア、タジキスタンが含まれている。 何者かがクーデターを目論んだと見られているが、失敗に終わった。1月6日にはカザフスタンの安全保障会議で議長を務めていたカリム・マシモフが解任され、反逆罪で逮捕されたと伝えられている。未確認情報として、ヌルスルタン・ナザルバエフ前大統領の甥も反逆罪で拘束されたともいう。 1月10日には取り調べを受けていた治安当局の大佐が飛び降り自殺、やはり捜査の対象になっていたジャンブール州の警察署長も自殺したと伝えられている。暴動の背後には大きな組織、あるいは国が存在していた可能性がありそうだ。カザフスタンでトカエフ政権が倒され、親米政権が誕生していたならシャーマンとリャブコフの会談でアメリカは優位に立てただろう。 その後、1月14日にホワイトハウスの報道官を務めているジェン・サキはロシア政府がウクライナの東部地区、つまりドンバス(ドネツクやルガンスク)の周辺で「偽旗作戦」を行おうとしているとする情報があると発言したが、ウクライナで戦争の準備を進め、挑発的な行為を続けてきたのはアメリカにほかならない。これは本ブログでも繰り返し書いてきたことだ。 昨年11月にアントニー・ブリンケン国務長官がロシアを恫喝、ロード・オースチン国防長官はウクライナを訪問。この月にはネオ・ナチの一派である「右派セクター」を率いるドミトロ・ヤロシュを参謀長の顧問に就任させたと伝えられている。ウクライナの親衛隊はヤロシュの部下がコントロールしている。 そして11月30日にプーチン大統領はNATOがウクライナの「レッド・ライン」を超えたなら、ロシアは行動せざるを得ないと警告した。ウクライナに超音速ミサイルが配備されたなら、5分でモスクワへ到達すると指摘、そうしたことは容認できないとしたわけだ。その後、プーチンはロシアにも自衛の権利があると発言している。 昨年12月にはアメリカ軍の偵察機が黒海の上空を何度も飛行、民間航空機の飛行ルートを横切るなどロシアに対する脅しを繰り返し、ウクライナ軍はアメリカ製の兵器を誇示してロシアを挑発した。そして12月の終わりにバイデン政権はウクライナに対する2億ドルの追加支援を承認する。そしてカザフスタンのクーデター未遂だ。 アメリカやNATOは1月7日にロシアが設定した「レッド・ライン」を拒否、1月13日にジェイク・サリバン国家安全保障補佐官はロシアがウクライナへ軍事侵攻する可能性が高いと発言する。 それに対し、1月24日にウクライナの国防大臣がロシアの軍事侵攻は迫っていないと発言、26日には外務大臣がロシアはいつでも攻撃できるとした上で、全面侵攻する準備はしていないと語った。有力メディアの「予定稿」にどう書いてあったか不明だが、ロシアの攻撃を全面侵攻と言うことはできない。ゼレンスキー大統領は、軍事侵攻が迫っているとする警告はウクライナ経済を危険な状態にしているとしていた。 クリミアを含むロシア南部で演習していた部隊が所属基地へ戻り始めたと2月15日に伝えられたが、2月17日にはウクライナ軍によるドンバス(ドネツクやルガンスク)へのミサイル攻撃が激しくなり、学校も標的になっていたことが現地での取材で判明している。そこでドンバスの住民はロシアへ避難したという。 2月18日にウクライナ国家安全保障国防会議の議長を務めるオレクシー・ダニロフは「ドンバス解放」の命令は出ていないと発言しているが、攻撃は始まっていた。ロシアはウクライナの軍や親衛隊への命令がNATOの司令部から出ていると考えているようだ。 そして2月21日、プーチン大統領はドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認、ウクライナに対し、クリミアとセバストポリがロシア領だと認めること、次にウクライナはNATO加盟を断念すること、第3にルガンスクと入植について話し合うこと、最後にウクライナは非武装化(攻撃的な軍事施設や兵器を持たない)して中立を宣言することを求めた。 バラク・オバマ時代からロシアとの軍事的な緊張を煽ってきたアメリカ/NATOだが、今のところロシアとの軍事的な衝突は避けている。アメリカ軍の上層部がロシア軍との軍事衝突を認めないだろうが、結果としてウクライナは孤立した。こうした状況を作ったアメリカの好戦派(いわゆるチキン・ホーク)を世界の人びとは見ている。
2022.02.25
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武田薬品系のアルカリスが明治グループのMeiji Seika ファルマが共同でmRNA技術を利用した製品の製造工場を建設している福島県南相馬市。ここは双葉郡の北に位置し、2011年3月11日の東電福島第1原発の「過酷事故」で大きな被害を受けている。 言うまでもなく、この事故は三陸沖で発生したマグニチュード9.0という地震が原因。その地震で引き起こされた津波が原因であるかのように言われているが、データを分析すると揺れで破壊されている可能性が高い。この地震で観測された震度は7だ。 その地震で原子炉内にあった核燃料のほぼ全量が溶融、周辺の装置などを含むデブリ(塊)は600トンと言われているのだが、それがどこにあるか明確でない。「チャイナシンドローム状態」で、それを大量の地下水が冷却、高濃度汚染水が太平洋へ流れ込んでいる可能性がある。 事故当初、福島第1原発から放出された放射性物質はチェルノブイリ原発事故の1割程度、あるいは約17%だとする話が流されたが、これは過小評価だと言わざるをえない。 福島第1原発のケースでは圧力容器が破損、燃料棒を溶かすほどの高温になっていた。漏れ出た放射性物質を除去することになっている圧力抑制室(トーラス)の水は沸騰し、水で放射性物質を除去することはできない。しかも急上昇した圧力のためトーラスへは爆発的な勢いで気体と固体の混じったものが噴出したはず。つまり、トーラスで99%の放射性物質が除去されるという計算の前提は成り立たないのだ。 原発の専門家であるアーニー・ガンダーセンが指摘しているように、福島第1原発から環境中へ放出された放射性物質の総量はチェルノブイリ原発のそれを大幅に上回るはず。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書)漏洩した放射性物質は少なくともチェルノブイリ原発事故の2~5倍、あるいは十数倍以上に達した可能性もある。 放出された放射性物質に関する情報を政府や電力会社は情報を隠したが、そうした中、漏れてきた情報もある。例えば、2011年4月17日に徳田毅衆議院議員は「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている:「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 つまり、事故の直後に相当数の人が放射性物質が原因で死んでいる可能性が高い。3月12日には1号機で爆発があり、14日には3号機も爆発、15日には2号機で「異音」がり、4号機の建屋で大きな爆発音があったとされている。 その後、建屋の外で燃料棒の破片が見つかる。この破片についてアメリカのNRC(原子力規制委員会)で新炉局の副局長を務めていたゲイリー・ホラハンは炉心にあった燃料棒のものだと推測すると2011年7月28日に開かれた会合で語っている。 その会議の直後、8月1日に東京電力は1、2号機建屋西側の排気筒下部にある配管の付近で1万ミリシーベルト以上(つまり実際の数値は不明)の放射線量を計測したと発表、2日には1号機建屋2階の空調機室で5000ミリシーベル以上を計測したことを明らかにした。ダメージ・コントロールのために発表したようにも思える。 また、マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を検出、事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。 セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。 週刊ビッグコミックスピリッツ誌の「美味しんぼ」という漫画は井戸川元町長を作品の中で登場させたが、環境省、福島県、福島市、双葉町、大阪府、大阪市などは内容が気に入らないとして抗議、福島大学も教職員を威圧するような「見解」を出した。発行元の小学館は「編集部の見解」を掲載、この作品は次号から休載すると決めたという。 新聞や放送など有力メディアは「権威」とされる学者と手を組み、原発について「安全神話」を宣伝してきた。福島第1原発の事故後も安全宣伝を展開、COVID-19騒動ではあれだけ着用を宣伝したマスクは必要ないという姿勢だった。 その一方、電力会社やメーカーの社員はいち早く避難している。地震から4日後の3月15日朝、第1原発にいた所員の9割にあたる約650人が10キロ南の福島第2原発へ撤退したと伝えられている。制御不能になったと判断、少しでも遠くへ逃げたかったのだろう。 こうした原発関係者に次いで逃げ足が早かったのは有力メディアだったという。自分たちは逃げ出しているにもかかわらず、現地の住民にも心配ないと宣伝し続けていたのだ。政治家、官僚、大企業経営者、医者などの行動バターンはCOVID-19と同じだ。 ロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループがまとめた報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』(日本語版)によると、1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達する。癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下、あるいは知能の問題が報告されている。 しかし、日本ではそれ以上に深刻な事態が生じている疑いが濃厚だ。原発事故の影響と似ているが、それ以上に悪い状況が作られると見られている。その原因は「COVID-19ワクチン」の接種だ。 イギリスのタイムズ紙は福島第1原発を廃炉するまでに必要な時間を200年としていたが、これは比較的に楽観的な見方。数百年はかかるだろうと推測する人が少なくない。その間に新たな大地震、台風などによって原発が破壊されてより深刻な事態になることも考えられる。 もっとも、現在行われていることを見ると、人類が数百年後に存在している可能性は大きくない。少なくとも日本人の未来は暗い。
2023.03.12
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日本で「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」が11月28日に承認され、その決定をメーカーもその事実を発表した。これは一種の人口ウイルスで、動物の種を超えて感染する可能性が指摘されている。「ワクチン」というタグがつけられているものの、実際は遺伝子導入剤。この薬剤の承認を「不名誉」だとする声が世界から聞こえてくるが、日本の専門家も危険性を具体的に指摘している。 承認申請したメーカーはMeiji Seikaファルマで、同社は武田薬品系のアルカリスと共同でmRNA技術を利用した製品の製造工場を建設福島県南相馬市に建設、そこでアルカリスが開発した遺伝子導入剤「ARCT-154」を作る計画だ。 アルカリスはアークトゥルスとアクセリードが共同で設立したmRNA医薬品CDMO(医薬品受託製造)会社であり、アクセリードは武田薬品の湘南研究所が2017年にスピンオフして誕生した。 武田薬品には興味深い人物が関係してきた。例えば山田忠孝はビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を経て同社へ入った人物で、父親の山田忠義は渋沢敬三の秘書などを経て1952年に八幡製鉄へ入社している。 戦争中の1940年代の前半、ヨーロッパから日本へ上海経由で神戸に辿り着いたユダヤ系の若者、ショール・アイゼンベルグを忠義は世話している。神戸へ着いた時、アイゼンベルグは19歳か20歳だった。その若者をなぜ日本の財界が面倒を見たのかは謎だ。 財界の大物たちに守られたユダヤ人難民のアイゼンベルグは大戦後、アメリカ第8軍のロバート・アイケルバーガー司令官に可愛がられる。そのコネクションを活かし、アイゼンベルグはペニシリンの販売で大儲けしたという。 その後、アイゼンベルグは日本から追い出されるが、イスラエルの情報機関モサドの幹部としてさまざまな秘密工作に関わり、イスラエルと中国を結びつけたと言われている。似た境遇にあったジョージ・ソロスと緊密な関係にあったことでも知られている。 山田忠孝と同じようにビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を経由して武田薬品に入ったラジーブ・ベンカヤも興味深い人物だ。財団ではグローバル・ヘルス・プログラムのワクチン・デリバリー・ディレクターを務め、武田薬品ではグローバル・ワクチン・ビジネス・ユニットを率いた。 財団に入る前、ジョージ・W・ブッシュが大統領だった2002年から03年にかけての時期にホワイトハウス・フェローを務め、さらにバイオ防衛担当ディレクターを経て大統領特別補佐官およびバイオ防衛担当シニアディレクターとして活動、バイオ・テロリズム研究グループを率いている。 ホワイトハウス時代、ベンカヤはフランシス・タウンゼント国土安全保障担当補佐官の直属で、その時、ロックダウンを考え出したという。その一方、Gavi(ワクチンアライアンス)の理事を務め、CEPI(感染症流行対策イノベーション連合)やIAVI(国際エイズワクチン推進構想)の理事会メンバー。CFR(外交問題評議会)の終身会員でもある。なお、今年3月からアエイウム・セラピューティックのCEOに就任している。 医薬品業界で研究開発に関わってきたサーシャ・ラティポワによると、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動はアメリカ国防総省がバラク・オバマ政権の時代に始めた作戦だ。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。 アメリカの国防総省はウクライナで生物化学兵器の研究開発を行っていたことが判明している。ロシア軍のイゴール・キリロフ中将によると、ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)が管理する研究施設が約30カ所あり、生物兵器の研究開発を行っていた。 昨年2月24日からロシア軍はミサイルなどでウクライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設などを攻撃、その際に機密文書を回収。その中に生物化学兵器に関する約2000文書が含まれていた。そうした文書を分析するためにロシアは議会に委員会を設立、ロシア軍の放射線化学生物兵器防衛部隊と連携して分析、アメリカはウクライナで「万能生物兵器」を研究していたことが判明したという。 万能兵器とは、敵の兵士だけでなく動物や農作物にもダメージを与えることができる兵器だという。そうした病原体を拡散させることでターゲット国を完全に破壊し、民間人、食糧安全保障、環境にも影響を与えることを目的としている。アメリカの国防総省は人間だけでなく動物や農作物にも感染できる万能の遺伝子操作生物兵器の開発を目指しているのだ。レプリコン・ワクチンをWHOが言うところの「疾病X」だと考える人もいる。
2023.12.17
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イスラエル当局はアメリカ人ジャーナリストのジェレミー・ロフレドを逮捕した。10月1日にイラン軍は180機以上の弾道ミサイルを発射、イスラエルの軍事基地や情報機関の本部を攻撃した。イスラエル政府は否定しているが、周辺でミサイル攻撃の様子が撮影されたほか、何人かのジャーナリストが着弾地点を実際に調べている。そうした取材、報道していたひとりがロフレドだ。保釈にはなったが、出国は禁止されている。 攻撃された場所はF-35戦闘機を配備するネバティム基地、ハッサン・ナスララをはじめとするヒズボラの指導者を殺害したネツァリム基地、弾道ミサイルのあるテル・ノフ基地、そしてモサドの本部など。ロフレドは、ネゲブのネバティム空軍基地からテルアビブのモサド本部まで、イランのミサイル攻撃を受けた軍事基地や情報機関モサドの本部を訪れて被害を確認している。 このイランによる攻撃はイスラエルに対する報復だった。イスラエル空軍は4月1日にゴラン高原の方向からダマスカスを攻撃してイラン大使館領事部を破壊、IRGC(イスラム革命防衛隊)の特殊部隊コッズの上級司令官であるモハマド・レザー・ザヘディ准将と副官のモハマド・ハディ・ハジ・ラヒミ准将を含む将校7名を殺害、7月31日にはテヘランにいたハマスのイスマイル・ハニヤを暗殺している。 こうした攻撃に対するイラン政府の報復は不可避だと考えられたが、動きは鈍かった。焦らしているとする推測もあったが、イランのマスード・ペゼシュキアン大統領によると、イスラエルを攻撃しなければイランに対する実質的な制裁の解除と、ハマスの条件に沿ったガザでの停戦保証を欧米の当局者は提案、その提案をペゼシュキアは信じというのだが、それが事実ならあまりにもお粗末。愚かすぎた。 そして9月27日、イスラエル軍は南レバノンにバンカー・バスター爆弾(地中貫通爆弾)約85発を投下して破壊。レバノン社会医学協会のライフ・レダ会長はイスラエルがバンカー・バスター爆弾BLU-109の弾頭に劣化ウラン弾を使っている疑いがあると語った。サイード・ナスララをはじめとするヒズボラの幹部が殺されたほか、少なからぬ市民が犠牲になっている。そのイスラエルによる攻撃でペゼシュキアンは目が覚めたのかもしれない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.10.13
