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実験的にmixiの方で日記をやってみる事にしました。登録制の日記なので登録してない方は面倒だと思いますが、興味のある方は私書箱の方にご連絡下さい。
2006年08月23日
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終戦記念日という事で。勝手にリンクしていいのかな。ハルノートで検索したら一番わかりやすそうだったので、勝手に貼りつけてしまいました。日本が勝ち目のあまり無さそな戦争をどうしておっぱじめたのか、興味のある方はどうぞ。開戦以外に日本存続への道があったのか。ハルノート突きつけられる前の日本側の提案した条件を見ると、なんか泣けてきます(泣かないけど)。植民地時代の当時、同じアジアの国々はあっちゃこっちゃ列強に取られ、その中で小国日本がアップアップしながらなんとか独立を守ろうとして頑張っていた中でのハルノートです。いかに列強が日本を封鎖して追い詰めたがっていたか。鬼のようなハルノート。第一次世界大戦後、返しきれるはずのない巨額な補償金を課されて経済的に追い詰められ後にも先にも引けなくなってブチ切れてなんとも気だけは強そうなちょびひげオヤジが台頭してしまったドイツ。列強の脅威にさらされながらも必死で独立を守ろうとしていた日本をあの手この手で追い詰めた欧米諸国。ドイツや日本は、本当に戦争したがっていたのでしょうか。。。本格的に勝ち目が無くなってきたのに、それでも戦い続けて特攻攻撃まで始めた日本。どうしてそんな事する前にとっとと降伏しちゃわなかったのでしょうか。敗けはもう確実だ。でも、少しでもマシな条件で敗けられるように、戦っているのだ。どこかで聞いた(か読んだ)、ある特攻隊員の言葉です。無条件降伏。と学校で習った気がするけど、実際はポツダム宣言受諾。ポツダム宣言の条件下での降伏だったとの事です。無条件、というのは、前線の兵力の無条件撤退、という事なのだそうです。少しでもマシな条件で敗けられるように。先の特攻隊員の言葉が胸に沁みます。せめて原爆落とされる前に降伏出来なかったのか、、、でもそれは今だから言える事。。。。なんて事を思いながら、今更手に入れたi podにいっぱいダウンロードして聞きながらネットしていたら夜中になってしまったよ。。。寝ます。
2006年08月16日
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ついつい首相の靖国参拝ライブ中継を見てしまった。それについて書こうと思ってコンピューター開けたんだけど、義母への愚痴を思い出してしまったわ。。。この際だから毒は吐いておきましょう。義母はね、私がこっちで髪を切る時、わざわざロンドンまでいって日系美容室で切ってもらう事が不思議でならないらしいの。ロンドン行く度に、「どうしてロンドンでないといけないの?どうして日系じゃなきゃだめなの?」と聞いてくるので、同じ説明を何度も何度もするんだけど。大笑いされるんだよね。例の「何馬鹿な事言ってるのよ」風の。今までに、私も地元のいろんな美容室を既に試した事。でも、ただの一度も満足した事がない事。私の髪は多くて固いので、思いきり梳いてもらいたい事。こっちの人は、猫っ毛で少ない髪の人が多いので、梳く技術よりボリュームを出す技術の方に長けている事。日系の美容室は地元の美容室よりは弱冠高いかもしれないけど、シャンプーは丁寧だし顔にかからないしシャンプー台も快適だしおまけにマッサージもしてくれちゃうしお茶やおせんべいも出してくれるしさらには日本の雑誌も読める事。特に、「こっちの人は髪を梳くのが下手」というところで大笑いされるのよ。「そんなはずはない」って。「私の美容師さんなら絶対できると思うわよ!believe me!今度一緒に行って試してごらんなさい。」って。たしかに、もしかしたら出来るかもしれないけど。でも、今まで誰一人、日本の美容師さんみたいに出来る人に出会わなかった私には眉唾ものなのよね。それに私の髪、結構短いので、これで失敗されたらちょっと泣くよ。長かったらちょっとばかり失敗してもなんとか誤摩化せるけどさ。。。ああ、また思い出した。以前、髪が長かった時に私がボブにしたいと言ったら、「ボブなら私がやってあげるわよ!」と義母が言ったのよ。眉間にシワものだったんだけど、あまりにも自信満々でスタイルブック持ち出しちゃって「こんな感じでしょう?やってあげる!」なんていうもんだから、もしかしたら義母って髪切れるのかな、と思ってやってもらっちゃったら、左右長さガタガタの金太郎にされちゃったのよね。あれは結構泣きたくなったな。。。。そんな義母の言う事だから、全然信用出来ないんだけど。でも、私も馬鹿だから、ちょっとだけ心が揺れるのよね。もしかしたら、もしかしたら、ほんとにその人出来るのかもしれない。一度くらい試してみようかな、、、といやいや、金太郎事件もあるし、やっぱり信用しちゃいけないかな、、。で首相のライブ中継。いやあ、面白い事になりましたねえ。って面白がっちゃいけないんだけど、でも私、去年の今頃とは考え方がちょっと変わっちゃったからなあ。。出現の時期的にも内容的にもどうも胡散臭かったっぽい例のメモにも負けず、やっちゃったのねえ。「いつ参拝しても批判される。いつ参拝しても同じだ。」というコメントを聞いて大笑いしてしまいました。確かにいつ行こうが批判はされるしね。でもこの日の参拝は、批判パワーが違うかも。お隣の国々、どうするんだよう!あんなにお願いしたのに。毎年批判してるのに、よりによって一番やってほしくない日にやられちゃったよ。個人的には、(最後だからって先々の事考えずにやっちゃったのか?という気もしないでもないけど)、とりあえず、「やったのねえ!」と思ったけど、ここまで大々的に批判覚悟でやるくせにそれでも一礼なのか~、どうせ大変な事になるんなら、いっそのこと神道形式で正式に参拝すりゃいいのに、とも思う。でも、もしかしたら一礼で終わらせるのが実はすごく大事な政治的手腕なのかなあ。政治オンチな私にはわからないわー。実際この日にやっちゃって、どういう事になるのか、日本人が、この参拝をどう思っているのか、靖国を守っていく器量が今の日本にあるのか、今の日本/日本人に靖国って意味があるのか、興味あるなあ。。。。一礼で参拝、ってあたりで、ほんとに意味あるのかなあ、とちと思ってしまう、、、。私個人的には、首相より天皇に行って欲しいなと思っちゃうしな。。。(もっと大問題?!)あ、もうそろそろ首相のインタビューなのかしら。眠いよう。。。
2006年08月15日
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愚痴なんだけど!!!ワン子ちゃんが私たち家族の仲間入りをした事は以前書きました。現在(たしか)生後19週。私は、鳥や猫を飼っていた事はありますが、犬を買うのは初めて。犬の飼い方や習性もよくわからなかったので、本を読みました、ネットで調べました、犬を飼ってる隣の人に聞きました、獣医で催してるパピーパーティーに参加して獣医さんにもアドバイスを乞いました。その結果、「犬というのはリーダーに従う動物。故に、家庭で自分が一番下に属するという事をはっきりわからせなくてはならない。本能のままに可愛がりすぎると、自分の方が飼い主より立場が上と勘違いし、主従関係が逆転し、扱いづらい犬に成長する危険がある。」という事を知りました。もちろん、可愛がるな、ということではありません。そうではなくて、例えば、餌は家族の食事が終わった後であげる。部屋に入るときは飼い主から先に。可愛いからといって闇雲にいつもいつも抱っこしない。等、簡単なルールを日常生活で地道に守る中で、犬に自分の位置をわからせましょう、って事です。で、私はそれにすごく納得したので、そういうルールを守っていました。特にうちは小さい子供もいるし、子供が犬に馬鹿にされるようになったら大変だし。お嬢が犬より立場が上なのだとはっきりさせる為にも、結構私は気を使ってルールを守っていたのよね。それが義母にはどうやら、私は犬に厳しすぎる、なんだか馬鹿らしい事をしている、と映っていたようです。犬は生後半年くらいで「思春期」を迎えるらしいのね。人間でいう、反抗期みたいな。ティーンエイジャーになるわけだ。うちのワン子はまだ反抗期に入っていないけど、でもその片鱗は既に伺えるのね。子供と同じです。自分がどのくらいプッシュすれば親が折れてくれるか、みたいに、こっちの出方をうかがいながらいろいろ試してくる。折れてはいかんでしょう。相手の思うつぼですから。私はひたすらルールを守るのです。私たちのルールの中に、「ソファに犬を座らせない。」というのがあります。いろんなところで、子犬のうちから可愛いからと言って膝に乗っけてソファに一緒に座ったりしていると、犬が「あたちはエラいの」と勘違いする可能性がある、というのを読んだから。これも私はずっと守っていました。が、最近、ワン子が自分でジャンプしてソファに乗れるようになってきたのね。で、ダダがまた優柔不断だから、膝に乗せたりしちゃうわけよ。でも私も、「とりあえず今までの成果でうちのワン子は自分の位置をきちんと把握しているっぽいから、ちょっとくらいいいのかな~」なんて思ったりもしたり。でもでも、「いや、この子はこれから反抗期に入って難しくなるんだから、今からソファにあげるのはやっぱり止めといた方がいいのでは。。反抗期過ぎてこの子が落ち着くまで、様子見てからの方がいいよな、、、」とも思ったり。で、義母と電話してた時、ちょっとその話しが出たのね。最近ワン子がソファに乗れるようになってきて、、、、みたいな。そしたら、「私が飼い主だったら、ソファにくらいあげちゃうわよ。膝に乗っけて抱っこして愛情表現するのは決して悪くないと思うわよ。」と、延々と語り始めたのね。で、私も最近、膝に乗っけるくらいはいいのかな、とも思うんだけど、でも、、、って上に書いた事(反抗期がどうのこうのとか)を話し始めた途端、話し終わっていないのに大笑いされちゃって。いかにも、「あーはいはい。」みたいな。「んなわけないわよ、考えすぎよ。」みたいな。その笑い方があまりにも私の神経を逆なでしたので、「どうして笑ってるの?」とはっきり聞いてしまいました。そしたら、返事に困ったらしくまた大笑い。「私が考え過ぎで馬鹿げてると思って笑ってるの?私が厳しすぎると?」と言ったら、「yes!」と言われたよ。これがね、自分も犬を飼っていて従順な犬に育て上げた人だったら、私も全然反応が違ったのよ。あー、そうなのか~、って素直に思うわよ。でも義母は犬なんて飼った事無いし、私と違って犬に関して情報集めようとも全然してないし、今現在私の方が義母より数十倍犬に詳しいと思うのよね。そんな人に「何馬鹿な事言ってんのよ」風に笑い飛ばされて、私はなんだかものすごくものすごく腹が立ちましたとさ。他にも「あなたのワン子の種類は、私から見ると絶対に反抗的になるようには見えないからそんなに気にしなくても大丈夫よ!ドーベルマンとかなら別だけどね。」とか分かったような事いうし!言わせてもらえばね、うちのワン子は見た目はめちゃ可愛いけどね、もともとネズミや小動物捕獲用に育てられた種類だからね、見かけに寄らず暴れん坊で自立心に富んでいて、決して「生まれながらにして従順で扱いやすい」方の種類ではないのよ。これも、本にしっかり書いてあるし、以前うちのワン子と同じ種類の犬を飼っていた事のあるお隣さんも言っていたのよ。!ちっこい種類の犬の方が案外きゃんきゃんうるさくて反抗的だったりもするのよっ!全てはしつけにかかっているのよっ!!!!しつけに!!!子犬の今が一番大事なときなのっ!!!その後も「あなたは厳しすぎる」とか切々と語るから、腹立ってきた私の返答もぶっきらぼうだったんでしょう。最後の方には、「でも貴方は子犬をしつけるのには最適な人間よ。だってお嬢はあんなにきちんと育ったものね。だから私は貴方を100%信頼してるわよ。」なんてめちゃくちゃ大袈裟な誉め言葉をとってつけたように言い始めて。これがまた私をなんとも嫌~な気分にしてくれました。義母さあ、私には出来過ぎたいい義母なんだけどさあ。たまにあるんだよね、こう、ハナから人を馬鹿にしたような態度を取る時。特に「てめえの方が実は全然わかってねえんじゃんよ!」というような話題の時にこれをやられると、なんともムカつく。しかも私、トイレトレーニングで本当に苦労したから、ストレス溜まったから、時期が悪いよ、そういう台詞吐くの。トイレトレーニングの方は落ち着いてきました!100%とはいかないまでも、9割方成功するようになりました!(そのトイレトレーニングのやり方も、義母は笑い飛ばしたのよね。。。。。。)これも、わたしが努力した結果なのにさ。馬鹿な事してると思ってたんだろうよ。っていうか、態度に明らかに出てたもんな。ふん。愚痴終わり。
2006年08月13日
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昨日の日記に暖かいコメント下さって、ありがとうございました。それと、重苦しい気持にさせてしまってごめんなさい。と謝っておきながら、今日も重苦しい日記になります。これは、里帰り中、ずっと書きたいと思っていた事で、父と母、両方への私の思いを書いておきたい、という自己満足日記です。母は現在、父を介護中。現在、という言い方はあまり正しくない。現在だけでなく、これからもずっと介護中だから。変な言い方、母の「介護生活」が終わるのは、父の人生が終わる時。昨日も書いたけれど、父の介護というのは、体力的にはそれほど厳しくは無い。夜中に何度も起きて抱きかかえてトイレに連れて行ったり、とか、そういう苦労は無い。「楽な方」である。でも、父が倒れてからの母の3年間を見て、私はどちらかというと、母の方が心配なのだ。どちらかというと「楽な」介護なので、母は一人で父を面倒見ている。週に一度、父をデイケアに預けて、その日だけは母の休日になるけれど、デイケアといっても保育園のようなもの。午後4時には父が帰ってくるので、遠出は出来ない。しかも、休日といえど、郵便局に行ったり銀行に行ったり、溜まっている雑用をその日にこなさなければならないので、自分の為に使える時間は思ったほどは無い。母は毎日3食、父の病気を考慮に入れて栄養のバランスの取れた食事を作る。父は外食がもともと嫌いで、病気になってからは更に外出嫌いになったので、母は毎日必ず作らなくてはいけない。しかも、毎日決まった時間にきちんと食事をとらせなくてはいけない。脳が一部壊れてしまっている父は、もともと融通の効かない性格に拍車がかかって、スケジュールどおりに事が進まないとちょっとパニックになる事もあるらしい。食材の買い出しに行くのも、かなりの時間制限がある。あまり父を家に一人にしておくと、父が心配してパニックになるかもしれない。乳飲み子を抱えた事のあるお母さんなら想像出来ると思うけれど、自分の自由になる時間が、ほとんど無いのだ。乳飲み子は大きくなるので、いつの日か自分の時間も増えていくけれど、母の場合はそれは期待できない。現状がずっと続くか、悪くなるだけだ。姉は今もフルタイムで働いて実家の近くには住んでいないし、私は飛行機で12時間のところに住んでいるので、母は気が抜けない。母は自分が風邪を引いても熱を出しても、父の食事は毎回作らなければならない。自分が倒れては元も子もない。だから、自分の健康管理にものすごく気を使っている。あんなに体の弱かった母なのに、「今年は風邪ひかなかったわ~」という台詞を、3年連続で聞いた。一体いつまで風邪知らずで過ごせるのだろう、と、母に不似合いなほどの健康ぶりを、却って不気味に思う。母は、一日のほとんどを父と過ごす。まともに話の通じない父と過ごす。週に一度の休日を使って、たまに友人とランチをするのが楽しみだという。「たまにはちゃんと人と会話しないとね、お母さんまで頭おかしくなっちゃうと思う時あるのよ。」と愚痴を言う。義母がたまに聞いてくる。「誰かに介護手伝ってもらったり出来ないの?旅行とかいって気晴らしすればいいのに。」デイケアに預けて手伝ってもらってもいる。たまにデイケアに何日か預かってもらって、友人と旅行に行って気晴らしもしている。「なら良かったわね。」義母は、母の苦労の100分の1もきっとわかっていない。どんなにやりくりして「お休みの日」を増やしても、旅行に行って気晴らししても、母の心が父から100%解放される事は決してないと思う。どんなに楽しんでいる時でも、デイケアに泊まる事を父がとても嫌がる事を母は身を以て知っている。夜、眠れているか、(父の病気は不眠は大敵)、薬はちゃんと間違わないで飲んでいるか、水はたっぷり飲んでいるか。どんなに楽しもうとしても心のどこかでは、きっといつもそんな事を考えている。そしてそれは、ずっと続く。父が終わるときまで。父が倒れた年、父と母は本当は英国旅行を予定していた。私たちを訪ねて、それから湖水地方やスコットランドにも行きたい、と母は言っていた。海外が大嫌いで、決して日本から出たがらなかった父が、ようやく私のところに遊びに来たいと思ったそうなのだ。母はきっと、父といろんなところを旅行したかったと思うのだ。年金生活になって、自分の時間がようやく余る程持てるようになって、いろいろ遊びたかっただろうと思うのだ。たまにバイトで小金を溜めて、ちょこまか旅行するのが好きだった母。でももう、父も母も私のところには遊びにこられない。父にとって健康上のリスクが大きすぎるし。母はさすがに父をデイケアに預けて海外にまでは来れないだろう。来たくないだろう。思いきり楽しむはずだった老後生活。自分の為の時間がいっぱいあったはずの老後生活。今まで私たちの為に父と共働きで頑張って来た母は、老後も父の為に自分の時間はほんの少しで頑張っている。これが、「どちらかというと楽な」介護生活だ。どちらかというと楽でない介護生活は、一体どうなってしまうんだろう。。。最近、赤塚不二夫さんの奥様が亡くなった、という記事を読んだ。赤塚さんの介護を一生懸命していた奥様が、赤塚さんより先に亡くなった、と。倒れて手術をして小康状態の時に、遺書まで書いていたそうである。自分のお葬式の事、事務所の事、後の事をいろいろ、指示して逝かれたそうである。きのうの二郎さん同様、読んでいたら涙が流れてきた。とても他人事とは思えなくて。最後まで周りのことを考えて、責任全うして逝かれたんだなぁ。介護で心身ともに疲れ果て、経済的にも困窮し、痴呆で老いた母を殺した人の裁判の記事も読んだ。「裁判では被告が裁かれているが、実際は日本の体制が裁かれているのだ。」というような事を裁判官が言ったらしい。きっと、全国の介護をしている人達は、やりきれない気持でこの言葉を聞いただろうと思う。被告が他人とは思えなかっただろう。医療の進歩で、数十年前なら死んでいただろう人が今は生き残れる。かなり自分の希望とは違った形かもしれないが、とりあえず生き残れる。「老後」という時間も、以前に比べ、かなり長くなっている。それも、自分の希望に沿った形で老後を送れるとは限らない。でも、それを受け入れる体制は、まだまだ整ってはいない。私みたいな自分勝手な娘がいると、事態は余計に深刻になる。とりあえず、これが、「楽な」方の介護の実体です。そして介護問題っていうのは、「どこか自分とは遠いところで起こる」とは限らない、という事を心に留めておくのは、決して無駄ではないと思うのです。
2006年08月03日
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坂上二郎さんのインタビューを日本衛星放送で見た。脳梗塞で倒れ、リハビリの末の復帰だそうで。持ち前のユーモアで人を笑わせながら話している二郎さんを見て、嬉しいような羨ましいような、なんともいえない気持ちになった。私の父も、3年前に脳梗塞で倒れた。結構重症で、「右半身は不随になるだろう、失語症も残るだろう」と医者に言われた。が、生真面目で頑張りやの父はリハビリを熱心に頑張り、びっこを引きながらも歩けるようになり、お箸も右手で使えるようになり、もともと達筆だったが今でも、右手が十分自由な私よりよっぽど綺麗な字を書く。母が言う。「ま、いろいろ大変だけど、うちはお父さんが自分の事は自分で出来るから、まだ楽だと思うわ~。これでトイレもお風呂も私が抱えなきゃ出来ないなんて事になってたらと思うとぞっとするわよ。」本当にそうだ。お父さん、頑張ってくれてありがとう、と思う。言葉の方は、一生懸命やってはいるけど、体と同じようには回復していない。言葉は出ないくせに頭はイカれていないので、父のイライラは相当なものだろうと思う。(母のイライラもだ。)実際、気分が落ち込んでいる時には「死にたい」と言い出す事もあるそうだ。里帰りする度に、いろんな人が父の事を気遣って尋ねてくれる。「お父さん、どう?」「体は随分動くようになったし、元気みたいだよ。」そうとしか答えようが無いし、周りの人もそれ以上聞きたいと思っていないはず。でも、そう答えながら、なんとも悲しい気分でしっくりこない私がいる。私たちの里帰りが決まると、父は毎日カレンダーを指差して、「今日はこの日だな。で、この日に帰ってくるんだな。」と、言葉にならない言葉でにこにこしながら母に話しかけるそうである。今年の里帰り時、私とお嬢がスーツケースを転がしながら実家に向かって歩いていたら、父が窓から「おー!」と手を振って笑っていた。偶然窓を開けたら私たちを見つけたのかと思っていたら、「いきなりね、『スーツケースの音がする』って子供みたいに駆け出して窓の方に行ったのよ。お母さんは何も聞こえなかったから、何言ってんのよ、お父さん、と思ってたらね、本当にあなた達が来たからびっくりしたわよ。」と母が言っていた。お嬢と遊ぶのが何より楽しいらしい。二人でギターを弾きながら歌っている。二人でかるたをして、お嬢がいつもぶっちぎりで勝つ。お嬢が歌う童謡に合わせて、父も忘れていた童謡を歌って母をびっくりさせる。お嬢のする事為す事に大笑いをして、笑いがいつまでも止まらずに「こんなに笑って血管が切れたりしないのかしら、、」と内心びくびくする事もある。笑い過ぎで血管がキレたりするものかどうか、そんな事は知らないけど。母が「あんた達が帰ってくると、お父さんのボキャブラリーが増えてびっくりする」と言う。言語のリハビリの先生は、「お孫さんがいらっしゃってるそうですね。お父さん、最近喋りだすと止まらないんですよ。ボキャブラリーの回復もめざましいです。でも無理はこの病気には一番悪いですから、少しずつゆっくり、ね。」と、回復を喜んでくれつつもちょっと心配するほどだったらしい。そんな父を見ていて、私は本当に申し訳なくなる。もう少し近くに住んでいたら、もっともっとお嬢に会わせてあげられたのに。もっともっと頻繁に、楽しい気分にさせてあげられたのに。そしたらもっともっと言葉も回復してたかもしれないのに。そしたらもっともっと母の負担も減ったかもしれないのに。二郎さん並にとはいかないまでも、もう少し回復出来たかもしれないのに。「死にたい」と思うほど憂鬱になる回数を少し減らしてあげられたかもしれないのに。母がよく言う。「お父さんはちゃんと定年退職してお務め全部果たしてから倒れてくれたからね。ありがたいと思わないといけないね~。これがあんた、働き盛りでローンの返済も終わってなくてあんた達もまだ学生だった、なんて事になってみなさいよ。大変よー。もうお母さん気が狂っちゃうわよ。」本当にそうだ。父は、私たちの扶養義務を全て果たしてから倒れてくれて、しかも、倒れた後も私たち(特に母)の負担にならないようにリハビリを頑張って自分の事は自分で出来るまでに回復してくれた。半身不随と言われていたのに。父は今までも今も私たちの為に頑張り続けているのに、私が出来るのは、一年に一度顔を見せに帰る事だけ。私が結婚したいと言い出した時に、大反対したあの時の両親の気持ち。あの時も心が痛んだけど、本当に本当に申し訳なく思う。でもこんな状況にしてしまった私が今の状態で出来る一番の親孝行は、私たち家族が幸せで健康で仲良く暮らしていく事なんだろう、と、本当に自分に都合の良い考えだけど、そう思う。今年は父と母とお花見に行った。お嬢もとても楽しんだ。里帰りからこっちに戻る時、母が言った。「来年もこの季節に帰ってくるの?来年はお花見行けないかもね。お父さんのびっこひどくなっていくし、日に日に歩くの辛そうになってきてねぇ。今年行けて良かったわね~。」今年できた事が来年は出来なくなっているかもしれない。老いていく親にとっては仕方の無い事なのだけど、毎年里帰りから戻る時、なんともいえない気持ちで親に手を振る。
