全215件 (215件中 1-50件目)
去る6月25日未明、我が家の愛猫でこすけは 入院先の病院のケージの中 誰にも看取られることなくひっそりと 12年という短い一生に幕を下ろし 逝去しました。 たかが、されど12年 寝起きを共にし いろんな時間を共有した でこは俺や娘にとっては家族であり 特に共に成長し大きくなってきた娘にとっては まるで兄弟のような存在でした。 初めから分かりきってる限りある時間 あまりに突然過ぎて まだまだ猶予はあるだろうと高を括ってた俺は 持て余し 残してしまったこと、日々全力でしてやれなかったことへの 後悔の念でいっぱい、申し訳ない気持ちしか残ってない。 ブログの上ではあるけれど、でこを可愛がってくれた皆さん、ありがとう。 楽天ブログ、楽しかったなぁ。 俺は少し離れてしまったけど 今でもみんなを特別な仲間だと思ってるし 俺同様 離れてしまった人も含め みんな元気かなぁ、とこの場に立ち至り懐かしく思って 思い返せば、若くて勢いもあったよね、なんて話を 花猫さんとも少しやりとりしました。
2018/07/11
コメント(2)
https://itunes.apple.com/jp/album/soshitekokohekite-single/id1192124084 https://itunes.apple.com/jp/album/soshitekokohekite-single/id1192124084 iTunes。 とりあえず2曲 どろどろに酔っ払いつつ登録したら、価格設定を間違えたらしい。 高い。 しかしながら、それでも有難いことに 購入なぞしてくれた人がおるので 今更設定を変えれんのね。 他でも配信されてる様だけど、よくわかんない(笑) 年末のイベント以来、どうも心身共に調子が良くない。 買えとは云わぬ。 視聴してね。 検索)よたがらす
2017/01/06
コメント(0)
由々しき問題である。 携帯端末の位置情報を用いて現実世界を舞台とするゲームが、一足早い配信で話題となっていた海外一部地域に続き、我が国でも配信されることと相成った。 これは非常に由々しき問題である。 ただでさえ道義を守らぬ浮かれポンチの痴れ者共が闊歩する世の中で 当たり前でありきたりな決まり事なんぞ焼け石に水、何の役にも立たない。 迷惑な歩きスマホ、ながら運転 それに纏わる不愉快な思い&危険な場面に遭遇、果ては重大事故の発生すること必至で 運転業務に携わる当方としては、それら事象を目の当たりにする確率が高まるに違いなく、まるで有難くない。 厭わしいばかりである。 ってなわけで、道義をわきまえ正しく遊びましょうね。 無理だろうけど。 我慢の許容が小さいのでね。わはは。 わからぬ輩は、ぶちのめす。
2016/07/22
コメント(0)
コチラからしかしながらシステム上の時間差とやらが生じている様です。気長によろしくですー。
2016/07/08
コメント(0)
ご購入はコチラから↓(9日午前0時より システムの都合上多少時間差が生ずる場合あり)レトロ地下街 目出タキカナ審査待ち~審査中に切り替わり、わずか一日という異例の早さで承認されました!描写に少なからずの不安があったのですがあまりにもスムーズ過ぎて拍子抜けではある(笑)ってなことで7月9日、日付が切り替わると同時に販売開始でーす。で、今回はそのスタンプ個々の秘話&こだわり部分をご紹介。ますばこの河童君、スタンプでは↑この様に目に黒線がひかれてプライバシー保護されております。その素顔を今回に限り特別公開、そして髪と頬を伝う水滴(笑)ナイフ&フォークを用いたライスを食すスタイル間違っている、いや、正しい、というふたつの意見あり。今回当方は間違っているという認識でダサい日本人として描きました。↓この和服美人と弁慶、実は当ブログの過去記事「紙が欲しい」にて登場したお方なのです。今回、髪型も大正ロマン漂う耳隠しにイメチェンし着物も新たに着替えての再登場です。当スタンプ作成にあたり一番最初に描いたもの。この人、当初は全裸に正座でした。しかしながらLINEのガイドラインに裸はNGとの御触書がありまずパンツを穿かせ、シャツを着せ最終的には全体の出来映えが気に食わぬということで全面的に描き直し、処理し直しました(笑)この看護婦さん、いかに可愛く、綺麗に描くかということに徹しました。ま、一つ目なんだけどね(笑)え?看護師? 看護婦ですよ、看護婦。「テメー」「手に目があるか!」というくだらないやり取りが、小学校時代に流行りました。単なるダジャレですね。はい。鯛の腕にBCGの痕。この医者、実はアノ大御所俳優をモデルに描いたのだけど途中あまりに似過ぎてしまい、急遽、北里柴三郎をミックスしたつもりなんだけど判るかなぁ?わはは、あのお方です。実はこの辺りの描写が見ようによってはグロテスク、微妙なのではと内心ひやひやしていました。以上、そんな感じでよろしくねー。
2016/07/07
コメント(0)
この度、オリジナルLINEスタンプを作成しました。 構想8秒、制作半年以上! すべて目玉が飛び出しているというコンセプトで、ちまちまとスケッチブックに マジック、色鉛筆、アクリル絵の具などを駆使して描き上げた 限りなくアナログなデジタル作品です。 現在LINEにて審査中 この危うい描写、無事通過するのでせうか。 乞うご期待。
2016/06/26
コメント(0)
あちこちガタのきた 不自由な器から そろそろ離れていくのかね。 長くも短い23年。 俺は優しくなかったけど 無邪気で マヌケで かわいいやつだった。 なんだか滑稽で矛盾だらけ。 いつも足りない。 もう会うこと無いかもなぁ。
2015/07/02
コメント(0)
youtube 河原にて 5.11
2014/09/02
コメント(4)
「給料が下がって生活が厳しい」なんて、ちっぽけな事とてもじゃないが言えません。会社に誠意が感じられないだとかくだらない。まるでたいした事じゃない。あまりに事が大き過ぎて言葉が出ませんよ。頑張れ。なんて、頑張ってもいない、自分ごときが言えんです。まったくもって非力です。不甲斐無い。とはいえ、少しでも、何らかのかたちでお役に立てればと思う次第です。
2011/03/19
コメント(6)
革製品が好きでなかでも取り分けライダースジャケットと類別区分されるバイク乗りが装備として着用する類のものに心ときめき胸踊るわけでところが、わたし自身ばりばりのバイカーなどではまるでなく要するに昔からある、革ジャン=ハードな、不良チックな、ロック的なといったイメージ。まあ、ロックなわたしがこういったものを好み着用するのは至極当然、至って自然の成り行きではあるのだけれどどうもロックで革ジャンとなるとどうしてもダブルと呼ばれるデカ襟の黒いものに金属製のいがいがを装着した攻撃的なイメージが世間的には強いようでしかしながらちょっと大人なわたしはシングルと呼ばれるすっきり立襟タイプが好みであり色は赤、白、黄色。わっはっはっ。チューリップかいな。って、いやあ実際の話、ベルトや財布、靴も然りなのだけれどわたしの場合、これ、いずれに於いても黒を選択することは、ほぼ無く例えば、希に選択所有してはみても、身に付ける頻度が極めて低い。なんか地味~な感じがするんだよね。まあ、何はともあれ、ロックでゴーってな感じである。シャンソンだけど。 あーうぃ。ところで、所有しているものがハードで奇抜なウエアばかりだと困惑する局面無きにしもあらずで例えば、そういったハードだったり奇抜なものを着用する場合少なからず、気合いというか気力が必要であり気分が落ちている時などは、ある一定水準まで気持ちを持ち上げ、持ち上げして着用せねばならずああ、今日は駄目だな。誰とも会いたく御座いません。本日は家にてひっそり過ごしましょう。ところが、そんな日に限ってタイミング悪く、冷蔵庫は空。インスタント食品はおろか、スナック菓子すらゼロ。胃袋はエンプティー。仕方あるめぇ。ってんで、買い出しに出かける身支度を始めるわけなんだけど本日の冴えない気分にこの服装は無えやな、って酷く凍える夕暮れではあるけれど、上着無しで出かけたまでは良いけれど案の定、云わんこっちゃない。風邪なんぞおっぴき白、黒、抹茶、あずき、コーヒー、柚子、桜、ならぬあら、喉真っ赤!脚気、高熱、下痢、嘔吐って感じ。三日三晩、床にてのたうち、いまだ気分すぐれぬけれど再度食料調達に出向かねばならぬことと相成り気分冴えねえなぁ、とは云え、また上着無しで出かけたりなんかして病状を悪化させるわけにもいかぬのできえぇぇ!と気合いの一声。へろへろの気持ちを奮い立たせハード且つ奇抜な、銀ぴかレザーに赤い毛がまだらに生えたコートを羽織りいざ出陣。ところが、病の床で衰弱し切ったその顔は、髪ぼさぼさ眼は落ち窪みさらばえた老人さながら歩く姿はよたよたと、気丈に振る舞おうとすればする程にぎくしゃくと壊れたゼンマイ仕掛けの玩具のよう奇妙な動きとなりそれとは相反し対象的な、そこいらではついぞ見かけぬド派手なコート。これはトータルバランス的に奇矯の極みであり弱り切っているところへもって、民衆の情け容赦無い好奇の目に晒されつつき回されしてところが、そういった状況が手に取るように分かる程何故だか頭脳だけは冴えきっているのがなおさら辛いところなのだけれどどうやら頭脳と身体はまるで連動していないらしく精神的な辛さとは裏腹に、気が付くと笠置シヅ子の「買い物ブギ」をげらげらと笑いながら、時折、涙を流しつつ狂おしく熱唱している有り様。おっさん、なんぼで、これ、なんぼ?おっさん!おっさん!おっさん!げらげらげら。それでも何とか、ようよう買い物を終え疲労困憊し、夢遊病患者のごとくに帰宅。玄関扉を閉めるが早いか、糸が切れたように昏倒。サバラ&グワシ 当方所有の革製品を用いた究極のき●がいコーディネイト。これ、諸々の宝くじ、いずれかに於いて億単位の賞金を獲得した際の失禁いや、出勤スタイル。まあ、その場合、失禁でも何ら問題無いですがね。ヲシテネ。
2011/03/03
コメント(8)
アカンがな。すみまへん。これで聴けるはず。粗い録音ですが。タイトルをクリックすると別ウィンドウが開きプレーヤーが現れるのでそこで再生して下さい。再生出来ない場合はプレーヤー下の青文字[VOON かわいた世界]をクリックして下さい。かわいた世界 MP3 詞/曲&ギター/ボーカル:げんあいつは此処から手を伸ばして足りない分だけ足を踏み出し気楽な口笛とポケットの中の夢と見知らぬ街へ靴音響かせて自分の居場所と窮屈な暮らし水槽から魚は飛び出して干からびたかわいた世界の扉の向こう埃の積もった玄関先で頑なに信じてる 何かを信じて歩いては立ち止まり また歩き出す向かい風の中で想いが色あせてもきっと変わらない太陽だけが照り付けて取り残された様なひとつ夜の灯りの下で淋しく笑う光と影に縺れて見送る者と 見送られる者の他人事の様なその顔が入れ替わるもう二度と走ることの無い車輪のとれた車はねじれた身体を無造作に積み重ねられ誰にも気にされず 誰のことも気にかけずただ真っ赤に錆びた抜け殻になるいつの頃からだろう こんな気持ちはどっかに大事な何かを置き忘れた様な向かい風に煽られて足をとられてもきっと何もなかったみたいに朝が来る紹介曲の著作権は当方に帰属します。
2011/02/17
コメント(16)
なんだ?貴様。しばきまわすど! こら!と、何故ゆえ毎日仕事の集荷先で顔を合わすおやじに対し当方が上のごとき辛辣な言葉でもって罵倒するに至ったかというとわっはっは。と、本来ならば笑い話で済むことであるにもかかわらずなんやオマエ?誰の話しとんのや?こら!などと敵意むき出しの態度、巻き舌で啖呵など切りして向かってきたからでありいやいや、笑い話というのは当方の主観的解釈であり少々聞こえはよろしいが、実のところ常日頃からこのおやじが人格的不具者であるとされる端々より耳に入る逸話の数々そこからくる先入観の色眼鏡で透かし見たおやじの姿を嘲り、小馬鹿にする意味合いも少なからず含まれていたかもしれない。まあ色眼鏡で見ずとも思い当たる節は大いにあるしね。ともあれ、オマエですよ。オマエ。は?オマエ、誰に向かって口効いてんだ?馬鹿野郎!って感じ。へっぽこおやじにオマエ呼ばわりされたとあっちゃいかな温厚なわたしといえども怒っちゃいますよ。で、その笑い話の内訳と、さらにこのおやじが敵意むき出し鼻息荒く激した理由が如何様なものかと申すと集荷先である仕事場の便所に設置してある小便器下の床に常時数滴、尿による溜りが出来ていて偶然にもその溜りが出来るさまを目撃したこのわたしが面白おかしく編集したドキュメンタリー、これがこの笑い話の内訳でありこのドキュメンタリーを第三者に解りやすく動作を交え解説しさらにこの溜りの制作者であるおやじ本人に面と向かって指摘したことこれこそが、このおやじが鼻息荒く激した理由である。実際見たくもないものである。ところが、見るともなしに目撃してしまったその現場に出会わしては~、なるほどねぇ。と思った。何が、は~、なるほどねぇ、なのかというと例えば映画館やデパート、電車の駅、その他公共施設など不特定多数の出入りする場所に設置された便所を使用することがままあるのだけれど現場に立ち至ってみると、必ずといってよい程先にあげた仕事場の便所同様、小便器下の床が汚れており酷い場合、夥しい数の尿滴により巨大な水溜まりが形成されていることすらある。不特定多数の隠し味をブレンドした共同作品である。うげえ・・。しかしながらわたくし、この事象には少々不可解な点があり理解するに容易くない。通常、用を足す場合当然ながら、放尿開始から終了に至るまで全ての動作をこれ小便器の上にて行うものでありそうして小便器上にて動作する限りにおいて床上に滴が垂れ落ちる筈は無いのである。ところが現状、床上には尿溜まりが形成されているわけでどうなっているのだろう?右を向いても左を見ても真っ暗闇なこのご時世である。憤懣鬱憤を抱えた民衆が、そのはけ口にとこぞって故意に的を外し床を汚しているとでもいうのだろうか?さにあらず。この尿滴滴る床の現状をつぶさに観察検証してみれば民衆の故意でないことは一目瞭然。故意で撒くにしてはいずれも少量、極めて消極的な感がありどうせ撒くなら、「人工衛星、人工衛星!」などと叫びつつ放尿しながらくるくる旋回床一面に撒き散らすくらいはするに違いなくこの場合、尿のみでは済まぬやもしれぬのである。では何故ゆえこの様な事態が起こるのだろうか?うむむ。と一層謎は深まるばかり。それとも、世間的におおやけにならぬだけで正常な放尿すら困難なほど奇怪な形状、あらぬ方向を向いた持ち物を携えた突然変異体のごとき種族が水面下に存在していて極力、尿をこぼさぬ様、苦労に苦労を重ね、細心の注意を払いつつ放尿するもあうっ・・・。と、あらぬ方向を向いた持ち物から、あらぬ方向へ図らずもじょろろ・・。やむをえず粗相してしまった結果なのか?いずれにしても想像の域を超えるには至らず釈然とせぬまま渦巻く謎は胸中にてわだかまり、しこりとなりかけたその頃に例のおやじの尿溜り制作現場に出会わし、意外にもあっけなく全ての謎が解明されることとなったのである。わたしが便所へ赴くと、すでに放尿中だったおやじは別段変哲ない方法にて用を足していたのだけどふいに目前にて繰り広げられる、放尿終了後のおやじの動作に我が目を疑った。というか、放尿は完全には終了しておらずいまだちょろちょろとほとばしっている状態にもかかわらず、おやじは突如ひょいと腰を後ろに引け元気のないナマコのごとき萎びた下水ホースを便器の尿受け範囲外へとずらすと、あろうことかぴんぴん滴を切りおったのである。つまり、は~、なるほどねぇ。である。しかしまあ、このおやじ同様誤った放尿法にて粗相を繰り広げる人間が世の中に一体どれだけいることやらまさか、このおやじ一人があらゆる場所に出没し滴をぴんぴんしているわけではあるまい。まったく、こんなことだから日本の景気はいつまで経っても一向に上向かぬのではないだろうか?いずれにしても、てめえが粗相したなら良識人である僕をオマエ呼ばわりする前にしかと反省し土下座するついでに汚れた床を舐めてでも掃除しやがれ、馬鹿野郎!と思う。加えて云うなら、「おめえは運転も荒いんだよ。あほんだら。」おっと、これは直接本人に云ったっけね。
