出がらし紋次郎の出がらし日記

出がらし紋次郎の出がらし日記

北の大地へ

 明治38年学校を無事卒業した酉蔵は、足尾銅山の被害者救済運動で酉蔵のことを知った北海タイムス(新聞社)の記者の招きにより北海道へ渡ります。そして宇都宮仙太郎という一人の男と出会います。仙太郎は明治18年、北海道へ渡り明治20年にアメリカ・ウインスコンシン州で実習をしてきた人物で、酉蔵は仙太郎の元で牧夫として働くことになります。
 鉱毒被害者救済運動で投獄時に同じく救済活動をしていた潮田千勢子から聖書の差し入れを受けキリスト教に帰依していた酉蔵は、明治42年札幌の教会で洗礼を受けます。そこで知り合った佐藤善七の紹介で土地を借り、宇都宮仙太郎から牛を譲り受け酪農を始めます。
 酉蔵はません棒にロープをかけ、毎日乳搾りの練習をしていたといいます。搾った牛乳は大八車を引いて毎日売り歩いていました。そして大正12年、酪農家仲間から出資を募り製酪販売組合を設立し、牛乳や加工乳製品の販売を始めます。そして後にその会社は雪印乳業へと成長していくことになります。
 また酉蔵は、酪農を志す後継者たちの勉学のため酪農義塾を設立します。後に江別市野幌の丘陵地帯に移転した酪農義塾は、現在酪農学園として日本中から多くの若者が集まり、社会へと送り出しています。



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