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「教育基本法に愛国心、郷土愛とも書いたが、検定基準にはこの精神が生かされていない」と安倍晋三首相は4月10日に開かれた衆議院の予算委員会で語ったという。 安倍首相が「買弁政治家」だということは以前にも書いたことがある。アメリカを支配する巨大資本の命令に従い、日本の自然、社会、人々をカネ儲けの亡者たちに売り渡そうとしてしているのだ。TPPの推進もその一環。 そうした買弁勢力に忠誠を誓うような人間を育てることを安倍首相たちは「愛国」と呼んでいる。彼らの悪巧みに気づき、反対するような庶民が育っては困るわけで、そうならないためにも「教育改革」を進めている。 教育課程審議会の会長を務めたことのある三浦朱門は教育改革の目的を次のように語っている: 「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(斎藤貴男著『機会不平等』) つまり、自分たちの仲間に引き入れる予定の一部生徒は別にして、大多数の庶民は「実直な精神」だけを持つロボットのような人間に育てるということだ。安倍首相が言うところの「道徳」とはそういうものだろう。 また、安倍首相は現行憲法を「占領軍が作った憲法」だとして、「改憲」を主張するのだが、この改憲もアメリカ支配層の命令に従ってのことだ。「占領軍が作った」のは確かだが、当時と事情が変わり、アメリカは現在の憲法が邪魔になっている。 憲法が制定された頃、アメリカ国内を含む連合国に属す人びとの日本を見る目は厳しいものがあった。日本はポツダム宣言の受諾を1945年8月の上旬に決め、14日にはこの事実を連合国側に通告、15日には「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれている放送が流され、9月2日にはミズーリ号で降伏文書に調印して日本の敗北は正式に決まった。 勝者である連合国には靖国神社を破壊し、天皇の戦争責任を問うべきだとする人も少なくなかったのだが、アメリカの支配層は天皇制官僚国家という仕組みを維持したいと考えていた。何しろ、戦前からの関係がある。 本ブログでは何度か指摘したことだが、関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の強い影響下にあり、支配層の世界では「日米同盟」が成立していたのである。だからこそ、血盟団による襲撃、五・一五事件、二・二六事件などが起こったとも言える。ただ、決起した人びとは天皇が同盟の一員だと気づかないという致命的な間違いを犯したが。 ところが、その関係は1933年に大きく揺らぐ。JPモルガンと対立関係にあったフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任したのである。その直後、ルーズベルトを排除してファシズム体制を樹立するクーデターの計画もあったのだが、これは失敗する。その事情は本ブログ、あるいは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』(三一書房)で書いた通り。 ウォール街にとって邪魔な存在だったルーズベルト大統領が1945年4月、執務中に急死する。それを切っ掛けとしてホワイトハウスは反ルーズベルト派が主導権を奪い、ナチスの残党を保護し、南アメリカなどへの逃亡を助け、雇い入れるようになる。日本でも「右旋回」が起こるわけだ。イギリスのウィンストン・チャーチルが5月にソ連を奇襲する作戦「アンシンカブル」の立案を命じたことは本ブログでも書いた通り。 この作戦はイギリス軍に拒否され、チャーチルは7月に下野するのだが、翌年の3月にアメリカで「鉄のカーテン」演説を行い、「冷戦」の開始を宣言した。その裏ではソ連に対する核攻撃をアメリカ軍の一部は計画、そのピークが1963年。そうした状況のとき、ソ連との平和共存を訴えたジョン・F・ケネディ大統領は暗殺されたわけである。 ともかく、ルーズベルト後のアメリカ政府は早く天皇制官僚国家の存続を確かなものにする必要があった。そこで、戦争の放棄、民主化の推進とセットで天皇制を定めた憲法を制定したわけである。民主的な内容の憲法でなければ連合国の内部を説得することができず、天皇制の維持は無理だっただろう。 一応、憲法で天皇は「象徴」とされたが、実際には戦後も昭和(裕仁)天皇がアメリカとの交渉で最高責任者として動いていることを関西学院大学の豊下楢彦教授は明らかにしている。吉田茂とダグラス・マッカーサーのラインでなく、天皇とワシントン(ジョン・フォスター・ダレス)との間で戦後の日本が進む方向が決められ、安保条約の締結も天皇の意志が反映されていたということであり、沖縄の問題も昭和天皇を抜きに語ることはできない。 4月10日の予算委員会で下村博文文部科学相は「自分の国に誇りと自信を持った歴史教育を実行しなければならない。」と語ったという。歴史の「教育」とは、不確かだということも含め、事実を教えることから始めるべきであり、下村文科相の言っていることは洗脳にほかならない。戦前の「妄想史観」からまで抜けられないのだろう。
2013.04.10
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マリウポリにある産婦人科病院を3月9日に破壊したのはロシア軍だという話を西側の有力メディアは広げている。そうした「報道」でアイコン的に使われたマリアナ・ビシェイエルスカヤはその後、報道の裏側について語っている。 彼女は3月6日、市内で最も近代的な産婦人科病院へ入院したが、間もなくウクライナ軍が病院を完全に占拠、患者やスタッフは追い出されてしまう。彼女は近くの小さな産院へ移動した。最初に病院には大きな太陽パネルが設置され、電気を使うことができたので、それが目的だろうと彼女は推測している。 そして9日に大きな爆発が2度あり、爆風で彼女も怪我をした。2度目の爆発があった後、地下室へ避難するが、その時にヘルメットを被った兵士のような人物が近づいてきた。のちにAPの記者だとわかる。そこから記者は彼女に密着して撮影を始めた。彼女は「何が起こったのかわからない」が、「空爆はなかった」と話したという。 APだけでなく、西側の有力メディアはロシア軍の攻撃で産婦人科病院が破壊され、母親と乳児が死傷しているというストーリーに仕上げたかったはず。実際、彼女の証言は記者に都合よく改竄されてしまう。 問題の病院から患者やスタッフがウクライナ軍に追い出されたことはマリウポリから脱出した市民も異口同音に語っている。その部隊はおそらくアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)だろう。脱出した市民によると、脱出しようとした市民をアゾフの隊員は銃撃、少なからぬ人が死傷したという。また市民の居住空間に入り込み、ロシア軍の攻撃を避けようとしてきたともしている。 現在、アメリカをはじめとする反ロシア連合はイメージ戦争を中心をブチャの死体へ移しているが、これは穴が多く、病院のケースと同じように信頼度は低い。ニューヨーク・タイムズ紙は4月4日、マクサー・テクノロジーズという会社かた提供された写真を掲載し、3月19日には死体が路上に存在していたと主張しているが、これも不自然な点がすぐに指摘され始めた。 おそらく多くの人が抱く最初の疑問は、比較のために載せられた2月28日の写真に比べ、肝心の3月19日に撮影されたという写真の解像度が悪すぎるのはなぜかということだろう。影や天候の分析から実際の撮影日は4月1日だとする推測もあるが、もし19日から約2週間、道路上に死体は放置されていたことになる。その間、氷点下になったのは28日の早朝だけ。29日には17度まで上昇している。 キエフの周辺で拷問を受け、殺害された死体が発見されているが、その一部が白い腕章をつけていることも注目されている。ロシア軍を意味するからだ。また、ロシア軍が配った食糧を持っている人もいたとされている。ロシア軍が撤退した後、親衛隊はロシア軍に対して友好的な態度を示していた市民を殺して回ったとも言われている。 しかし、西側の政府や有力メディアはネオ・ナチの親衛隊を善玉、ロシアを悪玉として描かなければならない。そのため、出来事を全て反転して描くわけだ。そうして作られた話に飛びつく人も少なくない。
2022.04.08
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モスクワの北西にクラスノゴルスク市がある。そこのクロッカス・シティ・ホールという音楽ホールが3月22日、自動小銃で武装した一団に襲撃され、60名以上が殺され、爆発音の後に火災が発生したという。その日、ホールではロックバンドのコンサートが予定されていた。襲撃グループの行方は不明だ。 3月20日にジェイク・サリバン国家安全保障問題補佐官がキエフを突如訪問して人びとを驚かせたが、アメリカ大使館が3月7日に出していた警告も話題になっている。これはコンサートを含むモスクワの大規模な集まりを標的とする差し迫った計画を立てており、アメリカ市民は48時間、大規模な集まりを避けるようにアドバイスしていたのだ。 元CIA分析官のラリー・ジョンソンはこの警告について、大使館の判断で発せられたものではないと説明している。通常、アメリカが何らかの情報を入手していたならロシア政府へ伝えているはずだが、ロシア側はそうした情報を受け取っていないとしているようだ。 アメリカ国務省が爆破事件発生から2時間以内に声明を発表したことにもジョンソンは注目している。情報が明確になっていない段階で国務省が声明を発表したことから、アメリカ側は事前に知っていた疑いがあるという。つまり、アメリカがロシアへ情報を提供したとしても、ロシア側に伝えなかった情報があったことを示唆していると指摘している。 襲撃のあった日にジョー・バイデン政権はウクライナの「無許可の大胆な行動」を嘆いて見せていたことも注目されている。襲撃にウクライナ政府、あるいはウクライナで戦闘に参加しているダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)が関係している可能性が高いと見られているが、そうした情報が出てきた場合に責任を問われないように先手を打ったのではないかというのだ。アメリカ政府はガザでの虐殺でもイスラエル政府の暴走を嘆き、虐殺を可能にする武器をイスラエルへ供給し続けている。 ウクライナの現体制を生み出したのは、2013年11月から14年2月にかけて実行されたネオ・ナチを主体とするクーデター。ネオ・ナチを率いていたひとりのドミトロ・ヤロシは「右派セクター」を2013年11月に設立、そのグループが中心になって親衛隊の「アゾフ大隊」が14年5月に創設された。一時期、ヤロシュはウクライナ軍最高司令官の顧問を務めている。 ウクライナのネオ・ナチはステパン・バンデラを中心に組織されたOUN-Bの流れに属すが、そうしたひとつのグループにワシル・イワニシン教授が率いていたKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)がある。イワニシンの後継者がヤロシュだ。KUNの指導者になったタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。 このネットワークの中で最も悪名高い存在がイタリアのグラディオ。イタリアはアメリカにとって戦略的に重要な国なのだが、コミュニストの支持者が多かった。コミュニストを含む左翼を壊滅させるためにグラディオは1960年代から80年代に爆弾テロを繰り返し、クーデターも計画している。 ヤロシュは2007年5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めた。クーデター後の2014年3月にヤロシュは声明を発表、その中でチェチェンやシリアでロシアと戦ったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)などイスラム系の武装集団への支援を表明している。
2024.03.23
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2012年にニューヨークではタングステンで作られた偽物の金の延べ棒が流通していると話題になったが、ここにきてカナダで偽造金貨が見つかり、造幣局が調査に乗り出したという。1971年にリチャード・ニクソンがドルと金の交換を停止すると発表するまでドルは金が裏付けになっていた。金という裏付けをなくしたドルはサウジアラビアなど産油国にドル決済を強要、その代償として国の防衛を保障、さらに支配層の地位や富も約束したと言われている。金融規制の緩和にもだぶついたドルを吸い上げるという意味がある。ドル離れを目論む体制に対し、アメリカは軍事力の行使も厭わない。例えば、石油取引の決済をドルからユーロへ変えると発表したイラクのサダム・フセイン体制、金貨ディナールをアフリカの基軸通貨にして石油取引の決済に使おうとしたリビアのリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はともに軍事侵略を受けて国は破壊された。また、マレーシアの首相だったマハティール・ビン・モハマドは2002年3月には「金貨ディナール」を提唱、ドル体制から離脱する意思を示している。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された際、航空機が突入したわけでも爆破されたわけでもない7号館が爆破解体のように崩壊、そこに保管されていた大量の金が消えたとも言われている。2014年2月にウクライナではネオコンがネオ・ナチを使ってクーデターを成功させたが、その直後の3月7日、ウクライナ政府が保有していた金のインゴットをアメリカへ秘密裏に運び去った疑いが持たれている。その日、ポリスポリ空港に4輌のトラックと2輌の貨物用のミニバスが現れ、そこから40個以上の箱をマークのない航空機へ運び込まれたと報道されている。箱の中身は金だというのだ。車両はいずれもナンバー・プレートが外され、黒い制服を着て武装した15名が警戒する中での作業だった。アメリカは各国が保有する金を保管していることになっている。その多くはアメリカのニューヨーク連銀やケンタッキー州フォート・ノックスにある財務省管理の保管所に預けられていたが、そこから何者かによって持ち去られたのではないかという疑惑がある。そうしたこともあり、預けていた金を自国へ引き揚げる動きが国が出ていた。ドイツもそうした国のひとつで、預けている1500トンを引き揚げようとしたのだが、連邦準備銀行は拒否、交渉の結果、そのうち300トンを2020年までにドイツへ引き揚げることにしたのだという。同国は2020年までの8年間でアメリカとフランスから合計674トン、つまり1年あたり84トン強を引き揚げる計画を立てたが、2013年に返還されたのは37トン、そのうちアメリカからのものは5トンにすぎなかったと言われている。そして今、中国とロシアがドル体制から離脱しつつある。ドル体制に残っていればドルを発行する特権を持つアメリカによって経済が揺さぶられるからだ。この両国だけでなく、アメリカの横暴に辟易としている国は少なくないようで、中国とロシアが築こうとしている新たな通貨システムが軌道に乗ったなら、一気にドル離れが促進される可能性がある。新体制で金は軸になるはずだ。ドルのライバルに対する信頼度を下げるため、偽造された金塊を流通させようと考える人も出てくるかもしれない。
2017.11.01
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ドイツのジャーナリスト、ウド・ウルフコテが1月13日に心臓発作で死亡した。享年56歳。この人物はフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者で、ドイツを含むメディアの記者や編集者がCIAに買収されている実態を告発したことでも知られている。ウルフコテによると、彼がジャーナリストとして過ごした25年の間に学んだことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことだ。ヨーロッパの人びとはロシアとの戦争へと導かれ、引き返すことのできない地点にさしかかっていると危惧した彼は2014年2月、この問題に関する本を出している。西側の偽報道は根が深い。 西側の有力メディアとCIAとの関係は1970年代から指摘されている。例えば、ウォーターゲート事件を追及してリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込む記事を書いたことで知られているカール・バーンスタインは1977年、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」というタイトルの記事を書き、そうした関係を明らかにしている。 その記事によると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働いているだけではなく、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 400名以上のジャーナリストをCIAが雇っていることは、1975年に設置された上院の情報活動に関する政府工作を調査する特別委員会(フランク・チャーチ委員長)や下院の情報特別委員会(ルシアン・ネッツィ委員長/後にオーティス・パイクへ変更)による調査で判明していた。ワシントン・ポスト紙のウォルター・ピンカスは1967年に自分自身でCIAとの関係を明らかにしている。 記事を書く直前、バーンスタインはワシントン・ポスト紙を辞めている。同紙ではこうした問題を採りあげることができなかったということだが、それは当然。第2次世界大戦後、アメリカの支配層は情報操作プロジェクト、いわゆる「モッキンバード」を始めているのだが、その中心にいたひとりがワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムなのだ。 そのほかの3名はウォール街の大物弁護士で秘密工作の黒幕とも言うべきアレン・ダレス、彼の側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ。ウィズナーは同じ時期に破壊活動を目的とした秘密機関OPCを指揮、ヘルムズは1966年から73年までCIA長官を務めている。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) ウォーターゲート事件でニクソンを追及していた当時、ワシントン・ポスト紙の社主はフィリップ・グラハムの妻だったキャサリン。世界銀行の初代総裁だったユージン・メイアーの娘でもある。また彼女の親友、ポリーはウィズナーの妻だった。 日本ではワシントン・ポスト紙と並ぶ「言論の象徴」的な新聞と見なされているニューヨーク・タイムズ紙の場合も実態は同じ。例えば、1953年にアメリカ政府がイギリス政府と組んでイランの民族主義政権を倒そうとしていた際、ニューヨーク・タイムズ紙のケネット・ラブ記者は報告書をCIAのアレン・ダレスに提出していた。(Jonathan Kwitny, “Endless Enemies”, Congdon & Weed, 1984) モッキンバードにはCBSの社長だったウィリアム・ペイリー、TIME/LIFEを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズの発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやLIFEの発行人だったC・D・ジャクソンなども協力している。 ちなみに、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の瞬間を撮影したいわゆる「ザプルーダー・フィルム」を隠すように命じたのはこのC・D・ジャクソンだ。この人物はドワイト・アイゼンハワー政権で大統領特別補佐官を務めているが、第2次世界大戦では心理戦に加わっていた。つまり、メディアの人間がCIAに協力したのではなく、情報機関の人間がメディアを操っていたのだ。 その後、ロナルド・レーガンが大統領になるとプロパガンダを目的とする計画が始動する。アメリカ国内における「プロジェクト・トゥルース」と国際的な「プロジェクト・デモクラシー」だ。後にふたつは合体、1983年にレーガン大統領がNSDD(国家安全保障決定指示)77に署名してからプロジェクトは新しい段階に入った。プロジェクトの中枢機関としてSPG(特別計画グループ)がNSC(国家安全保障局)に設置され、偽情報を流して相手を混乱させ、文化的な弱点を利用して心理戦を仕掛けようとする。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004) 勿論、プロジェクト・デモクラシーは本来の民主主義と無関係。民主主義を口実としてアメリカ支配層が気に入らない国の体制を破壊、自分たちに都合良く作り替えようというのである。軍事侵略やクーデターを正当化する口実を人びとに信じ込ませることが重要な目的のひとつだと言えるが、逆に事実を伝える記者は邪魔になる。 例えば、1982年1月にエルサルバドル軍による虐殺事件を記事にしたニューヨーク・タイムズ紙のレイモンド・ボンナー記者。その事件は前年12月に同国の北部で引き起こされ、女性や子供を含む村民約800名が殺害されている。当時、この地域で生活していたのは約1000名がいたとされているので、約8割が殺されたことになる。殺戮は大人の男性から始まり、若い女性は殺害の前にレイプされ、子供はナタやライフルで頭蓋骨を割られたという。 こうした記事やアメリカ大使館からの報告書をワシントンは無視、国務次官補のトーマス・エンダースとエイリオット・エイブラムスは虐殺に関する記事を誤報だと非難、「民間」のメディア監視団体AIM、あるいはウォール・ストリート・ジャーナルの論説欄がボンナーたちを激しく攻撃、ニューヨーク・タイムズの幹部編集者エイブ・ローゼンタールはボンナーを1983年にアメリカへ呼び戻している。(前掲書) 日本のマスコミが単なる権力者の走狗に過ぎないことは言うまでもないが、こうしたアメリカの有力メディアで支局長を務めていた人物が日本のマスコミを批判する本を書くのもお笑い種。その前に自分が所属している新聞社の実態を問題にする必要があるだろう。それともアメリカの有力メディアが行っている偽報道はかまわないと考えているのだろうか?