2011/02/09
コメント(8)
本日のでこすけ (我が家の先輩方との5ショット)微妙なお年頃その日のわたしは腹痛がありその旨を、しかるべき相手に伝えなければならないのだけれどいざその場に立ち至り、少々困惑した。果たして「おなかが痛い」と云うべきか「腹が痛い」と伝えるべきかわたしの主観的な感覚では「おなかが痛い」と云うとどこか子供じみた印象があり「腹が痛い」なんて云うと、なんだか少々気取った感がある。ところが、そうして葛藤するうちにも、相手方はどこが痛いの?と、急く様に訊ねてくるのでいずれか選択しあぐねたわたしは、自らの腹部を指さし「ここが痛い」と。今からおおよそ四十年あと幼稚園園内、幼いわたしと教諭とのやり取りである。本日のモペッド少々いぢってみました。ってまあ、いぢったの結構前だけどね。さあ、どこをいぢったか分かるでせうか?ヲシテネ。
2010/12/23
コメント(4)
我が道をゆく 虹色に光輝くラメ塗装を施した、高級自転車にまたがる男短く刈り込んだ頭髪に、黒色サングラスの無表情な横顔。見事に鍛え抜かれた上半身は、太く逞しいその腕も露わなタンクトップ姿。ずっしりとした下半身との均勢も抜群で、まさにトータルバランスの極み。スポーツ選手か、はたまたボディービルダーか、仔細は判らぬけれどいずれにしても、極めて禁欲的な精神でもって日々筋肉増強に勤しんできたに違いない。一種異様な雰囲気を醸すその男の風貌に一般庶民的生活感の類は一切認められず例えば、帰宅時や夕餉の席などに於いて「ただいま~」「いただきま~す」或いは入浴時、湯船につかる際「ああ~、極楽、極楽。」などといった台詞を発するなど想像だに及ばずいかにも凶暴獰猛そう、しなやかなドーベルマンが静かに出迎えるコンクリート打ちっぱなし近代的ビルヂングの薄暗い一室に無言で帰宅。食事している姿など他人には一切見せずバーボンのボトル片手に入浴は専らシャワー。といった超俗的な生活が似付かわしい。なにしろ音もなく颯爽と走り抜ける男の姿にすれ違う者すれ違う者が皆、一様に振り返る。夕暮れ迫る真冬の凍てつく寒風の中、これが我が道と疾走する自己顕示。 ロボット少年法律が悪いと思う。車を運転していると矢鱈とマナーの悪い自転車乗りが目に付くさらには己の立場が、事故の加害者へと陥れられかねない際どい場面に幾度となく遭遇する。信号無視、飛び出し、車道中央を蛇行などなど。目に余るものがある。法律が悪い。これら自転車乗りの多くは「轢けるもんなら轢いてみやがれ。接触でもしようものならこちらは被害者。 より大きな自動車の方が悪くなるのだ。」といった法的優位な立場をかさに悠然と横暴な運転を繰り広げているに違いないのだ。数年前の話。その日の配送業務を終えたわたしは会社へ戻るべく、二トントラックを運転していた。と、突如現れる学生の運転する暴走自転車。むきになってペダルを漕ぎつつ、並走するその自転車は前方に現れる駐車車両等、障害物をひょいひょいと車道中央寄りに膨らむかたちでかわしていく車道であるので当然ながら、走る凶器ともなりうる自動車がそれなりの速度でもって、列をなし走行しているわけであるけれどこの学生の運転する自転車は障害物をかわし車道中央寄りに膨らむ際も、安全確認など皆無。その度に、並走する自動車側が制動ペダルを踏み込み安全確保せねばならぬ有り様で「この、糞餓鬼があ!」と、呪いつつも、この自転車の動きに注視し、小生これを追い越す。ところがまったく間の悪いことに赤信号。折角追い越したものを、すぐにまた追いつかれ、追い越す。また赤信号。追い越すその都度、この学生に向けて全力で凶悪な表情を拵え睥睨してみせたりするのだけど学生、真っ直ぐ前方を見据えたまま甜然と走行を続けというか、こちら側のこの、じりじりした感情のたかぶりを幾らか察知している様子で視線は前方にありながら、視界の隅で神経のみこちらに向けていて無言の反抗に徹している感がある。この無言の反抗がまた実に腹立たしく、いっそのこと「文句あるか!この、おたんちん!」と、面と向かって反抗された方が、対処のしようもあるというものである。紺のブレザー左胸にエンブレム様の刺繍ワッペン、灰色のスラックス。上下ともに、七分丈のごとくちんちくりん。刈り上げた頭髪に、吊り上がった目尻、鼻翼の押しひろがった鼻。一見にして勉強の出来る、お高くとまった優等生と見て取れるこの学生の外見。こういう手合いには、概して陰険な頑固者が多い。兎にも角にも、間の悪い本日。またしても赤信号で追い付かれまた追い越しては、追い付かれしてそのうち前方にバス停留場。乗客乗り降りの為、停車するバス。小生これを追い越すべく速度を落とし今まさに追い越そうとしたその時、あろうことか疾風のごとくに停車するバスと小生運転のトラックとの僅かな隙間をすり抜ける自転車一台。 くだんの学生の運転する自転車である。なめてやがる。さすがに穏やかな小生もこれには激高。先行する自転車を追いかけ、追い付き並走するかたちで、助手席側窓のガラスを開けその向こう、前方見据えたまま走行続ける学生に向け「こらぁ!車道を走るんじゃねえ!」と一喝。一方、学生、これにて態度を改めるかと思いきやつり上がった目、押しひろがった鼻翼そのまま、表情ひとつ変えず語気強く「自転車は車道です!」などとほざきよる。この野郎!いくら交通法規上、自転車は車道を走るものと定められてるとはいえ時と場合、限度、というものがあるのだ。さらに激高した小生、走行する自転車のさらに前方行く手を遮るかたちでトラックを路肩に寄せ停車。加えて、それを避け、歩道を走行し始めた自転車の行く手、素早くトラックを降り当方自らの体でもって立ち塞ぎ、これを取り押さえた。御用!ってなわけである。さて、憤激する小生、この後、声も荒げこんこん畳みかけるよう説教を始めるわけであるが、何かがおかしい。というのも、当方の激しい感情のたかぶりに対する一方の学生側青白いその顔の表情に動揺の色はおろか、一筋の感情の乱れも見せないのである。かといって特別反抗しているふうでもなく例えば、通っている学校名、学年、氏名などこちらの問いに対しても、はきはき滑舌よく答える。答えるには答える。しかしながら、この学生の発する言語にはまるで抑揚が無く感情を持ち合わせた生身の人間と相対している感触がまるで無いのである。「貴様は何故ゆえそのようなロボットみたいな話し方をするか?」問うと「緊張しているからです」と同様の調子で答える。まさに暖簾に腕押し状態。 はっきり云って不気味である。これ以上この学生に説教したところで何の意味も無いと悟ったわたしは「もうよいわ、去ね!」と、云われた学生、表情もそのままくるりと背を向け自転車にまたがると何事も無かったかのように走り去る。ただ、彼に搭載されている頭脳には「車道を暴走してはいけません」という小生の教えが即座にインプットされたらしく歩道を、ゆっくりゆっくりと。ぴいいいいいいいい がりがりがりがりがり・・・・ 風に乗って微かに聞こえるコンピューターのごとき機械音。ヲシテネ。
2010/12/17
コメント(4)
JBとは?(ここをクリック)(坊主頭になった現在のJB。相変わらず飲む席では油性マジックによるペイントが常)★前回JBいぢりの報告★日時:2009年10月28日以前ひょんなトコロから破廉恥映像を収録したビデオテープを大量に貰い受ける機会があってまっこと有り難いことではあるのだけれど残念ながら当方、これを再生する器機を持ち合わせておらずどうしたものか、と二秒思案しビデオテープ → アナログ → JB という図式より自堕落な落黄ばんだ日々の狭間で浮き沈み繰り返しているしかばねJB君の生活に、ささやかなうるおいを与えて進んぜよう結論に立ち至り、これを進呈することとなった。しかしながら、ただこれを与えるだけではまったく面白味に欠けさらに無料で快楽を与えて戴けるほど世間は甘くは無いのでまず、これら多数のビデオテープを段ボールの箱に詰め梱包。さらに、これに偽造した送り状を貼り付け彼の住まう、コーポ玄関扉の前に置き去り、自宅固定電話へ呼び出し。「もしもし、釜村さん(JBの本名)のお宅でしょうか?」「はい、そうですけど」とシラフでいつになく冷静なJB。「わたくし、東北急送のパクと云う者ですけど 先ほど荷物をお届けにあがったのですが、お留守だったようなので 扉の前に荷物を置いてきたのですが、お受け取りお願い出来ますか?」「え?何屋さん?どちらにおかけでしょうか?」と、いまだ状況が理解出来ぬ様子のJBに当方、荷物を配達に伺い、留守であった為(実際は明かりが点いていて在宅していた)さらには、本日当方の配送業務が立て込んでいてこんなところでもたもたしてはおれんので、荷物を扉前に置いてきました。つきましては受け取りお願いしますよ。といった内容を極めてへりくだった丁寧な感じで伝えると、ようやく理解した様子で少々お待ち下さい。と受話器を置き、荷物を確認に走る。ややあって電話口に出たJB、さすがに不審げ。これは何か?と問うのだけどここへきて、これまで極力押さえ込んでいた笑いが突如猛烈に込み上げてきてどわっはっはっはー! と笑うわけにはいかず切羽詰まった当方、慌てて電話を打ち切った。あひゃひゃ、危なかった。しかし愉快愉快。このイタズラの終始をJB宅近隣に住む友人、桑原央文氏(仮名)へ携帯メールにて報告するとノリの良い彼は、ならば自分も不要なDVDをかき集めて持って行く。と便乗。ほどなく桑原氏より「今置いてきたよ♪」と配達完了の報告メール。配達に赴いた扉越しのJB宅内部の様子は、何やら来客中だったよう。なんにしても愉快愉快。ぎゃっはっはっ。さて、この後、再度JB宅へ電話しこの電話で仲間内によるいたずらであることが判明するのだけど(仲間内の誰かは判明していない)この際のJBの豹変振り。おう!くおらぁ! わりゃ~、やり方おかしいんちゃうか?!と生まれ育ち、生粋の名古屋人であるにも関わらず故横山やすし氏を敬愛する彼は、さらに舌を巻き関西弁風味で凄んでみせる。くぉらぁ!警察呼んだからなぁ!ははん、なるへそ。先刻の来客主というのは制服着込んだ公僕だったのね。ぷうぅ~ぷりぷり。しかし、この屁垂れ具合。自宅に少々不審な荷物が届いたのみにて、びびりにびびって失禁&脱糞。常日頃、国家権力の犬がぁ!などと毒突いているそのお犬様に取りすがるのである。さらには「戦争反対って言うよりはNO WARって言った方が何か伝わるやん」などとわけのわからぬ戯言をほざく割には、てんで横文字に弱く何度も目を通したであろう、わたしが拵えた送り状に記入されている出鱈目な差出人住所氏名からも、何ら不自然な点を見出せなかったようで他人事ながらまったくもって不甲斐無い。愉快な冗談満載の送り状なのにねぇ。★送り状の差出人住所氏名★住所: 東京都中野区下ノ瀬和 ※1 ダイパービル4F ※2差出人: ニップルレコード ※3だいたいからして、仲間内が仕掛けた軽~いおふざけである。通常ならば、なぁんだ~わっはっはっ。ってな具合に笑って済ませられるレベルの細事。よだれだらだら糞尿垂れ流しで激高する程の問題ではない筈である。ところがこの屁垂れの余裕の無さ。というか、これらJBの言動をわたしなりに解析してみると俺を怒らすと恐ろしいぜぃ。触れると火傷するぜぇ。の関西弁バージョンな感じ。つまりとっても危ないパンクロッカーを演じているのである。それは以前、例の如く泥酔した彼が、おらぁ!と雄叫びを上げ自動販売機等無機物にどかっ!と蹴りを入れ「俺って何て危ないんやろ」なんてつぶやきさらに「どっからでもかかってこんかい!」叫んだ直後後方より迫り来たタクシーに、ぴっ ぴっ 警笛を鳴らされちょっと路肩によける。みたいな行動からも伺い知ることが出来るわけである。そう、彼はとっても危ない男なのだ。怖くないけど。ともあれ、こんなくだらないことにすぐ本気になるとってもいぢり甲斐のある廃人。今回はどうなることやら。俺はいぢらないけどね。(※1下ノ瀬和=シモノセワ ※2ダイパー=おむつ ※3ニップル=乳首)(2008年度忘年会でのJB。汚な過ぎる。)ヲシテネ。
2010/12/15
コメント(6)
この作品は私が小学生当時、暇に任せて描いたものである。粗雑な絵、文字など読みにくい部分が多々ありますが作品のオリジナリティを尊重し、そのまま掲載しました。現在の作品と比するところ、絵に関しては描写力など多少の進歩があるものの内容的にはさして変わり栄え無し。これには我ながら衝撃である。うひゃひゃ。娘が幼少の時分に描いたモノ。血は争えぬものである。うぐぐ。
2010/12/06
コメント(8)
くだらない用件で携帯電話の呼び出し音が鳴る。くだらないので受けない。受ける前から何故にくだらない用件と判るかと云うと今の世の中便利になったもので呼び出し音が鳴った時点で相手方の電話番号が液晶小窓に表示され、何処ぞ誰からの呼び出しだか分かるようになっていて今現在、当方をぴーぴこ ぴーぴこやかましく呼び出している者が誰たるか一目瞭然なのである。で、何がくだらないかと云うとこの者が、毎度毎回当方を呼び出しては繰り返す会話の内容例えば、仕事場や家庭内にて生じた憤懣鬱憤。加えて、それに纏わる第三者への呪詛の念をまき散らすのが常でこれに対し、解決策を見出すべく当方が意見など述べてもまるで聞く耳を持たない。必然的に当方が聞き役に徹しなければならなくなるわけであるが初めのうちは、あほらしいながらも相槌なんぞ打ったりしているのだけどそのうちそれすら面倒になる。そして、更に不愉快なことにこの者例えば、朝の清々しいひと時、楽しい空想に耽っている時など土足で踏み入るがごとくに、当方都合わきまえず、ぴーひゃらどんどん呼び出し、散々淀んだ空気をまき散らし、付き合わせておきながら突如手前の都合、会話を切り上げ打ち切るのである。これを無駄な時間と云わずして何と云う?実に馬鹿馬鹿しい。イコール、くだらない用件。 となるわけである。さて、この電話男と当方に共通、年長の知人があってこの知人、さすがは年の功。なかなか為になる、的確前向きな意見を申す人物なのだけどと或る日、やはり当方携帯電話に電話男より呼び出しがあり面倒なので、これを放置していたわけであるけれどあまりにしつこいので受けてみると案の定の愚痴愚痴オンパレードワンマンショー。あほらしく埒が明かぬので、この電話魔の性格上、方々に更には、その共通知人にも電話にて愚痴っているに違いないとの推測のもとその知人の意見はどうか?問うてみると「彼は前向きな事しか云わぬし、考え方が違うので電話を止している。」 などと吐かすである。わたしはどちらかと云えば、この知人の前向きな意見に賛成であり実行出来るか否かは別として、男として願わくばそうありたいと思うわけでこの電話男の、己の否を省みぬ、謙虚さに欠ける後ろ向きな意見にはまるで賛同出来ぬのである。ところがこの電話男は、当方が意見を述べぬのを良い事に手前の勝手、都合良く解釈。当方を同類と認識し挙句の果てには憤懣鬱憤の捌け口としているのである。まったく勘違いも甚だしい。不愉快であること夥しい。ところが冷静になってよくよくこの男の言動行動を観察してみると当方の人格上の短所部分をより強大にした感じでまるで「こうなっちゃいけませぬよ」的な、悪いお手本集の様。厭わしく、こうはなりたくねえなぁ。と思うと同時にああ、そうか。この人はこうして自らの身をもってわたしを戒める為に存在してくれているのね。うむむ、と我が振り省みて有り難く拝み、反省しました。