2006年08月02日
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以前の日記にちらと登場した、ちょっぴり意地悪気質が見られるCちゃんの笑えるネタ。もう大分前になるけれど、Cちゃんが我が家に遊びにくる事になっていた日の事。学校終了後、私がお嬢とCちゃんをピックアップした。車に向かう間、二人は大盛り上がりで大興奮状態。そいでもって、車に到着しました。車の中には、通常お嬢が使ってるカーシートと、私がお隣さんに借りてきた簡単な作りのブースターシート。Cちゃんは早速車に乗り込むと、お嬢のカーシートにでんと腰を下ろし、お嬢の「それは私のカーシート!」という声を無視して自分でシートベルトもちゃっかり付けてしまいました。私としては、別にどっちに座ってもいいじゃないかと思ったし、(大人の感覚からいくと)お客様にはまともなカーシートをお使い頂くもんだよな、と思ったので「いいじゃんお嬢、ブースターシートに座ろうよ。」と言ったのだけど、「でもCちゃんのママが私をピックアップする時は、Cちゃんはいつも自分のカーシートに座って私はカーシート無しだよ!どうしてCちゃんばっかりいつもカーシートが使えるの?」と、とりあえず筋の通った反論をした。面倒くさかった私は、「じゃお嬢はブースターシートでママの隣に座る?」と聞いてみた。ママの隣なんて座った事無かったから目先が変わって喜ぶんじゃないかと思って。案の定、Cちゃんが自分のシートに座ってるなんて事はどうでもよくなったお嬢は、喜んで「うん!座る!」と言って、ブースターシートを前の座席に置いて自分も移動しようとした。その時、、、「あ!私があきゃんの横がいい!!」と叫んだCちゃんは、とっととシートベルトを外して、車内を移動してさっさとお嬢が助手席に用意したブースターシートにでんと座ってしまった。ブースターシートを先に助手席に置いて、自分は車外に一度出て助手席に乗り込もうとしたお嬢。助手席のドアを開けるとそこには既にCちゃんがデン!あーあー。こりゃ困ったにゃ。みるみる目に涙を溜めるお嬢。私もさすがに、こりゃお嬢、可哀想だよ、と思った。お嬢は怒る。「そこは私の席だよ!」Cちゃんはニコニコして言う。「自分のカーシートに座れば?だって自分のに座りたかったんでしょ?」しばらく二人で言い争わせて問題解決できるもんか様子を見ていたのだけど(笑)案の定埒があかない。私は考えた。あくまでCちゃんを「お客様」感覚で扱い、なんでもCちゃんのやりたいようにおもてなしして、お嬢に全てを我慢させるべきなのか。なんかわかんないけど、それはちょっと違うような気がした。なんかわかんないけど、この場合はそれは違うような気がした。なので、Cちゃんに言ってみた。「Cちゃん。それはちょっと自分勝手だよ。Cちゃんは自分でお嬢のカーシートに座る、って決めたんでしょ?お嬢も自分のに座りたいって言ったのに、話し合って決める事もしないでお嬢を無視して、先に座っちゃったでしょ?で、お嬢の席がこっちになったら今度はこっちがいいからって、またお嬢の席取っちゃうの?ちゃんと話し合って決めたら?」Cちゃん「だって私こっちがいいんだもん。お嬢はカーシートに座ればいいじゃない。」お嬢「私もここがいいもん。」私「じゃあ、じゃんけんで決めたら?」お嬢「うん!じゃんけんで決めよう!」Cちゃん「じゃんけんって何?」というわけで、Cちゃんにじゃんけんの説明をした。すると、Cちゃん「嫌だ!じゃんけんで負けたらここに座れないんでしょ。嫌だ!」と言う。私、はっきり言って、もんのすごく腹が立ってきた。ガキ相手に腹を立てるのは大人げないが、短気なもんで。「Cちゃん。Cちゃんは自分の思い通りになるなら他の人はどんな気持ちでも構わない?ここで私がお嬢に自分のカーシートに座らせる事は簡単に出来るよ。でもお嬢はすごく悲しい気持ちになるよ。今日は二人で楽しく遊ぶ日なのに、Cちゃんがいつも自分の思い通りにしていたら、お嬢は我慢ばかりで楽しく遊べないよ。みんなで楽しく遊ぶ為には、いつでもどこでも自分の思い通りばかりにしていたらダメだよね?」すると、Cちゃんはこう言った。「でもお家だといつも自分の思い通りになるんだもん!」(実際は you can't always get whatever you want, という私の言葉に対して、but I can at home!って言ったんだけどね。)さっきまで結構本気で腹を立てていた私は、この一言に妙にウケてしまった。そっかー、家ではいつも自分の思い通りになるのかぁ。。。。Cちゃんは3人兄弟の末っ子(上二人はお兄ちゃん)。ま、家族にもいろいろあるから、上二人がお兄ちゃんで末っ子の女の子が皆甘やかされてるとは言わないけど、Cちゃんは家では何でも思い通りになるそうなんだ。私はウケてしまって笑い出しそうになるのをこらえながら、「でもね、ここはCちゃんの家じゃないんだよ。Cちゃんもお嬢も納得して車に座って楽しくお家で遊べる為に、じゃんけんしよう!」と押し切った。じゃんけんで公平に決められる事になって大喜びのお嬢。負けたら自分の思い通りにならないからとっても嫌そうな顔のCちゃん。。。。じゃんけんぽん!Cちゃんが勝ちました!内心、ほっとする母。これでお嬢が勝っちゃったらどうしようとドキドキしてたのよ。お嬢は負けても「公平」に決められたからニコニコして納得して特等席をあきらめてくれたけど、Cちゃんじゃそうはいかなかっただろう、、、。Cちゃんのお母さんは毎日大変だなあ。
2006年08月01日
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今日のはちょっと、ひとりごとです。つい先日、感動した、というのとはちょっと違うかな、心にジーンと染み入った事があった。自分のアイデンティティーさえも揺るがしてしまうようなものすごい悲しみを味わって、苦しんで、そして乗り越えた人っていうのは、どうしてこうも、すがすがしいまでに素直で前向きで優しくて強いものか。こういう人にはかなわない。別に競ってるわけじゃないけどさ(笑)人間的に、かなわない。あたしゃ、まだまだだ。突然だけれど、私は若かった頃、思春期少年少女のお約束の本、「ライ麦畑でつかまえて」が大好きだった。多感で傷つきやすく、欺瞞が何より嫌いな主人公ホールデンに、ものすごく共感した。それから、三原順のマンガ、「はみだしっ子」も大好きだった。太宰治の人間失格は大嫌いだったけど、嫌いなくせに何度か読み返した。私の中では、この3つは、なんとなく繋がってるんだな。「おそろしく素直じゃない。」「物事を真正面から見ない。(斜に構えてみる)」で、中学生くらいの頃っていうのは、そういうのがなんとなくかっこよく見えたりした事があった。「素直」が幼くみえたりして。ひねくれて物事を見る、って事が、他人とは違った視点で物を見てる、って気がして。そういうお年頃だったのだろう。友だちで、「ライ麦畑はだいっきらい!」という人が居た。読んでると苛々するのだという。その頃の私は「えー!なんで?!」と思っていたけど、大人になった今、彼女の言ってた意味がよーくわかる気がする。私は今でもライ麦畑は好きだけど。でも、彼女の気持ちもよくわかる。ホールデンって、なんだかんだいって、甘ったれ野郎なんだもん。自分は案外恵まれた環境にいながら、世の中の欺瞞を嘆いて憂いて勝手に傷ついて、自分は「汚れたくない」と駄々をこねている。大人になって読み返すと、私も確かに苛つくのだ。私は個人的に、ライ麦畑を読んだ人は「フラニーとゾーイ」も読むべきだと思っている。ライ麦畑では、最終的に救いが無いまま、ホールデンの心は不幸で孤独なまま終わってしまってる。その点、フラニーとゾーイのフラニーは、ホールデンみたいな奴なんだけど、救いがあるんだよ。フラニーの兄ゾーイが、もがいてるフラニーに、なんとか違った視点を見せてあげようと頑張るんだよね。その必死さや、「世の中そんなに捨てたもんじゃない」って最後に思えさせるところ、結構泣けるんだよ。サリンジャーは実際どっちを先に書いたのか知らないけど、私としては、ライ麦畑で若者を混沌とさせた事に対する答えとしてこれを書いたんじゃないか、と思う。それと同じで、「はみだしっ子」を読んだ人は、「ロングアゴー」や「Sons」を読まなきゃいけない、と思う。はみだしっ子読んだ事ある人でないと全然意味分からないだろうけど、グレアムのまま大人になってはいけないんだよ。ジャックにならなきゃいけないんだよ。「混沌」「苦しみ」「欺瞞に傷つく心」を乗り越えて、真正面から見つめられる強さ、そしてたまには欺瞞を受け入れられる大らかさを持てるようにならなきゃいけないと思うのよ。そうして、そうなれた人っていうのは、大概みんな、とても「素直」なのよね。。。素直にも多分何通りかあって、何の紆余曲折もない、生まれつきの「素直さ」もあるだろうし、ものすごい苦しみや紆余曲折を乗り越えて辿り着いた「素直さ」もあるんだろう。でも、大人になってはっきり分かる事は、「素直な心」は「ひねくれた心」より、数倍強い、ってこと。強くて優しい、ってこと。そいでもって、かっこいい、って事。かっこいいよ、さくらさん!
2006年07月30日
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ぐふふ。子犬のおしっこ監視員はずっと家にいなくてはならない。全然忙しくないんだけど、気が抜けない。現在のところ、一度もおもらし無し!!!子犬ちゃんは今、暑さにバテて爆睡中。本当はプールにでも行きたいところだけど、行けないのでストレス発散にこれを書いていますっ!!!!!さて。もう大分前になりますが、ガスの請求書が届きました。3ヶ月分。しめて、15万円也!!!!んなわけねーだろっ!!!!!!私は激怒しました。一ヶ月で5万円分もガスを使うわけなどないじゃありませんか。セントラルヒーティング使いまくりの真冬でさえ、こんなに使いません。レストラン経営してるわけでもないし。しかも、そのうちの一ヶ月は私里帰りでいなかったんですからね。ダダ一人で5万円分もガス使うわけないじゃなですかっ!!!速攻で電話しましたさ。最初はあちらも「でもガスメーターをベースにした計算でこうなってるわけですし、、、」なんて言ってたのですが。(でも、実際見に来てるわけじゃないのよ、estimated readingっていってね、テキトーに見積もってるの)私が「じゃ、ガスメーターがおかしいんじゃないですか?一度こちらに来て調べて下さい。大体普通の家族で3ヶ月で15万円分もガス使う家庭、今までにみた事ありますか?私たちの今までの使用量と比べて、おかしいと思いませんか?私はこんな馬鹿げた金額払いませんよっ!!!」とまくしたてていたら、多分面倒臭くなったんでしょう、「じゃ、ちょっとメーターリーディング(ガスメーターの数値)を変えておきましょう。」と、とんでもなくいい加減な事をおっしゃいました。その時の彼の話しでは、「最初の数値を今までのお宅のガス使用量に合わせて変えておきますから、いつもとほぼ同じ金額のガス請求書が近々届きますよ。」との事でした。それだけでも、「いい加減だなあ!エゲレスって素敵!」と思っていたのに。昨日、その請求書が届いてびっくり。一体どういう計算をしたんだか。15万円はキャンセルになり、しかもいろいろ差し引いた結果、私たちの方にクレジットになってるじゃありませんか。つまり、返金してくれるんですって。しかも約2万円分も!!!ひっひっひ。例の3ヶ月間、確かに私は15万円分のガスは使わなかったけど、いつもどおり使っていたのに。無料。その上、返金。ぐふふ。だからエゲレス、好きなんですの。ぐふ。もちろん今回は電話しません。あ!!!でも、このガス会社に変える前に使ってたガス会社に、メーターリーディング調整で新たに2万円近く払わされたから妥当なのか???いや、でも無料には変わりないわよね。あら?そーよね?ぐふ?
2006年07月26日
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こいつのトイレトレーニング中。(こいつ呼ばわり)二日目の結果。夜8時までは素晴らしい成果を収めました。一度床の上でおもらししたのみ。後は全部、庭のトイレ(私が決めた場所)で出来ました。それはそれは大袈裟に誉めてやりました。近所の人に笑われるくらいに、めちゃくちゃ誉めてやりました。ああ、それなのに。ダダが帰って来た8時過ぎ。すっかり調子がおっぱずれました。8時、スケジュール通りに水を与えた後、9時までの間、たったの一時間に、な、な、なんと、5回もおしっこしやがりました。床の上に。12分に一回の頻度です。おしっこたれたれ野郎です。信じられません。しかも鼻くんくんさせて床嗅ぎ回ってるから、トイレに連れて行ってやってるのに、そこでは頑としてしない!!!で、家の中に戻って来てから、嫌みのように速攻でやりやがる。すっかり馬鹿にされた気分。夜8時まではすばらしかったのに!!ダダが帰ってくるまでは、いい子ちゃんだったのに!!!!どうしてだかダダの所為のような気がして、意味もなくダダに当たり散らした私であった。。。。
2006年07月25日
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といっても子供のじゃないよ。ワン子のです。5月末にワン子を飼い始めた我が家。ワン子も生後16週となりました。「7日間でトイレトレーニングを成功させる本!」という、夢のようなタイトルの本によれば、このトレーニングは生後16週以上の子犬用だという事なのです。なので、待っていたのよ、この日を。しかもお嬢も夏休みに入ったからやりやすいし。今までは、家の中で新聞紙の上にさせていました。機嫌のいい時には、8割方、新聞紙トイレの上でやってくれるんだけど、例えば週末、ほぼ一日家を空けて、ワン子を一人にさせていたりすると、次の日には奴さん、どこにもかしこにも糞たれまくってくれます。こいつ、絶対わざとやってると思う。他にも、私が電話に夢中になっていると、目の前でジャーとやってくれたり。私が家事で忙しいと、これまた目の前でジャー。床をクンクンと嗅ぎ回ってるので、「あ、トイレね!』と思って新聞紙の上に連れて行くと絶対しないで、その直後に新聞紙以外のところで「ジャー」。誰かに似ている。。。。。。。。。そう。トイレトレーニングしていた時のお嬢にそっくり。お嬢も、出そうにしてるからトイレに連れてくと絶対しないで、トイレから出た途端にジャー、としていた。私が構ってあげないと、これ見よがしに、ジャー、としていた。ワン子のくせに、お嬢に良く似ている。とほほほ、、、、さて、明日から本に書かれているトイレトレーニングをするのですが、これが大変そうなのよ。スケジュールにきっちりそって行動しなくてはいけないのです。スケジュール。きっちり。私の一番不得手とする分野。遠出は出来ないし、お友達も呼べない。(来客はワン子の気を散らせるのだそうだ。)ふえーん。一週間もお嬢とワン子と家に缶詰、スケジュールに沿って、きっちりとー?????地獄な予感、、、、。今週一週間は、私、超不機嫌だと思われます。成功を祈ってて下さい。
2006年07月23日
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今回、こっそりとメールをくれた方が結構いらしたのですが、「中田の事はおいといて」「中田の事はよくわからないけど」と前置きして私を支持してくれていた方もいらっしゃいました。また、あちらからも、私が中田について語れば語る程「論点が違う」と罵倒され続けました。もしかしたら、今回の件において「中田を語る事の意味/重要性」に気付いてない方や、「あんなに論点ずれちゃって!」と呆れてる方も多いのかもしれない!なので、説明することにしました。もともとは、「女社長Tが諸悪の根源」と明記してありながらも、その文章全体からして、「中田全批判」「中田罵倒」としか思えない内容のあちらの日記に対して、「中田の商品イメージへの批判はあって当然だが、商品イメージと中田本人を混同するような批判の仕方はフェアじゃないと思う」という私のコメントから始まった。私のコメントに対するあちらの主張は、「論点が全然違う。ニセモノ/ホンモノを見極める事、本質を追求する事が大事。これが主旨。中田はニセモノのサンプル。商品イメージと中田本人を混同などしていない。彼は全人格全方位ニセモノであり、尊敬すべき点は一点たりとも無い。」。さて。本当に中田はニセモノなのだろうか。私はこれを書いて「論点ズレズレ」と言われ続けたのだけれど。けれども、この論点ズレズレのはずの論題は、中田をニセモノサンプルとして起用したのは妥当であったか。という事であり、それはそのまま、あちらの「ニセモノ/ホンモノ審美眼」の信用性を問うという事でもあったのだ。「中田が全方位ニセモノ」である事が、きちんと論理的に説明できなければ、中田をニセモノ代表として担ぎだしたあちらの「ニセモノ/ホンモノ審美眼」そのものがニセモノ、という事になってしまう。ニセモノが、「ニセモノに騙されるな」と言っている事になる。これは重要な事であり、議論されて然るべきポイントだったはずなのだ。実際、「商品イメージ批判と本人批判を混同などしていない。私はきちんと分析、検証した上で、彼は全人格ニセモノと思っている」と彼女が断言した瞬間、私はあちらのニセモノ/ホンモノ審美眼は「お話しにならない」と思ったのだ。けれど、彼女の価値感ではそうなのだから、仕方が無い。だから私は「納得しました。」といってとっとと切り上げたのだ。切り上げた私にさらに食いついて来たのはあちらの読者だった。あそこで終わっていれば、あちらも私に必要以上に苛つく事も無かっただろうし、私もあれやそれを書く必要も無かったのだ。さて。話は戻って、「選手としても中田はニセモノだ」(中田をニセモノサンプルとして起用したのは妥当である=あちらのニセモノ/ホンモノ審美眼は信頼するに足るものだ)の根拠としてあちらがあげていた理由が3つあった。1 結果を出していない2 イチローのように世界で一流とはいえない3 全日本代表として一体どこを頑張ったというのか、過去の業績は考慮に入れず、教えろ(これはあちらの読者から)私は「中田にニセモノ要素が全く無いとは言わないが、選手としての中田はホンモノだ」(中田をニセモノサンプルに起用するのは妥当でない=あなたの審美眼はアテにならない)という立場から、彼らがあげた三つの根拠に対して、彼らの視点まで歩み寄って、そのフィールドで意見を書いた。が、書けば書くほど、「論点が違う。本質を見極める事が大切!」の一点張り。あちらが正しくて私がバカなのだ、と私に納得させてくれる為にも、私が答えたこの三つの論点を、今度は私の視点に歩み寄った上で論理的に検証、論破してから罵倒して頂きたかったものだ。「女社長Tのイメージ戦略」「中田の商品イメージ」のみをニセモノとして掲げて、そして「本質を見極める事の大切さ」を主張してくれていたなら共感できた。ところが、「商品イメージと中田本人を混同していないか」と指摘した後、ヒステリックに「いいえ、中田は100%どこからどうみてもニセモノです。」と断言されてしまった時、せっかくの「本質を見極める事が大事」という当たり前のあちらの主張が、みるみるうちに私の目には色あせてしまったのだ。中田の本質すら見極められない君に、本質を見極める事の大事さがどうのこうのなんて言われたかないね。と。あちらが、私の中田に対する意見を論破するどころか触れてもくれず、「論点違う!」の一点張りで遠ざけ続けたから、今でも私にとってはあちらの審美眼はニセモノのまま。昔は彼女の日記に共感する事もよくあり楽しく読んでいた私は、とても残念に思う。また、主観が違えば価値も変わる、という事がわかっていたのなら、誰か一人、何か一つを「これはニセモノだ」とサンプルに掲げる事の無意味さもわかっていたはずなのに、とも思う。あなたにとってのニセモノと、私や彼らにとってのニセモノは違うかもしれないんだから。
2006年07月23日
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ぶったまげました?!!!タイトル見て、ぶったまげました?!!私の大好きなバンドの歌詞です。まだ語学学校にいっていた頃の話。休み時間に何の気無しに、the wonder stuffの golden green という歌を、鼻歌調でところどころ歌詞も入れつつ歌っていました。当時好きだったこの曲は、とっても楽しげなカントリー調で、リズムも単調なので、無意識のうちによく歌っていたみたい、、、。その中の一節がgive them to me give them now!shut it up, you silly cow!how could you say that, even think that how?なんとも険悪な攻撃的な歌詞なのです。2行目なんか、「だまれ、バカ女!」ですからね、、、。こんな攻撃的な歌詞を、明るく楽しいメロディーにのせて特に意味も考えずに歌っていた私。横を通り過ぎた先生がビビって足を止め、おそるおそる私に聞いてきました。「ど、、どうしたんだ、あきゃん?一体何言ってるんだ??」彼のビビリっぷりに、私の方がビビって、「え?なんで?なんでですか?????」と聞くと、ようやく先生は「私が意味を考えずに歌っていた」とわかった様子。そして、笑いながらも諭されました。「あきゃん。今の歌詞はね、こっちではヒッジョーに育ちの悪い人達が使う言葉だからね。あまり鼻歌用の歌詞ではないね。」彼も先生。教え子がいきなりそんな言葉を吐いてるのを他の同僚に聞かれでもしたら、一体何を教えてると思われるか、、、、という危惧もあったか、なかったか。今となっては知る由もありませんが、、、、ああ、恥ずかしい。と、きっと後でお嬢が思うだろうなぁ、と笑っちゃう事が最近ありました。お嬢はsugababesという、こっちのアイドル(?)グループが大好き。私もこの子達は結構好きなので、趣味が合います。で、車の中でお嬢がリクエストするので、よく聞いていたのですが、お嬢が歌詞を覚えていろいろ歌いだすんですわ。で、この間、お買い物に近所のスーパーに行った時、お嬢が、決して小さくない声で歌いだしました。what do you want me to do,to make you sleep with me?あんたと寝たいの、何したらあたしと寝てくれる?という、とんでもない歌詞でございます。それを、5歳の女の子が、さも楽しそうに、嬉しそうに、明るく元気に、お菓子売り場の前で歌うの図。。。。本人はお昼ねの歌、もしくは寝かしつけの歌だとでも思っているのでしょうか。お嬢が大きくなったら、絶対教えてやろう、と思う母。がしかし、そんなに長い間覚えていられるか、ちと心配な忘れん坊。
2006年07月21日