2017.01.16
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相変わらず日本の政府やマスコミは朝鮮に対して圧力を加えろと合唱している。脅せば屈するというネオコン的な考え方だ。当然、そうした考え方は日本の国民に対しても向けられる。実際、庶民の間でも「勝てば官軍負ければ賊軍」であり、「長い物には巻かれよ」と思っている人は少なくない。こうした考え方をイギリスの新聞に語った人物がいる。石原慎太郎だ。彼が東京都知事だった当時、2011年3月8日付けのインディペンデント紙に掲載された記事によると、彼は核兵器を保有すべきだと主張し、日本は1年以内に核兵器を開発することができ、そうなれば世界へ強いメッセージを送ることになるのだと語った。中国、朝鮮、ロシアを敵だと言い切った石原によると、外交の交渉力は核兵器を意味しているらしい。思考力がないので腕力に訴えると言っているようにしか聞こえない。この記事が掲載された3日後、東北地方の沖合で巨大地震が発生、東電の福島第1原発が大事故を起こしている。地震の翌日、3月12日には1号機で爆発、14日には3号機でさらに激しい上空へ向かっての爆発、15日には2号機で「異音」、さらに4号機の建屋で大きな爆発音があったという。アメリカでは1センチメートル程度の燃料棒の破片が見つかったと報道され、その破片についてNRC新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で、発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測している。衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自分自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている:「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」言うまでもなく、徳田毅は医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で、医療関係差には人脈がある。これだけ被曝して人体に影響がないはずはない。政府も東電、おそらくマスコミもこうした情報を持っていたはずだ。ところで、日本にも核兵器開発の歴史がある。第2次世界大戦中には理化学研究所の仁科芳雄を中心とした陸軍の二号研究と海軍が京都帝大と検討していたF研究が進められていた。陸軍は福島県石川郡でのウラン採掘を決め、海軍は上海の闇市場で130キログラムの2酸化ウランを手に入れて1944年には濃縮実験を始めたという。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が設立され、69年に日本政府は西ドイツ政府に対して核武装を持ちかけた。この提案を拒否したという西ドイツがイスラエルの核兵器開発には協力していたことが判明している。日本も核武装をあきらめず、核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などについて調査、技術的には容易に実現できるという結論に達した。原爆の原料として考えられていた高純度のプルトニウムは、日本原子力発電所の東海発電所で年間100キログラム余り、つまり長崎に落とされた原爆を10個は作れると見積もっていた。1977年になると東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るのだが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と主張している。ジミー・カーター政権は日本の核武装に反対していたが、ロナルド・レーガン政権では雰囲気が変わり、日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれている。調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントに限らず、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信している。地震の前年、2010年に菅直人政権は中国との関係を悪化させる工作を始めている。この年の9月に海上保安庁は尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を取り締まるが、これは「日中漁業協定」を無視する行為であり、中国に対する挑発行為だと言える。海上保安庁は国土交通省の外局で、その当時の国土交通大臣は前原誠司。大臣の意思がなければ不可能な行為だろう。つまり、前原は田中と周による棚上げ合意を壊し、日本と中国との関係悪化を図ったのである。この逮捕で日本と中国との関係は悪化するが、2011年3月11日の巨大地震で日本と中国の対立は緩和されそうになる。そうした雰囲気を消し去って関係悪化の方向へ戻したのが石原親子だ。2011年12月に石原伸晃が「ハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言したが、この背後にはネオコンの大物でポール・ウォルフォウィッツの弟子にあたり、ハドソン研究所の上級副所長だったI・ルイス・リビーがいたと言われている。そして2012年4月、石原伸晃の父親、石原慎太郎知事(当時)がヘリテージ財団主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示して中国との関係は決定的に悪くなった。安倍晋三もハドソン研究所と関係が深いが、そのつながりを築いたのもリビー。その安倍は2015年6月1日、赤坂にある赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で、「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたという。中国に圧力を加えているつもりなのだろう。安倍なら屈するのかもしれないが、中国は屈しない。
2017.10.31
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アメリカの国土安全保障省は4月27日に「偽情報管理会議」を創設すると発表、事務局長にはニナ・ヤンコビッチが就任するという。ヤンコビッチはウィルソン・センターの「偽情報フェロー」で、ウクライナ外務省にアドバイスした経験があり、ジョー・バイデン大統領と関係が深い。 この発表の6日前、バラク・オバマ元大統領はスタンフォード大学でソーシャル・メディアの検閲が十分でないと発言している。この事実をトロシ・ガッバード前下院議員は指摘している。 アメリカ政府や西側の有力メディアにとって、彼らが流す物語と違う情報は「偽情報」だ。1970年代までは有力メディアにも権力者にとって都合の悪い事実を伝えるジャーナリストもいたが、80年代に入るとそうした人は排除されていった。 今でもアメリカに「言論の自由」があると信じている日本人もいるようだが、組織としてのメディアは昔からプロパガンダ機関にすぎない。ワシントン・ポスト紙の記者として「ウォーターゲート事件」を暴いたカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) デボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』もCIAによるメディア支配の一端を明らかにしている。彼女によると、第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃にアメリカでは「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトがスタートしている。 そのプロジェクトを指揮していたのは4人で、第2次世界大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後に極秘の破壊工作機関OPCを率いていたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979) CIAのメディア支配はアメリカ国内に留まらない。例えば、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。 彼によると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていた。そして現在、アメリカやその従属国はロシアとの戦争をウクライナで事実上、始めている。 ウクライナでロシア軍と戦っている内務省の親衛隊で中心的な存在は2014年5月に創設されたアゾフ大隊(現在の正式名称はアゾフ特殊作戦分遣隊)。その中心になった右派セクターは2013年11月、ドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーによって編成されている。 ヤロシュは2007年にNATOの秘密部隊ネットワークに参加した人物で、その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めている。その当時、アメリカのNATO大使を務めていた人物がビクトリア・ヌランドだ。 ヤロシュを含む自称ナショナリストの歴史は1920年代に組織されたOUN(ウクライナ民族主義者機構)まで遡ることができる。この組織は1941年3月に分裂、反ロシア感情の強いメンバーは幹部のひとりだったステパン・バンデラの周辺に集まる。これがOUN-B(バンデラ派)だ。 このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う一方、ドイツが資金を提供し、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。 1941年6月にドイツ軍はソ連へ軍事侵攻する。「バルバロッサ作戦」だ。この作戦に投入した戦力は約310万人。西側には約90万人を残すだけだった。ドイツ軍はウクライナのリビウへ入る。 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。 1943年春になるとOUN-Bの戦闘員はUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。ゲシュタポから摘発されていたはずのOUNやUPAの幹部だが、その半数近くはウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられている。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) ドイツ軍の敗北を見てアメリカとイギリスは慌てて動き出し、この年の7月に軍隊をシチリア島へ上陸させた。シチリア島を含むイタリアで支持されていたコミュニストへの対策ということもあり、アメリカの情報機関はこの時にマフィアからの協力を得ている。ハリウッド映画で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月だ。 アメリカやイギリスの支配層、つまりウォール街やシティの住人はナチスを手先と考えていた。ナチスの戦争犯罪を研究しているアメリカン大学のクリストファー・シンプソンによると、1920年代後半にアメリカからドイツへ融資、あるいは投資という形で多額の資金が流れている。ヨーロッパ大陸全域でアメリカの投資額が激減している中、1929年から40年の間に約48.5%増えた。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995) アメリカからドイツへの投資は限られた金融機関を通して行われていた。その中心になっていたのがディロン・リードとブラウン・ブラザーズ・ハリマン。1924年にはドイツへ資金を流すため、ユニオン・バンキングが設立されるが、その重役にはプレスコット・ブッシュやW・アベレル・ハリマンが含まれている。ブッシュとハリマンはいずれもエール大学でスカル・アンド・ボーンズという学生の秘密結社に所属したいた。 プレスコットが結婚したドロシーの父親はウォール街の大物、ジョージ・ハーバート・ウォーカー。プレスコットは1924年、ウォーカーが社長を務める投資銀行A・ハリマンの副社長に就任、ウォール街でも名の知られた存在になる。そうしたことからウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しくなる。プレスコットの息子、ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官に就任するのは必然だった。 第2次世界大戦でドイツの敗北が決定的になっていた1943年頃、アレン・ダレスたちはナチスの幹部と接触し始める。サンライズ作戦だ。そうした話し合いを経てアメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。つまりラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦だ。アメリカやイギリスの金融資本は第2次世界大戦の前からナチスと緊密な関係にあった。 反ボルシェビキ戦線は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)と呼ばれるようになり、バンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコが指揮するようになった。東アジアで1954年に設立されたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とABNは1966年に合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)になる。この組織はCIAと緊密な関係にあった。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986) こうした系譜に連なるヤロシュをウォロディミル・ゼレンスキーは昨年11月2日、ウクライナ軍のバレリー・ザルジニー最高司令官の顧問に据えた。軍をネオ・ナチが指揮する態勢ができたと言える。 こうした現実を認めたくない人はウクライナにネオ・ナチはいないと言い張るが、そうした主張をFBIの特別捜査官も否定している。アメリカの白人至上主義者RAMの裁判でスコット・ビアワースは2018年10月に宣誓供述書を提出、アゾフ大隊はネオ・ナチ思想と結びつき、ナチのシンボル主義を使っていると認めている。RAMのメンバーはドイツやイタリアのほかウクライナを訪問していた。
2022.05.04
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楽天ブログの「櫻井ジャーナル」は下記のような抗議を受けた結果、一時、閲覧も編集もできない状態になりました。この内容が正しくないことはブログの中で再三説明してきたことで、おそらく抗議してきた人はそうしたブログを読んでいないのでしょう。楽天ブログに対し、抗議の内容に同意できないことを伝えました。〈記事タイトルと共に冒頭「この人物はウクライナにおけるネオ・ナチの幹部のひとりだ。」と書かれているが、「ネオ・ナチ」はプーチン政権の宣伝工作の造語であり、ウクライナ国内にそのような組織は1つも認知されていない。(仮にウクライナ戦争以前に類推される組織があったとしても、現在ウクライナはロシアと全面戦争をしており、ネオ・ナチの倒すべき標的がプーチン政権である以上、ウクライナ政府軍と一体となってロシアを叩くのが最も合理的であり、そもそも存在自体が無意味である)この主張は、プーチン政権によるウクライナ要人の暗殺を正当化する目的でしかない。同じ民主主義のウクライナを支援すべき日本人として、ロシア工作員の片棒を担ぐ恥ずべき言論であり、日本人の皮を被ってデマを拡散する事は許されない。なお、現在の国際情勢で「ナチ」に最も近いのはイスラエルのネタニヤフ政権であり、パレスチナ民族に対するホロコーストを実施中のそれはナチそのものと言える。ロシアのプーチンがそれに続く。プーチンは既に戦争犯罪で国際指名手配されているが、目的が自己正当化できる限り、ありとあらゆる違法な手段を行使する史上最悪レベルの犯罪者である。「簡単に勝てるという前提で」侵攻したのはロシア軍である。全てはプーチンの保身のためであり、理由は何でも良い。>ロシア軍の勝利は決定的でウクライナを黙って見捨てる程、西側諸国は甘くはない。〉 「ネオ・ナチ」は一般的に使われている用語であり、「プーチン政権の宣伝工作の造語」ではありません。2018年10月にFBIのビア・ワース特別捜査官はクーデター政権の象徴的な存在であるアゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)について、裁判所に提出した文書の中で「ネオ・ナチのイデオロギーを信じ、ナチのシンボルを使っている」としていますが、これは事実です。 また、2014年2月のクーデター直後、キエフをネオ・ナチが闊歩していることはBBCのドキュメンタリーでも紹介されていました。そもそも合法政権を暴力的に倒し、反対意見を封殺してきたクーデター政権が「民主主義」的であるはずがありません。 このクーデターに反対する東部や南部の人びとが反クーデター闘争を始めたのが内戦の切っ掛けであり、そのクーデター体制をNATO諸国が支援、戦況がクーデター体制にとって悪くなったことからイギリスをはじめとするNATO諸国が関与の度合いを強めています。 2014年2月にバラク・オバマ政権がクーデターを仕掛けた際、簡単にウクライナを制圧できると考えたのでしょうが、東部や南部で想定外の抵抗を受け、戦力増強のために時間を稼がねばなりませんでした。それが「停戦合意」だとされている2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」の実態でした。このことはアンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領も認めています。 そして2022年2月にロシア軍がウクライナに対する攻撃を始めましたが、その前に軍事的な緊張が高まり、反クーデター派が支配している地域への砲撃が報告されています。そうした時にロシア軍が動き、ウクライナ軍部隊や軍事基地、生物兵器の研究開発施設を攻撃し始め、すぐに停戦交渉が始まります。 交渉役はイスラエルとトルコでしたが、そのひとりだったイスラエルのナフタリ・ベネット首相(当時)は交渉の内容を詳しく話しています。彼は2022年3月5日にモスクワへ飛んでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領を殺害しないという約束をとりつけることに成功、その足でベネットはドイツへ向かってオラフ・ショルツ首相と会っているそうです。 SBU(ウクライナ保安庁)のメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームで中心的な役割を果たしていたデニス・キリーエフを射殺したのはその3月5日でした。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われ、やはり停戦でほぼ合意に達しています。その際に仮調印されていますが、「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案をプーチン大統領はアフリカ各国のリーダーで構成される代表団が2023年6月17日にロシアのサンクトペテルブルクを訪問した際に示しています。 そうした流れを断ち切るためにイギリスの首相だったボリス・ジョンソンは2022年4月9日にキエフを急遽訪問、ロシアとの交渉をやめるように指示すると同時に兵器の供与を約束しました。その後、現在に至るまでロシアとの戦争継続をイギリスは強く求め、破壊活動も行っていると伝えられています。 勿論、ブログの中で「ウクライナ要人の暗殺を正当化」などしていません。 今後、NoteやSubstackにも投稿していこうと考えています。櫻井春彦