2010/12/02
コメント(7)
このところツタヤのレンタルDVDが百円ということで、その昔、かの虫プロ(手塚治虫が関係したアニメーション専門プロダクション)が手掛けていたテレビアニメシリーズ「あしたのジョー」なる作品を借りてきては観いしている。この作品、原作も含め自分の原点とも云うべき思い入れの深いものであって我が人生に於いて受けた影響は非常に大きくその影響は例えば、本質的な部分で後に好む映画や音楽はもとよりわたし自身の人格形成にまで、関わり及んでいるように思う。初回放映、昭和45年のこの作品、幾度となく再放送されており幼少の頃より、この上っ面でない傷だらけの、格好悪い格好良さにしびれてしまったわたしは実に可愛気の無い、ひねくれた餓鬼だったのではないかと思う。なんにしても虫プロが手掛けた本作品の良さというのはまず四十年代初頭当時の時代背景色濃い原作の持つ泥臭い雰囲気がしっかりとらえてあってそこに画の動くアニメーションの面白さが加わりいわゆる江戸っ子気質の主人公が、実に生き生きと見事に具現化されているところにある。また作品中で流れる効果音楽などもジャズバンド風味だったりで洒落ていて主題歌の作詞に寺山修司が参加しているところからも本作品が、ただの子供向けのアニメではない文学色の強い作品であることが伺えるのである。この幾度となく再放送されてきた本作品原作を描いていたちばてつや氏の連載ペースがゆっくりでテレビアニメの方が追いついてしまい惜しくも物語途中で放映終了となってしまったらしい。さて、放映終了から十数年経過した頃このテレビシリーズを短く編集し映画として劇場公開したことがあったのだけどこれをきっかけにこの作品に再度火がつくこととなりあしたのジョー2 なんてものが制作テレビ放映されるに至った。放映前より雑誌だとかで情報入手していたわたしは「2(ツー)なんてちょっと安っぽい感じだよなぁ」なんて思いつつもこの放映を今か今かと待ちわびていたのだけれどいざ放映が始まって愕然。まず主題歌に あんが・・・ となり絵柄に だらだら となり 物語の展開に ぷすう ぶりぶり となりエンディングに じょ じょ じょ となった。あの泥臭い、熱い血をたぎらせた魂はそこにはまるで無くクールで表層的、へなへな小洒落たつもりの薄っぺらい現代的な子供向けのアニメが展開していた。まず少女漫画のごとき細く固い線、ちまちまかちかちした画がいただけない。例えば紙上にて展開する漫画の場合登場人物の動き、疾走感スピード感、動かない画のそれらを通常、線描を用いて表現したりするのだけれどこの2のアニメシリーズの場合、アニメでありながら紙上で展開する原作同様に線描の応酬で、こてこてうるさい。全体的に動きも固く、アニメ本来の面白味というものがまるで無いのである。動きの固さのひとつを例にして挙げると主人公、矢吹丈の髪型がまるで強力な整髪料若しくは糊で固めたかのよう、頑なに乱れないのである。まあ、あの髪型が本作品主人公の外見上での特徴のひとつではあるけれど基本型はあれでありながらも、やはり場に応じてぐちゃぐちゃばさばさなった方がアニメとしての画的には面白いに決まっている。(ばさばさの図)そして殴られた顔が醜く歪まない。これも上の理由同様、面白くない。(ぐちゃぐちゃの図)更に専門用語正式手法名は分からんけどもやたらとキラキラ光溢れる表現効果が多様されておりというかそういった表現効果に、馬鹿のひとつ覚え的に頼り切った感一貫して当たり障りのない小綺麗な感じにまとめてある。なかでも吐瀉物(げぼ)やらヨダレまでもがきらきら表現されていたのには開いた口が塞がらず口の中がスポンジみたく乾燥。三日程飯が食えない有り様となり、危うく餓死するところだった。効果音楽も、あほな今時風(当時の)一部横文字なんぞ用いたへぼい主題歌、エンディングテーマ曲は何じゃらホイ。物語の展開自体も、原作から甚だ逸脱している部分が多々ありこのふざけた所業は一体何なのだろう?大体からして全てに於いてセンスが安っぽく根本的な部分から間違った感じで本作品を愛する自分からしてみれば府に落ちない点ばかり。はっきり云ってゴミである。当時中学生であったわたしが制作してももう少しまともなものが出来たのではないかと思う。いずれにしても未だ本作品に触れたことの無い方々育ってきた環境、歩んできた道により、感じ方は千差万別人それぞれだとは思うけれど原作、テレビシリーズ共々、一度この熱い魂に触れてみては如何だろうか?そして更に暇な方は、駄作である2と初代のものとを観比べなどして頂きたい。その違い、わたしの意見に、もし賛同出来るならそんな貴方は、違いのわかる本物指向なこのわたくしと同種族同士であると確信断言する。余談ではあるが、原作を描いているちばてつや氏の作品は本作品以外にも文学的秀作が多数ありなかでも取り分け地味な、当方お気に入りの三作品をここに紹介お薦めしておく。〔あるあしかの話〕あしかの話です。〔蛍三七子〕蛍に纏わるハナシ。〔モサ〕スリのお話。以上、簡潔な解説でした。ヲシテネ。
2010/11/30
コメント(4)
その道に精通した余人、公共電波を介して曰く排便後の手洗いは確実念入りに行いましょう。理由として挙げるに肛門周辺にて増殖する、大腸菌をはじめとする黴菌は驚くなかれ、三十枚折り重ねたトイレットペーパーをも容易く透過し排便後、肛門払拭に用いた手をも汚染する、とのこと。恐ろしいことである。戦慄した小生、その情報を耳にした直後より徹底した手洗い洗浄を習慣づけるべく実践。薬用石鹸なる強力兵器のごとき洗浄剤にて白く細やか巨大な泡を拵え、爪の先から指の股、更に裏表とくまなく丹念に洗浄を始めたわけなんだけどふと、トイレットペーパー三十枚というのが如何なるものか少々気になり実際に折り重ねてみた。するとこれかなり肥厚なものとなるのである。これほどまでに肥厚なものをも容易く透過するとはなんと極悪非道な黴菌であろうか。まるで肛門に爆弾を抱えて生活しているようなものである。人類はこの危険な肛門を如何に扱っているか?当然ではあるが文明社会に於いて肛門を晒し日常生活を送る者など特殊な事例を除きほぼ皆無。下着着用、更にずぼんやスカートといった衣類にて覆い蓋をするのが常である。ところがよくよく考えてみるとこの肛門周辺にて蠢く黴菌の類はトイレットペーパー三十枚をもものともせず透過するほど極悪非道なものなので、布一枚の下着を難なく透過ずぼんやスカートといった衣類の障害なんのそのいとも容易くあっけなく外部に漏出するのである。結果、食卓の椅子、居間に設置したソファーをはじめ自家用車のシートなど、人間が日常的に腰掛ける物これ全て黴菌で汚染されることとなり家庭内のみならず、外は外とて例えば映画館及び劇場の座席、駅の待合い長椅子、公園のベンチなど気づかぬうち、あらゆる公共の場がおぞましい肛門菌交換場となり果てていてその誰のものともつかぬ肛門菌を知らん間持ち帰り持ち帰りして蓄積した家庭内は飽和状態。極悪非道多種多様な菌の巣窟となる。更に我が家などは、猫という肛門に衣着せぬ獣と同居しておるのでご丁寧に、衣着せぬ肛門をじかに密着させて座ったりなんかしてくれる獣の殺人的な肛門菌がそこかしこに付着していて寝具などは衛生的に間違いなく壊滅状態である。ところがであるこれ程までに多様な黴菌に埋もれた生活を送っていながら我が家に限らず人間とは丈夫なもので日常的にさして体調に支障をきたすわけでもなく至って健康。ぴんぴんしている。一体これはどういうことだろうか?いずれにしても黴菌はそこいら中、うようよと溢れに溢れ返っておりどう考えたところで、今更石鹸を用いて手洗いなどしてみても焼け石に水、洗っても洗っても追いつかずいたちごっこにもなりゃしない。常に押されっぱなしの負け相撲。思うに、公共電波を介し人々にささやかな警告と愚策を投げかけたあの衛生士のごとき余人は、単なるあほか変偏狂に違いない。と、上のごとき結論に立ち至り馬鹿馬鹿しくなると同時に無駄な抵抗であることを痛感したわたしはそれまで習慣づけていた用便後の水を用いた手洗いを含め全ての洗浄行為を廃した。ヲシテネ。
2010/11/25
コメント(10)
ひしめく車の群をすり抜け、会社へ向かう道すがらというか、所用により出勤前に会社最寄りの駅へ立ち寄るのが引っ越しからこちら、ここ一ヶ月程の日課の様になっているのだけどそこに現れる一匹の野良猫がある。茶トラに所々薄墨の汚れを纏った様、地味なこの猫お世辞にも美しいとは云い難いけれど、これが実に愛嬌がある。十日程前に初めて見掛けた時から気まぐれの様に姿を見せるその機会を逃さず接見を試み当初は警戒気味で、逃げ腰および腰だった猫ではあるけれどここ数回で随分と仲良くなることが出来本日などはわたしの姿を見るなり、つつと駆け寄って来たのである。わあい。仲良しだぜい。いぇい。と、ここで私とこの野良猫との間柄を客観的に冷静にとらえてみる。この勝手気ままな野良と、朝の決まった時間にたまたま立ち寄るわたし。この関係は実に不安定なもので、何の約束も契約も存在しない一人と一匹の間柄は、例えば双方いずれかの都合により明日にも二度と再びお目に掛かれぬ日が訪れるやもしれぬのである。こういった場合、わたしの中にはこれまでの経験から績まれたひとつの決め事がある。それはこの猫に限らず、どんなに仲良くなっても“名前を付けぬ”という事。名前を付けると情が湧く。例えば、車の往来激しいひび割れた車道に母鳥とはぐれたであろう小さな雛鳥が弱々しく儚げに鳴く。「おかあさま、どちらにいらしたの?」おお可愛そうに、と、これを拾い家へ連れ帰る。 ↓近所のペットショップへ走り、餌やら巣箱やらを購入。明け方は冷え込むかもしれぬということで保温用にカイロまで用意し万全を整え、世話をする。 ↓一晩もつだろうか?の心配をよそに翌朝早朝から元気に餌を催促する姿に、ほっと胸を撫で下ろしその日は午前中の仕事が立て込んでいなかった為午に一旦帰宅し、世話などしていると小さくまだ完成途上の翼で元気に羽ばたきの練習。その姿、微笑ましく眺めつついずれは大空に飛び立つんだなぁ。と再び労役に帰す。 ↓午後に割り当てられた職務を遂行しつつ、一念発起。あの小鳥を立派に育て上げてやろう。と決意。育てるにあたり、やはり通り名が必要ということで密かにこれを命名。早く帰らなければ。なにしろ俺には乳飲み子がいるのだからね。よちよち、待っててね。 ↓ぴょろぽん、今帰ったよ。と名付けたばかりの名を呼びつつ帰宅。腹を空かして元気に飛び出してくるであろう我が子。ところが、静寂の奥底に沈みきった巣箱の中か細く弱々しいながらも、しかと我が指にとまったしなやかな足は伸び切って硬直し、黒黒と澄んだ瞳は干物の様に乾燥した変わり果てた姿で小鳥は骸に。 ↓ひいいいいいい!何故死んだ?俺が至らなかったからか?打ち寄せる悲しみの荒波に、あばば。溺れもがきのたうち、自問自答に明け暮れる。 END これは私が実際に経験した悲劇である。また、こんなこともあった。十年程前のと或るその日、仕事を早々に切り上げたわたしは仕事で運転する二トントラックにて帰宅。自宅前の畦道に毛の生えた様、道路路肩にトラックを駐車し荷台の整理などをしていた。当時住んでいた家の裏手には、おおよそ一畝ほどの荒れ野が広がっていてそれを眺めるともなく眺めながらの格好で作業していたのであるが不意にぼやけた視界の片隅、ぴょこんと飛び出る茶色の塊がある。ややや?とそちらに視線を向けると体長にして三十糎弱だろうか小型の哺乳動物が、二本の足で不格好に立ち上がっている。プレーリードッグだぁ!と、その正体を見極めるが早いか、叫ぶが早いかはたと我に返った次の瞬間のわたしは全身泥だらけ、両の手でこれを捕獲し立ち尽くしていた。恐らく近所で飼育されていたものであろうその生物を抱え上げまじまじ観察してみる。鋭く伸びた爪に、げっ歯類特有ビーバーのごとき頑強な前歯。よくも喰い付かれなどしなかったものだと後になって己の行動の軽率さに少々ぎくりとなったけども捕らえられたプレーリーは、よほど人慣れしているのかはたまた腹が減りすぎて弱っていたのか、終始されるがまま。その日は夕刻より天気が崩れるとの予報だったので兎にも角にもこいつを保護しましょうってなことになり仕事で使用している荷物運搬用プラスチック製籠を逆さにふせた即席の飼育檻を十秒でこしらえ急場を凌ぎ我が家へ招き入れることと相成った。この時点でも、この動物を家族として招き入れ飼育する考えなどまるで無くあくまで元の飼い主が見つかるまでの保護飼育。上に記した小鳥の一件があるので、当然ながら名前などは付ける筈もない。なにより彼には元の飼い主が付けた本来の名前があるはずだからね。そんなこんなで、近所のペットショップや娘と同じ幼稚園に通う友達の母親やなんかに情報収集を依頼し捜索を始めてはみたものの当初、特殊な動物であるから飼い主はすぐに見つかるだろう、と高を括っていた捜索は意外にも難航。一向に糸口すら見出せない。そうして何の手がかりもないまま二日程経過したその日仕事から帰宅したわたしに唐突、娘がこう云った。「今日ね、ちび丸が脱走したんだよ」ん?ちび丸?何? ああ、このプレーリーのことね。なかなか愛らしい名ではないか。わっはっはっ。って、うぎゃああああ!なんたることでせう。これまで、一時保護しているだけの動物ということで極力感情移入せぬよう一線を引き、努めて事務的に世話してきたわけであるけれど一旦「ちび丸」なんて名を耳にしてしまうとたとえばインターネットにて、この動物の習性特質を調査閲したところ砂漠地帯に生息。砂浴びをば致すとのことだったのでプラケースに少量の砂を敷いた小型の砂場を導入設置してみると彼、甚くそこが気に入った様子で、すっぽり入り込んで日がな一日そこに居る。その不格好に仰臥した姿の可笑しさ。また、即席飼育檻からぱちくり覗くつぶらな瞳など。世話の合間に垣間見たそれら数々の愛らしい仕草と「ちび丸」という名前がゆっくり融合し始め溢れくる感情に弱い心が支配され始める。それは「今日は飲まぬ」と誓って訪ねた友人宅にてまあいいから、と盃を勧められまずはビイルなど如何?って、とくとくとく、グラスより溢れる白い泡。おっとっとっ、と、これに窄めた口を近づける。こうなるともはや、グラス内で軽やかに発泡する黄金色の液体を飲み干さずにいられなくなる。そんな感じ。踵を返したわたしは車に乗り込み自宅より程近い大型スーパーマーケットへと走りラビットハウスという商品名の飼育籠を購入し、帰宅した。こうしてちび丸が我が家の一員となり、一年程経過した頃である。当時の我が家は、ちび丸の他にも猫二匹、その他昆虫の類 etc etc 大層賑やかなものであったけれど、なかでも昆虫の類クワガタムシ、カブトムシをはじめとする甲虫類はインドネシアなぞに採集に行く程の筋金入りがわたしの知人にあってわたし自身それの繁殖飼育を請け負っていたこともあり一部屋まるごとを飼育部屋とし、自分でも把握し切れぬ程の数を管理していたのである。で、それをどこでどう嗅ぎ付けたのか近所の子供達がその昆虫目当てに集い来るようになり入れ替わり立ち替わりやって来ては「カブトムシ頂戴」などとおねだり懇願。まあ心優しいわたしは「誰だ貴様は!挨拶くらいせんかい!浅ましい貧民の子息め!貴様等にくれてやる虫など無いわ!かっ、帰れー!」