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今朝、天気予報を見たら、とんでもない事になっていた。エゲレス全国、気温92度とか。88度とか。ひょえーーーーーーっ。いきなりどうしちゃったのーーーーーっ。昨日までは摂氏で予報していたくせに、突然エゲレズ地図に90以上の数字が並んでるものだから、私の頭は「??????」。ダダですら華氏の予報を見て、「わからん」と唸っていました。(忘れん坊なので、すっかり華氏の感覚を無くしたらしい)お嬢を学校に送っていった帰りの車中、今日の温度が気になって気になって。「そうだ!昔fumi fumiさんが超簡単な換算方法を教えてくれたではないか!。なんだったっけ???」信号待ちの時fumifumi換算法を思い出そうと必死で考えていたら、信号が変わったのに気付かず、後ろから「ブッブー」と鳴らされてしまいました。ごめんなさい。という事で、何度なのかさっぱりわかりませんが、昨日の気温は7月の過去最高だったらしい、暑いエゲレスからこんにちは。(日本には負けるはず)さてさて。お嬢の学校もとうとう明日で終わり。夏休みに突入します(恐)。生まれて初めての通知表にも笑わせてもらいました。お嬢の学校での様子が、あまりにも想像通りで。私語が多い。はい。私の娘ですから。お勉強の方も楽しくついていけてるようで、良かった良かった。学校でのワークブックみたいなのも持って帰って来たんだけど、これが面白い。英語母国語の子って、こうやって読み書き習うのかぁ!と、なかなか楽しいのね。私たちガイジンは、エイ ビー シーから習うけど、エゲレスの子は、あ、ば、か、だ、(あ、バカだ?)って、音から覚える。私たちガイジンは、書く時、とにかく単語のスペルを覚えるところから始める。例えば、appleだったら、「エイ、ピー、ピー、エル、イー」って。でもエゲレス人は、音から単語を想像して書く事から始めるので、できあがったスペルが「apl」だったりする。なので、お嬢の書いた日記は、はっきり言って、ひじょーに難解(爆)。何個か、「ああ、子供が書くとこうなるのかぁ」と妙に感心した文を紹介しましょう。I pleid at home I pretet I was on a hs.(I played at home. I pretended I was on a horse.と書いたつもり)the boy cipt on smilin (the boy kept on smiling)などなど。なんじゃ、こりゃ!と大笑いする私に先生は、「今はとにかく自分の言いたい事を文章に書いてみる、というチャレンジ精神を育てるのが目的なんですよ。スペルがわからなくても、音から文字に変えてみる、というのが大事なんです。」と教えてくれた。ふーん。確かにお嬢の作文は、初期は1行書くのがやっとこさっぽいのが、最後の方は4、5行になっていて、簡単な絵日記のようになっている。週末した事、思った事を、ちゃんと伝えている。面白い。とっても面白い。言いたい事はちゃんと伝わるけどスペルがめちゃくちゃで、非常に面白い。未だにめちゃくちゃなスペルではあるけれど、初期のものに比べたら学年末に書いたスペルは明らかに進歩している。子供の進歩というか成長というか、ほんとに面白いものよの~。。。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさて。ここからは、中田/ニセモノ論争(爆)に興味のある方のみどうぞ。意見を聞きたい、というから書いたのに、ひとつもお返事くれないなんて、イケズな方、と思っていたら、どうやらあちらで勢い良くご返答して下さっていたみたいなんですね。悪友が電話で教えてくれました。ほんとに悪い友だち(笑)。トラックバックして下さればよかったのに。私への返答があれば、トラックバックして下されば読みに参ります、って言い残して、外してあったトラックバック機能をわざわざ復活させてお待ち申し上げていたのに。そこまでする価値もない、って事だったのでしょうかね。「中田は全人格、全方位、尊敬できる点など一点もない(ニセモノ)である。庶民よ、マスコミの情報操作に騙されるな。世の中のニセモノに騙されるな。」これに対し、「中田が全方位ニセモノ、という評価は、どうかと思います。その物言いは、人を小馬鹿にし過ぎでは?」という私のおそるおそるの意見から始まった、議論に全くならない論争(といえるのか?)。2つの全く違う価値観から導きだされた、全く違う結論!!私の方はこないだの日記でかきましたが、あちらの価値感では一体どういう結論が導きだされたのか?!閉鎖された(異論を受け付けない)コミュニティで暴走する論理(?)のいきついたその先は、、、、、、、、!その先は、もはやギャグの様相を呈していて、大変エンターテイメント性の高い作品に仕上がっています。この論争(?)に一歩足を踏み入れてしまった方には、「複眼的な視点を持つ」為にも、あちらのコメント欄の最後まできちんと読み込んで頂きたい!!ま、読者のコメントの内容までは、日記を書く人はコントロールできないものですが、とりあえず、一般的には、日記のレベルに見合ったコメントがついてくると思います。完璧に私の負けです。(戦ってたつもりはないけど)あんな面白い作品は書けません。恐れ入りました。(今日私がこれを書く事によって、私自身の品位を著しく落としてしまっている事は自覚しています。が、礼節を持って「それはちょっと違うのでは、、、、?」とこわごわ手を挙げてみただけなのに、あーれだけ罵られてしまったのですから、このくらいは多めに見て欲しいわ~ん。。。。。)
2006年07月20日
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先々週、隣町にサーカスを見に行って参りました。サーカスっていっても、動物は全く出ない、アクロバットとか皿回しとかのちんけなヤツなんだけど。その、ちゃっちーサーカスで、リングサイド(一番いい席)のチケットを購入した私たち。だって、ダダが「どうしてもリングサイドがいい!」って駄々こねるんだもん。(動物が出ると思ったらしい。)テント内に入って、動物など到底出そうも無い事がはっきりして、無駄金使ったな、と後悔しました。ま、そんなこんなで始まったサーカス。アクロバットのお姉ちゃん達が登場です。派手なお化粧をしてゴスっぽい真っ黒のピカピカ光る超ハイレグレオタード姿。お尻は丸出し状態。お嬢「うわー!綺麗だねー!可愛いねー!」私「、、、、、。」(子供の前でお尻丸出しか。開脚して大丈夫なのか、、、?)ダダ「!!!!!」私の心配をよそにゴスのサーカス姉ちゃんってば、天井から吊るされたロープにつかまり大開脚!!お嬢「うわーーーーー!すごいねーーーーーー。ママ!すごいね、あのお姉ちゃん!」私「、、、、、、、。」(うん、すごい。確かにすごい。さぞかしお手入れきちんとしてるのね~。元々薄いのかしら。)ダダ「!!!!!!!!!!!!!!!!!」(笑顔付き)全部で6、7人くらいしかいないちっこいサーカスだったので、3人くらいのお姉ちゃんが順番に出てくるんだけど、皆が皆、おじちゃん大喜び系のレオタードで出てくるんだよね、、、。ここはホントにサーカスなのか?と訝しく思いながら、同性なのに私の視線はあらぬ部分へと彷徨ってしまう。(これはワックスだよな。痛そうだよな。)あらぬことを想像していると、目の前のレオタードお姉ちゃんと目が合って、にこっと笑ってくれて、別に悪い事をしてたわけでもないのに、なんだか気まずい思いをしてしまったりして、、。ちゃっちーサーカスではあったけど、ある意味楽しませてもらった私。テントから出て参りました。お嬢「おもしろかったー!お姉ちゃん達すごかったねー!ママ?お嬢、大きくなったらあのお姉ちゃん達みたいになりたい!なれるかな?!」えええええええっ!???あのお姉ちゃん達みたいになりたいのーーーーーーーーーっ?????大笑いしそうになるのをこらえながら、「どうかねー?なれるかねー?」と言葉を濁す私の横で、「うーん。すごかったなー、あの子達。な、リングサイドにして良かっただろ?!」と満足げのダダ。純粋にサーカスを楽しんだのはお嬢だけでしたが、家族全員、違った視点でそれぞれ楽しんだのでした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの下は、昨日の中田日記(爆)に興味のある人のみ、どうぞ。「結果の出ない頑張りを評価出来るか」が、あちらとこちらの価値感の決定的な違いであり、論点もそこである、と思っていましたが、違うな、と思いました。私はあちらの土俵まで降りていって、中田を「あちらの求める結果」を出せなかった人として、日記を書きました。が。「あちらの求める結果」が果たして妥当であったのか。「世界レベルで、コンスタントに一流レベルの実力を持ち続け、世界中でサインをせがまれ、すごい技を持って、強豪チームで大活躍」これが、あちらの求める結果です。あちらは中田選手をあくまで「給与考査」の視点、ビジネスの視点から評価しようとしています。ビジネスの視点というのは、「その時点での」「能力」「業績」を評価するもので、選手の本質は評価する事は出来ません。が、それもまずおいておいて。それならば、あちらの求める結果も、ビジネスの視点で考えてみたいと思ったのです。優良企業というものは、自社の企業実力、競争力を客観的に把握し、達成可能な範囲内での一番高いターゲットを設定するものだと思います。日本代表の目標が、W杯1次リーグ突破だったのは何故か。なぜ、W杯優勝!を目標にしなかったのか。無理だからです。実現不可能だからです。日本が今の実力で、「おいらのチームは優勝したいんだ!監督やってくれ!」と言った所で、そんな無理な要求に名乗りをあげる監督など、世界の何処を探してもいないでしょう。日本の、W杯1次リーグ突破という目標は、そういう意味で妥当だった、と思います。日本のサッカーというのは、まだその程度のレベルなのです。ようやく株式上場した程度なのです。その程度の競争力しかもたない企業が、あちらの求める「結果」をターゲットに掲げるという事は、ようやく株式上場したばかりのどっかの国の清涼飲料水メーカーが、「今年中にコカコーラ、ペプシの売り上げに肩を並べるぞ!とりあえずは業界第三位だ!」とターゲットを定める、というのと同じ事です。そして、そのターゲットを達成できなかったからといって中田を叩き、あいつは全人格ニセモノだ、と非難するのは、当然のようにターゲットを達成出来なかった企業のトップが、自らの企業実力、競争力、状況判断の不適格さを棚に上げ、従業員をバカだ、使えない、と斬り捨てているのと同じです。不条理です。「結果を出せなかった頑張りを評価できるか」が価値感の違いだったのでは無かったのです。(もちろん、そこも違いますが)「中田の出した結果を認められるか、もしくは見えているか」これが違いだったのだと思います。妥当なターゲットを設定した優良企業だったら、少なくともある時点での中田の結果は評価された。ターゲット設定を間違えた企業だったら、中田は10年間全く結果を出さなかった。視点が違うわけです。しかし、なんですね。「意見を聞きたい」と催促するから書いたのに、一言もお返事してくれないんですね(笑)
2006年07月18日
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今日は久々にロンドンに行って、友だちと食べて遊んで映画みて、上機嫌で帰って参りました!が、クラッチさまにお約束してしまったので、これを書きます。はっきりいって気が進みませんが、自分で撒いた種、、、(泣)。皆様にはさっぱり状況がわからないでしょう。簡単に状況説明。この日記を読んで「ほー。」と思い、この日記を読んで「これはあまりにも、、、。」と思った私は、よせばいいのにコメントを入れてしまったんですね。本当に今、この時の私の行為を後悔しています。でも私は以前SUZU様とこういう有意義な議論が出来た事もあり、SUZU様は異論にも耳を傾ける方だと思っていたのと、以前に「異論反論大歓迎」とおっしゃっていたような気がしたので(今思えば気のせいかもしれません。)、コメントしちゃったんですねぇ。そして私のコメントに対してこういう返答を頂いた為、ああ、こういう考え方だったら中田の細胞の一つ一つまでムカつくだろうな、と理解したので、私は「納得しました。私とは価値観が違うので意見は合いませんね。」と返答し、即座にお暇申し上げました。そしたらクラッチ様が、今日のタイトルの質問を私に投げかけていらっしゃったので、それにお答えする次第でございます。なので、こういうのを読むのが嫌な方は、すみませんが今日はここでさようなら。さて、答えに移りますが、はっきり申し上げて、こういった質問自体が私の価値観からは遠くずれたところから来るものなので、私の意見を知りたいとおっしゃって頂いたのは有り難いんですが、私が書くのもクラッチ様が読むのも、あまり意味ないと思うんですよね。。。。何故なら、私が中田をどうして尊敬できるのかはここで書きましたが、私は中田のサッカー人生を総体的に見て評価しているからです。一つの試合、一つのプロジェクトを取り上げて(この場合W杯ですね)、そこだけ評価しているわけではないからです。例えば中田がものすごく不調だった時の情けない試合を一つ取り上げて、「この試合の中田の、どこをどう頑張ったと言えるのか?」という問いに、いやあ、確かに今日の中田は散々でしたね、と答えたからと言って、中田という選手はニセモノ、意味無し、とは思わないのです。もちろんビジネスでは、そういう評価が必要です。でも、私は中田をビジネスとして見ていないし、中田の監督でも上司でもないので、そこからして見方が違うのです。と言ってしまっては元も子もないので、あの超情けなかった試合を見せてくれた日本代表の中で中田くんが一体どう頑張っていたと言えるのか、私なりの考えを書く事にします。勝つにはどうしたらいいのか、リーダーとして真剣に考えて、チーム内の士気を(空回りではありましたが)なんとか上げようと悩み、頑張っていた姿を、私は尊重しています。ジーコ監督は、日本人の特質や気質を理解していたのかどうかわかりませんが、「自由なサッカー」という、日本人には非常に難しい目標を掲げました。日本人は、事細かに指示された事をきちんとやり抜く能力には長けていると思いますが、自由な環境で自発的に自分を発揮する能力は、欧米人に比べて劣っていると思います。そういう教育もなされていませんし。かの有名な、「ミスする事の出来ないはずのあのシュート」をミスった選手の「急にボールが来て、、、」という、腰が抜けてしまいそうなコメントが、「自由」を丸投げされた選手達の途方の暮れぶりを象徴している気がしてなりません。チームが途方に暮れている中、中田はリーダーとして、いかにしたら勝てるのか、を真剣に考え、時には「自分がいない方がチームの為になるのではないか、その為なら代表をやめる」と思い詰めるまでにW杯に向き合っていました。あのチームの中で、中田は勝利へのモティベーションを他の誰よりも強く持って真剣に取り組んで「頑張って」いたと思います。試合でも、途方に暮れているように見える選手達の中で、中田はいつも前に前に、進んでいました。いいポジションにいながら中々シュート出来ずに後ろにボールを送る事が続く、苛々する試合の中、中田は遠くからでもチャンスがあればシュートにチャレンジしていました。私には、「サムライ」という言葉に似合う気迫で頑張っていたのは、中田と川口さんだけのように見えてしまいました。もちろん、他の選手も頑張っていたんでしょうけどね。ただ、中田のリーダーとしての資質には、私は個人的には首を傾げるものがあります。W杯で自分達の試合が終わっていないのに、イタリアのメディアにペラペラとジーコ監督の悪口言うな、ドアホ!と、思いましたし。リーダーとしてチームをまとめあげたか、と言えば、結果は見ての通り、明らかに「否」です。もし、「中田のサッカーに対する真摯な態度」なんて抽象的なもの、どこを見たらわかるんだ、と思われるようでしたら、皆さんが「これを読めば中田のバカさ加減がわかる」と軽蔑してやまないnakata.netへ行って、彼の日記を逐一読んでみる事をお薦めします。(って、私もたまにしか読んでませんでしたが、、、、。)読んでもクラッチ様の価値観では「やっぱりバカだ」になると思いますが。というのが、私の考えですが、どうですか。「何言っちゃってんだよ、このおばちゃんは???お話にもなりゃしない。」と思ったでしょう?(爆)私もSUZU様の私への返答を読んだ時、まさしくそう思ったのです。そちらと私では、この件に関する価値観や視点が全く違うのです。本当に全く。意見が違うのは当然。だから、私はそそくさとお暇申し上げたんですよ。クラッチ様はどうぞ、この先も、中田をニセモノとして嫌い、軽蔑なさっていらして下さい。ニセモノで思い出しましたが、私とSUZU様達との、もう一つの大きな違いを付け加えておきますね。SUZU様は、世の中には ホンモノ ニセモノ ドッチでもない意味の無いモノ(でしたよね?) の三種類しかない、とおっしゃる。そして、ホンモノを見極めよ、ニセモノに騙されるな、と。私は世の中をそういう風には見ていないのです。私は、一人の人間の中にも、ホンモノ ニセモノ どっちでもないモノ が混在していると思っています。ある領域ではものすごいホンモノの人でも、ある領域ではとんでもないニセモノになり得る、と思っています。その辺の考え方は、ここでちょっと触れていますが、世の中には「絶対」なんてものは無い、と思っているのです。だから、私は中田を選手としては(クラッチ様の定義されたカテゴリーでの)ホンモノと思えるけれど、クラッチ様にとって彼がニセモノであっても、ちっともおかしいとは思いません。クラッチ様の考え方では、「絶対にニセモノのはずだ。ホンモノと思う人は馬鹿だ。」と思われるかもしれませんが。私は、人間なんて所詮、時には自分さえも騙し騙し人生やっている、弱くてしたたかで面白い生き物だと思っているので。声高に「私は生まれてこの方1秒たりともニセモノであった事はない!」なんて人がいたら、私はそいつこそとんでもないニセモノだと思うでしょう。
2006年07月16日
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以前書こうと思っていた突然思い出したネタ。面白いテレビ番組がありました。もう随分前だけど。一般人から宇宙飛行士を募集して、訓練して、宇宙に連れて行く、という。嘘なんだけど。本当は、ニセモノ宇宙ステーションで訓練し、ニセモノシャトルに乗っけられ、ニセモノ地球を見せられて、そしてニセモノシャトルから帰還するのです。そして、宇宙飛行士として選ばれてから帰還するまでの彼らの一部始終をテレビで放映する、という、なんとも残酷で悪趣味な企画。予告を見たその日から、私は「可哀想すぎるよこんなの。悪趣味だよ、見るのよそうよ。」と言っていたのですが、宇宙大好き、どっきりカメラ大好きなダダは、それはそれは楽しみにしていました。で、結局一緒に見たんだけど。なんかね、私は偽飛行士達が気の毒で気の毒でね。それと同時に「バカだなぁ、、、」と呆れもしてね。だって、ロケット発射時なんて、とんでもない重力かかってすごい事になるはずなのに、彼らのシャトルはディズニーランドの乗り物のようで、さりとて揺れもしなければ重力もかからない。その時点で気付きそうなものなんだけど、他にもいろいろ粗が出てくるのに、彼らは気付かないのよ。まあ、さすがに最後の方では「おかしい」と言い出す人もいたのだけど。でね。いろいろあって、最終回、地球に帰還、テレビ生放送!の日。もう、私は彼らが気の毒で気の毒で、、、、。ダダと二人で「可哀想だね、気の毒だね~」と言いながらもテレビに釘付け。自分達は宇宙に行ってきたと信じきっていて、中には怪しんでいる人もいたけど、でもとりあえず行ったのだと思っていて、すごくすごく興奮していて、地球に帰ってきたらメディアのインタビューが待っている!って思ってるんだよ。「地球って美しい、、、、」なんて真顔で感動したんだよ。それが全部嘘だなんて。。。。。全国放送で、とんだ赤っ恥じゃないか!!!!! by 私達成感が台無しじゃないか!!!! by ダダそう。私もダダも、彼らを気の毒と思う気持ちは同じでも、その理由が大きく違ったのでした。もちろん、「嘘だったのね、、、」という落胆も可哀想だけど、私はどちらかというと、全国放送で恥さらし、私はこんなのにも騙されちゃうおバカちゃんなの、と、皆の前でスポットライトを浴びる恥ずかしさ、恥に対して、すごく気の毒に思ったの。私が彼らだったら、私はそこが一番悲しいから。でもダダは違う。多少は恥ずかしいけど、視聴者が自分の事をどう思おうが、自分には関係の無い人達だから別にどうでもいい。それよりなにより、宇宙に行くなんてものすごいことで、自分はシャトルにのって、地球の周りを回って、美しい地球に感動して、ものすごく幸せで嬉しくて、やったぜ!って気分なのに、それが全部嘘だったなんて、あの俺の感動はホンモノなのに、それは嘘から生まれた感動だったなんて、ああ、俺は悲しい、、、なのだそうだ。それを聞いて、なぜだか私は自分がちょっと恥ずかしいというか、人間としてダダよりかっちょわるいな、と感じました。他人の目を通しての自分の姿を一番気にしてる気がして。ダダは他人の目よりも自分の中身を大事にしてる気がして。そういえば、日常生活でもそういう違いをいっぱい感じてきた。なんか、ダダっていいなぁ、と少し羨ましくなりました、、、。どっちが人生楽しく生きられるか、っていったら、絶対ダダみたいな感じ方の方だろうな~。私みたいなのは、必要以上に恥ずかしくなったり悲しくなったり腹を立てたりするのだろうな~。だからダダはいつも穏やかなのかな~。(最近は40を超えてGrumpy Old Manになりつつあるけどね)どうせ自分の事なんて見てもいないかもしれない「他人の目」を気にして自分の感情を左右される事の無意味さ。わかっちゃいても、A型ってーのはねー(笑)
2006年07月14日
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いきなり何だ、とお思いでしょう(爆)実はいろいろありまして(笑)ある方の日記で書かれていた問いなのです。中田に尊敬すべき点はあるのか。あるとしたら、一体どこに。海外に出たとはいえ、世界レベルでも一流のイチローに比べ、中田は世界レベルでは三流。評価されるべき結果も出していない、と。私は、彼の「頑張り」「努力」をとても尊敬しているのです。結果を出さない人を尊敬はできない、という人もいるのでしょうが、私はやっぱり、中田は頑張ったよな~、と思うのです。人格に関しては、私は彼を個人的に知らないのでわからないし、先日友人から伝え聞いた、最後の試合でのインタビューの様子などは「おい、お前その態度は間違っとる!」と思う事もあるので、手放しで大絶賛ですごく大好き、というわけではないのですが。確かに彼は、世界レベルでも一流の結果を出している野球のイチロー選手に比べたら、世界レベルで一流のサッカー選手だとは言えません。勢いの良かった海外での前半に比べ、後半は試合に出る事すらほとんど無かった。結果を出してない、と言われてしまうのもわかります。でも、ヨーロッパでのフットボールの歴史に比べて、日本のサッカーの歴史はまだまだ浅い。まだ「あけぼの」サッカー状態の今の日本から、いきなり彗星のごとく世界の一流になれる選手が現れるとは、私はそこまでは期待していないのです。とりあえず海外に飛び出ていって頑張った、海外での初戦、強豪ユベントス戦で2得点した、セリエAの外国人選手MVPに選ばれた、というだけで、私には十分な結果だと思えるのです。彼の姿を見て夢を抱いた子供達の中から、将来もしかしたら「イチロー」が生まれるかもしれない。イチローという選手だって、一朝一夕に生まれたわけではないと思うのです。サッカーに比べたら日本では古い歴史がある野球界において、国内で頑張って来た歴代の選手達によって日本全体の野球のスタンダードが高められ、人材が育てられていった末の、イチローというすごい選手の出現、だと思うのです。結果を出せなかった人達の「頑張り」や「努力」を礎として、将来結果を出せるすごい人が育つかもしれない。私は、結果を出すイチローはもちろん尊敬するけど、イチローの礎となった、結果を出せなかった人達の頑張りや努力も、尊敬できるなぁ。
2006年07月12日