2025.09.11
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ロシアのアヴィアコン・ジトトランスに所属するIl-76TD輸送機がベネズエラに着陸した。この会社はロシア軍や傭兵会社ワグナーの貨物を輸送したとしてアメリカから「制裁」されている。ベネズエラにはロシア製の防空システムなどがすでに運び込まれていると考えられるが、さらに兵器を持ち込んでいる可能性がある。対艦ミサイルが配備するかもしれない。地上作戦も予想されていることから、ワグナーの戦闘員が輸送されたとも考えられている。 今年5月にモスクワで署名されたロシアとベネズエラの「戦略的パートナーシップ及び協力に関する協定」がロシアで数日前に批准された。この協定はエネルギー、鉱物資源の採掘、輸送、通信を含む政治経済分野、安全保障、テロ対策、過激主義対策における二国間協力を強化するものだとされている。 その間、8月中旬にアメリカのドナルド・トランプ大統領は、認石油埋蔵量が世界最大であるベネズエラの沖へアメリカ海軍の駆逐艦3隻を派遣、軍事侵攻する姿勢を見せた。 ロシアの石油を奪うことに失敗、中東ではイランの体制を転覆させられず、中国との資源戦争で負けているアメリカとしては、ニコラス・マドゥロ政権を倒してベネズエラを征服するしかないのかもしれないが、軍事侵攻すればロシアとの戦争に発展する可能性がある。 ベネズエラの刑務所で誕生したという犯罪組織トレン・デ・アラグアを艦隊派遣の口実にしているが、これは2003年3月にイラクへ軍事侵攻する際に使われた「大量破壊兵器」を思い出させる。この大量破壊兵器話は嘘だった。アメリカの有力メディアがトレン・デ・アラグアを初めて取り上げたのは2024年6月のことで、その頃にはベネズエラへの軍事侵攻作戦が作成されていたのだろう。 アメリカのような帝国主義国は植民地を支配するために代理人を使う。その代理人を「シャボス・ゴイム」と呼ぶ人もいるが、ニカラグアのソモサ一族もそのような役割を演じていた。その独裁体制が1979年7月、サンディニスタによって倒され、アメリカを拠点とする巨大資本の利権が揺らぐ事態になった。そこで、CIAは革命政権を倒す秘密工作を開始する。 CIAは反革命軍を編成したが、それにはソモサ体制の武装集団、国家警備隊の隊員を再編成したFDN(ニカラグア民主戦線)、元サンディにスタのエデン・パストーラをリーダーとするARDE(民主的革命同盟)が含まれていた。 こうした秘密工作を実行する際、工作資金としてCIAは麻薬取引を利用してきた。例えば、ベトナム戦争の時には東南アジア(黄金の三角地帯)のヘロイン、アフガン戦争の際にはパキスタンからアフガニスタンにかけてのヘロイン、そしてラテン・アメリカではコカインだ。その源流はイギリスが中国を侵略するために仕掛けたアヘン戦争だと言えるだろう。 1980年代に入るとアメリカではコカインの流通量が急拡大した。イギリスのオブザーバー紙によると、チリの独裁者オーグスト・ピノチェトの側近たちも関係していたようだ。言うまでもなく、ピノチェトの背後にはアメリカの国家安全保障補佐官だったヘンリー・キッシンジャーがいて、キッシンジャーの命令でCIAの秘密工作部門が動き、1973年9月11日に軍事クーデターを成功させ、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒している。 そのピノチェト体制の軍隊と秘密警察は膨大な量の麻薬を1980年代初頭からヨーロッパへ密輸出、その量は96年と87年だけで12トンに達すると言われている。その密輸を監督していたのは、ストックホルムとマドリッドのチリ大使館に赴任していた秘密警察の担当官だとオブザーバーは伝えている。稼いだ資金はチリの支配者を富ませ、秘密警察SNI(1977年まではDINA)の活動資金になった。 CIAとコントラが麻薬取引に関係しているとする話を最初に伝えたのはAPの記者だったロバート・パリーとブライアン・バーガーであろう。ふたりはコカイン取引の話を嗅ぎつけた。 ふたりは取材を通じ、マイアミのエビ輸入会社「オーシャン・ハンター」がコカイン取引に関係している疑いを持つ。コスタリカの姉妹会社「プンタレナス冷凍」から運ばれてくる冷凍エビの中にコカインが隠されているという噂を耳にしたのだ。この噂が事実だということは、後にアメリカ上院外交委員会の調査で明らかにされた。 コントラ関係者の証言を基にして、コントラが資金調達のためにコカインを密輸しているとする記事をパリーたちは1985年に書いたが、AP本社の編集者がふたりの記事に反発、お蔵入りになりかかる。ところが「ミス」でスペイン語に翻訳され、ワールド・サービスで配信されて世界の人びとに知られることになった。 その後、サンノゼ・マーキュリー紙のゲーリー・ウェッブ記者の書いたコカインとコントラを明らかにする連載記事『闇の同盟』が1996年8月に掲載された。 当初、有力メディアはこの記事を無視していたが、公民権運動の指導者やカリフォルニア州選出の議員はCIA長官だったジョン・ドッチに調査を要求し始めると状況は一変した。ウェッブを攻撃し始めたのだ。 コカインが蔓延していたロサンゼルスではジャーナリストや研究者だけでなく、警察官もCIAと麻薬との関係を疑っていた。1980年代になるとロサンゼルス市警は麻薬取引の中心人物を逮捕するために特捜隊を編成、87年に解散した。その直後からアメリカの司法省は麻薬業者ではなく警察官を調べはじめ、その警察官は1990年頃、税務スキャンダルで警察を追放されてしまう。CIAの存在に気づいていた特捜隊の隊員は目障りだったのだろう。 CIAとコカイン取引の関係を疑う声は広がり、ドッチ長官は内部調査の実施を約束せざるをえなくなる。そして1998年1月と10月、2度に分けて公表された。CIA監察室長による報告書、いわゆる『IGレポート』である。内部調査だという限界はあるが、10月に出た『第2巻』では、CIA自身がコントラとコカインとの関係を認めた。 APの記事はアメリカの議会を動かすことになり、上院外交委員会の『テロリズム・麻薬・国際的工作小委員会(ジョン・ケリー委員長)』が1986年4月、麻薬取引に関する調査を開始。1989年12月に公表された同委員会の報告書でもコントラと麻薬業者との深い関係が明確に指摘されていた。 ドナルド・トランプ大統領が本当に麻薬密輸を根絶させたいと思っているのなら、ラングレーを攻撃しなければならない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.30
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ウクライナ東部の都市で兵站の要衝としても知られているポクロフスクをロシア軍は包囲、残されたわずかな隙間から脱出を試みるウクライナ兵もいるが、全て阻止されていると伝えられている。降伏するか戦死するしかない状態なのだが、そこへウクライナの情報機関GUR(国防省情報総局)が特殊部隊をUH-60Aブラック・ホークで運び、不思議に思う人が少なくなかった。 まず10月28日にGURの特殊部隊11名。この部隊のメンバーがヘリコプターから降り、ロシア軍に殲滅される様子をロシア軍の偵察ドローンが撮影している。10月30日には2機のブラックホークで約20名から24名の特殊部隊員を送り込んだが、最初のケースと同じように殲滅されている。 こうした無謀な作戦を強行したのは、それでも救出を試みなければならない人物、あるいはグループが包囲網の内部にいるからだと考えられている。 NATOの将校という見方もあるが、元CIA分析官のラリー・ジョンソンは、作戦を指揮したのがキリーロ・ブダノフGUR総局長であり、GURは事実上CIAの下部機関であることから、CIAの準軍事組織に属す複数の上級エージェントが閉じ込められていると推測している。ロシア軍は10月下旬までにポクロフスクの約80%を制圧していることから、救出できないと、中にいる人たちは捕虜になるか戦死する可能性が高い。CIAの上級エージェントが拘束されることをドナルド・トランプ政権は望まないだろう。 ちなみに今年8月2日、ロシアのスペツナズ(特殊部隊)はオデッサに近いオチャコフでイギリス陸軍のエドワード・ブレイク大佐とリチャード・キャロル中佐、そしてMI6の工作員ひとりを拘束している。ロシア深奥部に対するミサイル攻撃やテロ攻撃はイギリスの情報機関が指揮していると言われているが、そのMI6はオデッサを拠点にしている。 ベトナム戦争の時に明確になったが、アメリカには二つの戦闘組織が存在している。ひとつ正規軍であり、もうひとつは情報機関と特殊部隊で、指揮系統は全く別だ。1968年3月に南ベトナムのソンミ村でアメリカ陸軍のウィリアム・カリー大尉が率いる小隊に農民が虐殺されたが、これは情報機関と特殊部隊が展開していた農民皆殺し作戦「フェニックス・プログラム」の一環だった。このプログラムを実行したCIAの秘密工作部門は東南アジアのケシを材料にして製造されたヘロインの密輸で資金を稼いでいた。 この作戦が始まったのは、ベトナム戦争が泥沼化した1967年。リンドン・ジョンソン大統領、ディーン・ラスク国務長官、ロバート・マクナマラ国防長官、ジョージ・クリスチャン報道官、ウオルト・ロストウ国家安全保障補佐官、そしてNSC(国家安全保障会議)に所属していたCIAのロバート・コマーが話し合った結果だ。 その直後にコマーはサイゴンへ入り、CIAとMACV(ベトナム軍事支援司令部)が共同でICEXを始動させ、エバン・パーカーを責任者に選んだ。このICEXはすぐに「フェニックス・プログラム」と呼ばれるようになった。その実働部隊としてCIAはPRU(地域偵察部隊)という傭兵部隊を組織している。 SEALs(アメリカ海軍の特殊部隊)の隊員だったマイク・ビーモンによると、PRUを構成していたのは殺人やレイプ、窃盗、暴行などで投獄されていた囚人たちが中心で、フェニックスは「ベトコンの村システムの基盤を崩壊させるため、注意深く計画されたプログラム」だという。 アメリカでCIAと特殊部隊が緊密な関係にあるのは第2次世界大戦中に設置された組織に起因している。 大戦でドイツ軍の主力はソ連へ攻め込んだが、西側に残った僅かな戦力と戦ったのはレジスタンスだった。西側でドイツと戦った国は存在しない。 東部戦線での戦いは1943年2月にスターリングラードでドイツ軍がソ連軍に降伏した時点で勝敗の帰趨は明らかだった。ソ連がドイツへ向かうことだけでなく、レジスタンスの影響力が強くなることが予想されたのだが、レジスタンスの主力はコミュニストだ。そこでイギリスのSOE(特殊作戦執行部)とアメリカのOSS(戦略情報局)内のSOはゲリラ戦部隊のジェドバラを編成する準備を1943年12月にスタートさせ、翌年にフランスで編成された。 大戦後にOSSは廃止されるが、ジェドバラ人脈は生き残り、アメリカでは破壊工作機関OPCや特殊部隊へ流れた。OPCは1950年10月にCIAへ吸収され、翌年1月にはSOを指揮していたアレン・ダレスがCIAは副長官として乗り込んできた。この人脈はNATOの内部へも入り込んだ。このジェドバラ人脈は現在、ウクライナでロシア軍と戦っている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.04
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ウクライナの国家汚職対策局(NABU)は11月11日、ウォロディミル・ゼレンスキーの側近として知られているティムール・ミンディッチが1億ドルを超す汚職を計画した容疑で起訴されたという。ミンディッチはゼレンスキーが設立した制作会社「クバルタル95」の共同所有者。彼の自宅などが家宅捜索されたが、本人は事前に何者かが知らせたようで、逃亡していた。逃亡先はイスラエルだと見られている。2021年から2025年までエネルギー大臣を務めたヘルマン・ハルシチェンコ法務大臣も捜索を受けたと伝えられている。 家宅捜索でアメリカの連邦準備銀行(アトランタとカンザスシティ)の包装が開封されていない状態の紙幣が押収されていることから、アメリカからウクライナへ届いた直後、銀行へ運ばれる前に盗まれた可能性がある。ゼレンスキーのライバルであるペトロ・ポロシェンコ元大統領が率いるウクライナ政党「欧州連帯」は政府解任手続きを開始すると発表した。 ウクライナを舞台とした戦争でウクライナ軍とNATO軍はロシア軍に敗北、ゼレンスキーやその背後にいるイギリスの対外情報機関MI6は追い詰められ、キエフは混乱しているようだ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.13
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厚生労働省は10月24日、8月分の「人口動態統計速報」を発表した。死亡者数は12万3121人。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動が始まる前年の2019年の同じ月に比べて1万1685名増えた。 COVID-19騒動は病原体の特定から全てが「ワープ・スピード」、つまり、ありえない速度で進んできた。まともな調査、研究、分析が実施されたとは思えない。それにもかかわらず、WHO(世界保健機関)は2020年3月11日にパンデミックを宣言、COVID-19は悪霊として世界を徘徊するようになった。 悪霊としてのイメージを広げる出来事のひとつがクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での感染。2020年2月4日に横浜港から出港しようとしていたこの船で患者が見つかり、人びとを恐怖させることになるのだが、「SARSと似た重症の肺炎患者」が街にあふれ、死者が急増するという事態にはならなかった。 2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミック宣言を宣言する直前、NIAID(国立アレルギー感染症研究所)の所長を務めていたアンソニー・ファウチもCOVID-19はインフルエンザ並みとする論文の執筆者に名を連ねていた。 死亡者が急増するのは「COVID-19ワクチン」の接種が始まってからだ。早い段階から帯状疱疹や⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)が報告され、ギラン・バレー症候群による末梢神経の障害が報告されるようになった。2021年4月にはイスラエルで十代の若者を含む人びとの間で心筋炎や心膜炎が発症して注目され、接種前から懸念されていた「ADE(抗体依存性感染増強)」も起こる。 この「ワクチン」は遺伝子操作薬と言うべき薬物で、mRNAを細胞内へ送り込み、そこで細胞にSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)のスパイク・タンパク質を製造させ、抗体を作るというもの。本来短時間で消滅するmRNAを分解されにくく細工、またmRNAを細胞内へ送り込むため、LNP(脂質ナノ粒子)で包んでいる。そこで細胞は年単位でスパイク・タンパク質を製造することになり、免疫をはじめ、人体に深刻な悪影響を及ぼすことになった。 接種が始まって半年ほど後、アメリカのカリフォルニア州サンディエゴ郊外にあるソーク研究所は「スパイク・タンパク質」自体が病気の原因になっている可能性があると発表している。(ココやココ)血管にダメージを与え、ウイルスでなくスパイク・タンパク質が脳へ侵入し、神経にダメージを与えている可能性を指摘したのだが、それは正しかったようだ。 そのほか、LNP自体も副作用の原因になっていると見られている。この物質は人体に有害で、肝臓、脾臓、副腎、そして卵巣に分布すると報告されている。特に懸念されているのは生殖能力へのダメージだ。人類の存続が懸念される事態になっている。 また、スペインのパブロ・カンプラ教授は2021年6月、「mRNAワクチン」の中に「酸化グラフェン」があることを電子顕微鏡などで発見したと発表、11月には周波数の分析で酸化グラフェンが「ワクチン」に含まれていることを確認したと発表している。その論文を読んだドイツの化学者アンドレアス・ノアックは酸化グラフェンでなく水酸化グラフェンだろうと解説したが、その直後に死亡したという。 こうした物質は体に炎症を引き起こすだろうが、「COVID-19ワクチン」は人間が持っている免疫を弱めることも判明している。免疫力が低下すると、通常なら問題にならない微生物が原因で病気になる。つまりAIDS(後天性免疫不全症候群)状態になるわけだ。VAIDS(ワクチン後天性免疫不全症候群)なる造語も使われ始めている。 この「ワクチン」を製造している会社のひとつ、ファイザーの関連文書をアメリカの監督官庁であるFDA(食品医薬品局)は75年間封印しようとした。明るみに出ては困ることが書いてあると認識していたわけだ。 しかし、裁判所は文書の迅速な公開を命令、その内容を分析したサーシャ・ラティポワは2022年初頭、COVID-19騒動はアメリカ国防総省の軍事作戦だと発表した。 ラティポワによると、2020年2月4日にアメリカの保健福祉長官はCBRN(化学、生物、核、放射線)緊急事態に関するふたつの宣言をしている。そのひとつがEUA(緊急使用許可)で、大量破壊兵器が関与する重大な緊急事態を想定、もうひとつはCBRN物質に対する対抗手段を安全性と有効性を確保するため、規制監督なしに使用する許可だ。 つまり医薬品会社は国防総省の契約企業であり、情報開示の義務はない。しかも「COVID-19ワクチン」の接種は軍事作戦であり、何が引き起こされても免責ということになる。 この新薬を接種させる口実に使われたSARS-CoV-2は人工的に作られた可能性が高く、このウイルスに感染した動物は北アメリカで見つかっている。北アメリカの自然界ではシカ、ノネズミ、コウモリを含む5種類の動物が感染していることが判明、それらの種はモンタナ州にあるロッキー・マウンテン研究所で実験動物として使用されていたことが突き止められた。(Jim Haslam, “COVID-19 Mystery Solved,” Truth Seeking Press, 2024) COVID-19騒動で最も重要な点は、「ワクチン」の接種がアメリカの軍事作戦として実施されたということにほかならない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.27