なんて罵倒することは決して無く、思っても。子供達がやってくるその度に神が諸民に慈悲を与えるがごとくに、柔らかな笑みを湛えこれを分け与えたものである。そんな或る日のこと、そうやって集い来る子供達同様やはり近所に住んでいると思しき女児がやってきて玄関先に設置した飼育ケージの内にて佇むちび丸を見るなり「この動物どうしたん?拾ったの?ウチでも飼ってたけど逃げちゃったんだよね。」と云いだしたのである。ただプレーリーの場合、一般的愛玩動物である犬などと比すると飼い主に対する忠誠が有るのか無いのか曖昧で相対した際に生ずる感情の現れにしても飼い主であれ、赤の他人であれ、反応の違いが顕著でない為云いだした女児自身も半信半疑、判然とせぬ様子ではある。しかしながら詳しく聞くと、なるほどわたしがちび丸を捕獲した際の状況この女児の住まいの位置などから類推するに彼女の家庭で飼育していたプレーリーと、我が家族の一員であるちび丸が同一生物ではないかと云う彼女の云い分は可能性にして5 6 7 8割方いや9、99割方正しい。うむむ、そうか。そうと判れば話は早い。この場合、答えは考えるまでもない。当然ながら元の飼い主に返すのが道理でありそうするのが正しい人の道というものである。元々一時保護という名目で始めた飼育であるしちび丸を元の飼い主に戻すということは彼自身の生活、この女児の家庭、我が家の暮らしをも含め全て本来あるべき姿にに戻すだけのことである。正直者であるわたしは何故だか先刻より、祭太鼓のごとくにどんどこ打ち乱れる心の臓の高鳴りを押さえ飲み込み、極めて平常の様子で「ペットショップで買ったのだよ」あわわわわわ。わたしは悪人ではありません。よって、例えばわたしの中に常々どろどろと悪い心が渦巻いていてその心の黒い舌がわたしにかような言動を発するに至らせたわけではなく名前。全ての悪とその発端はこの“名前をつける”という愚行に起因するものなのです。人間は反省し学習する動物です。この反省と学習を繰り返し人類はめざましい進歩更には進化を遂げてきたのです。よってわたし自身、上に記したような経験を糧に人類の端くれとして進歩及び進化すべく深く反省し己の心に戒めのくさびを打ち刻み二度と再び同様の過ちを犯さぬ様固く誓ったのです。つまり“名は付けぬ”と。ところがである。ああ、わたしはなんたる馬鹿者、痴れ者、うつけ者。迂闊にも先に述べた駅に現れる野良猫これに名を付けてしまったのである。わたしの呼びかけに、にゃあと答える猫。ずびずばー に対し ぱぱぱや と間髪入れぬ子供のコーラス。そんなわたしの心情を知ってか知らずか猫、平素よりの習慣のごとく駅ロータリー外縁部に植え込んであるハナミズキの細い幹にてがりがりと爪の手入れなどして優雅に佇む。それを眺めつつ、今日も駅を後にするわたし。おお、神様、神様、助けてぱぱやー。(愛嬌たっぷりに腹を見せるへぽす氏{♀})ヲシテネ。
2010/11/18
コメント(8)
ヲシテネ。
2010/11/14
コメント(6)
愛聴していたラジオ局レディオアイが、経営不振の為九月末日に惜しくも閉局してからこちら出勤途中の車中に限り、聴くともなしにジップFMなる局の放送を流しているのだけど時間を気に掛けつつ走るその時刻に「ワールドポップアイ」という番組枠がある。その枠、担当を務める紳士的な渋い声色の男性DJがその日に焦点をあてた世界のニュースやらをそつなく紹介していくといった変哲無いものでこの枠の最後に必ず「今日はこんな事柄にポップアイしてみました」とキメて締めくくるのが常であるけれどこの男性DJ、少し英語訛な早口な調子でこのキメ台詞をやるもんだから「ポップアイ」と云っている筈が何度耳にしてもわたしには「おっぱい」としか聞こえない。さらに続けて、曲目、歌い手紹介の後、流れた外国歌手の歌う英語の曲これに耳を傾け、わたしの極めて拙い英語力で聴き取り読解試みてみる。すると、あろうことか「彼女は化け物 彼女は化け物」と連呼しているのである。我が耳を疑い再度その軽快なれど少し淫靡な暗色を含んだ様、怪しげな曲に耳を傾けてはみるもわたしの拙い英語力では、彼女が化け物であること以外は聞き取り不能。よって彼女が化け物であることが嬉しいのか悲しいのか歌い手の心情解明にまでは至らない。釈然としない心持ちで車を走らせるわたし。ラジオからはいまだ「彼女は化け物 彼女は化け物 彼女は化け物 彼女は化け物」と繰り返し繰り返し執拗に連呼していてそれに伴い、世にもおぞましい醜怪な化け物女が豊満な胸も露わに乱れ踊り狂う画が鮮烈なる像を結び、リズムに合わせて浮かんでは消えしてそのうちじわじわとトラウマのように精神の隅々に浸透。やがては全神経を蝕まれ、連夜夢でうなされそうである。ヲシテネ。
2010/11/13
コメント(2)
ヲシテネ。
2010/11/09
コメント(8)
急遽引越しすることと相成りとは言っても現在住んでいるトコロより車で15分程度の場所なんだけど駅裏に位置する現在の住まいと比して、ちょいとばかし辺鄙な地域に位置する新たな住まい。今現在、所有する車の他にもうひとつ何か必要かも。とはいえ、もう一台自動車を所有するのも維持費がかさむ。自転車? バイク? おお、バイクいいじゃん。原付ね。ってなことで、当初はモンキーやらダックスやらを狙っていたのだけどいろいろ探してるうちに、変な方向に脱線して気が付くとペダル付きのおかしな代物が我が家に・・・いやいや、でも面白いよ、これ。当分は楽しめそう。がはは。ヲシテネ。
2010/08/19
コメント(12)
2009/12/22
コメント(6)
バックナンバータイ旅行記★NO1★(ここをクリック)タイ旅行記★NO2★(ここをクリック)タイ旅行記★NO3★(ここをクリック)(タイのタバコ。ぐえ。果たして、売りたいのか売りたくないのか。)タイ旅行記★NO4★〔7月14日スキューバダイビング海洋講習編 恐怖再び の巻〕海洋講習二日目も昨日同様ラチャヤイ島。しかしながら少々気乗りがしない。その理由は明白で、例のマスク外しの課題ね。まあ、鼻から息を吸わなければいいじゃん。と意を決し入水。ところが飛び込んだその拍子に、マスクがずれたのか多量の水が侵入。げほげほけほ。ぐええ、塩辛い。幸先の悪い二日目の幕開け。水面で蠢く俺の7メートル下の海底を、海亀がゆっくりと優雅に泳ぎよる。例の課題は、プールと同じ水深2メートルのところで行うこととなった。むつこさん曰く2メートルなんだけれど171センチという俺の身長の倍くらいはあるように思える。怖かったら少しずつマスクに水を入れて馴らしてから実演してみて下さいね。と云われていたのだけれどこういった苦手なことを、じわじわちまちま時間をかけてやるのは性に合わず厭なのでうおりゃあ、と海中である為、気合いの声は出せぬものの出たとこ勝負でいてこましたれ、と一気にマスクを取り外し口で息をすることに意識を集中。再びマスクを装着し直し、息を吐く時以外は固く鼻をつまむようにしてふんふん鼻息吹くこと数回。やっとの思いでようようマスク内の水を外に追い出すことに成功。共に潜ったバディもこれをクリアしむつこさんの携えたボードに「ライセンス取得おめでとう」の文字。たはは、情けない話だけれど、ほんと、必死だったよ。ここからは昨日と同じく楽しい海底探訪。と、肩の荷が下りた思いでひと息ついたのも束の間。何だかオカシイ。と云うのも、少し泳ぎ少し動作するその度、事ある毎にマスク内に水が侵入してきてそれが気を抜いてる時、不意に入り込んでくるもんだから鼻から吸ってしまい塩辛い海水をごくごく。マスク内に入り込んだ水を先程の課題の要領で、ふんふん追い出すのだけれどすぐにまた入ってきて同じことの繰り返し。おまけに先刻から右側の耳抜きがうまくいかず少し水深を深めるのみにて耳の奥がずきずき痛む。塩辛い水と耳の痛みに耐えつつ、ここでパニックに陥るのは危険なので冷静にマスク内の水を追いやりまた、むつこさんに促され耳抜きすること数回。これを幾度となく交互に繰り返し繰り返ししてその場を凌ぐ。まったくもって海底の美しい景色を楽しむどころじゃあない。そんな俺を知ってか知らずか、海洋生物ある者は海底にだらりと寝そべり、ある者はゆらゆらそこらを浮遊しまたある者は俺をひやかすかの様つつき回しやがる。ふと見やるとバディ二人、俺から数メートル離れたところに居てそこから先は断崖絶壁。その向こうは、あまりの深さ、いや、あまりの高さゆえ日光も届かぬ様子でまさに暗黒の奈落。おののく俺の心情にまるで気付かぬバディ二人はあろうことか平常の様子で、その暗がりへ向かわんとする動きを始めたのでぶくぶくぶくぶく。「ソコ、イクノ、ダメ」と必死の思い全身でサインを送り二人を制止し、断固拒否を意志表示。万全なコンディションならまだしも、これ以上の試練は精神錯乱の恐れ有り。見掛けに違わず俺の精神を取り巻く神経は、繊細なのだよ。むつこさんが酸素残量を問う。男である俺は肺活量が多いとのことで必然的に女性と比して酸素消費量も多いらしく更には悪コンディションにより精神不安定だった為か二人よりも断然消費が激しく残量少な。そんなわけで運良くここで、海面へ上昇するという密やかながら切なる願いが叶うこととなった。水深5メートルのところで3分間安全停止の後、海面へと上昇。海上は少し波が有り、流されつつも天然の空気酸素を何不自由なく肺に取り込める幸せ、有り難さ。厭きるほど海水を飲み、喉はからから、心身共にへとへとなんだけれどクルーザーへと、海から上がる手助けせんとする乗組員に俺は大丈夫。と平静の顔。自力で乗船しずしりと岩の如くに重い酸素ボンベ、その重力を背中に感じつつ足を踏みしめ助かった。海の藻屑とならずに済んだ。ほっ、としたら全身の力が抜け、猛烈に小便がしたくなった。マスクの調整をしてもらい、午後からは快適な海底探訪を楽しむことが出来た。この近辺の海底は隅々まで把握し尽くしていると豪語するむつこさんのペットと称する海老を紹介して貰ったりなどして興深く楽しい時間は過ぎゆくのが早く名残惜しくも海底世界とはまた暫しのお別れ。お疲れさま。そして三日間ありがとうございました。追記:海底を優雅に浮遊する姿、海亀とのツーショット 何故だか平泳ぎになってしまい蛙の様、不格好な姿など 例の水中カメラマンによる 海中でのオイラの画像を多数収めたCDがあったのだけれど その価格1000バーツ(約3000円)に 高えなぁ、こりゃ完全なる観光客価格やな。 しかしながら、まぁ買ってもいいかな。と、思いつつもひとまず 「考えておく。」と云ったまでは良かったのだけれど あれこれしている間に買いそびれてしまい 後に連絡試みるも叶わず、入手不可能となってしまった。 これは個人的に非常に残念なことであり ここに掲載出来ぬこと更に輪をかけて残念。 物事“思い立ったが吉日”ですな。 ってこんな場面で使うっけ?知らんけど。ぐひん。夕刻時分、ホテル近辺を散歩の後、昨日とは違う浜辺へと向かう。この時間になると、ほとんど人影も無く涼しい風が心地良い。浜辺を縄張りにしているのか数匹の野犬の群に遭遇。彼らは餌でも貰えると思ったのかついて来て仕舞いには俺が持っていた菓子パンの空袋を手から奪い取り行ってしまった。さて、夕飯はまた例の如くおやじの店。厭きもせず、昨日、一昨日と同じものを注文。食事も中盤に差しかかった頃、不意にぽつり、ぽつり、またぽつりと冷たい雨の粒。タイは現在雨期ということで、それなりの覚悟をしていたのだけれど渡来してこのかたスコールに見舞われることも無くダイビングの講習を終えれたのは本当に運が良かったよなぁ。と、ここへきて初めての雨。食いかけの食器などを両手に、屋根のある小屋へと移動。当方が屋根のあるところへ飛び込むやいなやそれを見計らったかの様な激しい雨。雨足は更に強まり、屋根がトタンである為ざあざあ叩くその雨音の賑やかなこと賑やかなこと。客は馴染みらしい中年の現地人男性と別テーブルで、物静かにテレビに見入る若い現地人女性。小屋の奥では、おやじの娘と思しき婦人がなにやら座って作業をしていてその周りを子供二人が元気にはしゃぎ回っている。料理を食い終えてしまった俺は、手持ち無沙汰であったのとまだ多少物足りぬ感じであったので当初より敬遠していたパッタイを注文してみることにした。雨はまだ止まない。(画像中央に立っているのがおやじ)ややあって運ばれて来た、その皿その料理、臭くない。それどころか、旨い、旨い、旨い、いぇい。って感じ。まさしく絶品で、あらゆる素材個々の、絶妙なる調和が素晴らしく調味料などはほんの隠し味程度例えば魚醤などに頼り過ぎていないところが良い。料理の下手な者ほど風味の強い調味料に頼りがちで味付けの未熟さを胡麻化す為、多量に使用。結果、魚醤の生臭さのみが料理を支配し、獣臭の如き悪臭を放つこととなる。俺をパッタイと名の付く料理全般、敬遠するまでに至らしめたあの犬パッタイは、実は真のパッタイにあらず味付け音痴な料理人による愚作であったのだ。雨はいつの間にか小降りとなっていた。俺はガイドブックで覚えたばかりの“美味しい”という意味の単語「アロイ」を連発し代金を精算。金額は昨夜より、三つ表示のうち一番安い表示のもの。大満足で店を出た。見た目がボロであれ、こういった店が民間人のみならず観光客の間でも大いに認められるべきではないだろうかと、俺は声を大にして云いたい。まあ、島へと渡り来るのがこんな遠くに来てまでもピザやらパスタやらを食し女を買うことだけを目的とする、あほ西洋人ばかりなので望みは薄いがね。部屋へと帰る道すがら濡れた路面を、ぴょこぴょこ飛び跳ねる蛙を見付けて捕獲見入っているとそんな俺を見た出稼ぎ山岳民族の女が、ここぞとばかりにこやかな笑みを浮かべ、近寄って来たかと思うと木製蛙形の背中を、木製の棒でコロコロやりながらの商品売り込み。まぁーったくぅ、油断も隙も無くげんなり。買わんって。ヲシテネ。
2008/07/30
コメント(4)