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邦題は何なんだろう?そのままかな?ドリームワークスの新しいCGアニメ映画。週末に見に行ってきました。注意!ネタばれ、ばればれなので、ネタばれ嫌いな方はこの先読まないように!お嬢はいつも通り、とーっても楽しんでいましたが、私は見ている最中も見終わった後も、なんだか苛々。何故だかこう、納得いかない、っつーかこう、「子供向けなのに、ストーリー、これでいいのか?」って気分。大岡越前や必殺仕事人を見終わったような、すっきり感!が無いのっ!だってさ、もとはといえば、主人公のアライグマが全面的に100%悪いわけよ。冬眠中のクマが蓄えていた全食料を盗み出そうとしたわけよ。そりゃあ、クマは怒るわな。で、クマはアライグマを食べちゃおうとするんだけど、アライグマが全食料を一週間で返します、と約束したので、クマは猶予を与えたわけだ。クマは、至極全うな奴だと私は思うのだ。アライグマが悪いと私は思うのだ。なのに。なのに。ああ、それなのに。最終的にはアライグマは幸せに、至極まっとうなクマは人間に捕まって連れてかれてしまうのだ。うー。納得いかん。しかも、クマと別れたアライグマ、する事為す事汚くて計算高くて、おいらはどうしてもこいつが好きになれなかった。でも幸せになるんだな。納得いかん!!!!納得いかないながら、なんとなく私は自分なりにこの映画のメッセージ(大袈裟)を受け取ったような気もした。それは決して、子供映画で使われる「勧善懲悪」では無いのねん。私なりに受け取ったのこの映画のメッセージ。それは。例え相手が100%悪くとも、逃げ道を全く与えず100%追いつめると、追いつめられた相手はキレて、自分に全て返ってきてしまう。という、私が以前に日記で書いた事のある真実なのだ!!!さふらんママのいう、「首の皮一枚残す」事の大切さ。これがこの映画のテーマなのだ!(ほんとかい?)でも、そう思わないと、あたしゃこの映画、どうもほんとに気分悪いのよ。それに、そう思ってストーリーを振り返ると、うんうん。確かにそうだ。うん、やっぱりそうだ。と頷ける。アライグマは過ちを犯したけど、クマも「食べちゃうぞー!」と追いつめてはいけなかったのだ。一週間で盗んだ全食料分返すなんて、無理難題を抱えて追いつめられちゃったから、アライグマは更にいろんな事をしでかしてしまったんだ。生け垣の向こうの人間様の食料を盗む時も、あんなに徹底的に盗んだからいけないんだ。やり過ぎたから、人間も対応策を考えて自分達が痛い目に遭うハメになったんだ。それに人間の方も、ちょいと食料を盗まれたからといって過剰対応をしてはいけなかったんだ。自分達だって、森の動物達の住む所を破壊して住んでいるわけだから、その辺りもうちょっと考慮してあげなくちゃいけなかったんだ。それを徹底的にやり過ぎたから、最後自分が痛い目に遭ったんだ。と考えれば、ふむふむ、と思える。最後、人間が痛い目に遭ってるところでも私はなんだか不満だったんだよね。私だってあんだけ食料取られて家の中荒らされたら、ぶちキレるもんなー。ということで皆さん、子供映画のくせにね、この映画は、「首の皮一枚残す事の大切さ」を訴えた映画なんですよ(?)。でも、世の中で戦争がいかにして起こるかを見ていると、それは本当に本当に、大切な事ではあるんですけどね。。。戦争まで飛躍しなくても、人間関係でもそうだけどね。。。んなこと、子供にゃわかるまい。
2006年07月11日
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先週の金曜日はお嬢の運動会でした。日本の運動会とはぜーんぜん雰囲気が違います。ま、それはそのうち書くとして(?)今日は、ああ、私って日本人だわ~、と実感し、ダダに「ほんとにお前は日本人だ!」と怒らせたエピソードをひとつ。小1時間ほどで競技の終わってしまうしょぼいお嬢の運動会、競技の後にはPTA主催のバーベキューがございます。このバーベキューをするにあたり、各人が事前に何を持ち寄るか、リストを作って決めました。メロンスライス、とか、きゅうりの切ったの、とか、面倒くさいのになるとクスクス(もちろん作ってあったかくして持ってくんだよ)とか、ポテトサラダとかガーリックブレッドとか。私が選んだのは、フェアリーケイク(カップケーキだな)12個。だって、12個入りのケーキ買うだけでいいんだもん。安いし。というわけで、早々とスーパーで買って用意しておきました。(しかも日持ちするんだな。)ところが。まんまと当日、家に忘れてきてしまいました。他のお母様方が皆、手に手に何かを抱えて学校の庭に集まるのを見ながら、そりゃあもう、もんのすごーーーーーーーーーーーーーい、罪悪感!!!!!やべーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ。「やばいやばい。取りに帰らなきゃ!」と言う私の横で、「大丈夫だよ。12個ケーキが無いくらい、誰も気付かないって。」と、悠々としたダダ。「駄目だよ。そんな無責任な!!!」と慌てる私に「無責任じゃないよ。わざとじゃないんだし。間違えただけじゃん。それに、たった12個のカップケーキの為に往復30分もかけるなんて馬鹿げてるよ。」と、なおも悠々と動じないダダ。エゲレスに10年も住んでいると、ダダの道理もわからないわけではないが、私はあんたのそういうところがとってもとっても嫌いだ!!!!私はバーベキュー責任者のサンドラを見つけると、走りよって自己申告しました。「ごめんなさいーーーーー。フェアリーケーキ、忘れてきちゃったのー。これから取ってくるからー。」と言ったら、「あら、大変ねえ。そしたら、お嬢のレースが終わってからにしたら?どうせバーベキューまでには後1時間くらいあるから。」と言ってくれたので、お言葉に甘える事にしました。競技を待ちながらその旨ダダに伝えると、ダダが怒りだしました。「帰る事は無い!たったの12個だぞ?たったの12個のちっこいケーキの為に帰るなんて馬鹿げてる。そもそも12個ケーキが足りないなんて、誰も気付かないよ。ケーキに名前欠いてるわけでもあるまいし。ほんっとにお前はあきれかえる程日本人だっ!!!くそ真面目なんだから!」ダダが怒ったのには、ケーキがどうの、以前に、知り合いも誰もいない中、私がいなくなったら、もともと全く社交性の無い彼は居場所が無くていたたまれない、という「保身」もあったと思われます(爆)が、こういうケースは今回に限った事ではないのです。自分がする事になっていた事、特に他人に関わる事は、どうしてもちゃんとやらないとものすごい罪悪感にさいなまれる私と、自分がする事になっていた事でも、状況が変わって出来なくなったら、いとも簡単に出来なくなりました、と言ってしまえるダダ。いつもこれでけんかになるのです。で、今回も口喧嘩をしていたのですが、それを聞いていたセーラが口を挟みました。「あきゃんあきゃん。大丈夫よ、12個くらい。だーれにもわからない、って。」横で満足げな顔で頷くダダをよそに、私は言いました。「でも、誰にもわからなくても、自分がすごく居心地悪いんだもの。」というと、セーラも頷いていました。結局、お嬢の競技を二つ見て、最後の競技はダダのビデオを後で見る事にして、バーベキューに間に合うように、フェアリーケーキを取りに戻ったのでした。戻りながら、うーむ、私は本当に日本人だなぁ、と思いました。ま、日本人が皆私と同じ感覚とは限らないけどさ。ダダと私の感覚の違いはそっくりそのまま、罪と罰の文化の欧米と、恥の文化の日本の違い、って気がします。キリスト教文化とサムライ文化。みたいな。罪は神様が見ていて後で罰が下るキリスト教的な文化。(12個ケーキが少ない事など誰も気付かないから大丈夫と思えるダダ)恥の文化の日本では、罰が下るかどうかは関係無く、自分が居心地悪くなる。っていうか、自分に恥ずかしい、って感覚が強いんじゃないかと思う。(誰が気付かなくとも、私が責任を全うしなかった、という事実が嫌!と思う私)とはいえ、日本にも「お天道様が見ているよ」文化もあるし、カソリックにも「コンフェッション」があるけどね。でもおしなべて、日本人の方が「誰も責めないけど自分が居心地が悪いのでやるべき事をやりとげる」感覚は欧米人より強い気がするのであーる。欧米の方が「合理性」を重んずる、って事もあるのかもしれないけど。日本人が欧米人を日々の生活の中で「無責任!」と感じる事が多いのは、そんな違いも関係してるんだろうなぁ、と思ったお嬢の運動会でございました。
2006年07月10日
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「日本を守れるか」の日記に関して、もしかしたら誤解を与えているかもしれない、と思ったので、要約してつけたしする事にしました。(私っていつもこのパターンよね、、、文章力がちょいとね、、、)「戦争になったら逃げたくても逃げられないよ。」「昔の人だって、結局そうだったんだよ。」と思った方には、このつけたしを読んで頂きたいです。あの日記で一番言いたかった事。軍事力を持つ覚悟は日本人にあるか?という事。そして、もし自分にその覚悟があっても、国家としてないのなら、今現在の政府の歯痒いやり方を受け入れるしか無いし、ある意味植民地である日本を受け入れるしかない。精神的植民地化されつつもしたたかに生き残りを計る日本と、植民地にされる事自体に対抗して戦った昔の日本とは、精神性がどこか違っていて当然。以下、説明。軍事力が無い国家は、真の意味では独立国家足り得ない。現在日本が世界に誇る「平和憲法」は、親分アメリカが守ってくれる約束だから持っていられる仮の平和。いわば、リース契約のような平和。リース契約平和にはメリットもあるが、それを続ける限りは日本は今までのように、世界に向かって言うべき事もはっきりと言えず、歴史観は相変わらず歪められ続け、親分のいいように使われ、金を吸い取り上げられ、私が苛つく日本であり続けなければならない。日本が、言って当然の事を世界に言えるようになり、親分と少しでも対等に近い立場で国際社会上の駆け引きが出来るようになるには、軍事力は必要なのだ。そういう視点から、私は日本は軍事力を持たなくてはいけない、と考える。が、実際に軍事力を持つ、という事は、個人のレベルで考えたらどういう事か。自衛隊が正真正銘軍隊になる、という事はどういう事か。テレビで英国軍人が殺された、というニュースを何度も見た。それと同じ事が日本でも当たり前に起こる、という事だ。今までも、日本人が扮装の犠牲になった事はあるけれど、それとはレベルも意味も違う。リース契約の平和に慣れている日本人は、それに耐えられるか。「自衛しかしませんから。」軍事力を持つ以上、国際社会でそれは通用しない事は、国内法上軍隊と認められていないはずの自衛隊を、親分に要請されれば紛争地域にせっせと送り込まねばならない状況を見れば明らかである。ちなみに英国のテレビニュースでは、自衛隊を「troop」と訳している。国際社会上は、自衛隊は軍隊なのだ。他国の軍と同じ軍隊なのに、他国軍に比べ扮装の激しいところには配置されない。日本国内の事情を知らないこちらの人々が、日本の自衛隊の国際社会貢献についてどう思っているかは明らかだ。いけね、また話がずれた。私にもし息子がいるとして、息子が「僕、軍に入る!」と言ったらどうするか。私は嫌。そんな覚悟は無いのだ。他の誰かが軍に入り、もし戦争が始まれば死ぬかもしれない状況、に置かれるのは、「日本が独立国として成立するためには仕方ない」と思いながらも、自分の息子や夫がその立場に置かれるなんて耐えられないのだ。すごいずるいのだ。(昔の人だって、耐えられないながらも仕方なく送り出して行ったのだろう)その覚悟がないのならば、現在の平和リース契約でとりあえず満足するしかない。現在の日本の、なんとも弱腰だけれど状況見る限りは結構よくやっている、この姿勢を受け入れるしかない。でもそれでは、日本はほぼ、植民地化されたも同然。日本で普通に日々の生活を送っていると気付きにくいけど、国際社会的には、そう。こういう状況で、なんとかしたたかに「日本人」として生きている日本人と、そういう状況自体に抵抗した日本人。プライド的には違うよな、と。そういう事を言いたかったのです。ちなみに、平和と軍事力は一見相反するように見えるけど、表裏一体、切り離せないもの、という事も付け加えたい。それと、国、というのは外交、内政とで成り立つもの、という事も。外交は適当に、内政をもっと充実させて、というのは無理だと思うの。テキトーな外交で国際社会上にテキトーな日本を位置づければ、それはそのまま内政にも反映されてしまう。適当なその場しのぎの内政しか出来なくなってしまう。親分の顔色伺いながらだったら尚の事。だと思うのだ。って考えるとね、あんなに「情けねえ」と思ってた日本が、案外うまい事切り抜けてるんじゃん、と思えたりもする。これが、今の日本のやり方なんだろうな、と。でも、「尊敬」って念は、ちょっと生まれにくいんだけど、、。
2006年07月02日
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まずは、昨日の日記に対してSilver Lilyさんがご自分の日記でコメントしてくれたので、私もそれに長文コメント書きました。もし興味があったらこちらへどうぞ。あぁぁぁぁぁぁぁ。イングランド アウト。負けちゃったね~なぜだか私は、日本が負けた時より悲しかったよ。うつむいて涙を流している選手達の姿を見ていたら、不覚にも涙が流れそうになったよ。もし中田選手が一人で泣いてる姿をテレビで見てたら、あの時ももちっと悲しかったかもしれないけど、日本が負けた時は、こっちのテレビ あっという間に中継終わったもんな。しかしなんだね、フットボールっていうのは、すごくプリミティブなスポーツだよね、基本的に。一流選手の見事なドリブルや、こないだのベッカムのフリーキックが描く見事な弧なんかを見ると、「フットボールは芸術だ!」という気持ちも分かるし、実際そうなんだろうと思うけど、それとは違う意味で、原始的ですごく人間の本能的なスポーツだよ、と思うよ。とにかく球をめがけて走る、蹴る、ネットに入れる、向かってくる奴は蹴倒す!マンモス目指して取り合いをする、狩猟民族の根源を見るような思いがする。それに比べると、野球っていうのはなんだかとても洗練されたスポーツのような気がしてきた。そもそも試合形態全然違うもんね。団体競技でありながら、限りなく1対1のスポーツじゃない?投手が投げた球を誰にタックルされる事なくバットで打ち、誰にタックルされる事なく走ってベースを目指し。投手が投げるときも誰も邪魔しに来ないし。エゲレスで、フットボールが一般庶民(労働者階級中心)のスポーツであるのに対し、クリケットがお上品階級のスポーツである、って事が、なんかよくわかる。ふと思ったのだ。日本人の国民性には、フットボールってスポーツはあまり向いていないのではないか?!だって日本人って、プリミティブではないもの。ガツガツと他人を蹴倒してとにかく前に進む、俺がやる!俺だ!俺だ!俺様だーーーーーーーーーっ!って人、あんまり日本人にいないもの。もくもくと土をいじって米を作って食べていた農耕民族には、あの、闇雲に獲物めがけて相手を蹴倒して走る闘志本能はセットされてない気がするの。イングランド戦見ました?ルーニー、ポルトガルのロナルド(だったっけ?)にコテンパにやられてたでしょ。試合始まる前にロナルドとやら、我がイングランドの若きルーキーのルーニーに、後ろからものすごく攻撃的に何やら悪態らしきものをすごく嫌な顔で囁いていたのよ。でもって、試合中は執拗にルーニーを付け回し邪魔しまくり蹴倒しまくって、さすがに逆上したルーニーが退場になった後、あいつ、ベンチに向かって満足げに頷きながらウインクしたんですよっ!!!!さも、「エゲレスのエースストライカーを追い出したぜ!これで万事OK!」とでも言いたげに。このムカつくまでの闘志!日本人で、相手の得点稼ぎ頭に、こんな攻撃的な闘志をあからさまに出す人、いないでしょう?!っちゅーか、日本人の美学に反するよね~日本人はもっとこう、燃えたぎる闘志を胸に秘めるのよ。そう。秘めるのよね。でもさ、フットボールでは、秘めていてはいけないのよね。そういう性格のスポーツじゃないんだよ。って、フットボールの事なんか全然わかっていない私ですが、、、。でも見ててそうだもの。アグレッシブな方が強いもの。日本では様づけで呼ばれているらしいベッカム様だって試合中、吠えてるもの。うおーーーーーーーーーーーーーーっ、て。負けたけど(悲)うおーーーーーーーーーーーーーーーって吠える感覚、感情や闘志を表面に思いきり出して戦う感覚、っていうのは、農耕民族に元々備わっている性格じゃないよねー。って思う。それに、日本人はお人好し。出る杭は打たれる、っていう風潮も手伝って、譲り合いの精神が強いもんね。フットボールで世界の元狩猟民族達と戦うには、civilizedされすぎているのよ、日本人。(civilized=礼儀正しい、洗練された、教養のある、文化的な。)よって、日本にはより洗練されたスポーツである野球の方が合っている、と思うのであーる。でも、そんな事言っていたら、いつまでたっても勝てないではないか。勝つためにはどうしたらいいのか!さっぱりわからんが、狩猟民族とは全く違うアプローチが必要であろう。農耕民族的な。うーん、、、、、。わからん。(無責任)
2006年07月01日
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ああ、いかん。今日はメチャ忙しいのに、ついついコンピューターを開けてしまった。時田さくらさんのところに遊びに行ったら「共感なさった方はリンク貼って下さい」と書いてあったので、素直にリンク貼らせて頂きます前からこれを読んでくれてる方は、私の「世界の中の日本」に対する意見はもう、十分承知の事だろうと思います。興味の無い方はもちろん見る必要ないけど、でも!私と反対意見の人にこそ、最後まで見て欲しいなぁ、と思うのであった。ところで、今回時田さくらさんがご紹介しているこの動画、実は以前、別の方から教えてもらって、見た事があるの。おいらはその時、涙が止まりませんでした。「ありがとう。」って気持ちと「ごめんなさい。」って気持ち。こんな平和な世の中になりました。のほほんと生きています。ありがとう。でも、貴方達が命を投げ出してまで守ろうとしてくれた日本は、今はこんなになっちゃいました。(貴方達を国家をあげて参拝する事すら許さない状況です。)ごめんなさい。ほんと、涙が止まりませんでした。が、今回は、既に内容を知っていたからか、涙が全然出ませんでした。涙が出ない代わりに、ごめんなさい、ごめんなさい、が、何度も何度も口をついて出ました。なんか、私は1年前の今頃と比べると、かなり考え方が変わってしまった気がする。あきらめ、というか。。。。。以前、投げやり気味に書いた日記で私は言った。「日本は戦後、生まれ変わって別の国になった。」今でも乱暴な言い方だと思うし、投げやり気味な意見だとは思う。思うんだけど、でも、、、、うーむ、、、、。まんざら間違ってもいないと思うのだ。100%変わった、とは言わないけど、少なくとも靖国問題に関しては、今の日本には靖国を守る器量なんてもう無い気がする。里帰りした時、小林よしのりの「靖国論」を読んでみたけど、彼は、私がそう思うよりずっと前に、そう書いていたのね。彼を凄いなぁ、と思うのは、私なんてなーんにもしてないのに、もう勝手に「日本は新しい国になったんだ!」ってあきらめようとしてるのに、彼は死ぬ程仕事をして勉強して皆にも分かってもらおうとして頑張っていて、あれだけ頑張っていれば私よりずっとずっと「あきらめ感」は本当は強いはずなのに、それでもやっぱりあきらめていないところ。あきらめてしまえば、楽なのに。凄いなぁ。でもね、私の考え方が変わりつつあるのは、そうした方が楽だから、だけじゃないのよ。「もっと国益を考えるべき」だの「周りが核装備してる中で軍隊保持を日本国内ですら認められない、なんちゃって独立国日本」だの、政治的な考え方からしたらそう思うけど、私個人の生活レベルでの考え方からしたら、「冗談じゃありません。私の大事な夫や子供を戦争になんか差し出せません。私逃げます。すたこらさっさ。」って、わたし、思うっちゃうんだもの。私、ずるいんだもの。私にとって日本ってその程度なのかぁ?!って思って。もし、万が一、今、日本という国を守る為にどこかと戦わなくてはならなくなったとしたら、戦前の人達のように「愛する人達を守るため」に戦争に行ける人が、今日本にどのくらいいるんだろう。愛する人達を守るために、日本人である事を捨ててでも、愛する人達ととっとと逃げる人の方が多いのではないか。大半は、戦争して自分や自分の周りが戦地に赴かなくてはならないくらいなら、日本なんて別になくなってもいい、って、思ってないだろうか。「日本、大好き!」と無邪気に笑っている現代日本の若い子もいっぱいいるけど、日本を守るために戦争できるくらいまでは好きだろうか。平和!平和万歳!というけれど、平和を勝ち得る為には戦わなければならない時だってある。日本の人口の何パーセントが、もし不測の事態が起こった場合に、自らの平和を勝ち取る戦争をしてもいい、と思うだろう。なんとなく、だけど、平和を勝ち取る為の戦争をして自分や家族の命を危険にさらすくらいなら、どっかに占領されて下級市民としてでも頑張って生きていきたい、という「平和的」な選択をする日本人の方が多いような気がするんだけど、どうだろう。。。それに、これもなんとなく、だけど、政府は既に何十年も前からそういう姿勢でやってきて、今なんてみんな気がつかないうちにもう下級市民っぽくなっちゃってると思うんだけど、(牛肉問題他いろいろ、随分バカにされちゃってるしね。)どうなんだろう。。。。これを読んでる貴方はどうですか?戦争してまでも、今の日本を守りたいと思います?自衛隊が出てく程度だったら自衛戦争してもいいとおもいます?自衛隊で事足りなくなって、徴兵制始まろうとしたらどうします?そんなにまでして守りたい「日本」ですか?少なくとも、「日本国」に対する感覚、気持ち、プライド、っていうのは、戦前と戦後の人間では天と地ほどの違いがあるとおもう。そして、「国として守りたいもの」も、戦前に比べたら少なくなってやしないだろうか、ひょっとして。日本のプライド、っていうか。威厳、というか。現代日本に、私にはそういうモノがあまり見えていない。
2006年06月30日
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最近お嬢は、Cちゃんの愚痴を言う事が多い。Cちゃんとは同じクラスで家も割と近所。よっぽど気が合ったのだろう、二人とも入学当初から磁石のようにくっついていた。今でも仲がいいのだけれど、仲がいいあまりにいろいろ愚痴もでる、というのはいかにも女の子ねん。このCちゃん、とても明るい、いい子なのであるが、ちょっぴり意地悪(爆)。皆様、覚えておいででしょうか、以前お嬢にだけテディを見せてくれなかった、あの子です。5歳くらいの子のやる意地悪というのは、大抵ストレートなわかりやすい意地悪でとっても可愛いもんだけど、Cちゃんの意地悪というのは、ちょっと曲がっている。はっきりいって、この子のやる意地悪(嫌がらせ)は、私は大嫌い。例えば、「ママー。Cちゃんが、私の誕生パーティーにKちゃんを招待しちゃダメっていうの。もし私がKちゃんを招待したら、Cちゃんのパーティーに私をよんでくれないんだって。私はKちゃんも招待したいのに、どうしよう、、、、。」とか。私はこの話しを聞いたとき、Cちゃん、それ、えれー性格わりぃよ、と思った。と同時に、よく5歳でこういうタイプの嫌がらせを考えつくなぁ、と感心もした。だって、5歳にしちゃ随分出来のいい嫌がらせじゃないの。貴方がKちゃんを嫌いなのは構わないけど、それに上手い具合に他人を巻き込んで。頭いいよなあ。と同時に、おい、お嬢、こんな事で悩んで傷つくなよ、、と情けなくもなった。私だったらこんな事言われたら逆にCちゃんにけんかふっかけそうだもの。私、子供のとき、めちゃ正義感強くて けんかっ早かったから。「私の誕生会だもの。私が呼びたい人を呼ぶ!なんであんたに指示されなきゃいけないわけ?それで私をあんたのパーティーに招待してくれないんだったら、いいよーだ、いってやらねーよーだ!ふん!」と何故言えないかなぁ。こんなに攻撃的になる必要はないけど(苦笑)今は私も大人になったので、Cちゃんの意地の悪さも「ま、子供の成長段階なんだろーねー。」と見守っていてやれるけど、私が今5歳でCちゃんと友達でそんな事言われたら、間違いなくCちゃんをやりこめていただろうな。子供の頃は、私は強かったのである!!!(口喧嘩のみ。)ところがお嬢は、私のようには強くないようなのである!!!こいつは困った。というか、情けない。「パーティーよんでくれないっていうの。」と悲しむお嬢に、「なら、いいじゃない。別にCちゃんの行かなくたって。」と言っても、「だって、みんな呼ばれて自分だけ呼ばれないのは嫌だ。」と言う。ま、確かにそうだが、そもそも、そんな事を考えつく底意地の悪い奴とは私は友達になりたかないがね。お嬢にとっては、「拒絶」されるという事が、とても悲しくて嫌みたい。こんな、笑っちゃうのもあった。「ママー。休み時間に私はNちゃんと遊びたいのに、Cちゃんが遊ばせてくれないの。私はCちゃんとしか遊んじゃダメなの。Nちゃんと遊びたいのにーーーーー。」というから、「何言ってんのよ、Nちゃんと遊びたいならNちゃんと遊べばいいのよ。Cちゃんはお嬢のボスでもなんでもないでしょ。Cちゃんの言うとおりに全部しなくていいんだよ。」と言ったら、「ちがうよ。Cちゃんの言う通りにしなくちゃいけないんだよ。だって、言う通りにしないとレインボウスウィーツくれない、って言うんだもん。」とな。レインボウスウィーツ????なんのことか分からんが、文字通り、なんかのキャンディーらしい。そんなもので人を釣る手法を知っているCちゃんもCちゃんであるが、そんなものにまんまと釣られるお嬢もお嬢だよっ!!!!「いいじゃん。レインボウスウィーツなんて食べられなくたって。きっとおいしくないよ、そんなもん。」と吐き捨てるように言う私に、「でもお嬢食べてみたいんだもん。レインボウスウィーツ。」と目をキラキラさせてお嬢は答える。その目をみながら、ああ、この子は紛れも無く私の子だ、と思った。食い意地が異常にはってるのよね、、、、、、。ま、それはそうと、如何にしたらお嬢に、Cちゃんが何て言おうと関係ないのだ!Cちゃんは君のボスではない。言う通りにする必要はない。何かをあげるから、とか、もう遊んであげない、とか言って誰かを自分の言う通りにさせようとするのはすごく卑怯だよ。何かがもらえるから、とか、遊んで欲しいから、って誰かの言う通りにするなんて、すごく恥ずかしくってかっこ悪い事だよ。あんたは自分の思う通りにしなさい。と納得させられるんだろう。上に書いた事、今までに何度も何度も、口を酸っぱくして言って聞かせているのに、事態は全然変わっていないのねん。ああ、我が子ながら情けない、、、。でさ、面白いのがね、それでもお嬢はCちゃんが好きで、Cちゃんはお嬢が好きなんだよね。。。お嬢の夢にはいっつもCちゃんが出てきて楽しく遊んでるの。Cちゃんネタではもひとつ面白いのがあるんだけど、眠いのでまた今度。