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ウクライナの戦況はNATO諸国の思惑とは違ってロシアの勝利は決定的な状況であり、アメリカのベネズエラへの軍事侵攻計画の前にはロシアが立ちはだかり、イスラエルによるガザでの大量虐殺は世界の庶民から批判されている。そうした中、スーダンで住民が虐殺されていると伝えられている。虐殺していると言われているRSF(即応支援部隊)は一時期、政府側の戦闘部隊として機能していたが、今は反政府軍だ。 スーダンでは1983年から内戦が始まり、2005年まで続いた。その原因は石油にある。1974年にアメリカの巨大石油会社シェブロンが油田を発見したが、1990年代の終盤にスーダンでは自国の石油企業が成長してアメリカの石油企業は利権を失っていき、しかも中国やインドなど新たな国々が影響力を強めた。 そうした時、スーダンの南部ではSPLM(スーダン人民解放軍)が反政府活動を開始。このSPLMを率いていたジョン・ガラングはアメリカのジョージア州にあるアメリカ陸軍のフォート・ベニングで訓練を受けた人物だ。ガラングは2005年に死亡するまでアメリカ政府の影響下にあった可能性が高い。結局、南部は2011年に独立した。アメリカ軍の補完部隊として機能している自衛隊は2012年1月から17年5月にかけて南スーダンへ派遣されている。 フォート・ベニングにあるWHINSEC(かつてSOAと呼ばれた)はラテン・アメリカ各国の軍人に暗殺、破壊工作などのテクニックなどを教えるために設置された施設で、ここの卒業生が帰国してからアメリカの巨大企業の代理人として軍事クーデターを実行してきた。この施設はかつてSOAと呼ばれ、パナマにあったのだが、1984年に現在の場所へ移動、2001年に名称も変更された。 アメリカでは2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃された(9/11)が、それから間もなくしてジョージ・W・ブッシュ政権は先制攻撃計画を作成している。欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めた経験のあるウェズリー・クラークによると、9/11から10日ほど後、彼は統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見たという。そのリストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが記載されていた。スーダンも狙われていたわけだ。(ココやココ) スーダンでは西部のダルフールでも2003年から資源をめぐる戦闘が激化した。ダルフールの地下にも膨大な石油が眠っていると見られているのだ。 当初、欧米の国々は南スーダンの石油利権に集中、ダルフールの殺戮を無視していたが、ネオコンはダルフールへ積極的に介入している。その資源に目をつけた隣国チャドの政府が反スーダン政府のJEM(正義と平等運動)へ武器を供給したことも戦闘を激化させる一因だった。チャドの背後にはイスラエルが存在していると生前、リビアのムアンマル・アル・カダフィは主張していた。 そのスーダンで今、住民が虐殺されている。その理由としてイスラエルの置かれた状況も考えられている。パレスチナ人虐殺で苦境に立つイスラエルを救うため、新たな虐殺事件を引き起こし、人びとの視線をイスラエルからスーダンへ向けさせようとしているのではないかというのだ。 スーダンにおける戦乱ではアメリカやイスラエルが重要な役割を演じてきたが、今回の住民虐殺ではUAE(アラブ首長国連邦)が注目されている。世論を操作するほか、ソマリアのボサソを拠点にしてRSFへ軍事支援しているようだ。ここにきてボサソへはIL-76輸送機がUAEから多数飛来、降ろされた物資は待機中の別の航空機に即座に積み替えられ、近隣諸国を経由してRSFへ送られているとボサソ空港のプントランド海上警察幹部は話している。スーダンにおける虐殺の黒幕はUAEだということになるだろう。 ボサソ空港には複数の軍事施設があるほか、物資と同じように運ばれてきたコロンビア人傭兵を収容するキャンプもある。この傭兵もスーダンへ運ばれ、RSFに合流する。戦場で負傷した戦闘員を治療するための中継基地としてもここは機能している。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.03
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日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯、「御巣鷹の尾根」に墜落したのは今から32年前、つまり1985年の8月12日のことだった。羽田空港を離陸して伊丹空港へ向かっていたこの旅客機には乗員乗客524名が搭乗、そのうち520名が死亡している。この墜落に関して運輸省航空事故調査委員会が出した報告書によると、「ボーイング社の修理ミスで隔壁が破壊された」ことが原因だとされている。隔壁が破壊されたなら急減圧があったはずだが、異常が発生してから約9分後でも123便の機長は酸素マスクをつけていないが、それでも手の痙攣や意識障害はなかった可能性が高い。その当時に出されていた運輸省航空局(現在は国土交通省航空局と気象庁)監修のAIM-JAPAMによると、2万フィートでは5から12分間で修正操作と回避操作を行う能力が失われ、間もなく失神してしまうとされているが、そうしたことは起こっていない。つまり、急減圧はなかった可能性が高い。調査で急減圧実験を担当した自衛隊の航空医学実験隊に所属していた小原甲一郎は、急減圧があっても「人間に対して直ちに嫌悪感や苦痛を与えるものではない」と主張しているが、全く説得力はない。戯言だ。この墜落から10年後の1995年8月、アメリカ軍の準機関紙である「星条旗」は日本航空123便に関する記事を掲載した。墜落の直後に現場を特定して横田基地へ報告したC-130の乗組員、マイケル・アントヌッチの証言に基づいている。大島上空を飛行中にJAL123の以上に気づいたC-130のクルーは横田基地の管制から許可を受けた上で日航機に接近を図り、墜落地点を19時20分に特定、報告している。運輸省に捜索本部が設置されたのはそれから25分後の19時45分であり、捜索を始めた時点で日本政府は日航機の墜落現場を正確に把握していたはずだ。C-130からの報告を受け、厚木基地から海兵隊の救援チームのUH-1ヘリコプター(ヒューイ)が現地に向かい、20時50分には現地へ到着、隊員を地上に降ろそうとしたのだが、このときに基地から全員がすぐに引き上げるように命令されたという。日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。21時20分に航空機が現れたことを確認、日本の救援部隊が到着したと判断してC-130はその場を離れるのだが、日本の捜索隊が実際に墜落現場に到着したのは翌日の8時半。10時間以上の間、自衛隊は何をしていたのだろうか。アメリカ軍の内部では、この墜落に関する話をしないように箝口令が敷かれたというのだが、墜落から10年後にアメリカ軍の準機関紙はその話を掲載した。軍の上層部が許可したのだろうが、箝口令を解除させる何らかの事情が生じた可能性がある。墜落から10年だからということではないだろう。1992年2月にアメリカ支配層は国防総省のDPG草案という形で世界制覇プロジェクトを作成している。1991年12月にはソ連が消滅するとネオコンたちはアメリカが「唯一の超大国」になったと思い込み、潜在的ライバルを潰して「パクスアメリカーナ」を実現しようとしたのだ。この草案は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心に作成されたことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていた。(3月、10月)このドクトリンを実行するのはアメリカの戦争マシーン。当然、日本もこのマシーンに組み込まれる。1994年8月に細川護煕政権の諮問機関「防衛問題懇談会」は「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」を作成するが、これはネオコンの意図するものとは違っていた。そこで1995年2月にジョセフ・ナイ国防次官補は「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を公表する。星条旗紙がJAL123に関する記事を掲載したのはその半年後のことだった。その後、1996年4月に橋本龍太郎首相はビル・クリントン大統領と会談、「日米安保共同宣言」が出されて安保の目的は「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に拡大する。1997年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」で「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになり、1999年には「周辺事態法」が成立する。2000年にナイとリチャード・L・アーミテージ元国防副長官を中心とするグループは「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」を作成・・・というように日本はアメリカの戦争マシーンに引きずり込まれていく。そして2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンのペンタゴンが攻撃され、アメリカは侵略戦争を本格化させる。それと並行する形でジョージ・W・ブッシュ政権は「国防政策の見直し」によってアメリカ軍と自衛隊との連携強化を打ち出し、キャンプ座間にアメリカ陸軍の第1軍団司令部を移転、陸上自衛隊の中央即応集団司令部と併置させ、横田基地には在日米空軍司令部と航空自衛隊総隊司令部を併置させることになった。2002年4月には小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて軍事同盟の対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。2012年にもアーミテージとナイが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表している。アジア安定とはアジア全域を屈服させてアメリカに従わせるということであり、その戦略に日本は協力するということにほかならない。軍事力を使った脅しで屈服させるだけでなく、場合によっては侵略戦争を実行するだろう。バラク・オバマ政権は侵略のためにアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を傭兵として使ったが、東南アジアでもそうした動きがある。中東、北アフリカ、ウクライナで行ったような侵略をアメリカは東/東南アジアでも実行、アメリカ軍や自衛隊が直接、戦争を始めることもありえる。橋本政権から安倍晋三政権に至るまで、その準備が進められてきた。
2017.08.12
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日本がアメリカに従属しているとは言えない。従属している相手はネオコンであり、その背後にいるウォール街やシティ、つまり米英金融資本だ。その支配システムの中心に存在しているセシル・ローズ人脈の拠点はシティだったが、現在、その人脈に地理的な拘束はない。 この支配システムは「帝国主義」と呼ばれていたが、現在の日本では「自由と民主主義」というタグが付けられている。「法に基づく支配」が宣伝されているが、その「法」とは米英を支配している人びとの意志にほかならない。「万国公法」が帝国主義の支配を正当化するルールだったように、「法に基づく支配」は米英巨大資本による支配を正当化するために考えられた呪文だ。 かつて地中海沿岸では文明が発達していた。近代のヨーロッパ文明の源流をそこに求める人もいるようだが、地中海文明はヨーロッパ南部から現在のパレスチナ周辺、そして北アフリカにかけての地域で栄えたのだ。その文明を現代ヨーロッパの中心国へ伝えたのは「十字軍」と名付けられた侵略軍、あるいは強盗団だと言えるだろう。 彼らは財宝だけでなく知識を盗み出し、その知識の中にはギリシャ文明に関するものも含まれていた。十字軍による略奪がなければ、14から15世紀のルネサンスは実現しなかったのではないだろうか。 ヨーロッパが富を蓄積し始めるのはその後。15世紀から17世紀にかけての「大航海」は略奪の時代だった。スペインやポルトガルはそのときにアメリカ大陸を侵略し始め、1521年にエルナン・コルテスは武力でアステカ王国(現在のメキシコ周辺)を滅ぼして莫大な金銀を奪い、インカ帝国(現在のペルー周辺)ではフランシスコ・ピサロが金、銀、エメラルドなどを略奪しながら侵略を続けて1533年には帝国を滅ぼしている。 莫大な量の貴金属を盗んだだけでなく、ヨーロッパの侵略者は先住民を酷使して鉱山開発も行った。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山。1545年に発見されたこの銀山だけで18世紀までに15万トンが運び出されたとされ、スペインが3世紀の間に南アメリカ全体で産出した銀の量は世界全体の80%に達したと言われている。 ただ、略奪の詳細は不明で、全採掘量の約3分の1は「私的」にラプラタ川を経由してブエノスアイレスへ運ばれ、そこからポルトガルへ向かう船へ積み込まれていた。16世紀の後半にスペインはフィリピンを植民地化、銀を使い、中国から絹など儲けの大きい商品を手に入れる拠点として使い始める。(Alfred W. McCoy, “To Govern The Globe,” Haymarket Books, 2021) そうした財宝を運ぶスペインの船を海賊に襲わせ、奪っていたのがイギリスにほかならない。エリザベス1世の時代にイギリス王室が雇った海賊は財宝を略奪しただけでなく、人もさらっていた。 ジョン・ホーキンスという海賊は西アフリカでポルトガル船を襲って金や象牙などを盗み、人身売買のために拘束されていた黒人を拉致、その商品や黒人を西インド諸島で売り、金、真珠、エメラルドなどを手に入れている。こうした海賊行為をエリザベス1世は評価、ナイトの爵位をホーキンスに与えている。 フランシス・ドレイクという海賊は中央アメリカからスペインへ向かう交易船を襲撃して財宝を奪い、イギリスへ戻るが、ホーキンスと同じように英雄として扱われた。女王はそのドレイクをアイルランドへ派遣して占領を助けさせるが、その際、ラスラン島で住民を虐殺したことが知られている。その後も海賊行為を働いたドレイクもナイトになっている。 ホーキンスやドレイクについで雇われた海賊のウォルター・ローリーは侵略者のイングランドに対して住民が立ち上がったデスモンドの反乱を鎮圧するため、アイルランドにも派遣された。ローリーも後にナイトの爵位が与えられている。(Nu’man Abo Al-Wahid, “Debunking the Myth of America’s Poodle,” Zero Books, 2020) 北アメリカへもヨーロッパ人が入り込んでくるが、そこには先住民、いわゆる「アメリカ・インディアン」がすでに生活していた。植民地を建設したイギリス系の人びとはイギリス軍と連合し、アメリカ・インディアンと手を組んだフランス軍と1754年から63年にかけて戦っている。 その後、植民地とイギリスが対立、1773年にはボストン港に停泊していた東インド会社の船に積まれていた茶箱を投棄されている。いわゆる「ボストン茶会事件」だ。1775年にはイギリス軍と植民地軍が軍事衝突、植民地側は76年に独立を宣言した。 その宣言には「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳われているが、先住民は人間として扱われていない。勿論、奴隷も人間として扱われていない。過酷な南部の綿花栽培で使われたアフリカ系の奴隷だけでなく、ヨーロッパ系やアジア系の奴隷もいて、「白人年期奴隷」という表現もある。 ヨーロッパからの移民たちはアメリカ・インディアンを虐殺しながら支配地域を東から西へ拡大させ、1890年12月には「フロンティアの消滅」が宣言された。その時、サウスダコタのウンデッド・ニー・クリークにいたスー族を騎兵隊が襲撃し、150名から300名を虐殺している。「自由と民主主義」を掲げる「正義の国」は虐殺されたアメリカ・インディアンの屍の上に築かれたのだ。 そうした殺戮の最中、徳川政権は日米修好通商条約の批准書交換のために遣米使節団を派遣した。その時に咸臨丸も同行、使節団がサンフランシスコに到着したのは1860年3月のことだ。そこで彼らが見たアメリカを民主主義国と表現することはできない。その使節団に加わったひとりが後にアジア侵略を主張しているが、必然かもしれない。 イギリスはその前に中国(清)を侵略しようとしている。インドを侵略、大儲けしていたイギリスだが、経済力で中国に太刀打ちできない。そこで中国にアヘンを売りつけ、1839年から42年にかけて「アヘン戦争」を仕掛けている。1856年から60年にかけては「第2次アヘン戦争(アロー戦争)」を行った。当時、イギリスとアメリカはライバル関係にあったが、アヘン戦争にはアメリカ人も加わり、麻薬取引で大儲けしていた。 こうした戦争でイギリスは勝利したものの、征服はできなかった。戦力が足りなかったからだ。そこで目をつけたのが侵略拠点としての日本列島であり、傭兵としての日本人だ。イギリスは長州と薩摩を利用して徳川体制を倒す。これが明治維新であり、天皇制官僚体制の始まりだと言えるだろう。この構図は第2次世界大戦後も維持されている。