バックナンバータイ旅行記★NO1★(ここをクリック)タイ旅行記★NO2★(ここをクリック)(タロイモのパン。結構お気に入りでよく食った)タイ旅行記★NO3★〔7月13日スキューバダイビング海洋講習編 高所恐怖症の巻〕海洋講習の為、プーケットから約一時間半大型クルーザーに揺られ訪れたのはラチャヤイ島のダイビングポイント。海は透明度高く水色。遠くに見える小ぢんまりとした砂浜の砂は白く、椰子の木が立ち並ぶ。乗客はいずれもダイビング目的で欧米人が多く日本人は我がグループを含めた二組のみと極少数。共に潜るはインストラクターむつこさんを含めた女性二人。共に潜る仲間のことをダイビング用語でバディというらしい。初の海洋講習ということで、少々緊張気味の俺。昨日修得に及ばなかった課題の不安もあるしね。ところで俺は高所恐怖症である。こう云ったところで、それがダイビングと何の関係がある?多くの人がそう思うことだろう。なにも海へと飛び込む船が途轍も無く高いわけじゃない。しかしながら意外なところに落とし穴があった。海中は色鮮やかな魚達が群を成して泳ぎ様々な生物を間近で見ることが出来それはそれは美しく別世界だという。重たい装備を身につけた俺は海原へ飛び込み水面にぷかぷか浮かんだまま、その透き通る水色マスクを装着した目で覗き込んでみた。むつこさん曰く水深12メートル位。ぐわああ、高い。え?高い?これは高いのではなく、深いのだと口を揃えるバディ二人。いや、どう考えても高い。落ちたらどうするのだ。水は想像以上に透明度が高く海底の隅々まで見渡せ、非常に高い。その12メートルもある高い場所をふわふわ浮遊しているなど日常ではまずあり得ぬことで恐ろしく落ち着かない。「もう少し浅いところで潜りましょう」とのむつこさんの言葉に少々ほっとしなるべく下を見ないよう浅瀬へと向かう。水深4メートル、そこで潜水し海底へ到達。むつこさんがボードに書いた文字で“水中世界へようこそ”と。続けて彼女、昨日の課題であったマスク外しをやれと云う。先程の件もあり、心の準備が出来ていない俺はこれを拒否。今日明日のいずれかで、この芸当を修得実演せんことにはライセンス取得は出来ないらしい。暫しの海底散歩。水中ではあらゆる感覚が鈍り動作もままならぬものの図鑑やテレビなどでしかお目にかかれない色鮮やかな魚や生物に出会うことが出来、感激。巨大なヒトデやウニに仰天。目に映るもの全てが新鮮(おいしそう)で時を忘れる。海から上がり、クルーザーで別のポイントへ移動したところで昼食。昼食は現地乗務員であるおばちゃんの手作りミートソーススパゲッティーで、これがなかなか懐かしい味で旨かった。昼休みの合間シュノーケリングに興じるむつこさんを眺めつつ海が好きなんだなぁ、思うと同時、ここ高いんだろうなぁ。午前中のダイブで要領を得た俺、俄然調子が良くなり楽しい海底探訪。途中何処からともなく現れたカメラマンが、当方をバシバシ撮り続ける。高く売り付けられるんかなぁ。とタイ渡来直後より終始警戒気味&ひねくれ者のオイラはカメラ目線でVサインなぞ断じてしない。ところが海亀がいると知るやいなや自ら手の届く程までに接近し、海亀と一緒にぱちり。わはは。亀は少々驚いた様子で目をぱちくり。だんだら模様も鮮やかな海蛇の可愛らしさ。直径1、5メートルはあろうかと思われる立派なテーブル珊瑚素晴らしかったなぁ。思っていたより早い時間に講習が終わり2時半頃にはホテルに戻れた為、昼間のビーチへ行ってみる。喉がやたらと渇くので道すがらビールを購入ぐびぐびやりながら炎天下を漫ろ歩き。真昼のビーチは欧米人で溢れ返っているもののそのほとんどが何をするわけでもなくリクライニングシートに寝そべり、肌など焼いている。これがまたどれもこれも真っ赤で痛々しく、見るのもあほらしい。それに欧米男と商売女であろう、現地女の組み合わせをことごとく見掛けるのだけれどその男方、概して母国に在りては、一刻一途真面目一貫装っていそう冴えない風采、中年腹で旅の恥はかき捨て的な精神が、あからさまに見え隠れしていて反吐が出る。しかし欧米女性は普通にトップレスなんだよね。(ビーチ近くの木の洞にあった蜂の巣。蜜蜂の様な小型の蜂が絶えず出入りしていた)恐らく観光客が通らぬであろう、ヘドロで淀んだ用水路沿いの細い道を抜け繁華街へ。ところが疲れのせいか、ビール三本目を飲み切ったところで急激にだるくなって屋台のパパイヤサラダを購入し、だらだらと重い身体引きずり引きずって部屋へと戻り少し居眠り。(用水路沿いの道にて圧倒的存在感を放つ白いうんこ)夕食は昨夜と同じおやじの店。おやじは夜だというのに、何故だか白縁のサングラスをかけていて怪しい。昨夜と同じ席に座り、昨夜と同じものを注文。彼はこちらが何も云わずとも「肉はいらぬ」の言葉を覚えていてくれて嬉しい。こういうのを以心伝心味心というのだ。おやじはこの店に住んでいるのか、娘夫婦だか息子夫婦だか一家揃っていつもそこに居て、主にその若旦那が料理を作りおやじがそれを運ぶ。孫であろう二人の子供が走り回り賑やか。昨夜の猫は姿を見せない。先程から辺りで、きゅっきゅっきゅっきゅっ鳴いている声の主は何かとおやじに訊ねると言葉の壁による隔たりのある当方に筆を以て「ウシガエル」だと教えてくれた。(おやじの直筆。下の絵はオイラの筆によるもの)ヲシテネ。
2008/07/28
コメント(4)
バックナンバータイ旅行記★NO1★(ここをクリック)(タイのゴキブリ)(レストランに何故か象) タイ旅行記★NO2★〔7月12日スキューバダイビング学科&プール講習編〕講習第一日目は学科とプールにて実際にダイビングで使用する装備を身につけての練習。早朝に起床し、昨夜とは別のやはり屋台に毛が生えた様な店にて朝食。昨夜のトラウマからパッタイは敬遠しヌードルスープを注文。味はまあまあ。今回三日間の講習でお世話になるのは24歳女性インストラクターの、がまんむつこさん。そういえば昨夜、近所を散策していた際夕飯の為、屋台広場へと出てきた店長ハジさんとばったり出会ったのだけどその時ハジさんに同行していた小柄な女性が彼女だった。日に焼け、だぼっとしたタイパンツを穿きこなす二人は現地人そのもので二人して歩く姿は夫婦に見えたのだけれど実際は違っていた。こちらに気付いたハジさんは白い歯で笑い「現地に溶け込んでるねぇ」わはは、今回三日間の講習及び滞在期間中の数日で今より日に焼けて黒くなったら、ますます溶け込むんかね。今年のテーマは美白なんだけどね。がまんむつこさんは、底抜けに明るく楽しい人柄で朝からテンション高い。名前は“がまん”だけれど厭なことには我慢などしなさそう奔放な印象。しかし、まりもさんといい珍しい名前である。学科は眠くなりますよー。との彼女の言葉通り始まった途端に強烈な睡魔との戦いとなる。学科講習は主にビデオを観て、その合間合間要点のみを、むつこさんの絵心溢れる図を交えた解説を聞くといった形式で進められるのだけど解説を聞く場面は大丈夫なんだけれど冷たいお茶など戴きつつ扇風機の心地よい風を受けつつといった快適空間でのビデオの映像はまるで蜃気楼。抑揚の無いナレーションは、さざなみの如くに眠気を誘い気が付くと、ふいと意識がとびかける有り様。これはいかん、と立ち上がって画面に見入る。不安だった学科試験もなんとかクリア。特に表を用いての設問は容量小さなオイラの脳味噌では、理解するに容易くなくちょっと応用的にひねった問題となると己の意識とは無関係に、頭の隅ちらちら幾何学模様が見え隠れして思考停止。しかしながら、まぁなんとか及第点はとれた様でひと安心。午後からはプールでの講習。荷台に座席を拵えたトラックで移動。屋外プールはのんびり静かでリゾート地の趣そのもの。プールサイドの食堂レストランで昼食。注文したグリーンカレーには鶏肉がごろごろ混入していたけれども、ぱさぱさツナの様食感であった為肉が苦手なオイラにも苦無く食すことが出来た。ダイビングの機材はずしりと重い。まさに重装備といった感。水中では、酸素を肺に取り込む為のレギュレーターを口にくわえて呼吸するのだけれど平素より口で呼吸する習慣が無い為常に意識していないと鼻から吸いそうになってしまう。幸い、鼻はマスク(水中メガネ)で覆われている為水が入ってくる心配は無いのだけれど水を吸い込んだ場面を想像すると、それはそれは恐ろしい。初めは覚束なかったものの、口で呼吸することにも慣れ恐怖感が薄らぎ始めた頃、ひとつの課題を課せられる。それは水中に潜ったまま、マスク上部に隙間を開けてマスク内に水を入れ、水が入ったところで今度はマスク上部を正面から軽く押さえ、下部に隙間を作り鼻息で水を押し出すといった芸当で最終的には水中でマスクを全て取り外し、再度装着し直した後同様の要領でマスク内の水を押し出すことが出来なければならない。考える間もなく挑戦してみる。しかし、これが思った以上の難関。マスク内部が水で満たされ、視界を奪われるのは結構な恐怖で例えば獰猛な野生の虎などですら目を覆われ視界を奪われるとたちまち恐怖の為、大人しくなってしまうという。陸上で生活する生物である人間が、自由の利かぬ水の中ただひとつの命綱であるレギュレーターをくわえている以外は全て水没しきっているという、不自然この上無い状況下で恐怖を感じない方がおかしい。大体、水中で呼吸が出来ること自体奇妙奇天烈摩訶不思議ではないか。しかし、視界を奪われたうえにちょっと気を抜くと鼻から気管へと容易に水が入ってくるこの状況少々の咳込みならばレギュレーターをくわえたままなんとか凌げるもののあまりに苦しくなると、パニック状態となり水面へ上がってしまう。今現在はプールで練習している為、安全であるけれど例えばこれが水深の深い海底で同様の状況に陥ったとしたらどうだろう?例えパニックに陥ったとしても無闇に慌てて水中から逃げ出すことは出来ないのだ。急激な気圧の変化が人体に及ぼす力は計り知れなく最悪の場合、死に至る危険性もあるのだ。なんとか修得せねば、と幾度となく繰り返し試みるも要領を得ずその度に鼻から水が入り、がぶがぶ水を飲み、げほげほ咳込みそうこうしてる間に時間切れで、本日の講習終了。くそお。不安を残したまま明日の海洋講習に挑むことに。プールでの講習が終わる頃合を見計らって、ハジさんが迎えに来てくれ宿探しを手伝ってくれると云う。どちらかというと連れてってもらう感じなんだけどね。一軒目にあたった宿は、まあまあ綺麗落ち着いた雰囲気で800バーツ(2400円程度)二軒目は「これくらいでいい所があるといいな」と予算的に予定していた500バーツ(1500円程度)離れの様な造りで解放感はあるけれど、古びていてしみったれた感じ。まあ、講習を受ける数日間のことであるし我慢してもいいかと一旦はそこに決めかけたのだけれどその宿に隣接するホテルの部屋を拝見し、またその価格を聞いて驚き飛びつく様に即決。そのホテルの部屋は、非常にお洒落な造りで落ち着いた雰囲気。更にはエアコン、テレビ、冷蔵庫にホットシャワー付きで750バーツ(2250円程度)とは文句無し。今はオフシーズンなのでこの価格だけれど、ハイシーズンともなると倍の1500バーツ(4500円程度)になると云う。ここの管理人夫婦は、仲睦まじく見ていて微笑ましい。初めのうちは、姉弟かと思っていたのだけれど29歳、23歳の姉さん夫婦だそうで姉弟にしては仲良すぎると思った。共にミャンマー人である彼ら夫の方はまだタイに来て一年足らずだそうでタイ語も英語もままならない様子。はっは、オイラと同じだ。なかなかの美男子で好感持てる男だよ。続きを読む(ここをクリック)ヲシテネ。
2008/07/26
コメント(4)
(タマヤスデ 巨大である)タイ航空22日午前11時発の便にてバンコク、スワンナブーム国際空港を発ち同日夕刻時分に帰国。あちらに滞在中は場所を変え宿を変え極力タクシーなどは利用せず地元民と同様の交通手段である、バス、電車、船を駆使し昼夜問わず動き回り歩き回るもさほど疲労感は無くところが飛行機を降り帰国した途端、どんよりと厭な疲労感。なんだこりゃ。帰りたくねえなぁ、せめてあと一週間あったらなぁ。といった一昨日の夜、昨日の朝の心持ちを引きずったまま徒労の日々に戻った23日、本日。頭ぼんやり目はうつろ、運転ままならずしかも先日梅雨明けしたらしい日本の日差しはあちらより断然厳しくそれ、働けや。と容赦無くじりじり照り付ける。そんなこんなでたかだか二週間なれどすっかり浦島太郎状態のオイラ完全な社会復帰までには少々時間を要しそうである。ってなことで、さして観光地へ足を運ぶでもなくただだらだらと歩き回ったのみ、でもないけどね。って感じのタイ旅行記第一弾ー!タイ航空7月10日の深夜便(12時を過ぎているので厳密に云うと11日)にて出発する予定で到着した中部国際空港は深夜ということで人影もまばら。辛うじて営業している免税店を閲したりなどして出発までの時間を潰す。バンコクに到着したのは早朝の5時。ここからエアアジアに乗り換え、プーケット島へ行くのだけどバンコクのこのスワンナブーム国際空港は開港して未だ2年足らずの新しい空港さぞかし楽しげな免税店が軒並みを連ね厭くこと無い時間を過ごせることであろう期待を胸に乗り継ぎ便までの時間を敢えて長めにとって予約をしたのだけれど思惑期待、大外れで、何も無い。あっても陳列された商品はどれも割高。くわっぱ。暫し空港内をうろついた後とりあえずの朝食をとり乗り継ぎ便出発までのおおよそ六時間を持て余し、寝るに寝れず成す術無くだらけてベンチで過ごす。ま、これも旅の楽しみのひとつね。今考えてみれば荷物を預けて外に出てもよかったんだろうけどそんな機転きくわけがない。だはは。エアアジアは安い。片道三千円程度で飛行機に乗れるなんて日本じゃ考えられんよね。窓の外は上天気、プーケット到着まで約2時間。目的地に近付くにしたがい鮮やかな緑と土の色、きらきら輝く水面立ち並ぶ椰子の木が真下に見てとれ南国だよ、おっ母さん!ってまだ実感無いんだけど、いよいよ到着ね。ところで、タイのみならず物価の安い後進諸国に於いては例えば空港周辺及び観光地周辺にて観光客相手にぼったくり商売を目論む浅ましい馬鹿豚共が待ち構えているのが定例で必ずといっていいほど「コンニチハ。ヤスイヨ。」などとあちらさんから声をかけてくる。タクシーもまたそのひとつ。空港を出ると案の定、はっは。おるわおるわ。待ってましたとばかり蠅の如くに集まり来てつきまとい、声を掛けてきやがる。ぶんぶんぶんぶん。しかし、待てよ。奴等を“蠅”と表現するのは好ましくないかもしらん。そもそも蠅というのは糞便やら腐敗物やらといった汚物に集うのが定例で奴等を蠅と例えるならば、必然的に当方が汚物ということになるではないか。ここはやはり、そうだなぁ、蟻、若しくは蜜蜂。かなぁ。いやいや、なんかイメージにそぐわんよなぁ。まぁいいや、蠅。ね。やはりこれが一番イメージにふさわしい。奴等が蠅であれ便所コオロギであれ、当方は良識道徳感溢れる善良なる人間。ホモサピエンスでありどう転んでもその立場は揺るぎない。群がる蠅共を掻き分け掻き分け地元民が利用する格安の交通手段である ソンテオという、トラックの荷台に客席を拵えた乗り物の乗り場を探すのだけど これが何処にあるやらさっぱり見当が付かない。差し当たっての目的地は島の南端に程近いシャロンベイにあるダイビングショップ。今回の旅の第一の目的はスキューバダイビングのライセンス取得にあるのでとりあえずこのショップまで辿り着ければ一段落である。しかしながら、タクシー以外の交通手段ではシャロンベイまで直行するものは無いらしくひと先ず島の南西に位置するプーケットタウンまで出てそこからまた次なる手段を見出すしかない。ソンテオならプーケットタウンまで30バーツ(90円程度)こいつに乗れれば云うこと無いのだけれど、乗り場が分からん。そうして戸惑う間にも、蠅共は次から次へとぶんぶん迫り来て育ちの宜しくなさそう浅黒く原始的な顔立ちロンズデールのTシャツ(ボクサーブランド)を着た蠅男がヤスイヨと掲げるプーケットタウンまでの運賃は500バーツ(約1500円)糞ナメてやがる。「なんだ貴様、そのTシャツは。どうせ偽物だろ。ボクシングやってんのか。俺様が相手になってやるぜ。かかってきやがれ。」と、言いたい。「観光客をナメんじゃねえ。貴様にくれてやる金はびた一文ねえんだよ。ぼけ。」と、言いたい。しかしながらタイ語はおろか、英語すらままならぬ俺に出来るのはせいぜい腹に渦巻く憤懣に表情を歪めることくらい。鬱屈。うっくつ。がるるる。そんなわけで再度空港内に戻りすがる思いでインフォメーションに問い合わせるも此奴らも蠅共と結託してる様子で、まともな回答をしやがらん。まったく、どいつもこいつもである。仕方無くミニバス100バーツ(約300円)でプーケットタウンまで。下車したそこでもタクシーが待ち構えていて目的地まで乗せると言う。その運賃50バーツ(150円程度)あれっ、安いじゃん。ミニバスに乗り込んだ当初はプーケットタウンにて次なる民間交通機関を探す心積もりにあったのだけれど暑い中、大きな荷物を背負って当て所もなく彷徨うのも難儀であるし50ならまぁ良心的な価格に思えるので坊主頭の若い運転手に乗車の意向を伝えると先ほどの50というのは聞き間違いで実際には350だと言う。バ、カ、ヤ、ロ、ウ。そこで値引き交渉を試みる。すると意外にもすんなり50値引いた300でよいと云う。なんだ値引けるじゃねえか。更に値引けと250を提言してみる。