2006年06月30日
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さて、ここのとこ熱を入れて(?)書いていた「日本は甘い!」シリーズ。本当はまだまだ続きがあるのですが、週末を挟んだらすっかり情熱(爆)が冷めてしまいました。またそのうちぼちぼち書きます。(そういえば私、宗教シリーズもいっぱい書く事あるんだったよなぁ、、、)とまあそんなわけで。突然ですが、私にはアッパーミドルクラスの友人が全くいない、と思っていたのですが、実はいました。忘れていたけど、いました。忘れていたくらいなので、近しい友人とは言えませんが、元同僚、がその人です。現在でもクラス(階級)意識が色濃く残るここ、エゲレス。もちろん私は上流階級とは思いきり無縁。私と交流のある人達は中流以下の人達です。なので、中流以下の人達の生活ぶりには結構詳しいのですが、アッパーミドルは未知の世界。話しによれば、アッパーミドルクラスが、一番英国を象徴している、とも聞きます。アッパーって、どんななの?普通のミドルとは違うの?上流とはどう違うの?そんな私の謎が、つい先日、ちょびーーーーーっとだけ解けたような気がするのでありました。(といいつつ、彼女らが本当に『アッパーミドル』に属するのかいささか自信無し。クラスシステムにもっと詳しい方いらっしゃったらコメントお願いします。)彼女(Pちゃんとしましょう)はバリバリキャリアウーマンでしたが、3人目の子供の出産を機に専業主婦となりました。住んでいる所は、お金持ちが住む所で有名なお金持ちエリア。かのポールマッカートニーもその辺りに家があると聞きました。彼女の家には「名前」がついています。こっちで「名前」のついている家というのは、大抵、でっかくて昔からある家です。もちろん例外もありますが。普通の家は、番号がついています。我が家も番号です。脱線してしまった。その、Pちゃんの家へ、このあいだ、久しぶりに遊びに行きました。Pちゃんの家は大きいです。家に置いてあるものは、全て高級品です。「くんくん。お金持ちの家の匂いがするわ~!」と感心しながら(でもそんなお下劣な事はもちろん言わず)、他所様のお宅を楽しんでいた私は、リビングへ通されました。最近、ようやく改築が済んで、真新しい家具を入れたばかりのリビングにPちゃんは嬉しそうに私を通してくれました。ところが私ときたら、どこがどう変わったのか皆目見当つかなかったので、ただただ「素敵ねぇ!」と誉める事としました。リビングにて、Pちゃんの3人の子供とお茶。紅茶も「ミルク、砂糖は?」とは聞きません。いきなり「どの葉がいい?今あるのは○○と○○と、、、、」と聞かれてしまいました。はっきりいってどれでもいいのですが、飲んだ事の無い「レッドブッシュリーフ」という南アフリカ産とやらの紅茶をお願いしました。いかん。また話が脱線。レッドブッシュリーフティーを頂きながら、しばし談笑。談笑しつつも、Pちゃんは3人の子供達にいろいろ注意をしなければならず、大忙し。私はお嬢は学校でいないので、ラークラク。ああ、楽になったなぁ、とふと思う瞬間です。と、突然、Pちゃんの娘1歳11ヶ月(でも、5語文をすらすら喋る天才)が、手に持っていたおもちゃの電車をポーンと投げました。投げた電車は運悪く、買ったばかりの真新しい高級テーブルに跳ねて、床に落ちました。「きゃああああああああああああああっ!!!!エリザベス!(仮名です)何てコトするの!おもちゃを投げちゃだめでしょ!あなたは本当に本当に本当に悪い子ね。このテーブルは買ったばかりなのよ!こんなに傷をつけちゃって!!!ダディが帰ってきたら、あなたとんでもなく怒られるわよ!!!ああ、、修理代が、、、、、、、」と、今までに聞いた中で一番本気のコワい声で、Pちゃんはエリザベスを叱りつけました。一通り叱りつけた後も、握りこぶしを振るわせながら、ついこの間、買ったばかりのテーブルである事、修理にはフランス人の専門家を呼ばなければならず、莫大な修理代がかかる事、エリザベスはこれだけでなく、以前、対で揃えてあったランプシェードも壊し、その片方のランプシェードを探すのに1年もかかった事、(どこでも簡単に手に入る代物ではない、って事だな)などなど、怒りに声を震わせて教えてくれました。確かに、うーむ、大変だねぇ、と思いながらも、私は内心、「もしや!これがアッパーミドルの価値観なのか?」とわくわくしました。以後、わしの見解。私が属すると思われる、労働者階級の上もしくは中流階級の下レベルの人達の場合。子供が小さくておもちゃを投げる危険性がある場合、コーヒーテーブルは置かないか、もしくはArgosや Ikeaで買った安い物を置く。テーブルの端には、子供が頭をぶつけても大丈夫なように、柔らかいビニール製のチャイルドセイフものをつけておく。子供がおもちゃを投げてテーブルに傷がついた時の対処方。「だめでしょ!おもちゃ投げたら危ないでしょ!!!」これに、「テーブルに傷がついちゃったじゃない!!」を付け加える人もいるであろう。ちなみに、この時の怒声は、テーブルに傷がつかなかった時の怒声と対して変わらないと思われる。テーブル云々より、おもちゃを投げた、という事に対して叱る人が多いと思われる。かたや、アッパーミドルクラスの場合。子供が小さい頃から、「良いもの」に囲まれて暮らさせて、「良いもの」「高級な物」の価値を教え込む。財力があるので、良いもの、高級な物を購入する事が出来るが、その高級なまま保存するメインテナンス代はさすがにちょっぴり痛い。故に、子供が高級品を傷つけると、子供がしてしまった行為そのものより、自分達が受けたダメージの方に気が行ってしまって、子供達は自分がした事に値しない、厳しいプラスα効果のついた叱咤を受ける事になってしまいがち。そいでもって、アッパークラスの場合。子供が小さい頃から、「良いもの」に囲まれて暮らし、その価値に自然に触れさせる。高級品の購入も、メインテナンスも、ぜーんぜんOKの財力。高級品を傷つけても、傷つけた原因となる行為のみを叱るんじゃないかな~?修理代も、彼らに取っては鼻くそみたいな金額だから。その反面、先祖代々から伝わる宝物級のモノには、破壊力がある年齢の子供は近づかせない「常識」があるんじゃないかなぁ?なーんて。怒りに震えるPちゃんの声を聞きながら、私はそんな事を考えていたのでした。ちなみに、ダディが帰ってきてから、もう一度テーブルの傷について怒られるはずのエリザベス。そんな、時差ぼけで怒っても効果はあるのか、、、、、、、そんなにすごく悪い事を彼女は本当にしてしまったのだろうか、、、、、、と、ふと疑問にも思ったのであーる。
2006年06月28日
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なんか調子ぶっこいて連日書いてるこのテーマ。本日は日本の利便性が生み出す問題を考えてみましょう!(とても大袈裟)日本に帰ると、何かとうるさい。電車に乗ればいちいち次の駅の駅名をアナウンスしてくれるし、電車を待っていれば「電車が参ります。白線の内側まで下がってお待ち下さい」と指導してもらえるし、お風呂がわけば「ピー!」と教えてくれるし、洗濯が終われば「ピー!」と教えてくれるし、いろんなところで、何かが「ピー!」と教えてくれる。日本って便利だなぁ、親切だなぁ、と思う。こっちが何も考えなくても、ぼけーっとしてても、周りの方から勝手に情報をこっちに提供してくれて。普段、なんでも自分で考えて行動しないと、何の情報も得られないこっちに住んでいると、知らない間に自分の「本能アンテナ」をピピピと周りに張り巡らしているから、余計にそう思うんだと思う。反面、「日本人ってもしかしたら人間の本来持つ『本能力』が他国人に比べたら劣っていっちゃってるんじゃないかしら」とも思った。何でもかんでも「ピー!」と教えてくれると、その音(情報)に頼るようになるんじゃないかな。例えば、実家でお風呂のお湯を溜めていたとき、「もうそろそろお風呂いっぱいなんじゃないかな。見てこようか。」と私が言ったら「まだ音楽なってないでしょ(実家のお風呂はグリーンスリーブスで知らせてくれる)。大丈夫よ。」と母が言ったんだけど、「あー、そうだったそうだった、自分で気にしてなくてもお湯が溢れる事は無いんだった、便利だなぁ」とすごく思った反面、「知らない間にこの装置が壊れたらどうするんだろう?」とも思ってしまった。長年、この便利な音に慣れてしまったら、自分の本能にある「頃合い」感覚が薄れてくんじゃないかな。で、自分の「頃合い」感覚に自信が持てなくなった時、このお知らせ装置が壊れたらお湯が溢れるのが嫌で別のタイマー使って頼るんじゃないかな。たかだか「ピー」って音に関して大袈裟かな、とも思ったけど、でも私は「本能」でそう感じました。ちょっと話はずれるけど、むかーしむかしは多くの人が風の匂いや湿り具合や向きなんかで、自分である程度の天気予報をしていただろうと思う。特別に天気の勉強をしたわけでなくても、おばーちゃんやおじーちゃんに聞いたりして、なんとなーく天気を予想してただろうと思う。で、むかしの人の鼻や皮膚は、ちゃんとそういう微妙な空気の違いや揺れを感じる事が出来ていたはずなのに、現代の私たちは、そういう自分達が本来持っていた感覚がかなり鈍くなってしまって退化してしまってる気がする。サテライトが飛んで明日の1時間毎の降水確率なんかも教えてくれる世の中で生きてると、自分で天気を予想する必要なんか全くないもんな。すごく便利だけど、人間の本来持ってた感覚は確実に失っていってると思う。そいでもって話を戻して、日本は世界に誇る電脳王国。里帰りする度、「電脳王国ニッポン」って感覚を私は強くしている。日本のテクノロジーは、本当に世界に誇れるすんばらしいものだと私は思っているけど、あまりにこれが進んでしまいすぎると、日本人は現代人の中でも一番プリミティブな部分を失っていく、「本能力」的には退化していく人々なんじゃないかしらん、なんて思っているのだ。はい。ここで、ワールドカップとの関連性。他国に比べて飛び抜けて便利で親切な国に住んでいる日本人。自分から考えて行動しなくてはいけない機会が、多分他国に比べたら少ないであろうと思う日本人。(↑海外で、ほんの当たり前な日常の些事に呆れる程翻弄されたことのある多くの日本人ならわかってもらえるだろうと思う。日本では当たり前にやってくれる事をこちらでしてもらうには、数十倍の労力を消費しないとしてもらえない事が如何に多いか!銀行、電話、ガス、電気、医者、市役所、保険等々とのやり取りに於いて、信じられないようなミスを当たり前にして下さいますよね、欧米って。)そうすると、知らない間にだんだんと、自分の「本能力」が落ちてくるかもしれない。自分の本能力が落ちてくると、自分の本能自体をあまり信じられなくなるかもしれない。何か自分より偉い人、自分より確実な物、に頼りたくなってくるかもしれない。それがもし、国民的「日本人体質」が持つ精神性になってきているとしたら、、、ゴール前で自分にボールがパスされた時に「俺か?俺がやっちゃっていいのか?他に誰かやりやすそうな奴、俺より確実に入れられそうなポジションの奴はいないか?」と必要以上に考えてしまったりする事は、ないだろうか?????誰か、ものすごく信頼出来る強い奴に指示してもらわないと、自分の判断での動きに自信がちょっと持てない、自分の本能に自信が持てないで動いてる、なーんて事には、ちょっとでもならないだろうか?????何の根拠も無く闇雲に自分を信じる力、は確実にブラジル人より劣ってると思ったんだ。シュートするときってさ、もうとにかく信じるしか無いじゃないの、自分の力を、考え無しに。「念」とでもいうの?そういう力は日本人にはあんまり無い気がする。っていうか、私にも無いもの。私は絶対、あーゆー「ここ一番!」っていうのは外す自信ある。世界のなんたら調査でもさ、自分への満足度が日本人は飛び抜けて低かったんだよね。「謙虚」な国民性もあるんだと思うけど、自分に自信のある人が極めて少ないのが日本人。かくいう私も自分に自信があるかと言われれば、無い、と答える。「ピー」が悪い、とは言わない。忙しい生活の中で、便利だもの、実際。でも、「ピー」に限らず、日本には全体的に、あれこれと周りでいろいろお膳立てしてくれてる印象がすごくある。いろんな意味で。マニュアル文化にも、子供の遊び場にも、私には感じられる。「自分で」何かするというより、させてもらってる、印象。日本人、便利さを追求するあまり、テクノロジーの繁栄に反比例して、動物的、いきもの的には、他国の人間よりも猛スピードで退化していっちゃってませんでしょうか?
2006年06月23日
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きのうの日記を読んで、「ワールドカップを見ていたら思い出したネタのはずだけど、一体どこにその関連性が?」と思われませんでしたか?わたくしは思いました。これじゃ、わからないじゃないか、と。ぷぷー。冷房病が実は本当はすごくコワいんじゃないかと思ったのはね、私の姉が原因不明の体調不良で会社を長期病欠した時、ふと頭をよぎったのよね。。。これって、長年の冷房病も関係してるはずじゃ!!!!と。姉はもともと体力あるほうではないんだけど、毎年夏の間中体調が悪かった。ずーっと夏風邪状態。あまりに体調がひどくなるとお医者へ行く。そして薬をもらう。こんな事ずーっとしてたら、やっぱり体は壊れていくんじゃないかしら。と思った。体の冷えは、私は医学はわからないけど、からだ全体に影響すると思うわー。お腹も痛くなるし。血の巡りも悪くなるし。具合悪くなって当然。実際、冷房病で具合悪くなる人山ほどいるのに、それでも日本の夏は暑くて凍える。なんかね、思ったのよー、日本って日本人を不健康にしてるーーーっ!それと薬の話。「薬出してなんぼのもうけ」の医療制度の日本で育つと、多かれ少なかれ、「体の具合が悪い」=「なんか薬ないかしら」って感覚が身に付かないだろうか。(中には健康にすごく気を使ってて、おばあちゃんの知恵袋的に治そうとする人もいるだろうけどね。)実際、今思えば私はそうだった。日本にいたときは、私は今よりずっと頻繁に薬を飲んでいた気がする。(そして私は、日本にいた時はいつも、今よりずっと体調が悪かった)日本に帰って友達と話していたり、日本で子育てされてる方のブログを読んだりしていると、「子供が38度の熱が出たのでお医者に連れて行った」というような話しが出てくるときがある。私はお嬢が赤ん坊の頃、38度程度の熱だったらお医者に連れて行かなかった。昨日も書いたように医療制度が違うからなんだけど、日本のお母さんはこっちに比べて、かなり頻繁にすぐに子供をお医者に連れて行くな、と思う。もちろん、38度の熱プラスものすごい嘔吐とかぐったりしているとか斑点があるとか、様子がかなりおかしかったら私も慌てて連れて行くし、お医者も赤ん坊や幼い子供の体調急変には迅速に対応してくれる。(予約を当日に入れてくれる)だから割と安心して、ちょっとやそっとの熱や風邪ではお医者のお世話にはならなかった。薬もよっぽどでないと与えなかった。だからそれとワールドカップと何の因果が、、、、と思いますね。これはあくまで私の予想なんですがね、こういう環境の日本でずーっとずーっと育って、「日本人体質」みたいなものが肉体的にあるんじゃないかしら、と思うわけですよ。薬やお医者に頼った生活習慣の中では、薬に頼りたい体が作られていくんじゃないかと思ったんです。免疫が弱いとでもいいましょうか、、、で、長年冷房で痛めつけられたお母さんの体から生まれた子供は、その時点でどこかちょっぴり痛めつけられてるんじゃないかと思うんですわ。すっごい目に見えるような顕著な形でないにしても。で、かつてお母さんが苦しめられた冷房を自らも受けて大きくなった体は、やっぱりどこかしら更に痛めつけられてるんじゃないかと思うんですわ。もちろん彼らは一流スポーツマンなわけで、毎日外で汗かいて練習してるんだから、とんでもなく体力もあって強い事は重々承知。元々体が強くて病気なんかしなかったかもしれない。薬なんてほとんど飲んでないかもしれない。でも、他の国の同レベルのスポーツマンと比べたら、体質としてどうなんだろう。と、ちょっと思っちゃったのです。もともと欧米人とは全然体格が違うから比べられないかもしれないけど、全体的に日本人の体質って「ヤワ」になっていっちゃてるんじゃないかな、とね。思ったの。夏期の冷房は30度に設定して、なんでもかんでも簡単に薬をポンポン出さない医療制度にしたら、日本もワールドカップ本戦で5点くらい入れられるかもよ?!(大嘘)
2006年06月22日
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Silver Lilyさんの日記に触発されて、タイトル拝借させていただきました。このテーマ、実は里帰り中に痛感したテーマで、「帰ったら絶対書こう!」と思っていたんだけど、例のごとく忘れていたのねん。まとめるの難しかったし。でも、ワールドカップを見ていたら、そして自衛隊イラク撤退のニュースをこっちで見たら、そしてSilver Lilyさんの日記を読んでいたら、ふつふつと思い出しちゃったのねん。日本って国は、甘ちゃんであーる。(ってのは皆前からわかってたと思うが、、、)そして日本って国は、国民を甘ちゃんにする。日本人は、精神的にも肉体的にも、甘ちゃんであーる。(ついでにいえば、ワールドカップみたいな試合では、この日本人特有の精神性がもんのすごく顕著に見られる気がする)と、ここまで書いて、ふと手が止まってしまった。いろんな視点から書けるんだけど、まとまらなさそう、、、。さて。どこから書こうか。。。まずは、里帰り中にものすごく思っていた事から書くのが自分でもわかりやすい。日本に住んでいると、体が弱くなるだろうな。って話。たとえば。日本はサービス過剰。冷房病なんかいい例だ。日本の夏は、冷房無しでは生きられない。それはわかるけど、どこもかしこもかけすぎじゃ。これには多くの方が首をぶんぶんふって頷いて下さる事でしょう。大体、超暑苦しい日本の夏、人々は当然超薄着で外界温度に対応しようとしているのに、一旦電車に入るや否や、もしくはどっかのお店レストランに入るや否や「さっぶーーーーーーーーーーーーー」と鳥肌立てて震え上がらねばならないこの矛盾。人々はその事を知っているから、前もってカーディガンやら膝掛けやらを用意する。これ、絶対体に悪い。って、私が今更いうことでもないけれど、でもこれって実は、日本人の精神や肉体にかなり影響を与えてる気がしたのだ。せっかく薄着で体が外の環境に慣れようとしていたところへ、「思いやり」でもって「快適さ」を強要され、体は今度は、思いやりでもって強要された人工的な快適さに慣れようとしなければならない。肉体にしてみればいい迷惑であーる。日本に住んでると体が基本的に弱くなるだろうな。いき過ぎた快適さを提供され過ぎて。つーか、いきすぎた快適さって、不快なんだけどね。ついでに、体の不調の対処法についても思った事。以前に何度か書いたかもしれないけど、こっちのお医者は役立たずである。風邪や熱くらいでお医者行ったって、なんにもしてくれないし、そもそも、その程度にしか体調が悪くない時は、診てもらいたい時には診てもらえない。予約が取れるのは回復しつつある時か治っちゃってからだから。日本のお医者とはまったくもって対応が違う。たとえば、「お腹からくる風邪」「ウイルス性下痢」の対処法、日本ではどうなんだろう。お医者行くと、とりあえず下痢止めとかなにかしら、お薬くれるんじゃないかな?こっちのお医者では、「必殺、自然療法!」。一度、ダダが「stomach bag」(こっちではなんでもこういうの。腹の虫?ウイルス性下痢嘔吐だと思うんだけど)にやられた時。もう、すごかった。本当に凄かった。3分毎に吐くは下るわ、顔面蒼白、足下ふらふら、熱もある。食中毒じゃないかと思った。夜中だったので、NHSダイレクト(国民医療システムの電話サービス)に電話して助けを求めた。このシステムについてはまた別の機会に説明する(かもしれない)けど、最初に電話してから5時間後くらいに実際お医者さんが来て下さった。(ちなみに、お医者さんが夜来てくれるなんて、もんのすごい珍しいのでありがたかった)私は、すぐ病院に連れて行ってくれるんだろう、と思っていた。でも、この垂れ流し状態のダダがどうやって車に乗れるんだろう、とも思っていた。ところが私の予想に反して、お医者さんいわく「これは、体の中の物を上からも下からもとにかく出し切ってしまえば自然に治ります。でも、脱水症状になると大変ですから、水分はこまめに補給してください。今の状態では水も飲めないでしょうから、吐き気止めの注射をしておきます。しんどいでしょうけど、これしか治る方法はないんですよ。」日本でいうポカリスエットのような粉末を、脱水症状対策に少しくれて、お医者さんは去っていった。私はかなり、呆気にとられた。こんなに具合悪いのに。。。。。こんなに死にそうに見えるのに。。。。。放っておけば治るのか。。。。。。。。。。で、実際、全部出し切ったダダは、お医者の言った通り、治った。ちょっと驚いた。(治った事に)最初は、「なんてヒドい国!こんなに辛いのになにもしてくれないなんて!日本だったら絶対何かしてくれて痛みや気持ち悪いのやわらげてくれるはず!」って思っていた。だけど、エゲレスでは皆、こうやってstomach bagsに対処している。すごく苦しくて辛いけど、みんな「ああ、stomach bagか。仕方ねえな。」と、自分の体力のみで治している。治すっていうか、ひたすら吐いて下して、体の中の悪者が出て行くのを我慢して待つ。私は絶対ダダみたいにはなりたくないけど、でも、なんとなく、エゲレスの方が実は体に優しい、体にいい対処法なのかもしれない、、、、、と思うようになったのよねん。辛いけど、「快適さ」を求めるだけの不必要なケミカルは一切体に与えない。超不快だけど、自分の体の本来の力で治せるものなら、不必要な助けを使わずに自分で治す。それで、免疫なんかも鍛えられていくんじゃないかと思うんだけど、どうだろう。冷房に話しを戻すけど、エゲレスの電車にはほとんど冷房がない。日本ほど蒸し暑い日が何日も続かないから必要ないんだけどね。それでも、30度近い日、30度超える日も、ちょっとはある。そういう日の冷房無しの満員電車というのはかなり不快。不快だけど、もともと冷房がないもんだから、こっちでは我慢する。汗をかいて、我慢する。体臭も日本人には信じられないくらいのものがあるけど、仕方ない。我慢する。しかない。不快だけど、こっちの方が体に優しいんじゃないか?体の方は外の暑さに適応しようとしてるから、なんだかんだいって耐えられる。一生懸命適応してる所にいきなり冷や水を浴びるような鳥肌の立つような冷房ショックは与えられない。暑いものは暑い。当たり前のように受け入れて、なんとかなるものだ。エゲレスの夏を日本の夏とは比べられないのはもちろんだ。でも、不快さを受け入れる野性味、みたいなもの、日本人は奪い取られてしまっているんじゃないかな、なんて思ったのだけど、どうなんだろうねえ。ほら、日本ってなにかと便利だし。というわけで、日本の利便性が日本人の精神を弱くする(?)を、次回行ってみようかな。(気が向いたら)なーんて偉そうに書いたけどさ、最近こっちでもスーパーマーケットに入るとメチャクチャ寒いですーこないだもお嬢と二人で震えてました~