2023.08.08
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イスラエルとハマスが合意した42日間の停戦協定は1月19日に発効したが、ハマスの幹部によると、イスラエルはガザ上空に偵察ドローンを継続的に飛ばし、非武装の住民に対して発砲するなど協定違反が発生している。ガザでは停戦が発表されてから24時間以内に122人の遺体が病院へ運ばれたという。 この協定が締結される際、ドナルド・トランプが中東特使に指名したスティーブン・ウィトコフが中心的な役割を果たし、トランプ政権に期待する声もあがったが、早くも行手に暗雲が垂れ込めている。 イスラエルの退役軍人で構成され、占領地での実態を告発する支援をしている団体「ブレイキング・ザ・サイレンス」によると、ヨルダン川西岸の都市ジェニンではイスラエル軍による大規模な軍事作戦が展開され、空爆とインフラの破壊で「ガザ化」されつつあると警告している。 また、トランプはウクライナでの戦闘をすぐに終えさせると言っていたが、最近は100日という数字を示している。ウラジミル・プーチンがトランプの提案を拒否した場合、ロシアに対するさらなる「制裁」とウクライナへの軍事援助で圧力をかけるという。リンドン・ジョンソンが偽旗作戦で始めたベトナム戦争を終えるためにリチャード・ニクソンが行ったようなことをするというわけだ。 しかし、トランプの方針はロシアが疲弊しているということが前提になっている。その前提が間違っている。彼は100万人近いロシア兵が戦死、ウクライナ兵の戦死者は約70万人だと主張しているが、さまざまな情報から考えて、これはありえない。 2014年2月にバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使い、キエフでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、その直後からヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部では反クーデターの住民が動き始めた。クリミアでは住民投票を経てロシアと一体化、東部では武装闘争が始まったのだが、その時点で軍や治安機関の約7割がクーデター体制を拒否して離脱、一部は反クーデター軍へ合流したとされている。そのまま内戦が続けば反クーデター軍が勝利、ネオ・ナチ体制が崩壊する可能性があった。 そこで、クーデターを仕掛けた西側としては、クーデター体制の戦力を増強するための時間が必要だった。兵器を供給、兵士を訓練するだけでなく、ヒトラーユーゲントのような年少者を育てる仕組みを作った。戦闘技術だけでなく、ナチズムを叩き込んだのである。時間稼ぎに使われたのが「ミンスク合意」にほかならない。 アンゲラ・メルケル元独首相は2022年12月7日、ツァイトに対して「ミンスク合意」は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めた。その直後にフランソワ・オランド元仏大統領はメルケルの発言を事実だと語っている。アメリカ/NATOは8年かけてウクライナの戦力を増強した。 2022年に入ると、キエフ政権は東部の反クーデター派住民を攻撃する動きを見せた。ミンスク合意から8年後のことだ。ロシア軍が動いたのはその直後だった。当初、ロシア軍は戦闘の準備ができていなかったことから数的に劣勢だったが、ウクライナ軍を圧倒する。 ウクライナ政府はロシア政府と停戦交渉を開始、ほぼ合意したが、それをイギリス政府やアメリカ政府が妨害した。さらにイギリスの情報機関MI6はウォロディミル・ゼレンスキー大統領の周辺からウクライナ人を排除、イギリス人を配置した。 イギリスやアメリカはロシアを過小評価し、自分たちを過大評価。そしてウクライナのNATO化が促進される。NATO諸国は簡単に勝てると信じていたようだが、そうした展開にはならない。2022年9月21日にはロシア政府が部分的動員を発表。その動員で約30万人が集められ、訓練を実施されたが、実際に戦線へ投入された兵士はそのうち数万人にすぎず、ローテーションさせながら余裕を持って戦っている。 ウクライナ軍が壊滅的な状況になっていることをイギリスのベン・ウォレス前国防大臣は2023年10月1日、テレグラフ紙に寄稿した記事の中で明らかにしている。 ウォレスによると、その当時、ウクライナ兵の平均年齢はすでに40歳を超えていると指摘、もっと多くの若者を前線へ送り出せと要求している。それだけ兵士が死傷しているということだ。ウクライナの街頭で徴兵担当者に拉致される男性の映像がインターネットで流されている。ロシア兵の死傷者数はウクライナ兵の1割程度というのが常識的な見方である。 ウクライナは兵士も兵器も枯渇し、街頭では男性が拉致され、そうした光景を撮影した映像がインターネット上を流れている。不十分な訓練で最前線に送られ、1、2カ月で83%が戦死しているとネオコン系シンクタンクのISWも伝えている。 アメリカ/NATOにとってウクライナはロシアを疲弊させるための道具にすぎず、ウクライナ人に対し、最後にひとりまでロシア軍と戦えと命じている。 ロシアが経済的にも疲弊していないことはロシア在住のアメリカ人などがインターネットで伝えていたが、ジャーナリストのタッカー・カールソンはウラジミル・プーチン露大統領のインタビューだけでなく、モスクワの豊かな生活を伝えている。トランプもこうした話を知っていそうなのだが、彼の発言を聞く限り、知らないようだ。 元CIA分析官のラリー・ジョンソンもトランプがロシア人の死傷者数を100万人以上だとした発言を誤解だと指摘、彼がデタラメを言ったのか、CIAがトランプか彼のスタッフに嘘を教えたのかだとしている。 かつてリチャード・ニクソンは自分たちが望む方向へ世界を導くため、アメリカが何をしでかすかわからないと思わせれば良いと考え、イスラエルのモシェ・ダヤンの場合、イスラエルは狂犬のようにならなければならないと語ったという。ネオコンは「脅せば屈する」と信じた。そしてトランプは強面の発言が中国やロシアとの交渉で効果的だと本気で信じているのかもしれないが、本ブログでは繰り返し書いてきたように、中露には通用しない。 ドワイト・アイゼンハワーやニクソンは交渉相手を核兵器で脅して成功した(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)が、ロシアを脅せば、核戦争の引き金になりかねない。 おそらく、トランプの背後にはネオコンの戦術を危険だと考える支配層グループが存在している。トランプもアメリカを中心とした支配システムを壊そうとはしていないはずだが、今、その支配システムは崩れ始めている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.01.23
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イランのアッバス・アラグチ外相は6月23日早朝、モスクワに到着した。ウラジミル・プーチン露大統領を含むロシア政府の高官と重要な会談を行うためだとされている。到着した際、外相は記者団に対し、「イランとロシアがより緊密で、より的確かつ真剣な協議を行うことが不可欠だ」と述べた。これは6月22日にアメリカ軍が実行したイランの核施設に対する空爆を受けての訪問だ。 プーチン大統領は防空能力の強化、情報提供、そしてイランの核エネルギー生産能力増強といった支援をする用意があると発言していることから、イラン側が要望すればS-400を含む高性能の防空システムも供与されるだろう。こうしたロシア製兵器の提供をイランは自尊心からこれまで拒んでいたとされている。イランがロシアの支援を受け入れ、戦略拠点周辺にS-400システムを配備した場合、アメリカ軍にとっても厄介だ。 アメリカのダン・ケイン統合参謀本部議長によると、この作戦の暗号名は「ミッドナイト・ハンマー」。B-2戦略爆撃機7機、偵察機、空中給油機、戦闘機などを含む125機以上の航空機が参加、6発の大型地中貫通爆弾(バンカー・バスター)GBU-57を核濃縮施設に投下、さらに潜水艦から20発以上のトマホーク巡航ミサイルを発射したとされている。こうした攻撃直後にイランの外相は自分のところへ飛んでくると予想していたマルコ・ルビオ国務長官は不満を抱いているという。 アメリカ政府はイランの核開発計画を消滅させたとしているが、重要な施設はほとんど被害を受けていないとも言われている。イラン国家核安全保障システムセンターは放射能汚染や漏洩の兆候を確認していないと発表、国際原子力機関(IAEA)も攻撃された3ヵ所の核施設で放射線量の上昇は報告されていないとしている。イラン国営のIRIBによると、貯蔵されていた濃縮ウランなどは事前に安全な場所へ移動させていたという。GBU-57でも1発だけなら破壊できないとされていたが、6発でもダメだったのかもしれない。 今回の攻撃でイランが屈服せず、戦闘が長期化すると、イスラエルやアメリカにとって面倒なことになる。イスラエルが保有する防空ミサイルは10日から12日程度でなくなると言われているのだ。イランはイスラエルに防空ミサイルを使い切らせるため、旧式で性能の劣るミサイルから使ってきた。イランが高性能ミサイルを使うのはこれからだと考えられている。しかもイスラエルはイランの攻撃で石油精製能力を失い、燃料危機に直面している。 イスラエルは石油精製施設だけでなく、テルアビブにあるイスラエルの情報機関モサドの本部や軍情報部アマンの兵站拠点もイランの発射したミサイルの直撃を受け、破壊された。イスラエル政府は、イランによるイスラエルへの攻撃による打撃や被害の撮影を禁止したが、路上やバルコニーから攻撃や被害の様子を撮影、発信する人を取り締まることは至難の業。イスラエルの破壊された市街の様子が世界に発信されことを防ぐことは困難だ。 すでに発信された写真から、イランはイスラエル軍のICTキャンパス(ガブ・ヤム・ハイテクパークの一部)、そして数千人のイスラエル軍・治安部隊員の住宅も破壊されたと推測されている。アメリカの大手企業で、イスラエルと緊密な関係にあるマイクロソフトのオフィス付近で火の手が上がっている映像も流れた。アメリカだけでなく、イギリス、フランス、ドイツといった対イラン攻撃に協力している国も今後、厳しい状況になりそうだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.24
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韓国では6月4日から大統領を務めている李在明はロシアや朝鮮との関係改善を図りつつあり、韓国のメディアによると、アメリカ、欧州諸国、日本、中国、インド太平洋地域に加え、ロシアへの特使派遣を検討している。前任者の尹錫悦はアメリカの意向に従い、中国やロシアを「仮想敵」とするアメリカ、日本、韓国の「三国同盟」を推進していたことを考えると、大転換だ。 尹錫悦は検事時代の2016年、大統領だった朴槿恵を巻き込む崔順実スキャンダルの捜査を指揮、これは朴大統領弾劾につながった。中国との関係を重要視、弾道ミサイル迎撃システムのTHAAD(終末高高度防衛)を配備することに難色を示していた朴槿恵をアメリカのバラク・オバマ政権は嫌っていた。 アメリカ大統領がバラク・オバマからドナルド・トランプへ交代になった2017年4月、THAADは強引に韓国へ持ち込まれた。当時、尹錫悦によって朴槿恵政権は麻痺していた。そして尹は2017年5月から19年7月までソウル中央地方検察庁検事長を務めることになる。 ソウル中央地検の検事正になった尹錫悦は李明博元大統領や梁承泰元最高裁長官を含む保守派の主要人物を逮捕、文大統領の信頼を得て検事総長に就任するのだが、彼はアメリカから嫌われていた文在寅政権を攻撃し、文大統領に近く次期大統領候補と目されていた曺国法務部長官を起訴、曺を辞任に追い込んだ。この過程で「正義の人」というイメージができた尹錫悦は2022年5月に大統領となり、彼の指揮で検察は民主党の李在明党首を収賄容疑で捜査しはじめる。 一方、日本はアメリカ国防総省の戦略に従い、2010年代に対中国戦争の準備を進めている。その一環として自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させている。その間、韓国へTHAADを持ち込んだわけだ。 南西諸島にミサイル発射基地が建設されつつあった2017年11月、アメリカはオーストラリア、インド、日本とクワドの復活を協議、18年5月にはアメリカ太平洋軍をインド太平洋軍へ名称変更した。 尹錫悦はネオコンの意向に従って中国やロシアとの関係を悪化させていくのだが、必然的に韓国経済は悪化してしまう。その結果、国民の支持率は下落、20%を切る頃には10万人の市民が街頭で抗議活動を展開して尹大統領の辞任を要求、妻の金建希が引き起こしたスキャンダルでも大統領は苦しむことになる。 追い詰められた尹錫悦大統領は2024年12月3日にソウルの大統領室庁舎で緊急談話を発表、朝鮮に追従する「従北勢力を撲滅し、自由憲政秩序を守るため非常戒厳を宣布する」と宣言、朴安洙陸軍参謀総長を戒厳司令官に任命した。その戒厳司令官は国会、地方議会、政党の活動、そして政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁じ、すべてのメディアと出版は戒厳司令部によって統制されると発表している。 しかし、この戒厳令宣言に反対する人びとが抗議活動を開始、宣言から数時間後に議会は議員300人のうち190名が出席して戒厳令を撤回させる動議を全会一致で可決した。その際、体当たりで議場へ入ろうとした兵士を阻止した人もいたという。 その議決を受けて議会の禹元植議長は戒厳令宣言の無効を宣言、与党「国民の力」の韓東勲代表も「戒厳令に基づき軍と警察が公権力を行使することは違法」と発言している。禹議長が撤退を要請した後、軍と警察のメンバーが議会の敷地から立ち去る様子が見られた。 こうした経過をたどり、大統領に選ばれた李在明が中国やロシアとの関係修復を目指しているのだが、そうした中、ロシアと朝鮮との関係が急速に強まっている。 今年6月26日にロシア軍のバレリー・ゲラシモフ参謀総長はクルスクでの戦闘に朝鮮軍の部隊が参加したことを認め、「戦闘において高い専門性、堅忍不抜、勇気、英雄主義を発揮した」と称賛している。朝鮮軍は昨年12月に発効したモスクワと平壌間の包括的戦略パートナーシップ協定に基づき、派遣された。その規模を西側は約1万2000人だと主張していた。実際、1万から1万3000人程度が派遣されたと見られ、帰国後にその経験を軍全体に伝えることになるだろう。逆に、日本やアメリカの政府が自衛官に実戦を経験させようと考えても不思議ではない。 ウクライナ軍は2024年8月にクルスクへ軍事侵攻したが、当初からこれは「自爆攻撃」だとも言われていた。予想通りウクライナ軍は壊滅的な打撃を受け、死傷者は7万6000人以上に達したと推測されている。 ウクライナ軍もこうした展開を予想していたが、キエフ政権はロシア政府との交渉材料にしようと目論み、強行して多くの犠牲者を出すことになったようだ。クルスク原子力発電所を制圧し、ロシア政府との交渉材料にしよとしたと考える人もいる。 しかし、ウラジミル・プーチン露大統領は4月26日、クルスクからウクライナの侵攻軍を一掃したと発表した。朝鮮軍の参加が戦況に影響を及ぼしたとは考えられないが、意味は小さくない。朝鮮軍の将兵が実戦を経験できたということだ。ちなみに、兵器の近代化を進めている中国軍の弱点は将兵に実戦の経験がないことだとも言われている。 アメリカ主導で西側諸国は東アジアで中国やロシアに対する軍事的な圧力を強めてきた。日本のミサイル発射施設の建設もその一環で、朝鮮軍のウクライナへの派兵はそれに対抗する準備のひとつだろう。 そのウクライナの状況を見れば、アメリカに操られて戦争に突入すると自国を破滅させることになることがわかる。アメリカやイギリスの支配層にとって「同盟国」は敵である中国やロシアを疲弊させ、破壊するための道具にすぎない。李在明大統領はこうした流れにブレーキをかけて経済発展に繋げようとしているのだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.07.07