運転手「300」「うんにゃ、250」粘ってみる。運転手は少々困った顔で近くにいるボスと思しき中年女に相談をもちかけしかしながら女は首を縦に振らず再び300と。うむむ、仕方無い。これ以上の値引きは見込めぬ様子であると判断。更に、もはや夕刻時分となった今この後すんなり目的地に到着出来たとしてもまだ今宵の宿も探さねばならんので、もたもたしておれん。そんなわけで300で折り合いをつけ乗車。運転手は途中、目的地であるショップに携帯で電話までして道を訊ね訊ねしショップ前まで送ってくれた。まあ、さほど悪い奴でもなさそうではある。後に聞いたショップの人の話によると300という金額はまずまず妥当なものらしく妥当なものから更に値引こうとしてたのね、俺。はっはっはっ、事情が分からんのでね。すまん、すまん。出迎えてくれたのはショップの店長である通称ハジさん(これはチベット名だったっけ?らしい。昔は筋金入りのバックパッカーだったんやろね。日本人。)と女インストラクターまりもさん(これは本名らしいけど、インストラクターになる為に生まれてきた様な名前やね。)お二人共々よく日に焼けていて野生味溢れ逞しい。特に店長のハジさんなどは初めて顔を合わせた時間違いなく年上だと思ったのだけれど後に年下だということが判明して仰天。すげえ貫禄だよ。たはは、俺、貫禄無いからね。ショップに到着後、周辺で宿を探す積もりだったのだけれど今の時間から探すのも大変でしょう、とのハジさんの計らいでショップのドミトリーに無料で宿泊させて戴けることに。有り難や。まりもさんにもドライヤーをお借りしました。ほっ、と一息、荷物を下ろし近所を散策。近くの広場には屋台市場のようなものがあり古着やら食い物やらが格安。非常に楽しい。(山の頂に見えるのはビッグブッダ)とりあえず腹が減ったので通り向かいにある、屋台に毛が生えた様な店で夕食をとることに。氷水をたたえたプラスチック製のコップは古びているし大衆食堂によくある安っぽい感じのテーブルの上はべとついていて蠅なども飛びかっていて衛生的とは云い難いけれども気にしない。そんなものは味が良ければいいのだよ。と注文したパッタイ(タイの焼そばみたいなもの)を豪快に口へ運ぶ。その味、果たして・・・犬みたい。いや、冗談でなく洗ってない犬の様な獣臭が、口内にむわっと広がる感じで、臭い。まあ、その獣臭(たぶん魚醤)も仄かであるし耐え難いものでもないので平らげたけどね。相方が注文したヌードルスープはまあ旨かった。くそ。その後、口直しにと屋台広場横のセブンイレブンにて豆乳が旨いとのことだったので紙パック入りのものを購入。ところが手にした紙パックが何故だかべとついていて匂いを嗅いでみると大便の様、かぐわしき薫り。疑心暗鬼の心持ち恐る恐るこれにストローを差し込み中の液体を力弱く啜ってみる。ぐええ、やはりね・・・すっぱくて激甘。腐ってるよ、これ。紙パックに記載された製造年月日及び賞味期限などあらためるもいずれもタイの暦で記載されている為、ちんぷんかんぷん。仕方無いのでこれを破棄し、再度口直しにとビール。これはちゃんとビール味。日本円にして60円程度という価格が非常に有り難く特した気分。そんなこんなで少々食に不安を覚えたプーケット一日目。ま、さほど気にしないけどね。明日から三日間はスキューバダイビングの講習だぜい。(早速捕獲。タイのヤモリは日本のものよりすばしっこい)ヲシテネ。
2008/07/24
コメント(6)
ちょっくらタイへ行ってきます。よって二週間ほど更新はお休み。なんて、ここ最近またサボってたケドね。MONTBELLのバックパック。パープルはレアらしい。レアモノに弱いオイラ。うへへ。本日のヒゲ&Gショック立派なヒゲが羨ましいぜい。文学をこよなく愛し、スポーツなども手広くこなすアクティブかつシヴいオヤジ。下のGショックは、彼からの戴き物。ダイビングのお供に大切に使わせて戴きやす。本日のおでき、他ダイジェスト画像からいろいろ勝手に想像してちょ。がはは。いってきまーす。ヲシテネ。
2008/07/09
コメント(3)
名古屋の真ん中、栄のとある民家の軒下で羽化後間もないアブラゼミを発見。時期としては少し早いかな?梅雨の真っ直中、雨が降ったり止んだりの悪天候それを知ってか知らずか、雨露凌げる場所にて悠然と羽を広げる、脆くも美しいその姿。そういえば子供の頃、トンボや蝉の羽化を見たいが為徹夜の覚悟で眠い目こすりつつ頑張ったっけなぁ。何十年前だっけ? がはは。未だに興味は尽きんがね。純白の新成虫。まさに生命の神秘やね。自宅隣の建物の壁に貼り付く得体の知れぬ生命体。ぱっと見、ヒルに見えるんだけどなんじゃこれは?こんなに長いのがおるのか?と、気が付くとこの個体の他にも多数貼り付いていてびよよん、と伸びきったものもある。その長さ二十センチ程あるものも。気色悪い。これは神秘の対象外ね。採り集めて皿に載せ、イカそうめんの代わりにちゅるちゅるしたろか。うはは。ヲシテネ。
2008/06/29
コメント(4)
オイラの仕事はトラッカー。ってバスやトラックの部品を配達しているんだけどここ最近、よく配達に出向く修理工場で所長を務めるおっちゃん毎回俺が配達で顔を出す度に「おう、ご苦労さん。暑いで珈琲持って行け。」とこれが、実に気さくで嫌味が無く感じが良い。にこやかでありながら、時折社員に見せる厳しい態度などもなかなか減り張りがあって信頼のおける上司って感じ。第一に、己の下で働く者に対する労いの念みたいなものがずしりと根底にあるので時に叱咤される者にしても、いじけたり反発したりすることなく素直な気持ちで受け入ることが出来るんだよね。で、毎回戴く珈琲、冷蔵庫から取り出してくれるんだけど平素はホットしか飲まない俺ではあるけれどその気持ちがまず有り難いので、素直に感謝の心で頂戴仕り丁重にお礼しいしい立ち去るのである。実際、午過ぎて、二時、三時ともなると気が抜けて丁度睡魔の襲い来る頃合い。そこに珈琲とは至れり尽くせり、なんともまあ実に気が利くじゃん。って左手人差し指でプルトップを引き上げ、缶の口を切り黒い珈琲液を口に流し込む。うーん、この苦みが良いんだよね。ふうーっ、と恍惚の表情。憩いのひと時ね。ところが意に反するその味、ぐわあ。甘い。トテツモナク。缶に表記されている原材料を見ると砂糖、コーヒー、脱脂粉乳、ココナッツオイル、乳化剤という順序での記載。割と最近知ったことなんだけど、この原材料の表記含有量の多いものから順に上から記載されているらしくあろうことか、砂糖。此奴がグリコの登録商標ランナーの如く一番!ってな感じで誇らしげに両手を広げ最上部に記載されているのである。つまり万人に解りやすく平たく言うなら「甘い」ってこと。しかし世間の人々はこれ程までに甘い砂糖汁のような液体を欲しているのだろうか?商品として成り立っている以上は、やはりこの汁を夜な夜な啜りてオイシイ、オイシイ、などと鳴きにける人種がいるのだろうね。なんて考えつつ、ぐびり、またひと口。ぐわあ。そんなわけで毎回その修理工場を訪れる度、有り難く戴く珈琲。うくく、ぐわあ。有り難や。その工場内に設置された冷蔵庫の中には砂糖汁のごとき極甘な珈琲液をたたえた缶がところ狭しずらりと並んでいてある時など「どっちがええ?やっぱ量が多い方がええやろ」などと更に恐ろしく甘そうな薄茶色したロング缶を薦められたこともあり今の世の中、見た目じゃ人は判らん。このおっちゃん、人の好さそうな顔して実は俺を砂糖地獄の罠にかけ陥れようなど目論んでいるのではなかろうか?と人間不審に陥りかけいやいや、と思い直し、人をそんな風に見るものではない。信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷付くほうが良い。ってこれ昔の流行歌ね。しかし、実際こんなの毎日摂取してたら糖尿になるよね。とはいえ本日も有り難く戴いたのだけどね。やはり珈琲はブラックに限るね、ブラックに。ぐびぐび、「苦ー(ニガー)」黒奴交通省。ヲシテネ。
2008/06/27
コメント(12)
これは私自らが夢の中で体験した物語である。■夢日記/2008年6月21日■鮨詰め満員バスに揺られ、吊革につかまりつつも運転手が制動ペダルを踏み、ハンドルを切り、する度車内の支柱を頼りに均衡を保ちようよう立っているといった案配。次の停留所辺りで下車しなければならないのだけれど運転席左隣に位置する、下車専用扉より遙か離れた後方の吊革につかまっているわたしは前方に詰め込まれた乗客群をこれ掻き分け掻き分けして進まねばならぬこと必至で難儀だよなぁ。溜息ひとつ。と、そうこうしてる間に目的の停留所に着いてしまったので意を決し前方の乗客群へ向け、当方下車の意思表示をすべく「すみません!」と、あれれ???わたしが発した「すみません!」の一声はわたしの丁度目の前幼い児童を引き連れ吊革につかまっていた肥満気味な女性との二重奏と相成り続けて彼女、「降ります。」結局、肥満気味の彼女が人の林を掻き分け掻き分けして道を開拓して呉れたのでわたしはその後に続くのみにて難なく下車。車内の淀んだ空気に対し、外界は清しく幾分涼しい。 見知らぬ街である。バスを降りたわたしは停留所の向かい側へと道路を横断し路地を入る。虫喰いだらけの葉を突き出した垣根焼け跡にうずたかく積まれた煉瓦の山煤けた下見板の壁をやり過ごし通り過ぎ老朽し赤錆びた、今にも崩落しそうなアーチをくぐるとそこは年経り鄙びた歓楽街の一画。否、正しくは時代の波に取り残された享楽の残滓とでもいうべきか冬の枯葉に埋もれた抜け殻の様な街で、人影も無く飲み屋の軒下に横たわり埃を被った、清酒の水色硝子一升瓶色褪せた黄色のビールケース沿路に連ね掲げられ、力無く萎びた提灯など哀れであり侘びしい。しかしながらわたしは、こういった景趣は嫌いではなくむしろ大好きなほうで例えば、小ぢんまりとしていながらも昭和初期の造り外観をとどめた劇場跡などかつては人々が集い賑わったであろう過ぎ去りしその盛況振りを夢想するのみにて心ときめくものがあり楽しい。そんなわけで、埃やら黴やらといったあらゆる経年の垢をないまぜにしたかの様独特の臭気を停滞させた通りを独り興深げに散策しているとわたしの行く手を阻むかの様薄汚れた茶色い毛並みの猫が足元に踊りいで猫本人、戯れているつもりなのか知らぬけれどむきになってわたしのスネにかじり付いてくる。猫愛好家であるわたしは一瞬、可愛いではないか、と和んだもののこれが加減容赦無く結構な力で噛み付くので少々不気味に思うのと同時野良に違いない此奴の鋭い牙により傷など負いその微細な傷口より注入された得体の知れぬ病原菌か何かに冒され狂い死になどしては大変とわたしの右足をしかと抱き抱えしがみ付く猫を振り払い、振り解き、引き離しそれでも懲りずに迫り来るのを足で牽制しつつどこか避難出来る場所はないかしら、と辺りを見回し近くの公園へと駆け込み、鉄棒に飛び乗る。さすがにここまでは来れぬとみえて鉄棒の下をうろつきうろつきし、うにゃらうにゃらほざいてけつかる。かっかっかっ。安穏の地を得たわたしは心に余裕が生じなお且つ俄然強気となり身の程知らずな狂い猫に対し、攻撃など加えてやりたく思い今現在出来得る最大限の攻撃として鉄棒上に立ち上がり、中腰で均衡を保ちつつ、猫に狙いを定め放尿。はっは、ざまあみやがれ。きらきらほとばしる黄金色のしぶきを浴びる猫。その顔は何故だか無邪気に笑っている様に見える。ところが、それを見ると今度は、何だか己が弱い者いじめでもしている様な後ろ暗い心持ちとなり、俄かに周囲が気になり落ち着かず、放尿を中断。鉄棒上にてかがみ込む。ヲシテネ。夢の巷バックナンバーはカテゴリ「夢日記」からどうぞ。
2008/06/25
コメント(6)
見せしめとして縛り首となった亡骸。随分と長きにわたり風に揺られ腐敗することもなく、哀れな姿を晒していたのだけどここ数日の黄梅の雨と、まとわりつく様な湿気を含んだ大気にじわりじわり蝕まれ脆くも、とうとう腐り果て崩れ落ちた。おぞましい光景だなぁ、と、ちらり。あまりじろじろ見て、そこらを漂う怨霊に「何見とんじゃい、ぼけ」などと因縁を付けられてもかなわんので気付かぬ素振りで目を背け通り過ぎる俺。なにもわざわざ好き好んでそこを通過する必要も無いのだけれどそこは配送業務の合間、午時の休憩に俺が弁当を広げる場所に程近いわけですなわち、その休憩場所に辿り着く為には“そこ”を通過せざるを得ない。しかしながら、わざわざその休憩場所を選択する必要は全く無くその休憩場所を選択しなければ“そこ”を通過せずに済むわけなんだけどもはや日々の習慣となり果てたものに、変化を加えるのが億劫なわたしは毎日の様に“そこ”を通過し、おぞましい光景をちらり。直後に弁当を広げ食す。そして決まって、口に運んだ白米やドロリとした納豆の味に首を傾げる。なんだか味が変。その休憩場所は、葡萄や柿、キャベツなどを栽培する畑に囲まれた二トントラックが、優に切り返すに余りある程の広さの広場のような場所で、人通り、交通量、共に少なく長閑。休憩には最適の場所でところが、畑では野菜や果物を栽培しているので当然ながらその時期には野菜や果物が実るわけでそれを目敏く狙うのが、盗賊のごとき招かれざる黒装束。烏。追い払っても追い払っても攻め来る悪漢に業を煮やした栽培主が如何様にしてこれを捕らえたか分からんけれども「うおりゃあ、観念せい!」と叫んだかどうか知らんけれども兎に角、これを捕らえ絞首刑に処し、見せしめに吊るし晒した。これが先述した“おぞましい光景”の全容。荒縄で首をくくられ柿の木の枝に吊るされた五体の死体。うち四体は既に真下の地面に全て崩れ落ちているのだけれど残る一体、首から下は崩れ落ちたものの取り残された頭のみが未だ風に揺られ、ゆらゆら。さて、以前この畑で作業を行う人物を見かけたことがあるのだけれど日に焼けた丸顔に麦わら帽、いかにもにこやかな挨拶が似合いそう木訥な感じのするおばちゃんでこのおぞましい凄惨な光景所業とは結びつけるに容易くない。人は見かけによらぬ、ということなのだろうか?それとも余りの怒りに常軌を逸していたのだろうか?いずれにしても、はあはあと息を荒げ、その顔、般若のごとくに変化させ残虐なる刑を執行したに違いない。まさか、にこやかな笑みを湛えたまま、淡淡と事を進めてないよね?と、俄かにぞわっと視線を感じ、その方、見やって仰天。人?生首?微かに笑う乱れ髪のその顔は、案山子の代わりであろう葡萄畑の程高きところに挿げられた、散髪練習用マネキンの頭部で気が付くとそこいら中に多数あり、その数夥しい。なんだ、この化け物屋敷の様相を呈した畑は。どうもこの界隈の畑の持ち主は、猟奇的趣味を持ち合わせた人物らしい。一見にしてそうと判る外観である。その畑をより詳しく調べ上げてみたならばこの上、如何なる恐ろしい事実が露呈するかも知れず、厭わしい。このように黒い怨念の染み付いた土地にて栽培出荷された野菜、果物。果たしてその味は?やはり口に運んでは首を傾げるのかなぁ。 なんだか味が変。追記:「なに撮っとんじゃい、ぼけ」 などと怨霊に因縁を付けられると恐ろしいので 烏の亡骸は撮影していません。悪しからず。ヲシテネ。
2008/06/20
コメント(10)
懐かしい、三段式特殊警棒。わはは。これからは外出時に手放せんね。
2008/06/16
コメント(7)