2006年06月21日
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本日二つ目の日記です。本日、明け方、3時半ごろ、お嬢が私たちの寝室にやってきました。「ママー、なんか、ちょっとパンツ濡らしちゃった気がするの~。ベッドも濡らしちゃったかも~。」なぬ、おねしょかい、、、、、ねむけまなこをこすりながら私は言いました。「あちゃ~。濡れちゃったかい。じゃ、パンツ脱いで新しいの穿かなきゃねー。パンツ脱ぎなさい。」「はーい。」私の横でもそもそパンツを脱いでるらしいお嬢が突然「あ”ーーーーーーーーーーーーーーーー」と声を上げた。「おしっこ、おしっこ出ちゃったーーーーーーーーー おしっこーーーーーーーー」見ると、私のベッドの横でパンツを下げて立ったままおしっこをジョジョーーーーーと床に垂れ流しているお嬢がいる。早くトイレへ!とは思ったものの、ここまでジョジョーっと流れ出るおしっこを途中で止める事はもはや出来まい。垂れ流しのままトイレへ歩いてトイレへの道すがらずぶぬれにされるよりは、ここ一カ所に被害を留めた方が得策である、と考えた私は何も言えずにただただお嬢の大放尿を眺めていた。(眠かったし)ひととおりおしっこが終わってから、「さて。じゃ、トイレ行ってお股拭こうかね。」とお嬢を連れて行きました。本当は、すっごく眠くてイライラしてたんだけど、「ママ、ごめんなさい、ごめんなさい。」と、自分でもパニくってるっぽいお嬢を怒ってはいけない、と自分に言い聞かせましたさ。新しいズボンを自分で穿かせ、お嬢の寝室へ連れて行き、ベッドを確認したら、濡れてないじゃん!!びっくりしちゃって、私たちのベッドで寝たいというお嬢をだっこしながら言いました。「きっと、ちょっとだけパンツの中にしちゃってびっくりして起きたんだね。で、まだいっぱいおしっこが残ってる状態でママの所へ来て、パンツ脱ぎなさいって言われたからパンツ下ろしたら、頭がねぼけててトイレ行くつもりになっちゃっておしっこしちゃったんだね~。びっくりしたね~次、ちょっとパンツ濡らしちゃったと思ったらね、ママの所来る前にトイレに行きなね。で、ぜーんぶおしっこしちゃってからママのとこおいで。わかった?」というわけで一件落着したんだけど、眠くて眠くて、お嬢のおしっこの始末を朝まで放っておいてしまった私って、、、。(しかもラグの上。フローリングの上にしてくれりゃよかったのに、、、、)
2006年06月19日
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ふと気付けば一週間のご無沙汰でした。きのうは家族でプールに行った後、ワールドカップ観戦いたしました。先週の木曜日はイングランド戦をお嬢とテレビ観戦したんだけど、お嬢が興奮するする、、、、、おまけにイングランド勝ったもんだから、飛ぶわ跳ねるわ、叫ぶ歌うの大騒ぎ。「ママ!私大きくなったらワールドカップに行って優勝する!」とまで言っておりました。君の運動神経で、しかも女の子がどうやって、、、、、という母の疑問をよそに、お嬢はやる気満々。これほどお嬢がフットボールに燃えるとは、ちょっと意外でありました。で、日本戦。イングランド戦でのお嬢の興奮ぶりを目の当たりにした私は、今回もわいわい楽しく観戦できるかな!とちょっと喜んでおりました。居間のソファに座って観戦準備完了。始まりました!!!私はドキドキです。真剣です。画面に釘付けです。きっとお嬢も私と一緒にジャパーンを応援してくれてる事でしょう。と思っていたら、「ママー。お腹空いた~。」さっきお昼食べたばっかりでしょう!「でもまだお腹空いてるの~。」もう!じゃ、おせんべいでも食べてなさいよ。ぱりぱり、ぽりぽり「ママー。つまんない~」あんた何言ってるの。日本が頑張ってるのよ。ママと一緒に応援しなさいよ。「だってつまんないんだもーん。イングランドの時はいっぱい点入っておもしろかったのにさぁ」、、、、、。(返す言葉に詰まる母。)何言ってるのよ、これからよ、これから。イングランドだってお嬢が見たのは後半戦だけでしょ。前半は点数入ってなかったんだから。さ。ママと一緒に応援しましょう!「ママー。なんか眠くなってきちゃった、、、、。」(なら寝ろよ、と思う母。)ったく、お嬢は横でぐちゃぐちゃとうるさいし、ダダは日本がミスする度に鼻で笑うし、すっげーーー、むかつくワールドカップ観戦でやした。解説もさ、最初から、「勝つならクロアチアでしょう」みたいな事言っててさ、「日本も技術は高いんですが、ゴールするのに苦労するでしょう。」ってさ。日本のゴールが決まらないと、「一体どうやったらこのゴールをミス出来ちゃうんでしょうね~」なんて言ってくれちゃってさ、クロアチアのゴールが決まらなかった時は、「惜しいですね~。足があと数インチ伸びてれば入ってましたよ。数インチ足りなかったね~」なんて言っちゃってさ。あれは中田が最後まで執拗にくっついて防衛してたから足が伸ばせなかったのよ(?)!!!!ほめてよ、中田をほめてよ。なんか、くやちーーーーーーーーーーーーー。次、ブラジルに勝てばいいんでしょ、勝てば!ふんっ!勝っちゃえ、日本!と、むかつきながら見たその次のブラジルVSオーストラリア戦。おもしれーーーーーーーーーーーーーーーーーっおもしれーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっはえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっおもしれーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ途中、どっちを応援しているのかわからなくなるほど(別にどっちも応援してなかったんだけど)面白かったわ。日本は体も小さいし、戦い方が違うのは当然だ、とは思いながらも、やっぱり強豪チームのフットボールって見てておもしろいのね~そういえば、フットボール大嫌いなダダでさえ、日本戦はとりあえず観戦していました。ブラジル戦にいたっては、嫌いなはずなのに、「ダディー、おふろー」と催促する娘に向かって「これ終わってからな」と言ってテレビ見ていました。
2006年06月19日
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ちょっと前に書こうと思っていた事、忘れてたんだけど、友達の日記を読んで思い出した。最近よく、「随分楽になったなぁ、、、、」と思う。(あ、犬飼い始めてから、また大変になったけど)お嬢にほとんど手がかからなくなったから。トイレトレーニングで苛ついていた日々が、今では遠い遠い事に思える。魔の二歳児に比べたら随分聞き分けもよくなったし。ああ、楽になった。と思う。思ってるはずなのに、「なんだか大変になってきたなあ」と感じる事もよくある。思うに、子供が小さい頃の私の仕事は主に、「お世話」と「しつけ」が大きな部分を占めていたような気がする。最近は、「お世話」が占める割合が急速に減って体力的に楽になったけど、それにとって代わって「ただ見守る」という仕事がすごく増えた気がする。で、この、「ただ見守る」って事が、どれほど難しいことか、、、、。私の場合、ただ見守る仕事はお嬢の頻尿をきっかけに増えたんだけど。頻尿は、しばらくしたら落ち着いた。(でも、その後もたまに始まったりするけど。)で、頻尿がかなり落ち着いてきたな、と思っていたら、今度はやけに片目をパチパチしだした。チックみたいにパチパチする。ああ、まただ。と思った。始まったのが、ちょうど里帰り中で、母に釘を刺された。「あんたね、こういうのを軽く見てたら大変なことになるよ。」そんな事はわかっていた。軽くなんか見ていなかった。でも、頻尿の時の経験で、私が深く悩みすぎると逆効果なのもわかっていたから、努めて気にしないようにしてきただけなのに。うちの母は、本当に、こういう時困る。私はどんなに子育てで悩みがあっても母には相談しない。結局、なんでもかんでも私が悪い事になるから。小さい頃からそうだった。悩みを相談すると、いつも説教で終わったもんだ。全ては私の所為なのだ。話がずれた。チックもそのうち収まった。そうしたら今度は、指を弾き出した。「何してるの?どうして指弾いてるの?」と聞くと「なんかね、ツメにクレヨンが詰まっちゃって気持ち悪い気がするの。だからだよ。」と言う。でも、クレヨンなんか詰まってない時でも、いつも、弾いている。ストレスだな。と思った。頻尿がおさまると目がパチパチ、それが収まると指を弾く。何らかの形で発散しないといけないストレスがお嬢にはあるんだ。母のいう通り、気にした方がいいのかもしれない。っていうか、心の中ではいつも気にしてるのだ。気にしてるけど、こういうのって、多分、絶対原因はわからないと思う。私が厳しすぎるのかもしれない。私が感情的すぎるのかもしれない。でも、そうやって自分を突き詰めていくと、私は身動きが取れなくなる。ちょっぴり自戒する事は必要だけど、でもこういうのって多分、単純に「これ!」という原因は無い気がする。子供が成長していく中で、他人との関係や親との関係が少しずつ変化していく中で、自我と他者との折り合いを付けていく中で、ある程度のストレスって、あって当然だと思うし、それって健康的なストレスなのかもしれない。でも、そうは思ってみても、その発散方法をまざまざと毎日見せつけられていると、やっぱり「なんとかしなくっちゃいけない!」と思ってしまう。思ってしまうんだけど、なんともしようが無い。なんとかしたいのに、なんとも出来ない。ただ、見守るしか無いのよね。あったかく、大らかに、いっぱい抱っこして、安心させて見守る。これって、すごくすごく難しいよ、、、。こっちも焦ったり苛ついたりしてるのに、大らかに。こっちも全然安心してないのに、安心させて。そして、結局、何も出来ずにいる。見守る。これからもっともっと、「ただ、見守る」ことって増えていくと思う。いろいろ、ほんといろいろ、私にはなんにもしてあげられない、お嬢が自分で頑張らなきゃいけない事が、大きくなるに連れて、い~っぱい出てくると思う。もどかしいし、自分を責めたりもしちゃうし、しんどいけど、ただ、見守る。きっと、私の親も、こんな思いをしていたんだろうなあ。もどかしく感じながら、ただ見守っていたんだろうなあ。と、最近思うのです。
2006年06月12日
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いやあ。勝ちました、エゲレス初戦!!!我が家の右隣さんも左隣さんも、家の窓から大きなenglandの旗をぶら~んとぶらさげています。ユニオンジャックではありません。あくまでenglandの旗。白地に赤のバッテンです。ユニオンジャックはスコットランドもウェールズも英国も全部交じった旗なのね~。そんでもって、左隣さんの車にもenglandの旗が付けてあって、車を走らせる度に旗がぱたぱたとひらめいています。今日は近くの町までお嬢の靴を買いにいったんだけど、もうそこら中の車が旗をパタパタさせていました。ミーハーな私も、ちょっと欲しくなりました。「ねえねえ。私たちの車の右にenglandの旗、左に日本の旗立てよーよ!!」という私の提案は「やだ!ぜってーーーーーーーー、やだ。悪趣味。」と、ダダに激しく却下されました。(ちなみにダダは、フットボールとそれに関するものがだいっきらいな珍しいエゲレス人)街中でパタパタしている旗を見ながらふと思いました。日本もさ、こうやって車に日の丸つけてパタパタ走ってるのかな。どうも、想像ができない私。車。日の丸。とくればやっぱり、右翼街宣車。ってイメージしてしまうのは私だけでしょうか。なんか、淋しいなあ、と思ってしまったわ。こういう、世界的なお祭りになると張り切って自信満々で自分達の旗をパタパタひらめかせられるエゲレス人の無邪気さが、なんだかとっても羨ましくなってしまったりして。「国歌国旗法」なんて法律作らないと日の丸が国旗になれないような国とは状況違うよね。なんだか無性に、日の丸を車につけて走ってみたくなった夏の午後でした。ちなみに、こっちの商店街ではイングランドチーム以外にも、イタリア、ブラジルチーム等のユニフォームを模したシャツとかいろいろ売られているのに、日本のはどこを探しても見つからず、私がブツブツ文句を言っていたらダダが一言、「当たり前じゃん。勝つチーム、強いチームは人気があるから売れるんだよ。」く、、く、、、、くやしいいいいいいいんですけどっ!!!!頑張れ、日本!!!!!
2006年06月10日
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急に思い出した里帰り中ネタ。ある日の事、私はお嬢を連れて友達に会いに東京ドームシティとやらに行きました。(もう後楽園とは言わないのね、、、)ボウケンジャーにも会えるというのでお嬢はワクワク。園内(というのか?)をうろちょろしていたら、なにやら人だかりを見つけました。Paradise Go Goとかいう女の子グループのCDデビューイベントかなんかみたい。お嬢は、とにかく「歌って踊って」が大好き。当然、見たいといって聞かないので、じゃあ、ちょっとだけ見ていこうかと、彼女達が出てくるのを待ちました。けれども、他に彼女達を待っている人達がどうも、ムサい。って言葉はあるのだろうか。見事に男ばかりで、とにかくムサい。私は友達と確認し合いました。「どうやらアキバ系アイドルみたいだねぇ。」そうとは知らぬお嬢は、(っていうか、アキバ系っていう言葉も概念も知っちゃいないのであるからして)「早く出てこないかなぁ!」「ドキドキしてきちゃったぁ!」と待ちきれない様子。さて。出てきました、出てきました!paradise go go のみなさん。寒い日だったのに、超薄着でご苦労なことで。元気に歌い踊る若いお姉ちゃん達に、お嬢の目も釘付け。お嬢はステージがよく見える木陰の高台を発見し、そこに昇ってマネして歌い踊っています。一曲歌い終わる毎に、熱心に真剣に拍手を送っています。かたや私と友達は、アキバ系の方々のものすごい熱気と息のあったかけ声とジャンプを、とても楽しんでいました。いやあ、本当にすごかった。楽しかった。ステージ見てるよりよっぽど楽しかった。と、そんな中、お姉ちゃん達のマネをしてノリノリで楽しんでいたお嬢に異変が起きました。「ママ。ママ。」心細そうに私の肩を叩くお嬢。(お嬢は高台にいたので私より上にいた。)「どうしたの?」と聞くと「お嬢、なんだかちょっと恥ずかしい気がする、、、」私「どうして?」「だって。。。。どうしてお客さんみんな男の人なの?それにみんな、すごいジャンプでコワいんだもん、、、女の子で見てるのはお嬢だけなんだもん。。ちょっと恥ずかしくなってきちゃった、、、、」うーむ。4歳の女の子(当時)にも、アキバ系アイドルのイベント会場の雰囲気の不思議さは感じ取れたらしい。。。。私はなんだか可笑しくなってしまった、、、、、のだけど、なんとなく「場違いな自分」を感じてしまって悲しそうな顔をしているお嬢を見たら、ちょっと可哀想になってしまった。「恥ずかしくなってきちゃったんなら、もうこれ見るのやめて他のところ行こうか?」実のところ、寒かったので私はもう、「これ幸い!」と退散したかったのよ。ところが「いやだ!まだ見たい。まだ見たいんだけど、なんかお嬢、恥ずかしくってもう踊れない。。。」「なら踊らなきゃいいじゃない。ただ見てればいいじゃない?」「うん。そうする。」さっきまでのノリノリぶりはどこへやら、すっかり大人し~くなってしまったお嬢。ちょっぴり怯えた目で、でもステージをしっかり見据えて、曲が終わればちっこい手で割れんばかりの拍手を送っている。結局寒さに耐えかねたおばちゃんの私達は、お嬢を説得して最後までは見ずに退散しましたが、なんとも面白い体験でした。お嬢ってば、彼女達の曲を何曲か覚えていて、しばらく歌っていたよ。もう忘れただろうけど。paradise go go.人気者になったかしら。メンバーの中に、イギリス人とのハーフって女の子もいました。
2006年06月07日
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うひょー忙しいのよー(主に犬のおしっこうんちの始末)体調も悪いしー先週は39度も熱が出たわよーすぐひっこんだけど。そんなこんなで短めに。こないだ、ダダがドライビングテストに合格しましたっ!ぱんぱかぱーん!!おめでとー!そう。奴は齢40にしてようやく運転免許を手に入れたのです。なんとも珍しい男です。これでなんとか普通の家庭(?)になった気分!!!らんらんらん。それはそうと、さっき電話がなりました。私はシャワーを浴びた直後で半裸の状態。ダダに出て欲しいな、と思いつつ、ダダは大の人付き合い嫌い。電話にもなるだけ出たがらない。玄関のドアがなっても出来るだけ出ない。てなわけで、私もしばらく出ずにいたんだけど、やっぱりダダが出ないので仕方なく半裸で出ました。義母でした。とりあえず普通の挨拶、とりとめの無い会話から始まって、ダダのドライビングテスト合格の報告をしました。義母は既に知っていました。ダダの弟が昨日電話で教えたそうです。「まったくもう!どうしてすぐに教えてくれなかったの!!!」冗談じみた声で何気に非難されました。そりゃ、ダダに言う事だろう、と思いながらも、適当にごめんごめんと流しました。その後も、ダダの話や子犬の話、お嬢の話をした後で、私との会話が終わりっぽくなってきたので、「ダダに代わるね!」と言うと「あ、いいわよいいわよ。どうせダダは私が何を言っても『ん』『あー』だけだから。テスト合格おめでとう、って伝えておいて。」と拒否されましたが、有無を言わさず電話を代わりました。ダダ「んー。あー。そう。うん。そう。はい。はい。うん。じゃーね。」ガチャン。それだけなのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ??????義母から電話がくると、私に用事がなくても10分は最低喋らなくてはいけません。(義母が同じ事を何度も繰り返すから。)私とはいつも、もっともっともっと長い会話を電話でするのです。なのに、ダダと義母は実の親子なのに、一分で電話が終わる。変じゃない?変じゃない?なんか、私がメインになってない?義家族からの電話って、普通、あんまり取りたくなくない?面倒くさくて。義母からの電話だったら、ダダが家にいるんだったら、とりあえずダダが取るべきじゃない?どうして私とメインでしゃべって、ダダとの会話がサブになるわけ????????どうも納得いかないのである。ところで、子犬は元気です!可愛いです!(誰にも聞かれていないが、、、、)
2006年06月03日
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忙しい、忙しい、ああ、忙しい。コンピューターを見る暇もほとんど無いほど忙しい。あんなことも、こんなことも、そんなことだって、書きたいことがいっぱいあった気がするのだけど、どんなことだったっけ?すーっかり忘れてしまいました。お嬢のバースデーパーティーは遅れてもいつの日か記録しておかねば、、、実は。なんと。どうしたことか。犬を飼い始めてしまいました。こないだの土曜日から。前々から犬飼おうかどうしようか、ずーっと話はしていたのだけど、私は猫アレルギーだし、私ら超ねぼすけぐうたら家族だし、エゲレスの湿った暗い冬の散歩ってかなり嫌だし、いろいろあって、話しだけでいつも終わっていたのね。でも。ダダも40。私もそのうち40。有言不実行の私は、いつも「体動かさなきゃ」といいながら動かしたためしがない。ちょっとピラティスはやってたけど。里帰りしてからは行けていない。やっぱり、健康の為には歩いた方がいい。実際、エゲレスのある統計では、犬を飼ってる人の方が飼ってない人より、成人病等にかかる確立が低いって出てるらしい。犬なんかいなくたって、一人で歩きゃいいんだけどさ。まさしく、明日出来る事は今日やるな、的超ぐうたらな私。「いやん、こんなに太っちゃった、どうしよう!」と腹をつまみながらチョコレートを食う私。こんな私が、一人でてくてくと毎日お散歩なんか行けると思って?散歩に出なきゃならない状況を自らに課し、奮い立たせる為にはわんちゃんが必要なのであった。ま、そんなこんなで、とりあえず医者にいってアレルギーのテストを受けたいと言ったら、テストはあるにはあるけど結果は全然信用ならないから、とりあえず飼ってみたら?という、とんでもない無責任なアドバイスを頂いたので、従ってみた。ネットで調べたら、ほぼノンアレルギーの犬、っていうのが何種類かいるのよね。100%ではないらしいけど。プードルとか。で、その中の、ウェストハイランドテリア、というのを選びました。2軒先の家の人がその犬飼っていて、そこにお邪魔してもくしゃみでないし。お隣も別の犬飼ってるんだけど、そこにお茶しにいっても大丈夫だし、、、。前置き長くなりましたが。そんなこんなで、今、子犬と格闘中です。またもやトイレトレーニングにこんなに疲労することになろうとは、、、。猫は簡単なのにねえ、、、。夜もぴーぴー泣くしさあ。まったく赤ん坊と同じでございますね。。。でも、とってもきゃわゆいでございます。これまた赤ん坊と同じでしつけが大変、いつも怒っておりますが、でもくっついてくるんだもん!お嬢はなんと、犬にまでやきもちをやいて、「ママは犬ばっかりかまって。お嬢の事忘れちゃったんだ!」とダダに愚痴っていたそうです。だって、四六時中見てないと、あちこちでおしっこしやがるんだもん。でも、家の中で生まれて初めて「NO!」と偉そうに命令できる相手が出来て、喜び勇んで怒りまくっているお嬢。でもちょっぴりまだコワいらしい。てなわけで、かなりてんてこまいの我が家です。お嬢とわんちゃん、ものすごい仲良しになってくれるといいなぁ。(それも大きな理由だったのであーる。ひとりっ子のままの可能性もあるしな。)
2006年05月23日
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これ、まだ書いた事無かったよね?あったっけ?忘れちゃった、、、。ダヴィンチコード映画公開で思い出した、個人的にばかうけした噂です。「ブレア首相の奥様、シェリー夫人は実はオーパスデイだという噂がある」というのを友達から聞いた時。シェリー夫人のあの独特の笑顔が脳裏に浮かび、大爆笑。あのいつも何かに驚いたかのような、目玉の飛び出るような笑顔は、痛みをこらえていたからなのね~!もんのすごい痛い時って、笑っちゃうもんね~。あの目といい、口の形といい、妙に納得させられるので、シェリー夫人の笑顔が咄嗟に浮かばない人は、今すぐ検索して見てみよう!