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アメリカのスコット・ベッセント財務長官10月15日、日本がロシアからのエネルギー輸入を停止することを期待すると加藤勝信財務大臣に伝えたという。日本がロシアからLNG(液化天然ガス)を輸入していることにドナルド・トランプ大統領が苛立っているようだ。そのトランプは今月下旬に東京を訪問する。 この件に関し、加藤大臣は「ウクライナ和平を公正な方法で実現するため、G7諸国と連携するという基本原則に基づき、日本としてできることはすべて行う」と述べた。 ロシアからドイツへ天然ガスをバルト海経由で輸送するために建設されたパイプライン、「ノードストリーム(NS1)」と「ノードストリーム2(NS2)」が爆破されたのは2022年9月26日から27日にかけてのこと。このテロ工作でドイツの製造業は壊滅的な打撃を受け、社会は崩壊しつつあるが、その影響はヨーロッパ全域に広がっている。この冬の寒波が襲来した場合、壊滅的な状況になりかねない。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2023年2月8日、アメリカ海軍のダイバーがノルウェーの手を借りてノードストリームを破壊したとする記事を発表している。ジョー・バイデン大統領は2021年後半にジェイク・サリバン国家安全保障補佐官を中心とする対ロシア工作のためのチームを編成、そして2022年初頭にはCIAがサリバンのチームに対し、パイプライン爆破を進言して実行されたというのだ。 ロシア連邦保安庁(FSB)の元長官で、現在は大統領補佐官を務めているニコライ・パトルシェフは9月7日、NS1とNS2の爆破テロは高度に訓練されたNATO特殊部隊の関与のもとで計画、監督、実行された可能性が高く、実行犯は深海での作戦経験が豊富で、バルト海での活動にも精通していたとしている。こうした条件に合致する情報機関として彼はイギリスの特殊舟艇部隊(SBS)を挙げている。 状況を考えると、アメリカかイギリスの情報機関や特殊部隊が実行した可能性が高いのだが、そもそもバラク・オバマ政権が2013年11月から14年2月にかけてキエフでクーデターを仕掛けた理由のひとつは、ロシア産天然ガスをヨーロッパへ運ぶパイプラインを抑えることにあったと見られている。そのウクライナを迂回するために建設されたのがNS1とNS2だった。 その2022年、サハリンでの天然ガス開発に参加している日本にもアメリカから圧力がかかっていた。このプロジェクトから手を引くように日本や欧米の企業にアメリカ政府は圧力をかけ、エクソンモービルは2022年3月にロシア事業からの撤退を決めているのだが、日本は継続を決めている。 プロジェクトのひとつであるサハリン1の場合、エクソンモービルが運営権益30%を保有、日本のサハリン石油ガス開発も同じく30%を保有していた。サハリン石油ガス開発には経済産業省、伊藤忠商事、丸紅、石油資源開発などが共同出資している。エクソンモービルはアメリカ政府の圧力で撤退を決めた。 もうひとつのプロジェクトであるサハリン2では2022年8月に三井物産と三菱商事が新たな運営会社であるサハリンスカヤ・エネルギヤに出資参画することを明らかにした。出資比率はそれぞれ12.5%と10%。27.5%を保有していたイギリスのシェルは同年2月に撤退、ロシアのガスプロムが50%プラスから77.5%へ増加している。 日本はロシア産天然ガスの開発を重要だと認識、アメリカの圧力を跳ね除けて出資を継続したのだろうが、その決定が発表される直前、2022年7月8日に安倍晋三は射殺された。 ウクライナではロシア軍の進撃スピードが速まり、NATO/アメリカは苛立っている。2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」で西側諸国に煮湯を飲まされたロシアは停戦に応じる気配は感じられない。 アンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領は、ミンスク1やミンスク2はキエフ政権の戦力を増強する時間稼ぎが目的にすぎなかったことを認めている。 ドナルド・トランプ米大統領は、ロシアの収入源である天然ガスや石油のマーケットを潰し、クレムリンに圧力を加えて停戦に持ち込もうとしているのだろうが、すでにアメリカの「制裁」がロシアや中国より西側諸国に大きなダメージを与えることが明確になっている。 日本にとって、2023年時点でロシアからのLNG輸入量はオーストラリアとマレーシアに次ぐ第3位。総輸入量の9.3%を占めていた。日本がロシアからのエネルギー輸入を停止した場合、日本も厳しい冬を過ごさなければならない。 トランプはインドのナレンドラ・モディ首相がロシアから石油を購入しなくなることを確約したと宣伝したが、これまでの流れから考えて疑問だ。これが事実なら、インドのエネルギー戦略が劇的に転換することを意味するのだが、この発言の翌日、エネルギー政策の選択は国民の利益に基づいているとインド政府は改めて表明した。エネルギー価格の安定と安定供給の確保がエネルギー政策の優先事項だとしているインド政府は割安なロシア産原油に依存している。この状況が変化したとは思えない。トランプ大統領はプロレスのマイクパフォーマンスをまた行ったという見方もある。【追加】インド外務省のランディール・ジャイスワル報道官は10月16日の記者会見で、10月15日にインドとアメリカの首脳が会談したとは承知していないと語った。BRICSが崩壊するという話も含め、ドナルド・トランプ米大統領の話は何者かの作り話だということであろう。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.17
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ロシア軍がポクロフスクを制圧、掃討作戦を始めていると伝えられている。ウクライナの情報機関GUR(国防省情報総局)が特殊部隊をUH-60Aブラックホークで送り込み、救出しようとしたCIAの上級工作員、あるいはNATOの将校がどうなったかは不明だ。 ポクロフスクから離れた場所を訪問、ポクロフスクを視察したと宣伝していたウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー統合軍事作戦司令官はロシア軍と戦い続けるように命じていたが、投降するウクライナ兵も少なくないようだ。 ふたつの幹線道路が通っているポクロフスクは軍事的な要衝で、ここがロシア軍に制圧されるとウクライナ軍の補給路全体が危機に瀕する。これまでロシア軍は自軍兵士の死傷者を少なくするため、慎重に動いたきたが、この要衝が陥落したなら、進撃のスピードが上がる可能性もある。 そうした中、キエフ政権はドナルド・トランプ政権に対し、最大射程2500キロメートルという「トマホーク」の供与を求め、一時期、トランプ大統領はその要請を受け入れるかのような発言をしていたが、ウラジミル・プーチン露大統領と電話会談した後、姿勢を変えて消極的になった。ロシアが軍事的にも経済的にも苦しいとネオコンが説明、それを信じてトマホーク供与へ傾いたのだろうが、後に正しい戦況を聞いて方針を変えたのだろう。 トランプ大統領がトマホークを供与しないと言い始めると、イギリス政府はウクライナへ射程距離250キロメートルから560キロメートルの「ストームシャドウ」を追加供与したと伝えられている。 ウクライナ政府がロシア政府と停戦で合意した直後の2022年4月9日にイギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込み、ロシアとの停戦交渉を止めるように命令(ココやココ)して依頼、イギリスは一貫してロシアとの戦争を推進している。2023年にはストームシャドウをウクライナへ供与、ロシア領の深奥部を攻撃できる態勢を整えたのもイギリスにほかならない。 トランプ政権はベネズエラを軍事侵攻する姿勢を見せていたが、そのベネズエラはロシアと戦略的パートナーシップ及び協力に関する協定」を締結、ロシアは批准している。 ロシアのアヴィアコン・ジトトランスに所属するIl-76TD輸送機がベネズエラへ何かを運んできたが、この会社はロシア軍や傭兵会社ワグナーの貨物を輸送したとしてアメリカから「制裁」されていることから軍事物資、あるいは戦闘員を運んできたと言われている。 ベネズエラにはロシア製の防空システムなどがすでに運び込まれていると考えられるが、さらに兵器を持ち込んでいる可能性がある。対艦ミサイルが配備するかもしれない。大統領の警護、あるいは治安対策でワグナーの戦闘員が輸送されたかもしれない。 ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領はロシアとの関係を誇示、アメリカが軍事侵攻した場合にロシア軍が出てくることを示唆した。ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官によると、ベネズエラの主権を守るためにロシアは「どんなことでもする用意がある」という。実際にアメリカがベネズエラを軍事的に攻撃した場合、そのアメリカがウクライナを含むロシアの周辺で行っているようなことをロシア軍が行うという警告かもしれない。中国やイランもベネズエラを支援している。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.05
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リチャード・チェイニー元米副大統領が11月3日に死亡した。ジェラルド・フォード政権(1974年8月から77年1月)の時に表舞台へ登場してきたネオコンの大物だ。 フォードはリチャード・ニクソン大統領がウォーターゲート事件で失脚したことを受け、副大統領から昇格したのだが、元々の副大統領はスピロ・アグニュー。そのアグニューが1973年10月にスキャンダルで辞任に追い込まれ、選挙を経ずに副大統領、そして大統領になった。 ニクソン大統領はデタント(緊張緩和)政策を打ち出していたが、フォード政権はデタント派を粛清していく。その中でも重要な意味を持つと考えられているのは、国防長官とCIA長官の交代だ。 国防長官は1975年11月にジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ交代、CIA長官は76年1月にウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。一連の粛正は「ハロウィーンの虐殺」と呼ばれている。チェニーはラムズフェルドの後任として1975年11月から大統領首席補佐官を務めた。 この粛正を主導したのは大統領首席補佐官だったラムズフェルドと大統領副補佐官だったチェイニーだとされているが、その背後にはポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターを中心とするグループが存在した。この人脈は後にネオコンと呼ばれるようになる。ラムズフェルドとチェイニーはロナルド・レーガン政権で地下政府プロジェクトのCOGに参加。レーガン大統領は1982年にNSDD55を出してCOGプロジェクトを承認、NPO(国家計画局)が創設された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007) ジョージ・H・W・ブッシュが大統領だった1991年にソ連が消滅、その翌年の2月に世界制覇を打ち出したDPG草案(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)が作成された。作成の中心になったのはネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官だが、その時の国防長官はチェイニーにほかならない。 2001年1月にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとはショックで茫然自失、それを利用してブッシュ・ジュニア政権はCOGを始動させ、軍事侵略を開始する。 ブッシュ政権は統合参謀本部の反対意見を押し切り、2003年3月にイラクを攻撃するが、計画通りには進まなかった。そこで同政権は2007年に方針を変更、ズビグネフ・ブレジンスキーのように、スンニ派の傭兵を利用することにする。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事によると、ブッシュ・ジュニア政権は中東における最優先課題をイランの体制転覆におき、レバノンで活動しているイラン系のヒズボラ、イランの同盟国であるシリアを殲滅、そしてイランを倒すという計画を立てる。その手先としてスンニ派を使おうということだ。その中にはフセイン政権の軍人も含まれた。 この工作で中心的な役割を果たしたのは副大統領だったチェイニー、副国家安全保障補佐官のエリオット・エイブラムズ、2007年4月までイラク駐在米大使を務め、国連大使に内定していたザルメイ・ハリルザドで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの人脈と重なる。(Seymour M. Hersh, “The Redirection,” The New Yorker, March 5, 2007) この新しい工作にはイスラエルとサウジアラビアが参加するのだが、記事の中でジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルはサウジアラビアが動員するサラフィ主義者やムスリム同胞団は最悪の集団だと警告している。(Seymour M. Hersh, “The Redirection,” The New Yorker, March 5, 2007) その後も状況が好転しないまま2009年1月からバラク・オバマ政権が始まる。オバマは師にあたるズビグネフ・ブレジンスキーの戦法を採用し、CIAの訓練を受けた戦闘員で武装集団を編成、その集団に戦わせようというのだ。 その戦闘員の登録リストが「アル・カイダ」にほかならないとイギリスの外相を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが05年7月に書いている。CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リスト、あるいはデータベースが「アル・カイダ」だというのだ。 オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を使った体制転覆作戦を始動させる。そして引き起こされたのが「アラブの春」。その流れの中でアメリカ、イギリス、フランスを含む国々がリビアやシリアに対する軍事侵略を始めた。 2011年2月に侵略戦争が始まったリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は同年10月に倒され、カダフィ本人はその際に惨殺された。その際にアル・カイダ系武装集団のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)とNATO軍の連携が明らかになる。反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられていた。 ジャーナリストのロン・サスキンドによると、例えばパキスタンの科学者がアル・カイダの核兵器製造開発を支援している可能性が1%あれば、それを前提に対応するべきだと主張した。いわゆる「1パーセント・ドクトリン」だ。(Ron Ruskind, “The One Percent Doctrine,” Simon & Schuster, 2006) 気に入らない相手は捻り潰せということだが、1991年12月にソ連が消滅した段階でアメリカが唯一の超大国になったとネオコンは認識、好き勝手に振る舞える時代になったと考えたのだ。 ところが、21世紀に入り、ウラジミル・プーチンがロシアの大統領に就任した後、ロシアが急速に経済力や軍事力を回復させ、新たなアメリカのライバルとして登場してきた。アメリカは軌道修正しなければならなかったのだが、ネオコンはそのまま突っ走ろうとする。そこでロシアを再属国化させようとするのだが、全て裏目に出た。ロシアは成長し、アメリカを含む西側諸国は衰退している。そうした道を切り開いたのはチェイニーだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.06
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楽天ブログの「櫻井ジャーナル」へアクセスしにくくなっているという声を聞きます。そうした方は、下記へアクセスしてみてください。【Sakurai’s Substack】https://sakuraiharuhiko.substack.com/【櫻井ジャーナル(note)】https://note.com/light_coot554************************************************** ウクライナでロシア軍が攻勢を強めている。これまで慎重に戦ってきたロシア軍だが、兵站にとって重要な場所であるポクロフスクを制圧したこともあるのだろう。ウクライナ軍を率いているNATO軍の部隊に対する攻撃も目立つようになった。 ロシアのウラジミル・プーチン大統領は今年8月15日、アメリカのドナルド・トランプ大統領とアラスカのアンカレッジで会談したが、その後、米大統領がウクライナの戦況やロシアの経済状況について正確な情報を得ていないことを認識、話し合いでの解決を断念したのかもしれない。 ロシア軍は2022年2月24日からウクライナ軍をミサイルなどで攻撃しはじめたが、その際、アメリカの国防総省が建設していた生物兵器の研究開発施設も破壊している。国防総省のDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が約30カ所あったというのだ。その前からロシア政府はアメリカがウクライナで生物化学兵器の研究開発を進めていると非難していたので、ロシア軍は意図的にDTRAの施設を攻撃したのだろう。 ロシア政府はアメリカ軍がロシアとの国境に近いウクライナ領内で生物化学兵器の研究開発を行っていることを前から知っていた。ウクライナでクーデターが始まった2013年、アメリカ国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれ、実際、建設されている。 ジャーナリストのディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があり、各研究所は2010年から13年の間に建設されたという。 ロシア軍は2022年2月の攻撃でウクライナ側の機密文書を回収している。そうした文書の分析でアメリカが「万能生物兵器」を開発していたことが判明したと2023年4月に発表された。人だけでなく動物や農作物にも感染でき、大規模で取り返しのつかない経済的損害を与える遺伝子組換え生物兵器を開発していたというのだ。そうした兵器を秘密裏に標的を絞って使い、「核の冬」に匹敵する結果をもたらすことが目的だ。 ロシア軍の攻撃でウクライナに建設されていた生物化学兵器に関する施設も破壊されたはずで、資料やサンプルをウクライナ国外へ避難させただけでなく、新たな施設を建設しているようだ。そのひとつが日本ではないだろうか。 アメリカ国防総省がウクライナにそうした施設を建設した理由のひとつは、同国がロシアの隣にあるからだと考えられる。生物兵器をロシアに撒布しやすいということだ。ロシアとならぶアメリカの敵国である中国に近く、そうした兵器を撒きやすい国には韓国、台湾、そして日本が挙げられる。 その日本には「万能生物兵器」とも考えられる「レプリコン・ワクチン」の製造工場が存在、またBSL4(バイオセーフティレベル4)というエボラウイルのような最も危険だと分類されている病原体を研究する実験施設も作られている。ひとつは国立健康危機管理研究機構(前身は国立感染症研究所、その前は国立予防衛生研究所)の村山庁舎、そして長崎大学も指定された。ただ村山庁舎は周辺住民の反対が強いということもあり、新宿区戸山にある「財務局若松住宅」へ移転させる計画がある。予防衛生研究所は1992年、新宿区戸山の厚生省戸山研究庁舎へ移転しているが、そこは陸軍軍医学校があった場所だ。軍医学校は東京帝国大学や京都帝国大学の医学部と共同で生物化学兵器の研究開発を行っていた。 日本で生物化学兵器の研究開発が始められたのは1933年のこと。正確なデータを得るために生体実験が実施されたが、そのために編成された部隊のひとつが「関東軍防疫給水部」。