少々ワイルドを気取って革ジャンなど羽織ってみる。う~ん、やはり革ジャンはぱつんぱつんの、タイトなものを着こなすに限るね。足元は下駄や雪駄でちょいと外し、意外性を主張するもよし。まぁ、この場合、絶妙上級なセンスが必要なのでここはやはり、爬虫類の革を用いて製造されたウエスタンブーツもしくはレッドウィングのエンジニアブーツ辺りを組み合わせコーディネイトするのが無難なところではなかろうか。「鏡よ鏡、この世で一番キマってるのはだあれ」って白雪姫のロックバージョン。眉を剃り落とし、石鹸水と砂糖水を用いて逆立てた頭髪。その頭をぶるぶる振り回し、ひしめき野次など飛ばす観客に「うるせえ!」と唾を吐きかけ、蹴り飛ばし、小便をひりかけ脱糞。「これでも食らえ!」と豚の内蔵を撒き散らし浴びせる。更には「ですとろぉい!」などと雄叫びを上げギター及びベースなど、弦楽器を振り回し、床に打ち付け叩き壊し演奏終了後、損壊し飛散散乱したその楽器の部品を自ら、ちまちま拾い集め修理に出す。そんな感じ。さて、ロックな感じにキマったところで、いざ、お出掛けって出向いた先が、ライブハウスや飲み屋ならば何等問題も生じないのだけれどまかり間違って、街へ買い物になど出掛けてしまい更にまかり間違ったことに“お買い物”ってなことで文字通り、買い物などしてしまい両手に紙袋。そしてそれに不運が重なり「本日は全国的に高気圧が広がり~」の予報に反し意表を突いた豪雨。そんなこんなでロックな出で立ちに紙袋、プラス傘といったちぐはぐ奇矯な、ワイルドが聞いて呆れる姿と成り果てる。やはり買い物に出掛けるならば上はスエット、もしくはTシャツ。下はジーンズやなんかをぞろりと無造作に、足元はサンダルかなんかであたかも“思い立ってちょっと出てきました”的雰囲気が買い物袋等、生活感漂わせるものと相性よろしく組み合わせ易く好ましい。とはいえあまりに無造作な、染みだらけ寝間着のよう所帯じみた格好寝癖そのままの頭髪に紙袋、といった組み合わせとなると最悪の場合、路上生活者と見紛われかねないので注意が必要である。ってなことでファッションって難しいなぁ。ヲシテネ。
2008/06/13
コメント(9)
人間の我慢には許容の限度があるのね。であるからして、その限りある我慢は道理通わぬ世間の糞馬鹿共の為に消耗すべきではなく例えば家族であり恋人であり友人であり己の大切な人達に対して本来使われるべきなのだよ。労せず。我慢と思わずして。これ、雄弁なる我が友人の言葉なんだけどうむむ、そうだよなぁ。ぶち当たる壁多き日常、ともすれば楽な方へ違うと思いつつも迂回し波風立たぬ無難な方向へ流され兼ねぬ己を戒めるかのようそしてまた、そんな己に言い聞かせるかのよう強く語る彼の言葉はずしりと重くなるほど考えさせられるものがある。馬鹿野郎!俺は日々働いとるのだ!一歩オモテに出れば戦場なのだ!と、外で飲み込み溜め込みしてきた鬱憤憤懣を帰宅した我が家にてぶち撒け八つ当たりする一家の主を気取った内弁慶。愚痴しか言えず、足踏みばかりの気弱な甘っ垂れ。権力やら社会的地位やらといった見た目ばかり大きな衣を纏った中身からっぽの腐れ天麩羅野郎に媚び諂い、ぶざまに頭を下げ、その場を切り抜ける。そういった要領の良さばかりがスマートで利口だと尊重されそれこそが良識ある大人であるとする屁垂れ世の中に於いて彼の中にそびえ立つ一本の柱は、彼自身の精神生き様を表すかのよう気高く頑丈。それゆえに多くの壁にぶち当たってきた男一匹。一見不器用とも思える彼の生き様を、馬鹿な奴だと嘲笑する者もあるだろう。貴様は何だ?苦笑い、愛想笑い、乞食の空笑い。本当の笑いは何処にある?秋葉原のイカレ犯罪者、あれこそ屁垂れの象徴ね。身勝手な八つ当たりからあれだけ多くの人を傷付け刺し殺ししておいて警官に拳銃を向けられた途端、あっけなく観念。あの場面にこそ、あの屁垂れ犯罪者の人生が凝縮されてる気がするね。死にたかったんだろ?撃たれんかい。腐った脳漿ぶち撒けて死んで見せろよ。ボケ。本日のベーシスト雄弁なる我が友人ね。わはは。褒め過ぎた。ヲシテネ。
2008/06/12
コメント(8)
ヲシテネ。
2008/06/09
コメント(6)
はじめましてー。ってな感じでよろしくねー。がはは。
2008/06/07
コメント(16)
何気なく再生したビデオテープに、おおよそ十年程前の自分が映っていて姿、顔色こそ平素と変わらぬものの、どうやら酣酔しきった様子。深む夜の闇を、ものともせず鳴きしきる蝉の声からそこが夏の夜の公園であると見てとれる。地べたに胡座をかき、画面中央に居座るわたしは地面にぽっかり空いた、直径1,5センチ程の蝉の抜け穴に人差し指を突き込み、無言のうち極めて小規模な掘削作業を行った後感慨深げに何やら、うーん、と呟き唐突、素っ頓狂な声以て“七年八年、地中で耐え忍び光溢れる世界に生まれ出た喜びを噛みしめる暇も無く生涯ただただ鳴き暮らし、やがては果てる”といった内容、蝉の一生を題材とした歌を熱唱。絶唱。静寂の中、響きわたる残響音。闇また闇。一見これ、酔客が勢いに任せたのみの単なる戯れ歌ともとれるのだけれどその詩吟のような独特の歌い回しに、照れや迷いは微塵も無く無表情、時折眉間に皺をよせ絶唱する本人は至って真面目。しかしながら、今現在シラフであるわたしにはやはり滑稽で俺は一体何をやっとるのだ。ここは何処なのか?首を捻り思いを巡らすも濁った川底にて、ちりぢり散乱したような記憶の断片をひとつに繋ぐのはたやすいことではなくそういえば、何処ぞの居酒屋でしこたま飲んだ後散歩と称して見知らぬ街を漫ろ歩きしその道すがら、これまた何処ぞの駅の傍ら線路をまたぐよう設けてある拱廊状の歩道橋を渡る際その鉄骨部分に巣を築きさらした一匹の蜘蛛を見付けるやいなやがはは、猛然と毒突き「貴様、虫けらのくせしやがって、何だ、その偉そうな態度はっ!俺様が恐れるとでも思うのか!くそ虫め!」と罵声を浴びせ、ぴん、と指で弾いたような気がする。指先に伝わる、ぶよんとした感触。うぎゃあ、これ、蜘蛛が大の苦手である自分には想像だに及ばぬ行動であり酒精の秘めたるパワーが、俺自身の弱点までをも克服させてしまったということなのだろうか?そして更に不可解なことに、前記した蝉の生涯を綴った哀歌これに自分自身全く覚えが無く、知らない。恐らくその時、その場の即興で歌ったものと思われるがいずれにしても、迷いのかけらも無い歌い回しといい侘び寂を含んだ、えも言われぬ歌声といい少々変テコではあるけれど、只者ではないような・・・うむむ、これはもしや・・・そう考えてみると常日頃、感情的に俄かドタバタを繰り広げているシラフの自分と比して上品に酒精を嗜むわたしは、これ少々の出来事には動じず雄弁。実に堂々としたもので、弱点も無く無敵な豪傑。更には即興で歌など歌う最強にして多才な男なのである。シラフという、多くのしがらみを纏った耳で聴けばこそ変テコに聞こえる歌も歌い手であるわたし同様に酣酔し、解き放たれた耳で聴けば心にじかに浸透。聴く者すべてがたちまち感涙にむせぶこと請け合い。そう、わたしは伝説の大人物なのだ。あちらの世界では。と、かように解釈すれば、それまで数片の雲の如くきれぎれだった不可解な事柄がひと繋がりとなり鮮やかな色彩を放つ。つまり、わたしたちが日々日常の生活を送る現世界とは別非常に近いところ、されど遠いところそこに現世界と酷似した異世界が存在していてどういった経緯かは知らぬがこのわたしどうやらそちらの世界ではその名も轟く、ちょいとした人物らしいのだ。否、そうに違いない。確たる根拠は何も無いのだが。わはは。しかし、なんだ、そうか。そうだったのか。ああ、良かった。これでスーパーマーケットにて格安割引のおつとめ品やなんかを購入しちまちまと節約生活など送る必要も無い。そう、なにしろ俺は伝説の大人物なのだからね。さて、普段は目に見えぬあちらの世界への扉となるのが酒。そしてその鍵となるのが、これを摂取し程良く酔うこと。しかしながらこと酒に関していえば人それぞれ強い弱いなど体質的な差があり場合によっては全く受け付けない者もある。よってこれを老若男女問わず万人に強いるのは少々酷であり、お薦め出来ない。ましてや見も知らぬ得体の知れぬ世界。一歩足を踏み込むにもそれ相応の勇気と覚悟が必要な筈である。ならば一度、扉の手前よりあちらの世界を覗き見ては如何だろうか?変わらぬいつもの街、人、景色、その世界。そしてそこに展開する出来事これを酒瓶の中、たゆたう液体にて透かし見れば夢か幻か忽然と浮かび上がる無何有郷。その異観に胸踊り、心奪われることだろう。そして、そう、いつかは俺の住むその世界へ。俺の歌声を聴きに来い。本日のシンガプーラ本日、仕事がヒマだったのでショッピングセンター内にあるペットショップにて猫いぢり。シンガプーラ、たまらん・・・後方よりルームメイトのロシアンブルーが不安げに見つめる。本日のゴケグモ自宅より程近い公園駐車場内の側溝などで外来種の毒グモ「セアカゴケグモ」が見つかったらしい。600匹生息の可能性だと。ぐわあぁ。ほんのひと月程前にバーベキューやったばっかだよ。核で総攻撃、根絶して頂きたい。ヲシテネ。
2008/06/07
コメント(0)
本日、誕生日のでこすけ氏。二歳ね。そして十五歳のねぢとぜんまい。相変わらずアホで元気。しかし、性格がよく現れた写真やね。がはは。ヲシテネ。
2008/05/13
コメント(0)
わたしの部屋のベランダから見下ろした真向かいに屋上駐車場も備えた割と大型なスーパーマーケットがあるのだけれど経営者が無頓着なのか、営業を終了した後の夜間も駐車場出入口が開け放たれていて、車の出入りが可能。それに乗じて夜間決まって、そこに勝手駐車する輩の車が数台ある。そのなかに歳の頃三十前後とおぼしき男が所有する白い軽自動車があるのだけどいつも大概、夜遅くにどこからか舞い戻り駐車し同乗する恋人とおぼしき女と共に近所であろう住処へ帰宅、早朝に出かける。といったサイクル、パターンを繰り返している。ところがこの男女の男側が実に可愛い気の無い態度、目付きをしていていや、実のところ彼らと出会すのは夜間が多いため薄闇の中、目付きまでは確認に至らぬのだけれど出会した際など、両手をズボンの前ポケットに突っ込み身体を大きく揺するように肩を怒らせ歩きながら必ずこちらに向かってジロリとやるのである。まあ未熟な若者によくありがちな異性の面前にて荒し雄を演じアピールするといった類のものなのだろうけど身の程知らずというか、実に稚拙で馬鹿馬鹿しい。実際、この男というのが百七十一センチというわたしの身長に対しおおよそ十センチほど低い小柄小太り。豆タンク。つば付帽子を後ろ向きに被りサイズ大きめの衣服をだらしなく纏った、垢抜けない餓鬼で連れ添う女も間延びしたよう長身であるのみあとは同様に垢抜けぬサエないおかちめんこで二人揃えてジャガイモ大根といった感。要するに面と向かって対峙するに値しない、程度の低い人種でありわたしは当初よりまともに相手にせず「なんだこの豆男は」と小馬鹿にし、嘲り笑っていたのだけれどと或る日、やはり出会した際何気なく見やった男の身体に違和感を覚え、げえっと少々面食らった。男の胸には男らしからぬ膨らみがありそう思って見てみると尻も柔らかな丸みを帯びているのだ。つまりわたしが男と思っていた男は、男ならぬオトコオンナであり連れ添っている女とツガイということは、同性愛者ということになる。いや、わたしが女と思っている女は、平均的な女性と比して長身であるので女の格好をしているが実は男かもしれずこの場合、同性愛者とはならないが見た目と役割が逆転してしまう。通常は男らしく威厳めいたものを纏っているオトコオンナもいざとなると女になるということだろうか?しかしながら、長身女は見たところやはり女にしか見えずここは女同士の同性愛カップルと考えるのが自然かもしれない。不自然だけど。まあ同性愛に関して云えば、そんな世界もあるのね程度。わたしとしては否定も肯定もしないのだけれどがはは。たわけぃ!全てお見通しなのだ。と弱味を握ったような支配感相俟って彼ら、いや、彼女ら・・と書くのも何だか癪であるけれど彼女らがまともに取り合うに値しない人種であることを再確認。他人の土地に手前都合勝手に日々駐車などするわ女であるにもかかわらず男を気取りそれに対し気にも留めていない正真証明男であるわたしを妙に意識し張り合おうとするわ。非常識この上無く、身の程知らずも甚だしい。百万年修行して大幅に進化してからきやがれ。がはは。と少々上から目線。馬鹿者め。ところが出会すオトコオンナの態度は相変わらずジロリ。気に入らんなぁ。と、先日たまたまスーパーが営業している時間に帰宅できたので買い物をしようと店舗出入口へ向かったところそこに既に買い物を済ませたであろうレジ袋を携えた男女のツガイ。いや、例の女女外道コンビ。オトコオンナはわたしの姿を見付けるとやはり例の如くジロリ。わたしは近所であるのであまり表立って敵意を露わにする積もりも無いのだけれどこういった身の程知らずの馬鹿者には世間というものを教えてやらねばならん、といった御仏のような広い心でもってさりげなく、一瞬であるけれど確実に、オトコオンナの目線をとらえ鋭く睥睨しジロリ。初めて明るみで見たその顔、不細工。わたしの鋭い眼光の矢に射抜かれたオトコオンナは少々狼狽え行き場を失った目線を、力無く足元に落とした。本日のトカゲ&まむし&アート本日の捕獲品川に流されていたマムシの子。これをマムぽんと名付け、木の枝で救出。小さいながらも牙など剥いて威嚇。ちょっと怖い。そのまま川原に放置すると鳥等の天敵に襲われる可能性が有るので近くの叢まで移動。本日のアートテーマは「兎おいしい 彼の山~」ヲシテネ。
2008/04/29
コメント(0)
ビールを飲みながら上の画像を眺めたらビールの妖精の魔法により缶の中身が透視出来るかも。嬉しくないけどね。注:オイラのではありません。 なんのこっちゃ。 はは。ヲシテネ。
2008/04/26
コメント(0)