2006年05月17日
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最近、忙しくて書きたいネタばかり増えていく、、、そしてそのほとんどを忘れていく、、、、(忘れるくらいだから大したネタじゃないんだけどさ)今日は本当はお嬢のお誕生会を記録しておきたかったんだけど、ダダの超健康志向に甚だ腹が立っているので、先にこっちを書いておきます。我が家はイギリス標準家庭に比べて、肉の消費量が極めて少ない。牛はダダが極端に狂牛病を怖れているので料理させてくれないし、豚も、私もダダも特に好物ではないのであまり食べないし。なので、一週間の食材買い出し時の常連(タンパク質)は、鶏、なんらかの魚(ニジマスとかアジとかが多いかな)、豆腐で作った偽ひき肉、ツナ缶、等である。そいでもって料理法も、私はイギリス料理をあまり知らないしそれほど興味もないので、日本風の料理法である。よって、こっちでよく警告されているような、油ギトギトのこってり料理はあまり食べていない。しかも私の味付けは、いたって薄い。たまに薄すぎてマズいほど、薄い。そして、パンは必ず茶色のパン。白は「不健康」なのでダメなのだと。砂糖も茶色。紅茶には蜂蜜。砂糖よりも健康的なんだとさ。という食生活を送っている私たち。ダダが魚好きなのは私にとっては幸いだと喜ばねばならない。エゲレス人で魚好きな人って、ちょっと珍しいしな。私も、基本的に肉より魚が好きだしな。パンも、胚芽入りパンおいしくて好きだし、蜂蜜入りの紅茶もおいしい。だがな。ものには、限度、バランス、というものがある。いつもいつも茶色パンばかり食べているんだから、たまには白いパンを食べてもいいじゃないか。スポンジケーキを作る時、目の粗い茶色の砂糖じゃなくて、白くてさらさらのケーキ作りに適した砂糖を、たまには使ってみてもいいじゃないか。たまたま蜂蜜を使い切っちゃってなかった時、紅茶に砂糖を入れたっていいじゃないか。いいじゃないか!!!!!ダダは、こういう、本当に、「たま~に」使う「不健康な」食材にも文句を言うのよ!!!それにさ、不健康っていうのもダダが勝手にレッテル貼っただけで、「白い食材は茶色よりかは栄養価が失われている」だけじゃん?!白パンそのものが不健康だとは、あたしゃ思わないがねっ!このエピソードは以前書いた事があるだろうか、、、新婚当初、私がいつものように料理をしていたら、塩が見当たらない。あれ?塩が無い。おかしいなあ。。あれあれあれ?仕方ないので、塩無しで料理終了。ダダと食べながら、「塩が無いんだよね、、、」と何気に言ってみたら、「今後一切、塩は使わんでいい!」とダダに言われたのよ!!!よーく聞いてみたら、塩は体に悪いと聞いたダダ、私が使わないようにと、我が家にあった塩を隠してしまったのでした。確かにエゲレス人は塩分取り過ぎだ。奴らの舌はマヒしてるから、相当な量の塩を使わないと、味を感じないらしい。こっちでポテトチップスやインスタント食品を食べてみるといい。すっげーーーーーーーーーーーーーーー、しょっぱいから。そういう舌を持った人達が食べる普段の料理にどれだけの塩が使われているのかを考えれば、確かに塩を没収した方がいいかな、と頷かされない事も無い。でも!ウチは違うじゃん!!!!!私の使う塩なんて、ほ~んの、ほ~んのちょっぴり。醤油だって、ちょっぴりぴりのぴり。たまにマジで、「うっ!今日のおかず、全然味がしねぇ、、、、。まずっ!」と思う程薄味ちゃんなのよっ!そういう我が家に、「不健康な」エゲレス一般家庭の食生活への警告を必要以上に当てはめないで欲しいあるよ。というのは前置きでして。さて。先日の事、私はお嬢とダダのお弁当を作っておりました。簡単なサンドウィッチ。前日のサンドウィッチの中身はベーコンと卵でした。ちなみに、このサンドウィッチは我が家ではとても珍しいものでして。ベーコンなんて、一ヶ月に一回買うかな、、、?程度の食材です。さて。話しを元に戻して。ベーコンと卵のサンドウィッチの次の日。私はお嬢のリクエストにより、ハムサンドウィッチを作っておりました。ダダの分も作っていた時、奴がやってきました。そして一言。「今日も豚か?昨日もベーコンだったじゃないか!俺は魚を食うって言っただろ!」、、、、、、、、。朝っぱらから闘う気だね、あーた?え?え?え?感謝されこそすれ、文句言われるとは思っていなかった私はキレまくりましたがな。ブタブタってあーた、毎日ブタばっかり食ってるわけじゃないやんけ。ブタ食うのなんて珍しいやんけ。たまたま二日続いただけやがな。しかもこのブタな、そんじょそこらのブタとは訳が違うねん。ファームハウス(農家直営の店)から買ってきた、おいしいおいしいブタやねんで?!でもダダは納得しない。挙げ句の果てには、せっかく作ってやったサンドウィッチ、持って行かないといいやがる。「じゃ、もうあんたのランチは一生作ってやんない。」というと、「そりゃ意地悪というものだ」とのたまう。「俺はただ、ハムやベーコンはもう食べないといっただけだ。」「でもあんた、チーズももう食べないんでしょ、卵にマヨネーズつけるのもダメなんでしょ。」「魚があるじゃないか。」「毎日あんた一人の為にサンドイッチ用に魚焼いたり煮たりしなきゃなんないわけ?!」「缶詰があるじゃないか。ツナもあるしアジもサーモンも。」「じゃかーしー!自分で作りやがれ!」「何もそんなに怒る事ないじゃないか。俺はただ魚を食べると言っただけだ。40過ぎて俺も健康には気を使わなきゃいけないんだ。俺はお前と違って、やると決めた事はやるんだ。魚と言ったら魚なんだ。ダイエットすると毎日言いながらチョコレート食べてるお前には俺の心意気はわからないかもしれないがな!」あーあ。言っちゃいましたね、ダダ。余計な一言を。あんたの魚食べる宣言と、私の全くやる気なしダイエットとはなーんの関係もないのに、単に「勝ちたい」ために、余計なことを持ち出してしまいましたね。私はぶち切れました。せっかくの気持ちのいい朝だったのにっ!闘う私たちをよそに、「Daddy?! Try this! It's really really dellicious!!! It's from farmhouse!」と、ファームハウスのおいしいブタを、にこにこもぐもぐと食べ続けていたのでした。正しく育て、娘よ。
2006年05月15日
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今日は家族ネタでささっと二本立て。まずはお嬢のたまごっち。おとといお見合いをしてみたらとっとと赤ちゃんが生まれて、画面にぴょこぴょこ跳ねるたまごっち親子を見て喜んでいたお嬢でしたが、私のお世話がいい加減だった為、昨日、お亡くなりになってしまいました、たまごっち親子。悲しい事や淋しい事に妙に敏感なお嬢なので、どんな反応か気になりましたが、とりあえず伝えなければ、と思い、かるーいノリで、伝えました。「あ、お嬢。そういえばね、クローリー(お嬢がつけたたまごっちの名前)死んじゃったみたいだよ。ほら、お墓マークが出てるでしょ~。残念だったね~。」「あ、ほんとだ。死んじゃったの~?(しばらく無言)じゃ、また新しいたまごっち生まれるでしょ?やってやって~!」なーんだ。ちょっと心配して損しちゃったわ、と思える程あっさりと、次のたまごっちを要求するのでした。ご要望どおりゲームをリセットして、あたらしいたまごっちが生まれました。けれども、当然、それはクローリーではありませんでした。そこでちょっと淋しくなったお嬢でしたが気を取り直して、新しいたまごっちには「あん君」と名付けました。その後、歯を磨きに行きました。「お口、あーん。」仕上げ磨きでお嬢の「あー」のお口を磨いていたら、、、、「あーーーーーーーん。あーーーーーーーーん。」ありゃ。泣いちゃったよ。「どうしたの?」「クローリー死んじゃって、淋しいのーーー。あーーーーーーーーん。」淋しくなるまでにちょっと時差があったみたいだす。丁度よく「あ」の口で泣いているのでとても磨きやすかったけど、お嬢の目から溢れる涙を見ていたらなんとも気の毒でねぇ、、、。「せっかく赤ちゃんうまれたのに、、、せっかく赤ちゃん、、、。あーーーーーー。」なんて泣かれた日にゃ、なんだか私まで悲しくなっちゃうじゃないのよ。「せっかく赤ちゃん」って言葉は、なんだかエグるものがあるじゃないのよ。あんまり泣くので、「でもお嬢、これはただのゲームだからね、本当は誰も死んでないんだよ。全然悲しくないんだよ。リセットすれば新しいたまごっちが何度でも出てくるんだから。」って言いたくなったけど、なぜかどうしても言えないんだなぁ。このまま、「非現実で起きた悲しい事にも反応できる感受性」を大切にしておきたい、って感じかしら。(お嬢にとっては十分現実なんだろうけどさ)だって、小説やフィクションのドラマに感動する心、もさ、実際はそんな事起きてないのにやっぱり感動しちゃう、実際は小説に出てくるキャラクターは生きてないのに感動しちゃう、って意味では同じようなもんじゃん?なので、「ゲームの世界」と現実の世界の違いを特に認識させるのは今回はやめといた。おっきくなれば、勝手にわかるべ。とりあえず、「可愛がっていたモノ(って言い方はアレだけど、、)が死ぬと(いなくなると)、とっても悲しい」という気持ちを、一緒にシェアしました。寝かしつけの間中、「まだ悲しい」「クローリーは戻ってくるの?」「新しいたまごっちはもうクローリーじゃないんだ、、、」と泣き続けていたけど、「淋しいね」「悲しいね」とだけ言っておきました。「それぞれの命は唯一無二のもの」という事が、図らずもたまごっちで遊ぶ事で実感できたようで、ま、よかったかな、と思う気持ちもあり、でも、これって所詮ゲームなんだけどな、と思う気持ちもあり、でもさっきも書いたけど、「現実じゃない」からといって小説に感動する心は大事じゃないかといったらそうじゃないし、親の私としてもちょっとこんがらがるんだけど、お嬢の情緒は多分正しく育っている気がするという事だけは、はっきりと嬉しかったわい。がしかし、あん君もあまり長寿じゃない気がするのだが、、、、(なんせ私がお世話するので)何度も死ねば慣れるのかしら、、、、、それもまたコワし、、、ところで、面倒くさくなったのでもう一本(ダダのネタ)はまた今度。忘れないように覚え書き lostネタも書きたいハンソーコーポレーション
2006年05月11日
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すごいよ私ってばえらいようんうん。と、さっきから自分を誉めまくっています。だって私、今日、お嬢の学校に招かれて、お嬢達のクラスの子供相手に講演(爆)してきたんだもの!先生よ、先生!って、ほんとはそんな大袈裟なものでもないのだけど、日本に里帰りする前に、お嬢の先生に「帰ってきたら子供達に日本の事を教えてやってくれない?」と頼まれていたのです。その時は里帰り前で浮かれていたし、かる~く引き受けたんだけど、日本から帰る日が迫るにつれて、ちょっと気が重くなってきました。なんか、「宿題」が残ってる感じ?内心、「先生、忘れててくれちゃってればな!」なんて期待してたけど、忘れててくれちゃってなかったので、約束の今日、行ってきました。とりあえず、お約束の「こんにちは」から始めて、クラスひとりひとりの名前を日本語で書いたスティッカーを見せながら名前あてっこゲームしたり、写真見せながら主に日本の衣食住について説明した(つもり)り、ゆかたを着せてみたり、そいでもってお箸のデモンストレーションした後、実際ご飯と鶏の甘辛煮をお箸で食べたり、と、盛りだくさんの授業でございましてよ、あーた。そんでもっていちお、こどもの日、という事で、2年程前ダダが成田山の外人観光客相手の店で買ったやけに金きらきんの怪しい兜と、こっちに帰る前に慌てて近所のスーパーで買ったちっちゃいおもちゃこいのぼり300円也を用意。怪しく金きらきんの兜に子供の目は釘付け。「これ、自分で被れるの?」「被っていいの?」さんざん金きら兜を見せびらかしておいて、「被っちゃだめ~。」「見るだけ~。」と不寛容なわたくし。代わりにこれもお約束の、「新聞紙かぶと」をみんなで作りました。出来上がった自分達の兜に満足したのかどうか、ちょっと微妙な反応でありました。必死に「ほら、ここの金色の飛び出てる所、ここが貴方のこのかぶとのここの部分よ!」と、金きらかぶとと新聞紙かぶとの類似性を指摘してみるも、やっぱり心は金きらにあり、といった感じでした。端午の節句のはじまりなんかも、昨日慌ててインターネットで調べたりして教える気満々だったけど、だ~れもそんな事には興味無さそうだったし面倒くさいのであっさり却下。最後子供達に「Thank you very much Mrs.あきゃん!」と言ってもらって、ようやくほっとしたのでした。子供達が途中で飽きてガヤガヤするんじゃないかと思っていたけど、皆とてもいい子でちゃんと参加してくれてちょっと驚いた。と先生に言ったら、いつもはもっと落ち着き無いんだそうです。多分、目新しい人(私)がなんか目新しい物持ってきたから、子供達も「なんだ?」と思ったんだろうね。てなわけで、ああ、偉かったわ、私。お嬢の学校はかなり白人社会の学校でロンドンみたいに異文化に触れられる機会が極端に少ない。(ロンドンでは逆に、白人の人数の方が少ない学校もあるんじゃないかな?)そういう意味で、すごくいい事をしてあげちゃったじゃないの、私!!!私の方も、お嬢が普段学校でどんな事をどんな風にするのか、とか他の子供達がどんな感じなのか、とかいろいろ垣間見えてとても面白かったし。疲れたけど楽しかったです。でも、あれを毎日やっている先生って、、、、、すごいなあ。毎日ありがとうございます、と思いました。
2006年05月05日
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本当は、里帰り報告でもゆっくりしようと思っていたのに、我が家はそれどころじゃありませんでしたねん。な、な、なーんと、お嬢が頭にシラミわかせていましたんですねん。ここエゲレスでは(もしくはウチの界隈では)、学校の長い休みが終わる度、学校から「シラミ(head lice)注意報」のお手紙が来ます。広範囲の人間と交わる事の多い休み中は、知らない間にシラミをもらってきてしまう事が多いので、お子さんの頭をよーく調べて下さい、と。ウチの学校では、入学早々、Bug Busting Combという、目の細かい金属製のシラミ取り用の特別な櫛が、その使用説明書と共に全員に配布されました。そして、各学期の中頃にあるハーフターム休暇や学期毎の休みの度に、それを使用してシラミを探せ、と言われていたのです。が。何言ってっだよ。シラミなんて戦前の生き物だべ。今のこのご時世にいるわけないだべ。あ。エゲレス人滅多に風呂入らないからシラミがわくんだろか。お嬢は大丈夫。毎日お風呂入って清潔にしてるから!と、タカをくくっていた私は、一度もそのシラミ櫛を使う事無く、その存在すらわすれていました。学校のお知らせを無視していた罰でしょうか。金曜日、お嬢が私に言うのです。「ママ。ニコラがね、お嬢にシラミがいるって言って少し取ってくれたんだよ!シラミって知ってる?寝てる間に鍵穴からドラゴンが入ってきてね、子供の髪の毛に卵を産んでくんだって。そして、それが髪の毛の中で育ってシラミが出てくるんだってよ!」とな。鍵穴?ドラゴン?ドラゴンとシラミの関係はよくわからなかったけど、ニコラがお嬢の頭にシラミを見つけた、というのだけはわかりました。けど、ニコラは5歳の女の子。しかもドラゴンとか鍵穴とか訳の分からない事言ってるし。あんまりアテにしてませんでした。ところが、その夜お嬢をお風呂に入れている時、気になる事を思い出しました。丁度前の日からだったんだけど、ものすごく体をかゆがるのです。もともとアトピーだし、最近ちょっと悪化してたからそのせいだと思ってたんだけど、でも顎から首のあたりをボリボリと掻いて、どうもアトピーっぼくない小さな虫さされの跡のようなものが見えるのです。こりゃひょっとして、、、、。と思った私は慌ててシラミ櫛を探しました。探しました。無いっ!使いたい時に櫛は無し、とはよく言ったものです。よく言ったかどうかはわからないけど、とにかくもう、例のスペシャルシラミ取り櫛は我が家には無いのです。とりあえず、狂ったように激しくお嬢の髪を洗い流し、ドライヤーで乾かしてお嬢の髪の中を覗いてみました。。。。洗ったばっかりなのに、なんだかいっぱいフケみたいなのがついている。。。でもこれ、フケじゃないの?フケよね?シラミなの?なんせ、生まれてこのかたシラミなんて見た事ないもんですから、シラミがどういうもんなのかわからないのです。私はテレビでよく見る猿のように、お嬢の髪をかき分けかき分け、じーっと見入っておりました。あ!動いた!シラミとフケの違いがわかったわ。シラミは動くのね!と喜んでいる場合ではありません。シラミは移るのです。お嬢にいる、という事は、確実に私の頭にもいるはず。でも自分では見えない。私はダダの帰りを待ちました。ダダの髪の毛を見ると、、、、うひゃーーーーーっ。フケとシラミだらけ!(一体いつ髪洗ったんだよ的頭皮)というわけで、みんな仲良くシラミ頭になった私たち家族は、次の日クスリ屋さんでシラミ退治コンディショナーを買い求め、全員でシラミ退治に臨んだのでした。ああ、びっくりした。
2006年05月02日
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一ヶ月里帰りしておりました。おいしいものいっぱい食べて太って帰ってきました。エゲレスに戻った途端、まずい焼きそばもどき(義母作)を食べて、ああ。帰ってきたな。と実感しました。(義母のせいではない。エゲレスの食物のせいです。)長旅で疲れていて、まだちゃんと書く気がおきません。一ヶ月放っておいたら、いろんな機能が増えていたみたい。でも、ちゃんと使えるのかな。一ヶ月も書いてなかったのに、毎日誰かしらが読みに来ている事を発見。なんだか不思議だぁあなたは一体誰なのかしら~んどうして私の日記読みに来てくれるの~ぉなんか、面白いなあ。と、ぼけモードのまま終わる。
2006年04月27日
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私たちのお誕生日週末が終わりました。私は普通、ダダはちょっと落ち込み気味。なんたってヤツは、40 だからな。はっはっは。今年はお金がないので、プレゼントは無しね~、とダダと合意しておりました。なので、特にこれといって盛り上がりもない誕生日だったけど、でもやっぱり嬉しかったわ、誕生日。年とるのは嫌だけどさ。私の誕生日は土曜日ざました。今まで私の誕生日なんていっつも忘れていた親が電話をくれた。「今日たしかお誕生日だったわよね~。おめでとう。ちょっと待ってね。お父さんもさっき『おめでとう』って練習してたから電話変わるわね。」父、出る。「おう!お め だ。 ふにゃらら(あ、ちがう、と言いたいっぽい。)お め ど。 ぶにゃらららら(またまちがえた、と言いたいっぽい。)お め で と。わっはっは。 お め で と。わっはっは!」ようやくおめでとうが言えて満足した父は、それだけ言うと高笑いを残しながらさっさといなくなってしまったけど、私はとっても嬉しかったよ。それだけですっかり嬉しくなってしまっていたんだけど、電話を切ってからお嬢が言うのよ。「ママ!サプライズがあるのよ!一緒に下(一階)に行こう!」目をつぶらされて一階の居間にいったら、「サプラーイズ!」と、お嬢の手作りカードと、プレゼントをくれた。手作りカードはもう、本当に可愛くて可愛くて、お嬢の大好きな虹やハートやお星様が色とりどりに描かれていて、メッセージもお嬢直筆でしっかり書いてあって、とーっても嬉しかったわん。しかも、去年だったら絶対秘密にしておけなかったはずのお嬢が、今年はちゃんと、自分で書いたカードを今日まで秘密にして隠しておいた、ってところがなんだかねえ、、泣かせるねえ。。。プレゼント(チョコレート)はどうやら義母が、「これ、お嬢からのプレゼントだからママにあげるのよ。」と気を使って用意してくれたっぽいけど、それもちゃんと隠しておいてくれてたんだねえ。そんなこんなで、私はすっかりいい気分になってしまいました。ダダからは約束どうり何にも無かったけどさっ(笑)でもとりあえず、紅茶を作ってくれたりおやつを持ってきてくれたり、いそいそと働いておりました。(笑)で、翌日はダダの誕生日なんで、義母がお嬢を預かってくれて、私たちはロンドンにおデートしに行きました!ところがさ、ダダってばさ、多分今飲んでる薬のせいだと思うんだけどぼけーーーーーーーーーーーっ。私が何を話しかけても、ほけーーーーーーーーーーーーーーっ。つまらないんっすけど!!!!!ダダは今、耳の中のなんたらという液体のバランスが悪く、目眩がしたりくらくらしたりするので薬を飲んでるんだけど、その薬ってのがさ、精神分裂病とか高所恐怖症とかの人に処方される薬なんだよね。ただでさえ普通の人よりぼけーーっとしている仙人ダダが、これを飲み始めてからと言うもの、もう、毎日、ほけほけーーーーーっとしていて、そのうち本当に分裂病の人みたいに涎でも垂らし始めるんじゃないかと思うくらいの呆けぶり。とりあえず、薬はあと一週間飲まなきゃいけないらしいのですが、こわいよねえ、、おクスリって。ま、それはそうと、見て参りました。今更のように。邦題「さゆり」。期待してたほどは面白くなかった。ハリウッド映画だから全編英語、って不自然さも合点承知の助だったし、主要キャラクターがほとんど中国人、っていうのも別にどうでも良かったし、ハリウッドで作る日本を舞台にした映画に「日本」なんて期待してなかったんだけど、なんかもっと、すごく綺麗な絵を想像していました。いや、確かに綺麗だったんだけど、もっともっと綺麗な色や絵を想像してました。でもチャン ツイィーちゃんは相変わらずめんこかった~!私個人的には、工藤夕貴ちゃんと役所広司さんがなかなか良かったです。それにしてもさ、さゆりの適役の、はつももだっけ?あいつさ、花街一番の売れっ子芸者のはずなのに、なんなんだ、あのハスッパな身のこなしは!あれじゃ、ただのガラの悪い水商売女じゃん。ま、芸者は確かに水商売だけどさ。ちょっとは、「はいからさんが通る」の吉次を見習って欲しかったね。でも「芸者とは、生きる芸術。売春婦とは違う。」ってのがとりあえずあの映画のテーマの一つでもあったんじゃないの?ならさ、毎日芸事に励んで普段の身のこなしもきりっと粋で、指先一本一本まで動きに気を使って、存在自体を芸術までに高めようとしてる芸者さんを描いて欲しかったわん。って、それは豆葉さんとさゆりで描いたのか???いや、でも、初モモだって売れっ子芸者なんだからさ、内面はどうであれ、身のこなしはもうちょっと芸者然としていて欲しかったなあ。花魁みたいじゃなくって。ま、芸者として失格だったから失脚したという事なんでしょうか。日本人の私からしたら、着物の着方から踊り方から、突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけど、ダダは「かなり、正統な日本に見えたよ。どっか変だった?気付かなかったなあ。」と言っていたので、西洋人にはあれで十分なのでしょう。でも、「そういえば白粉が足りなかったかも。」と言っていた(笑)。ハリウッド映画だから全編英語。これね、私はもう、ま、そりゃそうよね、って思うけどさ。今回ふと思ったの。英語が母国語のダダからしたら、この不自然さはどうなんだろう。だって、出演者のほとんどが、英語を母国語としない東洋人で、どんなに頑張って演技したところで、外国人の英語で演技してるわけで。しかもお話の舞台は東洋。私らが見るより、英語母国語の人が見る方が、よっぽどその不自然さを感じるんじゃないかと思って。たとえばさ、韓流スター勢揃いの韓国が舞台のドラマを、日本資本で日本向けに作ったとしてよ、役者さんが全員弱冠不安定な日本語で演技していたらどうよ。不自然さばかりに目がいって、ドラマ楽しめなくない?たとえばさ、たとえばさ、むかーし、ベルサイユのバラの実写版映画があったじゃない。布施明が歌歌ってたやつ。ってみんな知らないか、、、、(古いの、、、、)多分あれって、日仏合作かなんかだったと思うんだけど、あれを想像してみてよ。青い目金髪のオスカルがよ、金髪巻き巻きのマリーアントワネットがよ、みんながみんな、ガイジンのくせに、あやしい日本語で演技してるとこ、想像してみてよ。そっちの方がよっぽど変で不自然で、見たくなくない?そんなへっぽこ映画みせられるくらいなら字幕でいいです、って思わない?ここのところをダダに聞いてみたら、「確かに演技は不自然ではあるけど、それでも字幕を目で追うよりよっぽど楽でいい。」との事でした。さよですか。やっぱり、英語母国語人って怠け者だよね。自分達でも言ってるけど。私らなんかは、「洋画=字幕」って当たり前で字幕に慣れきっちゃってるから、字幕読む事も別に苦でもないし私たちに合わせて外国人に日本語で演技して欲しい、なんて思いもしないけど、英語が万国共通語だと思ってる英語人は違うのよねえ。
2006年03月21日
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保護者面談とやらがあり、いってまいりました。先生の話「ええっと、、お嬢は入学時に比べて随分変わりましたねぇ。。。。(苦笑)とてもおしゃべりで、confident(注)です。おしゃべりは、オリバーとくっつくともう最悪になりますね。授業中は二人を引き離すようにしなくちゃいけません。それと、時にお嬢は、ものすごく威張りんぼうになりますねえ(苦笑)?ええ、ほんとに変わりましたよ(笑)」とのことでした。想像どおりでした。お嬢自ら、学校での事をいろいろ教えてくれていたもんで。オリバーとしゃべっていて課題を終わらせるのが一番最後になってしまった、先生に stop chatting and do your work と怒られた。とか。先生の話を聞かずにおしゃべりしていて、困ったチャンマークと自分の名前を黒板に書かれた、とか。遊んでいる時にキーラと口論になって、キーラに向かって叫んでいたら「お嬢、miss bossy boots(いばりんぼさん!)」と先生に言われた、とか。。。。学校が始まった当初の、大人しくてよく言う事を聞いていた優等生お嬢は、まだ「自分」が出し切れてない状態での、「周りの様子見」状態のお嬢。本当のお嬢というのは、ぜんぜーん違うのだ!!!たまにお嬢に会う私の友達なんかは、お嬢の「様子見状態」の時にこんにちは、して、慣れてきて楽しく遊んでいる最中に大体さようなら、になる。だから、そこを過ぎて本来のお嬢の姿になったところを見た事がない人が大勢いるのよ!!そうすると、「お嬢って、ほんとに聞き分けがよくていい子よね」とか「お嬢は楽でいいわよね。うちの子なんて、、、」とか、とんでもない誤解をされていたりするのだ。君たちはお嬢の本性をわかっていな~い!ま、本来の自分を学校で出せるようになった、というのは、それだけ周りに対して信頼も持てた、という事だし喜ぶべき事ではあるけど、先生の話し方からすると、今現在のお嬢は、どっちかというと「おしゃべりで困ります」状態みたいなので、先生が話しているときはきちんと聞く、という基本はぴしゃりと再確認させとかないといけません。そういえば私も、通知表に毎回「私語が多い」と書かれていました。遺伝でしょうか。遺伝と言えば、またもや想像通りの先生のご指摘が。「お嬢はreading とwritingはとても進歩しましたよ。全く問題ないですよ。数のお勉強の方は、読み書きほどスムーズに進歩してないんですけどね(苦笑)。ま、問題になるほど出来ないとか落ちこぼれとかってわけではないですが、読み書きほどは得意じゃないですね。やり方を呑み込むまでちょっと時間がかかりますが、出来てはいますよ。」さすが私とダダの子である。まだ算数にも入っていない、数に親しむ段階で、既に自らの読み書き能力に比べて明らかに遅れを取っている(爆)。数に親しみにくい性質なのだ。遺伝である!はっはっは。可哀想に。けどね、私の名誉の為にいっておくとさ、あたしゃ高校入るまでは、なんだかんだいって数学平均点以上だったぜ。とはいえやっぱり得意ではなかったけど。だから。これは。ダダの所為。という事で!!!(注)confident日本語だと、自信がある、とかって意味になってると思うんだけど、ちょーっとニュアンスが違うような気がします。自信がある、っていうと、謙虚が美徳の国、日本では、「自信家」「自信満々」みたいな、ちょっとマイナスイメージもあったりする気がするのだけど、こっちではこの言葉はあくまでもプラスイメージに使います。おどおどしていない、とか、自分自身で居る事に快適さを感じている、みたいな感じ?かな。私自身がはじめ、この言葉の使われ方に(多分日本人として)違和感を感じていたので、ちょっと注釈を入れてみました。