「加茂部隊」とも呼ばれ、責任者は京都帝大医学部出身の石井四郎中将が務めた。後ろ盾は小泉親彦軍医総監だったという。 その後「加茂部隊」は「東郷部隊」へと名前を替え、1941年には「第七三一部隊」と呼ばれるようになった。生体実験には捕虜として拘束していた中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人が利用されている。うした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んでいた。 この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めた人物が石井四郎。途中、1942年から45年2月までを東京帝国大学医学部出身の北野政次少将が務めている。 1945年8月には関東軍司令官の山田乙三大将の名前で部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺される。事態に気づいて食事をとならなかった捕虜は射殺され、死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められたという。 石井たち第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰るが、日本の生物化学兵器に関する情報はアメリカ軍も入手していた。1946年に入ると石井たちアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。1947年にはキャンプ・デトリックからノーバート・フェルという研究者がやって来るが、この頃からアメリカ軍は第731部隊の幹部たちと協力関係に入る。 尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。日本が提供した資料や研究員はドイツから提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。 1950年6月に朝鮮戦争が勃発する。その頃、アメリカで細菌戦プログラムの中心的存在だったのはジェームズ・サイモンズ准将。その指揮下にあった406部隊は病原体の媒介昆虫に関する研究用の「倉庫」と見なされていたが、1951年当時、309名のうち107名が日本人だったとされている。 1952年2月に朝鮮の外務大臣はアメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に抗議した。アメリカ側は事実無根だと主張したが、1970年代にウィリアム・コルビーCIA長官が議会で行った証言の中で、1952年にアメリカ軍が生物化学兵器を使ったと認めている。 朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍は輸血体制を増強しなければならなくなり、「日本ブラッドバンク」が設立されたが、北野政次が顧問に就任するなど、この会社は第731部隊と深い関係がある。後に社名は「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになる。現在は田辺三菱製薬の一部だ。 第731部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は「伝染病対策」の中枢を形成することになる。その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設された。当初は厚生省の所管だったが、1949年には国立になる。1997年には国立感染症研究所(感染研)に改名された。 大戦後、日本の生物化学兵器人脈が協力してきたフォート・デトリックの研究者はアフリカでも研究を続けている。2010年頃からギニア、リベリア、シエラレオネの周辺で研究していた。 その地域、つまりギニア、リベリア、シエラレオネで2013年12月からエボラ出血熱が広がりはじめ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染が拡大し、大きな騒動になった。2014年7月にはシエラレオネの健康公衆衛生省がテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。 生物兵器の専門家として知られているイリノイ大学のフランシス・ボイル教授の説明によると、テュレーン大学やCDC(疾病管理センター)が西アフリカで運営していた研究所では生物兵器を研究していたが、同じ場所にフォート・デトリックのUSAMRIID(アメリカ陸軍感染症医学研究所)の研究者もいた。 エボラは1976年8月にザイール(現在のコンゴ)で初めて確認されているが、エイズと同じように病気の始まりが明確でない。1976年の前は気づかれなかっただけなのか、病気自体がなかったのかは不明だ。(つづく)
2025.11.09
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【不快な質問?】 イタリアの通信社ノバは特派員のガブリエーレ・ヌンツィアーティを解雇した。10月13日、欧州委員会のポーラ・ピニョ首席報道官に対して「あなたはロシアがウクライナの復興費用を負担すべきだと繰り返し述べている」と指摘した上で、「ガザ地区の民間インフラをほぼ全て破壊したイスラエルはガザ復興のための費用を負担すべきだと思うか」と質問したが、これを「不快な質問」と感じた人がいたようだ。ノバの広報を担当するフランチェスコ・チビタノバによると、「ロシアは挑発を受けずに主権国家を侵略したのに対し、イスラエルは攻撃に対応したのだと弁明している。【ウクライナ】 アメリカの場合、外交や軍事に関する政策を決めてきたのはシオニストである。ジョージ・W・ブッシュ政権、バラク・オバマ政権、ドナルド・トランプ政権、あるいはジョー・バイデン政権ではネオコンに支配されていると言われているが、そのネオコンはシオニストの一派だ。つまり、政権がかわっても外交や軍事に関する政策は変わらない。 1991年12月にソ連は消滅したが、ウクライナの問題はその年の1月から始まっている。クリミアで住民投票が実施され、クリミア自治ソビエト社会主義共和国の再建が94.3%の賛成多数で承認されたのだ。ウクライナの最高会議で独立宣言法が採択されたのは、その半年後のことである。 西側諸国はウクライナの独立を認めたものの、クリミアの住民投票は無視。キエフ政権は特殊部隊を派遣してクリミア大統領だったユーリ・メシュコフを解任、クリミアの支配権を暴力的に取り戻した。 1994年3月27日にはドンバス(ドネツクとルガンスク)でこの地域におけるロシア語の地位、ウクライナの国家構造などを問う住民投票が実施され、キエフ政権にとって好ましくない結果が出た。 ウクライナの東部や南部に住む人びとの意思はソ連時代から明確で、一貫している。ビクトル・ヤヌコビッチを排除するため、2004から05年にかけて実施された「オレンジ革命」、そして2013年11月から14年2月にかけてのクーデターに東部や南部の人びとが反発、内戦に突入したのは必然だった。 ソ連消滅後、西側諸国はミハイル・ゴルバチョフ政権との合意を守らずにNATOを東へ拡大させるが、こうしたネオコン主導の政策は危険だと前の世代の「タカ派」は警告していた。 ウォール・ストリート・ジャーナルによると、リチャード・ニクソン元米大統領は1994年3月21日にビル・クリントン大統領へ手紙を出し、その中でウクライナの内部状況が非常に危険だと警告。ウクライナで戦闘が勃発すれば、ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争は「ガーデンパーティー」のように感じられるとしている。 「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンは1998年、NATOが拡大について「これは新たな冷戦の始まり」であり、悲劇的な過ちだと思うとしている。 この政策を決めたアメリカ上院での議論について表面的で無知だと指摘、「ロシアが西ヨーロッパへの攻撃を待ち焦がれている国であるという記述には腹立たしい」とした上で、ロシアから悪い反応が出ることも見通し、NATOがロシア国境までの拡大すれば新たな冷戦を引き起こされ、ポーランド、ハンガリー、チェコで拡大が止まれば、そこで新たな分断線が引かれるとも予測していた。ケナン氏はインタビューの最後で「これほどめちゃくちゃになるのを見るのは辛い」と語ったという。 このふたりが警告した後、ビル・クリントン政権はNATOを利用して1999年3月から5月にかけてユーゴスラビアを空爆している。この攻撃で主導的な役割を果たしたのは国務長官のマデリーン・オルブライト。この時に中国大使館もB2爆撃機で空爆されているが、その建物を目標に含めたのはCIAだ。 アメリカでユーゴスラビアを解体する工作は始まったのは1984年のこと。ロナルド・レーガン大統領がNSDD133(ユーゴスラビアに対する米国の政策)に署名、東ヨーロッパ諸国のコミュニスト体制を「静かな革命」で倒そうという計画が始動したのだ。1983年は大韓航空007便が領空を侵犯してカムチャツカからサハリンまで飛行、撃墜されたとされている。その年の秋には核戦争の寸前まで行った。それほど緊迫した時期だったのである。 ヘンリー・キッシンジャーもネオコンに批判的だった。彼は2014年3月5日付けワシントン・ポスト紙でウクライナとロシアの関係について論じている。 ロシアの歴史はキエフ・ルーシで始まり、宗教もそこから広がり、ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部であり、その前から両国の歴史は複雑に絡み合っていたと指摘、ロシアにとってウクライナが単なる外国ではないとしている。特に東部と南部はロシアとの繋がりが強いのだが、その地域も含め、ウクライナと呼ばれる地域全てをNATO諸国は自分たちの支配下に置こうとしたのだ。 キッシンジャーも指摘しているように、人口の60%がロシア人であるクリミアは1954年、ウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフがロシアとコサックの協定300周年記念の一環としてウクライナへ与えた場所だ。勿論、住民の意思は無視された。 クリミアだけでなく、ウクライナの東部と南部はソ連時代にロシアから割譲された。宗教はロシア正教でロシア語を話し、文化はロシア的。必然的に住民の大半はロシアに親近感を抱いていた。カトリック教徒が多く、ウクライナ語を話す西部とは異質だ。そうした国で一方が他方を支配しようとすれば内戦や分裂につながるとキッシンジャーは主張していたが、それが現実になった。 そうした警告を無視してオバマ政権は2014年2月にウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を暴力的なクーデターで倒した。そのクーデターで最前線にいたのがネオ・ナチだ。ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の人びとはクーデターを拒否、クリミアはロシアとの統合への道を進み、東部のドンバス(ドネツク、ルガンスク)では武装抵抗が始まった。クーデター後、軍や治安機関では約7割が新体制を拒否して離脱したと言われている。 そこで西側が仕掛けたのが「停戦合意」、つまり2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」だ。NATO諸国は8年かけてネオ・ナチ体制の戦力を増強した。兵器を供与、兵士を育成、そして地下要塞を核とする要塞線をドンバスの周辺に築いた。 クーデター政権は2022年に入るとドンバスに対する攻撃を強め始めた。大規模な軍事作戦が始まると噂される中、ロシア軍が先手を打って2月24日にウクライナ軍部隊や軍事基地、あるいは生物兵器の研究開発施設を攻撃しはじめた。 ロシア外務省によると、その時にロシア軍が回収したウクライナ側の機密文書には、ウクライナ国家親衛隊のニコライ・バラン司令官が署名した2022年1月22日付秘密命令が含まれていた。これにはドンバスにおける合同作戦に向けた部隊の準備内容が詳述されていた。 ロシア国防省のイゴール・コナシェンコフ少将によると、「この文書は、国家親衛隊第4作戦旅団大隊戦術集団の組織と人員構成、包括的支援の組織、そしてウクライナ第80独立空挺旅団への再配置を承認するもの」で、この部隊は2016年からアメリカとイギリスの教官によって訓練を受けていたという。 つまり、「ロシアは挑発を受けずに主権国家を侵略した」とは言えない。【ガザ】 アメリカの外交や軍事をコントロールしているシオニストはパレスチナに「ユダヤ人の国」を建設することを目標にしている。シオニズムの信奉者だとも言える。その信仰が登場してくるのはエリザベス1世の時代(1593年から1603年)。当時のイギリスは海賊行為で富を蓄積していた。 その時代、イングランドの支配層の間で、アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信仰が現れる。人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配すると予言されているという妄想が広まったのだ。 イギリスや西側世界にシオニズムを広めた人物としてブリティッシュ外国聖書協会の第3代会長を務めた反カトリック派のアントニー・アシュリー-クーパー(シャフツバリー伯爵)が知られているが、17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世も自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。 その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルをはじめとするピューリタンも「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたとされている。クルムウェルはユダヤ人をイングランドへ入れることを許可したが、稼ぎ方を海賊行為から商取引へ切り替えるためだった灯されている。ユダヤ人は商取引や金貸しに長けていた。 エリザベス1世が統治していた時代、イングランドはアイルランドを軍事侵略、先住民を追放し、イングランドやスコットランドから入植者をアイルランドのアルスター地方へ移住させた。 ピューリタン革命の時代にもアイルランドで先住民を虐殺している。クロムウェルは革命で仲間だったはずの水平派を弾圧した後にアイルランドへ軍事侵攻して住民を虐殺したのだ。 侵攻前の1641年には147万人だったアイルランドの人口は侵攻後の52年に62万人へ減少。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。 ダブリン出身でプリマス・ブレザレンを創設したジョン・ネルソン・ダービー牧師は1830年代から宗教活動を始めたが、彼はキリストの千年王国がすべての文明を一掃し、救われるのは選ばれた少数のグループだけだと考えていた。 世界の邪悪な力はエゼキエル書で特定されている「ゴグ」であり、そのゴグはロシアを指すと主張、ユダヤ人がイスラエルに戻って神殿を再建したときに終末を迎えるとしている。つまりキリストが再臨するということ。シオニストにとって対ロシア戦争とパレスチナ制圧は一体のことである。 19世紀のイギリス政界では反ロシアで有名なヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)が大きな影響力を持っていた。彼は戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めている。ビクトリア女王にアヘン戦争を指示したのもパーマストン卿だ。 このように始まったシオニズムは19世紀に帝国主義と一体化し、パレスチナ侵略が具体化してくる。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出してイスラエル建国への道を切り開く。いわゆる「バルフォア宣言」だ。 シオニズムを信奉する人びとはパレスチナの先住民であるアラブの人びとを虐殺してきた。ガザにおける現在の大量虐殺はそうした流れの中で引き起こされたのであり、パレスチナ人はそうした侵略者と戦い続けてきた。 今回のガザでの大量虐殺に限っても、始まりは2023年4月1日にイスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺したところから始まっている。イスラエル政府が挑発したのだ。 4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃している。そしてユダヤ教の「仮庵の祭り」(今年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入した。 そして2023年10月7日、ハマス(イスラム抵抗運動)を中心とするパレスチナの武装グループがイスラエルを奇襲攻撃する。この攻撃では約1400名(後に1200名へ訂正)のイスラエル人が死亡したとされ、その責任はハマスにあると宣伝された。 しかし、イスラエルのハーレツ紙によると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊。殺されたイスラエル人の大半はイスラエル軍によるものだと現地では言われていた。イスラエル軍は自国民を殺害するように命令されていたというのだ。いわゆる「ハンニバル指令」である。ハマスの残虐さを印象付ける作り話も流された。 こうしたイスラエルでの報道を無視して欧米諸国の「エリート」はパレスチナ人の抵抗を批判している。 今年1月9日、医学雑誌「ランセット」は2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで外傷によって死亡した人数の推計値が6万4260人に達し、そのうち女性、18歳未満、65歳以上が59.1%だとする論文を発表した。 「ハーバード大学学長およびフェロー」のウェブサイト「データバース」に掲載されたヤコブ・ガルブの報告書では、2023年10月7日にイスラエル軍とハマスの戦闘が始まる前には約222万7000人だったガザの人口が現在は推定185万人。つまり37万7000人が行方不明だ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.13
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