「危ない!」の雷声にうち驚き、たじろぎつつも瞬時に状況を把握。ほう、と安堵の息をついたものの、身体のそこかしこ俄かにぶすぶす不完全燃焼を起こし、濛々たる煙煤に表情も険しくなる。先日、仕事帰りの道すがら同乗する相方が薬店へ入り用とのことだったので運転する二トントラックを通りに面した駐車場へ入れ店へ立ち寄ることとなった。買い物を済ませたわたしと相方は、連れだって店舗出入口を後にしそこから程近い区画に駐車したトラックに乗り込もうと先ず助手席側扉の施錠を解き、相方の乗車を促す。続けてトラック前方より回り込み、同様に運転席側の施錠も解く。扉を開け勢いよく飛び乗るべく、今まさに飛び乗ろうとしたその時まったく不意を突くかのよう唐突に「危ない!」の一声。何のことやら解らず辺りを見回すと、どうやらその声はトラック前方に立っている若い男からわたしに向けて発せられた言葉らしくしかしながらわたし、何のことやら解らぬのとだしぬけの怒号に少々不愉快。訝しげな表情そのまま彼を見やると男、苦笑いで言い訳でもするかのよう不可解な表情を浮かべわたしの足元辺りを指さす。つつとその足元をすり抜ける児童。こわっぱ。開け放ったままの運転席側扉の下をくぐり抜け、男のもとへと駆け寄る。齢にして二歳位であろうか洟垂れおむつである。なるほど、男はこの洟垂れの父親でありわたしの開けた扉に我が子が衝突負傷するのを危ぶみ注意を促したに違いない。事態を把握したわたしは、怪我などさせなくて良かったと安堵の息をついたのだけれど、ちょっと待て。これは俺が悪いのか?ここは場合によっては、動く凶器ともなりかねぬ自動車の出入りする天下の駐車場である。かように危険な場所であるにもかかわらず短い距離とはいえ父親である己はそそくさと先を行き知能発達途上である、訳の解らん洟垂れを放任し一人歩き走りさせるとは一体何事だろうか?わたし自身、子を持つ親であるが間も無く十一歳になろうという娘に対してすらかように危険な場所においては手を取り一人歩き走りなどさせぬよう注意を払っている。これは親として当然の責務である。ところがこの馬鹿親は、そうした親としての当然の責務を怠っているばかりか、更には己の監督不行き届きを棚に上げ雷声などあげているのだ。「危ない!」の一声は紛れもなくわたしに向け放たれた矢であり一瞬とはいえ厳しい表情を御召しになられたこのボケは一体何様?俺が悪いのか?いや、悪くないよなぁ。か弱き洟垂れを盾に正当ぶったいや己の正当を微塵も疑わぬ馬鹿親の態度姿に業腹である。かような馬鹿親が近年話題となり取り上げられているモンスタアペアレンツなどと呼称され、類別される類と成るに違いないのだ。大体からしてニイトやらフリイタアやらと総じて矢鱈と類別したがる世間の風潮傾向があほらしく、嫌悪感を覚える。通り名を与え系統区分することによりごく潰しや碌でなしののらくら者不道徳な愚れ者どもに居場所を与えているのである。しかしながら、ここでわたしがこの馬鹿親を叱責したとして当然ながら他の買い物客もあり、彼らの目にも触れることとなるわけで愚れ者の馬鹿親とはいえ相手は割とこざっぱりとした更には幼い児童を引き連れた好青年風味。頭ぼさぼさ作業服姿のわたしが、彼に対し激している場面など目撃された場合どう考えても見栄えが悪く分が悪い。ましてや我がトラックに同乗の相方は無類の争いを好まぬ質でありわたしが口火を切った途端、もし割って入られでもしたら全て台無し。感情のやり場をなくしてしまう。まるで焚き火に掛けた鍋が程良く沸騰を始めたところで噴きこぼれ火を消してしまう。そんな感じ。そうしてわたし自身は、子供を危険な目に遭わせたうえに逆ギレし因縁を吹っ掛ける、荒くれ者の雲助野郎として人々の非難を浴びることとなる。それも正面きってではなく横目でちらちら、ひそひそ、ぼそぼそと。これほど体悪く口悔しいことは無いではないか。くそお。頭の中ぶつくさやりながら煮え切らぬまま駐車場を出て公道へ入りトラックを走らせながらも、やはり納得がいかない。俺の身体のそこかしこ、ぶすぶす不完全燃焼を始め車中は煙の渦。次の交差点で引き返して一喝してやろうかなぁ。しかしトラックで再度あの狭い駐車場に入るのも億劫だよなぁ。己の身体より立ち広がる煙にむせながら、堂々巡りな思案に暮れていると夕刻時分、通常なら車の混み合う時間帯にあるにもかかわらずその日に限って道が空いていて、すらすらすいすいすいと流れてしまいあれよという間に現場から遙か離れてしまって結局、今更引き返したところで既にあの親子は居ないだろう結論に達し、諦めた。ヲシテネ。
2008/04/24
コメント(0)
例外はさておき魚の頭ってなんだか粗略に扱われてるよね。煮るなり焼くなり好きにしろぃ。って焼き魚。例えば、これを食すにあたり皿の上に横たわる男一匹ならぬ魚まるごと一尾。ところが、おろし大根或いはポテトサラダなんかを枕にしたその哀愁の横顔は おっ、脂がのってて旨いねえ。などと人々に絶賛賛頌される部位からはあっさり除外。見向きもされない。希にある、箸を運ぶ者といえば一向に捗らぬ食事に厭き、興味本意、目玉をつつきほじり出す児童。ここが旨いのだ。と常人が食さぬ部位をさも殊勝げにちまちまとやる下手物食通奇人の類。このくらいが関の山で、哀愁をたたえた横顔虚しく廃棄処分。嗚呼、空よ大地よ。なんて、鼻水をちいんとやったちり紙食い残した麺の付着したプラスチック容器風呂場の排水口に蓄積した毛髪etc.これらと共に焼却や埋め立てならまだ御の字でともすれば、ゴミ集積所にて賤しい烏などの餌食となりやがてはその浅黒き肛門よりひり出されるといった数奇な運命を辿ることと相成る。だが待てよ、この場合、色艶形こそ変われど土に還ることが出来るのでは。いやいや、これが田園風景長閑な山村ならいざ知らずアスファルトのうち敷かれた街上に於いては人や車に踏み荒らされ、風雨に晒され当惑の風に漂うこと必至。何れにしても、人間に食い残された魚の頭が母なる海へ帰することは無い。と、ここまで筆を進めたところでわたしの中にひとつの疑念が湧いてくる。上で「数奇な運命」と示した烏のみならず他の動物例えば犬猫等の胃袋に収まった場合と、人間の胃袋に収まった場合双方に違いはあるのか?いずれの場合も体内をゆっくりと下り下って色艶形こそ違えど糞便として形成、排出されるわけで例え人間に食されたところで、その運命に大差は無いのではなかろうか?そこで小生やわらかな西日を頬に浴びつつうむむ、魚頭の立場になって四分ほど考えやはり人間より排出された場合、便器を介して下水へと流れやがては母なる海へと続くであろうその流れ。一筋の希望の光のもと願わくば出来ることなら人間に食われたいものだなぁ。と納得。帰着しました。極めて客観的に。食わないけどね。さて、寒雲重く煽ち風凍てつく冬の夜には、煮物なんかが暖まるよね。って夕餉の食材を調達にとスーパーマーケットへ赴き大根と共に煮込むべく魚介を、同所魚売場にてあれこれ物色。暫し閲した結果、腐っても鯛。あら、安い。ってなことで選択したのが鯛の“あら”。128円。この“あら”というのは主に、食すに好ましい肉の良い部分を取り除いた後の骨や頭を指し、今回選択のそれは、尾が無いので二尾分というべきか二頭分というべきか。鯛の頭を甘辛く煮込んだ兜煮なんて料理もあるのだからあながち侮れまい。兎に角これを購入帰宅し、大きめのステンレス製の鍋に投入。大根と共に煮込む。ぐつらぐつら出汁が沸騰し始めるとふるふる正面から真二つに断裂された二つの頭すなわち四つの肉片そしてその肉片それぞれに腫れ物のよう、唐突無邪気に見開かれた目玉。その視線もろとも痙攣のよう小刻みな動きで混濁した液体の中を踊り始める。目玉が最後に見た景色は・・・?出来上がった料理はやはり甘辛く煮込んだもので、なかなかの出来映え。炊きたての白米との相性が抜群である。日本人やのお。と煮込んだ魚頭の断片を食すにあたり目玉の下辺り、人間に例えると頬の辺りから肉を剥がしそこを拠点に延長し解体する。一口二口と箸を運び「旨いっ」などと唸りつつ解体。そこで気が付いた。ほぼ骸骨となったその魚頭に規則正しく並んだ歯があるのである。まあ食材として調理され姿こそ変われどかつては活きていたわけであり物を食らっていたわけであるから当然といえば当然なのだけれどその歯の形状が、例えば牛や馬などの草食動物のもつ平らなものとは違い小さいながらも非常に鋭利であるのだ。これはこの鯛という魚の食性が肉食であることを示すものであり例えば己より躯の小さな魚、蝦や蟹など小型の甲殻類を補食していたであろう生前の彼の生活を伺い知ることが出来るのだ。よって大海原にて彼の姿を見かけた蝦蟹雑魚の小者達は「うわあ、嫌な奴が来おった。退散しようや」我先にと身を隠したに違いなく威風堂々、悠然たるその姿カッコイイ。ところがそんな彼も大海の王者なんてものではなく苦手な天敵なんかがあって迂闊にもその天敵と遭遇などしてしまった場合には相手に悟られぬよう、ちっ、と小さく舌打ち。「馬鹿野郎。この唐変木が。」と心中で呟けど口には出さずさりげなく目を逸らし、しゅるんと切り抜ける。例えていうなら鼠に強く犬に弱い“猫”ね。まあ平素は割と態度もでかく偉そうにしてんのね。って感じ。みたいな。この辺の中途半端なところが実に人間らしくて良い。鯛だけど。どこか俺と似てるなぁ。と親近感を覚えたのも束の間ぎくり、となって、ぞっとした。料理として食卓に並び、皿の上にて変わり果てた残骸となるこの結末など大海原を我が物顔で泳いでいた頃の彼には想像だに及ばなかった筈である。暗黒の世に在り明日をも知れぬ運命よ。と俺、少々暗い気持ちになり、こりゃいかん、景気付けにと焼酎の瓶を取り出し、ぐびりぐびり呷ってはみたものの感覚の一部のみが妙に研ぎ澄まされていくようで挙げ句の果てには、ぼそぼそぼそぼそぼそと骸骨と目玉のみとなった魚頭の独り言が聞こえ始め耳を塞いでも、ぼそぼそぼそぼそ鳴るので恐ろしく、いたたまれなくなって酒量は増しピッチは加速し更に加速。 酩酊して虚脱。ヲシテネ。
2008/03/03
コメント(0)
冬ですな、とはいえオイラの部屋は暖かく、過ごすにTシャツで充分。実家より程近い神社へ初詣の際、発見。サルノコシカケぢゃねえか。しかもデカイ。40センチ程あるだろうか。写真に収めた部分の他にも子実体が顔を出しかけてる箇所が多数ある。カネの成る木かい、こりゃ。このキノコが大変希少なうえ高価であることを娘に告げると「採って帰ろう!採って帰ろう!」と興奮状態。しかし、そこは良識ある大人のオイラここは神様の庭であるからそれはできませんよ、と説き伏せ物思いに耽った横顔で優雅に立ち去る。がはは。その後、神社敷地外に広がる林の中を娘と二人、皿のようにした目を血走らせつつ彷徨うもあの高価なキノコは発見出来ず。帰宅した後も娘は「採って来ればいいのに」諦め切れぬ様子であった。ヲシテネ。
2008/01/09
コメント(0)
降りしきる雨。車窓より顔を出し、手振り振り「お願いします!」ってずぶ濡れ。しらけるねぇ。そんなものが誠意なら俺でも出来る。こんな稚拙なパフォーマンスにころりと騙されるあほな民衆も大勢いるが、うんざりするね。だいたい、こちらの都合お構い無しにぎゃあぎゃあ五月蠅えんだよ。にっこり笑うな。忌々しい。そんなわけで結局、投票には行かなんだ。例え行ったところで、無記名投票の心積もりだったしこれも意思表示ね。ところが、先日、投票日の前日俺の勤める会社の同僚社員の携帯電話に"選挙のお願い"という名目で、○○党に投票してくださいといった内容の電話があったそうでその電話の主というのが、同じ会社の事務所で事務員を勤める女なんだけど不審&不愉快に思った同僚が問い詰めるとどうやら会社側の承諾無しに、勝手社員名簿を持ち出し片っ端から電話をかけていたらしいのだ。なんたる浅はか。個人情報じゃねえか。だいたいからして、その女事務員、歳こそ若いと推測出来るもののなんだか生気の無い、サエない、例えて云うなら日陰でじめじめ暮らす、黴や粘菌の類、若しくは茸のような人間でどことなく不気味。大人しいのかなんだかよく解らんけれども平素より会話はおろか挨拶すら出来ん馬鹿豚でさらに今回のごとき無神経な行動となると自分が直接対応したわけではないけれども非常に腹立たしく許し難い。ある意味、自分の電話に着信がなかったのが残念なくらいである。がるる。うひひ。なんにしても、投票対象くらい自分で決めるって。どかどか土足で手前の考えを押し付けるんじゃねえ。こういった無神経な馬鹿豚の猖獗が社会や国果ては世界を駄目にするのだ。そんなセンズリ活動する以前に先ずは人として基本的な道徳やらを勉強して身に付け挨拶のひとつも出来るようになりやがれ。こいつぁ、由由しき問題ですよ。こんなのを雇ってる会社としてもね。ヲシテネ。
2007/07/31
コメント(0)
真っ赤に広がる草原を、ちょん髷の少年が走っている。歳の頃は十二、三位だろうか。ちょん髷だけでも充分奇矯であるけれど彼の服装がまた更にその極みで上は背中に「猫イラズ」と黒筆文字で書かれた水色の鯉口シャーツ下はいかにも祖父の御下がりといった趣、見るからに寸法の大きな所々汚れ染みの付いた駱駝股引をY字型サスペンダーで吊り上げているのだけどその股引、尻の部分が直径二十糎ほどの円形に切り抜かれており尻丸出し状態である。わたしはその後ろ姿を草の上にひとつ設置した座椅子に胡座をかき皿に盛り付けた蛙の腿肉練乳がけを箸でつつきこりこり食しつつ眺めている。あの~おっ、子っは~っ、何処お~っ、の子~おっ、こんな夕暮れ~なんて流行歌の一節、しゃくり上げるような歌い回しが妙に強調されて頭をよぎるも、今は夕暮れ時ではなくちゅんちゅら雀のさえずる朝焼けの時分である。よって、わたしは蛙の腿肉練乳がけこれを朝食として食しつつ目前の奇妙な景色を眺めているといった状況である。少年の行く手には、鮮やかな黄色い水をたたえた湖が広がっており風は無く水面穏やか。いや、一見水に見えるが、その質感は液体ではなくゼリーのような半透明半固形物質であるらしく凝らして見ると、ぷるぷる小刻みに揺れている。全力疾走する少年は更に勢いを増し、湖に飛び込むべくその踏み込み地点となるであろう水際に到達する直前何かに躓いたらしく、期待に反し呆気なくべたん、と草の上うつ伏せに倒れ込んでしまった。わたしは食事の箸を止め、身を乗り出してさて、どうするのか、と成り行きに見入っていたのだけれど倒れたまま動こうとしない彼は、そのままの姿勢で口元にある赤い草を、むしゃむしゃおもむろにはみ始めやがては唐突にぶりぶりと脱糞し始めたのでただでさえ不快な光景、まして食事中であるわたしさすがに、げっとなり目を逸らし座椅子ごと彼に背を向け座り直す。と、そこにいつの間に現れたのか左頬に絆創膏を貼り付けた初老の男が立っている。身に纏っているのは、極めて身幅の狭い江戸むらさきのタンクトップ一枚ぎり。その両脇からは乳頭がはみ出していて、その上にも絆創膏が貼り付けてある。更には陰部丸出し。といった一見してあほと判る風体で定まらぬ視線を不安定に泳がせつつ、にしゃにしゃ頬を緩め「僕、赤城君。赤ちゃんでーす。ひひん、ひひん。」と云う。わたしは怪訝に思い「なにか用ですか?」見上げつつ問うと少々驚いた様子で彼、「倒木。 倒木。 倒木。」と四方を指示する。しかし、当然ながら彼が指し示した先には何も在りはしない。しかして当方の困惑にお構い無しの彼、今度はけたけたと笑いながら自分の頭髪をむしり始める。わたしは食事の皿に、むしり取られた毛が混入すると厭なので立ち上がり、そろそろと後ずさり。ところが自身の可視圏域外である頭の上きれいにむしりきれない箇所の存在に気付いた彼それに気付くと、もう気になって仕方が無い、居ても立ってもおられん様子で無言のうちに「むしってくれ」と云わんばかりこちらに頭を突き出し更には駄々っ子のごとくに地団太踏み踏みにじり寄ってくる。むしられて、はらりはらりと舞う毛毛毛。おい、皿に入るじゃねえか、この野郎!って、絵にも俳句にも成りゃしない。ましてやたとえ百歩に余る歩数、譲りに譲って見た目が類似してると仮定したとしても料理に振りかける、刻み海苔の代替品になど成り得る筈もない。さすがに頭にきたわたしは、足元に落ちていた金槌を拾い上げると祭り太鼓でも打つかのごとく、柄の部分で力一杯、カン、カン、カン!まだらの頭に食らわしてやった。かかかっ、やってやったよ。どうだ、思い知ったか、あほめ!一方、食らった本人、少しは怯むかと思いきや、懲りた様子は微塵も無く突如真顔になったかと思うと、くるりとわたしに背を向け自身の陰嚢を指で引き伸ばし、もてあそび「民族博物館ー、民族博物館ー。」と意味不明な名称を幾度となく連呼しつつ走り去っていった。まったく、なんなのだろう。“結構、毛だらけ、猫、灰だらけ”って、“皿、毛だらけ”だよ。気味が悪いなぁ。いや、この場合、機微が悪い、かな? そう、君が悪い。はははは、滑稽、滑稽、ウコッケイ。宝くじでも当たらねえかなぁ。ヲシテネ。
2007/07/28
コメント(0)
14日からちょいと京都へ行ってきました。で、昨夜15日夜中の3時に帰宅。台風一過ということで、本日朝から青空が見えていたので自然に触れようと養老まで足をのばしたのだけど油断した。にょろにょろ目に付いた蛇を捕獲しようと手を伸ばしがぶり。たはは、やられました。毒が無い種というのは確実なのだけれど謎の発熱。うぐぐ。蛇の牙より黴菌が体内に充填されたのが原因???さすがに本日の飲酒は断念。ウィルキンソンのジンジャーエールの辛口を飲みつつ瓶底より灯りを透かして見ると、いい感じ。こんな灯りの店で飲みたいもんである。なんだか昭和の薫りがするなぁ。はは。ヲシテネ。
2007/07/16
コメント(0)
ヲシテネ。
2007/07/13
コメント(0)
全215件 (215件中 1-50件目)