出がらし紋次郎の出がらし日記

出がらし紋次郎の出がらし日記

雪印乳業を創った男

《足尾銅山鉱毒事件》

 埼玉・栃木・茨城三県にまたがり森高千里の「渡良瀬橋」のモデルにもなった渡良瀬遊水地があります。この地には明治時代に起こった「足尾銅山鉱毒事件」の悲しい過去があります。
 かつてこの地にあった栃木県谷中村の人達は鉱毒に苦しめられていました。明治34年、栃木県の衆議院議員であった田中正造はその惨状を訴えるべく天皇陛下へ直訴しました。直訴は失敗に終わりましたが、そのニュースは新聞で大々的に報道されました。
 当時、東京の苦学生であった黒澤酉蔵はその記事を目にし田中正造に会いに行きます。その行動に感銘を受けた酉蔵青年は谷中村救済のための活動に参加することとなり、のちに利島村(埼玉県)など谷中村と同じく鉱毒に苦しむ人達の足尾銅山反対運動の主要人物として活動することになります。しかし、この運動は当時は反政府活動であったため、酉蔵青年は警察からマークされのちに別件逮捕され半年に及ぶ監獄生活を送ることになります。 
 出所後、さらに鉱毒被害者救済運動に身を入れる酉蔵でしたが、田中正造の進めもあり無事学校を卒業することができました。


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