2006年03月15日
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学校に入ってすぐに付き合い始めた(?)お嬢とオリバー君。(2005年10月21日の日記参照)我が家に遊びに来た時もラブラブで、「なんじゃこの4歳児どもは、、、」と呆れながらもなんだか可愛らしくて、親同士も公認(笑)で見守っていたのでありますが、最近よく、お嬢が「オリバーが私と結婚しないっていうんだよ!」と文句をいっておりました。どうやら、オリバー君が好きで好きでたまらないお嬢が、持ち前のしつこさで、毎日のように「You will marry me, won't you?!」と確認のだめ押しをしていたようなのです。最初はいつも、イエス、といっていたオリバー君も、お嬢のしつこさに嫌気がさしたのか、だんだん I don't know になり、ついには No になり、そしてとうとう、今日は、「I will marry Nikki!」と、別の女との結婚宣言をしたそうです。お風呂あがって体を拭いている時に、突然この事を思い出したらしいお嬢、私に話しながらだんだんうなだれてきて、本当に本当に悲しそうな顔になってしまいました。そんなに悲しいの?と聞くと「うん。だって、誰も私と結婚してくれないんだもん。」。誰も結婚してくれなかったらママが結婚してあげるよ。というと「だめだよ、そうしたらママが二人になっちゃうもん(私とお嬢、って意味?)」。じゃ、ダディは?「だめだよ、ダディはママと結婚してるもん。私とは出来ないもん。」オリバーと結婚できなくても大丈夫だよ。誰か見つかるよ。「だってお嬢はオリバーがいいんだもん!!」。今にも泣き出しそうな顔で私の胸に顔をうずめるお嬢。4歳にして早くも失恋かい、、、、、可哀想、、、可哀想なんだけど、、、、妙におマセなこの態度が、なんとも笑える、、、。娘の一大事を面白がってるなんて、なんてヒドい母親なのっ。とはいえ、内心面白がっていながらも、娘の痛々しい表情を見て、「あ~あ。明日オリバーの気が変わって『やっぱりお嬢と結婚する!』って言ってくれないかなあ!」と気を揉んでいる親ばかな私なのでした。。。
2006年03月14日
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演出家の久世光彦さんが亡くなったそうで。。。山岡久乃さんが亡くなった時と同じような、寂しい気持ちがします。久世さんと作家の向田邦子さんって、なんだかとっても「昭和」の匂いを私に感じさせてくれるモノを作ってた人達で。お二人の作ったドラマ見ると、なんとも懐かしいような、ちょっぴり寂しいような、不思議な暖かい気持ちになったもので。久世さんの弔問者の方々の名前を見ているだけで、久世さんのドラマの独特な雰囲気が醸し出されてきて、ドラマの続きを見ているような気になってくる。別に「ファン」ってわけでもなかったのにね。不思議なものです。悲しいです。久世さんや向田さんが表現していた「昭和の日本(の心)」は実際は私より前の年代の人達のものだったのに、それでもいつも、なぜだか懐かしいあったかい気分になったものです。なんか、昭和が終わったな、、、って気分です。って、とっくの昔に実際終わってたけどさ。久世さんのご冥福をお祈り致します。
2006年03月08日
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お嬢は最近、またもや反抗期気味。ちょっと注意するとむくれるし、泣くし、いじけるし、すねるし、ったくうざいったらありゃしねえっ!!!!特に、学校から帰っておやつを食べるまでの我が家は、毎日戦場でございます。そんなこんなの日曜日の事。お嬢が公園へ行きたいというので、家の目の前にある公園へ行きました。くそ寒い中。ブランコに乗っていたお嬢、自分でうまくこげずにいじけ始めました。私は優しく、手取り足取りで教えてあげていました。ブランコが前に進むときは体を後ろに倒して足をぴーんと前に伸ばして空中を蹴るんだよ、で、戻ってくるときは体を前に倒して膝を曲げて後ろに勢いつけるんだよ。しばらくの間は私の指導にそって頑張っていたのですが、なんせお嬢は運動神経が悪く、勘が鈍い。こいつはひょっとすると、私より運動神経と勘が鈍い。私の言う通りに体が動かないようです。「ちょっと違うんだな~。ほら、ここでこうやって足をぴーんと伸ばさなきゃ。」「ほら、足曲げて曲げて!」と優しく、とても優しく言ってるのに、出来ないお嬢はだんだん不機嫌になってくる。私の助言に反抗するわ、手を出そうとすると振り払って怒るわ、じゃ自分でやってごらん、とただ見守っていると「出来ない!出来ない!」と泣き出すわ、しまいにはブランコの上でただうつむいていじける始末。私もだんだん腹が立ってきた。「お嬢。そんないじけてるんだったらつまらないからもう帰る?」「いやだ!」「だって全然楽しく遊べないじゃない。」「いーやーだーーーー。えーーんえーーーん。だってお嬢、ブランコ出来ないんだもん。」「出来ないなら練習しなくっちゃ。練習しないと何も出来るようにならないんだよ。」いじけつつもちょっと足をぴーんとかしてみるお嬢。でも、ものの数秒でまたもやいじけて泣く。「ママが最初だけちょっと押そうか?」「だーめーーーー」と言いながら足を四方八方にぶんぶん空中で蹴り回す。こうなると、もう何を言ってもダメである。放っておいたら一人で頑張るのかといえばそうではない。ただただいじけるのみ。私がアドバイスすると怒って泣く。「だってお嬢、出来ないんだもん。出来ないんだもーん。。。」悔しいのはよくわかる。すごーくよくわかる。私も運動神経鈍かったから、普通の人より出来ないモノがいっぱいあった。でも私は出来るようになりたいモノがあったら、頑張る子供だった。出来ないよ~、といじける子供ではなかった。我が子ながら、なんと情けない。日頃のお嬢の反抗ぶりも手伝って、私のイライラは最高潮へ達した!!!「お嬢!そんなんだったらここにいても意味が無い!帰る!」泣き叫ぶお嬢を小脇に抱え、すたこらさっさと家に向かって歩き出しました。ご近所さんは何事かと思ったでしょうな。ふん。でも私はもう、怒っちゃったんだもん。ぷん。家に着くとお嬢は体全体で反抗を表現する。暴れる。床に寝る。靴もぬがない。挙げ句の果てには、、、、、てめえ、蹴りやがったな。親のあたしを!!!!!NOBODY WANTS YOU HERE LIKE THIS.YOU MUSTN'T KICK ME!!!GO UPSTAIRS & STAY THERE IF YOU CAN'T BEHAVE YOURSELF!YOU'VE BEEN ABSOLUTELY RUDE & RIDICULOUSLY BADLY BEHAVED & SUPER GRUMPY.GO!なぜだか突然英語モードになってしまった私はそうまくしたてると、お嬢のコートをひっぱがし、靴をとりあげ、再びお嬢を小脇に抱えてお嬢の部屋に放り込み、超ダッシュで部屋を出てドアを閉めた。(以前、私の動きが鈍くてお嬢を部屋に閉じ込められなかった事があった。)ひとりぼっちにされるのが何より嫌いなお嬢は、これは大変と泣き叫ぶ。もう、金切り声である。まさに虐待されているかのような声である。ドアをバンバンとたたき、ドアノブをがちゃがちゃと開けようとする。鍵が無いので、抑えてる私も必死である。ぜ======ってえ、出してやんね。親を蹴る子供なんて、ぜーーーーーーーーーってえ出してやんねーもん。お嬢は休む事無く泣き叫ぶのだけど、、、、なんか変な笑い声が聞こえる。。。。。あーっははははははいーっひひひひひひうーっふふふふふふえーっへへへへへへはーはーはー、はーーーーーーーーはは。と、まるで泣き叫ぶお嬢をあざ笑っているかのような、、、。ああああ!あれだ。クリスマスに私の友人Kがお嬢に、とプレゼントしてくれた、ハムレーズのピンク豚だ。音センサーがついていて、音に反応してぶるぶる体を揺らしながら笑うのだ。「ママーママーごめんなさいー 」とお嬢が絶叫する度に、あーっははははははいーっひひひひひひうーっふふふふふふえーっへへへへへへはーーーーーはーーーーーーーーはーーーーー、はーーーーーはは。「ママーー、ママーーー。PLEASE GET ME OUT OF HERE! PLEASE! I'LL BEHAVE MYSELF! I'LL PROMISE! 」あーっははははははいーっひひひひひひ、、、、、、ふざけたピンクの豚の嘲笑をBGMに、お嬢の悲壮感は更に増す。私も、さっきまでの怒りがピンク豚によってかき消されてしまった。お嬢も声が枯れんばかりに泣き叫んでいるし、自分が悪かったのは百も承知みたいだし、豚は笑うし、もう出してやろうかな。「お嬢。ママがなんで怒ってるかわかってる?」とドアを閉めたまま聞いてみた。「お嬢がとっても悪い子でグランピーでママを蹴ったから。」よしよし、わかっているじゃないか。一年前までは、わからなかったんだよ、この子は。どんなに怒られて「ごめんなさいー」と泣いていても、「何で怒られたか言ってごらん?」と聞くと「わからないー」だったのよ。成長したねえ。よしよし。「どんなに自分がイライラしていても、人を蹴っちゃだめだよ。それからね、あんな風にグランピーにしてると、だーれもお嬢の事相手にしなくなるからね。わかった?」「はい。。。」ドアを開けてあげたら、「ママー!!!!」と、母を訪ねて三千里歩いてきたかのような勢いと絶叫で私の胸に飛び込んできた。あーっはははははいーっひひひひひうーっふふふふふやはり豚はわらっていた。。。。
2006年03月07日
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5人は良くない。大人一人に子供5人はきつすぎる。子供その1「あきゃん、喉乾いた~!はーい、ちょっと待っててね!子供その2「あきゃん、このイーゼルにお絵描きしたいの。ペイントどこ~?」はーい、今用意するから待っててね。子供その3「あきゃん、大変大変、子供その4が泣いちゃった」あらあら、どうしたの?子供その1「あきゃん、喉乾いた~!」テーブルの上に用意したからそこで飲んでね~子供4ちゃん、どうしたの?子供その4「えーん。えーん。お嬢が私の事押した~」お嬢「えーんえーん、ごめんなさいー。さっきから謝ってるんだけど、許してもらえないの~」子供その1「あ!ジュースこぼしちゃった!」子供その4「えーんえーん。お嬢が押した~!」子供その2「あきゃん!ペイントどこ~?ブラシは~?水も欲しい!」とまあ、こんな感じでありました。。。。5人は良くない。5人だと、2人と3人とか、1人と4人とかに別れちゃうからな。かたやお絵描きしてる奴がいるかと思うと、あっちではお医者さんごっこをしているやつもいて、かと思うと今度は誰かが工作始めたりして、突然一人になってしまった事に気付いた子が「誰も私と遊びたくない、、、、」としくしく泣き出したり、、、。子供5人相手にするなら、大人がゲームとかいろいろ、エンターテイメントを仕切らないとダメだろうな。子供任せに遊ばせると、今回の私のような目に遭います。他に大人がいればまだしも、大人一人で5人を仕切るのは、地獄だわよ~。しかも家の中めちゃくちゃにされるし。ご招待した子のお母様が口々に「あきゃん、あなた、brave(勇気がある)ねえ、、」と言っていたけど、今頃意味が分かりましたさ。。。。そういえば、金曜日子供達を迎えに行ったとき、担任の先生は「あきゃん、あなたmad?」と笑っていたっけ、、、、。ま、それでもお母様達が迎えに来た時、子供達が皆、「やだー!帰りたくない~!今日はお嬢の家に泊まるの~(絶対お断り!)」と暴れてくれたのを見て、ああ、こんなに楽しんでくれたんなら、ま、やった甲斐もあったってもんだな、と嬉しくなりました。しかも、今朝学校で、ご招待したうちの一人のお母さんが、「あきゃん。うちの子が言ってたけど、あなた一人一人の名前を書いたケーキを作ってくれたんですって?うちの子が感激して、その事ばっかりずっと話していたわよ!」なんておっしゃってくれるではないの。私がそんな手の込んだ事する訳ないじゃないの。一つ一つのケーキに一人一人の名前なんて。私の性格からして考えられない芸当でございます。しかも私ってばさ、「砂糖で味覚が破壊されたエゲレス人の子供に、私の手作りのおいしいケーキを食べさせるなんて勿体ない。どうせ『全然甘くな~い』とか文句言って食べないに決まってるんだから。出来合いのケーキミックスで十分なのだ。」と、ケーキミックスで適当に作ったのだ。なのに、何を勘違いしたのかわからないけど、その子はとんでもなく素敵な一人一人の名前入りのケーキを食べたのだそうです。正直な私はもちろん、お母様に「いえいえ、私はそんな事してませんよ」とお伝えしましたが、でも嬉しいじゃないの。私のおもてなしがどうだったかは実際問題じゃないのよ。その子が、そう勘違いしちゃうほどに喜んでくれてた、って事がポイントよね。皆、「またやりたい!」と騒いでいるそうですが、私はもう、ご免です。あ、そうだ、忘れていた。ご招待したうちの一人のお母様、何故かお嬢にプレゼントをくれたのね。私は、はて?と思いながらも「きっとみんなで遊べるように寄付してくれたのね。なんていい人なのかしら」と素直に受け取りました。そのお母様が迎えに来た時、「So! Did you have a nice birthday party?」とお嬢に聞いていたのを聞いて、誤解発覚!「誕生日じゃないのよ~!」「あら、誕生日だとばかり思ってたわ~!」「なんでもないのにプレゼント頂いちゃって~(笑)なんて優しいのかしらと思っていたのよ~(爆)お嬢の誕生日の時は手ぶらで来てね~!」というオチもありました。(このおばさん、PTA会長さんなんだけど、ちょっとすっとぼけてる所があるのです)
2006年03月06日
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今日はおひなまつり。お嬢の「お家でパーティーしたいよー!お友達呼びたいよー!」の叫びに、何を血迷ったかわたくし、パーティーを企画してしまった。といっても、学校帰りにお友達呼んで遊ぶだけなんだけどさ。おひなまつりといえば、女の子。お嬢のクラスに女の子は10人。これが微妙な数なのよね、、。10人。頑張れば全員呼べない事も無い人数、、、けど、私はそんなに頑張る気はさらさらない。。。。私には5人で精一杯だ。だがしかし、10人中5人を呼ぶという事は、クラスの女子の半分を呼ぶという事。うーむ、微妙だ。20人中5人を呼ぶんだったら、単に「クラスの仲良しさんを呼んだ」って感じだけど、10人中5人。ま、10人中9人呼ぶよりは波風立たないけど、呼ばれなかった子(のお母さん?)達はいい気がしないかなあ、、、。ま、でも、頑張る気はさらさらなかった私はお嬢に言った。「お友達4人なら呼んでパーティーしていいよ。」お嬢は早速4人を選んで、私は次の日お母様方に声をかけて、ご招待完了。子供っちゅーのはこういう事を、すぐさま学校で興奮して大声で話すものなのである。「お嬢のパーティーに行くんだよね~、金曜日だよね~!私はお嬢のお友達だからおよばれされたんだよね~!」「私のパーティーにくるんだよね~!楽しみだね~。○○ちゃんは仲良しだもんね~!」と。悪気はないのである。まったくないのである。が、私は見た。お嬢と結構仲良しのXXちゃん(今回、選に漏れた)が淋しそうにしてるのを。その日学校から帰ったお嬢に何気なく言ってみた。「今度のパーティーね、4人しか呼べないでしょ?学校でお嬢達があんまり楽しそうに騒ぐと、およばれされてないお友達悲しいかもしれないから、学校ではあんまり言わないようにしようね。」きょとんとした顔をしつつも、お嬢は「はーい。」。そしてその日、学校から帰ってきたお嬢。「今日ね、アントニオが『金曜日何かするの?』って聞いてきたから、アントニオには教えられない、って、秘密守ってきたよ!」あああああああああ。あんな事言わなければ良かった、、、、。と大後悔しても時既に遅し。。。そうやっておもいっきり秘密にされる方がよっぽど仲間はずれみたいな嫌な気持ちになるじゃないか。。。けど、お嬢は私の言う事を聞いただけなのよね。。。「あ、そっかー。ママがあんまり人に言うなって言ったから、お嬢はアントニオには秘密にしたんだねえ。でも、そうやって教えてもらえないのって、アントニオも悲しいかもねえ。この間お嬢だけテディ見せてもらえなかった時、お嬢悲しかったもんねえ。ママがあんまり人に言うな、っていったのはね、あんまり騒ぐな、って事だったんだよ。誰かが聞いてきたら秘密にしなくてもいいんだよ。」苦し紛れに説明したら、「じゃ、今度アントニオが聞いてきたらね、『I'll invite you some other time!』って言うよ!」とお嬢、名回答。「そうだね。それがいいね!(超社交辞令だけど、、、)」嬉しくってたまらないお嬢はずーっとずーっとパーティーの話しばっかりなんだけど、お話しながらなんとな~く気付いた。この年頃の子供って、「誰々ちゃんは呼ばれたのに、私は呼ばれてない。」って、あんまり気にしないみたいねその場では「なんで私は呼んでくれないの~?」とか言うみたいだけど、子供は子供で、私なんかよりよっぽどうまく、誠実に友達に答えているのよ。「今度やる時は呼ぶからね~」「うん!」って、それだけでいいのよ。なんか、子供の無邪気で誠実なやり取りに、私の「一見、すごく他人の気持ちを考えてるかのように見える対応の不誠実さ」をまざまざと見せつけられた、って気分。っつーか、私、考え過ぎだったのよね~でも、日本って結構、こういうの後で陰で言われたりするじゃん!!!私はあるんだよ、社会人の時!チーズ好きの友達でスイスレストランに行った次の日から、突然よそよそしくなった子がいて、どうしたのかと思ったら、「あきゃんちゃん、私の事呼んでくれなかった、、。私の事嫌いなのね、、、、。」と、かなり気にしていたらしいのだ。。。。女子って、こういうのがいっぱいあるじゃん!!!しかも私って、そういう気配り足りないからいっぱいあったんだよ、そういう事!なので、人生の教訓として残ってしまったのだ。「集まりを企画する時は、女子には気をつけろ。嫌ってないのに嫌われてると思われて、嫌われる時がある。」今回は、その教訓が思い切り裏目に出た、という事で。今回の教訓。「子供は根に持たない。」と、タイトルとは縁遠い内容になってしまったけど、きゃー、掃除しなきゃ。とりあえずケーキ焼かなきゃ。きゃー!
2006年03月03日
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さてと。私の推測のおさらいをしてみようっと。神という概念は、古代の人々の中に自然発生的に生まれたものだと思う。主に、自分達に理解出来ない、コントロール出来ない事象や自然現象等を、なんとかコントロールしたいと思う気持ちが「神」という概念を産んだのではないか。(日照り続きで干涸びて死んじまう、って時に、「お願いだから雨を!」とすがる気持ち等。)「神」が雨を降らせてくれる。「神」に頼む。という概念が出来上がり、結果、絶対権力を持つキャラクター「神」が生まれた。(2月27日の「絶対権力」の日記参照)人間に理解出来ない領域の大きさと神の権威は比例するので、古代においては神はもう、絶対であった。「神」はもちろん見えないし話してくれないから、「神の声」を聞くもの、伝えるものが、人間の世界では権力をつけていく。呪術と占術と話術に長けた物が、小さいムラのグループのパワーとなっていくのではないか。細木数子のような人が権力を持っていたのかもしれない。原始的な古代のムラグループでは細木数子で十分だったかもしれないが、社会の発展に伴って武力での領地拡大が盛んになる。自らに細木数子の特技がなくても、武力で人々を統制し統治した人達は神の権威を利用して自らを神格化する事で統治をやりやすくする事ができる。この時代までは、それぞれの民衆グループが、その土地独自の神様をいくつも持っていた。そんな中、ユダヤ民族も同じように自分達の神を持っていた。ユダヤ民族は長い間奴隷として虐げられる状況が続いていたが、モーゼの主導により、ユダヤ人奴隷のエジプト脱出が行われた。流浪の末に「約束の地」に辿り着いたものの、他国の度重なる侵略を受け離散する事になる。誇り高い彼らは、離ればなれになろうとも、いつの日か必ず結集しユダヤの国を作るべく、民族の心の団結を試みたのではないか。それがユダヤ教の始まりだったのではないだろうか?自らの歴史を伝え残し、各地に散らばる同胞が厳しい状況に耐えられるよう、自らを「神に選ばれた民」として誇りを与え奮起させたのではないか。(と同時に他民族を排他。自分達を虐げている人々に救いを与える事はない。)そして、誇り高い自分達の民族の徳をキープする為に、厳しい戒律を設け、民族の秩序の維持を計ったのではないか。国や長を持たぬため、民族統一の頼りは個々の心のみだったから、「神」一点に求心力を与え、神と個々の契約を交わす必要があったんじゃないか。それには絶対権力以上の強大な力が彼らの「神」には必要で、その為、私からみれば「脅し」とも取れるような性格を「神」は帯びていったのではないか。とまあ、これが世界に名だたる一神教のもともとのはじまりだったんじゃないのかしら???目的意識がはっきりしていて深いから、他のpaganの神々よりも理論と説得力を持って際立って存在したんじゃないかしら。だから、後々キリスト教が生まれた時、征服先のpaganをいとも簡単に改宗させる事が出来たんじゃないかしら。。。。
2006年03月02日
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エゲレスの歴史と宗教の関係を例の「子供用百科事典」でお勉強していたら、面白くなってきてローマ帝国やらまでさかのぼっちゃって、ユダヤ教まで辿り着きました。面白いよ~キリスト教が出来て広まる前は、どこもかしこも独自のpaganがあったのね。paganっていうのは、その土地で信仰されてる土着宗教、アニミズムのようなもので、神道もpaganに分類されるらしい。エゲレスの歴史がこれまた笑えるんだけど、これはまたゆっくり書きますが、結局ローマ帝国が来なかったらエゲレス人はいつまでも縄文人っぽかったような気がします。ローマ帝国が占領しに来てくれて随分洗練され、ローマ帝国がキリスト教持ってきたのね~そうなるとさ、権力と宗教の関係を知りたい私は気になる訳だ。ローマ帝国でどういう風にキリスト教が広まって、その前はどうなっていたのか。と、さかのぼったら、面白いんだよ~ローマ帝国も昔は独自のpaganがあったんだと。で、ギリシャと関係が深くなるにつれて、ギリシャの神様も交じっていったらしい。しかもさ、帝国築く前の皇帝は「神聖化」されていて、崇拝されていたんだと。昔の日本みたいじゃないか!で、クリスチャニティーが確立されるまでは、やっぱり独自の神の権力を後ろ盾に、人間がローマを治めていたんだよ。卑弥呼みたいじゃない~?で、クリスチャニティーが広まってコンスタンチン一世とかいう皇帝が国教としちゃうらしいんだけど、このクリスチャニティーってどっから来たんだよ、と思って。(これも仏教勢力が勝って仏教を国教とした日本に似てない?)というわけでユダヤ教に辿り着く。と前触れが長くなりましたが、今回書きたかったのはこれだけ。(↓)すっごいコワいぞー。I am the lord your GodDo not have any other gods before meDo not represent gods by any carved statue or picture of anything in the heaven above, or the earth below or in the water below the land.Do not bow down to (such gods) or worship them.I am God your lord, a God who DEMANDS EXCLUSIVE WORSHIP.要するに、神は私、私ひとりなのよ~偶像崇拝一切禁止よーだって崇拝されるべきは私ひとりだから~私があなたの神、あなたの独占的な崇拝を要求する神なのよ~!ってこった。こういう内容、前にもどっかで聞いた事あるんだけど、実際英文で読むと、すっげーーーーーーーーーーーコエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ。全てはこの概念から始まっている。Torahというヘブライ語の聖書。で、キリスト教もイスラム教もここから派生していったわけだ。なんで戦争になっちゃうか、わかるよな~。。。。で、このユダヤ教の神は一体どこから来たんだろう、、、、と思ってるんだけど、今ひとつよくわからない。民族宗教だから小さいグループしか救ってくれないんだよね。思うに。ユダヤ教のはじまりって、古事記に似てるんじゃないだろうか。もともと「神」がいたわけじゃなくて(って当たり前だけど)ユダヤ民族の歴史を伝え残すにあたって、作られた物語であり神なんじゃないかな、と。古事記も日本のはじまりを伝え残す為に作られた物語だけど、天皇の治世を正当化するのに「神話」はとても重要で、天皇の神性はそうやって作られたと思うんだけど。違いはさ、日本人は、どんなに神道好きですと言ってみてもいざなぎといざなみが国や火を産んだ、、、、とはどうしたって信じられないじゃない。そこはもう、「ああ、そうなんですか~」って信用しないでお話として楽しむじゃない。ユダヤ教はそうじゃない。この世界は唯一無二の全知全能の神が創りたもうて、4000年しか経ってないんだよ。地球がン十億年歳で、恐竜も住んでたのはナショナルヒストリーミュージアムに行けば一目瞭然でも、その事実をどんなに明確に突きつけられても、地球は4000年歳。日本を「『神の国』なんてナンセンスな事言っちゃって」と批判する向きは多いけど、どっちがバランスを失ってるかといえば、むしろあちら側なのでは、、、、、と思うわ~。私以前に、日本の事を「神話がそのまま国の成り立ちになってるなんて珍しい」と書いたけど、キリスト教圏イスラム教圏こそ「ユダヤ教神話がそのまま世界の成り立ちになって」ない???一神教。わかってはいたけど、コワいのであ~る。とはいえ、昨日私はその一神教の行事であるパンケーキデイを、とっても楽しみました!!
2006年03月01日
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